2008年03月28日

墓場鬼太郎11話「アホな男」感想

 さてさて、とうとう「墓場鬼太郎」も最終回を迎えることとなった。
 ラストの話は、原作者である水木センセイの人生観・人間観が強く反映された話でもある、「怪奇オリンピック・アホな男」が原案である。

 で、のっけからこういうことを書くのはちょっとアレなんだけど、今話に限ってのあの「語句説明」の演出は、唐突過ぎてちょっといただけなかったねえ。
 唐突な上に、話の中でそういう演出をする意図が全く不明であっただけに、なおさら唐突感が倍増してしまった。
 話自体は原作をきちんとまとめているだけに、こういう不思議な演出が全体の足を引っ張ってしまっているように思う。

 内容そのものは非常に良く出来ていた。「不老不死」というキーワードを元にあれこれ奔走する人間の滑稽さと、ラスト、怪奇オリンピックを観戦する水木さがる達の、何か悟りきったような様子とが非常に対照的に描かれている。
 水木センセイがその作風のモチーフとして良く扱う、「人間にとっての幸せ」について真正面から描かれており、現世で生きることは苦痛であり、あの世へ行って一切のしがらみから解放されることこそが、人間にとって最良の幸せなのではないかという、水木センセイならではの死生観が良く打ち出されている。
 (さらに言えばこの死生観は、そのまま水木センセイの南方に対する想いへと繋がっていくわけだけど、その辺は割愛)
 水木さがるの女房が最後に言い放った言葉、これはいつの時代の人間にも通用する、非常に重い意味を持つ言葉だろう。
 怪奇オリンピックの描写自体はそれほど念入りに描かれたわけではなく、あっさりとしたものだったが、それでも1話からたびたび登場していた「あの世」が舞台となるだけに、その見せ方もだいぶこなれてきた感がある。

 そんな人間達とはこれまた対照的に、鬼太郎もねずみ男も極めてマイペースに、世知辛い人間の世界でどうにかこうにか生きていこうとする。
 彼らは人間ではない以上、今話で登場した人間達のように名声とか大金とか、そんなものにわざわざ固執する必要はない。しかし人間社会で生きていくためには、そういったものに固執せざるを得ない。
 人間ほどに固執はしない、しかし人間のように固執しなければならない部分もある。そういった二律背反的要素を抱えながら存在しているからこそ、彼らは人間とは別個の存在でありながら、人間に近い存在として人間社会で行き、時には人間を嘲ることも出来るのだろう。
 鬼太郎とねずみ男は、真の意味で「自由」な存在なのだ。
 今回登場した人間達と、鬼太郎たちにほとんど接点がないのも、このような鬼太郎たちのスタンスを体現しているからとも言えなくもない。

 ラストの鬼太郎とねずみ男のやり取りも、原作「墓場鬼太郎」が発表されてから40年余り、様々な形で長いこと共演するようになった2人の関係性が見えて面白い。
 だからこそ、できるならクロージングカットは、鬼太郎・目玉親父・ねずみ男の3人にして欲しかった。

 今回で最終回を迎えた「墓場鬼太郎」。傑作とまでは言わないが、原作の雰囲気を現代的にアレンジしつつ抽出した、良作に仕上がっていたと思う。
 全体の詳しい感想なんかは、恐らく後日書くと思うので、またその時にでも触れようと思う。
 たった3ヶ月ではあったものの、色々楽しませていただきありがとうございました。
 来月からはセルDVDでまた楽しませてもらうつもりなので、その時もまたよろしく(笑)。
posted by 銀河満月 at 01:47| Comment(0) | TrackBack(1) | 墓場鬼太郎感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

墓場鬼太郎10話「ブリガドーン」感想

 今回の原作は「ボクは新入生」。少年マガジン版ゲゲゲの鬼太郎では「朧車」の話としてリメイクされた話でもある。

 話の筋立て自体は、ほぼ原作どおりになっていたため、あまり特筆すべき部分はない。
 原作での、ともすれば冗長になりがちな説明台詞をうまく簡略化して、25分の中に収めるという処理の仕方は、1話の頃と比較しても格段にうまくなっている。

 今回の話では、漫画家「水木しげる」が鬼太郎やねずみ男に出会うシーンから始まると言う、ある種のメタフィクション的な話にもなっているのだが、さすがに水木家関連についてはあまり深く掘り下げることが出来なかったのか、水木本人の個性については触れられることはほぼなかった。
 せめて「まるでアルキメデスのような人だなア」というセリフくらいはあったほうが良かったかな。個人的には冒頭、喫茶店に行く前の女房とのやり取りがあれば、そこだけで水木家の面々の個性を見せることが出来たのではないかと思うのだけど。
 一方の鬼太郎は原作以上にカロリーヌへの思慕の深さを見せており、この辺は初期編での寝子に対する鬼太郎の接し方が、原作以上に親密であったことと同様の解釈がなされているのだろう。
 カロリーヌ自身も原作どおり、敵役であるガモツ博士の娘でありながら、敵でも味方でもない、第三者的立場を維持していたのが良かった。さすがにここで変なロマンスでも盛り込まれたりしたら、たまったものではなかった。
 他にもねずみ男の学歴に関する話や、オリンピックに関する話題、「人だまプロパン」「お化けタイムス」などの小ネタもきちんと盛り込まれていたのが嬉しかったね。

 興味深かったのが、ブリガドーンにすっかり覆われてしまった水木家近辺の様子か。
 まさに「白昼夢」と言う感じの、夢とも現実ともつかない不可思議な空間が丹念に描かれており、この辺は「その世界」の持つ空気感を大事にしてきた演出・佐藤順一氏の手腕に拠るところが大きいかもしれない。
 それに絡んで登場したチンポ様…ではなく今回はトムポ様だったが、この人も原作どおりに「お前何しに来たんだよ」を地で行く登場っぷりだったので、これまた満足。
 演じた京極夏彦氏の演技も、チベットの高僧らしく?重々しい声を出して演じており、4期ゲゲゲの鬼太郎での「一刻堂」とはまた違う演技を見せてくれた。
 原作どおりの終わり方をしてくれたのも良かったが、個人的にはこのラストの部分だけは、マガジン版の「朧車」の方が出来がいいように思えるので、ちょっと微妙な気がしないでもない。

 次回は最終回。「怪奇オリンピック・アホな男」が題材だが、実際のオリンピックイヤーにこの話が放送されると言うのも、何とも不思議な因縁ではあるね。
posted by 銀河満月 at 01:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 墓場鬼太郎感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月08日

墓場鬼太郎9話「霧の中のジョニー」感想

 今回の「墓場鬼太郎」は「霧の中のジョニー」。少年マガジン版では「吸血鬼エリート」としてリニューアルし、1期と4期ではアニメ化もされた作品。
 「エリート」の方は、単独の敵が相手の話としては一番の長編話でもあり、結局鬼太郎が自力で勝つことは叶わなかったと言う点では、かなりの強敵でもある。
 そう言えば「吸血鬼チャランポラン」とかいう作品にリライトされたこともあったっけなあ…。

 それはともかく話のほう。
 話はビックリするくらいにほぼ原作のまま、さしたるアレンジが施されること無くアニメ化されており、ここに至ってスタッフも25分間の中への原作の詰め込み方を心得てきたという感じがする。
 冒頭ではOPアニメでお馴染みの「誰が政治しとるのか」も出てきたりしたが、その後の貸本屋でのやり取りはばっさりカットされ、直後の鬼太郎とのやり取りもだいぶ省略されている。
 話全体を見ても、原作からすれば色々カットされている部分はあるのだが、それを考慮しても話全体が無理なく動いているのは、「原作のどの部分をカットすれば、話をつなげられるか」をスタッフが理解してきたからだと思う。

 今話は後の「ゲゲゲ」に見られる、「悪い敵と戦う鬼太郎」の姿が、初めて明確に描かれた作品でもあり、そういう意味でも後々の「ゲゲゲ」に通じるターニングポイントとなった話と言える。
 さすがに今回の鬼太郎は「正義の味方」などという言葉こそ言わないものの、それでも最初に交わした約束を盾に、最後までジョニーに屈しないという強い一面を見せている。
 前話の「怪奇一番勝負」からは想像できない姿だけども、これもまた鬼太郎のもつ多面性の一部なのだろう。
 自らの領分を侵す人間には容赦はしないが、自らに明確に助けを求める人間を無碍に切り捨てたりしない。自己の価値観に忠実な鬼太郎らしい行動ではないか。

 ジョニーとの最終決戦は、少し省かれた部分はあったものの、これもまた基本的に原作どおりとなっていた。
 恐山の霊水に3年つかるという話も原作どおりではあったが、最後の最後、「パンツは履けよ」関連の部分だけ、原作とは微妙に異なっていた。
 原作も原作でもちろんいいのだけど、今回の目玉親父とねずみ男のやり取りは、大ベテランの声優2人が演じているだけあって、その何気ない会話だけで、互いの関係性まで垣間見ることが出来、味わい深いシーンとなっている。

 当初に比べるとだいぶこなれてきた感のある「墓場鬼太郎」も、残すところはあと2回。
 貸本時代の作品をこれ以上続けるのは無理だけども、今後も何らかの形で鬼太郎関連の作品がテレビでやってくれれば嬉しいですね。
posted by 銀河満月 at 18:45| Comment(0) | TrackBack(1) | 墓場鬼太郎感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

墓場鬼太郎8話「怪奇一番勝負」感想

 さてさて今回の「墓場鬼太郎」は、個人的に僕の大好きな「怪奇一番勝負」のアニメ化。
 長編が終わり、短編形式になってきた貸本時代の作品の中では一番好きな作品である。

 今回の話は、とある人間が所有している話に「勝手に」鬼太郎が住み着き、人間たちが家を取り戻そうと色々やってみるものの、最終的には鬼太郎によって、1人残らず命を奪われると言う、ある意味尤も不条理な話である。
 人間たちにしてみれば、自分の家を取り戻すというだけであり、悪いところはまったくないと言っていい。
 むしろいくら理由があったとは言え、勝手に住み着いている鬼太郎の方に非があるのは明らかなのだ。
 にもかかわらず、人間たちをすべて殺してしまっているあたり、この時期の鬼太郎の考え方・行動理念と言うものがある程度理解できる。
 鬼太郎はねずみ男とは別ベクトルで「自由」に生きているのだろう。だからこそある時は少女への想いで身を焦がすこともあれば、ある時は育ての親的存在が地獄へ落ちても助けようともしない。
 あとは見た目からしてもこの時期の鬼太郎は幼児(小学一年生として学校に行ってたんだっけかな)だから、そのあたりの無邪気さ故の残酷姓を持っていたのかもしれない。
 何よりある日突然現れた異形のものに、自分の世界を完膚なきまでに打ち砕かれてしまうという展開は、最初期の「幽霊一家」に近いものがあり、そういう意味では「墓場」の世界観に一番マッチした話とも言えるだろう。

 今話ではねずみ男の立場も「ゲゲゲ」版に近いものとなっていたが、それでもやたら知性的・理知的な部分を強調してくるあたりが、「墓場」のねずみ男らしい部分と言えるかもしれない。
 あとはやはり「ハヒフヘホ」をきちんと再現してくれたのが嬉しかったかな(笑)。
posted by 銀河満月 at 18:13| Comment(0) | TrackBack(1) | 墓場鬼太郎感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

墓場鬼太郎7話「人狼と幽霊列車」感想

 L4Uばっかりしていたら、鬼太郎感想の更新がすっかり滞ってしまった。
 本当はゴーオンジャーについても書きたかったりするのだけど、それはまた後にするとして、とりあえず墓場鬼太郎の感想をば。

 今回は原作「顔の中の敵」を元にした話だったけど、初期の話に比べると、正味25分の中に原作の要素がすっきりした形でまとめられていたと思う。
 これは3期と4期で「ゲゲゲ」版に触れてきた演出・芝田浩樹氏の功績かもね。
 ガマ令嬢に一目ぼれしたねずみ男の描写なんかの、いかにもなマンガチック描写あたりに、氏の個性が垣間見える感じ。

 今話で個人的に注目していたのは、前半でのニセ鬼太郎の死に様と、後半での人狼の死に様だったわけだけど、ニセ鬼太郎の方はほぼ原作どおりだったので、非常に良かった。
 あっという間に溶けて死んでしまったにもかかわらず、それを目撃した鬼太郎は自分の命が危ういことばかり気にし、ねずみ男に至ってはニセ鬼太郎は「逃げた」と思い込むという、ニセ鬼太郎的には救いのない内容になっていた。
 このあっさり感がきちんと再現されていただけでも良かったと思う。
 人狼の方は、死体そのものは原作に近しい間抜けな姿だったけども、アニメでは列車から飛び降りて死んだ(と目された)人狼にお悔やみの言葉?を上げるねずみ男の描写が追加されており、それにより「人狼の死」という現実に対する物語世界そのもののドライっぷりが発揮されていた。

 あと面白かったのは、幽霊列車内でのねずみ男と人狼のやり取りだろうか。
 言うまでも無くこのあたりの描写は「ゲゲゲ」版での「ゆうれい電車」として引き継がれることになり、2期を除く歴代アニメ作品でも漏れることなくアニメ化されてきたメジャーな話ではあるが、歴代「ゲゲゲ」版のほうは怪奇・ホラーテイストの濃い内容になっていたのに対し(「ゆうれい電車」もそうなんだけど)、この「墓場」版では、2人のやりとり、と言うか掛け合いによって、どちらかと言えばコミカルな印象を受ける。
 単なるホラー・怪奇作品とは一線を画す、水木センセイ作品独特の雰囲気を味わうのに、良いサンプルシーンになっているのではないかと、個人的には思う。

 「鬼太郎誕生」から続いてきた長編は今回で終了。次回から単発エピソードが続くことになるが、この「墓場」も残すところあと4回なんですなあ。
 なんとも早いものです。
posted by 銀河満月 at 17:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 墓場鬼太郎感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月19日

墓場鬼太郎6話「水神様」感想

 誕生〜寝子の死と、原作での初期編も一段落し、新章開始となった「墓場鬼太郎」。
 今回は今までと比較すると、物語展開は原作に忠実なものとなっていた。
 鬼太郎が借金の取りたて屋となって、物の怪や水神から借金を取り立てようとしたり、怒った水神が暴れだして、さながら怪獣映画のような攻防戦が展開したりと、まさにカオスな展開が、原作どおりに描かれていた。
 特に水神様と防衛隊(自衛隊?)の攻防戦では、まだ街中に電線が張り巡らされている時代の市街地がきちんと描かれており、まるで昭和30年代当時の怪獣映画を見ているようだった(まあ怪獣映画でも、街中の電線は省略されることが多々あったけども)。
 水神様のせいで警視総監が溶けてしまったり、大空つばめ(「ひばり」じゃなかったね)を助けようとして水の中に飛び込む間抜けな人たちもきちんと描いていたのには感心した。
 水の中に飛び込む連中なんか、省略したって全然構わないのにね。
 借金取立ての時に鬼太郎が身に着けたハチマキが、特攻隊をイメージするものでなくなっていたのは、さすがに仕方がないことかな。

 今話の最大の見所は、やはり原作ではいつの間にかいなくなってしまっていた水木の最期がしっかりと描かれたことだろう。
 水神様に飲み込まれてしまう寸前、鬼太郎に助けを求めながらも、「じゃ」とだけ告げられ見捨てられてしまうと言う、なんとも救いのない最期が用意されていた。
 原作ではいつの間にやらフェードアウトしてしまっていたことを思えば、きちんと最期が描かれたことはむしろアニメ化による功の部分だと思うのだけど、さすがに最期がこれではやりきれない。
 しかしこのあまりにもあっさりとした最期を「水木」というキャラクターで見せてくれたことにより、次回で描かれるであろう、ニセ鬼太郎のあっけない死に様に、俄然期待感が沸いてきた。
 ニセ鬼太郎が死ぬシーンは一切の感情移入を廃し、本当に話の流れの一部として自然に消化して欲しいものである。

 しかしあまりにも原作に忠実に描かれると、逆に書くことがなくなってしまうな。
 来週は話の流れとしてはガマ令嬢がメインになるのかな。
posted by 銀河満月 at 00:02| Comment(0) | TrackBack(2) | 墓場鬼太郎感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月18日

墓場鬼太郎5話「ニセ鬼太郎」感想

 こちらもだいぶ間が空いてしまったが、「墓場鬼太郎」の感想。

 今回はニセ鬼太郎メインと言うことで、前話で省略されてしまっていた様々なシーンが、回想という形で描かれていた。
 だがそのシーンを含めて見ても、今話と前話とで描きたかったのは、鬼太郎と寝子との関係性だったのだろうと改めて思う。
 原作ではねずみ男に殴られた鬼太郎が、それをきっかけにして寝子の死という重い現実をあっさりと振り切ってしまうわけだが、今回のアニメ版ではねずみ男に殴られたり、すっかり反省?したニセ鬼太郎の態度を見ても寝子を忘れることが出来ず、自ら地獄に赴いてまで寝子を連れ戻そうとする、いじらしさを見せていた。
 さらに寝子が死んだことで絶望する鬼太郎の描写を、ともするとくどいと受け取られかねないほどに丹念に描き、それによって鬼太郎の無念さと寝子への想いを原作以上に見せ付けることに成功している。
 だからこそ、「猫娘である以上、人間の世界では暮らせない」と考え、生き返るチャンスをニセ鬼太郎に託す寝子の姿がより崇高なものとなり、同時に「そこに存在している」にもかかわらず、鬼太郎と二度と触れ合うことが出来ないという悲しさも描出されていた。
 ラストの鬼太郎と寝子の間にあったものが、家の扉と言う極めて薄く脆そうなものであった点も象徴的である。

 反面、ニセ鬼太郎とねずみ男の描写は、原作と比較すると割を食ってしまった面は否めない。
 それでも話の展開上、最低限必要とされる描写は、なかなかテンポ良く盛り込まれていたと思う。
 ステージ裏でのやり取りは声優さんの演技もあって、いかにも「水木作品」らしい場面に仕上がっていたのではないだろうか。
 プロデューサーやスポンサー、「ザ・パンティ」など、原作に出てきた諸要素をさりげなく織り込んでいたのはさすがだった。
 あと個人的には、変に改変されてしまうのではないかと危惧していた「黄金の排出」ネタが、ほぼ原作どおりに描かれていたのが嬉しかったね。

 次回は「水神様」。
 このあたりから原作も、良くも悪くも何でもありな展開になってくるので、序盤の怪奇色を前面に押し出した演出になれた原作未読ファンは面食らってしまうかもしれないな(笑)。
posted by 銀河満月 at 19:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 墓場鬼太郎感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月08日

墓場鬼太郎4話「寝子」感想

 早くも4話目となった「墓場鬼太郎」。
 深夜アニメとしては結構視聴率も良いようなので、まずはめでたいと言ったところだろうか。

 今回のメインはサブタイにもあるとおり寝子。物の怪の存在があっという間に忘れられてしまったのは寂しいが、たぶんあと数話経ったら出てくるんだろう。
 前回の吸血木もそうだったけど、このアニメ版では原作のように複数の事象を同時進行で描いていくのではなく、一つ一つのファクトにスポットを当てて見せていくようだ。
 だから今回はニセ鬼太郎が登場しているにもかかわらず、あくまで寝子が主眼に置かれた構成になっている。

 今話でいい味を出していたのはやはり寝子に恋焦がれる鬼太郎だろう。前話あたりから続く、やたら純文学めいた台詞回しも面白いし、寝子に対する思い入れの深さは原作以上に描かれていた。
 水木が寝子と挨拶しただけで嫉妬心をあらわにしたり、仲が深まると「寝子さん」ではなく「寝子ちゃん」と呼ぶようになったりと、このあたりのエピソードは原作以上に微笑ましいものになっている。
 1話の頃はかなり怪奇色を前面に押し出して作られていた今作だけども、本来「墓場鬼太郎」という作品は、怪奇で不気味な側面を持ちつつも、水木作品特有のどこかとぼけた雰囲気が根底に流れており、決して怖さ一辺倒ではない。
 そういう意味では今話くらいの見せ方のほうが、原作のアニメ化という点ではちょうどいいのかもしれないね。
 ただ、上にも書いたようにそれぞれの要素を完全に分けてしまったものだから、寝子関連のエピソードに不気味さを出すことが難しくなってしまったと言う、構成上の問題もあるのだろうけど。

 ただこの鬼太郎と寝子の仲の良い関係がのんびりと描かれていたおかげで、寝子の死というラストの展開に、原作以上に悲劇的な要素を加味することに成功していた。
 原作のように何かを話すこともなく、ショックのあまり立ち尽くす鬼太郎の姿は、原作よりも比重が増した悲劇性を象徴していたように思う。
 原作では途中からフェードアウトする関係上、存在感が薄くなる水木の存在を役立たせていたのも、うまい構成だったと思う。きちんとキャラを生かしている好例だ。

 その反面、ねずみ男とニセ鬼太郎があまり目立っていなかったのは残念だった。
 特に2人が出会った時のやりとりは原作でもかなり面白いシーンの1つであるだけに、ほとんど端折られてしまっていたのは寂しいものがある。
 寝子の前に姿を現したニセ鬼太郎は既にシャベルとバケツを持っていたが、「地獄の土」関連の話は次回の回想シーンででも描かれるのだろうか。
 ちなみにニセ鬼太郎の声は伊倉一恵。ある意味鬼太郎以上に邪悪なキャラを無難にこなしていた。

 次回は「ニセ鬼太郎」。ついに我らの目玉親父が胸のすくような活躍をする…はずである。
posted by 銀河満月 at 00:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 墓場鬼太郎感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月31日

墓場鬼太郎3話「吸血木」感想

 いかん、3話目にして感想を書く意欲がなくなってきた(笑)。
 ここにきて話の順番までも大きく変えて、本来ならもっと後(ニセ鬼太郎が登場し、彼が地獄から戻ってきた後)に登場するはずの「物の怪」が登場してきてしまったのだ。
 話の流れと寝子の扱い方などから考えても、当面は寝子が中心となって話が流れていくことになるらしい。
 原作では今回の話の時点で鬼太郎は寝子の正体を知ることになるわけだが、今回では寝子はねずみ男の気配を察知した時に鼻をひくつかせるだけで、猫娘としての本性はまだ見せていない。

 今回はトランプ重井が吸血木となり、そこから復活するまでを軸にしているところからみても、このアニメでは1話につき1つの挿話に集中して話をつなげていくという手法になるのだろうか。
 まあ正直な話、原作での「吸血鬼と猫娘」から「地獄の散歩道」までの流れは、物語上の重要なファクターがあまりにも多くちりばめられすぎており、今回のアニメのような早い展開だとわけがわからなくなる可能性もあるから、この判断は冒険ではあるが、「漫画のアニメ化」における手法としては間違ったものではないだろう。

 その分寝子関連の描写には力が入っており、具体的には鬼太郎親子が「ねこや」に下宿するまでの細かい経緯が加えられていた。
 寝子に事実上一目惚れした鬼太郎が、これ幸いとねこやに下宿するようになり、さらには寝子の影響を受けて学校に行くことを決意する下りは、水木作品の特徴である「怪奇な存在が発する人間臭さ」を端的に現していて面白かった。
 中川翔子の演技もそれほど悪くはない。セリフの数が多くなるととたんに早口になってしまう感じはしたけども、それほど絶望するほど悪くはないだろう。
 むしろトランプさんのほうが台無しだったように思う。
 物の怪の声は4期「ゲゲゲの鬼太郎」でレギュラーを張っていた塩屋浩三さん。新旧様々な鬼太郎作品に出演した方々が、一堂に会して共演するという光景を楽しむのは、長い間親しんできたファンにだけ許される特権ですなあ。

 次回はいよいよ寝子がメインの話。ニセ鬼太郎はまだ登場しないようなので、どんな風に話がつながっていくのか、興味は尽きないね。
posted by 銀河満月 at 01:02| Comment(2) | TrackBack(1) | 墓場鬼太郎感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

墓場鬼太郎2話「夜叉対ドラキュラ四世」感想

 のっけからこういうことを書きたくはないが、今回はかなり期待はずれだったなあ。
 展開が早いのは仕方ないにしても、今回は早さ以上に展開の強引さが目に付いてしまった。
 夜叉が経営している下宿屋に水木の上司である社長が偶然やってくるなんて、いくらなんでも無理がありすぎるだろう。
 それに夜叉のやっていることも鬼太郎の魂を抜いただけで、具体的に人間の犠牲者が描かれていないのが残念だった。せめて「腕利きの刑事」くらいは登場させて欲しかったものだ。

 今話はねずみ男の初登場回だったけど、ねずみ男はさすがにうまく表現されていた。貸本時代のねずみ男だけが持っていた「正体不明の自由な男」という雰囲気をきちんと漂わせていたのはうまい。
 実際ねずみ男は自分の思いついたことにあくまで忠実に行動するだけなので、本当の意味での自由人と取ることも出来るわけで、そういう意味では今回でも見られた一貫性のないように見える行動は、非常にねずみ男らしいものといえるだろう。
 鬼太郎を木でぶっ叩いて金をせしめるあたりは、実にらしくて良い。
 あそこで金をせしめるのは、原作でのドラム缶いっぱいの血液を得るまでの過程を省いた分なのかな?

 次回はお待ちかね?の寝子さんが登場。予告を見る限りだと、その登場シークエンスも原作とは異なるものになるようだから、どんな風になるのか楽しみではある。 
posted by 銀河満月 at 00:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 墓場鬼太郎感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月14日

墓場鬼太郎1話「鬼太郎誕生」感想

 さてさて、ついに始まった「墓場鬼太郎」。
 まだマガジン版「墓場の鬼太郎」となる以前、貸本時代に生み出された、様々な意味で独特の荒削りな空気を持つ作品を、21世紀の現代に如何様に再現するのか…?

 今回の1話は「幽霊一家」「幽霊一家 墓場の鬼太郎」「地獄の片道切符」を折衷した話になっており、全体としてはサラリーマンの水木が幽霊族の夫婦と出会い、生れ落ちた鬼太郎を育て、やがて水木本人とその母親に不幸が訪れるまでを描いている。
 そういう意味では特に問題のない流れではあるのだが、やはり3つの原作話を(それぞれの話で重複して描かれている部分があるにせよ)1つの話として25分の中にまとめるのはかなり難しかったようで、全体的に駆け足の構成になっている。
 まあ100ページ近くある内容を1話分にまとめるのだし、こちらの鬼太郎は全11話と話数もかっちり決まっている関係上、止むを得ないことだとは思うのだけど、もうちょっと何とかして欲しかったかもしれない。
 例えば冒頭の目玉が届けられるシーンは省いて、その分病院で出会う「幽霊的症状」の患者と出会うシーンの方に時間を割いたほうが、物語の導入としては効果的だったんじゃなかろうか。

 ただ全体としては「墓場鬼太郎」の雰囲気が非常に良く出ていたと思う。原作漫画のカラー絵にあるような、要所要所にきつい原色が配色されているイメージや、原作でも時折出てくる目玉のアップなど、原作の雰囲気を極力再現しようと言う意気込みは十分に感じられる。
 今「原色」と書いたが、作品全体のカラーイメージは暗めの色で統一されており(白黒と言うわけではない)、このあたりも漫画を意識した美術設定なのだろう。
 キャラクターの方も原作どおり、妖怪である鬼太郎たちは漫画チックなデザインで、水木を始めとした人間たちは劇画調で描かれている。背景もかなり緻密に書かれており、単純化されたキャラクターとのアンバランスぶりを堪能することも出来る。
 作画面においては特に問題はないと言えるだろう。

 そしてやはり特筆すべきは、鬼太郎を演じる野沢雅子さんの演技だろう。
 本人も「生まれた時の泣き声は『化け物』であることを強調するつもりで演じた」というようなことをおっしゃっていたが、確かに生まれた時の鬼太郎の泣き声は、一般的な赤ん坊のそれとはまったく異なる、狂気を孕んだものになっており(そしてもちろん赤ん坊らしさも感じさせる)、このあたりの演技は大ベテランならではのものと言えるだろう。
 後は原作での印象的な鬼太郎の「ケケケケケ」という笑い声を、見事に声で表現していたのにも驚かされた。
 目玉親父の声は、もはや切り離すことの出来ない間柄?となった田の中勇氏だが、今作では「〜じゃ」と言った年寄りじみた口調ではなく、原作どおりに普通の言葉遣いとなっていた。
 ただ原作以上に「子を想う」描写が加えられていたが、ここらへんはむしろ良いアレンジだろう。親父そのものが、子供を想う親心そのものを具現化した存在といってもいいのだから、この程度の改変はあまり気にすることではないだろう。

 原作と明確に違っていた点としては、病院の患者が幽霊的になってしまう原因が、鬼太郎の母親の売血行為ではなく、母親の霊力による影響になっていたことか。
 血を売ると言う行為はともかく、その血を輸血したことで幽霊になってしまうと言う展開に問題があったのだろうか。
 鬼太郎の左目が失われるシーンは、あえて直接的な描写を避けていたために、理由が若干不明瞭になってしまっていたのは残念でもある。
 原作を活かすなら、元々隻眼と言う設定でも良かったかもしれないね。

 あと、OPとEDは、ねえ…。OPは歌自体は個人の好みによって差が出るだろうから、別にどうでもいいのだけど、そのバックに原作のコマを使うのは、ちょっとどうなんだろう。
 手法が安易に過ぎる気がするんだよな。原作のコマをほぼそのまま用いた画面を出せば、原作を知っているファンも喜ぶし、何より一からOPの画作りをする必要がないという、スタッフの消極的な打算が働いているように思えちゃって。
 EDは完全に空気のようなものだから、別に腹も立たない代わりに、特に好意的な感想も抱かない。

 次回はたぶん「下宿屋」と「あう時はいつも死人」から引っ張ってくるのかな。
 ねずみ男の初登場回になるようだから、こちらも今から楽しみである。
posted by 銀河満月 at 19:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 墓場鬼太郎感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月11日

「墓場鬼太郎」1話を見て

 細かい感想は後に書くとして、1話を見ていた時に抱いた感想。

 鬼太郎を見つつ2ちゃんねるの実況スレッドなんかも見てみたりしたのだが、予想以上に「墓場鬼太郎」と「墓場の鬼太郎」の区別がついていない人が多いことに驚かされた。
 以前おおはたさんとも話したことなのだが、純正の「墓場の鬼太郎」、つまり「ゲゲゲの鬼太郎」の原作漫画は、「墓場鬼太郎」とも異なるテイストの作品であることを、最初に認知しておいた方がいいだろうね。
 今は「墓場鬼太郎」の方も文庫で発売されているから、これを機に多くの人に手にとってもらえるといいなあ。

 後は、ね…。
 EDはまあいいとしてOPはないわ(笑)。
posted by 銀河満月 at 01:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 墓場鬼太郎感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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