2010年09月05日

放送スタート、「仮面ライダーOOO」

 で、本日からWの後番組である「仮面ライダーOOO」がスタートした。
 まだ1話の段階で出来がどうこう言えるわけはないのだけど、ライドベンダーの大量登場と、大量に且つ不規則に乱れ動くメダルにそこから生まれるグリードたち。右手だけがそこかしこを飛び回るナンセンスな描写、そしてかの有名な?タトバコンボの「歌」など、視聴者の関心をつかむには十分すぎるほどの内容だったのではないだろうか。
 肝心のアクションは平均的過ぎた気がしなくもないけどね。前作「W」の1話ではルナジョーカーの戦いとかジョーカーエクストリームとか、インパクトの強いアクションシーンがポンポン出てきただけに、タカキリバフォームを披露したとは言え、まだ小ぢんまりとした印象なのは否めない。
 ただオーズは現時点ではメダルを4つしか持っていないわけだから、1話の時点でフォームを色々見せるのがもったいないというのも確かだろう。
 主人公である火野映司も、設定だけ聞くと世の中に余り接点を持とうとしない、かつてあのアホ脚本家がメインライターを務めた平成ライダー作品の主人公みたいな感じがしたけども、実際はのん気そうな態度の中にも、人の命をとても大切に思っていると見られる描写が散見され、なかなかの好印象。
 それ以外の人間キャラは、鴻上光生とその秘書以外はほとんど出てこなかったので、まだよくわからない。鴻上はグリードだけでなくオーズの存在も知っているようだけど、その辺が今後の鍵になるのだろうか。

 あと主題歌は文句なく楽しかった。クライマックスの戦闘シーンにでもかかったらよさそうな曲だね。
 わかりづらいけど、「アギト」以来久々に歌の中で「仮面ライダー」という単語が使われているのも、何気にポイント高い。

 しかし「W」の47話ではコアメダルやセルメダルがどうこうってのが、財団Xの移動体端末に表示されてたけども、メダルは今のところガイアメモリと違って普通人に応用することは出来なさそうなんだが(オーズドライバーを使う場合除く)、なぜ財団Xはコアメダルに出資しようと考えていたのか。
 先述の鴻上の件も含め、メダルにまだ謎があると考えれば、これからの展開にもかなり期待できる。
 尤も単なるクロスオーバーというだけで終わる可能性もなくはないけど。

 1話としては十分及第点だった「仮面ライダーOOO」。さて次回以降はどうなっていくのだろうか。
posted by 銀河満月 at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 特撮ヒーロー・特撮映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ありがとう、仮面ライダーW

 これまた今更になってしまったが、先週「仮面ライダーW」が最終回を迎えた。
 
 最終回は予告編を見る限りではエピローグ的な内容で終わるのかと思っていたのだけど、実際に見てみるとエピローグではなく、きちんと「W」という物語の完結編になっていたところに驚かされた。
 若菜がフィリップを復活させるための行動を取ったのは一年前、ユートピアドーパントを倒してフィリップが消えた時期からそう時間の経っていない頃であり、フィリップが一年後に復活するというのは、物語世界的には確定事項になっていたわけだから、Wの物語は前話でいったん終わったわけではなく、ずっと続いていたと言うことになる。
 さらに白眉なのは、現在の翔太郎たちと過去の若菜との描写をごちゃまぜにする、つまり時系列をわざと乱して描写することで、フィリップが復活する寸前まで、視聴者にも若菜のやろうとしていることを理解させない演出を取っていたことだ。
 前述の予告編といい、何ともブラフの使い方が上手い。特に時系列を故意にずらしているところは素直に唸らされた。それをはっきり視聴者に認識させるための小道具として、風都のシンボルたる風都タワーを使うところも、物語の世界観に沿っている。

 あと個人的に好きなのは、今話の翔太郎の描写だ。
 今話の翔太郎はフィリップがいなくなってしまった寂しさを隠すことなく、むしろフィリップという相棒のいない今の自分がダメな存在であることをはっきりと認めている。
 その自分自身の弱さを十分理解した上で、仮面ライダーとして一年間、孤軍奮闘してきたわけだ。
 以前の翔太郎であれば、ハードボイルドを貫くために意地でも自分の弱さを見せるような真似はしなかっただろう。しかし今回はそうではなく、むしろ今回の依頼人である少年・晶に対し、積極的に自分の弱い部分を見せている。
 前話と前々話において、「相棒との別れ」という辛い現実に直面しながらも、その相棒の願いを叶えるため、そして相棒を笑顔で送り出すためにたった1人で敵と戦い、そして約束を果たし、消えゆく相棒を見送った翔太郎。
 その中で彼はどれほど辛く苦しいことがあっても、最後まで自分のやるべきことをやり遂げることが何より大切であることを悟っていた。
 彼の中にあるハードボイルド像が今現在、どんなものになっているのかはわからないが、自分の弱さを知りつつも、自分がやらなければならないことのために、そして何より相棒との最後の約束を果たすために、ただ1人戦い続ける姿は、他の何よりもハードボイルドなのではないだろうか。
 翔太郎やその師匠である鳴海荘吉が理想としていたハードボイルド探偵「フィリップ・マーロゥ」は、内心の情を鉄の信念で覆い隠して行動する人物であった。
 それを踏まえると、今話における翔太郎の姿は、本人も知らないうちに本人が最も理想としていたハードボイルド探偵になっていたのではないだろうか。
 だからこそ、相棒であるフィリップが本当に復活した時は、誰に遠慮することもなく、全身でその喜びを表現したのだろう。
 これまた演じている桐山漣氏の熱演が、その描写を一層際立たせていた。復活したフィリップに初めて話しかけた時の時点で目を潤ませていたのは、どこまでが演技なのかわからないほど印象深いシーンである。

 フィリップ、と言うか園崎家の方は、若菜の心情変化がわかりづらかったかもしれないが、かつて自分自身がデータ化させて取り込もうとし、それを拒んだフィリップが、風都と仲間と自分自身のために自らデータに戻り、地球の中へ消えたことを知ったからこその変化だったのだろう。
 「地球」に縛られ自分本位のことだけを優先してきた園崎の人間の心を動かしたのは、翔太郎とフィリップが何度も体現してきた「他人のために体を張れる」信念だったわけだ。
 しかしそれでもフィリップ以外の園崎家の人間が家族として仲良くしている姿が、全員の死後になってようやく見られたというのは、皮肉と言う他ないのだが。

 そして復活したフィリップと翔太郎はWに変身、ドーパントを撃退する。
 ミュージアムがなくなってもまだ戦いが終わらないというのも、どことなく昭和ライダー的な感じがしないではないが、それでも彼らは街を愛し、街のためにずっと戦っていくのだろう。
 余韻の残る良いクロージングだった。

 本当にこの作品は良い作品だった。全体の完成度も高いし、コメディタッチとシリアスな雰囲気とが程よく両立されていた。そして何より、「正義の戦士・仮面ライダー」の姿が、最終話に至るまできちんと描かれていたことが何より素晴らしい。
 もうテレビで彼らの活躍を見る機会はないのだろうが、年末に公開される映画では再登場することが決定しているようだし、そこでの彼らがどのような活躍を見せるのか思いを馳せつつ、新ヒーローである「仮面ライダーOOO」を楽しもうではないか。

 一年間ありがとう、「仮面ライダーW」。
posted by 銀河満月 at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 特撮ヒーロー・特撮映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月26日

仮面ライダーW、最終回まであと1回

 今更な話だけども、今週のWは面白かったですねえ。
 いや、今週に限らず最近のWは最終回に向けてどんどん面白くなってきてはいたのですが、今回は本当に掛け値なしに面白かった。

 48話の何がいいって、翔太郎が今回戦った理由が、「風都の平和を守るため」を第一にしていないってところだね。
 今話での翔太郎の戦いは、何よりもフィリップのための戦いだった。消えゆく運命を変えることの出来ない相棒のために、相棒との「1人になっても町の平和を守っていって欲しい」という約束を守るため、その約束を自分1人できちんと守れることを証明するために、翔太郎はたった1人で戦いに赴いたわけだ。
 その行動理由に至る変遷が殊更にセリフで強調されたわけではなく、仲間たちをユートピアドーパントに襲われ、怒りと悲しみの感情で顔を歪ませるフィリップの姿に、シュラウドの言った「フィリップが安心して、笑顔で消えられるようにしてあげて欲しい」という言葉をオーバーラップさせることで見せるという、映像演出のみで描出している点が何より素晴らしい。
 そして「フィリップのために戦う」ことが翔太郎にとって何よりも重い、大切な決意であることを示すように、翔太郎は亡き師匠である鳴海荘吉が遺した帽子を、今まで決して使わなかったその防止を被って敵地に赴く。この演出もまた心憎いではないか。

 そして加頭との最終決戦では前半の映像メインの演出とは打って変わって、高らかに「仮面ライダー」の名を持つ戦士の使命と決意を翔太郎に宣言させた上で変身させるという、何とも熱い展開になっていた。
 「体1つになっても食らいついて倒す。その心そのものが仮面ライダーなんだ。」
 本当に良い言葉だ。最後に勝負を決するのは力ではなく、人の持つ心。平和を願い、自由と正義を愛する心。それはかつての「石ノ森章太郎の仮面ライダー」が皆持っていたテーゼだった。
 長らく忘れられていた感さえあるこの根本の定義を、作中で明言してくれたこともまた嬉しい。

 そして決戦を終えて別れの刻。ここからラストシーンに至るまでの部分は、僕があれこれ言う必要はない気がする。映像、音楽、そして俳優陣の熱演。まさに「感動」という言葉がふさわしいシーンになっていた。
 1話から本作を見てきた人は、このシーンを見て心から「見続けてきて良かった」と思えたのではないだろうか。それほどの名シーンだったと思う。


 しかし藤子オタの僕としては、どうしても今回の展開が「さようなら、ドラえもん」とかぶっちゃうんだよな(笑)。
 避けられない別れを前に、ただ自分の大切な友のためだけに、たった1人で戦い抜き、その姿を見た友は安心して去っていく。物語の構成が非常に似通ってるだけに、個人的にも色々感じ入るところが出てきてしまったよ。
 前のエントリでも書いたけど、こういう話を見ると、やはり王道話は素晴らしいと思うし、だからこそ「王道」は「王道」たりえているのだなあとも思う。

 さて、「さようなら、ドラえもん」で親友と涙の別離を果たした少年は、「帰ってきたドラえもん」で友と再会できたわけだけど、「仮面ライダーW」ではどうなるのか。最終回が本当に楽しみである。

 …なんか白々しい書き方(笑)。
posted by 銀河満月 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 特撮ヒーロー・特撮映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月20日

「仮面ライダーW AtoZ」を見てきた

 はい、それでは本日見てきたW劇場版の感想を書いていってみようかと。
 ネタバレ全開で書きますので、ネタバレが嫌な人はご遠慮くださいませ。






























 まず一言でこの映画の感想を書くならば、「すげー面白かった!」に尽きる。テレビ本編のWもほぼ毎回面白いし、楽しんで見ているわけだが、正直今回の映画がここまで面白いものになっているとは思わなかった。

 まず第一に挙げられるのは、やはり序盤から積極的に盛り込まれたアクションシーンの数々だろう。
 復活したアイスエイジ・バイオレンスの両ドーパントを相手にW、ウェザーとナスカの方ではアクセルと、二者二様のバトルを展開。2人ともそれぞれテレビ本編ではまだ使用していなかったマキシマムドライブを初披露、この時点で鑑賞者のアクションシーンへの興味はぐっとそそられること間違いない。
 そして現れたNEVERの面々との戦いでは、Wとヒートドーパントとのバイクチェイスが物凄い。ルナドーパントの作り出したマスカレイドの幻影もあわせて、これまでのライダーシリーズではまずお目にかかることのなかった(ハリウッドのアクション映画的な匂いを感じる)、バイクを使ってのかなり激しいアクションが展開。
 実際の走行シーンと合成とを巧みに使い分けて、迫力のチェイスシーンが画面狭しと繰り広げられた。
 と、そのあたりまではWも優勢だったのだが、ルナ・ヒート・メタルと3体のドーパントを相手に大苦戦を強いられ、さらに初めて相対したエターナルに完膚なきまでに痛めつけられてしまう。
 このエターナルとの初戦では、廃工場を舞台にしてかなり立体的なアクションが展開されており、同じ場所で繰り広げられたアクセルVSトリガードーパントとの対決も含めて、どちらかと言えば戦隊チックなアクションの構図になっていた。

 と、中盤に至るまででかなり密度の濃いアクションシーンが描写されてきたわけだけど、今回の映画ではアクションとストーリーの部分とがきちんと融和されているので、クライマックスに至るあたりからのアクションシーンは、アクション単体だけで語るのは難しいだろう。
 そのストーリーの方は、劇場版における前作「MOVIE大戦2010」の時と違い、主役側のメインはフィリップで、翔太郎はどちらかと言えば脇に回る部分が多かった。
 今作のフィリップは、記憶が存在しないために自分の「母」であるシュラウドの面影をマリアに見出し、彼女が自分達を裏切ったことを知った後でさえも、彼女を信じる気持ちを捨て去れずに、激昂して翔太郎を殴りつけるという、普段の彼らしからぬ「人間くさい」行動を数多く見せている。
 映画自体がどちらかと言えばアクションシーンに比重を置いていたため、フィリップとマリアの交流を描いたシーンの時間そのものは短いのだけども、それでもマリアへの想いを募らせるフィリップと、それに少しずつ影響を受けるマリアの姿はきちんと描写されていた。
 これは脚本や演出以上に、役者本人の演技によるところが大きいと思う。

 比して今回の翔太郎は文字通り、それこそテレビ本編でシュラウドに言われたとおり、最後の「切札」として活躍する。
 タイトルに「運命のガイアメモリ」とあるとおり(そしてテレビ本編で井坂が発言したとおり)、この作品では「ガイアメモリとその使用者は運命的なもので引き寄せあう」とされており(ヒートドーパント=羽原が言ってるだけではあるけど)、その言葉どおり、エターナルレクイエムによって変身できなくなった翔太郎は、運命によって引かれあった最後のT2ガイアメモリ「ジョーカー」を手に入れる。
 (余談だけど、このT2ジョーカーメモリを入手する流れの伏線の張り方も実に見事で唸らされた。物語導入部に挿入されただけと思われたコメディシーンにまで、きちんと伏線を張るという物語構成の巧みさは、脚本担当・三条陸氏の面目躍如というところだろう。)
 そしておやっさんこと鳴海荘吉=仮面ライダースカルの幻から託されたロストドライバーを使って、翔太郎は仮面ライダージョーカーに変身。ヒートドーパントを圧倒し、照井と共に風都タワーに乗り込んだ際にはメタルドーパントを撃破する。
 このジョーカーのアクションは、オールドファンならニヤリとさせられる、昭和ライダーへのオマージュが満載だった。
 マキシマムドライブの発動直前に取るポーズは1号・2号のそれだし、各ドーパントへの止めを刺す場面(特にメタル)なんかは、ジョーカーの見た目がBLACKに似ているからか、BLACK本編でのブラック対シャドームーン最終決戦時のパンチ・キック使用時に見せ方が似ていたりもした。
 そもそも携行武器やフォームチェンジなどの特殊能力を一切持たず、ひたすら徒手空拳のみで戦う仮面ライダー自体が、平成ライダーでは非常に珍しく、そのアクションスタイルからして、昭和ライダーへのオマージュと取れなくもない。

 必死に戦うジョーカー=翔太郎の姿を見て、フィリップもエクスビッカーを無力化せんと必死に抵抗する。
 2人の力も及ばずあわやと言う時に最後の行動を起こしたのは、大道克己の実の母親でもあるマリアだった。エクスビッカーの発射こそ阻止できたものの、怒った大道は躊躇なくマリアを射殺してしまう。
 風都の人々を救うために最後まで戦おうとしたフィリップの姿に、マリアは息子の優しかったかつての姿を重ねたのかもしれない。
 すべてを、自分の命さえ投げ打っても息子を救いたいと願う「母」の想いを知ったフィリップは、使用可能になったT1ガイアメモリを携え、翔太郎と最後の決戦に赴く。
 このフィリップとマリアの別離のシーンは、これまた迫真の演技によってかなり盛り上がるものになっている。
 冒頭の母子とのシーンからもわかるように、フィリップは「母」という存在そのものを今ひとつ理解できていなかったわけだが、ここに至って「母」という存在が「息子」をどのように思うのか、どんな風に愛情を注ぐものなのかを理解したシーンでもある。
 だからこそ実の息子でありながら、そんな母の思いを踏みにじった大道への怒りも増すわけで、このへんの感情の変遷の描写もまったく見事だった。
 復活した大道を相手にすぐ変身するのではなく、まず生身で戦いを挑むあたりも、フィリップのより直情的な怒りを表現できていたと思う。
 そしてそんなフィリップの怒りを翔太郎も理解できていたからこそ、同じく生身で挑んだのだろう。
 2人の気持ちが完全に1つになったとわかる場面は変身シーンだ。変身の際、精神だけがW=翔太郎の体に移動したフィリップの体はその場に倒れ付すと言うのがお約束だが、この時の変身は倒れる直前、フィリップが翔太郎の肩に手を乗せるのである。まるで後を託すかのように。
 元来Wは「2人で1人の仮面ライダー」なわけだから、最終的に戦うのは2人一緒になるわけで、わざわざそんなことをしなくても良いのだが、敢えてフィリップは肩を叩いたのだ。「相棒」を信頼していると言うことを、心ではなく体で直接伝えるために。
 この演技は翔太郎を演じている桐山漣氏の発案とのこと。キャラクターもストーリーも理解し、尚且つ愛着があればこその名案であった。

 途中でルナドーパントに邪魔されるWの前に現れたのは、テレビ本編での次作「仮面ライダーOOO」に登場する仮面ライダーオーズこと火野映司。
 変身したオーズはタトバコンボとタカキリバコンボを見せて鮮やかにルナドーパントを撃退。
 まあこの辺は番宣の意味合いが強いわけだけど、それでも去年の「オールライダー対大ショッカー」におけるW初登場の時よりは、物語の進行的に無理のない仕上がりになっていた。
 「ライダー同士、助け合わないとね」というオーズの言葉にもなぜか感動。オーズもぜひ劇中で「仮面ライダー」を名乗って欲しいものである。

 風都タワー上でのエターナルとの決戦では、6つのメモリを駆使した矢継ぎ早の攻撃を展開。
 それぞれのフォームの特性を生かしたアクションシーンは一番の見所と言ってもいいかもしれない。本編中で高威力扱いされていたヒートトリガーの攻撃でエターナルを吹っ飛ばしていたりと、個々の設定もきちんと生かしているあたりが憎い。
 だが「最強の敵」だけあって、この程度ではエターナルは敗れない。エターナルは残り25個のT2ガイアメモリをすべて搭載、マキシマムドライブを発動させて風都タワーを破壊し、タワーごとWを地面に叩きつけようとする。
 サイクロンジョーカーエクストリームの力も及ばない、まさに絶体絶命となったその時、事態を見守っていた風都の人々が一斉に叫ぶ。「仮面ライダー!」と。
 刃野刑事や真倉刑事、ウォッチャマンにサンタちゃん、クイーンにエリザベス、ライダーに助けられたことのある大勢の人々、そして亜樹子。仮面ライダーの勝利を信じる人たちの思いが1つになる時、風都に一陣の風が巻き起こる(と同時に、バックに「W-B-X 〜W-Boiled Extreme〜」がかかる)。
 風都の各所に置かれている風車群を激しく回転させながら、やがて風は旋風となってWの周囲に集まり、腰のエクスタイフーンがその風をエネルギーとして取り込み、Wはゴールドエクストリームへの進化を果たす。
 ゴールドエクストリームもまた、全ライダーの始祖たるライダー1号へのオマージュと取れる面がある。マフラーのように見える6枚の羽は、まさに「虫の羽」にも見えるし、何より進化の直接の理由が「風」であることも、仮面ライダーが本来は風をその力とする「風の戦士」であったことに対してのリスペクトなのだろう。
 風都とそこに生きる人々を愛した仮面ライダーW、そしてそんなWを信じた風都の人々の思いが重なったからこその奇跡であったわけだ。
 だからこそ、そこに至るまでの流れが重要なのであって、ゴールドエクストリームの戦闘そのものはかなりあっさりと終わっている。
 ゴールドエクストリームの物語上における存在意義を鑑みると、この見せ方は実に妥当であったと言える。
 ラストは冒頭から触れられていた、風都の花火大会で幕を閉じる。まさに大激戦と言っていい戦いを乗り切っただけに、4人の晴れやかな笑顔は、見ている側までも清々しい気分にさせてくれるような素晴らしいものになっていた。

 とりとめなく感想を書いてしまったが、上で書いてきたこと以外にも見所はたくさんある。
 大げさな言い方かもしれないが、まさに全編が見所と言う感じなので、いちいち書いていったらキリがないのだ。
 大道とフィリップ初邂逅時のやり取りも、本編で明らかにされたフィリップの真実を知った後で見るとなるほどと思わされるし、赤いナスカドーパントしか知らないアクセル=照井が、青いナスカを見た時にわざわざそのことに触れたり、ルナドーパントこと泉京水を演じた須藤元気の演技が予想以上に面白かったなど、本当に盛りだくさん過ぎるのである。
 
 そして今回の映画で一番強く感じたことは、「王道を王道として描いた作品は、やはり素晴らしい」と言うことだ。
 平和を願って戦うヒーローがいる。そんなヒーローを慕い、勝利を信じる多くの人々がいる。そしてそんな人たちのためにヒーローはさらに戦い続け、最後には勝利する。
 この映画の基本的な骨子はこの「王道路線」に尽きる。そしてだからこそこの映画はここまで面白くなったのだ。
 暗く先の見えない現実だからこそ、空想の世界でくらいは「正義は必ず悪に勝つ」話を見たいではないか。そういう話を子供たちに見せたいではないか。
 「正義は必ず悪に勝つ」。そう言えばこのテーゼは昭和の仮面ライダーシリーズで散々繰り返されてきたものだった。
 実は今回の映画の話そのものが、昭和ライダーへのオマージュだったのではないか。ふと、そんなことも考えてしまったりするのである。

 さて、あと一回くらいは見に行ってみようかな。
posted by 銀河満月 at 01:12| Comment(5) | TrackBack(0) | 特撮ヒーロー・特撮映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月03日

遠い星から来た男が 愛と勇気を教えてくれる

 だいぶとりあげるのが遅れてしまいましたが、やはり触れておかねばなりますまい。



ウルトラマン80、DVD発売決定!!!!


 本当に待っていました。一昨年に「ザ☆ウルトラマン」のDVD−BOXが出て以来、まったく音沙汰がなかったのでかなり不安だったのですが、生誕30周年の今年に合わせていたわけですねえ。してやられました。
 80は本放送の時は子供、と言うか赤ん坊の頃だったのでほとんど覚えていませんが、唯一ガルタン大王の話を見た記憶は残ってまして、そういう意味では僕が人生の中で一番最初に出会ったウルトラマンであります。
 なので80に対する思い入れもかなり深いですし、それだけに今回のDVD−BOX発売は本当に嬉しいです。

 ファミリー劇場でも来月から放送が始まるので、先にファミ劇の方で視聴してしまいますが、もちろんDVD−BOXは買いますよ!
 これを買わずして何を買おうと言うのか。これで9月まで生きる目的ができたと言うものです(笑)。

 あとはグレートのDVDを…。パワードは…まあいいや。
posted by 銀河満月 at 16:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 特撮ヒーロー・特撮映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月16日

チャンネルNECOの月曜22時台

 この間からチャンネルNECOで「恐竜大戦争アイゼンボーグ」が始まった。
 同じくNECOで以前放送していた「恐竜探検隊ボーンフリー」の姉妹編みたいな作品なのだが、ボーンフリーが恐竜保護を目的としていたのに対し、アイゼンボーグは人類を襲う進化した恐竜軍団と戦う話になっている。
 …今書いて思ったけど、「進化した恐竜」ってまるでゲッターロボの世界だな(笑)。

 この2作はキャラクター部分がセルアニメ、恐竜とかメカニックの部分は実写で制作されているのだが、正直言って肝心の特撮シーンがあまりにもしょぼいんだよね。
 まだミニチュアとかメカの部分はいいとしても、重要なキャラクターである「恐竜」が、総じてモデルアニメとかギニョールなんかを使っていて、いわゆる着ぐるみをほとんど使用していない(アイゼンボーグでは後半のテコ入れで出てくるようになるようだけど)。
 そのせいで著しく迫力に欠ける。巨大生物が跋扈するという魅力的な設定をまったく映像上で表現できていないのだ。
 正直きつい出来栄えだとは思うのだけど、まあ仮にDVDなりが出たとしてもたぶん買わないだろうから、見ておくにはいい機会だと言うことで当分は視聴を続けてみようと思う。
 この二作に「恐竜戦隊コセイドン」を加えた恐竜シリーズなどで、「ウルトラマンレオ」終了後も特撮技術の実績を積み重ねていったからこそ、「ウルトラマン80」での高度な特撮演出に昇華するわけだしね。

 で、その時間帯には以前見た「ジャンボーグA」もまた放送しているので、ついでに見直しているのだけど、相変わらずナオキさんは痛い方ですなあ(笑)。
 今週放送分は7話だったのだけど、あんな態度しか取れないんじゃPATの面々に信じてもらえないのも無理ないよ。
 立花ナオキの初期の痛さと言うかドキュンぶりは、特撮ヒーロー史上でもかなり異例なものではないだろうか。
 ヒーローであるジャンボーグ自体は好きなんだけど。


 全く話は変わるけど、春から新番アニメでB型H系が始まるんだったなあ。
 キャスト陣が前のCD版から全部変わってしまったのはちょっと残念だ。アニメ版はなんか全体的に微妙なキャストに思えるんだけど、大丈夫だろうか。
posted by 銀河満月 at 22:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 特撮ヒーロー・特撮映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月14日

「まえのウルトラマン」とか「ウルトラマン二世」とか

 最近とある事情があって、「ひだまりスケッチ」関連のことを適当にネットで見ていたのだけど、Wikipediaで声優の水橋かおりさんの項目を読んでいた際に、ふと気になった部分があった。

 引用すると
 「好きなものは特撮(『帰ってきたウルトラマン』を「新マン」と呼べるほど)(好きな宇宙人は、『ウルトラセブン』の『チブル星人』)
 という部分なんだけど、これを読んだ時、はたと考え込んでしまった。
 いや、水橋さんが特撮好きであることを否定するわけではないんだけど、帰マンを「新マン」と呼ぶことが特撮好きであることの証明になるのだろうかと疑問を持ってしまったのだ。
 性別の違いがあるから簡単には言えないけども、水橋さんの年代的にはむしろ帰マンの「新マン」という呼び方は、かなり一般的なものだったんじゃないだろうかと思うんだよね。世代的にもウルトラマン80世代なわけだし。

 重ねて言うが、水橋さんが特撮好きであることを否定しているわけじゃないんです。
 ただ、長年特オタとして生きてきた自分としては、「どの程度のことを知っていたら『特撮好き』と世間で認知されるのか」という線引きがいまいちわからないんですよ。
 帰マンの正式名が「ウルトラマンジャック」であると言うことを知っている人は、特撮好きと思われるだろうとはなんとなくわかるんですが(後付け設定だから)。

 まあ何の断りもなく「帰ってきたウルトラマン」を「帰マン」と略している僕は、間違いなく特オタなんですけどね(笑)。
posted by 銀河満月 at 18:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 特撮ヒーロー・特撮映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

幻の特撮映画のフィルムが見つかった?

 昔、「空飛ぶ円盤恐怖の襲撃」という特撮映画があった。
 「国光映画」という独立プロダクションが製作し、新東宝の配給で放映された、わが国の特撮映画としては初めて「宇宙からの侵略」を主題においた作品である。
 ゴジラシリーズを始めとした東宝特撮映画において腕を振るった脚本家・関沢新一氏が唯一監督を務めた作品でもあり、関沢氏の特撮脚本におけるルーツを知るという点においても、日本特撮史においてかなり重要な位置に存在している作品なのだ。
 ところがこの作品、肝心のフィルムの所在が不明になってしまい、今となってはソフト化は愚か再上映することさえもできない状態になってしまっていた(権利関係の問題で再使用ができないだけで、フィルムの所在自体はある程度判明しているという話もあったりするらしい)。
 まさに当時、リアルタイムで見た人以外は全く映像を見ることが出来ず、せいぜい当時の番宣資料や脚本などで作品の雰囲気を知る程度のことしかできなかったのである。

 しかし最近になって、この映画のフィルムを所蔵していた人物が、フィルムをネットオークションに出品していたことが明らかになった。(→こちら 現在は終了)
 出品者はこの映画の現在おかれている状況について知らなかったらしく、フィルムが行方不明になっており、大変貴重なものであることを他の質問者から知らされ、自分から出品を取り下げている。
 出品者は「出来るだけ一般公開できる方向で、専門家に聞いてみます」と返答しているので、もしかしたら近い将来、この映画がソフト化され、多くの特撮マニアの間で見ることが出来るようになるのかもしれない。

 と言うようなことを淡々と書いているが、これは結構すごいことなのだ。
 言うなれば「フィルム所在不明」として長い間幻扱いされてきた日テレ版ドラえもんの映像を始めとした様々な情報が、真佐美ジュン氏によって明かされ、限定的な場でではあるが日テレ版ドラえもんを見ることが出来るようになったようなものである。
 この映画の公開年は1956年。東宝の「空の大怪獣ラドン」と同年である。この時期に作られた日本初の宇宙侵略SFなのだから、特オタとしては興味を抱かずにはいられない。
 まあ実際に見てみたら大した出来ではないのかもしれないが(関沢氏も後年そんなような言を遺されている)、「緯度0大作戦」と同じように考えればいいのだろう。
 ともあれ今後の展開が楽しみではある。
posted by 銀河満月 at 17:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 特撮ヒーロー・特撮映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月03日

さようなら、スペクトルマン

「スペクトルマン」の成川哲夫さんが死去


 新年早々なんというニュースが舞い込んで来るんだよ…。
 近年のスペクトルマン関連のインタビューとかで近影を拝見した限りでは、まだまだ若々しい雰囲気で、さすが現役で空手の師範を勤めている方だと納得したものだったのだけど、まさか肺ガンでお亡くなりになってしまうとは。

 「スペクトルマン」に蒲生譲二として出演されていた時は、演技に関して未熟だったのはまあ仕方がないところだけども、その演技の不自然さが、却ってロボット(サイボーグ)であるスペクトルマンらしさを出すことにも繋がっていたと思う。
 やけに人間臭いところを見せることもあれば、地球人という存在を大局的に見た冷徹な視点も持ち合わせている(モグネチュードン編のラストの言動や行動は個人的に白眉)、一見するとアンバランスな個性を併せ持っていたスペクトルマン=蒲生譲二と言う特異なキャラ(意外とウルトラセブン=モロボシダンに近いキャラだね)をきちんと演じられていた。
 先述した演技についても、1年近くの主演経験によって確かに成長しており、数年後の「ウルトラマンレオ」では、アトランタ星人の化身した内田隊員役として、自分の正体を見抜いたおおとりゲンに対し、レオ=ゲンの正体をばらすことをちらつかせてゲンを牽制するという、不敵かつ悪辣な役柄を見事にこなしていた。
 個人的にはスペクトルマン終了後の「快傑ライオン丸」にゲスト出演した時の方が、楽しく演じていたように見えたけどもね。

 最終回、深手を負いながらも安らかな心のままでネビュラ遊星に帰っていったスペクトルマンと同様に、安らかに彼岸へ旅立たれたのだと思いたいものである。
 合掌。
posted by 銀河満月 at 02:11| Comment(0) | TrackBack(1) | 特撮ヒーロー・特撮映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月29日

仮面ライダーWの話

 ディケイドが終わって早一ヶ月。今月から始まった新番組の「仮面ライダーW」だけども、今のところは素直に楽しんで視聴している。
 …のだけども、平成ライダーシリーズってのは大体10話くらいまではそこそこ面白くて、それ以降から面白さを継続するかグダグダになっていくか分岐していくので、今の時点で面白いからと言ってあまり素直に喜べないんだよなあ。我ながら穿った見方だ(笑)。

 まあWの面白さは色んなところで言われてるだろうから、今更あえてここで言う必要はないだろうけど、なんだかんだ言って主役の3人がきちんと陽性の空気をまとっているところが、作品全体の雰囲気作りに貢献してるんだろうな。
 「ハードボイルドを気取る二枚目半の探偵」「知らないことはないと豪語する(頭でっかちとも取れる)相棒」「後先考えることなく突っ走るトラブルメーカー的女の子」というキャラシフトは、作る人が作ればとんでもなく痛々しいキャラクターになってしまいそうなんだけど、それをギリギリのところで抑えているのが、今作「W」の良いところだろう。
 3人ともそれぞれ欠点を持っており、その欠点部分をギャグタッチでさらけ出すことで話の中に陽性の空気を生み出し、そして欠点を互いの長所で補うシーンを盛り込むことで、物語上のカタルシスを生み出すという、物語を作る上では必要最低限のことをきちんと丁寧にこなしているからこその賜物と言える。

 今回のタイプチェンジは今のところ、相対する敵に合わせて使い分けているのかな。
 3、4話のマネードーパントの場合は、それまでの敵に比べると明らかに「堅い」敵だったので、パワーメインのメタルを中心に、サイクロン、ルナ、そしてヒートと3つのパターンを組み合わせての攻撃となっていた。
 放送が始まるまではルナの能力ってどうなんだろうと思っていたのだけど、実際にアクションを見てみると、サイクロン、ルナ、ヒートとできちんとアクションに違いがつけられており、簡単にアクション面でのバリエーションを生み出すことが出来るので、なかなか面白いアクションシーンがこれから生まれるのではないかと、逆に期待するようになってしまった。

 あとはやっぱり劇中で「仮面ライダー」の呼称がきちんと使われたのが嬉しいねえ。
 都市伝説的なものとしての呼称みたいだけども、同じく都市伝説の一環として、Wの世界では「仮面ライダー」と呼ばれる超人の存在が実は昔からささやかれていた…、なんて裏設定も、脚本担当の三条陸氏の頭の中にはありそうな気がしてしまう。
 実際に三条氏は後に伏線としても使えそうで、もし使えなかったらそのまま流してしまってもいいような情報を、作品の序盤から盛り込む傾向があるからね。それは半年前まで放送されていた5期鬼太郎でも行われていたことだし。
 5期鬼太郎も3年目以降、2クール分の筋書きはほぼ完成していたと言う。そちらを見ることが出来ないのは何とも残念ではあるが、代わりに是非ともこれから1年、面白い仮面ライダーを見せて欲しいものである。
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2009年09月27日

そう言えば「ウルトラ銀河伝説」の話

 もう日にちは経ってしまったけど、ウルトラマンゼロがウルトラセブンの息子だって言うんで、ちょっとだけ騒ぎになったね。
 yahooニュースでも記事になってたりしたようだけど、あそこでのコメントにはちょっと苦笑してしまったな。
 変に通ぶってセブン、と言うかダンとアンヌの関係を持ち出して、ゼロやゼロと言うキャラを作った円谷プロを批判してたけど、それなら「レオ」に登場したアンヌそっくりの女はどうすんだよ?あれだって一時期はアンヌそのものって扱いになってたんだぜ(円谷でなくて出版社側が)?
 平成セブン世界観ではアンヌは「ダン」と言う名の子供をもうけているわけだが、その辺は?
 そもそも「セブン」作品中でもダンとアンヌの関係は「恋愛関係」として打ち出されていたわけではない。 
 完成作品を見る限り、その関係性を(恐らくは勝手に作り出して)盛り上げていたのは、満田監督だろう(笑)。ただ「ノンマルトの使者」とか最終回を見るにつけ、脚本の金城氏もそのあたりのことを意識していたのかもしれない。
 ただどちらにしても「ダンとアンヌは恋愛関係」と銘打っていたわけじゃないんだよね、セブン本編は。
 ダンとアンヌの関係ってのは、むしろ80年代のリバイバルブーム時、特撮ヒーローものがサブカルチャーの一環として評価・論評されるようになってきてから、論評する側が持ち出してきた話としたほうが正しいだろう。
 個人的にはあの2人の関係を「恋愛」という狭い枠に収めて考えて欲しくないものだ。

 だいぶ話が飛んだけども、そのウルトラマンゼロ。
 方々で言われていることだけども、顔は正直あまりカッコよくないな(笑)。目を少し吊り上げすぎている気がする。
 個人的に体部分のデザイン(配色含め)はあまり文句がないだけに、どうも頭部に違和感を感じてしまうのだ。
 ただ「セブンらしさを残しつつも新しいウルトラマンとしての個性を見せる」という命題を実現するのは、容易なことではないからね。
 マンにしろセブンにしろ、デザイン的には完全に完成された存在だから、後は結局あの2人のデザインをマイナーチェンジさせていくほかないんだよな、新しいウルトラマンを作るのであれば。
 批判するのは簡単だけども、実際に上記の命題を実現すると言うのは、かなりの困難さを伴うことだろう。

 もっともあの顔から宮野真守ヴォイスが発せられると言うのだから、その辺のギャップは面白いものになるかもしれないね。
 つーかご本人のブログでのはしゃぎぶりを読むと、ゼロを応援してきたくなってしまうから不思議なものだ(笑)。
posted by 銀河満月 at 18:04| Comment(1) | TrackBack(0) | 特撮ヒーロー・特撮映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月30日

ディケイドが最終回を迎えました

 はい、「仮面ライダーディケイド」もついに最終回を迎えました。

 …いやまあ、ね。ああいう終わらせ方しかないだろうとは思っていたし、冬の劇場版についてのバレ情報を知った時点で、テレビ本編だけで終わらせる気はないのだろうとは思っていましたよ。
 でもさ、やっぱ「区切りの付け方」と言うのはあると思うのですよ。例えて言えば「俺たちの戦いはこれからだ!」的な、さ。
 完結編は冬の映画で見せるとしても、テレビの最終回は最終回で、一旦区切りをつけておく必要があったんじゃないだろうかね。
 ディエンドに攻撃されてそこで終わり、なんて中途半端なところで区切るんじゃなくて。

 個人的にはディケイドはずっと楽しんで見続けてきたし、たぶん当初の予定としてはテレビのみできちんと完結させるつもりだったんだろう(ディケイド&Wが制作開始当初から予定に組み込まれていたとは、さすがに思えない)。
 冬の映画のことと、半年ほどで終了することが最初から決まっていたことを踏まえ、途中で方針を転換したのだろうし、そういう点では制作側もいろいろ苦慮したのだろうとは窺い知れる。
 それでもテレビはテレビですっきり終わらせて欲しかった、と言うのが正直な感想だ。

 冬の映画を見に行くかどうかは、新番組の「W」が面白いかどうかで決めようかな。
 主人公の片割れの「ハーフボイルド」とやらがきちんと演出できているのか、その辺は興味が湧くね。
posted by 銀河満月 at 19:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 特撮ヒーロー・特撮映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月05日

高野宏一さん、死去

 特技監督として円谷プロを長い間支えてきた高野宏一さんが、先月30日にお亡くなりになっていたそうです。

 今更説明するまでもなく、「ウルトラQ」から「ウルトラマンコスモス」までのウルトラシリーズに携わって、シリーズの発展に貢献し続け、ウルトラシリーズ以外にも様々な作品に関わってこられた、テレビ特撮界を代表する人物の1人と言っても過言ではない人でした。

 作品数が多すぎて、「これは」と言える代表的な話が思いつかないのだけども、やはり挙げるならば一番最初の「ウルトラマン」になるだろうか。
 ウルトラマンと言う作品の特殊技術面を築きあげたのは、ほぼ全話に渡って特撮を担当した高野氏と言っていいだろう。
 「地上破壊工作」での、夜の闇を最大限に生かしたウルトラマンとテレスドンの決戦シーン、「怪獣殿下」での大阪城に代表される緻密なミニチュア、「人間標本5・6」での、本編部分との大胆な画面の融合、そして「さらばウルトラマン」…。
 初代ウルトラマンにおける「名シーン」のほとんどは、高野氏が作り上げたものだった。
 高野氏の功績無くして、今日のウルトラマンシリーズの隆盛はなかったと言える。

 晩年は円谷プロとうまくいっていなかったようで、ファンとしてはそれは残念なことだった。
 「ネクサス」以降のウルトラシリーズにも何らかの形で関わって欲しかったと思う。ただ「ティガ」放送時のインタビューを思い返すに、恐らく高野氏としては「ネクサス」みたいな話をウルトラマンでやることは好まなかったと思うけども。

 ちょうど先週から、高野氏が特撮監修の立場で関わった「電光超人グリッドマン」が、チャンネルNECOで放送開始された。
 個人的にはあまり良い出来の作品とは言えないのだけども、久々に見返しつつ、故人の遺した偉大な足跡を思い返すことにしよう。
posted by 銀河満月 at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 特撮ヒーロー・特撮映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月21日

特撮に絡む話2つ

 まず一つ目。

【秋葉原通り魔事件】戦隊ヒーロー玩具に余波 「凶器連想させる」と名称変更

 事件で使われた凶器が「ダガー」と言うことが知られてから、特撮関連の掲示板とかブログで半ばネタ的に扱われていた「ロケットダガー」だけども、本当に名称を変更する羽目になってしまったらしい。
 と言っても劇中ではもう既に名前を使ってしまっているんだけど、本編中での名称もそう遠くないうちに代わってしまうんだろうな。
 しかし「不快に思う人もいる」ってねえ…。一体その「不快に思う人」って言うのは、ロケットダガーの名前を知る機会のある人のうちどの程度なんだろう。
 事件を直接引き起こした道具と言うわけでもないのに、そう簡単に名前を変更してしまうのは、ちょっと情けない気がしないでもない。こちらとしては何も悪いことはしていない(さらに言えば凶器であるダガー自体にも何ら罪はない。犯罪に使った人間が一番悪いのだ。)わけだから、ここは毅然とした態度を見せて欲しかったと言うのが正直な感想だ。
 とは言っても、かつて「ウルトラマンジャック」として新作を作ろうとした円谷プロが、よど号事件なんかに配慮して、タイトルを「ウルトラマンタロウ」に代えたという事実もあったわけだし、難しいところではあるね。

 もう1つはグリーンピースの窃盗事件についての、本日の読売新聞・編集手帳の内容。
 今となってはほとんど知られていないことだが、「正義の味方」と言う概念は「月光仮面」によって初めて打ち出された考え方である。
 リンク先にも書いてあるとおり、原作者の川内康範氏は、「神仏こそが正義そのものなのだから、その正義の手助けをする存在」として、「正義の味方」という概念を創造した。
 月の光は善にも悪にも等しく降り注ぐ。そこから薬師如来の脇に侍し、薬師如来の教説を守る「月光菩薩」をヒントに、月光仮面を生み出したのだ。
 月光仮面に限らず、川内ヒーローは決して自ら「正義」を声高に論じたりするような真似はしない。正義を信じて悪と戦う力なき人々に力を貸すだけなのだ。だからこそ彼らはあくまでも「正義の味方」なのである。
 我々はどうがんばってみたところで、正義そのものにはなれっこない。せめてその味方をするか、正義に「献身」する程度のことしか出来ないのだ。
 「我こそは正義」と思い込むことがどれほど愚かで滑稽か。川内氏はそれを十分理解していたからこそ、子供たちのヒーローとしての存在となる月光仮面に、「正義の味方」という考え方を付与したのだろう。
 大して我が身を省みることなく、「正義」の言葉を軽々しく使っている御仁は、今一度「正義の味方」の意味を考えてみるべきではないだろうか。
posted by 銀河満月 at 18:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 特撮ヒーロー・特撮映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月18日

人の幸せ祈るより 我が身を守る欲の皮

 先週からチャンネルNECOにて「コンドールマン」が放送開始した。
 製作会社こそ違っているものの、「レインボーマン」「ダイヤモンドアイ」に続く、70年代川内ヒーロー作品の3作目である。

 今週放送分の2話まで見てみたのだけども、やはりアクション担当がJACだからか、かなり体を張ってアクションしている印象が強いね。
 この辺のスピーディーなアクションはさすがJACと言う感じか。
 「ロボット刑事」とかでもそうなんだけど、当時のJACは多分に大野剣友会のアクションを意識しているようで、とにかく大野剣友会とは違うアクションをしようという意気込みが、画面からひしひしと伝わってくる。

 ストーリーもレインボーマンやダイヤモンドアイと同じく、悪の軍団が「食品買占め」という手段を用いて市場不安を扇動し、人間たちを追い詰めていくと言う、極めて現実的な作戦が取られている。
 それを遂行するのが「人間の醜い欲望」によって生み出された存在であるモンスター軍団が実行するのだから、その設定だけで結構な皮肉になっているのもうまい見せ方だ。
 モンスター軍団と言うと、ゼニクレージーを始めとして、怪人の見た目のインパクトだけが注目されることが多いけども、やはりそれ以外の部分にも魅力的なところが多いからこそ、今でも愛される存在になっていることは留意しておくべきだろう。

 コンドールマンの設定も、今の目で見てもなかなかユニークだ。
 コンドールマンは平時は三矢一心の姿となっているが、三矢一心そのものがコンドールマンとなって生き返ったわけではなく、一心、ドラゴンコンドル、ゴールデンコンドルが三位一体となって誕生した合成鳥人であり、彼はあくまで「コンドールマン」という無垢な正義の化身なのだ。
 言ってみればコンドールマンという存在が一心の姿に変身していると言うニュアンスの方が正しいのかもしれない。ウルトラセブンとモロボシダンの関係みたいなものだ。

 それにしてもこの「コンドールマン」に限らず、レインボーマンやダイヤモンドアイなどの川内作品を見るたびにいつも思う。
 過去の特撮ヒーロー作品は、こうまで遠慮することなく、高らかに「正義」を宣言していたのだなと。
 彼らは「正義」という観念に悩んだりはしない。彼らの中には確固たる「正義」が存在しているから。それは大上段に構えた大義ではない。ごく普通の一般人が親子・家族揃って食卓を囲み、笑顔で話をしながらご飯を食べる。そんな小さくささやかな、しかし確かに暖かい幸せを守ることこそが、彼らの抱く「正義」であり、それを守るために彼らは力を振るうのだ。
 ヒーローが声高に正義を謳わなくなったのは一体いつからだったろうか。
 現実には「正義」などというものは極めて曖昧な観念でしかない。だからこそ空想の世界にいるヒーローはいつの時代でも、確たる信念として「正義」を貫いてほしい。
 そう思うのはオールドファンのはかない願いなのだろうか。
posted by 銀河満月 at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 特撮ヒーロー・特撮映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月24日

「ザ☆ウルトラマン」DVD−BOX発売!

 体はほぼよくなってきているんだけども、まだ咳と痰が少し出るんだよなあ。
 あんまり長引くようならまた医者に行かないといけないし、全く僕の体はいつからこんなポンコツになっちまったんだろう。

 さて待ちに待った「ザ☆ウルトラマン」のDVD−BOXが昨日発売になった。
 色々あって入手のタイミングは今日になってしまったのだけども、僕の人生の中で全くと言っていいほど触れたことのない「ウルトラマン」だけに、今も楽しんで見ている最中です。
 今は21話の「これがウルトラの星だ!」3部作まで見終えたところ。

 ブックレットにも書いてあったけど、初期の話は驚くほどに初代ウルトラマンを髣髴とさせる、オーソドックスな話作りに終始しているんだね。
 ウルトラマンシリーズにおける「原点回帰」ってのはグレートとかパワードで行われてたりしたけど(一応劇場版の「ULTRAMAN」もそうなるのか?)、「ザ☆ウル」はシリーズで初めて明確に原点回帰が行われた作品なんだね。
 ま、ザ☆ウルの場合は、アニメと言う今までとは異なる映像媒体でウルトラマンを描かなければならなかったから、話作りは奇をてらわず基本に忠実に作ったって部分もあるんだろうけども、そういう作りをしているせいもあって、やはり隊員たちの個性がきちんと描かれているのは面白いね。
 ウルトラマンはあくまで「終盤になって駆けつけてくるヒーロー」という位置づけなんだけども、これが上記の3部作あたりから微妙に変わってくるあたりが、本作独自の個性なんだと思う。
 ブックレットの内容は丁寧にまとまっていたとは思うけども、もう少し情報量を多くしてほしかったかな。「ザ☆ウル」関連の資料本なんてほとんど出ていないんだから、キャラデザの資料だけでなく、もっと関係者へのインタビューも充実させてほしかったし、企画書とかストーリー紹介とかをやってほしかったと言うのは、過ぎたる望みかな。

 ただ個人的に何よりも不満なのは、DVDのメニュー画面!
 真っ暗な画面にただ文字だけが浮かび上がると言う、今時素人だって作りゃしないような、なんとも投げやりな感じのメニュー画面になっていたので、かなりガッカリ。
 DVD製作スタッフ、絶対やる気がなかっただろ、ホントに。鬼太郎DVDのメニュー画面だって、正直それほどやる気があるとは思えなかったけども、今回はそれ以上だ。
 バンダイビジュアルに文句を言える筋合いではないけど、今後も映像媒体が変遷していったとしても、そのたびにソフト化されるかどうかはわからないレベルの作品がめでたくDVD化されたわけなんだから、もう少し丁寧に、愛情を持って作ってほしかったなあ。
posted by 銀河満月 at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 特撮ヒーロー・特撮映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月01日

とりあえず円谷プロ

 今年も円谷プロの公式サイトが無駄にがんばっております。

 1日限りのイベントを今年も楽しんでみては?
posted by 銀河満月 at 01:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 特撮ヒーロー・特撮映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月03日

仮面ライダーキバがスタートしてました

 キバ、もうすっかり放送されていたんですねえ。いや、きちんと先週も今週も見てはいるけどさ。

 でもね、正直言ってちっとも面白いと思えないんだよな。脚本が井上大先生とかそういう部分を外してみても、ちっとも面白くない。
 やはり現在編と過去編のスイッチのさせ方に問題があるんじゃないかねえ。
 現在と過去をスイッチさせて描く場合、大抵は1つの事象について現在パートで新たな動きとか過去からの因縁が描かれたタイミングで、過去パートにスイッチさせるのが常套手段と言うか、わかりやすい手法だと思うのだけど、今回は出てくるファンガイアが同じと言うだけで、描かれている現在と過去の挿話に全く関連性がないから、いちいち話の流れをぶった切っているようにしか見えない。
 これじゃ見ているほうは飽きてしまうよ。

 肝心のアクション面も、必殺技であるダークネスムーンブレイク(キックの名称。やたら長いね)のシーンは、まあカッコいいとしても(ハイジャンプ魔球のもろパクリであることが容易にわかるのは、ちょっとどうなんだという気もするが)、そこに至るまでのアクションシーンに目新しさが何にもない。
 と言うか変身前と変身後とで、「戦っている・動いている人は同じ」という、役の上での統一感のようなものが全くない。
 初期のアギト的な雰囲気を狙っているのかもしれないが、普段の主人公がおどおどした挙動不審な態度しか取っていないだけに、変身後のパワフルアクションとの統一性がなさすぎる。

 後はまあ、この世アレルギーとか主人公に犯罪まがいのことさせたりとか、相変わらずの無意味な引きとか、ウゼェ女キャラとか、平成ライダーを構築する負の要素をかなり受け継いでしまっている感じだね。
 キバットも前作「電王」でのタロスズ的なイメージを踏襲したつもりなんだろうけども、今作では基本シリアスな世界観を目指しているだけに、かえって浮いた存在になってしまっているのが厳しい。

 まあ、なんだかんだ言っても「仮面ライダー」の名を冠しているわけだから、これからも付き合っていきますけどね。
posted by 銀河満月 at 18:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 特撮ヒーロー・特撮映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月30日

祝!祝!「ザ☆ウルトラマン」DVD−BOX発売決定!!

 発売決定だよ!

 一昨年に「レオ」のDVDが発売された後、一向に音沙汰のなかった昭和ウルトラシリーズDVDだったけど、ついに第3期ウルトラシリーズのDVDリリースも決定しましたよ!
 しかもアニメの「ザ☆ウルトラマン」が来てくれました!
 この作品はやはりアニメ作品であるために、映像ソフト化の機会に恵まれることがほとんどなかった。唯一、ちょうど10年位前にLD−BOXが出たことはあったけども、さすがに当時の僕には高価すぎて手は出せなかったし。
 おまけにその性格上、再放送もほとんど(関東では恐らく「全く」)されていないので、作品の中身を知る機会は皆無と言ってもよかったくらいだ。僕もこれについてはさすがに見たことがない。
 それだけに今回のBOX発売は非常に嬉しい。
 正直な話、普通の実写ウルトラに比べれば売り上げは低くなるだろうから、BOXとしてまとめて売ってしまう今回の手段は悪くないやり方だとも思うし。
 バンダイビジュアルってところにちょっと引っかかりを感じるけども、まあ変な仕様にはならないだろう。
 とにもかくにも楽しみである。

 さらにこのニュースを聞いて、「ザ☆ウル」のDVDをバンビジュが出すと言うことは、その合間を縫って当の円谷では次作「80」のDVD発売準備をしてるんじゃないかなあ、などと邪推してしまったり。
 いや、ホントにザ☆ウルからはあまり間を空けて欲しくないので、是非とも80も全話DVD化してほしいところでありますな。
posted by 銀河満月 at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 特撮ヒーロー・特撮映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月21日

ありがとう、仮面ライダー電王

 本日、仮面ライダー電王が無事に最終回を迎えた。
 最終回らしい盛りだくさんのイベント目白押しで、ラストのエンドロールなどは最終回にふさわしい大団円が描かれ、まさに一年間見続けた我々ファンにとっては最高の最終回になったと言えるのではないだろうか。

 前2話で過去に取り残される形となってしまった、キンタロスとウラタロスの再登場の仕方から、まさかのジーク参戦、久々のゼロノス・ベガフォーム、そして最後の最後「俺の必殺技・ファイナルバージョン」と、まさにこれぞ電王クオリティというべき展開で、カイの出自とかハナの正体関連付けが強引だとか、多少わかりづらいというか描写不足な部分はあったものの、そのような瑣末な不満など強引に押し切ってしまうパワーは、平成ライダーでは電王特有のものであったと言えるだろう。
 再結集することで、改めて良太郎とモモタロスたちとの絆の深さを描いたわけだけど、その具体的な描写方法が「みんなで力を合わせて敵と戦う」というオーソドックスな手法に終始してくれていたのも、見ていて清々しかった。とにもかくにも今回は戦闘シーンばっかり。
 侑斗にいたってはデネブと協力して素顔でのアクションも存分に披露。善悪入り乱れての大乱戦は、平成ライダーシリーズの終盤では必ずと言っていいほど描かれるシーンではあるが、今回は電王ではお馴染みの「フォームチェンジ時のタロスズのやりとり」が軽妙に描かれているため、さほど悲壮感を感じなかったのは電王ならではと言うところだろう。
 そして「5番目の仲間イマジン」であるジークまできちんと登場させるあたりは、今までの平成ライダーシリーズとは違い、テレビ本編と劇場版をリンクさせることにより実行することが出来た、視聴者への最後のサービスだったと言えるだろう。
 さらに言えば最後の最後、そのジークの戦闘シーンにダブアク「ウイングフォーム」がかかったのには驚かされた。前情報はまったくと言っていいほどなかった上に、コンプリートCD−BOXにも一切収録されていない代物だけに、登場シーンで聞いた時はかなりあせってしまったけど。
 久々のベガフォームもだが、その時のデネブの決め台詞も最終回であることを意識したようなセリフになっていて受けた。
 そしてラストの「俺の必殺技・ファイナルバージョン」。デンガッシャーのオーラソード部分を各イマジンがエネルギー(恐らくはフリーエネルギー)をこめつつデスイマジンに交互にぶつけ、最後に電王がきりつけると言う、まるで戦隊シリーズを見ているかのような、楽しさとカッコよさが同居した連係プレイに純粋に感動してしまった。

 デスイマジンを倒すと同時にカイとすべてのイマジンは消滅し、同時にモモタロスたちも消えた…かと思いきや、あっさり生き残っていたあたり、やはり電王らしいと言えばらしいのだけど、やはり生き残っていてくれて嬉しかった。これで「すべて消えてさようなら」では寂しすぎるからね。
 嬉しさのあまり再会したデネブと抱き合う侑斗のシーンを見たら、年甲斐もなくジーンと来てしまいました。
 「記憶が時間を作りつむいでいく」という「電王」の基本テーマに沿った理由で生き残れたのだし、消えてしまった桜井侑斗も、いつか復活することが出来るだろう感じだから、これ以上ない極上のハッピーエンドだったと言えるだろう。
 そしてラストは、「電王」のビジュアルイメージを象徴する「街中に突如現れて疾走する電車」の描写で締めくくられた。

 最初から最後までまさにクライマックスのままで走り抜けた「仮面ライダー電王」。
 一年間我々ファンを楽しませてもらい、心からのお礼を言うと共に、もう一度、近い未来での彼らの活躍を見てみたい。
 だがそれはまた別の話ということで、今はお礼の言葉だけ書き留めておくことにしよう。

 一年間、楽しい時間をどうもありがとうございました。
posted by 銀河満月 at 00:38| Comment(0) | TrackBack(1) | 特撮ヒーロー・特撮映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする