はい、それでは本日見てきたW劇場版の感想を書いていってみようかと。
ネタバレ全開で書きますので、ネタバレが嫌な人はご遠慮くださいませ。
まず一言でこの映画の感想を書くならば、「すげー面白かった!」に尽きる。テレビ本編のWもほぼ毎回面白いし、楽しんで見ているわけだが、正直今回の映画がここまで面白いものになっているとは思わなかった。
まず第一に挙げられるのは、やはり序盤から積極的に盛り込まれたアクションシーンの数々だろう。
復活したアイスエイジ・バイオレンスの両ドーパントを相手にW、ウェザーとナスカの方ではアクセルと、二者二様のバトルを展開。2人ともそれぞれテレビ本編ではまだ使用していなかったマキシマムドライブを初披露、この時点で鑑賞者のアクションシーンへの興味はぐっとそそられること間違いない。
そして現れたNEVERの面々との戦いでは、Wとヒートドーパントとのバイクチェイスが物凄い。ルナドーパントの作り出したマスカレイドの幻影もあわせて、これまでのライダーシリーズではまずお目にかかることのなかった(ハリウッドのアクション映画的な匂いを感じる)、バイクを使ってのかなり激しいアクションが展開。
実際の走行シーンと合成とを巧みに使い分けて、迫力のチェイスシーンが画面狭しと繰り広げられた。
と、そのあたりまではWも優勢だったのだが、ルナ・ヒート・メタルと3体のドーパントを相手に大苦戦を強いられ、さらに初めて相対したエターナルに完膚なきまでに痛めつけられてしまう。
このエターナルとの初戦では、廃工場を舞台にしてかなり立体的なアクションが展開されており、同じ場所で繰り広げられたアクセルVSトリガードーパントとの対決も含めて、どちらかと言えば戦隊チックなアクションの構図になっていた。
と、中盤に至るまででかなり密度の濃いアクションシーンが描写されてきたわけだけど、今回の映画ではアクションとストーリーの部分とがきちんと融和されているので、クライマックスに至るあたりからのアクションシーンは、アクション単体だけで語るのは難しいだろう。
そのストーリーの方は、劇場版における前作「MOVIE大戦2010」の時と違い、主役側のメインはフィリップで、翔太郎はどちらかと言えば脇に回る部分が多かった。
今作のフィリップは、記憶が存在しないために自分の「母」であるシュラウドの面影をマリアに見出し、彼女が自分達を裏切ったことを知った後でさえも、彼女を信じる気持ちを捨て去れずに、激昂して翔太郎を殴りつけるという、普段の彼らしからぬ「人間くさい」行動を数多く見せている。
映画自体がどちらかと言えばアクションシーンに比重を置いていたため、フィリップとマリアの交流を描いたシーンの時間そのものは短いのだけども、それでもマリアへの想いを募らせるフィリップと、それに少しずつ影響を受けるマリアの姿はきちんと描写されていた。
これは脚本や演出以上に、役者本人の演技によるところが大きいと思う。
比して今回の翔太郎は文字通り、それこそテレビ本編でシュラウドに言われたとおり、最後の「切札」として活躍する。
タイトルに「運命のガイアメモリ」とあるとおり(そしてテレビ本編で井坂が発言したとおり)、この作品では「ガイアメモリとその使用者は運命的なもので引き寄せあう」とされており(ヒートドーパント=羽原が言ってるだけではあるけど)、その言葉どおり、エターナルレクイエムによって変身できなくなった翔太郎は、運命によって引かれあった最後のT2ガイアメモリ「ジョーカー」を手に入れる。
(余談だけど、このT2ジョーカーメモリを入手する流れの伏線の張り方も実に見事で唸らされた。物語導入部に挿入されただけと思われたコメディシーンにまで、きちんと伏線を張るという物語構成の巧みさは、脚本担当・三条陸氏の面目躍如というところだろう。)
そしておやっさんこと鳴海荘吉=仮面ライダースカルの幻から託されたロストドライバーを使って、翔太郎は仮面ライダージョーカーに変身。ヒートドーパントを圧倒し、照井と共に風都タワーに乗り込んだ際にはメタルドーパントを撃破する。
このジョーカーのアクションは、オールドファンならニヤリとさせられる、昭和ライダーへのオマージュが満載だった。
マキシマムドライブの発動直前に取るポーズは1号・2号のそれだし、各ドーパントへの止めを刺す場面(特にメタル)なんかは、ジョーカーの見た目がBLACKに似ているからか、BLACK本編でのブラック対シャドームーン最終決戦時のパンチ・キック使用時に見せ方が似ていたりもした。
そもそも携行武器やフォームチェンジなどの特殊能力を一切持たず、ひたすら徒手空拳のみで戦う仮面ライダー自体が、平成ライダーでは非常に珍しく、そのアクションスタイルからして、昭和ライダーへのオマージュと取れなくもない。
必死に戦うジョーカー=翔太郎の姿を見て、フィリップもエクスビッカーを無力化せんと必死に抵抗する。
2人の力も及ばずあわやと言う時に最後の行動を起こしたのは、大道克己の実の母親でもあるマリアだった。エクスビッカーの発射こそ阻止できたものの、怒った大道は躊躇なくマリアを射殺してしまう。
風都の人々を救うために最後まで戦おうとしたフィリップの姿に、マリアは息子の優しかったかつての姿を重ねたのかもしれない。
すべてを、自分の命さえ投げ打っても息子を救いたいと願う「母」の想いを知ったフィリップは、使用可能になったT1ガイアメモリを携え、翔太郎と最後の決戦に赴く。
このフィリップとマリアの別離のシーンは、これまた迫真の演技によってかなり盛り上がるものになっている。
冒頭の母子とのシーンからもわかるように、フィリップは「母」という存在そのものを今ひとつ理解できていなかったわけだが、ここに至って「母」という存在が「息子」をどのように思うのか、どんな風に愛情を注ぐものなのかを理解したシーンでもある。
だからこそ実の息子でありながら、そんな母の思いを踏みにじった大道への怒りも増すわけで、このへんの感情の変遷の描写もまったく見事だった。
復活した大道を相手にすぐ変身するのではなく、まず生身で戦いを挑むあたりも、フィリップのより直情的な怒りを表現できていたと思う。
そしてそんなフィリップの怒りを翔太郎も理解できていたからこそ、同じく生身で挑んだのだろう。
2人の気持ちが完全に1つになったとわかる場面は変身シーンだ。変身の際、精神だけがW=翔太郎の体に移動したフィリップの体はその場に倒れ付すと言うのがお約束だが、この時の変身は倒れる直前、フィリップが翔太郎の肩に手を乗せるのである。まるで後を託すかのように。
元来Wは「2人で1人の仮面ライダー」なわけだから、最終的に戦うのは2人一緒になるわけで、わざわざそんなことをしなくても良いのだが、敢えてフィリップは肩を叩いたのだ。「相棒」を信頼していると言うことを、心ではなく体で直接伝えるために。
この演技は翔太郎を演じている桐山漣氏の発案とのこと。キャラクターもストーリーも理解し、尚且つ愛着があればこその名案であった。
途中でルナドーパントに邪魔されるWの前に現れたのは、テレビ本編での次作「仮面ライダーOOO」に登場する仮面ライダーオーズこと火野映司。
変身したオーズはタトバコンボとタカキリバコンボを見せて鮮やかにルナドーパントを撃退。
まあこの辺は番宣の意味合いが強いわけだけど、それでも去年の「オールライダー対大ショッカー」におけるW初登場の時よりは、物語の進行的に無理のない仕上がりになっていた。
「ライダー同士、助け合わないとね」というオーズの言葉にもなぜか感動。オーズもぜひ劇中で「仮面ライダー」を名乗って欲しいものである。
風都タワー上でのエターナルとの決戦では、6つのメモリを駆使した矢継ぎ早の攻撃を展開。
それぞれのフォームの特性を生かしたアクションシーンは一番の見所と言ってもいいかもしれない。本編中で高威力扱いされていたヒートトリガーの攻撃でエターナルを吹っ飛ばしていたりと、個々の設定もきちんと生かしているあたりが憎い。
だが「最強の敵」だけあって、この程度ではエターナルは敗れない。エターナルは残り25個のT2ガイアメモリをすべて搭載、マキシマムドライブを発動させて風都タワーを破壊し、タワーごとWを地面に叩きつけようとする。
サイクロンジョーカーエクストリームの力も及ばない、まさに絶体絶命となったその時、事態を見守っていた風都の人々が一斉に叫ぶ。「仮面ライダー!」と。
刃野刑事や真倉刑事、ウォッチャマンにサンタちゃん、クイーンにエリザベス、ライダーに助けられたことのある大勢の人々、そして亜樹子。仮面ライダーの勝利を信じる人たちの思いが1つになる時、風都に一陣の風が巻き起こる(と同時に、バックに「W-B-X 〜W-Boiled Extreme〜」がかかる)。
風都の各所に置かれている風車群を激しく回転させながら、やがて風は旋風となってWの周囲に集まり、腰のエクスタイフーンがその風をエネルギーとして取り込み、Wはゴールドエクストリームへの進化を果たす。
ゴールドエクストリームもまた、全ライダーの始祖たるライダー1号へのオマージュと取れる面がある。マフラーのように見える6枚の羽は、まさに「虫の羽」にも見えるし、何より進化の直接の理由が「風」であることも、仮面ライダーが本来は風をその力とする「風の戦士」であったことに対してのリスペクトなのだろう。
風都とそこに生きる人々を愛した仮面ライダーW、そしてそんなWを信じた風都の人々の思いが重なったからこその奇跡であったわけだ。
だからこそ、そこに至るまでの流れが重要なのであって、ゴールドエクストリームの戦闘そのものはかなりあっさりと終わっている。
ゴールドエクストリームの物語上における存在意義を鑑みると、この見せ方は実に妥当であったと言える。
ラストは冒頭から触れられていた、風都の花火大会で幕を閉じる。まさに大激戦と言っていい戦いを乗り切っただけに、4人の晴れやかな笑顔は、見ている側までも清々しい気分にさせてくれるような素晴らしいものになっていた。
とりとめなく感想を書いてしまったが、上で書いてきたこと以外にも見所はたくさんある。
大げさな言い方かもしれないが、まさに全編が見所と言う感じなので、いちいち書いていったらキリがないのだ。
大道とフィリップ初邂逅時のやり取りも、本編で明らかにされたフィリップの真実を知った後で見るとなるほどと思わされるし、赤いナスカドーパントしか知らないアクセル=照井が、青いナスカを見た時にわざわざそのことに触れたり、ルナドーパントこと泉京水を演じた須藤元気の演技が予想以上に面白かったなど、本当に盛りだくさん過ぎるのである。
そして今回の映画で一番強く感じたことは、「王道を王道として描いた作品は、やはり素晴らしい」と言うことだ。
平和を願って戦うヒーローがいる。そんなヒーローを慕い、勝利を信じる多くの人々がいる。そしてそんな人たちのためにヒーローはさらに戦い続け、最後には勝利する。
この映画の基本的な骨子はこの「王道路線」に尽きる。そしてだからこそこの映画はここまで面白くなったのだ。
暗く先の見えない現実だからこそ、空想の世界でくらいは「正義は必ず悪に勝つ」話を見たいではないか。そういう話を子供たちに見せたいではないか。
「正義は必ず悪に勝つ」。そう言えばこのテーゼは昭和の仮面ライダーシリーズで散々繰り返されてきたものだった。
実は今回の映画の話そのものが、昭和ライダーへのオマージュだったのではないか。ふと、そんなことも考えてしまったりするのである。
さて、あと一回くらいは見に行ってみようかな。