当然今話の出だしはアルカナの指輪を求めて再襲来したバックベアード軍団と鬼太郎たちとの戦いになるわけだが、単なる闘争以上の意味を持たせるためのギミックとしてまなに指輪を拾わせているのは作劇上の都合と言ってしまえばそれまでなのだが、名無しを登場させてそこにも何らかの作為が働いているであろうことを匂わせ、ご都合主義的な脚本上の強引さを回避している。
まなの拾った指輪を巡って鬼太郎はアデルと、子泣き爺はヴォルフガングと、ぬりかべはフランケンシュタインと、ねこ娘はカミーラとそれぞれ四者四様の戦いを繰り広げる。カラスを通してまなとアニエスの関係性を知っている鬼太郎がまなのことを「(アニエスの)友人、だろうな」とアデルに伝えるシーンは、アニエスだけでなくまなに対しても一定の信頼を抱いていることが感じられてなかなか良い。原作の展開に沿うならフランケンと戦うのは子泣きがいい(5期ではやってた)とかいう点で原作ファン的には若干の不満がないでもないが、まあそれはそれだしそれで今話の展開に水を差されるようなものでもないだろう。
鬼太郎たちの助力を得て指輪と共に逃げるまなだが、鬼太郎を一旦退けたアデルが再びまなを襲い、アニエスの助けも及ばず指輪は奪われてしまう。指輪と共に高所から落下していたまなを掴んだのはアデルだったが、それは単に指輪を手に入れるためだったのか、それとも妹の「友人」であるまなにある種の興味が働いたのか、この描写だけではどちらとも言えないがそこは見る人が判断するべきところなのだろうか。
だが結局まなはアニエスの助けも間に合わず落下してしまい、駆けつけた鬼太郎もバックベアードの不意の攻撃を受けて別空間=ベアードの空間に閉じ込められてしまう。
アニエスもアデルに捕らえられまさに絶体絶命となった時、アデルはアニエスではなく自分が指輪をはめ、自分自身をコアにしてブリガドーンを実行しようとする。アデルもまた魔女の一族の運命に抗い、せめて妹のアニエスだけは自由にしてやりたいと願っていた、そのためにベアードの下で忠実な部下として今まで行動していたのである。魔女の運命に従って大切な家族を失う悲しみを彼女はアニエスと同様に抱いていた、そして母親を失った今、さらに妹をも失う悲しみを味わいたくないがためにずっと行動してきたのだった。
正直に言えばこのシークエンスこそ強引に思わないではない。勿論アデルの真意が他の登場人物、引いては視聴者側にもばれないようにするためには安易に伏線になりそうな描写を織り込むことは難しかったろうが、あまりにも何もなさすぎて唐突すぎる印象はどうしても付きまとう。Aパートで見せたまなを助ける描写にそれらしさを感じられなくもないのだが。前話でアニエスが回想していたようにアデルもまたアニエスとの過去のやり取りを思い出させるなりして「(かつては)妹を大切に想っていた」くらいのシーンはあっても良かったかもしれない。
しかしそのアデルの考えもバックベアードには見透かされていた。さらに元々の魔力が足りなかったためにブリガドーンは発動せず、ベアードはアデル、さらには捕まえた鬼太郎をも人質にとってアニエスにコアとなることを強要する。
目の前で大切な仲間、そして姉が傷つく様を見せつけられ、アニエスに耐えられようはずもない。アニエスは自分をコアとしてブリガドーン計画を発動させてしまう。その魔力はあっという間に暗雲の如く空に満ち、人間たちは妖怪に変貌していく。そして変わりゆく人間たちから放出される黒い念をどんどんと集めていく名無し。
と、文章で書けば今話の内容と感想は大体こんなものだけど、バトル主体の話は感想を書くのが難しい(笑)。
とりあえず気になったのは上記のアデルの真意関連の部分くらいで、西洋妖怪編のクライマックスとしては十分な出来だったんじゃないだろうか。他の西洋妖怪と鬼太郎ファミリーの戦いがあまり描かれてないのはちょっと物足りない気もしたけど。
鬼太郎があまり活躍できずやられる描写が多いのは、まなにちゃんちゃんこを貸し出しているという点もあるのだろう。原作どおり後編の次回ではちゃんちゃんこさんのブチギレ大活躍を期待したいところである。