2018年05月19日

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)6話「厄運のすねこすり」感想

 …やられた。今話に関しては色々考えてみても結局「やられた」という感想に集約されるし、自分としてもこの言葉が一番今話にふさわしい感想だと思う。
 話の内容については後で触れるとして、自分的に一番やられたと思ったのは前半部分の構成なのである。
 今作の構成として特徴的なサブタイトル前のアバン(と言っていいのか?)部分、今作ではあの部分にて2、4、5話と3つの挿話において本編中盤の恐怖シーンをほぼそのまま、言わば先取りの形で最初に見せてしまうことで視聴者の興味を引く構成にしていた。それはそれで一つの手段だからいいのだが何度もやられてしまうと見ているこっちの興味も削がれてしまい、むしろさっさと本編に入れよといった気持ちさえ浮かんでしまうものである。実際前話を見終えた時点では僕もそう感じていたのだが、今話はそうした視聴者感情を逆手に取った演出が成されていた。
 今話の粗筋をまったく知らない状態でアバンの映像だけ見れば小さいすねこすりが巨大化して人間を襲い、人間が絶命した恐怖シーンだと思ってしまうだろう。だがそうではなかった。この場面は妖怪の脅威を見せる場面でもなければ恐怖シーンでもないのである。
 さっさとネタばらしすると、今回登場する妖怪すねこすりは2期「怪自動車」に登場した際のように人間に害をなす妖怪ではなく、むしろ人間が好きで人間と共に生きることを望んでいる平和的な妖怪である。原典の水木絵以上に猫っぽいデザインにリファインされていることもあり、今話のゲストキャラである老女・マサエに猫の「シロ」としてじゃれている様子は本物の猫との触れ合いのように見えて微笑ましい。
 しかしすねこすりは当人の意志に反して人間とは相容れない宿命を背負っていた。すねこすりは人間と触れ合うだけで人間の気力を「勝手に」吸い取ってしまう性質があり、それが1人の人間に集中し大量に気力を吸い取ってしまった場合、その人間は最後には死んでしまうのである。しかもすねこすりは自分にそんな能力があることを鬼太郎たちに教えられるまで知らず、そもそも自分が妖怪であるということさえも気づいていなかったのだ。
 すねこすりにとっては衝撃でしかないこの事実を知り彼は回想する。以前に仲良くしていた内村という男が衰弱し、最後には自分の目の前でミイラのような姿に変わり果てて死んでしまったことを。悲惨な最期を目の当たりにして感情が高ぶったすねこすりは巨大化した姿で絶叫する。
 アバンで挿入されたシーンとはつまりこの場面だったのだが、ここまで見て初めて視聴者はハッと気づかされることになる。あのアバンで描かれていたシーンとは今までのような(見ている側にとっては)ありきたりの恐怖シーンではなく、大切な人を失ったすねこすりが悲しみ、そして自らの能力に絶望する場面だったのである。
 この構成は本当に見事という他ない。今話だけを独立してみてみればまあちょっと捻った構成というだけ(それでも巧みであるが)になるのだが、5話までの積み重ねを経て視聴者の胸中に生じたであろう「思い込み」をも逆手にとって、それを演出の一環として組み込んでしまったわけだ。
 1話完結が主体の鬼太郎という作品においてここまでトリッキーな演出が施されるとはまったく想定していなかったので、これは「やられた」というしかないのである。

 と、演出上の技巧についての「やられた」はここまで書いたとおりだが、ストーリーについても十分「やられた」し、その理由については既にたくさんのブログやらSNSやらで触れられているのと同様である。
 すねこすりはマサエを母ちゃんと呼び慕っていた。恐らくは件の男性やこれまで共に過ごしてきたであろう人間も同様に自分の家族として大事に思ってきたであろうことは想像に難くない。その大切な家族の命を自分自身が奪ってしまっていたというあまりに残酷な現実を知ったすねこすりの胸中は如何ばかりであったろうか。
 一度はマサエの元に戻ったすねこすりや、いたたまれず飛び出したすねこすりを探すため弱りながらも森の中までやってきたマサエの様子からは、2人が本当に互いを大切に思いやっていることが窺えるが、それでも2人が共にいる限りマサエは死に近づいていくという「現実」は変わらない。
 偶然現れた熊に襲われそうになったマサエを助けるため、すねこすりは彼女の眼前で妖怪としての正体と言うべき巨大な姿を晒して奮戦、傷を負いながらも熊を追い払う。首に付けられた首輪と鈴から、目の前の巨大な生き物がすねこすり=シロだと気づくマサエだったが、すねこすりは近寄ろうとするマサエを振り切るように、自分はマサエから気力を「わざと」吸い取っていた悪妖怪なのだと宣言する。
 無論これはすねこすりが土壇場で考えついたマサエを遠ざけるための嘘なのだが、マサエはそれでもいいと告げる。すねこすりにどんな理由があろうとも「シロ」と一緒にいられれば幸せなのだからと。
 2人の確かな絆を感じられるこのセリフだが、今のすねこすりにとっては最も聞きたくない言葉でもあったろう。彼女が自分と共にいようとすればするほど彼女は衰弱し死んでしまう、それはすねこすりが一番望まない結果だからだ。ただの猫ではなく妖怪だという真実を知ってもなお自分を大切に想ってくれるマサエの心情はすねこすりに取っては本当に嬉しいものであったろうが、だからこそ彼はその自分に向けられた温情を否定しなければならないのである。誰も悪くない、互いが互いを思いやっているだけなのにそうすればするほど互いを拒絶し離れなければならない、これ以上の皮肉はないだろう。
 すねこすりは結局そのワルぶりを真実と受け止めたマサエの息子・翔がマサエを守ろうと振り回した傘に当たり、やられた振りをして去っていく。すねこすりは当初マサエに反抗的な態度を取る翔に明確な敵意を持っており追い出そうとしていた節があるのだが、そんな自分にとっての邪魔者はまぎれもなくマサエの実の子供であり、母を助けようと非力ながらも力を振るうことができる。対して自分の方は自分の力で「母」を苦しませ死に追いやってしまう、所詮は疑似的な家族関係。
 1人森の中を歩きながらマサエと過ごした日々を思い返し慟哭するその胸中には単純な寂しさや悲しさだけでなく、妖怪である自分にはどうあってももう何もできないという無力感もあったのかもしれない。

 そしてそんな2人に対し鬼太郎は物の見事に無力だった。元々すねこすりは人間に対し明確な敵意を持っていないのだから戦う理由はないのだが、それは鬼太郎の能力を以てしても出来ることはそこまでだということでもあり、鬼太郎は離れていく2人に対し何もできなかったのである。
 結果的に第三者・傍観者としての立場に甘んじてしまった鬼太郎の姿には、鬼太郎以外の水木原作に材を取った2期の諸作品と重なるものがあるが、今話は悲しい結末を迎えてしまったマサエとすねこすりに対し鬼太郎自身が言葉で明確な感想を漏らすことがないため、傍観者としての立場がより強調されている。
 何より今作の鬼太郎は良い関係性を保つために妖怪と人間は必要以上に近い存在にならない方がいいというスタンスを取っている。であればこれは鬼太郎にとってはまさに起きるべくして起きた悲劇と言えなくもないのだが、本人がそう簡単に割り切れていないであろうことは最後の鬼太郎の苦い表情を見れば一目瞭然というところだろう。
 特に上述の感想では悲劇と書いてはいるが実際に今回の事件は「悲劇」なのか。確かに2人は離れ離れになってしまったし相応に辛い気持を味わってはいるが、互いに対する想いが消えてしまったわけではなくマサエに至っては最後のすねこすりの嘘も理解した上で礼の言葉を口にしているわけで、逆に今話を悲劇と括るのは簡単だが実際登場人物たちの胸中を推し量るとこれは単純な悲しみの物語なのか、苦い終局の物語なのか、判断がつきかねる部分がある。ラストの鬼太郎はまさにそんな想いだったのではないだろうか。

 次回は打って変わって予告の時点で怪奇色バリバリの「幽霊電車」。サブタイトルに余計な言葉をつけていないところにもスタッフの力の入れようが窺えるが、6期版「ゆうれい電車」はどのように仕上がるのだろうか。
posted by 銀河満月 at 13:05| Comment(0) | ゲゲゲの鬼太郎(第6期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月18日

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)5話「電気妖怪の災厄」感想

 これまでの6期鬼太郎はブログにも書いたとおり人間であるまなや裕太が鬼太郎との出会いやその過程で巻き込まれた事件を通して、妖怪という「見えないもの」「信じていないもの」を信じるようになり歩み寄っていく過程が描かれてきた。
 その作りが非常に丁寧であるということは今までの感想に書いたとおりであるがその反面、基本的に1話完結である本作の基本的なストーリー骨子である「妖怪退治」の要素が弱くなってしまっていたのも事実である。勿論単純な妖怪退治ものに留まらない様々な副次的要素を内包しているストーリーや描写がゲゲゲの鬼太郎という作品の魅力であるというのは僕も十分承知しているが、それでもやはり本作におけるストーリー編成の中心に位置している要素が「妖怪退治」であるという点も忘れてはいけないだろう。
 そういう意味でもこの4話までの構成は鬼太郎作品としては極めて異例のことだった。大げさに言えば記念すべき初回に妖怪退治話を持ってこず「妖怪」という存在そのものを視聴者に認知させることを第一とした、1期の1話に匹敵する大胆な構成と言えるかもしれない。

 さてそんな見せるべき最優先事項を見せきって作劇上の余裕ができたのか、今話は6期鬼太郎としては初のオーソドックスな妖怪退治ものとなっている。敵は電気妖怪かみなり。その名の通り電気を操るだけでなく巨大な浮遊岩をも操って科学実験を行う人間たちを襲い、鬼太郎も子泣きじじいとの連携で倒したなかなかの強敵だ。
 今話は原作にはいなかったねずみ男を登場させてねずみ男の悪だくみを発端とすることで、「ねずみ男が何らかの形で妖怪に出会う」→「妖怪の能力を使って金もうけを企む」という本作における妖怪退治話のパターンを明示している。2話も発端としては同様だったのだが先に書いたとおり2話は妖怪退治要素を後方に引っ込めて作られた話なので、今話で改めて鬼太郎世界における妖怪退治話のフォーマットを提示しようと言うことだろうか。
 その一方で原作にも登場した「人間」をストレートにかみなりに絡めているのが面白い。科学を探究する科学者たちが襲われるのみだった原作に対し、今話で登場する人間はかみなりをも利用してのし上がっていくヤクザと一見すれば真逆の変更に見えるが、借金の取り立てから裏金による根回しで市長にまで出世したり、自分の犯罪を暴こうとする女性ジャーナリストをかみなりの力を借りて殺してしまったりと思いっきり自らの欲望に忠実に行動しているところは、科学の「探究」が行動理念であった原作の科学者たちと重なる点がないとも言えない。どちらも自己の欲求に忠実に行動した結果としてかみなりの災厄を招いてしまうところなどは等価と考えていいだろう。
 かみなりの方はそういった人間の勝手さにただ怒り暴れるだけの存在だった原作に比して、ねずみ男たちに持ち上げられてすっかりのぼせあがり、気に入った美人を手元に置こうとするなど俗な面が新たに付与されており、それも強引な手段によってであったり最終的には恐怖で人間たちからの尊敬を集める、畏怖されるような存在に君臨しようとするあたりからは原作を超える横暴さが感じられる。結局は人間と妖怪、そしてねずみ男の誰もが自分の身勝手な欲望のままに動き、利用していたつもりが圧倒的な暴力で立場を覆させられるといった関係には、原作とは似て非なる人間と妖怪の歪な関係性を集約させていると言える。
 かみなりを利用して作りだした発電所の電気を平時では称賛し、かみなりが暴れ出すと途端に否定的になるモブキャラの態度も、根底にあるものは同じなのだろう(キャラデザがなぜサザエさん風味だったのかはよくわからないが。笑)。

 さてそんな悪党たちに対する鬼太郎の態度は、ある意味では非常に鬼太郎らしいものであった。序盤に登場した際は原作どおりに子泣きじじいと将棋を指していたりして原作ファンを喜ばせてくれたが、今話の鬼太郎は事件に対して動き出すのはかなり遅い。ねずみ男は早々にかみなりを利用して電力会社や発電所を設立し、そこで稼いだ金を非合法手段に用いてヤクザを強引に市長にまでのし上げるわけだが、その時点では鬼太郎はねずみ男が具体的にどんな悪事をしているかまったく知らず、ねずみ男がまた何かやらかしていないかと訝しむだけだ。
 ねずみ男が絡んでいることを鬼太郎は知らないし特に誰も伝えていないのだから当然と言えば当然なのだが、この時点でねずみ男は確かに鬼太郎が心配するところの「悪さ」を働いているのである。にもかかわらず鬼太郎は気にかけるだけで積極的には動かず、ジャーナリストがかみなりの仕業で感電死したというニュースを知ってからようやく動き出すこととなる。
 これもまた新聞に載るほどのニュースであり鬼太郎も容易に知ることは出来るのだから、そこで初めて動き出すのも当然の話ではある。ここで気に留めるべきは鬼太郎の行動ではなく鬼太郎が行動する理由となる、劇中における動機的原因の設定である。確かにねずみ男たちがやっていたこともヤクザがかみなりの力で女性を殺害したことも、どちらも等しく悪いことであるが、鬼太郎はその内後者の事件を動機として動き出す。
 前者の行為も悪事であることに変わりはないのだが、逆に言えばもしこの段階で何かしら・誰かしらの被害が出ていればその時点で鬼太郎も動き出したろう。しかしここで行われたのは帳簿の記載変更であったり金銭の譲渡に過ぎないのである(それぞれ「改竄」だったり「裏金」だったりするわけだが)。
 この時点で鬼太郎が積極的に動かないのは言うまでもなく、鬼太郎にはそこまでする義理がないからである。原作にも「そんなに人類のために奉仕ばかりしていたらしまいにはベトナム和平にまで手を出さなきゃならなくなってくるよ」という鬼太郎本人のセリフがあるように、強引に分類するならば「正義の味方」的存在である鬼太郎も常に人間のために無償で働くといった性質の存在ではない。原作でも本作でも鬼太郎自身が何度も触れているが鬼太郎の目的は、あくまで鬼太郎が考える人間と妖怪の程良い距離感を保てるようにするというのが第一義であり、人間に尽くすことを目的としてはいないのだ。
 だから悪人が書類をいじろうが金をばらまこうがその辺は全く頓着しない。彼が気にかけるのはそれらの行為によって誰かの生死にかかわったり生活圏が脅かされるような具体的な(それも巨視的に見れば極めて些細な一個人または複数人の)被害が出た時なのである。
 鬼太郎は原作者である水木先生も認めるように正義側に立っているキャラクターであるが、同時に単純な正義の味方ではない微妙なスタンスを維持し続けている存在でもある。それがゲゲゲの鬼太郎というキャラクターの代えがたい魅力であることは言うまでもないし、それを妖怪退治というオーソドックスな話の中で改めて視聴者に見せつけたのは構成の妙であろう。と言うよりオーソドックスでありこれからも何度も出てくるであろう物語構成だからこそ、ここではっきりと描写しておく必要があったとも言える。
 そんな構成の影響で鬼太郎の出番は後半に集中することになってしまっているが、かみなりとの対決場面はそれを補って余りある迫力の映像に仕上がっている。かみなりの暴れっぷりも一つの街を滅ぼしかねない破壊を引き起こしたり機動隊を壊滅状態に追い込んだりとかなり派手なものになっており、鬼太郎を倒すために放った雷撃が唐突に龍の姿を形作って鬼太郎を襲うあたりなどはちょっとやり過ぎではと思わないでもないが、アニメの鬼太郎は子供向けのアクションヒーロー的側面を担っていることも確かなので、むしろアクションはやりすぎと思われるくらいにした方が良いのかもしれない。今話の場合は終盤までずっとかみなり側の描写ばかりだったので、見ている側のフラストレーションを発散させる意味でもド派手なアクションシーンは必要だったろう。
 対する鬼太郎も原作どおり子泣きじじいの援護を得て、少々強引な鬼太郎の電磁石化でかみなりの能力を一部無効化した最後の最後、大体の視聴者も「お前あれ使えるんだから使えばいいじゃん」と思っていた(に違いない)体内電気を、かみなりの電気を吸収した上で大放出、かみなりを葬り去ることに成功する。
 この体内電気を鬼太郎が繰り出すまでの間の取り方も実に絶妙だ。早すぎれば連発しても相手に効いていないと取られるし遅すぎればもっと早く使えばいいのにとのツッコミを受け、どっちにしてもストーリーに対する視聴側の没入度を阻害してしまいかねないところだが、今話では相手の武器を奪って能力を一部無効化するというシチュエーションを直前に配することでワンクッション置き、その上で相手の最後のあがきに対して待ってましたとばかりに体内電気を使用するという、見ている側のテンションの上昇度合いをきちんと見定めていたかのような見せ方は非常に素晴らしい。
 逆転のきっかけになった手段が人間の生み出した科学の産物というのも皮肉が利いていて実に巧みだ。

 さて次回は「厄運のすねこすり」。予告を見る限りでは2期「怪自動車」のように巨大な体への変身能力も持っているようだが、果たしてどのようなストーリーになるのだろうか。
posted by 銀河満月 at 15:14| Comment(0) | ゲゲゲの鬼太郎(第6期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月10日

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)4話「不思議の森の禁忌」感想

 本作「第6期ゲゲゲの鬼太郎」は前話までの3つの話の中で、主人公である鬼太郎のパーソナリティや能力、ねずみ男やねこ娘たち仲間妖怪の紹介、今作の世界観、今作における妖怪と人間の関係性やスタンス、その上で妖怪の鬼太郎と人間のまなが「友人」という関係性を持つに至るまでの流れを丁寧に描いてきた。
 1話完結形式の物語でそのような言ってみれば「初期設定公開」を3話もかけて行うのは長すぎるのではないか、そこまでする必要があるかと思う向きもあるかもしれないが、それは逆に鬼太郎を今アニメ化するに当たって最初にやっておかなければならなかったことだった。
 前回のアニメ化作品である第5期鬼太郎の放送が終了してから約10年の間に「妖怪」というものについての社会の受け取り方や考え方が変わってきたことや、境港市を始めとする各自治体や企業の尽力による作品やキャラクターのさらなるパーマネント化、「水木しげる漫画大全集」の刊行による水木作品の世界観の浸透といった劇的な変化を迎えた後で、改めてゲゲゲの鬼太郎という作品をアニメにするにあたってどのようなアニメを目指すのか、過去5回もアニメになった作品を今またアニメ化して何を描くのかといった難しい命題に向き合い、導き出した今作なりの回答をはっきりと一番最初に明言しておく必要があったのである。
 言わばこの1話から3話までの流れは一般的な初期設定公開話であったのと同時に、今回の第6期制作陣の「我々は鬼太郎をこのように作る」という決意表明でもあったのだろう。ゲゲゲの鬼太郎という、言い方は悪いが手垢のついた作品を今改めて一からアニメ化するには、それくらいの覚悟を必要とすることでもあるということだ。

 それ故に3話までは見ているこちらが驚くほどに生真面目な、見方を変えれば少々堅苦しい内容になっていたわけだが、そんな序盤の話も一段落ついて今話は有名なゲゲゲの森を舞台にした少々の箸休め的挿話となった。
 ゲゲゲの森は言うまでもなく鬼太郎や仲間の妖怪たちが住んでいたり集まったりする場所として知られているが、その認知度の割に実は原作からしてゲゲゲの森の存在はさほど重視されていない。あくまで「鬼太郎たちが住んでいる場所」「日本のどこかにある場所」程度の扱いしか受けておらず、アニメ版でも森そのものがフィーチャーされたことはほぼなかったと言っていい(5期の妖怪横丁はあくまで横丁限定であり森そのものが描かれることはあまりなかった)。
 そんなゲゲゲの森は今作では2期や3期のような人間社会と地続きの森ではなく、妖怪と同じで人間の目には見えないもの、見えない場所に存在しているサブタイトル通りの「不思議の森」として描かれた。現実問題として2期あたりの時代ならともかく現代において都心から比較的近い場所に人間が入ることも困難なような森が存在しているというのはあまりリアリティがないし、鬼太郎たち妖怪の不可思議性を強調するという点においても、この設定付与は必要不可欠なものだったと言えるだろう(異界に存在している場所という点では5期も同様であるが)。
 そしてゲゲゲの森を描写するきっかけとなるのは1話にも登場したまなの友達の少年・裕太。1話では友人にからかわれてばかりの気弱なところが目立っていたが今話では始終明るくはしゃいでおり1話とのギャップに驚かされるが、それだけ妖怪のことが好きなのだろうということが窺えて微笑ましい。鬼太郎をはじめ様々な妖怪のことは祖母から聞いたという設定は、水木ファンであれば水木先生とご存知「のんのんばあ」の関係が想起されてニヤリとさせられるところである。
 魂がまだ安定していないという子供だったことと、妖怪に対する純粋な好意や憧れのような「見えないものを信じる」感覚とが偶発的に働いたのか、裕太はゲゲゲの森に迷い込んでしまう。当初追い返そうとする鬼太郎も邪気のない子供には抗いがたかったようで、結局砂かけばばあや目玉親父の言いつけに従い、裕太にゲゲゲの森を案内することとなる。
 このあたりの描写は極端にコメディタッチとして描かれたわけではないものの、今までは冷静な態度しか見せなかった鬼太郎の様々な表情が見られ、妖怪世界における鬼太郎の言わば素の表情が見られるという点でも面白い。

 そして裕太たちの目を通して描かれる今作のゲゲゲの森は万年樹や妖怪温泉といったオリジナル要素を含みつつ、全体としては我々視聴者がパッと思いつく「人間の手が入っていない天然そのままの森閑とした森」を見事に表現している。かつて第4期鬼太郎を制作する際に水木先生は「宮崎(駿)アニメのように作ってほしい」とスタッフに注文したそうだが、今回のゲゲゲの森は作画の流麗さもあってまさにその宮崎アニメに出てきても何ら遜色がない「森」「自然」として完成している。
 上にも書いたとおり今までゲゲゲの森と言えばせいぜい鬼太郎や仲間妖怪が住んでいるところという程度の個性?しかなかった(掘り返せば家獣を食べた妖怪ヅタの生息地とかそこそこ追加設定はあるけど)わけだが、今回ここまで独自の設定を加味してゲゲゲの森を念入りに描写しているのには、つまりは異界の人である鬼太郎たちと同様に彼らが住む場所もまた異界、人間の世界とは異質な場所であるということを強調しているのだろう。
 だがそこは異界であっても何かのきっかけさえあれば出入りすることは出来るし繋がりを持てる場所でもある。裕太が入れた事実がそうだし以前から存在していたであろう妖怪ポストもそうだろう。森の中で出会う油すましや水妖怪といった妖怪たちが人間の裕太に対し、鬼太郎ほど突き放した態度を取っておらず、他ならぬ鬼太郎自身が「人間が好きな妖怪もいれば嫌いな妖怪もいる」と話しているところについても、人間と妖怪の世界とが明確に断絶しているわけではないということを暗に示しているように見える(水妖怪は裕太を食おうとしているが)。
 そう考えると前話で既に鬼太郎たちと友達関係という明確な繋がりを持ったまながゲゲゲの森に来なかった、(スタッフ的には)来させなかった理由もわかる。まなはゲゲゲの森という広大な異界に迷い込んで強引に繋がってしまうことなく、悩みながらも自分自身で行動し結果として繋がりを得ることができたのだから、作劇上の話としてはまながここでさらにゲゲゲの森に来る必要はなかったのである。明言はされていないがまなもいずれそう遠くないうちにゲゲゲの森に来ることになる、それだけの関係性を既に築いているのだから。
 同時にそれは純粋にただ妖怪への好奇心だけで動く、悪い言い方をすれば見世物的なものとして妖怪を見やっている「子供」の裕太と、鬼太郎たちを思いやって彼らのことを極力話さないように考えていた「少し大人」のまなとの対比になっている。

 だから仮にまながゲゲゲの森に来ていたとすれば、裕太のように山じじいの実をむしり取ることもなかったろうし、それ故の騒動も起こらなかったに違いない。無論裕太にも悪気は全くなかったろうが、好奇心や純真さがそのまま相手に受け入れられるわけではないというのはそれこそ3話序盤での鬼太郎とまなのやり取りで提示されたことでもあるし、それ「だけ」で互いに異質な存在と容易く繋がれるほど容易なものではなかったというわけだ。
 山じじい自体は原作漫画にメインで登場したことはなく、アニメ版でも4期113話「鬼太郎対三匹の刺客!」に登場したのみであり、しかもその話ではまったくしゃべらず何もせずにボーっとしていたり蝶を追いかけたりするだけという、今なら癒し担当と言うべきポジションであっただけに、今回の水木絵を比較的忠実に再現した恐ろしげな顔や、実を盗んだ裕太だけでなく彼をかばう鬼太郎やねこ娘、近くにいただけというねずみ男や子泣きじじいまでも容赦なく襲い来るという描写は、4期を知っている人にも知らない人にも底知れない恐怖を味わわせたことだろう。
 山じじいが動き出すと同時にこれまでただ不思議だけども綺麗に見えていたゲゲゲの森が、裕太に対して牙を向くかのような恐怖の対象に変貌した、ように裕太には見えるという場面の転換も巧かった。
 結局騒動自体は裕太が実を返すことで終息し、山じじいも未熟な子供がやったこととして戒めの印を残しながらも裕太を許す。異質なもの同士が理解し歩み寄ることの難しさをこれまでの話に続けて描いたようにも見える一方で、それでもなお妖怪を恐れず妖怪を知りたいと好奇心のままに話す裕太の姿からは、まなとは異なる「見えないもの」との触れあい方の可能性を示しているようにも感じられる。

 今話もまた小ネタが多くその辺はネット上で既にさんざん触れられている通りだが、いくつか触れておくと油すまし役の龍田直樹氏は過去作では3期から出演しており4期では一反もめんとぬりかべ、5期では子泣きじじいとぬりかべとそれぞれ兼役でレギュラーを演じている。山じじい役の佐藤正治氏も同様に3期からの出演経験があり、さらに言えば「墓場鬼太郎」にもゲストで参加している。オールドファンには5期のがしゃどくろ役が比較的記憶に新しいところだろうか。
 もう一体の水妖怪は鬼太郎の原作漫画に出たことはないが、「水妖怪」と言う名前の妖怪は1966年制作の実写版悪魔くんの第8話に登場しており、デザインもそこそこ似通ったものとなっている。
 他に砂かけばばあが口にした「寅吉」と言う名前の人間は、江戸時代の国学者・平田篤胤が遺した「仙境異聞」に記載されている天狗に攫われたという子供の名前と同じであり、水木先生も過去に漫画化したこともあるこの書物を元ネタにしたのではとも言われている。
 いずれにせよ水木先生が遺したゲゲゲの鬼太郎と言う作品、引いては数多くの妖怪画を6期鬼太郎の作品世界で咀嚼し再構築し、しかもそれが今のところ問題なく成功しているというのは特筆すべきことだろう。

 さて次回は「電気妖怪の災厄」。原作でも鬼太郎はかなり追い込まれた末に辛くも勝利したという感じであり、実は5期には登場していないのでアニメには実に4期32話以来、22年ぶりの復活となるわけだが、どんな活躍?を見せてくれるのであろうか。
posted by 銀河満月 at 02:02| Comment(0) | ゲゲゲの鬼太郎(第6期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月22日

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)3話「たんたん坊の妖怪城」感想

 本編の感想を書く前に今までの感想で書き漏れてしまっていたレギュラーキャラの声優陣についてちょっと触れていこうと思う。
 目玉親父役の野沢さんは1話感想で書いたので飛ばすとして、まずは鬼太郎役の沢城みゆき氏。歴代のアニメ鬼太郎には一度も出たことのない声優が鬼太郎役を務めると言う点では3期以降の主役声優陣と同じ流れだが、演じ方としては5期鬼太郎がクールにすましている状態をさらにクールにした、という感じだろうか(もちろんご本人はそういう意識で演じてはいないだろうが)。
 1話2話では基本的に人間、つまり妖怪である自分にとっては異端の側にいるまなとばかり話をしていた関係で、クールでぶっきらぼうな演技ばかりになっていたが、今話で見せる父親との穏やかなやり取りや敵を見据えてはっきりと敵愾心を露わにした時の語気の鋭さなどからは内面の熱さも十分に窺え、歴代とはまた似て非なる鬼太郎像の構築には成功していると言えるだろう。
 (余談だがエンディングのキャスト表記、今回は鬼太郎が「ゲゲゲの鬼太郎」と二つ名付きで表記されている。1期からずっと「鬼太郎」表記だっただけにこれだけでも新鮮に思えるのはオールドファンの特権かもしれない。)
 他の仲間妖怪は2話のみの登場なのでまだ何とも言えないというところはあるが、そこは演じているのがほぼすべてベテラン陣。演技そのものは非常に安定していると言っていい。
 古川登志夫氏演じるねずみ男はいかにも小悪党という軽めの演技がさすがという感じ。白いバスローブ姿を想像してもそれが微塵も似合っているように見えない、そう思わせない雰囲気を出しているのはさすがだった。砂かけばばあを演じる田中真弓氏の老婆役と言ったらドラゴンボールシリーズの占いババを思い出すが、そちらよりもテンションは勿論声のトーンも抑え気味にして落ち着いた雰囲気を出しているのは、親父に次ぐ鬼太郎ファミリーの知恵袋としての存在感を出すには十分だろう。
 島田敏氏演じる子泣きじじいやぬりかべはまだそれほど喋っていないので、6期の彼ららしさを確認するのは今話以降になるだろうか。逆に短い時間で存在感を発揮しているのは山口勝平氏演じる一反木綿で、砂かけばばあと合わせてどのへんまで台本セリフでどこからアドリブなのかよくわからない軽妙なやりとりは非常に楽しいものに仕上がっていた。
 ねこ娘もまた今回の作風に合わせて4期や5期のねこ娘よりも低いトーンで声を出しており、地声かはわからないが声の雰囲気だけで言うなら3期版に近いように見える。等身もあって鬼太郎より大人っぽく見えるという意味では庄司宇芽香氏の大人びた演技がマッチしていた。
 犬山まな役の藤井ゆきよ氏は個人的には「アイドルマスター ミリオンライブ」シリーズでの所恵美役が印象深いが、そちらや他の役でも見せることの多い高いトーンでの発生は抑えて低めの音域を使っているのは他メンバーと同じか。ちなみに鬼太郎役の沢城みゆき氏とは「ルパン三世(第4シリーズ)」で既に共演済である。

 と、長々レギュラー声優について話してきたが、今話は顔見せに留まった2話と違いレギュラー陣演じる鬼太郎ファミリーが総出で事にあたる豪華な一編である。
 敵は妖怪城に巣食うたんたん坊、二口女、かまいたちの3妖怪。原作では鬼太郎が孤軍奮闘し結局城ごと封印という手段でどうにか倒し、歴代アニメでも3期では記念すべき1話を飾り、4期では前後編で決戦が描かれ、5期では妖怪城そのものが敵側勢力の重要なファクターとして継続利用された(されるはずだった)りと、何かと話題性が高くなる傾向にあるこの話、6期では3期のように現代社会を象徴する都会のど真ん中で繰り広げられることとなった。
 彼らの住む妖怪城そのものには精々人間の子供を妖怪に変える、というくらいの能力しか原作では設定されていなかったが、今回は4期版のように「妖怪城の妖力がある限りたんたん坊たち3妖怪も不死身」という設定が加えられ、強敵としての存在感が増しているだけでなく、「自分たちが能力を底上げするために妖怪城の完全復活を目論む→子供をさらう→噂になってまなの耳にも入る」という物語の導入も成立し、前2話に続いてまなという人間の少女を事件に無理なく介入させる助けにもなっている。
 たんたん坊がコンクリートや道路の中に出入りできる理由はちょっと理屈っぽすぎるような気がしないでもないが、逆に言えばそんな状態になってもなお力を発揮できる妖怪城の異常性を見せつけるということにもなっているのだろう。その一方で原作どおりにお約束のタン攻撃をかましたり、それを食らった鬼太郎の脱出方法も原作に準えたものになっているのは嬉しいところだ。
 敵側に強敵感が増しただけあってそれと戦う側である鬼太郎ファミリーもかなり行動的、と言うか戦闘面の能力を前面に押し出していた。砂かけばばあの繰り出す砂ものっけからただの砂ではなく痺れ砂であったり、子泣きじじいも誰かにおぶさるのではなく石化していきなり城の外壁を破壊、一反木綿は原作でたまに見せていた「もめん切り」の如く自分の体でかまいたちを真っ二つにしたりと、鬼太郎との連携も含めて戦い慣れしている描写が続き、非常に見応えのあるものになっている。
 ねこ娘のアクションについてはお披露目自体は前話行われているので、今話は戦闘時に手の爪を伸ばして切り裂く力をアップさせられるということが判明した程度にとどまったが、反面今話ではねこ娘の内面深化に描写を割いており、前話から引き続きまなに「ねこ姉さん」と慕われている描写やSNSでのやり取り、最終的には事件に首を突っ込んでしまったまなへのフォローなど、ツンツンした態度とは裏腹に内心ではかなりまなを気にかけている様子が見て取れ、鬼太郎に対してのみでなく本来的に優しい性格をしていることが、見ている側にはすぐわかるのが良い。
 白眉なのは鬼太郎が結局まなのことを心配しているとわかった時のセリフと表情。自分もまなのことを気にかけているのだから鬼太郎がまなを気にかけること自体は嬉しく思いながらも、まなという「女の子」を気にかけていることへの焼き餅も同時に生じ、しかし自分もまなを大事に思い始めているからそんな感情をストレートに表には出せない。そんな複雑な女心と言うべき心理が「そう思ってるって、結局まなが大事だからじゃない」という一言と表情に集約されるのは見事だった。

 そして鬼太郎。今回鬼太郎が見せたのは「怒り」だった。人間の独善に怒りすべての人間を妖怪に変えてしまおうと企むたんたん坊たちに一定の理解を示しつつも、自分の気に入らないもの、許せないものに対する行動の解として「排除する」ことしか選ぼうとしない3妖怪に鬼太郎は怒りを露わにする。
 それは妖怪でありながら幼少の頃は人間に育てられたからという過去があるからかもしれないし、本人は未だ自覚していないながらも人間であるまなに友好的な想いが芽生えていたからとも受け取れる。そもそも彼が人間どころか妖怪ですらなく「幽霊族」というまったく別種、しかも滅びゆく種族だからということも関係しているのかもしれない。いずれにせよ今話の時点ではこのやり取りの中で鬼太郎の胸中にどのような想いが去来したのかは知る由もないのだが。もしかしたら1話で目玉親父が触れた「育てられたことへの恩情」以上にこの時抱いた感情が、鬼太郎が人間のために悪妖怪と戦う動機に直結しているのではないだろうか。
 そんな鬼太郎の怒りを表現するかのように6期では初の体内電気を披露、それを直接たんたん坊にぶつけるだけでなくちゃんちゃんこを槍のようにして投げつけたり、2話でも見せた「ちゃんちゃんこを拳に巻きつけて対象物を破砕」する豪快なやり方でまなを救出したりと、そこだけ切り取って見ればまるで3期版のごとき派手でダイナミックなアクションが繰り広げられていた。
 まなとの関係も根本では彼女を心配しているが故に冷たい態度を取り続ける、それは即ち彼女を「友達」として認識しつつあるからと気づけたことで、やっと鬼太郎の方から一歩歩み寄れたという感じか。1話で強調されていた鬼太郎の横顔も今話では指鉄砲でたんたん坊に止めを刺した時だけでなく、まなが3妖怪に捕まってしまったことを彼女の最後のメッセージから察した際の悔しがる表情として使用されており、ラストのセリフよりも前に彼の胸中がはっきりと明示される良シーンであった。
 鬼太郎のまなに対する友誼に気づくきっかけを与え諭してくれたのが、仲間の中では年長者的立ち位置の砂かけばばあと目玉親父というのも巧い構成である。

 さて「一歩歩み寄った」まで進んだところで、次回は少し箸休めといった感じの話になるようだが、ゲゲゲの森そのものがフィーチャーされた回はアニメでもさほどなく(5期の横丁はあくまで「妖怪横丁」)、どのような内容になるのかこれはこれで楽しみである。
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2018年04月14日

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)2話「戦慄!見上げ入道」感想

 今月から始まった第6期ゲゲゲの鬼太郎、ネット上で感想を見て回った限りでは概ね好意的に受け入れられているようだ。
 元々興味のない人は端からアニメを見ないからそれは置いておくとして、恐らくは過去に何期目かの鬼太郎を見たことがあるであろう人たちが今6期鬼太郎を見て好評価を示してくれているのは、勿論1話の全体的な完成度が高かったからなのは言うまでもないが、同時に鬼太郎という作品が原作漫画からして非常に自由度の高い作風であり、それ故に「こんな鬼太郎もあっていいのだ」とごく自然に受け入れられる、そういう土壌が既に確立しているからではなのだろう。
 原作つきアニメはとかく原作に縛られがちだしそれも当然のことではあるのだが、表現技法が異なるアニメという媒体で縛りすぎると今度はアニメならではの面白さが失われ、最悪アニメにした意味すら失われる羽目にも成りかねない現実を考えると、「ゲゲゲの鬼太郎」とは極めて幸福な作品と言えるのかもしれない。
 とは言え歴代作に存在していたお約束を守ってほしいと願うのもまたファンの性。とりわけ前回の1話においてオリジナルのレギュラーキャラである犬山まなと鬼太郎の関係に焦点を絞ったため、鬼太郎と親父以外の妖怪キャラが登場しなかったというのは、3期以降1話から必ず登場していた歴代作を思うと一抹の寂しさを覚えてしまうファンもいたのではないだろうか。
 いつもの面々が揃って登場するのを楽しみにしている人もいれば、いきなり等身が上がった美少女妖怪を期待していた人もいるだろう。筆者などは鬼太郎とずっと腐れ縁で繋がってきた日本一不潔な半妖怪の登場を待っていた口だが、それら鬼太郎の仲間妖怪もちょっと出遅れたものの今回の2話で集合することに。さて園出番とは…。

 と書いてはみたものの、仲間妖怪の中で実際に活躍らしい活躍をしたのはねずみ男とねこ娘の2人だけであり、残りの子泣きじじい、砂かけばばあ、一反もめんにぬりかべの出番は顔見せ程度に留まった。上記したとおり原作や歴代アニメ作を知っている身としては少し寂しい気がしないでもないが、今作は人間であるまなが鬼太郎たち妖怪の存在や世界をだんだん知っていくというのが本筋の1つとなるようなので、一気に仲間妖怪の能力や個性をポンポン見せていくのではなく、各話ごとに段階を踏んで見せていくという構成になっているのだろう。まなは鬼太郎の家はおろかゲゲゲの森にも立ち入ることはできないし、そもそも駆けつけた子泣きや砂かけたちの名前すらまだ知らないのだから。その意味では非常に丁寧な作りと言える。
 と言ってもただ出てきたというだけでなく彼らも今作ならではの個性を早くも見せ始めているのは嬉しいところだ。可愛い女の子好きという個性が与えられた今作の一反もめんは早速まなに言い寄るという、砂かけ曰く「色ボケふんどし」ぶりを発揮していたり、子泣きが早速飲兵衛の面を見せたりしているのは設定紹介の側面も無論あるが、いかにも水木ワールドの妖怪らしい人間臭さでもある。
 今話を振り返る上で重要になるキャラはやはりねずみ男とねこ娘だろう。ねずみ男は登場から3分もしないうちに「花より金」と花を踏み散らし、辺り構わず立ち小便をして挙句には見上げ入道の封印を解いてしまうだけでなく金に目が眩んで見上げ入道の手下になるという、ねずみが持つ代表的なパーソナリティがわずかな時間の中で小気味よく描写されていた。
 腐れ縁である鬼太郎との関係についても中盤のやり取りにおいてねずみ男には「鬼太郎ちゃん」、鬼太郎には「あいつ」と互いに呼ばせることで付き合いの古さを匂わせており、後述のねこ娘に比してどうしても登場時間が短くなってしまう中で、弁舌と金で芸能事務所を乗っ取ってしまうシーンも含めきっちりと「らしい」活躍を見せることができていたのではないだろうか。

 で、今作のねこ娘である。1話でチラッと(まなに妖怪ポストの場所を教えるシーンで)映ってはいた彼女も今話にて本格登場と相成ったわけだが、天敵であるねずみ男に対しての態度はともかくとして、前情報にあった通り今作では他の面子はおろか鬼太郎に対してもつんけんした態度を取る、歴代と比較してもかなり異色の性格設定が成されていた。
 鬼太郎を助けた人間がどんな人間なのか直接確かめに行ったり(相手が少女だから?)、見上げ入道にやられた鬼太郎の帰還を信じて自分が時間を稼ぐなど、鬼太郎に対する想いの強さが垣間見えるシーンはチラホラあるのだが、その気持ちを素直に鬼太郎に見せないのには何か理由があるのか、今後の話でそれが明かされるのか興味深いところであろう。ただ根っこの性格が「いい人」であるというのは、ねこ娘の活躍に憧憬の念を抱いたまなから「ねこ姉さん」と呼ばれて嬉しさを隠しきれず表情に思わず出してしまうところから容易に窺えるだろう。
 そのねこ娘、前述のとおり見上げ入道の攻撃で一旦戦線離脱した鬼太郎が復帰するまでの時間稼ぎとして、かなりの戦闘能力を発揮。歴代作のねこ娘もネコの特性を生かした敏捷さや爪での引っ掻き攻撃などを見せることはたびたびあったものの、今作のねこ娘は単純に格闘能力も高いようでまなをかばうまでは巨大な見上げ入道に対し優勢を保っており、3期や5期とはまた異なるバトルアクションの可能性が開けたと言ってもいいかもしれない。それまで気の強い美少女だったのが目を一度閉じて開いた瞬間「猫」の目になるというスイッチも単純にカッコいい。
 さらに言えばこのねこ娘のアクションシーンにかかっていたBGMはかつての名曲「カランコロンの歌」のメタルアレンジであり、こんなところでも1話同様に歴代作と最新作との折衷が見られた。

 そして今回の鬼太郎。前話の引きは「ちゃんちゃんこのおかげで無事だった」という、まあそんなとこだよね的な理由で決着がついたわけだが、同時に鬼太郎の能力の中でもかなり特殊な位置にある霊毛ちゃんちゃんこについての解説をその流れで済ませてしまうところは巧みと言うべきだろう。
 まなへの態度は前話と同様にまだまだ固いところはあるが、次回予告では5万人の人間が消えたことに対してさして動じてはいないようなセリフを吐いていたにもかかわらず、本編の中では誰かに手紙をもらうといったこともなく事件が発生したら能動的に動いて現場に向かっており、人間が大量に消えたという事件の重大性はきちんと理解している節が窺え、彼自身の多面的な部分も見え始めてきたようだ。
 そして今回は敵役が見上げ入道と言うことで霊界(原作では「死霊の国」)からの帰還から見上げ入道に吸い込まれた所をちゃんちゃんこを使って逆転という、原作で描かれたシチュエーションをほぼそのまま再現していた。霊界から戻れた理由が幽霊族だからと言うのはちゃんちゃんこの特異性が少々失われてしまったようで個人的には残念であるが、まだ2話の時点でちゃんちゃんこの万能ぶりを見せるのは時期尚早と判断した故であろうか。
 その一方、ちゃんちゃんこを使って物理的に見上げ入道の喉を破って飛び出してくる強烈なビジュアルは、力みすぎて目玉が飛び出してしまった原作とは似て非なる妖怪同士の異常な戦いの描写として十分すぎるほどのイメージだと思う。
 他方では4期版での止めとなった「見上げ入道見越した(り)」の言葉を人間が言わないと効果のないものとしてまなに言わせるところは少しご都合主義ではあるものの、鬼太郎言うところの「必ず誰かが気にかけている」人間の意義をまなに体現させるという点では及第点の展開と言えるだろう。
 1話と同様に登場人物の個性を追うことを最重視しているためか物語自体はあまり捻らずシンプルな構成になっており、見上げ入道も前話ののびあがりと違い会話が可能な存在ではあったものの、そこまで強烈な個性を発揮するには至っていない。しかし自分が「消した」人間の数と人間社会の中で「消えた」人間の数を比較した上で問題はないと嘯くふてぶてしさは出色の出来であり、同時にその数の1つ1つに想いを傾けることが出来る鬼太郎との良い対比になっていた。
 見上げ入道の担当声優は池水通洋氏。鬼太郎作品には3期や5期に出演経験がある文字通りの大御所声優であり、70年代は様々な特撮作品でヒーローや怪人の声を大量に演じてきた方であるが、近年はさすがに御歳もあるのかアニメで声を聞く機会が少なくなってしまったのがおっさんオタとしては寂しいところである。これに限らず鬼太郎と言う作品は基本1話完結なのでゲストキャラを出しやすいのだから、若手・ベテランを問わず様々な声優を呼んで共演させてほしいものである。
 他にも電池組なるアイドルをわざわざ登場させたりと細かいところで拘りを見せる部分はあったので、次の3話からはそれらの小ネタをどんどん生かすようになっていくのだろう。筆者的には販売開始すぐにチケットが売り切れるという一幕に乾いた笑いが出てしまったが(笑)。

 事件が解決したと思いきや、1話ラストで鬼太郎に矢を射かけたのと同じ人物(妖怪?)が別の場所で何やら暗躍をしている様子。そこには親父が触れたのと同じ逆五芒星が描かれていたが、この人物とその背後にあるものが今期の物語上の縦糸軸となるのだろうか。
 そして次回登場するのは3期版の記念すべき1話を飾り、4期版では前後編で鬼太郎ファミリーを窮地に追い込んだ強敵妖怪のたんたん坊。奴が出るということは配下のあれやこれも出るのか、はたまた彼らの住処であるあの城は出るのか。こちらも今から楽しみである。
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2018年04月01日

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)1話「妖怪が目覚めた日」感想

第1期開始から50年
第2期開始から47年
第3期開始から30年
第4期開始から22年
第5期開始から11年

そして2018年4月1日、カラスの鳴き声に導かれ、下駄の音を響かせて六たび「彼」がやってきた……。


 すーっごく久々にブログを更新してみるわけだが、理由は言うまでもなく今日から放送が開始した「第6期ゲゲゲの鬼太郎」の感想を書くためである。
 原作者である水木しげる先生が亡くなられてから初めてのアニメ、同じく5期終了後亡くなられた田の中勇氏が1期から5期までずっと演じられてきた目玉親父を、1期2期で鬼太郎を演じた初代鬼太郎役の野沢雅子氏が演じるとか、ネコ娘のキャラデザがかなり大人びたものになっているとか、4期以来の人間レギュラーが設定されるといった様々な新機軸が情報として流れてきた中で、ついにアニメ本編が始まるわけである。
 5期終了後からも世の中は様変わりし、特に「妖怪」という存在についての世間の見方がだいぶ変容してきた中で、原作は既に古典漫画の域に入っていると言っていい「ゲゲゲの鬼太郎」を現代のアニメとしてどう魅せるのか。予告編を見る限りだと怪奇性が強調されていたが、さて本編の方はどうだったのだろうか。

 始まり方としては「怪奇な事件が起きる」→「鬼太郎に連絡する」→「鬼太郎が来る」という4期以降オーソドックスとなった流れに準拠した展開だった。当たり前だが鬼太郎どころか妖怪の存在自体が信じられていないのだから、その信じられていない存在を信じるまでの過程を1話では見せないといけないわけで、そういう意味では鉄板の流れと言える。
 今話ではさらに犬山まなという人間側のレギュラーキャラクターが妖怪を信じるようになっていく流れを段階的に見せることで、「信じていないものを信じる」過程を強調し、翻って作品を見ている視聴者の没入度を高める意図もあったように思われる。
 これは前述のとおり今と言う時代に「ゲゲゲの鬼太郎」といういささか古臭い作品を現代の視聴者、特に主たるターゲットと言うべき子供たちが違和感なく作品世界を理解し入り込めるようにするための方策なのだろう。逆を言えばそこまで気を遣った上で1話を作らなければならないほど、鬼太郎の作品作りも難しく面倒になってきているということでもあるのだが。
 その強調の意図は所謂鬼太郎ファミリーが一切登場していないところからも察せられる。他の面子はともかく鬼太郎作品に最も欠かせない存在と言うべきねずみ男までもが影も形も登場していないというのは、鬼太郎や目玉親父のみの描写に注力するためとは言え実際のところかなりの冒険だったのではないだろうか。

 そしてその演出意図は奏功していたと言えるだろう。異質な存在である鬼太郎と目玉親父は言うまでもないが、その2人と出会う6期オリジナルのレギュラーキャラである犬山まなの描写に集中することで、怪奇現象の発生や妖怪の出現、妖怪との戦いと言った種々のシチュエーションの中で3人それぞれの個性(プラス鬼太郎の能力)のみならず、次第に打ち解けあっていく3人の繋がりもしっかり描出されていた。
 まなは鬼太郎とのかかわり方から見るに3期レギュラーだった人間キャラだったユメコに近い役どころのようだが、これから鬼太郎だけでなく仲間妖怪とどのように触れ合っていくのか、どんな形で毎回の事件にかかわるようになるのかが楽しみ、と思わせてくれるくらいには魅力的に描かれていたと言える。
 肝心の鬼太郎の関連の方は、妖怪ポストに手紙を書いてから初めて登場する、という4期初回っぽい始まりではあったのだが番組の編成上、本編開始前の番宣スポットで鬼太郎が登場してしまうので、リアルタイム視聴だとあまり謎めいた感じに見えなくなってしまうあたりは、物語の冒頭に毎度視聴者側に話しかけてきた5期を連想させる。
 これに限らず今作は過去作を連想させる要素が随所に見られる。アレンジされているとはいえOP曲がお馴染み「ゲゲゲの鬼太郎」であるところには安心させられるが、その冒頭に鬼太郎と目玉親父の「誕生」シーンがそれぞれ挿入されていたり、鬼太郎が人間に味方する理由をかつて水木と言う人間に育てられたからと親父が述懐するのは初期原作、と言うよりアニメ版の「墓場鬼太郎」、所謂ゲゲゲハウスの外観やOPで1コーラス目と3コーラス目が切り替わる瞬間にキジムナーが飛び出てたり、何より鬼太郎の得意技である髪の毛針やリモコン下駄、妖怪アンテナなどの効果音は3期、OPの「試験も何にもない」「病気も何にもない」のところにねずみ男が登場するのは4期、そしてOPラストの処理は何となくオリジンたる1期2期の主題歌を彷彿させる。
 ユーチューバーが「チャラい奴の代表格」として最初にひどい目にあうのは、ディスコとかで騒ぎまくってる若者をひどい目に合わせることがよくあった3期っぽくもあるが、まあこれはその時代ごとの「チャラい奴」の代表的なイメージと言うところなんだろう。こういう点から歴代作を見返してみるのも面白いかもしれない。
 鬼太郎のキャラクターは登場シーンや人間に興味のない素振りをしているところに5期鬼太郎っぽさを見出せるが、それ以外のパーソナリティはまだ1話なのでわからないと言えばわからない。しかし吸血木にされても特に何もすることなく原作どおりに実から復活する不死身性や前述のとおりいつもの得意技を連発で見せたりと、見せ方そのものは1話としては十分だろう。
 特に放送前に声優陣が何度か触れていた「(今作オリジナル設定の)指鉄砲を撃った後の鬼太郎」は素直にカッコいいと呼べるカットになっており、わけのわからない存在であると同時に妖怪退治のヒーローでもある鬼太郎の多面性をきちんと見せられていたのではないだろうか。
 のびあがりを退治した後まなに抱きつかれた時は頬を赤らめても不思議ではないのだが、1話でそこまでしてしまうのはさすがに少し違うか。
 テレビアニメ版では初めて田の中氏以外の人が声をあてることとなった目玉親父だが、そこは大ベテランの野沢氏、1話の時点で完全に歴代を踏襲しつつ自分独自の目玉親父として確立させているのはさすがと言う他なかった。
 直近の5期ではココンがいたために解説者ぶりが若干成りを潜めてしまった感があったが、今回は吸血木の解説から見たばかりのスマホをすぐに使いこなすといった存在感を発揮しており、こちらにも十分期待が持てる。
 一方敵妖怪であるのびあがりは昔封印されていたが蘇った、吸血木の種を植え付けるといった最低限の設定のみが使われ、強烈な個性を発揮するには至っていなかったが、1話の敵役としてはこんなものだろう。

 1話としては上々のスタートを切ったと言っていい6期鬼太郎。…と思いきや鬼太郎が何者かの矢を受けてしまうという急展開の中次回へ続くことになる。
 と言いつつ次回はそれとは直接関係なさそうな見上げ入道の話になるようなので、この繋ぎも込みでどのような展開になるのか、本格登場する鬼太郎ファミリーの活躍も含めて大いに期待したい。
posted by 銀河満月 at 12:31| Comment(3) | ゲゲゲの鬼太郎(第6期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月23日

アニメ版アイドルマスター25話「みんなと、いっしょに!」感想

 2011年7月7日、七夕の日に始まったアニメ版「アイドルマスター」は、以降半年に渡って様々な物語を紡いできたわけだが、そんなアニマスの物語もとりあえずの終幕を迎える時がついにやってきた。
 半年間も我々視聴者を楽しませてくれた作品と別れることになるという事実には、一抹の寂しさを感じざるを得ないが、今は寂しさに浸るよりも、アイドルたちの現時点での最後の物語、そして活躍をじっくりと視聴し、彼女たちのアイドルとして歩んできた証を心に刻むべきだろう。
 彼女たち765プロアイドルたちが紡いできた物語の迎える最後の舞台。それは今更言うまでもなく、彼女らにとってのセカンドライブでもあるニューイヤーライブ「いつまでも、どこまでも」であった。

 その日、小鳥さんは未だ入院中のプロデューサーを見舞いに病室を訪れていた。幸いプロデューサーは体を起こし読書ができるほどに回復してきており、小鳥さんも「顔色が良くなってきた」と、彼の復調ぶりを喜ぶ。

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 小鳥さんが持参した見舞いの花を置いた棚には、果物や花を始めとした様々な見舞いの品と思しきものが既に置かれている。それがアイドルたちからのものであることは容易に想像できるだろう。
 24話の「NO MAKE」からも察せられるように、恐らく春香以外のアイドルはプロデューサーの意識回復後、一度は病院を訪れて面会を果たしているものと思われるが、果物かごの中に「プロデューサーへ」と書かれた、恐らく765プロアイドルのうち誰かからの手紙がそのまま置かれている辺りから考えるに、頻繁にプロデューサーを見舞っているというわけではないようだ。
 これは無論アイドルたちが薄情だからなどというわけでは断じてなく、彼女たちがアイドルとして今自分たちのやれること、やるべきことを優先して実行した結果であることは論を持たない。
 24話で高木社長がみんなに言ったとおり、それをこそプロデューサーが望むであろうと、プロデューサーという人はそういう人間なのだということを最もよく理解しているのは、他ならぬ彼のプロデュースを受けてきた彼女たち自身なのだから。
 そして実際に彼女たちの認識は間違っていなかった。今すぐにでも退院したいと愚痴をこぼすプロデューサーの真意は、一刻も早く復帰してアイドルたちのプロデュース業を再開したいという想い。プロデューサーは彼女らに来てもらうのではなく、自分の方から彼女らの傍らに歩み寄ることを望んでいるのである。
 「プロデューサーは仕事熱心」との小鳥さんの評価は、そういうセリフを言えるまでに回復した彼の復調ぶりに対する喜びと同時に、そんな彼の真意を察していたからこそのものであったのだろう。
 だがそんな想いを内に抱いていても、現実問題としてプロデューサーが退院することはまだできない。窓の外には日差しに包まれた穏やかな青空が広がり、彼が「ライブ日和」と形容するに相応しい好天に恵まれているにもかかわらず。
 そう、今日がニューイヤーライブの開催当日なのである。
 ライブ会場へ行かなくても良いのかというプロデューサーの問いに、今回は社長もヘルプに入ってくれているから大丈夫と答える小鳥さんの態度はとても穏やかだ。アングル的にその表情を窺うことはできないが、恐らく柔和な笑みを湛えていたことだろう。
 しかしだからこそプロデューサーには思うものがあったに違いない。本来なら小鳥さんもファーストライブの時と同様、会場で現場の手伝いやみんなのサポートに徹することができたはずであるし、何より小鳥さん自身もすぐそばでみんなの晴れの舞台を見たかったであろうことは想像に難くないのであるが、今はプロデューサーへの見舞いを優先しているために、それができない状態なのだ。
 もちろん小鳥さんはそんな状況に不満を抱いているわけではないし、後ろ髪を引かれる程度の心残りがあったとしても、24話の「NO MAKE」においてアイドルたちに取ってみせた態度と同様に、笑顔を絶やすことなくプロデューサーの元を訪れている。それはアイドルの少女たちやプロデューサーに余計な不安を抱かせないようにするための、小鳥さんなりの気遣いであった。
 そしてそんな彼女の心遣いを、プロデューサーは同じ「NO MAKE」の中できちんと理解できている。彼女の笑顔の奥にあるものを正しく認識出来ているからこそ、何もすることができない今の自分の不甲斐無さを申し訳なく思っているのである。小鳥さんに対してだけではなく、765プロの全員に対して。
 「今は怪我を治すことが仕事」と小鳥さんに諭されても今一つ納得できていない表情を浮かべていたプロデューサーは、しかしすぐ意を決したかのように、小鳥さんにある頼みごとを持ちかけてくる。

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 ライブ会場では既にニューイヤーライブの垂れ幕が外に掲げられており、会場内における準備も着々と進められていた。
 そんな会場のモデルとなった場所は「パシフィコ横浜」。アイマス関連では2008年の3rd ANNIVERSARY LIVEや2011年初春の「H@PPINESS NEW YE@R P@RTY!! 2011」などのイベントが開催された場所であり、殊に「H@PPINESS NEW YE@R P@RTY」は、アニメ版アイドルマスター放送決定の第一報が初めて公に流された、記念すべきイベントでもある。
 2011年におけるアイマスムーブメントの発端となった場所をモデルとした会場で、アニマスのみならず2011年のアイマスシーンそのものが締め括られるという構図は、実に小粋な演出である。
 無論765プロのアイドルたちにとっても、今まで経験したことのない大きな会場でのライブであるだけに、高揚感を隠しきれない様子。
 真や雪歩がそんな気持ちを素直に述べる隣で、貴音が気を引き締めるよう促すというやり取りも、今までの話の中で培われてきたキャラシフトがあるからこその定番の流れであった。
 その横で会場に来ることのできないプロデューサーに想いを馳せたのは響であったが、逆に響の方がプロデューサーがいないことを寂しがっているからと、亜美真美にからかわれてしまう。

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 このあたりのユーモラスなやり取りは、アクシデントに見舞われたという面もあるものの、本番開始前はずっと緊張を崩せていなかったファーストライブの頃と比して、アイドルたちの精神面における成長ぶりと、あの時から数カ月の時間を経て、アイドルとしての濃密な経験を得たからこその余裕が窺え、微笑ましい中にもアイドルとしての頼もしさをも垣間見ることができる。
 からかわれる対象として響をチョイスしたのは、16話で描かれた「実はさびしがり屋」という響の一個性に即した故であろうが、ゲーム版「2」では最終的にプロデューサーへの恋慕を直接的に伝える役どころとなっていた彼女を、敢えて「プロデューサーを思いやる」立場として配置したと考えると、なかなか面白い。このシーン自体が今話のラストにおけるある描写への伏線になっているとも取れるのである。
 響をからかう亜美真美をたしなめる律子は、亜美の抱きかかえている袋に目を留めたが、そのことを尋ねても笑いながらはぐらかすばかりで、亜美も真美も説明はしなかった。その表情から何かを企んでいるであろうことは間違いない。

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 そんなみんなの様子を笑みを浮かべながら見つめていたのは千早であったが、ふとあることに気づいて部屋の外へ目を向ける。それはその場にいない2人の仲間を探そうとしている仕草であった。
 その内の1人である春香は、用意されていた水を飲むために別室へとやってきていた。春香が水の入ったペットボトルを手に取った時、同じくあの場にいなかったもう1人である美希が、部屋に入ってくる。彼女もまた水を飲もうとこちらの部屋へやってきたのだ。
 部屋に入ってきた美希にペットボトルを手渡す春香。美希が自分でペットボトルを手にするのをただ見つめるというようなことはせず、自分が先に手に取って美希に渡すという行動は、本当にさり気なく何でもないことではあるが、同時に春香と言う少女の人となりを端的に示した行為であるとも言えよう。
 大舞台を前に各々の抱く感慨を短い言葉で交わし合った後、春香が切り出したのは、以前美希や千早と共に話をした、「アイドルとは何か」という命題。
 あの時は千早も美希もそれぞれが理想とするアイドル像を語っていたが、春香だけは明確にそれを口にしてはいなかった。「自分だけはっきりしなくて」とその時の自分の気持ちを形容した春香はしかし、今はっきりと自分の中にあるアイドルとしての理想を口にする。

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 みんなと一緒にステージに立っている時が一番楽しい、応援してくれるファンの人たちと、共に目標へ向かって歩んでいく765プロの仲間たちに囲まれてその「場」に立つ瞬間こそが、自分が願うアイドルの姿なのだと。
 それは春香が以前から抱いていたものと、中身が別段変容したというわけではない。むしろ春香が目指す理想のアイドルとしての姿自体が、それこそ子供の頃から全く変わっていなかったということは、24話で幼き日の自分に触れる描写を通して明示されている。
 春香はその夢を幼い頃からずっと抱き続けたまま、トップアイドルを目指して芸能界に入り、そして自他共に認めるアイドルとして成長してきた。春香にとってアイドルになるという夢は、そのまま彼女自身のバックボーンとなってずっと彼女の中に息づいており、まさに天海春香という少女の一部として在り続けたものであったのだ。
 春香の夢は当たり前のように彼女と共に在り続けた。しかしそれがあまりにも当たり前すぎたからこそ、彼女はそれが当たり前のことではない、常に自分が能動的に意識を向けて見定めなければならないものであることを、いつしか忘れてしまっていたのかもしれない。
 だから春香は21話、さらに言えば17話での真との他愛ない会話の中でさえも、自分自身の理想を具体的な言葉として伝えることができなかった。それがあまりにも近くに在りすぎ、感覚的に結び付きすぎた故に、客観的に見直すことが難しくなってしまっていたのだろう。
 そしてそんな状態のままで歩み続けたその足を少し止めた時、周囲の状況と自分の理想との狭間にずれが生じ、大きな力の中でそのずれを肥大化させ、ついにはその理想さえも見失ってしまったのである。
 そんな状況に陥った彼女が苦悩の末に自分のアイドルに対する原初の想いと、それを支えてくれる人たちとの繋がりの強さを再認識するというのが、前話である24話の大まかな流れであったわけだが、その体験を経て春香は怪我の功名的ではあるものの、自己の理想を見つめ直す機会を得ることができたのである。だからこそ彼女ははっきりと言いよどむことなく、自分が幼い頃からずっと抱き続けた夢や理想を言葉で語ることができたのだ。
 春香のその言葉に春香らしいと笑顔で返しながら、「それでいいと思う」と彼女の考えを認め受け入れる美希の姿は、23話での春香とのやり取りで見せた態度とは全く対照的なものだ。
 元々美希という子は他人の物の見方や価値観には無頓着であり、悪意はなくともそれが要因となって時には問題を起こしてしまうというのは、ゲーム版「1」の頃から存在した話であるが、そんな美希が自分とは明らかに異なっている春香のアイドルに対する理想や価値観と言ったものを許容し受け入れているのは、24話での体験を経た彼女の成長の証に他ならない。
 それと同時にこのシーンを、23話における美希とのやり取りと同様のシチュエーションとすることで、当該話における春香のそれが、結局は美希に対する擦り寄りでしかなかったことを改めて浮き彫りにし、それに比して再び夢に向かって歩き出した今の春香に備わっている強い意志を、よりはっきりと強調することに成功している。
 春香のそんな姿を誰より喜んでいるのが、部屋の外で2人の会話を聞いていた千早であろうことは想像に難くない。

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 リハーサル室に集合したアイドルたちを前に訓示を述べる高木社長。この場にいないプロデューサーに変わっての役回りであるのは言うまでもないが、実は全話通して見ても、社長がこのような形で全員に対して話をすることはほとんどなかったため、なかなか珍しい光景となっている。
 その事実自体が、常に一歩引いて若者たちを見守る立場に徹してきた、本作における「大人」のスタンスを如実に示していると言えるかもしれない。
 忙しい中でもライブの準備を整えてきたアイドルたちの労をまずはねぎらう社長であったが、意図的ではなかったものの、入院中のため会場に来る事の出来ないプロデューサーのことを話題に出したために、流れる空気が若干湿っぽくなってしまう。
 そんな空気を変えるために手品を披露すると言い出すあたりは、13話や22話を踏まえた社長の茶目っ気溢れるこだわりと言ったところであるが、それを遮るかのように美希が突然声を上げる。
 「ハニー!」と美希が発したその言葉どおり、皆が視線を向けた先にあったのは、小鳥さんの押す車椅子に座ったプロデューサーの姿だった。

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 「来ちゃいました」と少しばつが悪そうに笑うプロデューサーは、病院にいる時と同様に未だ包帯やギプスをつけてはいるものの、本当に久しぶりに見たはずの「元気」なプロデューサーの姿に、アイドルたちも嬉しそうに彼の下へと駆け寄る。
 そんな中、1人感極まってその場に固まってしまいながらも、千早に促される形でプロデューサーの元へ駆け寄っていく春香や、いつもと異なりストレートにプロデューサーへの気遣いを口にする伊織の様子が印象的だ。
 アイドルたちから口々に喜びの言葉をかけられたプロデューサーは、少々言いよどみながら驚きの事実を告げた。ライブでのみんなの晴れ姿を是が非でも自分の目で見るために、本来であればまだ外に出ることは叶わないところを、小鳥さんにも協力してもらい、病院を黙って抜け出してきたと言うのである。
 プロデューサーらしからぬ思い切った行動に、さすがに一同も驚きの声を上げるが、元々来週には外出許可が出るという話だったため、大丈夫なのではないかと話す社長の良い意味での適当さもあり、部屋の中は全員の笑い声で包まれる。もちろんそこに先程までの湿っぽい空気などは存在しない。
 ひとしきり笑ったあとで真面目な顔に戻ったプロデューサーは、まず皆に謝罪する。アイドルをプロデュースするという立場にありながら、事情が事情とは言えその職務から遠ざかり、彼女たちの動向を直接見ることができなかった彼にしてみれば、皆に対して申し訳なさを抱くのは無理からぬことであったろう。
 彼はアイドルたちがどんな状態であるかを知ることもできないまま、今日という日を迎えたことに不安を抱いていたことを正直に打ち明けた。それもまたプロデューサーであれば当然の心境であったはずだが、しかし彼は今日この場に来て、そんな自分の不安は杞憂にすぎなかったと語る。
 彼の不安を容易く霧消させ、ライブが成功すると確信させるまでに至らしめたもの。それは彼の目の前に並んでいるアイドルたち全員の表情だった。
 みんながどんな表情を浮かべていたか、それは彼女たちが多忙の中、このライブに対して抱いてきた特別な想い、24話においてその想いを等しく胸に刻んでから見せた各々の表情を思い返せば、自ずと見えてくることだろう。
 そしてその表情は決して彼女ら個人の力だけで生み出されたものでないということも、プロデューサーは知っている。
 12人のアイドルと彼女たちをずっと支えてきた律子や小鳥さん、社長。765プロに所属する1人1人が自分に出来ること、やれることに最大限に取り組み、互いに支え合いながら目指す夢や目標に向かってずっと共に歩み続けてきた。
 そうすることで育まれてきた仲間同士の繋がりや互いを信じる想いは、そのまま強固な信頼関係や絆といったものに昇華し、彼女ら12人のアイドルたちにより大きな力をもたらしたのである。それは迷い苦しむ者を救う力であり、絶望の淵に追い込まれた者を引き戻す力、そして何より大勢の人たちにも自分たち自身にも、幸せを運ぶことのできる力。
 それをずっと間近で見続けてきたのはプロデューサーだった。以前の感想にも幾度か書いたとおり、どんな時もアイドルたちの傍らにあって彼女たちの日常や苦悩、そして成長を見守り助力してきたからこそ、彼には誰よりもはっきりとわかるのである。互いを信じあう強い繋がりが彼女らの力を育むこと、その力が彼女たち自身を、多くの人の心を惹きつけるほどに輝かせてくれることを。
 プロデューサーはずっと以前からそのことを知っており、だからこそ彼女たちに全幅の信頼を寄せることもできた。仲間を信頼することの大切さは、他でもないアイドルたち本人から彼が教えられたことなのだから。
 「団結した765プロは無敵だ」と言い切った彼の胸中に、アイドルのみならず765プロに所属するすべての人たちに対する揺るぎない信頼感が根付いていることは論を持たない。だからアイドルたちも、一緒に最高のステージを作ろうというプロデューサーの呼びかけに、はっきりと応えることができたのだ。
 プロデューサーはアイドルたちを信じ、アイドルたちはそんなプロデューサーの信頼に応える。各々の職務上の技量や実績といった物を超えた先にあるその関係は、アニメ版アイドルマスターが打ち出した「アイドルとプロデューサー」というアイマスの根底にある関係性そのものに対する1つの回答であり、同時に制作陣が理想形と見定めたものであったのかもしれない。

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 そう考えると23話と24話において、プロデューサーを怪我という形で一時的に離脱させた作劇にも得心が行く。
 春香に対してプロデューサーは、彼女は心をすり減らし苦悩していた時期に何もしてやれなかったことを謝罪するが、確かに彼が負傷せずずっと春香のそばにいることができたなら、春香は実際の時ほど苦悩することにはならなかっただろう。
 だがそれは春香の成長を阻害する要因になりかねない、そんな危険性を孕んでいる「if
」の要素でもあるのだ。
 前述の通りプロデューサーは765プロアイドルの力の源がどのようにして生まれ育まれるかを、恐らくはずっと以前から知っていたわけだが、それは23話と24話とで追い込まれてしまった春香が見失ってしまったものであり、一番欲していた「答え」でもあった。
 その答えが以前からずっと春香の心の中にあったものであるからこそ、春香は第三者から教えてもらうのではなく、自分の力でその答えを得なければならなかったのである。一度見失った心の一部を再び見つけ出すことができるのは、本人以外にはいないのだから。
 プロデューサーが最初から答えを知っていたにもかかわらず、事情はあれどそれを春香に説明できなかったことは、「落ち度」と言っても差し支えないものであるかもしれないが、それは春香も同様であった。
 彼女のプロデューサーを信じる気持ちのまま、素直に自分の悩みを打ち明けていればああまで苦しむことにはならなかったはずであるが、実際には重要な局面で一歩引いてしまったために、プロデューサーと話をする機会すら失ってしまった。これが春香自身の落ち度であったことは、異論を挟む口もないだろう。
 それを理解していたからこそ、プロデューサーの謝罪の言葉に春香は首を横に振ったのだ。誰が悪いというわけではない、しかし裏を返せばみんな一定の落ち度があり、当然自分自身にもそれがあったのだから。
 しかし春香はそんな逆境の中、自分で「答え」を見つけることができた。誰かに教えてもらったり助力を乞うたわけではなく、自分1人で自身と向き合うことで、見失っていたものを再び自身の中に見出したのだ。
 人生の先輩である大人が、少女であるアイドルたちに直接答えを提示するのではなく、例え時に迷うことがあっても自分たちの力で答えを見つけさせ、大人たちは介添え程度の介入に留める。アニマス全編で貫かれてきたこのスタンスの最たるものが24話における春香の描写であったわけだが、それをより強調するためのプロデューサーの一時離脱であったと言えるだろう。
 そしてプロデューサーの離脱による効果は、単なる作劇上の都合に留まらない。春香の心が追い詰められていった要因の一つに、故意でないとは言えプロデューサーを負傷させた原因が自分にあるという自責の念があったわけだが、それに関して春香が直接プロデューサーに謝罪をしたという描写は、作品中には存在しない。
 無論先ほども書いた通り、決して春香が悪かったわけではない。しかし経緯はどうあれ春香の性格を考えれば、彼女がプロデューサーに謝罪しないはずもないだろう。しからば何故具体的な謝罪のシーンを明確に劇中で描写しなかったのか。
 その答えがこのやり取りのシーンに込められていた。
 周囲と決定的にずれてしまうほどに追い込まれ、心をすり減らしながらも、彼女は自分1人の力で見失っていた大切なものを見出し、再び前に向かって走り出した。それは彼女自身は意識していなかったかもしれないが、追い込まれている自分の胸中をプロデューサーに相談することを意識的に避けたために起きてしまった悲劇に対する、彼女自身の彼への贖罪として機能していたのである。
 春香が自分の力で大切なものを再び心に宿すこと、それ自体がプロデューサーへの謝罪でもあった。そんな彼女に対しプロデューサーは彼女が自分の力で答えを見出せたことを察し、力強く励ますように「頑張ったな!」と言葉を送る。
 彼は恐らく今回の件に関して仔細は知らなかったのだろう。だがそれを春香に殊更聞くことなく、ただ春香の出した「成果」を純粋に認め賞賛した。それは同時に敢えて仔細を明かさずとも、目の前にある結果こそが互いを信じ思い合った末のものであると、2人が理解できていたということに他ならない。
 両者はアイドルとしてプロデューサーとして精一杯やれることをやり、その上で最上の成果を出した。それが単なる言葉の範疇を超えた、精神的な繋がりによる両者の間でのみ交わされた「謝罪」だったのだ。
 春香とプロデューサーの間でずっと育まれてきた「アイドルとプロデューサー」としての絆は、かような形で結実したのであり、これもまた同関係に対する一つの完成形であったのかもしれない。
 そしてそれは春香がずっと抱いていたであろう負い目を消滅させるには十分な「赦し」として機能していることも意味していた。

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 いよいよ迎えるライブ開始の時間。客席には大勢のファンに紛れて善澤記者が、ステージ裏にはダンスのコーチやボイストレーナーが、今の彼女たちの成果を見るために集まっている。
 ファーストライブの時と同様、アイドルたちを誰より近くで支え続けてきたプロデューサーの激励を受け、円陣を組んでテンションを高めた12人は満を持してステージに立つ。
 輝くスポットライトと観客の歓声に迎えられたアイドルたちが披露する最初の曲は、「READY!!&CHANGE!!!! SPECIAL EDITION」。前期OPテーマであった「READY!!」と後期OPテーマの「CHANGE!!!!」を組み合わせた、文字通りの特別版だ。
 衣装もそれに合わせてか、美希、雪歩、伊織、亜美、真、貴音が前期OPで着ていた「バイタルサンフラワー」で、春香、千早、真美、やよい、響、あずささんが後期OPで着ていた「ザ☆ワイルドストロベリー」を、それぞれ身に纏っている。
 ライブ自体は20話や21話でも描かれていたが、そちらでは歌唱メインの画面構成となっていたため、歌のみならずアイドルたちのダンスやカメラワークの激しさを前面に押し出した構成という点では、実に13話でのファーストライブ以来の本格的なライブシーンであり、歌曲と相まってまさにアニメ版アイドルマスターにおけるライブの「総決算」と言ってもいい内容に仕上がっている。

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 前述の円陣を組んでいるシーンも含め、前期OPでのライブシーンに使われた映像を修正・編集して使っている部分もいくつか散見されるが、有限のリソースを後続の作品に流動的に使うこと自体はまったく正しい行為であり、今回はむしろその編集の妙に注視すべきところであろう。
 もちろん新規作画分の美麗さもここぞとばかりに炸裂しており、アイドルの動きの激しさやダイナミックさ、ゲーム版とは異なる大胆なカメラワークと言った、13話でも見せたアニマスならではの表現方法はそのままに、12人それぞれの魅力を最大限に描出していることは言うまでもない。
 作画の流麗さに関してはここでいくら言葉を費やしたところで伝えきれるものではないから、是非一見していただきたいとしか言えないのがもどかしいところであるが、演出面で特筆するとすれば、13話の時には見られなかったカメラワークとして、アイドルたちの上半身がフレーム内に収まる程度のアングル(ゲーム版で言うところの「ミドル」)で静止した後、カメラが高速でパンニングし、隣で踊っているアイドルを映し出して少し静止、またすぐに高速パンニング、という見せ方が新たに加わっていることが挙げられる。
 通常のパンニングと比較して、短い時間ではあるが人物を固定して映せるので、人物そのものをより強調することができるし、映像上のメリハリもつけやすくなるという効果も付与されていた。
 アイドルの方に目を移すと、歌詞の「TRY CHALLENGE!!」の部分で、アップで映し出されている時の雪歩の手の形に注目していただきたい。一瞬ではあるが雪歩の手が、3話でプロデューサーに見せてもらった「犬」の形になっていることがわかる。

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 自分に対して全く自信が持てず、ステージに立つことさえ恐れていた雪歩が変わっていくきっかけとなった挿話が3話であるわけだが、その直接のきっかけであるプロデューサーとのやり取りを象徴するこの「犬」を、本当にさり気ない形で描出する制作陣の演出の細やかさには恐れ入る。
 あとは13話でのライブと比較してアイドルたちだけでなく会場全体を様々な視点で映しだそうという意図が、そのアングルから見てとれる点も興味深い。色とりどりのサイリウムが輝く客席や、アイドルたちを彩る照明を映すだけでなく、「SHOW MUST GO ON☆」のところでわざわざ真とやよいが画面下のほうにわずかに映っているだけのアングルを挿入するあたりからも、その意図が窺い知れるだろう(尤もゲーム版「L4U!」に存在した、カメラ視点が固定されてしまうバグを再現したものと言えなくもないが)。
 それほど気にするところではないと思うが、13話の時に比して観客からのコールのボリュームが小さくなっていたという点も忘れてはならないところだろう。

 その後もライブは滞りなく進行し、幕間のトークパートに入る。
 後ろの席の人たちや3階席の人たちのこともちゃんと見えていると呼びかける春香の姿からは、13話でのライブ開始前、幼い頃に自身が体験したアイドルコンサートでの出来事を振り返り、その時のアイドルと自分とが同じ立場になったことに格別の感慨を抱いていた下りが思い返されることだろう。

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 次に続く美希の、心がどんどん高揚してきていることを観客に伝え、自分がキラキラしているかを問いかける様子と合わせ、2人がそれぞれ胸に抱き、終盤のストーリーのキーともなった「理想のアイドル」としての姿を、ここで改めて提示していると言える。
 そして各々が抱く理想を目指して努力してこれたのは、そんな自分たちをずっと応援し続けてくれたファンのみんながいたからと、真、雪歩、あずささんが感謝の言葉を述べる。思い返してみると、この3人がそれぞれメインとなった3、8、17話は、シチュエーション等の違いはあれど、ファンや一般大衆との絡みが比較的多かった話でもあった。
 そんな3人の言葉を、振り返るのはまだ早いとたしなめ、これからもっともっと頑張っていかなければと今後への姿勢を示したのは、伊織に響、そしてやよい。こちらの3人は基本的に後ろを振り返ることなく前だけを見据える性格であるが、その内に強い信念を秘めているからこそのものだということは、7話や11話、16話で描かれていることである。
 3人の言葉を受けた上で、まずは自分たちが今行っている今回のライブに全力で取り組み、成功させなければならないと強く言い切るのは貴音だ。「アイドルとして高みを目指す」という自分の使命に真摯に取り組む意志を14話や19話で明示した彼女らしい仕切り方であろう。
 その言葉を受けた亜美と真美は、ライブを成功させるため、自分たちと一緒に楽しく遊ぼうと観客に呼びかける。この2人にとってはライブもまた楽しく遊ぶためのお祭りのようなものであるかもしれないが、遊びだからと軽んじているわけでは決してなく、むしろ何に対しても常に全力で楽しもうとする姿勢を2人が持ち続けているということは、9話での描写を思えばすぐにわかることである。
 亜美と真美の軽めの呼びかけの後に続く、真面目な呼びかけを担当するのは千早。みんなの心に届くよう力の限り歌うというその呼びかけは、20、21話において歌に対する強迫観念から解放され、歌で人の心に幸せを届けたいとまで思うようになった今の千早であればこその言葉であった。
 ここまで読んでいただければ、各々の言葉が無作為に割り振られたわけではなく、彼女たちがこれまでの24の挿話の中で経験した様々な出来事と、それによるそれぞれの成長を踏まえてのものになっていることがわかるだろう。
 大雑把ではあるものの、わずか2分程度のトークの中で彼女たちは自分たちがこれまで経験してきた過去と、それらの集積として存在している現在とをほぼすべて総括したのだと言える。そしてそれはこの少し後の場面における伏線ともなっていた。
 しかしその場面に突入する前に、もう一つ大切な事項が残っていた。先ほど「ほぼすべて総括」と書いたとおり、まだ総括していない最後の重要な要素が存在していたのである。
 亜美が悪戯っぽく微笑みながら、「今日のサプライズゲスト」と紹介して後ろの大型ビジョンに映し出された最後の要素。それはプロデューサーでありながら、18話にて臨時のアイドルとして責務を果たし、実績をも残した律子であった。

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 嫌がりながらも彼女用のステージ衣装を既に着こんでいるあたりは笑いどころだろうが、観客からもきちんと律子の名前を呼ぶ歓声が上がるあたり、律子が「プロデューサー兼アイドル」としてファンからも認知されていることが窺えよう。
 もちろん律子本人は聞いておらず、Aパートで謎の袋を抱えていた亜美や真美が中心になって企んだであろうことは想像に難くないが、その計画をあらかじめ知っていたと思しき描写がある伊織やあずささんに美希はともかく、計画を知らなかったとしても不思議ではない千早が、心底から嬉しそうに律子の参加を喜んでいるのが印象的だ。
 律子もステージ出演を渋々と言った表情で承諾したものの、プロデューサーとの会話の中では照れながらはにかんでいる辺り、まんざらでもない様子。彼女もまた他のアイドルたちと同様、プロデューサーの激励を背に受けてステージに向かって走り出していく。
 そんな様子を見やりながら、目標に近づいたと独りごちる高木社長。社長が芸能事務所を立ち上げてまで追い求めた、彼の思うアイドルとしての完成形。その理想像を現765プロアイドルの中に見出したのだ。
 とは言えそれは恐らく断片的な感覚であったろうし、そもそも社長の考える完成されたアイドルとはどのようなものなのか、見ている我々にもすぐそばで聞いていたプロデューサーや小鳥さんにも明示されたわけではない。
 だからこれに限っては「こうなのだ」と断定的に記述することは避けた方がいいだろう。プロデューサーも言ったとおり、彼女たちもプロデューサーもまだまだこれからなのだから。彼女らアイドルがいつか本物のトップアイドルになれた時、社長の求めるアイドルの完成形もまた見えてくるに違いない。

 やってきた律子も含め、ステージ上に揃った13人すべての765プロアイドル。彼女たちはその中心にいる春香の合図に導かれるように、用意していた新曲を披露する。その歌のタイトルは今回のニューイヤーライブの名称と同一である、「いつまでも、どこまでも」。

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 新曲に乗って描かれる画はAパートのようなライブ描写そのものではなく、イメージPV風となっている。そのPVの開始部分に表示される「THE IDOLM@STER」の表記が、1、13、20、24話のタイトルバックとほぼ同じになっている点が細かい演出だが、決定的に異なるのは上記4話分での黒画面に白一色という表記ではなく、白画面に各アイドルのイメージカラーをそれぞれの文字に割り振ったカラフルなタイトル表記になっているということだろう。
 よく見ると左から赤、ライトグリーン、青、オレンジ…と、きちんと通常のキャスト表記順に並んでいるのも嬉しい配慮だ。ちなみに一番右の「R」に施された色は、小鳥さんのイメージカラーのひよこ色である。
 そして春香から順に、1話から24話までの中から抜粋された各アイドル単体の映像と、そんな彼女らが共にあるシーンとがダイジェストで流れていく。
 ファーストライブ、雑誌の写真撮影、竜宮小町としての活動、「生っすか!?サンデー」収録といったアイドルの仕事風景と同時に挿入されるのは、プロデューサーが来ると聞いて喜ぶ姿や、クリスマスパーティや慰安旅行を楽しんだ時の姿であり、傷つきながらもそれを乗り越えた少女と、それを我が事のように喜ぶ仲間たちの姿。
 単にアイドルとしてだけではない、毎日を大切な仲間と共に過ごしてきた、積み重ねてきた「過去」の日々そのものが、今の彼女たちにとっての糧になっていることを、ここで改めて明示している。
 それら「過去」を糧にすることで得たものが、次に映し出される「現在」の描写。すなわち互いに手をしっかりと握りあいながら、円を描くように一つ所に横たわっている姿である。

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 纏ったステージ衣装はアイドルとして一定の成果を生み出した証左であり、握りあう手、そして6話や20話におけるドーナツの如く全員で円を形成しているその姿は、彼女たちの揺るぎない繋がりの証。そこにあるのは紛れもない、彼女ら765プロアイドルが自分たちの力で得てきた「現在」の自分たちそのものだ。
 Bパート冒頭でのトークと同様、このPV風映像の中において尚はっきりと打ちだされる、アイドルたちの「過去」と、そこから繋がってきた「現在」。二度に渡ってこの2つの時間軸を強調した理由は唯一つ、「現在」からさらに繋がっていく彼女たちの先にあるもの、即ち「未来」を描き出すためであった。
 それぞれの手を重ね合わせたアイドルたちがその手を離した時、春香の手に残っていたのはそれぞれのイメージカラーを有した小さな種。その種はやがて1つの大きな種となり、春香の手の中に舞い降りる。

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 土の中に埋められた種は芽吹き、その幹を、枝を、葉を大きく広げ、やがて一本の巨木となり、同時に周囲もまた青々とした木々に満ちる。
 アイドルたちはそんな巨木の枝に乗り、楽しげに新曲を熱唱する。歌いながら視線を合わせ微笑みあう律子と美希や、一頃からは想像もできないほど楽しそうに歌を歌う千早の姿が印象に残るが、やがて周囲は暗くなり、同時に小さな光の球がそこかしこから溢れ出し、周囲もアイドルたちの姿をも明るく照らす。

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 その情景はすべて彼女たちが迎えるかもしれない「未来」のイメージ。
 「過去」から「現在」へと変遷する流れの中で彼女らが紡いできたものが一粒の種であるなら、そこから高く強くそびえ立った巨大な木は、その先に広がっている彼女たちの可能性そのものであり、浮かび上がった無数の光は、そんな彼女たちの力が多くの人たちの心に灯した小さく、しかし暖かい灯火。そして彼女たちの送り届けたその小さい光は、無数に集まることで彼女たち自身を明るく照らし輝かせる。
 そこに広がっていたものとは、アイドルたちが抱く理想そのものの集成であり、願う未来の光景そのものでもあった。多くの人に自分たちの想いを届け、その想いによってさらに自分たちは強く輝き、また多くの人に想いを届ける。1人ではない、仲間たちと共に歌を通してそれが行える存在となること、それが彼女たちにとっての最良となるであろう「未来」の在り様だったのだ。
 そしてその未来への可能性が決して不確かなものではなく、そう遠くない将来に得られるものであろうということは、歌を歌い終えたアイドルたちへの観客たちの大きな歓声と、輝く光の中で最高の笑顔を見せるアイドルたちの姿が証明していた。
 アイドルになることを夢見て一歩足を踏み出し、確実にアイドルとして地歩を築いてきた少女たちは、そんな彼女たちにとって最良となるであろう未来を得る可能性をも手にできるほどに成長したのである。

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 スポットライトに照らしだされるアイドルたちの晴れ姿に、涙を流す小鳥さん。少女たちがアイドルとして大成することを願い、プロデューサーが来る前からずっと後方で支え続け、つい先日までにおいても、プロデューサーが重傷を負い春香が自失するという窮状の中にあって、たった1人でアイドルとプロデューサーとの間を立ち回り、双方のフォローに徹してきた彼女であればこそ、その姿に強く感じ入るものがあったのであろう。
 同時に小鳥さんの涙そのものは画面上に描かないことで、晴れやかな雰囲気に水を差しかねないウェットな空気が必要以上に発生することを防いでいる演出上の妙も見逃せない。

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 そして小鳥さんの横で、ステージに並ぶアイドルたちを万感の想いで見つめるプロデューサー。その胸中に去来するものは如何様であったろうか。
 ライブそのものの描写はそこでほとんど終了し、結果がどうであったかは具体的に描かれていない。しかし場内に沸き起こる「アンコール」の大合唱と、それを受けてもう一曲歌おうとするアイドルたちの明るい声が、ライブの結果を何よりも雄弁に物語っていると言えるだろう。

 季節は巡り、桜の咲き乱れる春がやってきた頃、ようやく退院の運びとなったプロデューサーが765プロの事務所に戻ってきた。
 事務所にはアイドルたちが全員揃ってプロデューサーを出迎える。23話あたりのことを思い返すと、プロデューサーのためとは言え全員が一堂に会するのは困難だったのではないかと勘繰ることもできるが、ちらりと映るホワイトボードに目をやると、22話や23話の頃より幾分スケジュールに余裕が出来ており、24話で皆が到達した想いを、彼女たちなりのやり方で実践してきたであろうことが窺える。

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 駆け寄るみんなに礼を言ったプロデューサーは、事務所が一番落ち着くと感慨深げに呟くが、その言葉に「爺くさい」と伊織が突っ込んだり、「プロデューサーをいじれなかったから」つまらなかったと亜美真美がぼやく辺りは、すっかりいつもの765プロといった風情だ。
 アイドルたちのそんな様子を見やったプロデューサーは、長い間現場から離れてしまっていたことを改めて詫びるが、律子と千早がそれには及ばないと訴える。
 それは今回の件を機に今の自分たちを見つめ直すことができたということと、プロデューサーが765プロにとって大切な存在であることが、彼女たちの中で改めて認識できた故のものだった。
 プロデューサーが765プロにおいてどのような存在であるか、どのような存在だとアイドルたちが認知しているか、それはもう今更語る必要はないだろう。彼に向けられた多くの笑顔そのものが答えなのだから。
 そしてプロデューサーは美希や春香から、終了する予定であった「生っすか!?サンデー」が、春にリニューアルして「生っすか!?レボリューション」という番組になったこと、春香と美希が主演しているミュージカルの全国公演が決まったことを聞かされ、喜びの声を上げる。

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 しかしビッグニュースはそれだけではなかった。今のビルとは打って変わった近代的高層ビルの一角へと、事務所を移転する話が持ち上がっていたのである。
 おかげで事務所の金庫はまたも空っぽになってしまったようだが、実際に好条件に恵まれた物件のようで、プロデューサーも大いに喜ぶ。
 しかしそのビルを担当している建設会社が、「ブラックウェルカンパニー」という聞いたことのない名前のものであると知ったその時、春香が大声を上げながらテレビを指出す。
 画面に映し出されたのは件の会社が事実上倒産し、それらに関わっているとされるある人物が、一切の関与を否定しているというニュースだった。
 その人物の名は黒井崇男。言うまでもなく961プロの黒井社長本人である。つまりこの建設会社「black(黒)」「well(井戸)」カンパニーは、黒井社長の息のかかった会社だったのだ。

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 結局事務所移転の話はご破算になってしまったわけだが、それでもみんなの声は明るい。もちろん残念がる者もいるが、たくさんの思い出が詰まった今の事務所を嫌う者は、1人として存在しないのもまた事実。また一から頑張ることを決めるアイドルたちの声は実に晴れやかだ。
 そしてプロデューサーの退院を祝ってか、765プロの面々は全員連れだって花見へと向かう。そのバックに流れるアニマス最後のED曲は「いっしょ」。CD「MASTER LIVE 01」に収録されたこの曲は、気を衒うことなくストレートに「みんなと一緒にいることの素晴らしさ」を謳っている。
 歌自体はゲーム版で使用されたこともなく、知名度という点ではあまり高いとは言えない楽曲であるが、仲間同士の繋がりを1話からずっとテーゼとして掲げてきたアニメ版アイドルマスターの最後を締め括るには、これ以上ないほどにマッチした歌と言えよう。
 そう言えば「MASTER LIVE 01」のジャケットに描かれたアイドルたちを彩っていたのも、このラストシーンと同様、一面に咲き乱れる桜の花であった。
 歌に乗って描かれるのは、お花見の微笑ましい光景。春香の作ったサンドイッチや雪歩のお茶を見て喜ぶ貴音、伊織の持参した豪華すぎる弁当に少々唖然とする律子の一方で目を輝かせるやよい、多少は酒も入ったのか、肩を組んでカラオケで熱唱するプロデューサーと高木社長、こちらは確実にお酒が入ったようで、亜美と真美を巻き込んではしゃぐあずささん、千早の手作り弁当を美味しそうに食べる春香と美希に響、そしてハム蔵。

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 そこに映し出されるのはアイドルではなく、アイドルでもある少女たちの姿。はたから見れば他愛のない、しかし当人たちにとってはとても大切な日常の積み重ねが、そのまま皆の糧となり魅力へと繋がっていく。その最も大きなテーゼが全編を通して貫かれたからこそ、見ている我々にはこの日常描写こそがラストの光景にふさわしいと知ることができるのである。
 4話や11話において料理をほとんど作っていない描写がなされた千早が、仲間のために自ら手料理を持参したことと、殺風景だった彼女の自室がきちんと整頓され、整理された棚の上に亡き弟の写真とスケッチブック、そして彼女と仲間たちとの絆の証である、あの日春香から贈られた封筒がきちんと置かれているという事実が、そのテーゼをここに体現していると言えるだろう。

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 そう、彼女たちは今もまだ変わりつつある途中なのだ。そして途中ということは、彼女たちの物語はまだまだ続いていくということでもある。
 飲み物を買いに行こうとする春香にお金を渡そうとプロデューサーが取り出したものは、クリスマスの日に春香が購入していながら渡しそびれてしまっていた財布であった。劇中で直接の描写こそなかったものの、退院祝いとして渡すことができたようであるが、それを見た美希は俄かに焼きもちを焼き始め、いくら春香でもハニーは渡さないと言い出し、そんなつもりで渡したわけではなかった春香であるが、その言葉を聞いて顔を赤くしてしまう。

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 春香のプロデューサーへの想いが、「アイドルとプロデューサー」という関係を超えたものであるのかどうかはわからない。しかしいずれにしても彼女たちの新しい物語がそこから始まることを示唆していることは間違いないだろう。
 新たな物語を迎えようとしているのは彼女たちだけではない。
 小さなライブハウスの中で楽しげに、満足げにライブを行うジュピター3人の物語はそれこそ始まったばかりであろうし、765プロにとっては迷惑な話であるが、黒井社長の物語も未だ完結を迎えてはいない。

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 そして765プロアイドルの成長と躍進を第三者の立場で見届けてきた善澤記者のインタビューに応じているのは、まさにこれから始まる彼女たちだけの物語に胸躍らせているに違いない、876プロのアイドルたち。
 前述の通り765プロアイドルのアイドルとしての在り方をずっと見てきた善澤記者が直々にインタビューをしていることからも、876プロのアイドル3人が765プロアイドルの抱く信念を正しく継承してくれるであろうことも窺え、今後が非常に楽しみとなる好シーンだ。

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 ライブの日にプロデューサーが言ったとおり、皆まだまだこれからなのである。可能性は提示されたものの、その可能性を自分たちの進む道と成せるかどうかは、誰にもわからない。確かなことは彼女たち自身の物語はまだ終わらないし、そんな彼女たちを見守り支える者たちの物語も同様に続くということである。
 だからこそ、ラストカットの言葉は「さようなら」ではなく「ありがとう」でもなく、「またね!」なのだ。25の挿話が全て描かれ終わった後も、彼女たちの現実では終わることなく物語が続いているし、いつかまたその中のいくつかの物語を我々が見届けることができるかもしれない。そんな未来への希望が込められた言葉としての「またね!」なのである。
 彼女たちの未来と我々の未来、2つの未来は再び別れてしまったが、いつかまたどこかで重なる日も来るだろう。その時を今はただ楽しみに待とうではないか。

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 アニメ版アイドルマスターを今ここでがっつり総括するのは難しいので、軽めに総括してみるならば、アニマスはどこまでも「アイドルを目指す少女」の物語であり、「アイドルになった少女」の物語であったと言える。単なる「アイドル」の物語ではなかったのだ。
 それは序盤からずっと描かれてきたとおり、アイドルとしての仕事の描写よりも、アイドルを職業にしている少女たちの日常の方を丹念に描出してきたことからも、容易にわかることだろう。
 アイドルの部分と年相応の少女の部分のうち、、アニマスは後者に比重を置き、最終的には彼女らなりの判断で双方を両立させる選択肢を取るまでを描ききったと言える。
 それは一般的なアイドル像とは程遠い選択であったかもしれない。しかし彼女たちにとってはそれは正しい選択だったのだ。彼女らはアイドルとしての一般論ではなく、「765プロのアイドル」としての道を選んだのだから。
 そしてそんな彼女たちの選択を後押しするのはプロデューサーや小鳥さんに社長といった周囲の人々であり、序盤から制作陣によって構築されてきた、「アニメ版アイドルマスター」という世界観そのものだった。
 互いを気遣い信じあう心が仲間同士の強い絆を育み、彼女たちが夢や理想へと近づく原動力となり、多くの人に小さいけれども確かな幸せを運ぶ。それが許容される優しい世界こそ、制作陣が1話の頃から時間をかけてゆっくりと作り上げてきた、アニマスの世界観なのである。
 そんな世界だから彼女たちの選択も信念も最良のものであると断言することができるし、その信念の下に歩み続ける彼女たちの未来がきっと素晴らしいものになるであろうと信じることもできるのだ。
 人が人を信じる気持ちが大きな力となる。言葉で書けばこの程度の短文で終わってしまうものであるが、この短い言葉に込められた意味を、作品世界と登場するアイドルたちに丁寧に溶け込ませていった結果、より多くの人々、つまりは視聴者が幸せを感じられるような暖かく優しい作品に仕上がったということは、この作品を1話からずっと見続けてきた方の大部分が同意するところではないだろうか。

 2011年の七夕から始まった幸せな時間は、今回を以ってひとまずの終了を迎えた。だがまだBD最終巻に収録される第26話も存在しているし、何より「またね!」の言葉通り、そう遠くない将来にまたアニメの世界のアイドルたちに会えるかもしれない。
 先のことは無論わかるものではないが、いつその時が再び訪れてもいいように、本作を見て感じた「幸せ」を心の片隅にずっと残していければと思う。
 それはきっとこのアニメ版アイドルマスターを心から楽しめたという、何よりの証になるであろうから。
posted by 銀河満月 at 01:38| Comment(0) | TrackBack(1) | アニメ版アイドルマスター感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月30日

アニメ版アイドルマスター24話「夢」感想

 放送終了まで残り2回となったアニメ版アイドルマスター。そんなアニマスが最後に描く物語とは、天海春香というアイドルの心に生じた「迷い」に端を発していた。
 デビューしてから、いや恐らくはデビューする前から、自らの目標や夢に向かってずっと走り続けてきた少女は、ふとその歩みを止めて周囲を見渡した時、そこにあった光景が自分の望んだ、目指してきたものとは微妙に異なっていることに気づいてしまった。
 そんな現在の世界を彼女はどう受け入れ、どう立ち回らなければならないか、その問題提起とそれに向き合った彼女の姿を描いたのが、23話の大体の骨子と言える。
 そして春香は自分の中ではっきりと答えを出すことはできなかった。答えを出すために自分で動けば動くほど、周囲とのずれはより顕著なものとなっていき、最後には彼女の一番の理解者であり、彼女を最も強く信頼していたであろう人間を傷つける結果となってしまう。しかも自らの身代わりとして。
 答えを出せぬまま、ずれだけを肥大化させてしまった今の春香に、真なる回答を見出すことができるのであろうか。

 「アイドルになりたい」。それは春香が幼い頃から思い描いてきた夢。明示するかのようにイメージとして挿入される幼い頃の春香のビジュアルはしかし、夢の内容を最後まで語ることなく、その「夢」が自分から失われていく様に苦しむ現在の春香の姿へと変わる。

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 現代の春香の方はイメージではなく、彼女が出演するミュージカルの内容に即したセリフのようだ。詳細は後述するが、劇中劇を用いて本筋のテーマを代替的に描くというのは、よくある演出手法である。
 そんな春香の内に抱える鬱屈とした想いが、彼女自身を更に追い込むために用意した痛切な演出が、自分の身代わりとなってプロデューサーが怪我をすることであったわけだが、幸いにも手術は無事に成功した。今後は回復に向かうようでその辺は一安心であるが、当面は絶対安静でもあるため、面会も控えるようにとのこと。
 病院に集まった765プロアイドルもプロデューサーの安否を気に病むが、そのような事情のためにプロデューサーと直接会うことはできなかった。ファンのためにも今は仕事に集中すること、プロデューサーならきっとそれを望むだろうという高木社長の言葉を受け、後ろ髪を引かれる思いで病院を後にするアイドルたち。
 恐らくそれは高木社長に言われるまでもなく、アイドルたち各々が自覚していたこともであったろう。誰かを心配する気持ちを大切にしながらも、アイドルとしての仕事を疎かにすることは決して望まない、プロデューサーとはそういう人間であるということは、ずっと共に活動してきた彼女らが誰より知っているはずであるから。
 彼のことを強く心配していながらも、最後にはしっかりとした表情で前を見据えたまま去っていく美希の姿が、彼女たちのそんな胸中を象徴しているかのようであった。
 しかしそんな風に前を向くことのできない者も1人いる。自分を責めないでと律子に諭されても、海外での仕事を終えて帰国した親友の千早を顔を合わせても、体を震わせ顔をまっすぐ上げることすらできない少女が。
 千早に問われてもいつものように「大丈夫」と答える春香だが、その言葉にはいつもの明るさや覇気と言ったものがまったく籠っていない、春香から出た言葉とは思えない無機質なものだった。
 タクシーの中でミュージカルの主役が決定したことについての話をする下りもそうだが、このあたりの描写には明らかに省略されているシーンが存在しており、そのために各カット毎の時系列まで乱れているような印象さえ受ける。
 カット順に素直に考えてみると、プロデューサーが重傷を負い、みんなが病院へやってきたその日の夜に千早が帰国、次のカットで後日ミュージカルの練習に臨んでいる春香の姿が描かれ、次のカットでさらに後日、仕事場かどこかで一緒になった千早と春香の会話→タクシーで移動、という流れであろうか。
 ただこれも実際の時系列に沿った順序なのかは、故意にわかりづらく演出をしているところもあって断言しづらい。千早が春香に「大丈夫?」と問いかけ、振り向く春香のカットと、その次の春香と千早が向き合っているカットだけでも、不自然な点が見受けられる。
 これらの演出は当事者である春香の胸中が混乱し、荒れている様を視聴者に見せつけることを企図したものであると考えるのが妥当だろう。本人にとって目の前の現実は、それほどに虚ろで不確かなものになってしまっていた、ということなのである。それは同時にプロデューサーが自分の身代わりになって重傷を負ったという事実が、春香の心を追い込む決定的なものになってしまったことをも如実に示していた。
 春香は親友である千早とまでも距離を置き、話しかけるどころか近づくことさえしようとしない。20話で千早が1人苦しむ時、春香は彼女を支えるようにずっとすぐ隣に付き添っていたことを思えば、それは本来的にはありえない、春香が取るはずのない行動であったはずなのに。

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 そんな今の春香にとっては、ミュージカルの仕事などは無味乾燥としたものに過ぎなくなってしまっていたのだろう。ミュージカルの稽古から主役決定までの流れを暗示する描写がたったワンカットの一枚絵で終わってしまうのは、彼女にとってミュージカルの仕事はその程度の価値しか抱けなくなってしまっていたということを、はっきり証明しているように見える。
 主役が決まったことを「夢みたいだね」と春香は独りごちるが、その「夢」とは今の春香にとって将来実現したいと願っている目標や希望といったものを示す言葉ではなく、眠っている時に見る方のものであったことは想像に難くない。
 眠っている間はずっと見ていられる、しかし一たび目を覚ませば儚く霧消してしまう虚ろな世界。春香がずっと見てきた、目指してきたものはそんな不確かなものではなかったはずだが、今の彼女の中では自分の目指してきたものも、目指す中で得てきたものも、すべて曖昧模糊としたものに変わってしまっていたのである。

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 しかし春香は自ら歩みを止めようとはしない。たとえすべてが曖昧に見えていたとしても、それでも尚アイドルとして目の前の仕事に、そしてニューイヤーライブの成功に向けて独り奔走し続ける。今の自分に本当に必要な答えは何一つ得ていないのにもかかわらず。
 そんな春香の葛藤は、ミュージカルにおいて春香が演じる役のセリフと言う形で露わになる。歩めば歩むほど楽しかった日々が遠くなっていくことを知りながら、それに対し自分がどう向き合えばいいか、どう行動すればいいかわからず苦しむその役の姿は、そのまま春香自身の心境をトレースしていると言って差し支えない。
 劇中劇の体を取って春香自身に心情を語らせるという演出は、春香本人は自分からその苦悩を他人に積極的に相談するタイプの人間ではないだけに、どのようにして春香の口から直接今の心情を語らせる状況を作るか、そのあたりにスタッフの苦慮が窺えるが、その甲斐もあって単に春香の胸中を明らかにしただけにとどまらない良シーンとなった。
 その苦慮の結果とは、美希の存在である。春香が演技をしている場面に、その演技に見とれているかのような美希の姿を挿入することで、後の伏線としているだけでなく、春香と美希たち他の765プロアイドルとのずれを再認識させる効果をも発揮させていたのだ。
 すなわち春香は役柄故とはいえ、自分自身の苦悩をほぼ偽りなく吐露したにもかかわらず、美希はそれをあくまで演技としてのみ受け取り、春香個人の心情に一切思いを至らせることはなかった。それが春香とそれ以外のアイドルたちとの埋めがたいほどにまで広がってしまったずれを象徴していたのである。
 そしてそれはもう一つ、さらに大事なことをも暗に指し示していた。春香と他の765プロアイドルとの間に生じてしまっていた大きなずれは、もはや春香が自分の今の気持ちを素直に打ち明けたところで、修復できるようなものではなくなってしまっていたということを。
 彼女らの間に生じた隔たりは、もう春香1人が必死に動いてみても容易には元に戻すことができないほどに大きく広がってしまっていたのだ。その残酷な事実を劇中劇のミュージカルは冷徹に視聴者に提示してくる。
 舞台の床に投影された自分の姿を見つめながら、頑張らなきゃと自分に言い聞かせるように呼びかける春香。だがその言葉は自身の虚像にのみ向けられ、他の誰にも届いていない。23話のAパートでアイドル各人に呼びかけていた頃からは想像もつかない姿だ。
 そもそもその虚像自体、顔はぼやけてよく見えなくなっており、呼びかけた言葉の届く先さえもあやふやなものとして描き、春香の心の空虚さを匂わせている。

 春香は今までどおりに仕事をこなし、ライブに向けた全体練習を行うための予定調整も継続して実施していた。しかし春香の調整も空しく調整がつかずに全体練習をすることができない。
 ミュージカルの稽古や他の仕事に勤しむ中で、ライブの個人練習を黙々と行う春香の表情からは、以前のような明るい笑顔は消え、必死さだけが前面に出るようになっていた。
 ただ1人レッスンスタジオの床に座り、鏡を見つめる春香。その顔には必死さとはまた異なる虚ろな表情が浮かんでいる。
 どうすればいいのかもわからず、それでもただひたすらに奔走した挙句、さらに自分を追い込んでしまっている今の春香。
 春香がそこまで必死になっているのは、本来の彼女からは大きくずれているものの、「ライブを成功させたい」という本人の意志が働いているのは無論のことだ。だがそれとは別に、そして同等に彼女を強く後押ししているある想いを、春香は抱えていたのである。

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 誰も乗っていない電車の車両に1人座りこんでいる春香。今も全体練習の予定調整を行っているようだが、メモ帳に書かれた全体練習の予定にはすべて×印がつけられている。
 力なくうなだれ、膝上に置いた鞄を抱きかかえるように屈みこむその姿は、広い車内にただ1人という構図も相まって、彼女の抱える孤独感が強調されている。アングルの中央に春香を配置せず、左右のどちらかに寄った構図は、彼女の心の不安定さを象徴しているかのようだ。
 中吊り広告に書かれたコピーの一節「もっと元気。」は、今の彼女にとっては痛烈すぎる皮肉であろう。
 突っ伏したままで携帯電話に送られてきた仲間たちのメールを見ながら、春香は「無理なのかな…」と独白する。
 メールボックスには他のアイドルたちからの、全体練習に参加出来ない旨が書かれたメールが並んでいたが、そのタイトルは総じて調整してくれていた春香に対する謝罪の言葉で占められており、23話におけるそれぞれの描写と同様、他のアイドルも決して全体練習を軽んじているわけではないということが窺える。
 そんな中、春香の視界に入ってきたのは、以前にプロデューサーから送られてきたメールだった。ライブの練習に向けた類のメールではなく、22話で行われたクリスマスパーティについてのメールである。

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 クリスマスパーティはライブの練習やその他大小の仕事と違い、完全にプライベートに属することだ。双方を比較した場合、優先されるべきなのが仕事であるのは言うまでもないことであるし、実際に22話中においてもパーティを開きたいという春香に対し、千早がその理屈を以って難色を示している。
 しかしそれを承知の上で、プロデューサーは春香に賛意を示した。春香が行動するより先にアイドルたちに連絡をつけ、なんとか全員がパーティに参加できるようスケジュール調整までしてくれた。仕事のためではない、完全に彼女たちのプライベートのためにである。
 それは彼女たち765プロアイドルの魅力が何によって培われてきたかということを、プロデューサーが正しく把握していたからに他ならない。
 彼女たち1人1人がそれぞれに頑張っていることは言うまでもないが、そんな彼女たちが共通の目標に向かって、同じ時間を共有しながら共に歩み、共に励むことが彼女たちの何よりの力になっていることを、彼はきちんと理解していたのである。そこには仕事やプライベートと言った差異は存在しない。
 春香の「クリスマスパーティをみんなで開きたい」という願いにプロデューサーが賛同したのは、単に春香の願いを聞き入れたと言うだけでなく、765プロアイドルが全員で過ごす時間が、彼女たちにとって必要不可欠なものであることを彼が承知していたからであった。だから彼はアイドルたちが同じ楽しい時間を過ごせるように尽力したわけである。
 そしてそれは春香の考え方と同じでもあった。春香の心の根底にあるのは小難しい理屈ではなく、みんなと一緒に楽しい時間を過ごしたいという願望程度のものであったかもしれないが、彼女にとってはアイドル活動もプライベートも等しく「楽しい時間」であり、その時間を仲間たちと一緒に過ごすことで、次第に揺るぎない信頼や絆と呼ぶべきものが皆の間で育まれ、それを源としてトップアイドルという自分たちの目標に近づいていけるということを、皮膚感覚で感じ取っていたのである。現にそうしてきたことで今の成果があるのだから、春香にとっては疑うべくもないことであったろう。
 2人は互いに同じ理想を共有し、互いを強く信じあってきた。春香とプロデューサーは「アイドルとプロデューサー」という関係性において、最も理想的な信頼関係を築いていたと言える。クリスマスパーティの一件は、そんな2人の信頼関係の強さをある意味で象徴していた出来事でもあったのだ。仕事としての範疇を超えた、純粋に自分たちの理想を信じた故の行為だったのだから。
 しかしそのプロデューサーは重傷を負ってしまった。ただの怪我ではない、春香の身代わりとして負った怪我である。
 プロデューサーは春香の信頼に応える形で、春香の望みを実現してくれた。だが一方の春香は彼と同じ理想を持っているにもかかわらず、その理想を結実させる場となるはずのニューイヤーライブを成功させるために必要な全体練習さえ実現させることができない。
 そんな中で徐々に周囲とのずれが顕在化していったのが、23話における春香の姿であったが、そんな中にあって彼女の心を支えていた物の一つに、プロデューサーからの信頼に応えたい、プロデューサーと一緒に理想を実現したいと願う気持ちがあったことは疑いなく、しかも彼女の胸中においてそれが占める割合は、決して小さいものではなかったはずである。
 しかし現実には春香はプロデューサーの信頼に応えられず、逆に最後までプロデューサーに支えられたまま、彼を重傷に追い込んでしまった。自分は何もできないまま、周囲の大切な人間を苦しめてしまうという構図が、彼女に取って最も辛い形で顕現したわけであるから、その時の春香の心痛は察するに余りある。
 その痛みがまだまったく癒えていないことは、プロデューサーからのメールを見つめながら、震える声でプロデューサーに呼びかけるその姿だけで、十分読み取ることができるだろう。
 だから春香は自分の心に無理を強いても、ライブ成功のための調整を何とか進めようとしてきたのだ。自分のせいで傷ついたプロデューサーのために、自分が信じる理想のために。
 春香にとっていつしかニューイヤーライブは「やりたいこと」ではなく、「やらなければならないこと」に変わっていた。他の何を置いてもやらなければならないことであると。そしてそれは春香の中に生じていたずれが、決定的な隔たりとなってしまった証でもあった。

 ライブの練習に集中するため、ミュージカルやその他の仕事を休みたいと律子に願い出る春香。普段の春香であれば絶対に出てこないような乱暴な提案に、もちろん律子は反対する。
 そんな簡単に仕事を休むことはできない、全体練習は出来ていないが個人での練習は皆それぞれ実施しているのだからという律子の反論は、至極もっともな回答であったが、今の春香にその言葉は届かない。彼女にとっては「みんなで練習をすること」が、ライブを成功させる唯一の前提条件になってしまっていたのだから。
 春香のその提案を美希が「わがまま」と一蹴するのも、無理からぬことであった。ミュージカルで主役を演じることを強く望んでいた美希からすれば、自分の得られなかったものを得た春香がそれを容易く捨ててしまうかのような行為を容認することなど、到底できるものではない。
 この短い言葉と態度の中に、美希の春香に対する複雑な想いが垣間見える。美希が主役を望んだのは自分のためであると同時に、美希のハニーであるプロデューサーのためでもあった。そんな彼女にしてみれば、プロデューサーが重傷を負う一因となった春香に対し、虚心でいることは難しいことだったろう。それは美希の顔にわずかの間だけ影が落ちるという演出からも窺えよう。

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 しかし春香の演技はその美希が思わず見入ってしまうほどにすごいものだった。プロデューサーの怪我という事態に直面しても、美希は最後にはしっかりと前を向いて病院を去ったのは前述したとおりだが、その姿勢どおりに美希はミュージカルの稽古にも実直に取り組んだであろうことは容易に想像できる。それがプロデューサーのためになると信じて。
 そんな本気の美希を思わず見入らせるほどに、春香の演技は優れていた。本気で取り組んでいたからこそ、春香が自分の演技を超えていることがわかるし、それを素直に認めることもできる。その時点で美希が抱いていた、春香に対するある種の負の感情は振り切ったのではないだろうか。主役への未練と共に。
 それは確実に美希がプロのアイドルとして成熟しつつあることの証左であると同時に、「プロデューサーのため」という同じ想いを抱きながらも、結果として単なるわがままに終始せざるを得ない心境にまで陥ってしまった春香と美希との差異を、より鮮明に浮かび上がらせることにもなってしまった。
 もちろん春香にしても、自分の提案がわがままであるということは承知していたはずであるが、今の彼女にはそれ以外の方法を選ぶことはおろか、選択肢自体も浮かんではいなかった。それ故に美希からの批判を受けてもなお彼女はライブの成功に、そのための全体練習に拘り続ける。自分だけでなく他のみんなも仕事を休んで練習をしなければと。自分がスタッフに掛け合って謝罪してでも実現させたいと強弁する春香の必死な姿に、律子は驚きの表情を隠せない。
 そんな春香に美希が問いかけた「春香はどうしたいの?」という言葉。美希にそう言わせるほどに今の春香は憔悴した、虚ろな姿として美希の目に映っていた。美希は今の春香の姿に、アイドルが本来放っている輝きや、アイドルとして活動する楽しさと言ったものを見出すことができなかったのである。
 それは今の春香の内に決定的な隔たりがあるということを、春香本人にはっきりと認識させることになった。周囲とだけではなく、本来の自分自身との間にある隔たりを。
 美希の言葉を受けて笑顔を作ろうとするも作りきれぬまま、涙を流す春香。戸惑っているのはこみ上げてくる涙にではなく、自分が何を目指していたのか、何をやりたかったのかを完全に見失ってしまった今の自分自身に対してであった。
 急激に変化していく環境と仕事に忙殺される状況の中で、過去を振り返り現在を見つめ直す機会を得ることができなかった春香は、心の整理をつけられぬままひたすらに走り続け、その結果として心にずれを生じさせることとなった。激変する環境に対する向き合い方のずれ、まっすぐに走り続けている仲間たちとの意識のずれ、そして自分自身が本来抱いていた目標や理想とのずれ。
 そのずれは春香の気持ちとは裏腹に肥大化を重ね、プロデューサーの負傷という痛切な現実を経て、より大きな隔たりにまで肥大してしまった。
 春香1人では抗うことなど到底できない巨大な力に呑みこまれ、春香はそこでずっともがき続けてきた。そんな彼女の顔からいつしか笑顔が消えてしまったのは、当然のことであったのだ。
 誰よりもアイドルになることを望み、どんな時でも迷うことなく自己の掲げた目標に向かってまっすぐに走り続け、時に迷う他のアイドルたちを導く存在でもあった春香。そんな彼女が自分の目的そのものを見失うことなど、本来ならばあり得ないことであるはずだった。
 今まで誰一人見たこともないであろう春香の弱りきった姿を目の当たりにし、美希は絶句することしかできなかったのは、無理からぬことであったろう。

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 春香は律子の配慮でしばらく仕事を休むこととなった。だがそうすることが春香のためになることなのか、そもそも春香がこのような状態に陥るまでに自分がどう動くべきだったのか、判断を下した当の律子も自問することしかできない。
 春香の描写に続く律子のこの自問は、今彼女らを取り巻いている問題が、もはや一個人の行動如何では解決できない状態にまで及んでしまっていることを、改めて浮き彫りにしている。
 春香が休んでいる間も、他の765プロアイドルは順調に仕事をこなしていたが、その表情はどこか浮かない。春香のことが気にかかっているからというのは言うまでもないが、メールを送っても春香からの返事はなく、春香が現在どんな状態にあるのかわからないままだった。
 春香のことを案じる真たちは、そんな自分たちの現状を現場のスタッフから「仕方がない」と肯定され、複雑な表情を浮かべる。
 常に一緒にあって仕事をしているわけではないのだから、他のアイドルたちの状況が把握できないのは確かに仕方のないことであるし、それはそれで正論だ。しかし伊織を始め765プロのアイドルたちは、その理屈で素直に納得することはできなかった。その妥協的な受け止め方を明確に否定できぬままに。

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 同じ目標を抱いて共に歩んできた仲間の様子すら満足に知ることのできない今の状況。そんな周囲の環境を前に、彼女たちは22、23話における春香と同様の戸惑いをようやく覚えたのだ。そのきっかけが他のアイドルより早くその戸惑いを感じたことにより、最終的には憔悴するまでに自らを追い込んでしまった春香であったというのは、皮肉と言う他ないだろう。
 そしてそんな戸惑いを覚えながらも、現状を打破することができないのもまた春香と同様であった。件のスタッフと同様、現在の状況を「仕方がない」と妥協する律子の声色にも、いつものような力はこもっていない。
 その後ろに控える千早の持つ彼女の携帯電話のディスプレイには、春香の携帯番号が表示されていた。しかし千早はそれ以上携帯を操作することなく、バックライトの消灯に合わせて携帯をしまってしまう。
 携帯電話を見つめる3秒ほどの間、千早の顔は微動だにせず無表情のままだった。自分には何もできないという無力感に苛まれていた20話の時と同様に。
 だがその感情はあの頃のように自分自身に向けられたものではなく、携帯電話のディスプレイに表示されている名の少女に対してのものであるということは、火を見るよりも明らかであった。
 自分を孤独と絶望の世界から救ってくれた大切な友人が苦しんでいることを知りながら、千早は何もしてやることができない。彼女の胸中は如何ばかりであったろうか。

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 春香は自室にこもり、ベッドに寝転がってただ天井を眺めていた。その目じりは若干赤く染まっており、つい先程までまた涙を流していたであろうことが窺える。
 この描写、一見すると20話において自室に閉じこもってしまった千早の描写と類似しているように思える。実際この描写だけではなく、前話から続く春香の心の変遷は、かつて弟の死という悲劇に見舞われた千早のそれと酷似しているように見える部分があるのは確かだろう。
 しかし実際には千早の時と明確に異なっている所がある。それはベッドに横たわることもせず、部屋の片隅で目を伏せ小さくなっていた千早と、ベッドに仰向けに横たわって、その先にあるのが天井だけとは言えじっとまっすぐ前を見つめている春香の描写からも、容易に理解できることであろう。
 春香はかつての千早のように心を閉ざし、自分1人だけの世界に埋没することはなかった。彼女が自分の目標や理想といったものを見失ってしまっているのは事実であるが、完全に自分の中から喪失したわけでもないのである。
 千早がかつて心を閉ざしたのには、現実に対する諦念があったことも大きいが、春香はまだ現実を見限ってはおらず、自分の見失ったものを懸命に探している最中だったのではないだろうか。
 春香のそんな胸中は、外からはカーテン越しとは言え昼間の明るい日差しが差し込んでいたり、外からは小鳥のさえずりが聞こえたりといったように、部屋全体に明るめの「装飾」が施されているあたりから十分察せられるだろう。

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 母親からの呼びかけを拒絶することなく、「お使いに行って来て」という提案に素直に従うところからも、春香の胸中が垣間見える。
 その母親からの提案もお使いをさせること自体が目的ではなく、それを名目にして娘に外の空気を吸わせることで気分転換させようとする心遣いからのものであるという点は、実に芸が細かい。何かあったであろうことはわかっていても、それを安易に問い質すような真似はせず、相手の自発的な行動を促すという気遣いは、娘である春香がこれまで多くの人たちに見せてきたものでもあった。
 現在の春香の性格が形成されたのは、この母親の躾や教育の影響であったことは想像に難くない。そこまで考えて妙に微笑ましく感じてしまったのは筆者だけであろうか。
 今の時点では春香にとって厳しい状況であることは変わりないが、この母親に育てられた春香であれば、最後にはきちんと問題を解決できると、作品世界そのものが後押しをしているようにも見える、そんなワンシーンだった。

 出かけた春香はお使いを済ませ、そのまま街中をぼんやりと歩く。自分が何をしたかったのか、なぜアイドルになりたかったのか、自問を繰り返しながら。
 誰よりはっきり見据えていたはずの夢や目標を見失ってしまった春香の姿に被せるかのように、まだそれらを見失っていなかった頃の春香のインタビュー記事を画面に大写しにするあたり、演出面における容赦のなさも未だ徹底していると言えるが、春香の見失ったものがあくまで「見失った」だけであり、春香が本来の彼女らしさを取り戻せたならそれを思い出せるであろうことも描出しており、春香に対する追い込みとフォローを同時に描く見せ方は秀逸だ。
 春香の独白に合わせて流れる何気ない街の日常描写も、春香が本当に追い求めていたものが何であったのかを静かに、そしてはっきりと指し示しているように感じられる。すなわち彼女にとっての「日常」とは何を指していたのであるか、と。
 そんな折、突然横から飛び出して来て春香とぶつかってしまった青年。彼はなんとジュピターの天ケ瀬冬馬であった。彼らジュピターは21話において961プロを辞めた後、別の芸能事務所に移って芸能活動を続けていたのである。

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 すぐ相手に突っかかるような態度を取ってくるのは相変わらずの冬馬であったが、2話や14話と同様のシチュエーションであるにもかかわらず、ぶつかった相手に文句をつけるのではなく、相手にまず謝罪をしてくるあたりに、961時代より性格が若干丸くなった節が見て取れる。
 春香の態度に何かを感じたのもそれ故のものだったのか、冬馬はすぐ近くで開催する自分たちのライブにでも来てみろと、春香にチラシを手渡す。
 そこは765プロアイドルたちよりもずっと前を行っていたトップアイドルのジュピターがライブを開催するには小さい会場であったが、今の事務所の力では大きな会場を押さえることはできなかったとのこと。
 しかし冬馬はそのことに別段落胆を示すことはなかった。961プロ時代ではステージを作るスタッフの顔すら知ることはなかったが、今はスタッフと協力することで1つのステージを作り上げようとしている。そうすることで信頼が生まれ、仲間との団結や絆が育まれ、それらが引いては大きな力になるということを、冬馬は学んだからである。そしてそれは他ならぬ春香たち765プロアイドルを見ならった上でのことだった。
 冬馬の言葉は今の春香にとっては実感に乏しいものであったかもしれない。しかし過去の、春香が今のような状態に陥る以前の765プロアイドルの姿に、「団結」や「絆」といったものを確かに感じ取った者がいたということは、紛れもない事実だった。
 そしてそのことは冬馬という人間を、ゆっくりではあるが良い方へと変えつつあるというのも確かなことであろう。刺のある態度は消え、規模は小さくとも仲間と共に自分のやれることをやり遂げようという強い意志を持つ人間へと、冬馬は変わっていたのである。
 その事実は春香たち765プロアイドルが大切にしてきた「仲間と共に歩む」という強い信念が正しいものであったと、決して否定されるものではないということを、明確に示すものだった。
 今の自分が見失ってしまったものであっても、それをきちんと理解し継承している者がいる。そのことを知ってなお春香の顔が晴れないのは、まだ自分自身の意志で見失ったものを再び見出す事が出来ていなかったからであろう。背中を押されたにもかかわらず、今の春香にはその勢いに乗って自分から走り出すだけの意志と力が薄弱であった。

 その頃千早は、プロデューサーの入院している病院を訪れていた。プロデューサーも今はすっかり意識を取り戻してはいるものの、全身に包帯やギプスが付けられたその姿は未だ痛々しい。
 だが自分がそんな状態であっても、仕事ができず皆に迷惑をかけてしまっていることを謝罪し、痛がりながらも笑顔を見せる様子はすっかりいつものプロデューサーであり、そんな姿に安心したのか、千早も若干安堵した表情を見せる。
 プロデューサーは千早が相談事を抱えていることに気づいていた。面会は控えるようにとの達しがあったことを承知しながら、さしたる用事もなくプロデューサーの元を尋ねるような千早でないということは、彼ならばよくわかっているはずなのだから、それは当然の洞察であったと言えよう。プロデューサーに促され、千早はゆっくりと話を切り出す。
 それはとある「家族」の話。いつも一緒に過ごすほど仲が良く、誰かが転ぶとすぐに手を伸ばして助け合うような優しさに満ちたその家族は、しかしいつしか離れ離れになってしまっていた。
 そんな家族の今の姿を憂い悲しみながらも、どうすることもできずに苦しんでいるのは、誰かが転んだ時、いつも真っ先に手を差し伸べるような心優しい1人の少女。だが今の家族は彼女に手を差し伸べることすらできないほどに、遠く離れてしまっている。
 離れつつある家族を以前のように戻し、その少女を救うことが千早の願い。だが彼女は自分自身の願いに迷っていた。願いを果たすことは本当に正しいことなのか、そも自分にできることなのか、家族の関係を極めて希薄なものとしてしか認識してこなかった千早が、その「家族」のために何かを為すことができるのか、確たる自信を持つことができなかったのである。

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 皆のために力を尽くしたいと思っても、どうすればいいのかがわからないという千早の苦悩は、根本的にはその少女の内にある苦悩と同質のものと言っていいだろう。
 過去の事件を境に他人の一切を拒絶してきた千早にとってその感情は、久しく経験したことのないもの、ややもすると今まで生きてきた中で初めて味わう苦い感情であるかもしれなかった。
 以前の千早であればその感情も内に抑え込んだのだろうが、千早は抑えつけることなく自分の取るべき道を模索する。それは彼女の心の成長という類のものではなく、ひとえに大切な仲間を救いたいと願う強い想い故のものであったことは間違いない。
 それを見抜いていたからこそ、プロデューサーはすぐに答えを述べなかったのではないか。理屈よりもまず千早の「家族」を大切に想う強い気持ちを引き出し、その上でその気持ちのままに行動することを指し示すプロデューサーの顔は穏やかだ。
 言うまでもなく千早が「家族」と形容したその共同体が一体何であるか、プロデューサーはわかっていたのだろう。すぐ隣でずっとその家族と共に過ごしてきたからこそ、他のみんなの想いも千早と同じであると、千早の想いを乗せた言葉がみんなに届くと信じることができる。みんなが何を力の源として歩んできたか、どんな成果を出せてきたか、一番よく知っているのは彼自身なのだ。
 プロデューサーは千早を殊更説得したりアドバイスをしたわけではない、ただ千早に自分たちが是としてきたものが何であったかを思い出させただけだった。思い起こすことさえできれば、後はそれに従って千早が自分で行動を起こせるようになるのだから。
 このような時においてさえ自らが主導することなく、アイドルの背中を押す役に徹し、最後はアイドルたちに任せる彼の姿勢は、どこまでも「アイドルマスター」のプロデューサーであったし、千早と彼の間にも「アイドルとプロデューサー」としての良好な関係が存在していたと言えよう。
 そんな彼のプロデューサーとしての姿勢が正しいものであるということは、後ろで2人のやり取りを聴いていた小鳥さんの静かに浮かべる微笑みからも明らかだった。

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 結露していた窓の水滴が流れ落ちる様は、きっかけを得て俄かに動き出す千早や他のみんなの様子を暗示していたようにも受け取れる。
 各人のスケジュール表を浮かない顔で見つめる律子。そのスケジュール表には本来記載されているべき少女1人の部分だけが、空白で埋められていた。
 そんな律子の元に息せき切って駆け付けた千早は、彼女にある頼みごとを持ちかける。

 今はもう誰もいないはずのレッスンスタジオから聞こえる、楽しそうな話し声。
 765プロファーストライブの時を始め、アイドルたちがずっと練習を重ね、自分たちの夢や目標をぶつけてきた思い出の場所でありながら、いつしか春香1人だけが黙々と練習をする場に変わり、今はその春香すら現れることなく、誰一人姿を見せることのなくなった場所に成り果ててしまった場所。
 そんなレッスンスタジオに意外な、しかし本来は意外ではない面々が集まっていた。仕事で遅れている美希と付き添っている律子、そして休養中の春香以外の765プロアイドルがそこに集合していたのである。
 これは千早の尽力によるものだった。彼女はある目的のために全員がこの場に集まれるよう、各々の予定を調整したのである。律子に協力してもらっただけではなく、社長にまで掛け合って。

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 その行為は裏を返せばそのような強引な手段を取らなければ、皆が集まることはできない状況であったことを示す証左であり、春香が追い詰められる発端となった「全員一度に集まれない」という問題が、春香1人の奮闘でどうこうできるような軽いものではなかったという事実を、ここで改めて補強しているとも取れる。
 久しぶりにいつものレッスンスタジオに来られたことを喜びながらも、真や響は現状に対する複雑な感情を口にする。この場に来たいという想いがあっても自分だけではそれを叶えることができず、それについて誰かに相談することもできない、そもそもそんな考えすら思いつかないほど周囲の状況が見えていなかったことを。
 彼女たちも現状を100パーセント満足しているというわけではなかった。それは件の真や響の心情、そしてやよいの「みんな集まれて良かった」という素直な言葉に集約されているし、もっと言うなら23話でのNO MAKEにおける響の独白からも、十分その感情を窺い知ることができる。
 しかし彼女たちは同時にそこから自分たちで動き出せるだけの意志を保てなかった。「流された」という単純な言葉で言い表すのは彼女たちにとって酷な話だが、その現状に自分の意志を介入させられるほど強くはいられなかったのである。目の前にある仕事に充実した取り組みが出来ていたということも、無論あっただろう。
 彼女たちは彼女たちで心にある種の歪みを抱え、それもまた1人1人の力で解消できるものではなかったのだ。そしてそれ故に彼女たちはある事を見落としてしまっていた。皆が集結しているこの光景を誰より望み、喜んだであろう春香のある想いを。
 千早が皆を集めた理由もそこにあった。たとえ無理をしてでも皆が集まって話し合うこと、それが千早の目的であったのだ。春香のこと、そして自分たちのことについて。

 その頃春香は、偶然通りかかった公園に集まって何事かを話している女児たちを気に留めた。
 どこかの幼稚園に通っているらしく、みんなお揃いの制服を纏っているその女児たちは、どうやら全員で歌を歌おうとしているらしいが、その中にいる上手に歌えない女の子を巡って、意地悪めいた言葉を吐く子とそれに反発する子とが口ゲンカを始めてしまう。
 当人たちにしてみれば真面目な口論なのだろうが、傍から見れば何とも愛らしいそのやり取りに、ふと真と伊織のそれを重ねる春香。

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 と、今度はその女児たちが春香のことを気に留める。彼女たちは春香が「アイドルの天海春香」であることに気づいたのだ。羨望の眼差しで自身を見つめる彼女たちに誘われるまま、春香は一緒に歌を歌うことになってしまった。
 子供たちと共に「自分REST@RT」を歌い始める春香。そんな最中にも口ゲンカを始めてしまう子供に対し、「みんなで楽しく…」と言いかけた春香は、その刹那に浮かんできたビジョンに口をつぐむ。
 目に浮かんだものは同じ曲を共に歌いあげた765プロの仲間たち。それが今現在の彼女たちではないということは、ビジョンの中の彼女たちが夏服姿であることからも容易に理解できる。
 それは個性もバラバラ、抱く夢もそれぞれに異なりながら、それでも「トップアイドルになる」という目標の下に集い、辛い時も苦しい時も一緒に歩んで乗り越えて、例えアイドルとして芽は出ていなくとも、ただみんなと共に歌い踊ることを楽しんだあの頃の日々の姿だった。
 「自分REST@RT」は言うまでもなく、765プロアイドル飛躍のきっかけとなったファーストライブで初めて披露された曲であり、タイトルの通りアイドルたちにとっての新たな出発点となった、ファーストライブそのものを象徴する曲でもある。
 そういう意味ではこの曲、そしてこの曲をライブで完璧に披露するまでの道のりそれ自体が、天海春香というアイドルの原点の一つと言っていい。
 何のしがらみもなく、ただ楽しむために歌う子供たち。それはかつての春香たちが実際に行っていた、行えていたことだった。春香は別に過去を懐古したというわけではない。図らずも春香はこの時、いつしか見失っていた自分のアイドルとしての原点の一つを垣間見たのである。
 女児の1人に話しかけられて我に返った春香は、子供たちの歌を褒め、そこに歌が好きという強い想いがあると呟く。
 しかし春香に返事をしたのは目の前の子供ではなかった。大きくなったらアイドルになりたい、アイドルになってみんなで楽しく歌を歌いたいと返してきたその相手は、幼い頃の春香自身。

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 目の前の幼い春香は無論彼女の目にしか見えないし、胸中にしか存在しない。しかしそれは今の春香にとっては見えて然るべき存在でもあった。
 先程書いた春香の原点の一つ、それは実際にアイドルとなった彼女の拠って立つ起点となるべき出来事であり、言わば彼女にとっての「第二の原点」である。その第二の原点を垣間見、自らの立脚点としていたことを思い出した今の春香であれば、第二の原点を原点たらしめるために彼女がずっと心に抱き続けてきた、「アイドル」というものに対する原初の想い、「第一の原点」と呼ぶべきものとそれに結び付くものとを想起することは、必然であったと言えよう。
 さらに言うならアニメ中では描かれていない設定ではあるが、現在春香がいるこのシチュエーションは、その原初の想いを抱くきっかけとなった「幼い頃、近所の公園でよく歌を歌っていたお姉さんと一緒に歌を歌い、その歌を褒めてもらった」という出来事と酷似している。
 このあたりの見せ方は、知識は知らなくとも春香の心の流れを知ることは出来、知識をあらかじめ得ていればより深く味わうことができるという、アニマスならではの良質な演出であった。
 幼い頃に抱いたアイドルへの憧れ、大好きな歌への想い。見失っていたもう一つの、そして最も大切な彼女の原点に触れた時、春香は戸惑いながらも彼女自身に引っ張られるように、とある場所へ向かって走り出す。

 春香が見失っていたものをおぼろげながら再び見定めつつあることに呼応するように、一方のレッスンスタジオでは、千早が春香が独りで抱えていたものについて切り出していた。
 皆と同じ時間を過ごし、目標に向かって歩む。ほんの少し前までは当然のように出来ていたことが、それぞれ忙しくなるにつれて叶わなくなっていく。アイドルとして成熟していく過程でそれは止むを得ない事情であるし、皆がそれに伴ってさらに成長していくことそのものは、春香本人にとっても非常に喜ばしい出来事だったが、それでも変わりゆくすべてを受け入れることはできなかった。
 変わっていく周囲と変わってほしくないと願う自分の気持ち、双方の狭間で心をせめぎ合わせた春香が最後にすがったものは、ニューイヤーライブのための全員での練習だった。
 単に全員で集まることそのものを求めたのではない。全員で集まり共に一つの目標に向かって全力で取り組むことで、「全員で共に歩んでいくこと」が765プロのアイドルとしてのスタンスであり、それが自分たちの取るべき道であると確認したかった。実際にそんな様子が事務所の風景的な日常として定着し、その道を辿り続けた結果として現在の成果を出してこれたからこそ、未来においてもそれが自分たちにとっては当然の日常であると、そうすることが最善の方策であると信じたかったのだ。
 だが現実にはその想いも叶うことなく、春香の想いは次第に周囲とずれていき、最後には決定的な隔たりを生じさせ、彼女の心をすり減らしてしまった。
 千早から春香のずっと秘めてきた想いと苦悩を聞かされ、全体練習のために奔走していた春香の真意を初めて知る一同。

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 誰にも相談せず、たった1人で悩み続けた春香を案じ、話してくれればと無念の想いを伊織が吐露するのは当然であったろう。彼女の目にうっすらと浮かんだ涙が、彼女の無念さをはっきりと物語っている。
 しかし彼女の想いは真が否定したとおり、正しい想いとも言えないものであった。彼女たちは春香からの相談を待つのではなく、自分から春香の気持ちに気づくべきだった、気づかなければいけないはずのことだったのだから。
 23話の感想の最後の部分で触れたように、765プロアイドルの面々は春香という存在に甘えているというか、春香がみんなのために行動するのを当然のこととして受け止め、殊更に注意を払おうとしていなかった節がある。
 23話で全体練習のために春香が奔走していても、誰もそれをフォローしようとはしなかったし、春香のようにスケジュールを変更してまで参加しようとする者は1人もいなかった。春香の取った行動も完全に正しいものとは言えないが、それでも春香に追従するような行動を取るものが1人もいなかったことは確かである。
 もちろんアイドルたちに他意はないし、ましてや悪意など存在するはずもない。多忙を極めている現状でもアイドルとして充実した時間を過ごせているという達成感故に、周りの人間にまで気を配る余裕があまりなかったという側面も無論あったろう。
 だがそんな状況を差し引いても、彼女たちは春香に対する気遣いをどこかに置き去りにしてしまっていた。それは大舞台に臨もうとしている雪歩のことは気遣っていても、春香にまで気を回すことをしなかった真の様子が何より象徴している。
 彼女たちはどこかで春香の他人への気遣いをあって当然のものと認識してはいなかったか。どんな時でも明るくまっすぐに前だけを見ている春香の姿に励まされてきたからこそ、そんな春香の姿だけを「天海春香」そのものとして受け止め、彼女が周囲を常に気遣っていたのと同等に、彼女もまた周囲に気遣われるべき存在であるという認識が欠落していたのではないか。
 22話において仕事とは全く関係のないクリスマスパーティ開催のために奔走していたということも、皆の春香に対する「気遣いの人」的な認識に拍車をかけていたのかもしれない。
 しかし勿論そんなことはなかった。春香だって悩みもすれば苦しみもする、周囲とのすれ違いが続けば神経をすり減らし憔悴してしまうような、「普通の女の子」なのである。そこに誰も思い至れなかったことは、紛れもなくアイドル各人の「落ち度」であった。
 誰にも明かすことなく、そして誰にも気づかれることなく抱え続けた春香の想い。だが千早はその想いに春香と同等の価値を見出す。
 自分が歌を失いかけた時、彼女に手を差し伸べ救ってくれたのは春香、そして765プロの仲間たち。今までずっと一緒に歩んできた仲間たちとの繋がりや信頼が自分を救う原動力になったということは、他の誰よりも千早本人が知っている。だからこそ春香と同様に、千早が「家族」とまで形容した仲間たちとの繋がりを、自分たちが今までやってきたことを失いたくないと思えるのだ。たとえそれがアイドルとしての責務と矛盾するとしても。
 自分の気持ちを正直に、まっすぐに打ち明けた千早は、自分たちの想いを遂げるための助力をみんなに乞う。それが自分のため、春香のため、そして765プロの仲間たちのために千早ができる、精一杯の行動であった。
 千早の呼びかけにしばらく沈黙が続く中、集合に遅れていた美希と律子がようやく到着する。2人はある打ち合わせに参加していたために到着が遅れたのだが、その打ち合わせの内容が、打ち切りが決定した「生っすか!?サンデー」の後番組に関するものと聞き、一同も驚きの表情を浮かべる。その後番組での単独MCとして美希を登用する話が持ち上がっていたのだ。
 しかし美希はその話を断ってしまったと言う。そのわけを「迷子になっちゃいそうだったから」と表現する美希。

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 アイドルの仕事を心から楽しみ、前だけを見て歩み続けていけるというのは、もちろん素晴らしいことだ。だがそれはどんな時でも自分の心を支えてくれる、拠り所となってくれる存在があってこそのもの。わき目も振らずに前だけを見据えて進んでいったら、いつかその存在を見失ってしまうのではないか。その存在がそこにあったことさえも忘れてしまうのではないか。
 そうなった時、最後には自分自身も前に進むことができなくなってしまうのではないか。そんな想いを美希は「迷子」と言い表したのである。
 それは言うまでもなく、誰よりまっすぐ夢や目標に向かって歩んできた仲間の迷い苦しむ姿を目の当たりにしたからに他ならない。
 かつて765プロアイドルの中では、「トップアイドルになる」という目標に対して一番やる気のない姿勢であった美希。そんな彼女が様々な出来事とそれに伴う経験を経て、自らのアイドルとしての理想を見定めるまでに成長した時、美希を優しい笑顔で祝福してくれた少女。共通の目標に対して、ある意味まったく正反対のスタンスにいた両者であるにもかかわらず、彼女は美希の成長を我が事のように喜び、笑顔を見せてくれた。
 それは765プロの中では当たり前の光景であったかもしれない。仲間の幸福を自分のそれと同等に見なして喜べる関係はしかし、実際には当然のものではなかった。その価値観を体現しようとする想いがあって初めて成り立つ光景であったのだ。
 その価値観を最も強く体現していたであろう少女から笑顔が失われ、涙だけが力なく零れ落ちるようになった時、美希は初めて気付いたのである。自分が前に向って歩いていけるのは、時に歩みを止め休息を取ろうとした際に受け入れてくれる場所があるから。どんな時でも自分のことを笑顔で迎えてくれる人がいるとわかっているから、それを支えにして夢に邁進することができるのだと。それはある意味で、他の誰よりもアイドルという目標に対してのスタートが遅かった美希だからこそ、気付けたことであったかもしれない。
 皆とは異なる思考の変遷を経た結果、千早や春香と同様の考えに思い至った美希は、一足先に自らの想いを遂げるための具体的な行動を取っていた。それは何のことはない、目の前のことのみを見つめるのではなく、視野を広げて周囲を見るように心がけただけのこと。
 だがそうすることで自分のそばにいる者たちの存在を感じ、繋がりを自覚し深めることができる。そしてそれはかつて765プロの仲間全員が自然に行えていたことであった。
 見落としていたものを再び発見した彼女たちが次にすること、それは…。

 同じ頃、春香は自分自身の心に導かれるように、ある場所へとやってくる。そこは春香にとって大切な場所の一つ、765プロファーストライブの会場だった。
 春香がずっと胸に思い描いていたアイドルに対する憧れがはっきりとした形となって実を結び、その際に経験したことすべてが春香の新たな立脚点ともなった、彼女にとって大事な思い出の場所。
 目の前に佇む会場は、あの日のように煌々とライトが照らされ、中にはフラワースタンドが乱立している。それはすぐ隣にいる幼き日の自分と同様、春香の心にのみ浮かぶ風景。
 しばし見とれる春香が冬の冷たい風に顔をなでられた瞬間、彼女ははっきり思い出す。様々なトラブルに見舞われながら、それでも今の自分たちに出来ることをやろうと誓い合い、その場にいない竜宮小町の気持ちも背負ってステージに飛び出し、全員一丸となってライブをやり遂げたあの日あの時、あの一瞬に抱いていた想いを。

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 みんなで楽しく歌い踊ること、それが春香の一番の望みだった。いつだって彼女はそのために努力し続け、そうすることでアイドルとしての成果を出してこれたのである。
 しかしいつの頃からか彼女の心には迷いが生まれていた。全員が多忙を極め、意志の疎通ができなくなるようになった頃なのか、もしくは当人に無理からぬ事情があったとはいえ、春香のスタンスを千早に否定された時であったのか、それはもはや春香本人にもわからないことかもしれない。
 いずれにせよ彼女の迷いが消えることはなかった。みんなで歌い踊るという春香の望みは、他のみんなにとっては迷惑なのではないか、アイドル活動を続ける上で負担になってしまうのではないかという想いが、彼女に迷いを振り切らせなかったのだ。
 春香の望みはそのまま気づかぬうちに765プロアイドル全員の指針となり、それぞれに強い信頼関係を築き、アイドルとしての成果をも得ることができた。だがそれだけの「実績」があってもなお、彼女は自分の気持ちを押し通すことを避けたのである。自分がアイドルとして飛躍するのと同等に、アイドルとして羽ばたく仲間たちの姿に喜びを見出せるからこそ、自分の想いが仲間の負担になってしまうかもしれないという危惧を振り払うことは出来なかったのだろう。
 そんな彼女の迷いはやがて周囲とのずれを呼び、最後には大きな隔たりとして彼女の想いを孤立させてしまった。
 自分自身と向き合う中で、今までの心の流れを思い起こす春香。だがそんな彼女に彼女自身が「大丈夫」と優しく呼びかける。
 「私はみんなを信じてるもん」と。
 そこに立つ自分の姿は幼い頃のそれではなく、あの日のファーストライブに参加していた頃の、全員で協力し合って一つの目標を達成し成果を得た、みんなとの絆を信じて疑わなかった頃のものであった。
 そんなかつての自分から春香が手渡されたもの、それはいつかの時に彼女自身がプロデューサーに手渡したのと同じ一個のキャラメル。
 追い詰められていたプロデューサーの心を救い、春香たちアイドルを信じることの大切さを彼に思い出させるきっかけとなったこのキャラメルを、今度は春香が自分自身の心を救うために差し出したのである。みんなを信じる気持ちを再び思い起こさせるために。

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 みんなに対する信頼感を決して喪失していたわけではなかったものの、いつしか心の中で見失ってしまっていた春香は、この瞬間に自分の拠って立つべきものを再発見したのだ。どんな時でも自分の信じるままに、自分の信じる想いをまっすぐぶつけていくことが何より重要だという自分自身の信念、そしてそんな自分の想いをまっすぐに受け止めてくれる仲間たちへの信頼を。
 春香が自分たち765プロアイドルの根底にある強さの源を再び見出したその時、周囲との狭間に存在した隔たりは取り払われ、彼女はついに深い苦悩の底からの脱却を果たす。
 迷いを振り切った春香は、彼女が毎日通り続けてきた道を一目散に走り抜けていく。天海春香というアイドルが帰るべき場所、そしていつどんな時でも最後には仲間たちも帰ってくるであろう、みんなの居場所に向かって。
 
 走る春香の耳に突然飛び込んできた伊織の声。それは目の先にある街頭ビジョンからのものだった。春香以外の765プロアイドルが集合し、来るニューイヤーライブの宣伝をしていたのである。
 仲間たちが全員集まってライブへの抱負を述べるその光景は、春香がずっと叶うことを願っていた、大切な想いが結実した光景でもあった。
 そんなみんなの姿に春香は驚きながらも顔をほころばせるが、彼女にとっての驚きはそれだけではなかった。みんなは春香の姿をまるで見ていたかのように、笑顔の春香に向かって呼びかけてきたのである。
 いつもの場所、自分たちの場所で待ってるという千早たちの呼びかけに、涙をためながら頷いて駆け出す春香。向かう先は決まっている。先程まで自分が目指して走っていた場所と同じなのだから。

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 みんなが映し出されている画面の背景を見るに、彼女たちはその「場所」から直接メッセージを送り届けていた。社長を始めとする方々の関係者に対して無理を利かせたことは想像に難くないし、中継をしたところで、春香がそれを都合よく見てくれるという保証はない。だがそれでも彼女たちはそうすることを望んだのである。
 そこに計算や打算はない。ただ春香に自分たちの気持ちを届けたい、伝えたいという望みがあっただけだ。そして単純であるが何より強いその想いを、きっと春香は受け止めてくれると信じているからこそ、彼女たちは春香に呼びかけたのである。
 確たる保証など彼女たちには必要なかった。共に同じ時間を過ごし、同じ目標のために歩み続けてきた仲間だからこそ胸に抱くことのできる強い繋がりを感じ、その繋がりを信じることができるのだから。
 そしてそれは春香も同様だった。今は中継が行われたからわかることとはいえ、自分の向かっていた先に、自分が望んだような「仲間たちのいる光景」が存在しているかどうか、保証などされてはいない。それでも春香は走り出さずにはいられなかったのだ。一度は見失った繋がりと、その源になる信じあう気持ちを再び見出したからこそ、彼女は自分の想いを伝えるために走り出したのである。
 中継を春香が実際に見ることができたか、見られなかった場合はどうであるか、そんな仮定は瑣末なこと。彼女たちが互いを想う気持ちを伝え、その伝えられた想いをしっかりと受け止める。それを彼女たちが為すことができたという事実が、最も大切なことだったのだ。
 春香の想いにみんなは応え、帰るべき場所に全員で集まり、一丸となってライブに臨むことを伝えた。春香の望んだ願いは765プロアイドル全員にとっても同じ願いであるという想いを、春香はみんなから確かに受け取った。
 その時点で彼女たちはお互いを結びつけている絆を確かに感じ取ったのだ。見失いかけたものは実際には変わることなく、常にそこにあり続けて彼女たちを結びつけていた。そのことをお互いが確認し合えたことだけで、彼女たちにとっては十分だったのである。
 駆け出す春香に被さるようにインサートされるのはED曲「まっすぐ」と、春香たち765プロアイドルがこれまで辿ってきた軌跡。レッスンの時、イベントの時、ファーストライブの時、そして仲間が1人苦しんでいた時。様々な困難を彼女たちは皆で乗り越え、そのたびにアイドルとして大きくなってきた。誰か1人でも欠けてはいけない、全員がそこにいるからこそ彼女たちはその顔に笑みを浮かべ、まっすぐに自分の目指す道を歩んでいくことができる。
 それはこれまで彼女たちが経験してきた様々な思い出そのものが、何よりもはっきりと証明しているのである。
 そして自分たちのそんな姿こそ、春香が幼い頃よりずっと心に思い描いてきたアイドルとしての理想、すなわち「夢」そのものであった。
 中継の視聴如何にかかわらず、春香が来ることを信じてずっと待っていたみんなの元へ春香が駆け付け、彼女をみんなが迎え入れた時、春香の夢はアイドル全員の夢として昇華を果たしたのである。
 例えるならそれは765プロという芸能事務所そのものが見る夢であり、追い求める理想。彼女たちアイドルが紆余曲折を経て再び一つになった場所が、彼女たちの帰る場所である765プロの事務所であったという事実が、何よりそれを象徴していると言えるだろう。

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 今話は20話のような再生や復活といった大仰なテーマを背負った話ではない。自分の進む道に迷った少女が、その迷いを振り払い再び歩き出すまでを描いた、ごくありふれた話である。
 しかし同時に今話で描かれたそのテーマはいつの時代、どんな人間にも降りかかる可能性のある、普遍的な命題であったとも言えよう。
 そう考えると、その命題に真正面からぶつかる運命を背負ったのが春香であったというのは、むしろ自然なことであったのかもしれない。
 春香の背負った悩みもありふれたものであったが、それを解決に導いた考え方もまた、極々ありふれたものだった。
 …いや、「アニマス的に」ありふれたものである、と言い換えた方が適切だろう。
 見失っていた自らの夢の原点を見出した彼女が次に望んだことは、その夢をみんなと一緒に叶えたいという願いをみんなに伝えることだった。
 仲間同士で互いに想いをぶつけあい受け止め合うこと。様々な経験を経てその境地に至った時にこそ、互いへの信頼感が生まれ、そこから育まれた絆は何より強いものとなる。春香はそれを知っているから、自分がそれを知っていることを思い出せたから、自分の願いをみんなに伝えようと思うことができたのである。
 そしてその考え方は一般論としてはともかく、アニマス的には非の打ちどころのない完全解であったのだ。
 思い返してほしい。3話で怯える雪歩を奮い立たせたものは何であったか、10話で765プロチームを勝利に導いた最後のきっかけは何であったか、12話で美希が再びアイドルに対して意欲を持てたのはなぜだったか。
 そこにはすべて「想いをぶつけ、伝えあう」描写があった。自分の恐怖心を抑えてでも雪歩を支えようとしたプロデューサー、自分が足を引っ張ってしまったことを承知していながらも、その想いも含めて勝ってほしいという願いを真にぶつけたやよい、プロデューサーとのやり取りの中で「アイドル」というものに対して抱いていた漠然とした感情を、はっきりしたものとして確立した美希。
 何より20話において苦しむ千早を救うきっかけになったのは、「千早と一緒にアイドルを続けたい」という春香の願いを素直にぶつけたことだった。
 色々な局面で彼女たちは想いを直接伝えあってきたのである。そうすることで確実にアイドルとしての成果を出し、成長してきた。その厳然たる事実が存在しているからこそ、春香の見出した考え方が最適であり正答であるとはっきり断言することができるのだ。それがアニマスという世界の望んだ最良の答えだったのだから。
 人と人との信頼感が強い力を生み、夢を叶えるほどの原動力となる。現実にそうなることはほとんどないと言っていいほどのこのテーゼを、アニマスという作品は1話の時点、もっと言えば新番組予告の時点から明確に訴え続け、それが是とされる世界を構築してきた。8話でのあずささんと彼女の周りに集まった人々を例に挙げるまでもなく、アニマスの世界とは人の真摯な想いが確実に誰かに届き、その人を幸せにしてくれる優しい世界なのである。
 ゆっくりと時間をかけて醸成されてきたこの優しい世界に最もふさわしい答えを、彼女たちは見つけられたのだ。それは「アイドルとは?」という大上段に構えた命題に対するものではない、「765プロのアイドルとは?」というごく私的なものに対しての答え。しかし彼女たちにとってはそれで十分なのである。彼女たちはその想いを胸にこれまで輝き続けてきたし、これからもその想いがあれば輝き続けられると信じているのだから。
 それは今までアニマスが紡いできた24の挿話の中で積み重ねてきたものが、深く静かに、そしてしっかりと皆の心に根を張って息づいていた証であった。20話の時のように大きく炸裂することはない、しかし常に彼女たちの心に根付き支えているそれがある限り、彼女たちはもう迷うことなく邁進していくことができるに違いない。それぞれの夢、そして「トップアイドルになる」という目標へ向かって。

 改めて一つとなった765プロアイドルが見せる最初にして、我々視聴者にとっては最後になってしまうかもしれない「成果」。それは次回において堪能することができるはずである。

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 様々な出来事を経て、アイドルとしても人間としても大きく成長した彼女たちの「今」の姿、しっかりと目に焼き付けようではないか。
posted by 銀河満月 at 02:23| Comment(0) | TrackBack(10) | アニメ版アイドルマスター感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月15日

アニメ版アイドルマスター23話「私」感想

 アニメ版アイドルマスターも残すところあと3話のみとなった。最後に彼女たちが迎える物語はどのようなものになるのか、とは以前にも書いたことであるが、その布石と呼ぶべきものは既に前回、22話の時点でいくつか打ち出されていた。
 そこから真っ先に浮かび上がってくる事実は、最後の物語の中心になる存在が天海春香であるということ。
 ゲーム版においてもその開発段階において一番最初に創造されたアイドルであり、他のすべてのアイドルたちの基礎となったキャラクターである。そう言う意味ではアイマス自体に「メインヒロイン」というカテゴリ自体は存在しないものの、アイマスという作品、ひいては登場する全アイドルを代表する存在と言っても過言ではない。
 そんな彼女だからこそ、彼女の迎える物語は彼女のみならずアニマスの作品世界そのものを締める存在として機能することは間違いない。
 しかし22話での様子を見る限り、その物語は春香にとってはかなり厳しいものになるであろうことも予想され、静かな終わりを迎えるというわけにはいかなそうであるが、さて。

 年が明けてからも春香たち765プロアイドルの忙しさは変わらないようで、春香も新年早々仕事に精を出していたが、その足取りがいつになく軽やかなのは、これから向かっている先に原因があるようだ。
 テレビ局からタクシーに乗って新宿へ向かう道すがら、そんな多忙によって得た彼女らの「成果」は、街のそこかしこで目に入るようになっていた。
 テレビ局の外壁に飾られた番組宣伝用の大きな看板のメインビジュアルを飾っているのは亜美と真美、カーラジオから流れてくるのは竜宮小町の「七彩ボタン」、春香の取り出した音楽雑誌で大きく特集されているのは千早であり、同じ雑誌に雪歩、響、やよいも特集記事が載り、大きなトラックのコンテナに貼られた広告は貴音のもの、街の大型ビジョンに流れるのは真がメインのCM、電気屋のテレビに映っているのは春香自身、ビルの看板に掲げられているのは美希のもの、といった具合である。
 トップアイドルとまではいかずとも、前話での真の感慨通り、全員が全員とも押しも押されぬ売れっ子アイドルになっている状態だ。
 全員のそんな状態を春香がどう受け止めているか、それは雑誌を読んでいる春香の嬉しそうな表情を見れば自明のことであろう。

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 そんな春香の向かった先は、春香たちが以前から使っているレッスンスタジオだった。春香たちはこれからここで、来るニューイヤーライブに向けての合同練習を開始するというわけである。
 22話でのクリスマスパーティの時と同じく、みんなと一緒にいられることを大事にする春香だからこそ、今回のこの練習を楽しみにしていたのだろう。春香のそんな喜びは、転びそうになってもすんでのところでどうにか踏みとどまる描写を用い、文字通り全身を使って表現されていた。
 先にレッスンスタジオに来ていたのは千早に雪歩、響にやよいの4人。しかしついて早々、雪歩から伊織たち竜宮小町は収録が押しているために来ることができないということを聞かされ、残念がる春香。
 千早のとりなしもあって今いるメンバーだけで練習しようと意欲を燃やすものの、今度は響とやよいが仕事の都合上、途中で抜けなければならないと告げてきたりと、どうにもままならない。
 2人にやる気がないわけではないというのは、すまなそうに謝る2人の姿を見ればすぐにわかることであるし、何より仕事の都合なのだからどうしようもないわけだが、それですぐに納得するには難しい問題でもある。殊に春香にとっては。

 とある夜の765プロ事務所。そこにただ1人いたのは小鳥さんであったが、別に留守番をしているというわけではなく、むしろ電話対応に追われていた。
 一つの電話が終わればまた次の電話がかかってくる。忙しくなっていたのはアイドルやプロデューサーだけではなかったのである。
 その電話の内容も必ずしも喜ばしいものではなかった。もちろん仕事の話自体は事務所としても良いことではあるが、今現在のアイドルたちのスケジュールは完全に埋め尽くされてしまっており、新たな仕事を請け負うことさえできない状態になっていたのだ。

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 つい半年ほど前までは少ない仕事をこちらが探して回っていたのに、今は相手の方から持ち込まれる仕事をこちらの都合で断らなければならない。これも変化の一つではあるが、素直に喜べるかと言えば難しいことではあろう。
 そんな中に事務所へ戻ってきたのは春香だった。小鳥さんの仕事を断る旨の返事を聞きながら、給湯室や机の上に置かれたままになっている、それぞれのアイドルに贈られてきたファンからのプレゼントが入った段ボール箱を見やる春香。
 ファンからの贈り物は無論嬉しいことであるが、14話のようにそれらを自分たちの手で一つ一つ取り出し、中身を見るような暇も今はもうなくなってしまった。それらのプレゼントが、いつもならアイドルのうち誰かが使っていたであろう椅子や机の上に置かれてしまっているというのが、今の事務所内の状態を何より饒舌に物語っている。
 そんな状況に春香が何かしらの感慨を抱かないはずもないのだが、春香は何も言わず、プレゼントのクマのぬいぐるみを抱いて明るく挨拶をする。この後の予定はないものの、事務所に戻ってこないと1日が終わった気がしないという春香であるが、その顔はどこか浮かない。
 そんな春香にココアを差し入れながら、自分のスケジュールのことを踏まえた上で、体を休めるためにも無理せず家に帰っていいと、やんわりアドバイスする小鳥さん。春香のことを心配しているからこその言葉ではあるが、同時に「戻ってきてくれること自体は嬉しい」と、春香の行動そのものは否定せずに受け入れるあたりに、小鳥さんの優しい気遣いが感じられる。
 そんな小鳥さんから今日事務所に顔を見せたアイドルが自分だけであるということを聞かされても、春香はあまり表情を崩さない。以前であれば誰かしらいるであろうアイドルたちのおかげでにぎやかになっていたはずの事務所も、今は静か。いつも誰かしらが立っていたはずの事務所の床も、今日はいつになくはっきりと自己主張し、春香はその片隅でココアを飲んでいる体だ。
 居慣れた場所の見慣れない光景。それを目の当たりにした今の春香の胸中にはどんな思いが渦巻いているのだろう。
 そんな時事務所に戻ってきたのはプロデューサーだった。彼の姿を見て顔をほころばせ、「お帰りなさい」と出迎える春香からは、今までとは打って変わった嬉しさが滲み出ているようだ。

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 プロデューサーから何か変わったことはなかったかと問われ、「今日は一回も転ばなかった」と返したのも、もしかしたらプロデューサーが「仕事の上で変わったことがあったか」と問うていたのかもしれず、そうであるなら何とも的外れな、アイドルとしての返事ではなかったろう。が、それは紛れもなく春香とプロデューサーのいつもの、彼女が普段から馴れ親しんだ言葉のやり取りであったことも間違いないのだ。
 そしてその春香の返答をプロデューサーが特に突っ込むこともせず受け止めていたところから考えるに、「仕事の上で」と「日常の中で」との、どちらの意味にも取れるような問い方をしていたのだろう。彼の器量も序盤の頃からは格段に大きくなっているのである。
 2人の会話に小鳥さんがさり気なく紛れ込んだのも、そんな2人のやり取りを盛り上げることで、少し浮かない風であった春香を元気づけようとしていたと取れなくもない。
 そんな春香へのご褒美と称してプロデューサーが取り出したのは、刷り上がったばかりの来るニューイヤーライブのパンフレットだった。
 ページを開いた先に見開きで掲載されていたのは、春香たち765プロアイドルの集合写真。プロデューサーが「自信作」と言うだけあって、各々の魅力がストレートに表現されている写真となっていた。全員がそこにあるからこそ発揮される、他には代えがたいもの。それは少しばかり気持ちの沈んでいた春香を元気づけるには十分なものでもあった。
 今はみんな忙しくて一緒になれる機会はなかなか作れないが、全員で力を合わせればきっと素晴らしいライブになると訴えるプロデューサーに、力強く同意する春香。みんなで共に歩んでいけば今度もきっとうまくいく。今までそうやって彼女たちは進んでこれたのだし、だからこそ今のこの結果もある。
 そのことを誰よりもよく知っているアイドルと、それを誰より近くでずっと見守ってきたプロデューサーだからこその強い決意であった。

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 いつもの調子に戻った春香はライブ成功のためには全員揃っての合同練習が必須と考え、自分からアイドルたちのスケジュール調整に乗り出した。
 撮影現場で、テレビ局の廊下で、ラジオのスタジオで、そして移動中の車の中で、夜遅くまでスケジュール合わせに奔走する春香。
 亜美真美がDLC衣装である「スクーリッシュガール」を着ていたり、テレビ局内に貼られているポスターがあずささんや10話で登場した新幹少女の番組であったり、その新幹少女の着ている衣装がこれまたDLC衣装である「マーチングバンド」に似通っていたりと、短い時間にやたらと小ネタが仕込まれているが、アイドルたちの多忙ぶりを表しているだけではなく、本編のストーリーそのものには余計なネタを挟む余裕すらないということを逆説的に示しているのかもしれない。

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 そして迎えた合同練習の当日。仕事が一段落してレッスンスタジオへ向かおうとする春香を、とあるスタッフが話をしたいと呼び止める。
 そんなに時間をかけないということであったが、春香は少し悩んだ末に合同練習の方を優先し、丁寧に謝ってその場を後にする。
 話の内容が仕事のことか否かは劇中では不明なままであるが、それでも実際に仕事の中で関わっているであろうスタッフのお呼びを断るというのは、はっきり言えばあまり好ましい行為ではない。だが春香はそれを承知した上で自分でセッティングした合同練習を優先したわけで、もちろんそれはみんなで一緒にライブを成功させるために頑張りたいという気持ちがあったからであろうし、言いだしっぺの自分が遅れるわけにはいかないという使命感めいたものもあったかもしれない。いずれにしても大変彼女らしい行為ではあるのだが、同時に多少の危うさを感じさせる行為でもあった。
 春香は駆け足でレッスンスタジオへと向かう。既に辺りがすっかり暗くなるような時間になっていたが、それでもいつものように明るく挨拶をしながらスタジオに入る春香。
 しかしそんな春香の挨拶に答える仲間たちは、以前と同じように少なかった。その場にいたのは千早に雪歩、そしてあずささんと真の4人のみ。伊織や響、亜美たちは仕事が長引いてしまったために、美希は搭乗していた飛行機の到着が遅れたために、それぞれ練習に参加することができなくなってしまっていたのだ。
 全員集まれないことを残念がる真や雪歩を鼓舞するように、ここにいるメンバーだけでも練習しようと春香は努めて明るくふるまう。それはいつもの春香であり765プロアイドルたちの光景には違いなかったが、準備をしながらも彼女が少し沈んだ面持ちを浮かべていることに、千早だけが気付いていた。

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 レッスンからの帰り道、疲れたように大きく伸びをする春香を案じる千早。春香は自分が担当しているラジオ番組の収録時間を、合同練習に参加できるように早朝にずらしていたのである。
 合同練習の予定を調整している時も、移動中の車の中で他のスタッフが眠っている中、眠らずにメールで連絡を取っている春香の姿があったが、これも恐らくは睡眠時間を削ってのことだったのだろう。
 一つの目的を達成するためには自分自身の労苦を厭わない。これは春香の美点の一つであるし、実際に春香はずっとそうやってアイドル活動に取り組んできたはずであるから、殊更今になって取り上げるようなことではないのかもしれない。
 しかしその時の千早にはそう思うことはできなかった。言葉にこそ出さないものの、そんな今の春香の姿に何かを感じたのは間違いない。
 だからこそ千早は春香に提案してきた。明日からの海外レコーディングの日程をずらしてもらうようプロデューサーに頼むことを。今の状態でライブに参加するのは自分が納得できないからと理由を述べるものの、本当の理由がそれとは別にあるであろうことは容易に察せられることである。
 だがもちろんそんな提案を春香が呑むはずはない。今度の海外レコーディングは千早の今後を左右するほどに大切な仕事であることを知っている春香ならば、いや春香だからこそそんな提案を受け入れるはずはなかったのだ。
 千早のそばに歩み寄った春香は千早の手を自分の両手でしっかりと握りしめ、「大丈夫」という言葉と笑顔とを千早に送る。2人とも言葉には出さなかったが、互いの気持ちはわかっていたのだ。千早は春香が無理をし始めていること、そして春香は千早がそんな自分を案じてくれていることを。
 千早の提案も実際には通るはずのない無茶なものであったことは明らかだが、それでも千早は言わずにはいられなかった。アイドルとしての立場を無視してでも、目の前で無理をしつつある大切な友人のために言わないわけにはいかなかったのだ。
 しかしそんな彼女の提案を春香は否定した。たとえ無理をしていても、それを千早が理解していたとしても、何よりもまず千早のことを考えて否定したのである。それは春香という少女が当然取るはずの行動でもあった。

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 春香を心配する千早と、そんな千早に心配させまいとする春香。こんな時において尚、自分のことより千早を案じることができるのが春香なのである。春香のそんな性格に自分自身がかつて救われたからこそ、彼女の言葉を最終的に千早が信じる気になったのだろう。そんな春香本来の性格ならばきっと大丈夫であろうと。春香のそばには彼女を誰よりしっかり支えることのできる人物がいるからという思いも、そこにはあったのかもしれない。
 お互いに本心を明かしたわけではないが、言葉にせずとも互いの気持ちを理解できている、強い絆で結ばれた2人。春香の「ちょっぴり寂しいけど」という言葉は、そんな絆の強さを自覚しているからこその、精一杯の甘えであったとも言えるだろう。
 春香はもちろんまだあきらめてはいない。しかし今日のレッスンを録画したビデオを見るその表情からは、少し重くなったであろう心の重さを感じさせる。千早に本心を吐露しなかったことは、果たして彼女にとって良い方向を指し示してくれるのだろうか。

 あくる朝、春香は新たに次の全体練習までの間、現場が一緒になった人が数人ずつでも集まって練習しようと提案する。
 これは春香個人の希望を抜きにしても良い提案であろう。全員が集まるライブなのだからいつまでもバラバラで練習しているのはあまりよろしいことではないわけで、無論スケジュール的な問題は山積みであろうが、プロデューサーではないアイドルという立場の春香の提案としては、最良に近いものと言えるのではないだろうか。
 しかしそんな提案もまた十分には生かされなかった。現場で一緒になった春香と真美は、同じく一緒になった響や貴音の仕事が終わるのを待っていたが、例によって長引いてしまい、どうしても練習に参加することができない。
 さらには一緒に待っていた真美もまた、仕事の都合でその場を離れなければならず、結局その日は練習することは叶わなかった。さらには次の日に予定していた全体練習も、どうしてもみんなの予定が合わず、結局中止することになってしまう。
 その知らせを聞いた春香の具体的な様子は描写されていない。既に誰もいなくなり暗くなったレッスンスタジオと、雨の降る中を事務所に向かって歩く春香の姿が遠景で映し出されるだけだ。
 春香は誰にも何も言わなかった。もちろんそれは何かを言える筋のことではないと、何より本人が理解しているからに他ならない。確かに練習に集まることはできなかった。しかしすまなそうに謝る響や、一緒にいられない寂しさを春香に抱きつくことで表現してきた真美に、何を言うことができるだろう。プロデューサーとして春香と同様に予定調整に奔走しているであろう律子に、何を言うことができたろうか。
 だがそれでも「仕方がない」と言い切ってすませるには、春香にとっては重すぎる現実であったのも間違いないことだろう。
 事務所に戻ってきた春香は、小鳥さんにプロデューサーの所在を聞く。そこに冒頭のような笑顔は浮かんでいない。
 プロデューサーは自分の席で電話中だった。どうやらニューイヤーライブに絡んだ内容の電話らしいが、それでも春香にジェスチャーで挨拶だけ交わすところは、相変わらずの細かい気遣いである。
 ライブも目の前に迫っているだけに、プロデューサーの言葉にも自然と熱がこもる。そんな中不意に飛び出してきた、彼の「みんなで作る765プロのライブ」という言葉に反応する春香。

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 それは春香にライブのパンフレットを渡した時のプロデューサーの言葉とほぼ同じ内容であっただけでなく、春香が理想とするライブそのものでもあった。
 春香の願う理想と同じ理想を持ち、ライブに取り組んでくれている人がすぐそばにいる。その事実が春香に目の前に横たわる厳しい現実に向かっていく力を与えてくれていた。
 いつもどおりの笑顔を作って決意を新たにする春香。しかし電話中のプロデューサーに遠慮したのか黙って事務所を出てしまい、プロデューサーとの話はなされないままだった。事務所に戻ってきた際、真っ先にプロデューサーの所在を尋ねたのは、彼に何かしらの話があったためであることは疑いない。それをしなかったのは、春香の理想とプロデューサーの理想が同じであることを改めて認識することができたから、自分の今の不安も自己完結できた、と思いこんだからではなかったか。
 しかしそれは「思いこみ」でしかないのも確かだった。春香の理想は本来彼女が以前から抱いていたそれとは微妙にずれが生じてきてしまっていたのである。プロデューサーと話をしていればそれに気づくことができたのかもしれないが、今となってはどうしようもない。
 その微妙なずれ、そしてより厳しくなっていく周囲の環境は、彼女をさらに苦しめることになってしまう。

 翌日、仕事場で昨日の練習に参加出来なかったことを謝る真を取りなした春香は、次の仕事が始まるまで少しでもライブの練習をしようと提案するが、真はライブよりまずは今これからの仕事に集中しようと切り出す。
 今日の仕事は雪歩をメインに据えた新曲「Little Match Girl」の初お披露目。前回の22話で雪歩自身が宣伝していた曲であり、初めて雪歩がセンターとして歌う歌でもあった。生放送でそんな重大な役目を担っただけに、雪歩もいつにないプレッシャーを感じている。そんな雪歩のためにも今はこの生放送を成功させることに集中しようと言うのだ。
 これは真の言うことが正しいと思われるが、同時に普段の春香であればそれに一も二もなく同意するであろうはずが、すぐに返事をしなかったところに、上述した「ずれ」の一端が垣間見える。今回の生放送はAパートで春香が断ったスタッフからの、仕事かどうかもわからない呼びかけとは根本的に異なる、明確に重要な内容の仕事なのだ。
 にもかかわらず春香は目の前の仕事より、その後に控えているライブのことを優先してしまった。それは彼女が平時とは僅かではあるが明らかに異なる精神状態にある証左と言える。
 そう、彼女の心の変化はごくわずかなものだった。センターに立ってLittle Match Girlを歌い踊る雪歩の背中を後ろから嬉しそうに笑顔で見つめている時も、お披露目が終わり感極まって春香に抱きつく雪歩を祝福する時も、その時の春香の気持ちに嘘がないのもまた事実だろう。

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 3話での夏祭りイベントでは春香と真、そしてプロデューサーに励まされてようやくステージに立つことができたほどのか弱かった雪歩が、その春香と真を連れセンターで堂々と大勢の前で新曲を披露するまでに心も体も成長を遂げた。春香がそれを喜ばないはずはないのだ。
 しかし同時にその時春香が抱いていた別の気持ちもまた、春香の本心であることには違いなかったのだろう。その一方の気持ちを春香は2人に明かすことはなく、2人もまた気づくことはなかった。

 場面は変わって「生っすか!?サンデー」の収録風景。海外に出向いている千早を「出張中」として、薄い板か紙のようなもので代用扱いしていたり、映像の向こうでも相変わらずの仲の良さを見せる真と雪歩の様子など、相変わらず和気藹々とした良い雰囲気で収録を締めることができたようだが、そんなみんなの様子を見つめる律子の表情はなぜか暗い。
 やがて収録は終了。一同もこの番組のみならず日ごろの激務が祟ってか、かなり疲れ気味のようだ。そんな中でもあずささんに甘えてくる亜美や、体力的に余裕のあるところを見せる響の描写あたりで個性を浮き立たせる見せ方は忘れていない。
 美希はその後もすぐに別の仕事が入っているようで、律子に急かされながらその場を後にする。今日も春香はライブに向けての練習を考えていたようだが、それはまたも叶いそうになかった。
 しかしそんな春香だけでなく、765プロアイドル全員にとって衝撃的な知らせが、律子よりもたらされる。彼女たち全員が協力して今まで作り上げてきた「生っすか!?サンデー」が打ち切られると言うのだ。
 思わず激昂するのが伊織であるというのも嬉しいキャラシフトだが、打ち切りの理由は視聴率不振などといったありふれたものではなかった。視聴率は良いし局側としても続けたい意向はあるのだが、多数の人気アイドルたちのスケジュールを日曜の夕方という特定の時間に縛り続けていることへの、他の番組からクレームが入ったというのである。
 確かに日曜日は休日でもあるから平日よりもアイドルたちの需要が重なることは容易に予測がつくし、「生っすか!?サンデー」はその名の通り生番組だから、実際には日曜のかなり早い時間帯からずっと拘束されていたことだろう。
 人気のある番組を人気であるが故に終了させなければならない。少し前であれば絶対に味わうことのなかったであろう苦いジレンマだが、アイドルたちは各々、そんな現実を出来る限り前向きに受け入れようとしていた。ただ1人を除いて。

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 仕事の上でも仲間たちと顔を合わせる機会が少なくなってきた中、毎週一度は必ず会える時、それがこの番組の収録の時だった。彼女がその時を心待ちにしていたということは、口数こそ少ないものの22話で千早に対して語っているところからも十分に察することができる。
 仲間たちとの繋がりを体感できた唯一と言っていいその「時」もしかし、完全に失われてしまうこととなった。
 そのことが春香の心にどれほどの喪失感を生じさせたか。それは楽屋での律子とのやり取りから容易に類推することができるだろう。
 律子が渡したミュージカルのスケジュール表は、立ち稽古が明日の20時からであることを示していたが、その時間は合同練習の予定を組んでいた時間でもあった。
 詰問する春香を「ライブもミュージカルもどちらも重要」と律子が諭すのは当然のことであるが、春香はそれに同意する態度を見せなかった。前回の22話から楽しみにし、やる気を見せていたミュージカルに対し、全力で取り組むいつもの姿勢を見せることができなくなってしまっていたのである。
 春香の心に生じた激しい喪失感は、本来の彼女であればするはずのない「仕事に序列をつける」行為をさせてしまう。それは真や雪歩との仕事をしていた時点でおぼろげながらも存在していた「ずれ」が、明確な形を成したことを意味していた。

 翌日、ミュージカルの練習に励む春香と美希。しかしそんな時でも時間を気にしてしまう春香の表情は、どこか虚ろだ。
 休憩時間に入っても春香のそんな態度は変わらない。とその時、少し離れた場所に美希が座ったのを認めた春香は、美希の隣に移動して話しかける。
 目立たない描写ではあるが、共に同じ現場で仕事に励む美希に対し、普段ならかけるであろうはずの労いの言葉が一切なかったり、美希のそばに移動する姿が見ようによっては「相手に擦り寄る」体になっていたあたり、見ている側の不安を煽る。
 「美希が一緒で良かった」との春香の呟きは、自分が不安定になっていることの自覚が少なからずあったからこそのものなのかもしれない。だが今の春香にとって仲間と一緒にいることは、必ずしも彼女の心を救うことにはならなかった。彼女自身の何気ない一言が、それを決定的にしてしまう。
 「どっちが主役になれるかわからないけど、一緒に頑張ろう」という春香の言葉は、それ自体はいかにも彼女らしい言葉である。だがその言葉に込められた彼女の本意は、普段の彼女のそれとは微妙に異なっていた。そのことを春香は美希の「絶対に主役をやりたい、『一緒に頑張る』というのは違うと思う」という言葉を受けることで、痛烈に思い知る結果となってしまった。

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 先程書いたことであるが、春香は自分の取り組んでいることに、序列や優先順位による差をつけることはしないが、同時に第三者から序列をつけられることも否定しない。彼女は目標に向かって努力することを何より大切にし、結果はそれに伴って自然についてくるものだという信念を持っている。
 これは13話でのライブにおいて、混乱し収拾がつかなくなりかけた他のアイドルたちに呼びかけた言葉や、12話で竜宮小町と他の9人との差について響から問われた時の前向きな回答などから、容易に読み取ることができよう。
 春香は別段無欲というわけではない。今回のミュージカルに関して言えば、当然主役になることを望むだろうし、事務所の仲間と主役の座を争うことを拒絶するほど潔癖な性格でもないのだ。春香としては「結果のために努力する」のではなく「努力した末に結果がつく」というスタンスなので、自分が努力してきた結果として得られるものに対しては、それほど貪欲な姿勢を示さないだけのことである。
 だがそれは普段の春香ならばの話であって、今の不安定な状態の春香はまた異なる思考の元に先述の言葉を述べていた。
 それは誰かと一緒にいたい、誰かと一緒に歩んでいきたいという単純な気持ち。しかしそこには平素の春香なら考慮の範疇に入れているであろう「結果」が組み込まれていなかった。彼女はただ仲間と一緒にいられることだけを望んでしまったのである。そしてそれはアイドルとしては不適当な望みでもあった。
 美希はそんな春香の胸中を見透かしたわけでは決してない。美希は美希で自分なりに考えていることをストレートに春香に伝えただけのことであり、そこに春香への他意は存在しないと言っていいだろう。
 美希は春香と違い「結果のために努力する」というスタンスであったことと、そんな彼女の姿勢に以前から全くぶれが存在していなかったことは、しかし結果として2人には不幸な偶然となってしまった。
 15話で春香本人が認めたとおり、美希は自分の姿勢や価値観がが全くぶれることなくアイドルとして成長していた。そんな美希に不安定な今の自分を否定されてしまったのだ。
 そしてそこにはもう一つ、大きな「不幸な偶然」も存在していたのであるが、それは後ほど触れることにしよう。

 仕事を終え帰路につく春香の心に去来する様々な風景。仲間たちのいない事務所、誰もいないレッスンスタジオ、自分を案じ自分と同じ想いを抱いてくれた千早やプロデューサー、そして自分の道を歩き続けるアイドルの仲間たち…。
 彼女の表情はその髪に隠れてよく見えない。しかしそれこそが彼女の今の心情を端的に表しているとは言えないだろうか。表情さえ虚ろな、完全に自分自身を見失ってしまった状態。変わりゆく世界や仲間たちに何もできない自分、自分を案じ信じてくれる人たちに何も応えてやれない自分。
 彼女の心が大きな無力感に苛まれているであろうことは、想像に難くない。

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 そんな春香が最後にすがる相手はプロデューサーであったが、その夜の事務所にはプロデューサーはおらず、掃除をしている社長がいるのみだった。言葉少なに事務所を立ち去る春香の心の空虚さは、さすがの社長にも読み取れない。
 春香の内面の荒れようはミュージカルの稽古にも影響を及ぼしていた。以前に演出家は「この役に自分をぶつけろ」と言っていたが、自分というものがひどく不安定な状態に陥っている今の春香では、それを実現するのは無理というものであろう。
 自信に満ちた表情で舞台に立つ美希を見つめる春香の表情は、いつもの彼女のそれとはまったく違う、悲しそうでもあり寂しそうでもあるものだった。
 休憩時間に入っても演技についてスタッフと話しこむ美希の一方、春香は1人で座り込むのみだ。そこに姿を現したのは、春香が内心では今一番会いたかったであろう人物、プロデューサーだった。
 陣中見舞いとして持参してきたどら焼きを食べつつ、久々に会話する2人。調子を問うプロデューサーに舞台は楽しいし勉強になると春香は静かに答える。それもまた彼女の本心ではあったのだろうが、今の春香が話したいことはもっと別にあると、何より彼女の横顔が訴えている。
 それを察したのだろう、プロデューサーは努めて明るく春香に、彼女が昨日事務所に顔を見せたことに触れ、自分に何か話があったのではないかと問いかける。その最中でも決して笑顔を絶やすことなく。

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 プロデューサーのこの姿勢は彼がプロデューサーとして正しく成長してきた証とも言えるが、このような姿勢で他人のフォローに入ることは、本来なら春香が最も得意とすることであった。
 22話全般における千早の立ち回り方もそうだが、今話のプロデューサーの態度もまた、本来春香が持っているそれと密接に結び付いている。だからこそ余計に現在の春香とのずれを際立たせる結果にもなってしまっているのだ。
 春香はしかし逡巡するばかりでなかなか話を切り出そうとせず、それどころか顔さえ上げようとしない。表情からも仕草からも胸中に相当の煩悶が生じているであろうことは火を見るより明らかであるが、それでも春香はプロデューサーに素直に自分の感情をぶつけることができないでいた。
 それでもやっと口を開きかけたその瞬間、プロデューサーの隣にやってきた美希によって、春香の言葉は遮られてしまう。
 大勢の外部スタッフがいる中でも構わずプロデューサーを「ハニー」と呼んで親しそうに話す美希の姿に、春香は一体何を思ったか、目を伏せ視線をそらしてしまった。
 本当ならすぐにでもプロデューサーの横に座って今の自分の気持ちを吐露したかったはずが、春香にはそれができなかった。そんな彼女にしてみれば、何に遠慮することもなく常に自分らしさを維持し続けている美希の姿が、辛くなるほどに眩しく見えていたではないだろうか。
 春香がなぜ素直にプロデューサーに話をすることができなかったのか。見ている側としては色々考えることはできるものの、劇中ではまだはっきりと描写されているわけではない。しかし話をしたくともそれを抑え込んでしまう最後の一線と呼ぶべきものが、彼女の心の中には確実に存在しており、それは今の彼女にはどうすることもできない代物でもあった。
 だから春香は何も言わずにプロデューサーの隣からも立ち去ろうとする。未練を残していることを自分で承知しつつも、「なんでもない」という言葉をプロデューサーに、そして自分自身にも向けながら。

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 しかし当然のことながら、「なんでもない」わけはない。喪失感、無力感、空虚。春香の胸中に渦巻く感情はとても彼女1人に抑え込めるものではなかった。「悲劇」という形を持って、さらに彼女を追い込むことになる。
 下がったままになっていた舞台のセリ。それに気づかなかったため奈落へ落ちそうになる春香。彼女はすぐに伸びてきた救いの手に救われるものの、その手の主は入れ替わりに奈落の底へと転落してしまう。
 まるで彼女の身代わりとなったかのように。

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 病院の一角に静かに灯る「手術中」のランプ。その先にある一室をじっと見つめ続ける社長と美希。椅子に座り無事を祈る小鳥さんと律子。
 そんな彼女らとは離れた場所の椅子に1人座る春香。今はただ、自分を守り自分の代わりに傷ついたプロデューサーのことを想い、涙で頬を濡らすことしかできなかった。

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 今話、というより前話あたりから描かれてきた春香の戸惑いとは、言葉で端的に言い表すなら「一つのことに情熱を燃やしてきた人が、ふと冷静になって自分のやってきたことを振り返り、これからのことを見つめ直す時期」という、一般的な人間であれば誰でも一度は経験するであろう瞬間、あるいは期間に起因しているものだったと言える。
 それは22話の時点で時折、アイドルとしての自分のスタンスを自分で問い質すような仕草が描かれていたことからも理解できよう。
 他のアイドルたちにそのような兆候は見られないのに、春香にだけこのようなことが起きたわけだが、これは別に春香のメンタルが他メンバーと比較して弱いからというわけではない。
 春香以外の765プロアイドルは総じて「アイドルになって何かを為したい」という目標を抱いているのに対し、春香は最初から「アイドルになること」が目標であった。つまり他のアイドルにしてみれば1〜5話あたりの頃はまだまだ走り始めた段階であったと言える時期であったのだが、春香の場合はその頃から、もっと言えばアニマス本編の始まるずっと前から、アイドルになることを目指して走り続けてきていたのである。彼女にとってはアイドルとして活動するための準備もまた、目標そのものであったと言える。
 他のアイドルより全力で走ってきた期間が長かったのであれば、冷静になる時期が他メンバーより早く訪れるのも道理であろう。
 だからきっかけそのものは特に珍しいものではなかった。ただ春香にとってそのきっかけが訪れた時期はあまりにタイミングが悪すぎたのである。振り返りたくともゆっくり振り返らせてくれない、見つめ直したくともそんな暇を取る余裕もない。そんな中では彼女が本来是としてきた「みんなと共に努力して歩んでいく」という考え方が、「みんなと共にいる」というようにずれてしまうのも、やむを得ないことであったかもしれない。
 そして春香のそのずれは、765プロアイドル各人とのやり取りの中でさらに増大することになってしまった。上記文中の中では美希のことを「ぶれがない」と強調して書いているが、実際には今話中に出た春香以外のアイドル全員が一切ぶれていない。彼女らは今まさに全力でわき目も振らずに走っているわけなのだから、それも当然のことなのではあるが、だからこそ既にずれが生じてしまっている春香と想いが重なることはなく、それ故に春香のぶれはより増大してしまったのである。
 そして極めつけは美希とのやり取りだ。美希との会話の中で春香が今の自分を否定されたということは既に記載したとおりであるが、実際には上述した二項以外にもう一つ、大きな「不幸な偶然」が存在していた。
 それは春香と美希の2人ともが、プロデューサーのことを想い、プロデューサーのために活動していたということである。
 無論美希とは違い、春香の方はプロデューサーに対する恋愛感情は含まれていない(「恐らく」という注釈がつくが)。春香の場合はプロデューサーの「みんなでライブを成功させる」という考え方が、自分の理想に近しいものであったことから共感し、それを実現しようと努力してきた。
 「プロデューサーとアイドル」という関係性の中で、アイドルの春香はプロデューサーの期待に応えたいという明確な意志を、自分の行動理念の中に含むようになっていたのである。
 思えばプロデューサーも1話の時点で「夢はみんなまとめてトップアイドル」と言っていたが、もしかすると春香はその時点で自分と同様の理想や夢を抱いていたプロデューサーに信頼を置いていたのではないだろうか。
 そして20話での社長室でのやり取りから、プロデューサーが自分を強く信頼してくれていることを改めて実感できてもいる。だからこそ今回は自分の方が奮起して、プロデューサーの信頼に応えようとする意志が働いたように思えるのだ。
 そんな自分の考え方も行動も、ベクトルは異なるとはいえ同じく「プロデューサーのため」を行動の指針としていた美希に否定されてしまったことで、春香の精神は混迷の極みに達してしまったのだと言える。
 もはや自分ではどうすることもできない状態であることは、恐らく春香本人も承知していたはずだが、無理をしてプロデューサーからの救いの手を拒んだために、ついには物理的に救いの手を差し伸べさせるような事態を引き起こしてしまい、その結果として重い代償さえも払うことになってしまった。
 その点では今話は徹頭徹尾、追い込まれていく春香の苦悩を描く物語として完成したと言える。ラストの展開は衝撃的ではあるが、直接的な描写を控えることで悲壮感を極力抑え、あくまで春香の物語におけるファクターの一環としての描き方に終始している点を見逃してはならないだろう。
 このあたりは5話における水着シーンや入浴シーンと同様、扇情的なエログロを露骨に描くような作りを否定してきたアニマスならではの演出だった。
 これら一連の、段階を踏んでの春香の追い込み方は実に秀逸だ。黒井社長のように明らかな悪意をもって行動している人など1人もいない、そう言う意味では誰も悪くないにもかかわらず、いつの間にかどんどん春香が袋小路に追い詰められていく様を、丁寧に描出しきっていた。
 そして前話から仕込まれていた春香と美希の両者間におけるギミックも、一連の描写に奏功している。
 一部とは言え両者の行動の指針が同じであるからこそ、それに基づいた行動と得た結果に差異が生じれば、その分両者におけるギャップは大きくなる。そのギャップを段階を付けて描写することが前話から仕込まれたギミックの効能だったのだ。
 さらに言うなら前述した15話における春香の美希評もそのギミックの一環と見ることができるし、深読みするなら13話で「マリオネットの夜」を熱唱した後の美希と春香のやり取りの時点から、ギミックとしての布石を放っていたと考えることもできるのである。
 ラストの容赦ない展開のみに心を奪われがちであるが、それは実際にはいくつもの縦糸を入念に、千早の時とは異なりはっきりそれとは分からぬよう各挿話間に張り巡らせてきたことによる、追い込まれていく人間の心理状態を真正面から見据えた上での作劇の結果として描かれた場面であったのだ。
 内容こそ異なるものの、1話から紡いできた物語が結実して生まれた話と言う意味においては、今話は20話と全く同質のものであると言えよう。
 そして紡がれた話はまだ終幕を迎えてはいない。これ以上ないほどに追い詰められてしまった春香の心は、次回において救いを見出すことができるのであろうか。

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 最後に余談と言うか、作品を見た上での感想のみを書くことを主旨としているこのブログでは、自分的にルールを逸脱しているようにも思うのだが、次回への期待を少し書いてみる。
 次回に期待したいのは春香個人の内省的な話に終始して終わるのではなく、春香と千早以外の765プロアイドルたちにもきちんと焦点を当ててほしいということだ。
 単に描写があればいいと言うわけではなくて、彼女たちにとって「天海春香」という仲間の存在の立ち位置を再確認させてほしいのである。
 上で「誰も悪くない」と書いたが、確かに明確な悪意を持って動いた人間は1人もいない。しかし春香は結果的に追い詰められることになった。これは裏を返せばそれぞれに一定の落ち度と言うか、欠落していた部分が存在していることでもある。
 765プロアイドルは確かに多忙のために合同練習に参加出来なかったし、それに対して完全に納得しているわけではないという所も、今話のNO MAKEから察すること自体はできる。しかしながら彼女たちが劇中で合同練習を実現させるために、自ら積極的に何かを実行した描写はない。ラジオの収録時間をずらしたり、睡眠時間を削ってまで連絡を取り合っていた春香のみだ。
 真は目の前の重大事に取り組む雪歩を支えようとした。では春香は?合同練習のために奔走する春香を誰かがフォローしたのか?自分たちはそのために何がしかの努力をしたのか?誰かが春香を支えようとしたか?
 結局春香の精神状態がいかなるものであるか、劇中では千早以外の誰も推し量ることはしなかった。普段から周りを見てごく自然に気を配っていた春香に対して、悪気や他意はないとは言えあまりに酷ではなかったか。ただ自分の考えをぶつけることしかしなかった美希は、そんな事の出来る性格ではないと承知の上で書くが、あまりに春香に対して無頓着でなかったか。
 765プロのアイドルたちは春香があまりにも自然に周囲に気を遣っているから、それに甘えているというか、春香がそうすることを普通のこととして受け止めてしまっているのではないか。だから誰も春香の状態に気づくことができなかった。そこには確実に各々の「落ち度」が存在しているのである。
 彼女たちにそれを気づかせてあげてほしい、と言うのが次回への自分の希望だ。
 あくまで個人的な希望なので、それがなかったからと言って作品そのものへの評価が変わるわけではないけども。
posted by 銀河満月 at 00:56| Comment(0) | TrackBack(7) | アニメ版アイドルマスター感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アニメ版アイドルマスター22話「聖夜の夜に」感想

 7月に放送開始して以来、ずっと我々ファンを楽しませてきてくれたアニメ版アイドルマスターも残り4回、今月放送分にて終了の運びとなる。
 1話からずっと見続けてきた身としては、早くも今から寂しさを感じてしまうわけだが、半年間見慣れた作品やキャラクターに惜別の念を抱くほど感情移入できるということは、それだけ創作物としては優秀な出来の作品ということでもあるから、ここは湧きあがる様々な気持ちを抑え、最終回までアイドルたちの物語をきちんと見届けることにしたいと思う。

 千早を取り巻く状況もようやく落ち着き、961プロとの諍いもひとまずは決着がついた。765プロにもようやく穏やかな日常が戻ってきたかと思われたが、今までとはまた別の次元で「穏やか」には程遠い日常を過ごすことになっているようだ。
 季節はもう冬。1話の時点では春だったのに、実際の時間と同様、劇中における時間の経ち方もあっと言う間である。
 そんな冬の街を、いつものように変装して仕事場に向かう春香。彼女はその通勤途中、街頭の大型ビジョンで流れていた美希の新CMに目を留めた。「relations」に乗ってアダルティーな雰囲気の美希が出演しているそのCMを見て、美希の頑張りを喜び自分もと気合を入れる春香。
 今までにもあった、そして劇中で描かれていない部分ではもっと多くあったであろう、春香のいつもの日常。仲間の努力を認め、それによる成功を素直に喜び、自分も頑張らなければと奮起する。実に春香らしい優しい考え方と言える。

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 春香は千早と共に、2人が出演する歌番組のミーティングに参加していた。千早はすっかり角が取れたような穏やかな表情になっており、そんな千早を隣で見つめる春香の表情もまた嬉しそうだ。
 2人に付き添って来ていたプロデューサーは2人に飲み物を買うが、自前の財布には穴が開いており、そこから小銭を落としてしまったり、小銭を探して自動販売機と床の隙間を覗き込んだりと今一つ冴えない様子。
 そんなプロデューサーから飲み物を贈られたことに素直にお礼を言いつつ、プロデューサーなのだから財布くらいはきちんとしてほしいと冗談めかして話す千早からは、単に角が取れたと言うだけでなく、プロデューサーに対しても春香同様に全幅の信頼を置いている様子が見て取れ、2話や12話のNO MAKEでプロデューサーの技量を疑ってかかっていた頃とは雲泥の差である。
 プロデューサーの姿に半分隠れているものの、そんな千早の変化に少し驚いた表情さえ浮かべる春香もまた印象的だ。
 それにしてもこんな他愛のない会話をこの3人で行い、あまつさえ笑い合う姿を見ることができる時が来るとは、1話から見続けてきた身としては何とも感慨深いものがある。
 楽屋にてプロデューサーが2人に披露したのは、もうすぐ行われるニューイヤーライブのポスター。765プロアイドルにとっては夏のファーストライブに続く、二度目の大きなライブだ。
 今回は「竜宮小町とその他のアイドル」ではなく、事実上全員が同質の扱いとなっているようで、ここだけでも全員が努力してきたその成果を味わうことができるだろう。13話での「自分RESTA@T!」のラスト部分の振り付けもそうだったが、地味に雪歩が目立つ位置にいるのが面白い。

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 しかし同時に、今回のライブの練習については顔を出すことができなくなりそうだと告げるプロデューサー。もちろんプロデュース業が忙しくなっているが故のことではあるが、大事なライブの練習に顔を出せないというのは、プロデューサーとしてはやはり心苦しいのだろう。
 謝るプロデューサーを取りなすのも春香ではなく千早だった。今話に限っては春香のお株を奪いかねないほどの描写だが、前述の通り春香やプロデューサーを信頼しているからというだけでなく、「春香がいるから芸能界でやっていけている」という依存的な考えからの脱却をも意味しているのだろう。
 プロデューサーとしてもっともらしく「体調管理に気をつけるように」とお説教を始める彼の姿に、春香も千早も思わず顔をほころばせてしまうが、そんな彼の口から「クリスマス」という言葉が飛び出した時、春香の眼の色が変わる。
 そう、時期はまさにクリスマス。春香は765プロアイドル全員で行った去年のクリスマスパーティのことを思い出し、今年はプロデューサーにも参加してもらってパーティを開こうと言い出す。
 いかにも年相応の少女といった発想であるが、みんなが一緒になって楽しむことが自分の喜びになる春香らしい考えとも言えよう。
 しかし今年は去年とはいささか事情が異なっていた。去年の時点では全員無名のアイドルであり、はっきり言えば暇であったからこそ全員が同じ日に集まることもできたのだろうが、今年は状況が全く異なる。765プロアイドルは全員売れっ子のアイドルなのだ。無論春香本人も例外でなく。
 ましてクリスマス、つまり年末時期となればプロデューサーの言ったとおり、年末特番やクリスマスのイベントといった仕事が目白押しである。そんな時期にアイドルがプライベートで集合するのは非常に難しいことだった。
 千早からそのことを指摘され、その理由に納得しながらも少し意気消沈してしまう春香。春香がそんな様子になるであろうことを察した上で、千早が「ダメ」とか「できない」といったあからさまな否定の言葉を用いず、言葉を選んで春香に指摘しているところが、千早の気遣いを感じられて良い。
 そんな春香の姿を見て、プロデューサーは努めて明るくパーティをやろうと宣言する。もちろん仕事が優先であるから、参加できるメンバーだけという条件こそついたものの、彼のそんな言葉に春香もパッと顔を輝かせる。

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 状況もやろうとしていることも異なるとはいえ、慰安旅行に行くことを渋っていた5話時点での彼の態度とはまったく違っているあたりも、彼の成長の成果というところだろう。
 彼はパーティを開くということ以上に春香の、プロデュースしているアイドルの笑顔を守るという、「アイドルマスター」におけるプロデュース業の根幹の一つを、忠実にこなしているのだ。
 単純にアイドル業のことを重んじるなら、春香の提案はむしろ個人的なわがままとして片付けられることかもしれないが、アイマスのプロデューサーとしては真に正しい応えであったと言える。

 ゲーム「ライブフォーユー!」でのDLC衣装である「ライブフォーヴィーナス」を着込み、壇上で「inferno」を熱唱する千早の姿に見惚れ、嬉しそうに互いを見やって微笑みあう春香とプロデューサーの間には、「アイドルとプロデューサー」というアイマスの最も基本的な関係性がしっかりと根付いていることを示唆している。
 20話に続いて千早に対し春香がプロデューサーの声真似で彼の伝言を伝えるあたりからも察せられることだろう。
 だからこそ千早がアイドルとして成長してきているのも、自分の力ではなくプロデューサーの尽力あってこそのものと言い切ることもできるのだ。無論そこには春香らしい謙遜も入っているのだろうが。
 収録を終え、楽屋で先程のクリスマスパーティについて話す春香と千早。とりあえずみんなに連絡を取ることにした春香だったが、そんな春香の視界に飛び込んできたのは、備え付けのテレビから流れる美希の新CMだった。
 続く情報番組では美希が参加したイベントの様子が放送され、「クリスマスを誰と過ごしたいか?」という問いに「好きな人である『ハニー』と一緒に過ごしたい」と、少々危なっかしい発言をする美希に少し苦笑しながらも、そんな美希のスター性を素直に褒める春香。それは千早も同様だった。
 テレビ画面の映像とは言え、「クリスマスはみんなと一緒に過ごしたい」と思っている春香の目の前で、「クリスマスは特定の人物と過ごしたい」と美希に言わせているところに、何かしらの意図が含まれているようにも思えるが、もちろん美希にさしたる他意はなく、春香も特別に何か遺恨を抱いたわけでもないようなので、ここはキャラ個人の心情に影響を与えると言うよりは、作劇上のギミックとしての機能に留まると考えるべきだろう。
 千早と別れ1人レッスンスタジオへ向かう春香は、その道すがら各アイドルに連絡を取り、クリスマスパーティを開きたい旨を伝える。しかし各人の対応は、春香の期待とは少し異なるものとなってしまったようだ。

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 プロデューサーも言ったとおり今の時期は格段に忙しいため、それぞれの返事も今一つ煮え切らないものばかり。皆参加したいという気持ちはあれど、スケジュールという現実的な問題がそれを困難なものにしてしまっていた。挙句に律子からは「優先順位を考えなさい」とお説教まで受けてしまう。
 当然と言えば当然の話ではある。公的な立場についた以上、プライベートよりもそちらを優先せざるを得ないのは、何もアイドル業に限った話ではなく、社会のほぼすべての職業に当てはまることなのだから。そこに個人の「わがまま」が介在する余地など、基本的には存在しないと言っていい。
 しかしそれは世知辛い現実世界での考え方に即した見方でもあり、制作陣が創造した「アニマス」の優しい世界は、そんな春香にそっと救いの手を差し伸べる。
 それが亜美から伝えられた、「春香より先にプロデューサーがパーティの件で連絡を取ってきた」という事実であることは言うまでもない。春香に同意し彼女のために行動を起こしている人間が、すぐそばに確実に存在している。それは春香にとって小さな、しかし確実な救いでもあった。
 内容が前後してしまうが、みんな参加したくないわけではなく、「参加したいけど難しい」というスタンスであるのも忘れてはいけない部分だろう。基本的にはみんな春香と同じ気持ちなのだ。
 そんな中でもさらにもう一つ大事なイベントがあることに触れる真と、大人ぶった態度でパーティに興味のない素振りを見せる伊織あたりが注目点であろうか。
 律子たちとの電話を終えた春香は、最後に美希と連絡を取ろうとするが、今日の美希は忙しいからとメールでの連絡に留める。
 その後の独りごちる姿も含め、決して表面には示すことのないものの、春香が「集まりたくても集まれない」現実に少なからぬショックを受けていたのは事実なのだろう。自分自身に言い聞かせるように笑顔を作って見せたところからも、それは容易に窺える。
 無論それは先ほども書いたとおり当然のことであるし、春香自身も重々承知していることであろうが、それでも春香は「何か」を感じないわけにはいかなかった。みんなの気持ちも十分理解しているからこそ、自分のその気持ちを外に向けて発露するわけにはいかないし、元々そう言ったことをするタイプでもない。
 美希との連絡をメールのみにしたのは、今の状態でだれかと話をしたら、そんな今の自分でもはっきりとは分かっていないと思われる気持ちを、もしかしたら気づかぬ内に漏らしてしまうかもしれない。そんな考えがよぎったからのようにも見える。
 最後の連絡相手が美希であったことも、先述のインタビューの件と同様にギミックの一環と考えられるが、そんな積み上げたギミックがそろそろと明確な形を持って、春香の前に現れることになる。
 スタジオでレッスンに励む春香にプロデューサーから入った連絡。それは春香と美希がミュージカルのメインに決定したという朗報だった。
 どちらが主役で準主役となるかは今後の2人の稽古次第ということであったが、いずれにしても大役であることには変わりない。この役を得たという事実は春香に一体何をもたらすことになるのであろうか。

 後日、事務所に出社した春香を出迎えたのは小鳥さんの声。と言っても春香に向けられたものではなく、忙しそうに電話応対をしている声だ。
 みんなのスケジュールが書き込まれているホワイトボードも、今までにないほど予定がぎっしりと書き込まれていることも含め、今のこの時期が本当に彼女らにとって多忙の時期であることを窺わせる。
 電話を終えた小鳥さんは、春香に彼女が出演決定したミュージカル「春の嵐」の台本を手渡す。本当はプロデューサーが直接渡したかったようだが、彼は彼で忙しい身のため、事務所には不在だった。台本だけでもいち早く春香に渡しておきたいとの厚意から、小鳥さんに台本を預けていたのだ。

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 祝福する小鳥さんにここでも春香は、プロデューサーが役を取ってきてくれたおかげと、プロデューサーの功績を褒める。しかしその通りにここ最近のプロデューサーのやり手ぶりは、小鳥さんも認めるところであった。予定で埋め尽くされたホワイトボードを用いて、小鳥さんの言葉以上にシチュエーションで語る構図は、いつもながら巧みである。
 美希と一緒に舞台で共演できることを素直に喜び、笑顔を見せる春香。その夜の千早との会話から見ても、全員一緒に仕事をする日曜の時以外は顔を合わせる機会も減ってきているようで、その意味でも同じ765プロの仲間同士で共演できるということは、春香にとって裏表のない、この上なく嬉しいことなのだろう。
 その千早は楽曲の海外レコーディングが決まったとのことで、歌い手としてさらなる成長を果たすべく、千早らしい物静かな口調で抱負を春香に語る。

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 ニューイヤーライブの時期と重なってしまうことが唯一の懸案事項であったが、765プロ主催のライブを自分の「原点」とし、可能な限りは練習に参加すると述べる千早。アイドルとしてデビューを果たし、紆余曲折の末に大きな成長を遂げ、そして苦悩の果てに自分の過去をも乗り越えた、乗り越える力をくれた人たちがいる所。アイドルとしての千早の変遷のすべてがつまっているのは765プロであり、そこにいる人たちであり、みんなと一緒に取り組んだ仕事の数々。確かに千早にとってはそれらすべてが今の自分の原点と言えるだろう。
 千早が素直に気持ちを口にしたからか、春香は今まで誰にも明かさなかった自分の心情の一端を、良くも悪くも彼女らしく歪曲した表現で吐露する。
 これまでずっと一緒に行動してきた他のアイドルたちと、会うことも話す機会も以前より減ってきている。良くて毎週生放送される日曜の「生っすか!?サンデー」収録時に集まれるくらいだ。その現実に春香は戸惑っていた。しかし彼女は自分の戸惑いを否定的な、ネガティブな言葉を使って表現することはしない。春香は今や一番の親友となったであろう千早の前でさえ、自分の弱い部分を見せようとはしなかったのだ。
 これはもちろん春香本人の性格に拠るところが大であろうが、何より彼女自身も自分がなぜ戸惑っているのか、明確には理解できていなかったのではないだろうか。彼女はアイドルである点を除けば「普通の女の子」である。ごく普通の少女に、内心に生じたもやもやした気持ちを正確に分析、考察し、それを対応する言葉に置き換えて他人に伝えるなどという図抜けた真似など、容易にできることではないだろうから。
 またあくまで今の状況が一時的なもので、すぐ以前の状態に戻るとある程度は楽観視していた節も、心情の吐露を早々に止め、全員が集まれるはずのクリスマスパーティに想いを馳せるところから窺えよう。

 そしてついにクリスマス当日。新曲「My Wish」に乗って煌びやかに彩られた町並み、そしてそんな中それぞれの場所で仕事に励むアイドルたちの姿が描写される。歌番組に出演する者、クリスマスライブを開く者、クリスマス特番や正月特番の収録に参加する者、聖歌隊に扮して歌を歌う者…。
 ちらちらと降り始める雪の中、思い思いの形でアイドルたちはクリスマスという日、聖なる夜を過ごしていた。そんな彼女たちにとって、その後開かれることになる極々ささやかなな「パーティ」は、どのような存在として受け止められているのだろう。
 そのパーティを誰より心待ちにしていた春香もまた、収録が押してしまったために事務所へ戻るのが遅れてしまっていた。しかし事務所には春香だけでなく、他のアイドルたちも戻ってきていないことを小鳥さんから聞かされ、さすがに春香も少し不安がる。自分自身が仕事を理由に遅れてしまっていることが、余計に彼女の不安をあおっているのかもしれない。
 そんな春香を始めアイドルたちの事情を知りながらも、クリスマスツリーを飾りつけてみんなを待つ準備を整えている小鳥さんの姿は、前話で触れたとおり「アイドルを支えたいと願う」スタンスとしての面目躍如と言えるものだろう。

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 挿入歌「あったかな雪」をバックに、駆け足で事務所への道をひた走る春香だったが、とある店の前でその急ぐ足を止める。
 そこはケーキ屋であった。クリスマスと言えばやはりケーキがつきものということで、春香は大きなホールケーキを1つ購入する。それは無論アイドルたちが全員事務所に戻ってきて、全員でケーキを食べることになると信じたからこそであるが、購入の際に「余ってしまうかも」とショートケーキとどちらを選ぶか少し逡巡したところに、未だ胸中にかすかな不安を抱いている様子が見て取れる。
 ケーキを購入し改めて事務所へ走り出した春香は、しかしまたとある店のショーウインドウの前で足を止めた。そこに展示されていた男物の財布に目が向いたのだ。
 思い出されるのは、穴があいているというプロデューサーの財布。恐らくは多忙のために財布を買いに行く暇すらないのであろうプロデューサーのことを思い、春香は財布を見やりながら小さく頷く。

 やっと事務所のビルに到着した春香。そしてそれに合わせるかのように、千早もまた同じタイミングで姿を見せる。千早の手にもクリスマス用のケーキがあるのを見、春香は思わず顔をほころばせる。
 雪降る夜の空を見上げる2人。そう言えば1話でも2人はビルの入口で、雨雲の出てきた春の空を見上げ、春香は咲いている桜が散ってしまうかもしれないことを気にかけていた。
 演出上の意味や共通項と呼ぶべきものは存在していないのだろうが、それでも見上げる空もその空から来るものもあの頃から随分と移り変わり、そんな空を見上げている春香たちもまた同様に移り変わった。変わるために邁進し続け、今も変わり続けているアイドルたちが、ただ一つ何があっても変わることなくそびえ立っている「場所」の入口で、あの頃と同じように空を見上げるというシチュエーションは、彼女たちの本質そのものはあの頃から何も変わっていないことを指し示しているようにも思える。
 自分たちがどれほど変わったとしても、最後に自分たちが戻ってくるべき「場所」がそこにはある。そしてそんな考え方は春香たちだけのものではなかった。
 事務所のドアをくぐった春香たち2人を出迎えてくれたのは小鳥さん、そして先に戻ってきていた貴音、真、真美、響、やよいのアイドル仲間たち。5人はプロデューサーがスケジュールを調整してくれたこともあり、どうにかパーティに間に合う時間に戻ってくることができたのだ。
 自分と同じような忙しさを抱えているにもかかわらず、自分よりも先に到着し準備をしていてくれた仲間たち、そして自分たちのためにギリギリまで調整してくれたであろうプロデューサー。そこにあるのは「みんなでパーティを楽しみたい」という単純な、そしてごく普通の願いがあっただけであるが、それはアイドル全員の本心からの願いでもあった。それは真美や真たちもまた春香と同様に、全員が食べられるよう大きなホールケーキをそれぞれが購入してきていたということが明確に示している。
 春香や千早だけではない、みんなの本質もまた昔から何も変わっていなかったという事実は、春香を大いに喜ばせ安堵させたであろうことは間違いない。

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 同時にまだこの時点では姿を見せていないプロデューサーの功績も忘れてはならないだろう。単にアイドルプロデュースに終始する人間であるなら、私的なクリスマスパーティなどにわざわざスケジュール調整までして協力するはずもない。今回の彼の行動は、アイドルであると同時に「年頃の女の子」でもある彼女らを支えるという彼のスタンスを改めて明示したものと言える。

 少し遅れて到着したのは雪歩。事務所に入ってきた彼女にみんなは花束を渡しながら声をかける。「メリークリスマス」、そして「ハッピーバースデー」と。
 これが真の触れていたもう一つのお祝い、すなわち雪歩の誕生祝いであった。12月24日は雪歩の誕生日。Aパートから真の言葉で触れられていたことではあったが、雪歩自身の口からはその話題が出ることは全くなかっただけに、ここできちんとお祝いされたことに驚き喜んだ視聴者もいたのではないだろうか。
 雪歩の驚きの表情からは、クリスマスのパーティに参加できるかどうかというギリギリのところでそれぞれが仕事をこなす中、この上自分の誕生日のことまで話せば、さらに無理をしてでもパーティを開こうとしかねない。765プロの仲間はそう言う人たちだと知っているからこそ口にしなかったという、雪歩らしい控えめな気遣いがそこにあったと察せられるだけに、皆から誕生日を祝福されて微笑む雪歩は本当に幸せそうで、見ている側としても何とも心地良い描写に仕上がっている。

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 続いて到着したのはクリスマスライブを終えた竜宮小町の面々。事務所に入ってきた亜美が最初に声をかけたのが春香なのは何気ないことではあるが、今回のパーティを開くための一番の功労者が誰であるか、演出的に表現していると言えるだろう。
 打ち上げの途中だったが主役がいないと盛り上がらないだろうから、「仕方なく」こっちに来たと話す伊織の相変わらずな態度に思わず苦笑する一同だったが、すぐに入った亜美のツッコミからも伊織がパーティのことをかなり楽しみにしていたことが窺え、それがばれたことに狼狽する伊織の姿も含め、すっかり「いつも」の事務所の風景が戻ってきたような感じだ。

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 社長室で何事かを電話で話している社長は置いておくとして、ようやく最後のメンバーである美希とプロデューサーも到着し、事務所の中は俄かに活気づく。美希もきちんと雪歩のバースデープレゼントを買ってきているところが、細かいながらも好い演出だ。
 そんなみんなの様子を喜んで見つめるのが、Aパートで春香やプロデューサーの提案に苦言を呈していた律子というのは、彼女もやはり一個人としてはパーティを開き、全員に参加してほしい気持ちがあったからに他ならないだろう。そんな彼女の気持ちをみんなの様子を見やった時の感想、そして遅れて到着したことを謝罪したプロデューサーに対する「いえいえ」の一言に集約させている点は見事である。
 しかし既に上述したとおり、全員出席してのパーティを開催することができた、本当の意味での最大の功労者はプロデューサーではない。千早の言う「みんなでいることを大切に想う人」、その人の意志が何より強い原動力となっていた。
 みんなと共に目標に向かって努力し続け、みんなと一緒に困難を乗り越え、その上で結果を出してこれたからこそそれが正しいと信じられるし、これからもその通りにやっていけば大丈夫と信じられる。そしてそんなみんなと育んできたものは一朝一夕に出来上がるものではなく、平素からの繋がりによって生み出されるものであることも知っているから、皆で一緒に一つの事を成すという点に拘った。例えそれがプライベートでのことであっても。
 そんな彼女の想いを汲んで、プロデューサーはスケジュール調整という形で彼女の背中を後押ししたのだ。彼女の想いが765プロアイドル全員の原動力になると知っているから、自分もかつてその想いに救われた経験を持つからこそ。
 プロデューサーと同じ経験を持つ千早の視線の先には、全員集まった事務所の中でいつもどおりにふるまう少女の姿があった。笑顔を見せたり少しドジな一面を見せたり、それは千早が久々に見たかもしれない、彼女の普段通りの楽しげな姿であった。

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 社長室から出てきた社長も交え、全員の乾杯を皮切りにしてクリスマスパーティはにぎやかに開幕する。
 プレゼント交換や雪歩への誕生日プレゼント譲渡、プレゼントの開封、そしてちょっとしたおふざけと、そこにあったのはごく普通の楽しげなパーティ。そこには「アイドル」ではない、アイドルでもある「女の子」たちの姿が確かにあった。ほんのひと時、彼女たちはアイドルとしてではなく年相応の少女としてパーティを楽しんだに違いない。去年パーティを行った時と同じように。
 そんな中にも響の受け取ったプレゼントが誰からのものか一目でわかる代物であったり、パーティの様子をビデオに録画しているのが律子であったりと、前話までの描写をこれまたさり気なく盛り込んでいる。
 殊に5話での慰安旅行もそうだが律子が記録係を買って出ることが多いというのも、普段からのアイドルたちのやり取りや繋がりを、それこそ春香と同様に重視しているからかと考えてみると面白いかもしれない。
 そしてテーブルに並べられた対象のケーキを見やって、はたと困ってしまう一同。それは全員それぞれケーキを購入してきたからというだけでなく、ほとんどのケーキがホールケーキだからであった。
 みんな春香と同様に、全員が参加すると考えていたからこそ大きいケーキを選んだわけであり、それだけを考えると春香と同じくみんながそれぞれ仲間たちを大事に想っていることが十分伝わってくるエピソードとなるのだが、同時にケーキは誰か1人が代表して買えば済むものでもあるわけで、そのあたりの細かい意志疎通を行うことができていなかった、恐らくそんな暇も余裕もなかったであろうことも察せられ、あくまで視聴者視点からのものではあるが、笑って済ませられるほど根っこは簡単なものではないことも感じ取れる。
 バースデーケーキに付けられたろうそくの火を雪歩はどうにか吹き消し、ケーキを切り分ける段になって春香はあることを思い出し、荷物を置いた応接室へと向かう。
 春香が荷物の中から取り出したのは、事務所へ来る道すがら、見かけた店で購入した財布だった。彼女は恐らくクリスマスプレゼントとして、プロデューサーのために財布を購入していたのだ。
 しかし春香が財布を手にとって戻ったのと同時に、社長が不意に咳払いをしてみんなに呼び掛ける。社長が「重大発表」と称したその内容とは、美希の「シャイニングアイドル賞」新人部門受賞というものだった。賞そのものについては具体的に説明されていないものの、各人の驚きようから察するに、かなり権威のある賞のようだ。
 ところが美希はその重大性を理解していないのか、彼女自身は賞をもらったことに関して格別の感慨を漏らすことなく、いつもの彼女らしいマイペースさであっけらかんと、貰った賞をクリスマスプレゼントとしてプロデューサーに贈り、プロデューサーも仲間たちも心から彼女の受賞を喜ぶ。

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 律子さえも苦言を呈しながらお祝いの言葉を述べる一方で、プロデューサーへのプレゼントを手に持っていた春香は、それを誰にも気づかれることなくそっと後ろに隠してしまった。
 別に恥ずかしがらなければならない類のものではないし、元よりプロデューサーが春香からのプレゼントをもらって喜ばないはずもない。美希の受賞自体は春香も素直に喜んで祝福しているのだから、彼女に特別妙な感情を抱いた故のことでもないだろう。
 アイドルとしての成果が告げられ、その成果を皆で喜ぶ。それ自体は非常に微笑ましい光景だ。しかしそれは同時に、今まで「女の子」として楽しんでいたパーティの席に突然「アイドル」としての立場が割り込んできたことにもなり、アイドルという自分たちの立場にもやもやした形にできない想いを抱いている今の春香にとってそれは、基本的に前向きな彼女をして一歩引かせてしまうほど唐突で強引なものに思えたのではなかったか。

 パーティも終盤に入り、サンタクロースのコスチュームを亜美真美と美希が披露する中、その様子を春香と真は少し離れた場所から見つめていた。
 奇跡みたいなことが次々に起こる日だと振り返る真。そこには美希が大きな賞を受賞したことや、それぞれがそれぞれ全員用の大きなケーキを購入してきていたという幸せな偶然、そして何より今日という日に全員が事務所で一堂に会することができたという事実に対しての感慨が込められていた。
 春香は「だってクリスマスだもん」とそんな真の言葉を肯定したが、それは春香の考えている意味とは別の次元で真理であった。クリスマスという特別な日、特別な時に開かれるパーティだからこそ、春香は全員で参加することを願い、そんな彼女の希望に共感した人々の働きもあって、今回のパーティは実現できた。それは逆に言うならクリスマスという特別な日程がなければ、全員集まることができなかったことにもなる。
 全員それを望みながら、おいそれとそれを実行することができない現実。その望みが叶った一日限り、一夜限りのまさに「奇跡」を見やりながら、真が思い出したのは5話でのこと、夏の慰安旅行の夜に春香の言った言葉だった。
 「来年の自分たちはどうなっているか」。まだまだアイドルとしては芽が出ず、将来どうなるかもわからないまま、それでも夢を信じて歩んでいた頃、そんな自分たちの夢を語り合った他愛のないやり取り。
 しかし今やあの時に語った夢は、ほとんど現実のものとなっている。レギュラー番組も持てたし、大きなライブもやれた。CDも何枚も出せているし、可愛い衣装を着ることも一応できてはいる。あの時話した会話の中で叶っていない夢は「トップアイドルになる」ことくらいであるものの、真の言うとおり、765プロアイドルはもはや名実ともに売れっ子アイドルなのだ。
 かつて春香の言ったとおりの姿に自分たちはなることができた。では今後は、これからはどうなるのか。あの時春香が寂しそうに語った通り、アイドルとして人気の出た自分たちは、来年は集まれなくなるのかと不安を素直に漏らす真。
 彼女もまた春香と同様の不安を抱いていたのだ。そして恐らくそれは真だけでなく、765プロアイドルの全員が少なからず抱いているものでもあるのだろう。春香の呼びかけやプロデューサーの助力はあれど、最終的には「パーティに参加したい」という自分の意志に従って皆が駆け付けたこと、それが何よりの証と言えよう。
 そんな2人にあの夏の日と同様に伊織が声をかけてくる。かつて同じような不安を春香が口にした時に「なってから考えなさい」と言っていた伊織は今、「ファンと一緒に過ごすクリスマスの方がアイドルらしい」と、今の多忙さと真正面から向き合っていた。それが伊織の出した結論だったのだ。
 それはアイドルとしてはまったく正しい姿勢であろうし、だからこそ真もそれに共感したのであるが、春香はその言葉や考え方を肯定しながらも、それでも視線を落としてしまう。
 給湯室で後片付けをする春香と千早。みんなのいる賑やかな雰囲気を喜ぶ春香に、千早は先程の伊織の言ったとおりかもしれないと返す。少しずつ色々なことを変えていくことが、前へ進むと言うことなのかもしれないと。
 そんな千早の言葉に寂しそうな笑顔を見せながら、かすかに目を震わせる春香。千早の言ったこと、そして伊織の言ったことも春香は理解はしているし、正しいとも思っているのだろう。自分自身もアイドルとして成長する過程で、いろいろなものが変わっていったことを実感してきているのだから、それを否定することは春香にはできることではない。
 しかしそれを完全に認めることもまた春香にはできなかった。そんな春香の胸中を察したのか、千早は静かに言葉を続ける。「変わってほしくないものもある」という彼女の言葉は、単に春香を思いやっての言葉というだけではなく、紛れもない千早本人の偽らざる本音でもあったろう。
 一度は拒絶しても変わらず自分のことを想い、自分のために最後まで考え行動してくれた春香。自分を凍りきった冷たい世界から救い出す最も強い力を生み出したのは春香のそんな姿勢であるということを、誰より千早が一番よく知っているからこそ、春香にも、春香が春香でいられる世界にも変わってほしくないという気持ちがあったのだろう。そんな世界こそが、かつての自分がそうであったように、765プロのすべての人々が同じように幸せになれる世界であるはずだから。
 それを受けて春香も再び満面の笑顔を取り戻し、来年も再来年もまたみんなで集まれればいいとの願いを口にする。それは千早にだけ明かした、恐らくずっと以前から抱いていたであろうささやかな、しかし春香にとっては大切な夢の一つでもあった。

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 亜美真美に呼ばれて給湯室から出てきた春香の視界に入ってきたのは、いつもの765プロの風景。ある者は騒ぎ、ある者はふざけ、ある者は注意し、ある者は笑う。そこにはアイドルの仲間たちに律子、小鳥さんに社長、そしてプロデューサーと、765プロ全員の姿が並んでいる当たり前の光景がある。だが春香にとっては765プロに入ったその日からずっと見続けてきたであろう、大切な光景でもあった。
 その輪の中に入っていく春香の顔は笑顔だ。しかしこの光景は果たしてこれからも「当たり前」であり続けることができるのか、その僅かなもやもやが春香の心から完全に払拭されたわけではない。プロデューサーへの春香のプレゼントがついに渡されなかったことも、それを暗示していると言えるかもしれない。

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 新曲ED「Happy Christmas」に合わせて挿入されるED映像は、本編での描写や会話を反映してか、6話以来の全員集合一枚絵スクロール。クリスマスの夜、様々な人たちの想いと努力により集まることのできた765プロの全メンバーが、彼女らの集まるべき場所である765プロの事務所へ向かっているイラストというのが、今話で描いてきたことを端的に象徴している。
 アイドルたちの着ている衣装もかつてはCD「Christmas for you!」のジャケットイラストにて着用し、後にゲームのDLC衣装として配信され好評を博した「ホーリーナイトドレス」で統一されているのがうまいところだ。さすがに最新作「2」で先月配信されたばかりのクリスマス衣装「ホーリーナイトギフター」の方は、アニメに反映する時間がなかったというところだろう。

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 今話は一言で感想を書くならば「難しい」話となった。春香という少女は千早とは別ベクトルで自分の本心、とりわけネガティブな部分を発露することがほとんどないため、かつての4話における千早の描写と同様、彼女の内心を推し量るのは今話の段階では視聴した個々人の感性や思考に拠る部分が大きくなってしまいがちである。
 だから結局その時々の状況における彼女の心の変遷は、結局見ている側が乏しい情報を元に類推するだけになってしまうので、感想を書く際は「難しい」のである。そう言う意味では今話の立ち位置は、恐らく今後に控えているであろう春香を中心とした最後の物語を迎える上での、蛹の段階とでも呼ぶべきものだと言える。
 とりあえずはつつがなく終了した今話ではあるが、その実はかなり微妙なバランスの上に成り立っており、その均衡はいつ崩れてもおかしくない状態である。
 本文中では春香の感情を「不安」と書いてはみたが、その不安な感情すら何が原因なのか、そもそも本当に不安の感情を抱いているのかも、今話を見る限りでははっきりと示されておらず、そう言う意味では確かに「もやもやしたもの」と言えるだろう。
 先程書いた通りではあるが、今話では意図的に情報、特に春香の心情に関する部分の情報については意図的に曖昧にしている側面があり、それが却って春香自身も自分の気持ちがどういう状態なのかわかっておらず、それに戸惑っている様を視聴者に印象付けている。
 その春香描写の曖昧さと合わせ、今話で特筆すべき点と言えば千早であろうか。前話までの経験を経て千早が大きく成長したことは今更言うまでもないが、今話ではすっかりと言っていいほどに、前話までの春香の立場と完全に入れ替わり、春香をフォローする側に立っている。
 この処置はもちろん千早の成長を如実に表現した演出であるが、それ以外にも千早が春香のフォローに回ることで、逆に春香を今までの立ち位置から切り離し、天海春香という個人を改めて浮き彫りにしているのだ。
 また千早に春香よりも多く会話をさせることで春香に多くを語らせる必要性を与えず、それが結局春香の本音の吐露をも封じる結果に繋がっている。
 見ようによってはこの上ない皮肉とも取れるこの演出、次回の話に何かしらの影響を及ぼすことがあるのか、興味は尽きない。

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 小鳥さんの自虐的なナレーションとは裏腹に、今まで見せたこともないような暗い表情を浮かべる春香。それの意味するところは何であろうか。
posted by 銀河満月 at 00:44| Comment(0) | TrackBack(5) | アニメ版アイドルマスター感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする