2019年02月11日

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)36話「日本全妖怪化計画」感想

 前話にてアニエスが本当の意味で鬼太郎たちの仲間となったところを描いたこの西洋妖怪編、いよいよ今話と次の話の前後編がクライマックスとなる。
 当然今話の出だしはアルカナの指輪を求めて再襲来したバックベアード軍団と鬼太郎たちとの戦いになるわけだが、単なる闘争以上の意味を持たせるためのギミックとしてまなに指輪を拾わせているのは作劇上の都合と言ってしまえばそれまでなのだが、名無しを登場させてそこにも何らかの作為が働いているであろうことを匂わせ、ご都合主義的な脚本上の強引さを回避している。
 まなの拾った指輪を巡って鬼太郎はアデルと、子泣き爺はヴォルフガングと、ぬりかべはフランケンシュタインと、ねこ娘はカミーラとそれぞれ四者四様の戦いを繰り広げる。カラスを通してまなとアニエスの関係性を知っている鬼太郎がまなのことを「(アニエスの)友人、だろうな」とアデルに伝えるシーンは、アニエスだけでなくまなに対しても一定の信頼を抱いていることが感じられてなかなか良い。原作の展開に沿うならフランケンと戦うのは子泣きがいい(5期ではやってた)とかいう点で原作ファン的には若干の不満がないでもないが、まあそれはそれだしそれで今話の展開に水を差されるようなものでもないだろう。
 鬼太郎たちの助力を得て指輪と共に逃げるまなだが、鬼太郎を一旦退けたアデルが再びまなを襲い、アニエスの助けも及ばず指輪は奪われてしまう。指輪と共に高所から落下していたまなを掴んだのはアデルだったが、それは単に指輪を手に入れるためだったのか、それとも妹の「友人」であるまなにある種の興味が働いたのか、この描写だけではどちらとも言えないがそこは見る人が判断するべきところなのだろうか。
 だが結局まなはアニエスの助けも間に合わず落下してしまい、駆けつけた鬼太郎もバックベアードの不意の攻撃を受けて別空間=ベアードの空間に閉じ込められてしまう。

 アニエスもアデルに捕らえられまさに絶体絶命となった時、アデルはアニエスではなく自分が指輪をはめ、自分自身をコアにしてブリガドーンを実行しようとする。アデルもまた魔女の一族の運命に抗い、せめて妹のアニエスだけは自由にしてやりたいと願っていた、そのためにベアードの下で忠実な部下として今まで行動していたのである。魔女の運命に従って大切な家族を失う悲しみを彼女はアニエスと同様に抱いていた、そして母親を失った今、さらに妹をも失う悲しみを味わいたくないがためにずっと行動してきたのだった。
 正直に言えばこのシークエンスこそ強引に思わないではない。勿論アデルの真意が他の登場人物、引いては視聴者側にもばれないようにするためには安易に伏線になりそうな描写を織り込むことは難しかったろうが、あまりにも何もなさすぎて唐突すぎる印象はどうしても付きまとう。Aパートで見せたまなを助ける描写にそれらしさを感じられなくもないのだが。前話でアニエスが回想していたようにアデルもまたアニエスとの過去のやり取りを思い出させるなりして「(かつては)妹を大切に想っていた」くらいのシーンはあっても良かったかもしれない。
 しかしそのアデルの考えもバックベアードには見透かされていた。さらに元々の魔力が足りなかったためにブリガドーンは発動せず、ベアードはアデル、さらには捕まえた鬼太郎をも人質にとってアニエスにコアとなることを強要する。
 目の前で大切な仲間、そして姉が傷つく様を見せつけられ、アニエスに耐えられようはずもない。アニエスは自分をコアとしてブリガドーン計画を発動させてしまう。その魔力はあっという間に暗雲の如く空に満ち、人間たちは妖怪に変貌していく。そして変わりゆく人間たちから放出される黒い念をどんどんと集めていく名無し。

 と、文章で書けば今話の内容と感想は大体こんなものだけど、バトル主体の話は感想を書くのが難しい(笑)。
 とりあえず気になったのは上記のアデルの真意関連の部分くらいで、西洋妖怪編のクライマックスとしては十分な出来だったんじゃないだろうか。他の西洋妖怪と鬼太郎ファミリーの戦いがあまり描かれてないのはちょっと物足りない気もしたけど。
 鬼太郎があまり活躍できずやられる描写が多いのは、まなにちゃんちゃんこを貸し出しているという点もあるのだろう。原作どおり後編の次回ではちゃんちゃんこさんのブチギレ大活躍を期待したいところである。
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2019年02月10日

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)35話「運命の魔女たち」感想

 西洋妖怪編も折り返しを過ぎ、明確に鬼太郎自身がバックベアードと敵対する理由を見出したことで再び激しい戦いが起きることを予感させる流れになってきたが、その渦中で仲間としての絆を培ったはずのアニエスは鬼太郎の元をまたも離れていってしまう。
 彼女が何を思い、その思いに鬼太郎はどのように応えるのか。最終決戦の前に今一度両者の気持ち・決意を明示する儀礼的な話が今話の主な内容である。

 アニエスが自分の過去と自分自身に秘められた事情を最初に打ち明けた相手は鬼太郎ではなく、鬼太郎よりも前に友達として関係性を築いていたまなだった。
 まなと仲良くなれた場所でアニエスはゆっくりと語り出す。姉のアデル、そして母親と楽しく暮らした幼い日のこと、優秀な姉にコンプレックスを抱いてきたこと、些細なきっかけで見せた魔法の力の一端がバックベアードの目にとまったこと、そしてブリガドーン計画とアルカナの指輪のこと…。
 アルカナの指輪がその力を最大限に発揮するには強い魔力を持つ魔女の命を生贄に捧げることが必要だった。アニエスの母もかつてその「運命」に従って命と引き換えにブリガドーン計画を発動させていたのである。そしてバックベアードは日本でブリガドーンを実行するためそのコアに、つまり次の生贄としてアニエスを選んでいたのだった。アニエスはベアードの命に従って生贄になることに、そしてそれを受け入れて母を見殺しにしたアデルに、魔女である自分が当然持つべきものとして存在していた「運命」に反発して遁走してきたのである。
 彼女にしてみれば母の死の直接の原因であるベアードに従いたくないという気持ちも当然あるだろうが、それと同等に幼い頃はいつでも一緒だったという姉のアデルが変わってしまったことに対する反発心もあるのだろう。アデルを姉として慕っていたからこそ今のアデルがしていることを認めることができない、複雑な胸中を吐露するアニエス。
 そしてその気持ちはアデルの方も同じだった。アデルは魔力の才能を見いだされベアードに選ばれた妹という存在に嫉妬していたのではないかと自問する。殊更に魔女一族の誇りに固執するのはその裏返しではないのかという苦悩さえその表情には浮かべており、彼女も決してベアードを盲目的に信奉しているわけではないということがわかるのだが、その苦悩さえも強い意志の元に抑え込み改めてアニエスと指輪を手に入れようと決意するアデル。

 そしてアニエスは自分の正直な気持ちをまなに打ち明ける。指輪を破壊するため、ブリガドーンを止めるために最初はただ利用するつもりだった鬼太郎たち、そして人間であるまなと仲良くならなければよかった、そうならなければ「巻きこみたくない」という思いを抱くことなどなかったのにと。
 これまでにもたびたび見せてきたアニエスの優しさを考えれば、仲間として迎え入れてくれた鬼太郎たちを大切に思う気持ちも、それ故に鬼太郎たちを巻き込みたくないと考えるのも当然であろう。彼女はバックベアードや配下の西洋妖怪だけでなく、自分自身の背負わされた運命ともずっとただ1人で戦ってきたのである。
 優しさ故にずっと苦しんできたであろうアニエスの心を救ったのはまなの言葉だった。友達になれて良かった、巻き込まれたなんて思わないと言うまなの素直な想いは、1人で苦しんできたアニエスの乾いた心を潤すには十分であったろう。アニエスがまなに抱きつき涙を流すのは1人で運命に抗い続けてきたアニエスが初めて他人を、仲間を頼った瞬間でもあった。
 その上でまなは改めて鬼太郎に相談するようアニエスに持ちかける。いささか逡巡しながらも友達であるまなの言葉を信じ、鬼太郎の下へ向かうことを決意したアニエスは、まなの手に感謝のキスをした後ゲゲゲの森へと向かう。
 森に入ってきたアニエスを妖怪たちは警戒し、果ては石まで投げて追い出そうとするが、そこに現れたねこ娘がアニエスを静かに後押しする。それに呼応するかのように続々と姿を見せる砂かけ婆に子泣き爺、一反木綿にぬりかべ。ねこ娘に限っては途中からだがアニエスとまなの会話を目撃していたこともあり、それを踏まえてのこの行動だろうが、それ以外の面々が敢えて言葉を発することなくアニエスの下に集まってきたのは、もはや会話を改めて交わさずともその想いが1つになっていることの証左なのだろう。多くの妖怪たちがアニエスの存在自体を拒絶する中、見知ったレギュラー妖怪であり、そして視聴者にとっては「ファミリー」として定着している妖怪たちがただ一つの目的のために集結する様は否応なしに高揚させてくれるではないか。

 集結した仲間たちの想い。それは彼ら「ファミリー」の中心に常にあり続ける1人の妖怪とも同じだった。注意して見ているとわかるが、アニエスとまなの会話は最初からカラスがずっと見続けていた。この世界において情報伝達役として重要な存在でもあるカラスは、アニエスの事情をすべて見て聞いていたのである。すべての事情をある妖怪に伝えるために。
 恐らくはアニエスが訪れる直前に彼はカラスからすべての事情を聴いていたのだろう。だから彼は敢えて多言を口にすることはなかったに違いない。助けてというアニエスの短い言葉に今の彼女の想いすべてが込められていることを彼は理解し、その必死の想いに応えたのだ。これこそが「ゲゲゲの鬼太郎」なのである。
 鬼太郎はなおもアニエスを追い出そうとする妖怪たちにはっきりと宣言する。ベアードの作る世界は単なる妖怪の世界ではなくバックベアードの世界であり、ただ1人の存在に支配され互いが互いを監視し合うような世界はまっぴらだと、そしてそれを果たそうとするベアードとは1人でも戦うと。
 忘れられがちだが鬼太郎もねずみ男とは別ベクトルながら、ねずみ男と同様に何にも縛られないという意味での自由人的気質を持っている。勿論「正義の味方」としての考え方も鬼太郎の大事な信念であるからまるっきりねずみ男と一緒というわけではないが、以前の3話でも片鱗をみせていたその気質が、今話にて最大限に炸裂したと言えるだろう(さらに言うなら結構とんでもないことをしでかし続けているねずみ男と悪友の関係を保ち続けているのも、根本が似通っているからである)。

 来たる最終決戦に向けて鬼太郎側の決意は固まった。その時とタイミングを同じくして出現するアルカナの指輪。指輪を求めて再び日本へ向かうバックベアード軍。そして暗躍する名無し。
 最後の戦いはいかなる結末を迎えるのであろうか。
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ゲゲゲの鬼太郎(第6期)34話「帝王バックベアード」感想

 別作業を優先していたら鬼太郎の感想を書くのがすっかり遅れてしまった。5期の感想も結局中途半端に終わってしまったし(まあ全体の4分の3くらいは書いたんだけどね…)、早く最新話に追いつくようにしていかないと。

 今回の話はこれまで顔見せ程度だった出番のバックベアードがメイン。力と力をぶつける話ではなかったものの、鬼太郎とベアードの思想・信条的な対立を決定づけるという点では両者の初「対決」話と言ってもいいだろう。
 今期のベアードは原作やこれまでのアニメ版におけるベアードのような「球体の体で中央に目がついている」存在と違い、存在そのものが別空間に存在しており周囲の黒い部分は空間の裂け目で、別空間から目だけを突き出しているという存在に改変が成されているが、今話はその改変が生きた話でもあった。28話でも少し描写があったが本体が別空間に存在しているから自分自身が移動することなく、どこからでも常にこちら側の世界の至る所を見やることができるという設定が加えられたことで、アニエスやねこ娘たち仲間妖怪の居場所を容易に見つけ虜にするというやり口に説得力が付与されている。
 さらに言えば妖怪大戦争後のアニエスや鬼太郎たちの行動さえも筒抜けだったのかもしれない、指輪が見つかるまで泳がされていただけだったのかもしれないと考えると、バックベアードの帝王としての圧倒的な実力と恐ろしさが窺い知れるわけで、今話の時点ではそれほど出番のないベアードの存在感を見せつけるには十分な能力設定だろう。
 そのような具体的な力を見せつけるだけでなく、鬼太郎の仲間たちを攫ったりねずみ男たちを甘言で惑わせてアニエスを精神的に追い詰めていくという卑劣な手段を行使してくるところは、いかにも「悪の軍団のリーダー」らしい完璧な敵役としての立ち回りであった。ましてその直前に悩みながらも妖怪バスツアーに参加しようと手弁当を作るアニエスと、それを微笑ましく見守る砂かけ婆たち妖怪アパートの面々を描写したばかりである。鬼太郎や日本の妖怪たちとも打ち解けたい、仲良くなりたいというアニエスの純粋な気持ちを見せておいて、そのアニエスの優しさを巧みに突く作戦を用いてくるやり口は、バックベアードという妖怪の恐ろしさを印象付けるという意味でもこれ以上ないほどに効果的であったろう。

 それ故にクライマックス、操られた仲間たちと戦うことを強要される窮地に立たされながらもベアードに屈することなく仲間たち、そしてアニエスも全員救って見せると決然と言い放つ鬼太郎の姿は非常に凛々しくカッコいい、正しく正義の味方・ヒーローであった。そしてそれはいみじくもバスツアーに参加することをためらうアニエスがまなに受けた「アニエスはどうしたいの」という助言と同じく、自分の心が求めるものに素直に従った故の決意であり、この時ようやくアニエスと鬼太郎は「共にありたい」という1つの想いを共有することができたのだろう。
 その想いに絶望の中の光を見出したアニエスは鬼太郎と協力し合うことでベアードからの脱出に成功する。鬼太郎だけでなくカミーラに騙されていたとは言えアニエスを追い出そうとしていたねずみ男が、唯一の武器である最後っ屁と「屁子力」による爆発で鬼太郎をアシストした点も、鬼太郎単独ではなく鬼太郎「たち」がアニエスを救うという骨子の暗喩になっており、同時にねずみ男らしいフリーダムぶりをも体現している名シーンと言える。
 この瞬間、アニエスはいわゆる鬼太郎ファミリーの一員になったのかもしれない。

 しかし想いを共有したはずのアニエスは、いやだからこそなのか、さよならの言葉を残して鬼太郎の元を飛び立ってしまう。ベアードの残した「ブリガドーンのコア」という言葉の意味も含め、アニエスの胸中は次回で明らかになるのだろうか。
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2019年01月13日

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)33話「狐の嫁入りと白山坊」感想

 白山坊という妖怪も1話限りの適役にしては知名度の高いキャラクターではないだろうか。狐そのものが日本の様々な昔話や民話に登場する馴染み深い存在だとか、狙われた美少女を守るために鬼太郎が戦うという妖怪退治ものとして極めて王道的なストーリー展開だとか、決着のつけ方が「最後にでかい蛾が出てくる」というインパクトの強いものだとか色々理由はあるだろうが、その周知ぶりを裏付けるように歴代アニメでも必ずアニメ化されている話の1つになっている。
 アニメはアニメで4期版と5期版で演じたのは初代ねずみ男こと大塚周夫氏だったりとか、その5期版の話は原作から大きく逸脱し原型すらほとんど留めておらず、その代わりか中の人繋がりでねずみ男と妙に仲が良いといった小ネタがいくつも存在しており、これらの要素もまた見る人に白山坊の存在を強く印象付ける一因になっているのは間違いないだろう。
 そんな中でも1つだけ、白山坊のパーソナリティとして「誰かを騙す」というものだけは原作でもこれまでのアニメ版でも一貫して失われなかった。5期版は違うだろうと思う人もいるかもしれないが、5期版の白山坊は妖怪興行師として漫才や演芸などの興行で見る人を「良い意味で」騙している存在でもあるのだ(ちょっと強引な解釈だけど)。今にして考えるとその興行師という立場に白山坊を据えた5期のスタッフの原作咀嚼の確かさに驚かされるわけだが、逆を言えば原作からほぼ完全に離れていた5期版ですら白山坊というキャラの大元、根っこの部分を支えるパーソナリティは残されていたわけである。
 ではその「騙す」という個性までを完全に取っ払ったらどうなってしまうのか。白山坊はどういうキャラクターになってどういう話を組み立てることになるのか。そんな思考実験的な試みの場が今話、即ち6期版の白山坊のストーリーだったのかもしれない。

 序盤は白山坊に連れて行かれそうになっている娘・やよいとその父親・葛見が登場し、父親からの懇願を受けて鬼太郎たちが行動を起こすという原作どおりの流れで進行する。アニエスが同行した劇中における理由はともかく制作面における理由こそ今の時点ではわからないものの、それ以外は目玉親父とねずみ男にねこ娘、そして原作でも知恵袋として活躍した砂かけ婆と面子も比較的いつも通りであり、被害者であるやよいの線の細さが気になる程度でしかないだろう。
 だがこのいつも通り的な空気は中盤に入る直前、白山坊が鬼太郎たちの前に現れてから180度ひっくり返ることになる。現れた白山坊(余談だが今話の白山坊を5期でねずみ男を演じた高木渉氏が演じているのは、前述のとおり4期・5期版で大塚周夫氏が白山坊を演じた流れに沿う形での、スタッフのある種お遊び的な配役とも思われる)は目玉親父が話していた「娘をさらって食べてしまう」悪辣な存在ではなく、その悪辣な先代の白山坊を倒したという新しい代の白山坊だったのである。
 当代の白山坊は真実、やよいを嫁にもらいに来たと言い、食らうなどということは当然しないこと、そしてそれは以前やよいの父親と交わした約束の通りと鬼太郎に告げる。娘を差し出すという約束を白山坊と交わしたことで父親は富を得たというのは原作どおりの流れだが、父親はその点について鬼太郎に説明をしていなかった。つまり結果としてではあるが騙す形になっていたのは人間であるやよいの父親の方で、白山坊は極めて誠実にやよいを娶りに現れただけだったのだ。
 逆転してしまった立場の両者を前に、鬼太郎は手を出さず静観することを決める。単純な人間の味方でないことを静かに宣言する鬼太郎はいかにも今期の鬼太郎らしい姿だが、この鬼太郎の態度には本人の信念以上に「約束」というものを重要視しているからかもしれない。冒頭でもアニエスから妖怪退治をする理由を聞かれて「約束のようなもの」と発言していることからして並々ならぬ拘りを持っていることが窺えるので、これについては是非今後の話の中でフォローしていってほしいところである。

 そうこうしているうちにアルカナの指輪がやよいの体内に出現し、やよいは現れたアデルに連れ去られてしまう。体内の指輪を取り出すために呼ばれた妖怪として登場するのは、次回予告の最後にチラッと映っていた悪魔ブエル。原作では多勢の悪魔軍団を率いて鬼太郎たちを圧倒し、ヤカンヅルという禁断の存在によってようやく退治できた難敵だったが、今話では原作での人間に怪しい義手をくっつけるシチュエーションからインスピレーションを受けたのか、危険なマッドドクターとしての登場となった。最終的に今話で鬼太郎との決着は付けず逃亡してしまうので、こちらもいずれ決着をつけることになるのだろうか。個人的には数話前で耳長という西洋妖怪の被害者役を演じた龍田直樹氏に加害者側のブエルを演じてほしくはなかったけども。
 白山坊は鬼太郎たちと協力してやよいの元に駆けつけ、襲い来るブエルに傷つけられながらもやよいを守り続ける。その献身的な行動の理由は何の打算もない、ただやよいへの想い故のものだった。子供の頃のやよいに命を救われた時からずっと見守り続けてきた白山坊の純粋な想いの深さに触れたやよいは、白山坊の気持ちを受け入れることを決める。
 ラストで描かれる、鬼太郎曰く「『狐の嫁入り』ならぬ『狐の嫁取り』」。目玉親父の言うとおり所謂異種婚姻譚は民話や昔話に数多く見られる定型話であるだけに、2人の未来は明るいものになるであろうことを示唆していて極めて晴れやかなクロージングだ。そう言えば狐と人間の異種婚姻譚で有名な信太の森の話に登場する狐の名前は「葛の葉」だし、葛見という今回のゲスト親子の名前もここから取ったのだろうと考えると、2人が幸せな未来を掴んで欲しいと制作側からも後押しされているようで、見ていて心地よいものである。
 先述のとおり白山坊の「騙す」というファクターがなくなったことにより、原典では騙す前提で交わした約束を極めてピュアな感情のままで遵守しようとする、異端ではあるがあるいみ原作どおりの新しい白山坊像が想像されているのも面白い。大胆なアレンジではあるがそれもまた良しと思えてしまうのが鬼太郎という作品の不思議なところであり魅力でもあろう。
 人間と妖怪は必要以上にかかわらない方がいいという考えの鬼太郎がこの結婚を素直に喜んでいるように見えるのは、前述の約束の件があるからなのか、それともまなと出会って考え方が若干変わってきたからなのか。まさか原作や3期版の地獄編のような出自を抱えているからというわけではないだろうが、この鬼太郎の心の変遷が今後の物語に影響していくのかどうか、それも注視していきたいところである。
 注視していきたいキャラでいうならアニエスもだろう。親のいいなりになっているやよいを非難したり、そんなしがらみから抜け出して白山坊と結婚するやよいに笑顔を向けたりしているのには、自分自身の現状を重ねてもいるであろうことは想像に難くない。やよいの体内にある指輪を手に入れようとすれば出来たろうに、それをしてしまえばやよいを殺すことになるからと放置してしまうあたりからは彼女の隠しきれない優しさが見て取れ、アニエスの人となりを示す描写も順調に積み重ねられていると言えるだろう。

 次回は妖怪大戦争以降久々にバックベアードが自ら動く模様。次なる決戦の時は近い…?
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2018年12月15日

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)32話「悪魔ベリアル 百年の怨嗟」感想

 今回の敵は悪魔ベリアル。その名の通りどんな相手も大抵「妖怪」にカテゴライズされる傾向のある鬼太郎作品の敵としては珍しい「悪魔」であり、明治元年に日本襲来したものの烏天狗によって魔力を封じられ、以来百年以上もただの老人として生き永らえてきたという凝った設定の持ち主である。原作発表時点で明治100年だから約50年後の今、今年はキリ良く150年目ということでベリアルが登場するには最適なタイミングだと言える。
 と、豊富なネタのあるキャラクターであり「脳を持つ水爆」に例えられるほどの存在であるにもかかわらず、さほど強敵として扱われることはなく単話で倒されてしまうのがいかにも鬼太郎らしいところであるのだが、その点に注目してみると今話は比較的原作に忠実に作られていた。割とあっさり目の決着に残念がっている人もネット上ではチラホラ見かけるが、これは恐らく歴代アニメ作の中でも特に強敵としての描写に比重が置かれていた3期版の印象が強かったのかもしれない。そもそも原作からして魔力が戻って最初にしたことが好物のホットケーキ生成という俗な奴だったし。
 烏天狗(今回は長老)を封印したり鬼太郎との決戦では百倍分裂をしたりという原作の要素をきちんと盛り込むだけでなく、烏天狗の存在をキーとして舞台を鳥取・大山に設定したり、その流れでまなやアニエス、さらには17話にも登場した若い天狗の小次郎をストーリーのメインに絡めるところはこれまでの挿話を踏まえた上での構成の妙味であろう。分裂したベリアルの本体を見極めるために鬼太郎自身でなく仲間の力を借りるところなどは過去のアニメ版を踏襲しているとも言え、ベリアルの強さや原作の展開は過不足なく描かれている。
 ただそれでも若干の物足りなさを覚えてしまうのは、ベリアルの脅威よりも小次郎の恋の苦悩や能力覚醒の方に主として焦点が当てられていたため、鬼太郎とベリアルの戦い自体は毎回のルーティーンワークレベルで決着してしまうためだろうか。
 その小次郎の恋の方は17話での出来事から未だまなに恋慕しており、長老には種族の異なる人間相手の恋を否定されてしまう。だがこのネタ自体はよくよく考えてみると多少の違いはあるにせよ、異なる種族や立場を超えて歩み寄ることができるかという西洋妖怪編に通底するテーマに繋がっており、ともすれば枝葉末節的なネタに終始しそうな小次郎の恋物語を西洋妖怪編にマッチした挿話として昇華させている点は見逃してはならないだろう。
 …尤も小次郎1人が盛り上がってお相手のまなには結局気づいてもらえていないという、ラブコメ的お約束展開になってしまってはいるのだが。さらに言えばベリアルの復活・決戦と完全に同質に描いているのが、前述のベリアル関連描写の物足りなさに繋がってもいる。
 他方、アニエスうはまなとすっかり打ち解けて一緒に箒に乗って境港まで行く仲の良さぶりを見せている。それだけでなく小次郎の恋慕相手が誰なのかをいち早く察し、指輪出現の予兆があったためでもあるがまなと2人きりさせる気遣いを見せたり、まなを巻き込まないために深い事情を未だ話さない心遣いをしながらも、自分を案じてくれるまなにすまなそうにする仕草を見せるといった細かい描写もあり、彼女が人の心の機微を理解できる優しさの持ち主だということを何気ない描写で見せている点はさすがである。同時にベリアルによって封印されてしまった烏天狗たちを1人で解放してしまう能力的なポテンシャルも発揮しており、わずかながらにアルカナの指輪の力を自力で発動させた28話の件も含め、今後の伏線になっているであろう部分も見逃せない。

 次回の話は白山坊。これまた歴代アニメ作品でも必ずアニメ化している定番妖怪だが、原作と同様のオーソドックスな敵妖怪になるか5期版のようなまったく新しいキャラクター像として登場するか、楽しみなところである。
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2018年11月25日

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)31話「小豆洗い小豆はかり小豆婆」感想

 今回は前話の感想にも書いたとおり原作「小豆連合軍」のアニメ化なのだが…。うーむ、何と言えばいいやら。
 伝承どおりの妖怪たちが現代の文化や風俗の中でのし上がっていくものの、その中での矛盾に気づき結局自分の思い描いていた理想がかなっていないことに焦って人間に対し牙をむく、という全体の流れが完全に9話と同じで、悪く言えば単なる焼き直しになってしまっている印象が拭えない。
 9話と違う良点と言えば29話での一部和解や30話での共闘を経て、すっかり鬼太郎とも角を立てることなく行動できるようになったアニエスの描写がきちんと挟まれているというところだが、これは今話の本筋には関係のない部分でもあるので、今話の相対的な評価アップとはならないかなあという感じ。
 ただ逆を言えば昔ながらの生き方と現代的な生き方とのギャップで苦しむ妖怪、というテーマで描くとなると、その見せ方はある程度固定化されてしまうと言えなくもなく、あまり応用の利く題材でもないのだろう。その場合はキャラクターの個性とか濃さで押し切ってみてもいいのだが、その意味では今回登場の小豆洗い、小豆はかり、小豆婆はちょっと個性が弱かったと思う。仲間同士で仲違いを起こしその仲間が最終的に皆を諌めるという構図も9話と同じだし。
 …まなやねこ娘といった美少女キャラも少ししか出なかったしね(笑)。
 まあ1年間も放送するのだから中にはこういう話も出てくるだろうということで。

 次回は原作でも歴代アニメ版でも単話ながら力を入れて描かれることの多い悪魔ベリアル。昨今ではすっかり別作品のキャラクター群が定着した感のあるベリアルだが、今期の鬼太郎世界におけるベリアルは鬼太郎とどのように戦ってくれるのだろうか。
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ゲゲゲの鬼太郎(第6期)30話「吸血鬼のハロウィンパーティー」感想

 鬼太郎役の沢城みゆきさんが無事に赤ちゃんを出産されたようで、おめでとうございます。産休期間はてっきり鬼太郎も代役を立てるものと思っていたけど、それをせずにやりきったのはやはり主役だからということだろうか。ただこれまでの話の中で鬼太郎の出番が比較的少なかったのは、もしかするとその辺の事情も影響していたのかもしれないね。まあ、だからと言ってこれから鬼太郎の出番が劇的に増えるかと言ったらそうでもないだろうし、何より現状普通に面白く仕上がっているのだから別に問題ないのだろう。

 それはそれとして今回の話。今回はアデル配下の西洋妖怪3人の中で最後の1人である女吸血鬼カミーラが敵役となったが、こちらも前話のヴィクター・フランケンと同じく鬼太郎たちと本格的な戦いをするわけではなく、日本の少女を配下の吸血鬼に変えてしまうという自分自身の小さな目的、彼女曰く「お遊び」の一環で鬼太郎やねこ娘と戦っただけにとどまった。とは言ってもねこ娘は苦戦させられたし鬼太郎の指鉄砲を食らってもまったく動じていないところに、これまでの西洋妖怪と同様に強敵の匂いを感じさせていたが。
 今話で本当に焦点が当てられていたのは西洋妖怪の直接的な脅威ではなく、妖怪大戦争を経て心の距離が離れてしまった鬼太郎とアニエスの方だったと見るべきだろう。メインで活躍していたのはカミーラによって映画館に閉じ込められてしまいながらも脱出のために奮戦するねこ娘とまなだったが(実際尺で見るとこっちの方が長かったような…)、危機に陥ったその2人を救うという共通の目的、しかもこれまでは言わばなし崩し、受動的にアニエスに協力せざるを得なかった鬼太郎が、初めて同じ目的のために能動的に協力したというのが、今話における最大の見せ場だったと言える。
 前話でアニエスがまなと友達になることで、「友達を大切に出来る」「友達を危ない目に合わせたくないと思うことができる」人並みの優しさや人情といったものをアニエスもちゃんと持っていると鬼太郎や視聴者に提示したそのすぐ次の話で、本質的にはお互い変わらない優しさを持っている2人が改めて共通の目的と意思を以て協力しあう流れを描写しているのは、本来的には異分子であるアニエスと鬼太郎との歩み寄りの手順としては最適解であろう。
 Aパートでアニエスの魔法解説をわかるように説明してほしいと鬼太郎が言ったように、鬼太郎はアニエスのすべてを「理解した」わけではないし、アニエスと協力する段になってもアニエスが具体的に何をどうして何をしようとしていたのかはわからないままだ。それでも同じ目的のためにアニエスと手を携えることができたのは、鬼太郎としては3話で目玉親父が言ったように相手を「理解しようとする」気持ちを持ち続けることというのを実践しているためでもあろうし、鬼太郎にそう思わせるきっかけを作ったまなが今回もキーパーソンになっているという構成には改めて舌を巻く。本当にこの6期のスタッフは細部まで計算した上で描写しているんだねえ。

 その割を食ったというわけではないが、鬼太郎と西洋妖怪との戦いという点において物足りなくなってしまったというのは否めない。今話もほとんど戦っていたのはねこ娘だし。今話に関してはアルカナの指輪も登場しなかったので敵側との直接的なやり取りは小休止というところだろうか。
 また上記の感想ではあえて書かなかったけども、ねこ娘やまな、アニエスといった6期鬼太郎が誇る美少女キャラがほぼ出ずっぱりで活躍していたのは実に眼福であり、日本の女の子は可愛いというカミーラの言にも非常に納得できるというものである(笑)。
 後はねこ娘たちが見ようとしている映画の宣伝文句が往年の東宝東和配給ホラー映画のキャッチコピーみたいだったのも、僕のようなオッさんオタには非常に受けが良かったです。 

 そんなことを考えていたら次回の話は原作の「小豆連合軍」が元になるようで、今話に続いて西洋妖怪との戦いはお休み状態になるらしい。まあ1クール13話分をずっとバトルバトルでやりくりするのも難しいし、これはこれでいいのだろう。次の話がどんな内容になるかにもよるけども。
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2018年11月04日

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)29話「狂気のフランケンシュタイン」感想

 ゲゲゲの森を舞台にした鬼太郎たち日本妖怪とバックベアード率いる西洋妖怪軍団との「妖怪大戦争」は、西洋妖怪側の求めるアルカナの指輪が一時的に消失したことにより、半ばなし崩し的に終幕を迎えた。辛くも西洋妖怪を撤退させることに成功した鬼太郎たちではあるものの彼ら自身の被害も大きく、傷ついた仲間たちを前に鬼太郎はついにアニエスを拒絶してしまう。
 ベアードが最終的に世界の支配を目的としているにせよ、少なくとも今の時点では日本に攻めてくる気は全くなく、今回の戦争は言わばアニエスという異分子によって強引にもたらされた天災と言ってもいい事象であっただけに、自らアニエスを受け入れたとは言え結果的に迷惑を被った鬼太郎には同情できるというものだろう。
 さりとてアニエスにもアニエスの事情があるようだが、元々素直ではない性格の持ち主であるだけにその事情をすべて鬼太郎に話すことはせず、ケンカ別れのような形で1人ゲゲゲの森を出て行ってしまう。アニエスの事情とは夢に見た母親の死と関連しているようだが、それが指輪やベアード軍団とどう関係しているのかは見ているこちらにも分かりようがない。

 といった感じで始まった今回の話。西洋妖怪との決戦という妖界での話が続いたために出番のなかった人間界代表とも言うべきキャラクターであるまなが、今話の鍵となっていた。
 「まなとアリエスが友達になる」と大まかの流れだけ短く言葉でまとめるとなんだかご都合主義的に思えるが、実際には指輪に固執し周囲のことを考えず突っ走ってしまうアニエスの危うさ、しかしそのおかげでアニエスを目に留めるまな、1話から描かれた人懐っこさや妖怪を理解したいと思う心からアニエスに積極的に話しかけると、これまでの話の中で描かれてきた2人の個性を踏まえた上での出会いを丁寧に描出していた。
 敢えてご都合主義的な面を挙げるとすれば、今話でいきなり個性を発揮するようになったアニエスのホウキだろうか(笑)。
 人懐っこいまなの行動やホウキのアシストもあってアニエスは初めて笑顔を見せる。日本に来てから初めて見せた笑顔と笑い声、それが本来アニエスが持っている個性であろうことは想像に難くないし、まなと一緒にいることでそれが引き出されたという時点で2人の「友達」という関係は決まったと言ってもいいのだろう。
 それをわかっているから、異国での初めての友達を危険な目に合わせたくないからとまなの元を去ろうとするアニエス。そんなアニエスに鬼太郎が助け舟を出したのは、かつて自分も同じ理由でまなと距離を取ろうとしていたこと、そしてそれは自分でも気づかぬうちにまなを大切に思うようになっていたからだということを思い出していたのかもしれない。そしてその時の自分と同じ行動をまなのために取ろうとしているアニエスが、根本的には優しい子なのだということを察したのだろう。
 まなやアニエスだけでなく鬼太郎自身においても過去の挿話で描かれた個性を踏まえた上での描写を盛り込み、それでいてヴィクター・フランケンシュタインという西洋妖怪の脅威と、彼に対する共闘と前述の助け舟を挟むことで鬼太郎とアニエスの融和も描出するスタッフの手腕は相変わらず巧みである。
 今回の敵は前述のとおりフランケンシュタインのみであったが、人造人間とそれを生み出す博士という原典における二者の個性を同一化した今作独自のキャラクターのみならず、原典の人造人間のように花嫁を求める描写まで盛り込まれ、まさにフランケンシュタインとしての魅力を遺憾なく発揮したと言っていいだろう。指輪を求めるための情報も手に入れたようだし、これからは全面戦争ではなく指輪を求めての小競り合いも行われるかと思うと、こちらも期待大である。

 次回登場するのは女吸血鬼のカミーラ。ハロウィンをモチーフにした話になるようだが、主に戦うのは同じ女妖怪であるねこ娘になる模様。まなも交えてどのような展開になるか楽しみである。
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2018年10月14日

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)28話「妖怪大戦争」感想

 前回から始まった西洋妖怪編の今話のタイトルはそのものずばり「妖怪大戦争」。前回はヴォルフガング1人にかなり苦戦させられたが、これも前哨戦に過ぎないということでとうとうバックベアード率いる西洋妖怪軍団が総勢で乗り込んでくることになってしまう。その事実は日本に住んでいる海外妖怪たちを震え上がらせ、特にベアードについてはその名前を口にするだけでも危機を感じさせるような有様だった。
 鬼太郎はアニエスという闖入者に巻き込まれる形で、言わばなし崩しで西洋妖怪と事を構えることになったが、犠牲にしてしまった耳長たちのことを想い、せめてアニエスは守ろうと決意を新たにするものの、肝心のアニエスは自分やベアード軍についての事情をほとんど話さず、アルカナの指輪を破壊することにのみ固執する。
 鬼太郎が仮の住処を案内してもさして興味を示さず、指輪を壊せない鬼太郎に厳しい言葉を放つその姿の裏には、前回ヴォルフガングの決壊魔法を打ち破った鬼太郎の実力を当てにしているからという面もあるのだが、自分の利だけを考えているようなその言動には、ねこ娘でなくてもいらついてしまうところだろう。鬼太郎の背後で子泣きや砂かけに止められているねこ娘の姿には笑ってしまったが。
 ただアニエスも決して情に薄いわけではないというのは、彼女もまた耳長たちの墓前で謝罪の言葉を口にしているところからもわかるので、決して鬼太郎たちのことを軽んじているのではないということも理解できるだろう。彼女が墓前で使った魔法に何の意味があるのかはこの時点ではわからないが。
 だがそういう彼女が本来持っているのであろう情に厚い部分も、指輪の破壊という大目的のために抑え込まなければならないようで、アニエスは自分の魔術で鬼太郎の妖力を強制的に強化してしまう。そこだけ見ればアニエスが目的のために鬼太郎を利用していると思われても仕方なく、ねこ娘も恐らくはそう考えてアニエスに爪を向けたのだろうが、そこでも鬼太郎はまだアニエスに協力する意志をなくさなかった。いきなり強化された妖力に体が耐えきれず苦しんでいる状態であってもである。
 そこにはやはり耳長たち「助けを求めてきた者」を救えなかった後悔が根本にあるのは明白だし、その無念を晴らすためなら自分の体が傷つくことも厭わないというのは、これまで数多くの悪妖怪たちと戦い退治してきた鬼太郎の信念と呼ぶべきものであった。実際これまでの27の挿話の中で鬼太郎が何度も敵妖怪にやられ、時には死の淵に立たされながらも戦ってきたのだから説得力もさもありなんというところだろう。
 だが鬼太郎にも唯一の泣き所があった。それはかつて3話でまなを拒絶したのと同じ理由。「自分の力で大切なものを傷つけてしまったら、守れなかったら」という恐れ。そしてそれはベアード軍のゲゲゲの森への全面侵攻という形で現実のものとなってしまう。

 満月の夜、魔術によって炎に包まれるゲゲゲの森。妖力が全開になったヴォルフガングには銀の弾丸も効かず、フランケンシュタインは自身の製造した怪物に妖怪を襲わせ、カミーラの術に子泣きじじいたちも翻弄される。頼みの鬼太郎はアニエスの魔術のために身動きすら取れないまま、日本妖怪は追い込まれていってしまう。
 自分が動けないまま傷ついていく森と仲間たちを目の当たりにした鬼太郎は怒りのままに増幅された妖力を制御、復讐戦を仕掛けるヴォルフガングを一蹴しアデルと直接対決、一度は奪われた指輪を取り戻す。
 しかしそんな状態の鬼太郎でさえも、ついに姿を現したバックベアードの強大な妖力には歯が立たなかった。アニエスが無理やり指輪の力を起動させたおかげで難は逃れ西洋妖怪軍は撤退、双方痛み分けというとりあえずの決着はついたものの、森や仲間たちに残した爪痕は大きかった。
 そしてそれを見た鬼太郎は初めてアニエスを明確に拒絶してしまう。力の解放と同時に消えてしまったアルカナの指輪を探す手伝いはするというが、元を正せば鬼太郎たちにとって今回の件は西洋妖怪同士のいざこざのとばっちりのようなものでもあり、鬼太郎が積極的に介入する理由は存在しなかったわけで、その「とばっちり」のために守るべき大切なものを傷つけてしまった鬼太郎の胸中は察するに余りあるというところだろう。
 この辺は悪妖怪と戦う道を選びながらもどこかその行為に遠慮がちだった今期の鬼太郎らしいアンビバレンツと言えるだろう。アニエスを守りたい気持ちはあれど、そのために別の守りたいものを傷つけてしまった故の苦悩が滲み出ており、ヒーローでありながらヒーロー然とした存在でない鬼太郎というキャラクターを生かした秀逸な描写である。
 しかし同時に「怒りによってパワーアップ」という少年漫画的王道展開も盛り込んでおり、同時に強力な西洋妖怪とも、少なくとも鬼太郎本人は互角以上に戦えるであろう伏線も張られたわけで、今後もバトルを重視しつつ今まで通りの「ゲゲゲの鬼太郎」の物語を紡いでいってくれるのだろうと、些か楽観的ではあるがそんな風に思える今回の話であった。

 来週はそんな今まで通りの物語を体現する今期独自のキャラクターであるまなとアニエスが邂逅を果たすようだが、そこにフランケンシュタインも絡んでくる様子。指輪が消えてしまったことで全面侵攻は一旦ストップするのかは定かでないが、どんな展開が待っているのか楽しみなところである。
 
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2018年10月08日

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)27話「襲来!バックベアード軍団」感想

 とある西洋の古城。そこに眠る1つの小さな指輪を1人の魔女が盗み出す。魔女と因縁があると思しきもう1人の魔女は指輪を取り戻そうと魔女を攻撃するが、その攻撃を防ぎ指輪の魔女を逃がしたのは「名無し」だった……。

 ゲゲゲの鬼太郎という作品に慣れ親しんだ人ならば、数あるエピソードの中でも「妖怪大戦争」をよく覚えているのではないだろうか。日本侵略に訪れたバックベアード率いる西洋妖怪の軍団と、原作では初めて結成された子泣きじじい、砂かけばばあ、一反木綿、ぬりかべの鬼太郎ファミリーとの決戦、多くの犠牲を払いながらも初披露となる鬼太郎の髪の毛針や先祖の魂が眠るちゃんちゃんこの力が発揮されることでようやく勝利を得たという、文字通りの「大戦争」である。
 この屈指の人気エピソード、当然歴代アニメ作品でも1期の前後編や3期の劇場版とかなり力を入れてアニメ化されており、原作そのままでなくとも西洋妖怪のリーダーであるバックベアードとその部下のドラキュラ、狼男、フランケン、魔女といった重要な要素は4期の妖怪王編や劇場版、5期の一連の西洋妖怪編に反映されており、いずれも重要なエピソードに位置付けられている。それだけ「西洋妖怪の軍団」というのは鬼太郎世界において重要なファクターであるのだ。
 そしてこの6期においてもついに西洋妖怪軍団が登場する。西洋妖怪が日本に攻めてくるという導入部は変わらないものの、魔女アニエスという鬼太郎側につく新キャラクターの登場、重要なキーアイテムであるアルカナの指輪の存在など多数の新機軸も導入され、さて今期の「妖怪大戦争」はどのように始まるのか…?

 日本側の導入は穏やかではあるがゲゲゲの森の中で話が進行するという、今までと比べると少々異質な舞台設定になっているが、これはこの西洋妖怪編でスタッフが目指しているのが「鬼太郎中心の物語」であるという点が意識されているのだろう。
 そこで鬼太郎が紹介するのは南方から故郷を追われてやってきたという妖怪たち。劇中では耳長しか名前が出ないが、他の妖怪たちもひときわ顔のでかいのはエギク、竹を食べてしまうのは竹鼠の精、川に小便を垂れ流していたのはビディという名前がちゃんとあり、いずれも水木しげる先生による妖怪画が存在している。どれも耳長同様マレーシアの妖怪というのもなかなかの拘りだ。
 彼らは故郷を追われて逃げてきたということでゲゲゲの森に住むことにはなったものの、追われた理由については怯えてしまって話そうとしない。さらには彼らの生活習慣があまりにも日本妖怪のそれとは違いすぎて、鬼太郎たちも最初は受け入れたものの次第に軋轢が生まれてしまう。
 鬼太郎も何とか説得しようとするものの逆に言い負かされてしまい、結局別々の場所に住むことを余儀なくされる。この辺の現実社会を反映したかのような展開はいかにも今期鬼太郎らしいところだが、このへんはコメディタッチで描かれているのでそれほど風刺色は強くなく、どちらかと言えば現実を揶揄したギャグシーンと捉えるべきだろう。
 ここの描写がギャグ的であるからこそ、宝石に擬態していたアニエス、そしてアニエスを追って現れた西洋妖怪の1人・ヴォルフガングが現れてからの急展開が俄然冴えてくる。ヴォルフガングたち西洋妖怪は耳長たちマレーシア妖怪を襲った張本人でもあり、意を決して立ち向かった耳長たちも次々とヴォルフガングの餌食になってしまう。そう言えば現実世界でもマレーシアは昔、西洋(イギリス)の植民地だったっけ。
 目の前で耳長たちを殺され怒る鬼太郎は指鉄砲の力で結界を粉砕、ヴォルフガングと対峙するが、ヴォルフガングも狼男の本性を現して鬼太郎たちに襲いかかる。その力は圧倒的でねこ娘たち仲間妖怪の力は全く及ばず、鬼太郎が初めて見せる指鉄砲の連射にもその再生能力を生かしてビクともしない。かつてない窮地に陥った鬼太郎はしかしアニエスから託された狼男の弱点・銀の銃弾を使って辛くもヴォルフガングを退けるのだった。
 耳長たちのために作った墓を前に、もっと言葉を尽くしていればと悔やむ鬼太郎。3話でも見せた「異なる考えの持ち主を問答無用で排除する」ことを何より嫌う鬼太郎だからこそ、この言葉は重く鬼太郎自身にのしかかる。この時点で鬼太郎が西洋妖怪たちに対して、「耳長たちを殺した相手」以上の感覚を覚えているのかは定かでないが、アニエスから自分を守るよう言われ即決で引き受けたあたり、鬼太郎の胸中にもある種の覚悟が生まれていたのかもしれない。
 そしてそれは西洋妖怪側も同じだった。アニエスの姉であるアデルはリーダーであるバックベアードの命に従い、ヴォルフガングのみならず人造人間のヴィクター・フランケンシュタイン、吸血鬼のカミーラを始めとする全軍で日本に攻め入ることを決断、ベアードは日本妖怪との「妖怪大戦争」を開始することを高らかに宣言する。
 そんな危機迫る状況の中で1人、計画通りとばかりに佇む名無し。日本妖怪と西洋妖怪の戦いの中で彼は何を企むのか。

 今話は導入編ということで西洋妖怪側の謎と強大さを短時間で見せつけることに終始していた。擬態魔法とか転移魔法とかあまり鬼太郎では聞く機会のない用語も出てくるあたりにも、これまでの話とは違うという雰囲気が感じられて面白い。まだ鬼太郎が西洋妖怪側の事情を詳しく知らず状況に流されている感が強いのは否めないが、まだこの物語が始まったばかりであることを考えると、鬼太郎がこの戦争の中でどう能動的に動くようになって行くかも一つのキーポイントになっているのかもしれない。
 いずれにしても鬼太郎が望むと望まざるとにかかわらず西洋妖怪との戦争は始まってしまう。次回はズバリ「妖怪大戦争」。鬼太郎たちが穏やかに暮らしてきたゲゲゲの森が戦場になる中、鬼太郎は西洋妖怪に対しどのように戦いを挑むのであろうか。
posted by 銀河満月 at 16:20| Comment(0) | ゲゲゲの鬼太郎(第6期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする