2005年10月23日

昔に行きすぎなんだよな

 またまた書くのが遅れたが、先週の金曜はリニュ版ドラのスペシャルだった。
 と言うか直前までスペシャルであることを知らなかったので、慌ててタイマーを設定しなおしたよ。やっぱり新聞取らないと不便だなあ。

 で、1本目は「昔は良かった」。
 この話、正直原作も寓話的と言えばそれまでなんだが、やっぱり「未来道具でボンボン過去の状況をいじくり回していく」ことが好きになれない。そこまで難しく考えたら、ドラという作品自体を楽しめなくなってしまうことはよくわかっているのだけどね。
 話自体は恐ろしいほど原作に準拠したままのアニメ化だったんで、あんまりパッとしなかった。目に付いたところと言えば、大山ドラの頃よりは「昔の世界」の雰囲気作りに力を入れていたと言うところかなあ。これもまた微々たる物だけど。

 しかし原作読んだ時から思っていたんだけど、宿題が嫌だからって、何も年貢を納めにゃならんような時代にまで行くことはないよな。戦後すぐあたりの時代でもちょうど良かったと思うが(笑)。

 2本目は「宝星」。
 この話の肝は何と言っても、宝星が見つかるたびに一喜一憂して騒ぎまくるのびドラのテンションを、いかに最初から最後まで持続させるかということだったのだが、なんとかうまく行っていたんじゃなかろうか。
 1つ目の宝がフイになったことを聞いた時の、しずかの毒の効いたセリフもそのままだったんで、これは何より。
 小人の星へ行った時の、小人たちのリアクション(声)も追加されていたのは、なかなか細かいながらもニヤリとさせられる変更点だったのだが、反面、3番目の星で宝を見つけた時、原住民が少し大人しすぎたかと言う印象も受けた。

 しかしのび太の声は初期から聞いても一向に変わらないんだなあ。ドラの声は初期に比べるといくらか低くしていて、工夫の後が窺えるのだが(それが功を奏しているかは別)、のび太の声には今の所、そういったものが感じられない。
 のび太の声ももう少し低くした方がいいかと思うのだが。

 そしてラストに流れていたリニュ版「のび太の恐竜」の映像。
 うーん、ドラのような作品で、あまり作画面での冒険はしないほうがいいと思うのだが、どんなもんでしょ?
 そう言えば映画には劇団ひとりとか、神木何とかとか言う子役が声を当てるんだったな。ま、神木って子の演技力は確かだと思うんで、まあそれはいいのだが。

 来週からは主題歌変更か。個人的には主題歌よりも、バックアニメーションの方がどうなるのか激しく気になる。
posted by 銀河満月 at 18:30| Comment(0) | TrackBack(7) | ドラえもん・藤子関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月28日

来年は没後10年

 さて、23日は言うまでもなく藤子・F・不二雄先生の命日であった。毎年この時期になると、F先生の生み出した数々の作品、とりわけドラえもんに対して少し深く考えるようになっている。
 F作品そのものはAランドが完結したA先生の作品に比べると、まだまだ不遇な扱いを受けているといわざるを得ないのだが、それでも今年はぴかコミでのラインナップもあって、以前よりは比較的F先生の作品を読みやすい環境になってはいる。「モッコロくん」に至っては、今まで国会図書館の類でしか読むことの出来なかった作品だけに、これだけでもF作品ファンとしては十分満足できる特記事項と言えるだろう。

 さてさて、F先生の遺した最大のヒット作品であるドラえもんについてだが、それについて話す前に一言、以前書いたこの戯言について、言い訳めいたことを今更ながらに書いておきたい。
 はっきり言って、件の文章はかなり独り善がりな内容であり、アンフェアな視点に立脚して記述している。あの文章で言いたかったことは思いっきり要約して書くと、「原作のファンでない者は、これからはファンになるべきではない」ということであり、この考え自体は僕の本心の一部として、今も変わっていない。
 しかしこの考えはあくまで個人レベルでの「ファン」としての姿勢に対する覚悟のようなもので、とてもじゃないが全てのファンに押し付けられる類の思想ではない。また、僕が子供の頃よりもドラを取り巻く状況は遥かに複雑なものとなっており、時代的にリアルタイムで原作の「新作」に接することの出来なかったファンも、今では相当いることだろうし、アニメドラがあまりにも巨大になりすぎている現代、アニメを無視して原作だけのファンになれ、などという言い草は、理想論というよりも単なる願望でしかない。
 だからあの戯言は、はっきり言えば欠陥だらけの文章なのだ。僕としては、あの欠陥文を叩き台にして、いろんな人と活発な議論をすることが出来たら良かったなあ、などと淡い期待を持っていたりもしたのだけど、元々閑古鳥が鳴いてるサイトにわざわざ書き込むような奇特な人もおらず、特にその後の発展はなかったわけである。
 ま、あくまで「ここ」では反応がなかったというだけの話のようだが。

 で、あの戯言を書いてから2ヶ月ほど経ったわけだが、正直今のドラを取り巻いている状況は、あまり芳しいものではない。肝心のリニュ版ドラが今ひとつ精彩を欠く出来栄えで、ファンを牽引していくにはあまりにも頼りない存在になってしまっているのが、何よりも問題だ。
 アニメもリニューアルしてもうそろそろ半年経つわけだが、ここまで来ると新規のスタッフも作品作りというものにある程度は慣れてくる。その慣れが悪い方に作用してしまっているように思えてしょうがないのだ。簡単に言えば「原作をそのままトレースしてアニメ化している」わけである。オリジナルの要素をいくらか散りばめてはいるものの、本家である原作を超えるような魅力を湛えているわけではなく、あくまで添え物程度である。
 別に原作の展開そのものを変えてしまったって、僕は一向に構わないと思っている。「ロボット雪だるま」などは原作よりも大山ドラ版の展開の方が僕は好きだ。そういうチャレンジ魂のようなものが、今の作品からは感じられないのだ。無難に作っていれば確かに原作がしっかりしている以上、まとまった話にはなる。しかしそれだけでは「アニメ」ジャンルの中では生き残れない。あと一歩先へ脱却する必要があるだろう。

 そんなことを考えているうちに、こんなニュースが入ってくるものだから、まったくさらにわけがわからなくなる。この話題についてはまだ考えがまとまらないので、次の機会にでも。
posted by 銀河満月 at 19:19| Comment(0) | TrackBack(2) | ドラえもん・藤子関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月03日

107年前のバースデー

 と言うわけで、今日は言うまでもなくドラえもんの誕生日である。
 それに合わせてドラえもんプラスの3巻と、もっとドラえもんの3巻が同時に発売されたので、早速購入してきた。

 プラスの方は…。いや、「ばくはつこしょう」とか「ゴキブリカバー」とかが入ってて、素直に嬉しいのだけど、個人的に複雑に思ってしまうところもあったり。
 5月に「漫画の中からはるばると」を完結させた際、最後に図書館で読んだ「ホログラ機」がさっさと単行本に収録されてしまっているのは、なんとも言えない気分だなあ。これ1話だけ読み忘れて、このためだけにもう一度図書館に行く羽目になってしまったことも、良い思いでとして振り返らないといけないんだろうね。

 もっとドラの3巻は、収録作品にタイムふろしきがあったので、久しぶりに読んだ。これ、初めて国会図書館に行った時に読んだっきりだったんだよなあ。
 中身も相変わらず充実していた。特にドラのグッズ関連は自分自身はちっとも情報を集めていないだけに、こういう雑誌でいっぺんに調べることができるのはありがたい。

 しかし9月と言えば、もう1つ忘れられない日もすぐそこまで迫ってきている。その日にはもう一度現在におけるドラの状況でも考えてみようかな。前回書いたのは、やり方がちょっとアンフェアだったしな。

 あと、「モッコロくん」も買いました。なかなか置いてある本屋が見つからずに苦労したよ。ぴかコミが普通においてある本屋でも、なぜかモッコロくんだけが見つからなかったんだよなあ。
 人気があるのか単に入荷数が少なかったのか、どっちなんだろうね。ファンとしては前者であって欲しいけど。
posted by 銀河満月 at 23:04| Comment(0) | TrackBack(1) | ドラえもん・藤子関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月29日

地球規模はやりすぎじゃないか?

 なんでもびんちょうタンが本拠地の宣伝キャラとして使われているらしい。こういう柔軟さがある行政ってのはいいね。この調子であふがにすタンも(略)。

 さて本題。最近リニュ版ドラの感想を書いてないのは、端的に言えば放送日当日に見ていないからである。理由は言うまでもないやね(笑)。
 しかしさすがにスパロボも飽きてきたので、アニメを見るサイクルも以前の状態に少しずつ戻ってきているので、遅ればせながら先週のアニメドラについて少し感想を書いてみようかな。

「ゆめふうりん」
 上手い下手は別として、ドラやジャイアンの声はだいぶ演技がこなれてきているようだが、のび太だけがあんまり変わらないなあ。試行錯誤している感じが見えない。
 話は良くも悪くも原作どおりで、そんなに驚くような真新しい描写はなし。

「きせかえカメラ」
 これまたほぼ原作どおりだったな。終盤の展開から素っ裸オチはないのかもとか思ったりしたけど、それはちゃんとあってくれたので何より。
 ただ女の子たちが悲鳴を上げる時に、地球規模まで広げて描写するのはどうかなあ。ギャグアニメとしてはありきたりの手法ではあるけど、ドラえもんという作品の、このようなシーンにはなんかそぐわない気がする。まあ原作に負けないインパクトをアニメと言う表現技法で演出するのは、難しいという理屈は分かるのだけどね。

 すごいあっさりした感想になってしまった。
 最近のリニュ版ドラはあまりにもストレートに原作をアニメ化しているだけなんで、ちょっと物足りないね。あんまり革新的なことばかりやられても困るけど、保守に凝り固まっても味のない作品になってしまう。
 「原作を忠実に」と言う触れ込みでセンセーションを起こせるのはせいぜい1クール。それ以降はスタッフの力で独自のオリジナリティを出すしかないんだけど、今のところあんまりそういう描写が作品に出てないようなんで、奮起して欲しいものである。
posted by 銀河満月 at 21:47| Comment(0) | TrackBack(7) | ドラえもん・藤子関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月22日

ドラの寿命はとっくに尽きてる

 本日はプロ野球のオールスター中継のため、アニメドラの放送がない。だからってわけではないが、リニュ版ドラに関連した自分の意見やらを少しまとめてみようと思う。

 さてリニュ版ドラが放送開始して、早三ヶ月ほど経ったわけだけど、視聴者はどんな感じを抱いているのだろうか?と言ってもこんな自問、すべての視聴者に聞いて回ることが出来ない以上、するだけ無意味ではあるのだが。
 なので、とりあえずはネット上で散見できる意見に少し耳を傾けてみることにしていた。無論ネット上の意見と視聴者全体の意見がトートロジーとして結ばれるわけではないが、ある程度の参考や指標にはなるだろう。そんな気持ちでこの三ヶ月、色々なサイトやブログでリニュ版ドラについての意見を見て回ったわけだ。
 で、三ヶ月見て回った感想は、この一言に尽きる。

「全然参考にならない」

 もちろん一部の人たちは極めて理性的に、作品そのものを客観的に評価している。それ故の意見であるならば、肯定であろうと否定であろうと是認できるものなのだが、大多数の人間、特に「否定派」を自称している人間たちの意見は、まったく聞く価値のないものばかりなのである。
 例を挙げればこんな感じだ。

「絵が『前と』違う」
「声が『前と』違う」
「音楽が『前と』違う」
「雰囲気が『前と』違う」
etc・・・

 なんかすごいよね。よくもまあここまで「前作」との単純比較だけで作品の相対的な評価を決めたつもりになれるもんだ。特撮マニアの中で「ウルトラマンに比べるとウルトラマンネクサスはつまらん!」なんて言ってみたら、文句の袋叩きにあうこと間違いなし。それほどの暴論である。
 そもそも作品に対する基本理念や周囲の環境、時代背景だってまったく異なる2つの作品を、強引に同列に並べて比較すること自体、普通は出来ないことだし、議論の場でやってはいけないことだ。もし実生活でそんなことしたら単なる恥さらしになるので注意するようにした方がいい。しかし彼らの頭ではそれが正しい論法としてまかり通っているのだ。
 こんな意見がネット上で大勢を占めているのだから、もし知らない人が見たら「ドラファンってこんなにバカなのか」と思っても仕方がないだろう。それほどの状況なのである。

 無論作品に色んな感想を抱くこと自体は、個人の自由である。たまたまぱっと見たリニュ版ドラに違和感を感じ、その気持ちをそのまま掲示板やらブログやらに書くことは決しておかしなことではない。
 しかし仮にも議論を吹っかけてくるような輩が、持論を寸分の変更もすることなく、三ヶ月も色んな掲示板にまったく同じ主張を書きまくる行為は、僕には異常な行為にしか見えない。そういう人間に限って上記のように論拠が極めて無茶苦茶なんで、読んでいるだけで辛くなる。
 さらにその種の人間は、自分の意見に否定的な意見に対して、聞く耳を持っていないかのような行動を取ることが多い。賛同意見だけ相手にし、否定的意見は一切聞こうとしない。いいか悪いか、思考が単純な二元論で凝り固まっているのである。相手の言い分をいくらかは認める柔軟さが微塵も感じられない。恐らくは僕よりも若いであろう人間が、そんなガチガチの反応をするのだから、もう驚くしかない。
 なぜこのような考え方をする人間が多いのか、それは僕には分からない。原作を知っていようといまいと、そういう反応をする人間がいるわけなので、単にアニメしか見ていないからと言う理由ではないらしい。
 ただその種の人間に限って、やたらと自分のマニア振りを喧伝する癖があるようなので、ドラファンになっているのももしかしたら、作品が純粋に好きなのではなく、自己顕示欲発露のための手段の一つなのかもしれない。あくまで推測だけど。

 ただこのような兆候は以前からあった。具体的に言えばF先生がなくなった96年以降、ドラグッズが乱立するようになってから、グッズだけを買って作品を知った気になっている「にわかファン」が増えてきた。そうでなければあれほどにドラグッズが浸透はしまい。
 そのような状態に、僕は以前から漠然とした不安を抱いていたのだが、ここに来てその不安が明確に形となった感じだ。
 断言すれば、ドラえもんと言う作品は藤子・F・不二雄の描いた漫画作品がすべてである。それ以外の物は単なる派生物、原作の引き立て役に過ぎない。アニメとて無論例外ではないのだ。この理屈は別にドラに限ったことではなく、すべての漫画に共通した真理である。アニメ化企画が先行でもしていない限りは、すべての原作付きアニメ作品は原作漫画の宣伝材料に過ぎないのである。
 しかしアニメドラはそう言った基本的な素養を超えた存在として、世間に認知されている。これはもちろん、往時のアニメドラが極めて優れた「原作付きアニメ」であったからに他ならないのだが、そういったことを知らない世代が、単に現代のアニメドラ(と言うか大山時代のドラ)を見て、大山ドラを必要以上に持ち上げて神格化し、そんな大山ドラを愛好している自分を「マニア」と自称して自惚れる。原作すらろくに知らず、大山ドラを無批判に持ち上げることしかしない人間が、マニアの振りして現在のリニュ版ドラを批判する。これを愚かな行為と言わずして何と言おうか。

 元来、ドラえもんと言う作品は作者の死と共に終わった作品である。とっくにその寿命は尽きている。今はそれを無理して延命させているに過ぎない。
 延命行為そのものは別に否定されるものではない。しかしアニメドラの場合はその延命措置にあまりにも不手際が多すぎた。だからこそこんな問題が今になって噴出しているのだろう。
 考えても見て欲しい。リニュ版ドラを見て「面白かった」と思う人がいたとする。そんな人が単純な感想を掲示板に書き込む。すると間髪いれずに「大山ドラと比べると云々」という否定的レスが返ってくる。こんなことを毎週毎週続けられたら、誰だって嫌になるだろう。
 はっきり言って「ファン」「マニア」を名乗る人間のレベルが低いと言わざるを得ない。

 僕個人の考えを言えば、アニメドラはもう終わるべきだと以前から思っていた。そして残念ながら、この考えは今も基本的に変わらない。
 新たな原作が登場しない以上、アニメをやることである程度認知度を保つことが出来るという意見ももちろん理解できるし、賛同するのだが、同時にあのようなにわかファンばかりを増産することになるのなら、いっそすべてをリセットしてしまえばいいと考えている。
 ドラえもんは既に終わった作品である。アニメも終了すれば世間的にも完全に「終わった作品」として認知されるだろう。そうなれば、ファンと名乗ることを自らの売名行為程度にしか考えていない(しかもそれを自分で気づいていない)連中は離れていくだろう。既に終わった作品を愛好することは、予想する以上に大変なことだからだ。
 そうすれば、ドラの「ファン」人口が減る中で、原作漫画を読んで純粋にドラえもんと言う作品を愛してくれる一握りの人間が、いつか必ずどこからか生まれてくることだろう。そういう人間をこそ「ファン」と呼ぶべきなのではないか。
 ドラえもんと言う作品はもはや、安易に時流に乗ってファンになれるような作品ではなくなっているのだ。

 「ハロー宇宙人」でドラえもんは、進化し始めた火星のカビをさらに劇的に進化させるため、地表を乾燥させて大多数のカビを枯れさせている。しかしその中から水を求めて動き回ることの出来る新種が誕生した。
 我々も今、同じようなことをしなければならないのではないか。あまりにも「ファン」が増えすぎたが故の現在の惨状、早急に改善する必要があるだろう。
posted by 銀河満月 at 20:22| Comment(0) | TrackBack(0) | ドラえもん・藤子関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月21日

5巻は来年2月

 昨日はドラえもんプラス2巻ともっとドラ2巻の発売日だったので、会社帰りに買ってきた。スーツ姿でこの種の本を買うのも、もうさすがに慣れてしまったなあ。
 もっとドラは相変わらず付録のせいででかいんだけど、まあこれは我慢するとして、今回の未収録作品は「さいみんふりこ」と「ウルトラスーパー電池」。後者の方は2ちゃんねるで一気に有名になったAA「きみはじつにバカだな」の元ネタが載っている作品として、内容とはまったく関係ない部分で有名な作品である。
 と言っても話としてはさいみんふりこの方が好きなんだけどね、僕としては。「〜電池」の方は各シーンでのインパクトは強いけど、全体通してみると散漫な印象を受ける。F先生が自選したてんコミに収録されている諸作品に比べると、明らかにワンランク下の話だと言わざるを得ない。
 記事内容はぼくドラよりはページ数が多いこともあって、結構充実していた。漫画を元にしたキャラクターの特集記事はやはり面目躍如というところか。

 プラス2巻は以前に何らかの形で既に収録されている作品が15、残りが完全未収録作品だった。しかし作品の年代がかなり飛んでいるので、果たしてどんな基準で選んでいるのか、よくわからない。まあ限られた総ページ数の中に、出来るだけたくさんの作品を収録したいという意欲は窺えるのだけど。
 個人的にはやはり最後期の作品がいくつか収録されたのが良かった。タイムピストルとかピンチランナー、身代わりテレビや全体復元液とかね。特にタイムピストルは何でもかんでもバキュバキュ消していく様が、後期としては結構異様な雰囲気を醸し出していて、なかなか面白い。既収録作と言っても、FFランド収録作品は今現在簡単に読むことは出来ないわけだし、その点ではほとんどの話に初めて触れる人が多いだろうから、それに関しては良かったと思う。
 しかしこのプラスは発売月がかなり飛ぶんだなあ。最終5巻には「45年後…」と百鬼線香の話を入れてもらいたいものだ。
posted by 銀河満月 at 21:20| Comment(0) | TrackBack(6) | ドラえもん・藤子関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月13日

石ノ森全集は出るというのに…

 ケデラッタさんのブログで思い出したのだけども、今月で藤子不二雄Aランドの販売が完結するらしい。思えば刊行が開始されたのが2002年の7月だから、そこから3年越しの大偉業と言うわけである。
 と言ってもこの復刊にいたるまでの道のりは、当然だが平坦なものではなかった。詳細はケデラッタさんのブログに記載されているが、元々FFランドの復刊と言うのは、ファンの長年の悲願だった。残念ながらF先生の作品群は復刻しなかったものの、A先生の諸作品149巻分が復刊したと言うのは、今もって驚異的な事実であり、利益第一主義に走りがちな出版業界のことを考えてみても、奇跡と言っていいかもしれない事象だった。
 それだけに僕もきちんと購入したかったのだけども、はっきり言って149巻もの本を置く場所がいまだに確保しきれず、そのために全巻購入自体が困難になっている。だから同人誌なんか買ってる場合じゃねーんだよ(笑)!

 しかしこのAランド、やはり世間一般的にはあまり受け入れられてはいないだろう。まともにCMすらされない状況で、新規連載のほとんどない藤子不二雄と言う漫画家の作品を、一番読んでもらいたい児童層がどれだけ購入するかは非常に微妙である。
 さらにはケデラッタさんのところでも触れているが、作品そのものを評価せずに、作品に付随する「希少価値」のみに固執するアホまで沸いてくる始末。受け手までもがこのような体たらくでは、とても作品そのものが広く受け入れられたとは言えないだろう。

 今「藤子不二雄の作品」と言えば、大多数の人はドラえもんしか浮かばないだろう。しかし僕の友人が好きな作品は「怪物くん」である。藤子先生はたくさんの作品を書いたのだから、1人1人好きな作品が異なるのは当たり前だ。
 自分の思い入れの強い作品についてそれぞれ言い合い、作品の魅力や欠点をお互いに新たに発見する。それによって作品への親近感や愛着をより深めていく。それは作者にとっても読者にとっても、非常に幸せなことではないか。
 互いに幸せになれるその一時、我々の世代が体験したその一瞬が現代に蘇ってくれることを、切に願わずにはいられない。


 最後に。
 上記で触れた友人snake氏、彼には原作ドラのFFランド収録話関連で随分世話になったのに、全話紹介終了の時に礼を言うのを忘れていたな。
 この場を借りてお礼申し上げます。どうもありがとう。

 …でもドラはそんなに好きじゃないと言いつつ、FFランド売ってもくれないんだよな(笑)。
posted by 銀河満月 at 01:52| Comment(0) | TrackBack(4) | ドラえもん・藤子関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月02日

メトロンの宇宙船のようだ

 どうでもいいけど、第3次スパロボαが出る翌週には、もうエクステーゼが出るんじゃないの。バンプレ的にこの強行軍ってどうなのよ?

 それはさておき、昨日はリニュ版ドラの1時間スペシャルがあった。リニュ版が放送開始して3ヶ月でスペシャルとは、局側としてもそれなりに力を入れているということか。

 1つ目は「一生に一度は百点を…」。初期に書かれた作品の中でも比較的教訓色の強い作品だ。
 話としてはほぼ原作どおりで、ラストに出てくる人物が原作ではジャイアンの父ちゃんだったのに、アニメでは母ちゃんになっていたことくらいしか違いはない。
 この人物変更は特に文句はないのだけど、原作での肝とも言うべき「出来の悪いのは仕方がないとして、不正だけはするなと教えてきたはずだぞ」と言うセリフがなかったのは残念だった。このセリフのあるなしで、ラストの母ちゃんの怒っている理由も若干違ったものになってしまったので、はっきりとセリフで明言して欲しかったかなと思う。
 ドラの軽蔑の眼差しもちょっと物足りなかったかな。

 2つ目は「のろいのカメラ」。
 こちらも思っていた以上に原作そのままの展開になってくれていたので良かった。原作初期でもかなりのドタバタギャグなので、正直ストレートなアニメ化はできないかなと思っていただけに、嬉しい誤算だった。
 まあ「なかなかきれないわ」「かなづちでたたこう」というようなセリフが出てこなかったのは、テレビアニメという媒体の中でいかに原作の雰囲気を表現するか、スタッフのギリギリのせめぎあい故のものだろう。まあそれ以外にもアニメ版のジャイ子がいきなり原作準拠の性格になってしまうのも困るしね。
 しかしジャイ子の声も2回目ともなるとそれほど違和感を感じないから不思議だ。僕が慣れるの早すぎなんかな?
 人形ドラがいたぶられたり、小便に見せかける仕返しなんかも原作どおりだと思っていたら、アニメでは部屋に入ってきた猫にのびドラの人形が引っかかれるという追加オチが入っていた。これはいらないんじゃないかと思っていたら、次に表示される「人を呪わば穴二つ」の言葉。
 なるほど、つまりはこれが言いたかったんですね。原作の話自体、言ってることは要するにこのことなんだけど、アニメではこれにさらにワンアクションくっつけて、説得力を増強してるってわけだ。うまいやり方ですな。
 まあこういう話を放送すると、たぶんどこからか文句が来るだろうから、それを見越しての演出なんだろうね。と思っていると、もうそういう意見が他のドラサイト掲示板に書き込まれているようで、なんだか暗然とした気分になる。

 3つ目は「天井うらの宇宙戦争」。
 いろんなところでスターウォーズに合わせてのアニメ化だと言われているけど、そもそも原作自体がSWにリスペクトしているし、それ以外のいろんな話、いろんな作品にもF先生はSWを元にしたパロディシーンを取り入れている。よっぽどSWが好きだったんですねえ。
 僕もルークが出てるエピ4〜6は好きなんだけど、最近のはな…。エピ2のアナキンとアミダラの恋愛描写なんざ、いつの時代の恋愛映画だと思ってしまったよ。
 それは置いといて、アニメの話。冒頭のゲームセットを見て今更気づいたんだけど、プレイヤー側のマシンはtieファイター、敵のマシンはXウイング戦闘機のパロなんだね。
 まあ後はこれまたほぼ原作どおりだったんだけど、細かい描写を結構丁寧に描いているので、なかなかの好感触だった。
 ジャイアンの家の天井裏がそのまま未来的な要塞になっているという、「壁1枚向こうに非日常」的感覚もきちんと描写してくれていたのが、個人的に良かった。
 アーレ姫の勲章好きもきちんと再現してくれていただけでなく、かなりオーバーに感動するというオリジナルの性格設定までされていて、久川綾のボイスとも相俟って、いい意味で個性的なゲストキャラクターになっていた。さすがだぜ、亜美ちゃん!(古すぎ)
 終盤の戦闘シーンも結構(意外?)派手に描いていて、スペシャル用のアニメとしてはまずまずの出来に仕上がっていたのではないだろうか。

 さすがにこの時期になると声優陣もだいぶこなれてきた感じがするね。のび太はまだ落ち着きがないように見受けられるけどもね。
posted by 銀河満月 at 16:44| Comment(1) | TrackBack(8) | ドラえもん・藤子関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月25日

個々は良かったが全体としては…

 日付が変わってしまったが、昨日のリニュ版ドラの話。

 Aパートは「おかしなおかしなかさ」。原作の総ページ数が少なかったせいか、今回はかなりの追加部分があったのだけど、正直言って微妙な違和感を感じてしまった。
 あいあいがさでののび太としずかのやり取りは面白かったし、マラソンがさに絡んできたジャイスネの扱いも、それほど変なものではなかった(特にかさを盗んでしまおうとする時のスネ夫の入念な行動は芸コマ)。
 しかし全体を通してみると、なんか違和感をぬぐえない。あまりにも個々の場面がぶつ切りになってしまっていて、全体としての統一感が希薄になってしまっているように見えたのだ。
 原作では迷惑を被るのはパパ1人だったのに、のび太やジャイスネまでその迷惑の対象になってしまった結果、散漫になってしまった印象がある。特にマラソンがさでパパを追いかけている最中なのに、ジャイアンを強引に絡ませたのは、ちょっと強引だった。

 ミニシアターは「シューズセット」。見た時からなんか変だと思って原作を読んでみると、スネ夫が出ていなかったんだね。
 まあ個人的にはそっちはどうでもよく、ママの「アーレー」の悲鳴の方が気になってしまった。もちろん原作どおりなんだけど、アニメで声として発音すると、ちょっと陳腐になってしまった気がする。これがスネ夫のママならまた別なんだけど。

 Bパートは「まあまあ棒」。
 出目フグという原作屈指の悪口がきちんと登場したのは良かったけど、どうせならママには息子の胸倉ぐらいつかませて欲しかったなあ。
 こっちはほぼ原作どおりで、特に気になる点はなかった。逆を言えばこの話をアニメにする際、最大にして唯一の盛り上げ所は終盤にあるので、ここらへんをどう演出するかでスタッフの力量が問われるといっても過言ではない(ホント?)。
 大山版では爆発と同時に火山が噴火するイメージが挿入されていた(はず)が、今回は爆発の瞬間をアングルを変えて3連続で見せ、さらに遠景から爆発を見せ、その後に吹っ飛ぶのびドラのシーンを挿入するという、極めて映画チックな演出になっていた。こういう見せ方は個人的にも大歓迎の演出なんで、よくできていたと思う。真っ黒焦げになったジャイスネをきちんと描いてくれたのも、また好印象。
 ジャイアンの中の人もさすがに少しは演技の幅が広がりつつあるようで、今回はあまり違和感を感じずに見ていられた。Aパートはちょっと微妙な点があったけど。

 前話のインパクトが良くも悪くも強かったため、今回はちょっと物足りなく感じてしまう面が多かったけども、決してつまらなかったわけではなく、むしろきちんと水準に達していたと思う。
 来週はスペシャルとのことだけど、「天井うらの宇宙戦争」はあまり余計な要素を加えず、原作に沿った話にして欲しいものだ。
posted by 銀河満月 at 17:13| Comment(0) | TrackBack(4) | ドラえもん・藤子関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月17日

「公害についてですね」

 いやー、今日のドラは久々に面白かった。こんなにアニメドラで素直に笑ったのは久々だなあ。スタッフ&キャストも以前よりはこなれてきたのかな。今までのドタバタギャグ系の話に比べると、明らかに雰囲気が変わっている。

 今回は「好きでたまらニャい」と「流行性ネコシャクシウィルス」。どっちも僕の好きな話である。
 今回はなんと言っても前半が非常に良かった。展開だけでなく、ドラの表情や行動まで大体原作どおりになっており、アニメ的な動きも加わって非常に見応えのある内容になっていた。今話のような話ではいつものびドラの立場が逆転するのも特徴であり、普段とのギャップを見るのも楽しい。
 のびドラが変に笑ったり騒いだりするのもそうだが、のび太の服でドラが鼻をかむという、個人的に大好きなシーンもきちんとやってくれていたのが良かった。
 デート時の会話練習で、のび太に別の話題をふれと言われた時、アニメでは経済問題となっていたが、原作では公害問題に変わっていた。ま、どちらもその時重要な社会問題という点で同じだから、ここはとやかく言うまい。
 出木杉が「しずかくん」といっていたのもなんか良かった。F先生の男キャラは女キャラを「○○くん」と呼ぶことが多いのだが、この呼び方もまた結構好きなのだ。出木杉がしずかをこう呼ぶのはほとんどアニメオリジナルだけど、出来ればこのまま続けて欲しいものだ。

 ミニシアターは幼稚園に掲載された短編作。よいこと幼稚園の収録作も早いうちに読みに行かないとなあ。夏休みにでも行くか。取れれば(笑)。

 後半はウィルス。原作が単なるギャグ話と一線を画していたのは、所謂「ブーム」というものについて、非常に深く冷静な考察を、短い言葉で端的に表していたことなのだが、今回のアニメでもその辺をきちんとフォローしていてくれたのが嬉しかった。これがあるのとないのとでは雲泥の差だからね。
 今現在、王冠を使っているような飲み物はあまりないんだろうけど、今話の主旨は「普段誰も興味を持たないものにみんなが熱心になるその滑稽さ」であるため、むしろ今という時代の方が、王冠が流行るというナンセンス性を深めていると思う。
 ラストのオチ変更も無理なく消化されており、これまた好印象。

 いや、今回は素直に面白かったですね。一口にギャグアニメと言っても、そのアプローチの仕方がまったく異なるAパートとBパート。その両方をいっぺんに見られただけでも、結構な価値があるんじゃなかろうか。
posted by 銀河満月 at 23:38| Comment(0) | TrackBack(9) | ドラえもん・藤子関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月14日

ナレーターは新のび太のママ

 先日の日曜日、フジテレビで放送されている「ウチくる!?」に大山のぶ代ら、前ドラ声優陣が出演していた。
 この番組自体はうちの親がいつも見ているので、僕も事前情報など知らずに普通に見ていたのだが、突然出てきたので驚いてしまった。
 ちなみにメインのゲストは大山のぶ代で、一時的に参加する形として小原乃梨子、番組内の1コーナー「思い出侍」に他の3人が出演する形だった。

 内容そのものは大山のぶ代が馴染みだという恵比寿あたりをまわって食事を取りつつ、大山版ドラについて色々話をするという内容だった。国松君についても若干話はあったかな。ザンボットはさすがになかった(笑)。
 小原乃梨子が出てきていた時には、即興で「さようなら、ドラえもん」のそれぞれの役を演じてみたりして、感慨深かった。僕としては無論近年の映画版ではなく、以前のテレビアニメ版のほうを思い出すわけだけど。
 ラストにはバロム1の「松おじ」こと砂川啓介氏(つまり大山女史の旦那)も登場、番組に花を添えていた。

 番組の内容そのものは特におかしな点はなかったんだけど、僕としては少し釈然としない気分になってしまった。
 リニュ版ドラが始まってようやく2ヶ月ほどが経ったものの、今もって定着したとは言いがたい。今必死に何とかして定着させようとしている最中に、「ドラえもんの声」と銘打って大山のぶ代が演じることは、混乱の元になる可能性がある。もちろん演じるなとか、大山版ドラをなかったことにしろなどと言うつもりはさらさらないが、もう少し現行のリニュ版ドラに気を遣ってもいいのではないだろうか。
 もう一度言うが、リニュ版ドラが始まってまだ2ヶ月である。つまり3ヶ月前にはまだ大山ドラは放送されていたのだ。こんな浅い時間しか経っていない段階で、大山女史が他番組でドラを演じてしまっては、混乱と言うより、慣れつつあるリニュ版ドラから視聴者が離れていってしまう危険性も否定できない。
 その程度で離れていくような作品を作るなとは言うなかれ。26年間も続いたアニメが、たいしたインターバルも取らずに全面リニューアルすること自体、初めてのことなのだ。そのような経緯で生まれたリニュ版ドラを育成していくための理想的な環境というものは、前例がない以上、周囲の人間が試行錯誤しつつ模索していく以外にない。ならマイナス要因になる可能性のある事象は、極力抑えるべきではないか。
 これが僕の考えである。

 ちなみに僕は不精なんで、あまり他のドラサイトをぐるぐる回るようなことをしていないのだが、Misttimes.com Blogによると、この番組によってリニュ版ドラ否定派が結構勢いづいて騒ぎ出しているらしい。
 まあなんつーか、大山版ドラを「神格化」している時点で、もはや僕には縁のない世界の人たちなんだろうなあ。僕もそんな純粋だったあの頃に戻りたいもんですな(笑)。
posted by 銀河満月 at 23:43| Comment(0) | TrackBack(3) | ドラえもん・藤子関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月11日

やろう、ぶっころしてやる!

 ナムカプばっかりやってたせいで、リニュ版ドラもここ2週は見てないなあ。ま、一応録画はしてるから、すぐに見られるんだけどね。

 で、昨日のアニメは「ドラえもんだらけ」と「ココロコロン」。
 結論から言うと、どっちもパッとしなかったと言うのが本音だなあ。そもそものび太が廊下で寝ると言うシチュエーションがなんかおかしい。やっぱりのび太の部屋の向かいの部屋は残しておくべきだったよなあ。
 前半の見所はやはり5人のドラがやいのやいのと騒ぐ場面に尽きるわけなんだが、ドラのボロボロ具合はともかく、時間が経つにしたがってだんだん凶暴になっていくドラの描写が少し足りなかったように思う。原作はドタバタギャグなのだから、その原作の持ち味を生かすためには、アニメもドタバタギャグになっていなければいけないだろう。
 8時間後のドラえもんが少し大人しすぎたのがかなり残念。せめてスパナぐらいは持ってて欲しかった。

 「ココロコロン」の方は、概ね原作どおり。
 不満と言えばジャイスネの出番があまりにも蛇足だったと言うことか。レギュラー5人を必ず毎回出す必要があると言う枷のようなものに縛られすぎた結果と言うところだろう。
 後は特に可もなく不可もなくという感じか。強いて言えば冒頭でのび太が犬に襲われ、ボロボロになるシーンがなかったのが残念だった。

 今回はあまり印象に残らない話だったな。特に後半のオリジナルシーンはまったく蛇足としか言いようがなく、それ以前にココロコロンという道具の効能がかなりおかしくなっていた気がする。
posted by 銀河満月 at 18:39| Comment(0) | TrackBack(7) | ドラえもん・藤子関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月24日

2人で1人の漫画家

 だいぶ書くのが遅れてしまったが、この間の日曜は藤子不二雄ファンの会合があったので、参加してきた。
 極々少人数で集まったのだが、その顔ぶれたるやそうそうたるもので(ここの人とかここの人とかここの人など)、ネットなどが普及するずっと以前からファン活動をし続けてきた方々ばかりである。自分なんぞがいていいもんなのかと思ってしまったりもしたが、いざ会合そのものが始まると、そこはやはり「藤子不二雄」という共通の趣味カテゴリを持っているだけあって、普通に会話が弾んだので良かった。

 この会合に出られたことは本当に有意義だった。詳しい内容をここで書くことは出来ないのだが、やはり藤子先生は「2人で1人」なのだと改めて実感させられた。なんと言うか、単純な利害関係などを超越した人間関係がそこにあるように思える。ここまでの境地にたどり着ける人間は、そう滅多にいるものではあるまい。この2人が出会い、「1人」となって漫画活動を続けられたこと、それ自体がやはり「奇跡」なのだろう。
 こんな偉大な漫画家の作品を今尚読むことが出来ることの幸せに改めて気づくと共に、いつまでもこの漫画家のファンでい続けようと改めて決心した次第である。

 会合の後は懇親会があったのだけど、僕はそれには参加せずに帰宅した。
 あの時は結果的にはぐれるような形で別れてしまい、申し訳ありませんでした。

 来月は少し忙しくなりそうだな…。
posted by 銀河満月 at 23:24| Comment(0) | TrackBack(1) | ドラえもん・藤子関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月21日

「ハロー宇宙人」はたっぷり見たかった

 「漫画の中からはるばると」全話補完について、僕はこのブログでしか宣伝はしてないんだけど、それでも結構他のサイトでこのことが紹介されているようです。
 カトゆー家断絶さんでも紹介していただいちゃったりして(5月21日のログ参照)、今まであまりこういうことがなかっただけに、うれしいやら恥ずかしいやらと言う感じ。

 さて、いつの間にか恒例?になったらしい、リニュ版ドラの感想タイム。
 今回は「マル秘スパイ大作戦」と「ハロー宇宙人」。ミニシアターはまたも「よいこ」から持ってきた話らしいので、これを期によいこや幼稚園の作品もなんかに掲載されてくれないかなあ。

 「スパイ〜」の方は、話自体はほぼ原作どおりで、変わっていることとすれば道具の形状とスネ夫の秘密が「おねしょ」から「トイレで大をする時の格好」になったことだろう。
 おねしょについてはまあ変更する理由もわからなくはないし、おねしょと言う行為を「相手をバカにする」理由として扱っている以上、慎重にならざるを得ない気持ちはわかる。でもこうも簡単に表現のタブーを作ってしまっていいのかとも考えてしまう。一旦タブーが出来上がってしまうと、それはすぐに自主規制に繋がってしまい、結果的には表現の幅を狭めてしまうことになるわけだからね。「ヤバイから描かなきゃいい」という事なかれ主義のままではダメだろう。

 「ハロー〜」はなあ…。やっぱり尺が短すぎだよ。僕としてはドラの中でもああいう知的好奇心を巧みにくすぐってくれる類の話は大好きなので、もっとじっくり見せて欲しかった。
 さらに今話でも水田わさびの「ドラえもんの声」スキルの不足が露呈した。のび太に科学的な解説をしている場面は、やはり大人びた感じで演じて欲しかったなあ。ドラえもんはのび太の友達であり、時にはのび太の1つ高みにいる存在でもあるのだ。

 既に何度も言ってるんだけど、全体的にあまりにも無難にまとめすぎているね。まだリニューアルしたばっかりだから、冒険ができないという現実的な理由はよくわかるのだけど、やはりアニメならではの味が必要なのもまた事実。
 まあしばらくはじっくり見ていくことにしようか。
posted by 銀河満月 at 20:50| Comment(1) | TrackBack(6) | ドラえもん・藤子関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月18日

もうちょっと自画自賛させて(笑)

 自分のことで本当に恐縮だけども、もう少し全話補完に関して。

 以前にも書いたとおり、未収録作品を読むために基本的には国会図書館(今は国際子ども図書館)に行く必要があるんだけど、これが結構面倒なのだ。
 特に国会図書館の時代は大変だった。現在の子ども図書館はまだいいんだけど、国会図書館は閉架式とは言え借りる人間もかなりの数になるので、請求書を出してから本がカウンタに届くまでの時間が結構かかるのだ。タイミングが悪いと30分ぐらいは待たないといけない。
 さらにその後複写するのも、借りる時ほどではないにしろ時間がかかる。国会図書館で作品を読む際の最大の敵は「時間」だったのだ。
 だから国会図書館に行く際はほとんど開館同時に入り、閉館時間ギリギリまでいることがほとんどだった。それでもそんなにポンポン借りられるわけではなく、もちろん他の誰かが借りている場合は借りられないし、本自体の改修作業が行われている場合ももちろん借りられない。だから1日かけても目当ての作品全てを見ることができない時もあった。
 今の子ども図書館は、資料室に入れる人間の絶対数そのものが少ない上に、請求票を出したら10分ぐらいで書庫から本が届くので、待ち時間のストレスも以前に比べると感じなくなったんだけどね。

 あと学生時代の難敵としては、やっぱり「複写代金」が挙げられる。
 複写って言ったって、そこらのコンビニみたいに1枚10円ってわけには行かないので、1日に何枚も何枚も複写すると、結構な出費になる。貧乏学生だった自分にはこれが何より辛かった。仕方がないので全ての作品をコピーせず、その場で文章に書き起こすこともしょっちゅうだった。
 この苦労はもちろん社会人になって、ある程度懐があったかくなると気にしなくなるのだが、今度は社会人特有の悩みが出てくることになる。言うまでもなく「図書館に行くための時間」がないわけだ。
 だから時には夜勤明けに行ったこともあったりして、なかなかに辛かった。

 まあ何が言いたいかと言うと、我ながらよくもまあ飽きもせず今まで続けたなあということである(笑)。
 ただ実際はぴかコミやぼくドラのおかげで、未読の作品をある程度は読むことができたってことも大きいんだけどね。
 ただま、これから近い将来、恐らくはドラえもんの全集のようなものがきっと出てくるだろう。しかしドラの全作品を文章化して紹介しようなんていう物好きは、そんなには出てこないだろうから、そういう意味では今のうちにやってしまって良かったという感じだな。

 一度でもやってみたことのある人ならわかると思うけど、マンガの内容を文章にするのって非常に難しいんだよね。
 さらにドラえもんという作品は、一コマに入っている情報量が意外なほどに多いので、それらを全部文字に起こすのは至難の業だ(今もって僕は出来てないしね)。
 だからどうしても省略する部分が出てくるんだけど、省略しすぎると逆にここの話が持っている魅力そのものを消してしまうことにもなってしまうし、ここらへんのバランスをどう取ればいいのか、随分悩んだものだ。
 (ちなみにその試行錯誤の段階として、初期に文章化した話(てんコミの初期とか)はストーリー紹介部分をかなり簡略化しまっている。これはいずれ修正したい。)

 ま、そんなこんなでとりあえずは完成したウチの目玉コンテンツ(と言ってもいいよな?)・「漫画の中からはるばると」。
 お暇な時にでも一読してみてくださいませ。
 自画自賛も今回で終了しますので。
posted by 銀河満月 at 22:19| Comment(0) | TrackBack(0) | ドラえもん・藤子関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月15日

ついに…、遂に完了したよ…

 自サイトのことなんでどうしても自画自賛になってしまうのだが、やっとこさ完成しました。

 原作ドラ・学年誌掲載作全話紹介完了。

 思えば一番最初に更新を開始したのが1999年の9月。それから約5年半の歳月を経て、今ようやくHP開設当初からの悲願を達成したわけだ。
 元々サイトを立ち上げた理由も、これをやりたかったからと言うことが多分にある。ネットを色々見て回っても、各話ごとの細かい紹介をしているサイトは皆無に等しい状態だったので、ならば自分でやってみよう。どうせならてんコミ分だけでなく、掲載された作品全てを紹介してみよう、と思い至ったのが、苦労の始まりだったわけだ(笑)。
 それからはまあ大変だった。FFランドはある程度所有している友人がいたので、彼から借りて済ませたものの、カラーコミックスや完全未収録作品などは国会図書館で読むほかない。国会図書館は手続き自体は難しくないものの、借りて複写するまでの1プロセスに異様に時間がかかるので、なかなかはかどらず、そうこうしているうちに社会人になってしまった。
 社会人になってからも定期的に図書館に通い、去年になってからは「ぼくドラ」や「ぴかコミ」が出てくれたおかげで、だいぶ補完も進み、遂に昨日、全ての作品を読破したのである。

 今更ながら無茶なことをしたと思う。しかも最初の頃に書いたやつなんか、今の目で見るともうダメダメな書き方で、これについては恥ずかしい限りだ。近々文章を直さないといけないだろう。
 でもこれでようやく、誰に恥じることのない「ドラえもんファンサイト」が出来上がったと、個人的に思う。
 まあ文章だけのお堅い雰囲気になっていることは否めないが、僕はマンガの絵をそのままアップすることは好まない。「ドラえもん」というマンガは当然だが面白い。当たり前のように面白いからこそ、原作の内容をそのまま使えば、どんな人間が作ってもそれなりに面白いサイトが出来上がってしまうと思うのだ。
 だからこそ僕は原作マンガの絵的な魅力に頼らず、文章だけで「ドラえもん」という作品の魅力を伝えてみようと考え、それを柱にして今までサイト作成を行ってきた。それが果たして達成できているかどうかは今もって判断できないが、これからもこの方針で進めていくことに変わりはない。

 だいぶ脱線してしまったな。
 ただ「よいこ」「幼稚園」収録作品はまだほとんど読んでおらず、「人間そっくりたまご」「シューズセット」など、秘密道具コンテスト結果発表の際にF先生が特別に描いた2ページマンガは、まだ紹介していない。
 秘密道具コンテストのやつは、個人的には正式な作品ではなく、あくまでイレギュラー的なおまけ作品と認識しているので、これについては近々コンテンツを修正した際に追加しようと思う。
 「よいこ」「幼稚園」作品もいくつかは既読済みなんだけど、4コマだったり一枚絵だったりと変則的な掲載になっていたりするので、どう紹介したらいいか正直悩んでいるところ。恐らくこれらもイレギュラー的扱いにするだろうな。

 ともあれ「ドラえもん」と言う作品の主だった話は全て紹介できた。ほんの少しだけ、この5年半の成果に満足することにしよう。
posted by 銀河満月 at 18:13| Comment(3) | TrackBack(1) | ドラえもん・藤子関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月14日

アニメドラはいつまで続くか

 さてさて、なんか毎週恒例になってしまった感のある、リニュ版ドラの感想である。

 今回の放送分は「タイムふろしき」と「タンポポ空を行く」。で、ミニシアターとしては通称「なんでもロープ」だった。
 ミニシアターはなんと未就学児童雑誌「よいこ」の71年2月掲載分からということで、ネット上ではちょっと話題になっているらしい。よいこや幼稚園に掲載された話は、基本的に2ページとか4ページの作品で、道具の性能を生かして楽しく遊ぶというのが、話の大体の骨子になっているので、短い時間のアニメ作品を作る題材にするには、ちょうどいいのではないかと思う。

 さて今回も感想を言ってみようかなあと思うんだけど、ここまで来ると普通すぎて何も感想が出てこないなあ(笑)。奇をてらうことなく、本当にストレートに原作をアニメにしているだけなんで、アニメ独自の部分を見て感想を言うことが難しいのだ。
 特にタイムふろしきは原作が初期の作品であるために、原作の持っていた初期特有のハチャメチャ感が薄れてしまった点は否めない。と言うかこれはどうしようもないだろう。ジャイアンのガキ大将としての横暴ぶりや、母ちゃんの「ふざけんな」「ビタン」が描かれなかったのは何とも残念。スネ夫のこすっからい面はきちんと描けてたと思うけど。あとは関智一の正当なヒーロー系声が聞けたことかな(笑)。
 スネ夫のママは今回初登場だったけど、確かによくよく聞くと高山みなみの声なんだけど、今まで聞いたことのある高山みなみの声とはまったく異なる声だったんで、正直驚いた。さすが声優さんですねえ。

 「タンポポ〜」の方は、終わり方がちょっとつまらなかった。なんか原作に比べると余韻があまり残らなかったなあ。あのシーンはやっぱりのび太の様子を後ろから見るべきだったんじゃないだろうか。
 あとは比較的丁寧な作りだった。風が吹いてくるシーンで俯瞰描写になるというイメージの作り方は良かったと思う。で、演出はなんと安藤敏彦。大山ドラの最後を見事に飾ってくれた「ドラえもんに休日を!?」を演出したとはとても思えない、手堅い演出だった。やっぱりあれはいろんな人間のいろんな思惑が交錯して出来上がった珍作だったんだろうな。

 さて、先週のアニメドラについて、視聴率が下がったとか言って一喜一憂している人がいるようだけど、僕にしてみれば正直今の時点での視聴率など、あまり気にする必要はないと思う。
 それは現在のリニュ版ドラは、視聴率の良し悪しで進退を決めるような立場にまで、まだ下りてきていないからだ。
 来年には「のび太の恐竜2006」が公開予定である。これは確定事項である。もう既に各方面でこの映画についての準備が進んでいることだろう。そんな状態でテレビアニメだけを終わらせるはずはないのだ。映画版が究極的に言えば、本編たるテレビアニメの宣伝材料に過ぎない以上、メインであるテレビアニメを終わらせるはずはない。
 何年も続いてきたアニメならば、もしかするとそういう事態も起こりうるかもしれない(「犬夜叉」みたいに)。しかしリニュ版ドラはまだ始まったばかりである。これからどのように転ぶかははっきり言って誰にもわからない。今年1年人気が停滞気味だとしても、映画を機会に盛り上がる可能性も十分にある。そんな不安定な状態でしかも映画公開決定と言う事実が眼前に転がっている以上、どんな立場のスタッフもアニメドラを終わらせるはずはない、終わらせることは出来ないのだ。
 だから今はまだ視聴率の推移だけを見ていてもしょうがないと思う。むしろ注目すべきは来年度からだろう。映画をやってまで視聴率が安定しなかったら、いよいよ覚悟しなければならない。

 僕個人としては、アニメドラは5年放送できれば十分なんじゃないかと思う。
 あくまで個人的な考えなのだが、正直言って21世紀の現代にドラえもんと言う作品はそぐわないのではないかと思うのだ。
 これについては色々思うところはあるんだけど、書くことがあるならまた次の機会に。
posted by 銀河満月 at 18:52| Comment(0) | TrackBack(3) | ドラえもん・藤子関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月08日

大失敗、と言うか大忘却?

 実は先週の金曜日、上野の国際子ども図書館に行って、未収録ドラをコピーしてきた。
 カラー作品集とかぼくドラの付録なんかで、今まで読んでいなかった作品も結構補完できていたので、今回のコピーで未読分も完全に網羅できるものだと思い、今日作品紹介を更新して、「ドラ全話補完!」と大々的に宣伝したかったのだ。
 ところがここに来て僕は大失敗してしまった。未読作品のうち1つだけ、コピーするのを忘れてきてしまったのだ!
 おのれ、これでは俺の計画は台無しではないか。さすがライダー、なかなかやるな(意味不明)。
 まあ後1つだけなんでそんなに慌てなくてもいいとは思うんだけど、問題なのは先週以降、当分は上野方面に行かないんだよなあ。会社帰りに寄れるわけもないし。うーん、いつになったら最後の1つを補完することが出来るのか。
 尤も「よいこ」「幼稚園」の分はまったく除外して考えているんだけどね。そう言えば「ドラえもんの道具コンテスト」で優秀作品を題材にした短編マンガは紹介してないな。あれも毛色が違う作品だけどどうしたもんかなあ。あれを紹介するなら「ジャックと豆の木」だって紹介しなければならないだろうし、どういう扱いにしたものか。
 どうせいずれは全て紹介することになるんだけど、結構この種の扱いは難しいね。

 そう言えば「もっとドラえもん」まだ買ってないな。次の号は「ウルトラスーパー電池」が収録されるらしいので買うけど、今回のは未収録作にもあまり魅力を感じないんだよな…。
posted by 銀河満月 at 17:18| Comment(0) | TrackBack(1) | ドラえもん・藤子関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月07日

「狂」を消すのは小学館くらい

 今日、やっとFINALBOXのゴジラ映画を見終えたよ。27作品をぶっ続けで見るのはさすがに厳しかったなあ。と言っても今世紀に入ってからのゴジラはまったく見たことがなかったので、新鮮な気持ちで見ることができたのも事実。
 余裕があればそれらについての感想でも書いてみようかなあ。どこかで聞いたようなつまんない内容になるとは思うが(笑)。

 さて、昨日はリニュ版ドラの第4回が放送された。「驚音波発振機」と「オールマイティーパス」である。
 「驚音波発振機」は本来は「狂音波」なのだが、小学館の自主規制で「狂」の字を変更したと言う経緯がある。尤も「狂」についての規制は小学館だけが行っているようなので、それほど気にする言葉ではないようだが、原作だけ改変してアニメが元のままと言うわけにも行かないだろうし、これは仕方のないところだろう。

 内容は両方ともほぼ原作どおりだった。だからこそ面白かったと言うべきだろうか。
 ネズミに対する恐怖のあまり爆弾を取り出すドラの狂気の顔、ラストでこれまた恐怖のあまり気絶するのび太といい、原作をうまい具合に料理していた。
 ジャイアンの歌は、今回が初登場だからはっきり言ってしょうがないだろう。これから以前のように専用曲が出来上がるかもしれないし、できないかもしれない。ただ「おれはジャイアンさまだ!」は菊池俊輔のアレンジで、たてかべ和也が歌うことで名曲になるわけだから、あれを中途半端に継承しなくて良かったと思う。
 尤もだからと言って「リニュ版では『おれは〜』が聞けない」→「リニュ版ドラはダメ」という、アクロバティックな論理展開をする輩が少なからずいるのには、失笑してしまうしかないのだが。

 Bパートの「オールマイティーパス」も素直に楽しめた。喫茶店やパチンコ店に入ったり、キャバレーに入ろうとするシーンも忠実にアニメ化されており、それによって道具の効能によって発生するナンセンス性を浮き彫りにすることに成功している。近年の作品では絶対に描かれなかったであろうシーンをきちんと描くことで、原作の最大の持ち味である「ナンセンス性」を引き出すことができると言う、良い証左だろう。

 来週で放送一ヶ月。そろそろオリジナルの要素を色々盛り込んでくるのかな。前も書いたけど現在のリニュ版は原作に忠実であろうとするあまり、前作が持っていたアニメ的な派手さを発揮できていないので、そっちの方にも力を入れていって欲しいと思う。
posted by 銀河満月 at 18:40| Comment(0) | TrackBack(5) | ドラえもん・藤子関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月05日

突っ込むのもアホらしいんだけど

 ちょっと前に発売されたコアマガジン社の「ウラBUBKA」なる雑誌で、「ドラえもんウラ大百科」なる小特集が組まれた。
 内容自体は三流ゴシップ誌なんかによく見られる、事実かどうかもわからないウラネタを書いているだけであり、極々まっとうに生きている人間ならば、記事内容を頭から信じるようなことはしないはずなんだが、世の中にはこの種の記事でも素直に信じ込んでしまう人も少なからず存在しているらしい。
 そこで、意味のないことだとは思うけど、この記事内容についてちょっと突っ込んでみようと思う。

 と言っても大体は「執筆者の勝手な想像」と「根拠不明のネタ」に終始しているので、あまり突っ込む必要もないのかもしれない。
 冒頭の「F先生のヒミツ」にしてみたところで、大部分はライターの勝手な想像であり(その癖断定的に書いているところがこの種の文の特徴)、他の人物へのインタビューにしてみたところで、名前も出ないどっかの店のスタッフという、第三者にはまったく確かめようのない「ソース」を根拠としている時点で、信憑性は限りなく薄い。
 (そもそもこの記事では「(F先生の)膨大な作品群は今も『現役で』読み続けられ」という、重大な事実誤認があるのだが)
 利権の話にしたって情報ソースは「某テレビ局編成部門担当者」「某広告代理店社員」と、「某」ばかり。上記の理由でこれもまた信憑性が薄い。

 とまあこんなのばかりで、とてもじゃないが信頼できる記事とは言いがたいものがある。
 ちなみにこの記事内では「渡辺水央」なる人物が執筆している箇所が一部あるが、この人はかつて別の雑誌で「ドラえもんはA先生やゴーストライターも執筆していた」という噴飯ものの記事を臆面もなく掲載し、未だにそれを訂正していないと言う前歴があるので、少なくとも藤子関連の記事については、この人の記事は信用しない方がいいだろう。

 完全な事実誤認の記事としては「のび太が人を殺した!?」なる記事。
 記事中ではのび太は「ガンファイターのび太」の中で、西部時代で最初に相手をした2人の悪漢を殺した、と言う記述があるのだが、これを書いたライターはこの話をきちんと読んでいないのだろうか?そのすぐ後に、撃たれた悪漢が牢屋にいるコマがあるんだが、そこは目に入っていなかったのか?
 なんかもうここまで来ると、自説を正当化するために平気で真実を捻じ曲げる、意地汚い根性が見え見えだよ。
 屋根の上での銃撃戦も、「相手を殺した」描写はまったくないのに、「殺した」と断定してるしさ。
 こんな程度の捏造記事書いて金もらえるなんて、随分ボロイ商売なんだなあ。

 なんか書いてて段々と嫌になってきたな(笑)。正直言って、こういう記事を書いている人間を「ライター」とは呼びたくないよ。
 自分の持つ限りの情報網を駆使して情報を集め、それを自分なりに分析し、記事にすると言う、まさにペン一本だけで生きている立派なライターだって一杯いるのに、そういう立派な人達とこんな連中とが「ライター」という肩書きで同等に見られてしまうのかと思うと、嫌になってくるよ、ホント。
 まあこういう雑誌だから気にしすぎてもいけないとは思うんだけど、こういう記事を無条件に信じ込むアホがいることも確かだからねえ。困ったもんです。
posted by 銀河満月 at 15:44| Comment(0) | TrackBack(2) | ドラえもん・藤子関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする