2007年05月25日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)8話「宿敵!ぬらりひょん」感想

 またまた遅れてしまったが、今週の鬼太郎の感想である。
 今回は前々から顔を見せていたぬらりひょんがいよいよ本格的に鬼太郎に挑戦してくる話ということで、3期でのぬらりひょんの活躍ぶりを知っている身としては、期待せずにはいられない。

 今回のぬらりひょんは、サブタイトルに「宿敵」と書かれている通り、既に何度か鬼太郎と対戦してきている強敵になっており、そのためネコ娘やねずみ男もぬらりひょんを知っていると言う設定になっていた。
 きちんと「妖怪の総大将」ネタを盛り込んでくれていたのも、ファンならニヤリとしてしまうところ。
 さらには鬼太郎を倒すためだけに、躊躇することなく火事を起こすと言う凶悪さと、鬼太郎の強さを熟知した上でその弱点を見つけ出すという、老獪な策略家の面も加わり、4期に続いて仕込み杖を持ち歩いたり、近代的なビルの中に日本家屋を(さしたる意味なく)構えるなど、歴代で一番「妖怪の総大将」にふさわしい風格を備えた大物っぷりになっていた。
 鬼太郎に一旦は勝利した際、配下の妖怪たちに酒を振舞うところは、いかにも親分って感じで、なかなか人間臭く描かれていた。
 もちろん声が3期と同じく青野武氏と言うところも、ポイントが高い。

 対する鬼太郎は、ひとみという人間の女の子に入れあげた?ようで、このあたり序盤の(特に5話あたりの)「一般の人間」に対する接し方とはだいぶ異なる感じに見える。
 が、元々鬼太郎には確固たる「行動理念」は存在しておらず、原作でも一応正義を重んじる性格ではあるものの、最終的には事件に介入するかどうかはその時々の気分で決まっていた面が多い。
 鬼太郎は神様とか厳然としたヒーローではないわけで、良くも悪くも手前勝手に動くアンチヒーローなのだから、ある話では人間を突き放し、ある話では人間に必要以上に肩入れする、というのも間違った解釈ではないと思う。
 原作でも基本的には女(と言うか美女)に弱いしな。

 が、それさえもぬらりひょんの策略で、旧鼠の毒で身動きが取れなくなった鬼太郎は、ひとみの正体でもある百々目鬼にちゃんちゃんこを奪われてしまう。
 心を許したひとみがぬらりひょんの配下だったという現実を見せ付けることで、体だけではなく鬼太郎の心までも挫いてしまおうとするぬらりひょんの作戦は、なかなかに悪辣だ。
 細部は異なるものの、鬼太郎をコンクリートの中に沈めて重ねてしまうと言う手段も使われ、さらに「鬼太郎つき」ではなかったものの、体の一部たる髪の毛を用いての逆転・復活も描かれ、原作での重要なガジェットを効果的に使用している。

 ただ、その後のぬらりひょん一派VS横丁の面々は、止め絵ばかりで正直物足りなかったと言うのが本音。30分前のプリキュアや次のワンピースは結構動き回ってるんだから、鬼太郎でも大事なアクションシーンはもっと動き回って欲しいものだ。
 で、百々目鬼の裏切りもあって鬼太郎はどうにか復活するわけだけど、肝心の百々目鬼の裏切り自体も、ちょっと唐突と言えば唐突だったかな。妖怪としての正体を知ってからもなお、鬼太郎がひとみを気にかけていた理由もいまいち不明瞭だし、ここらへんはお涙頂戴を描くためのご都合主義的展開と言われても仕方ないと思う(尤も鬼太郎はずっと百々目鬼のことを「ひとみさん」と呼んでいたから、最後まで彼女を「人間」として見ていたのかもしれないが)。
 5話と同じく詰め込みすぎな感じがするので、どうせならアクションシーンの水増しも含めて、前後編にしてみたらいろんなシーンをもっと細かく描写できたかもしれない。

 演出的には、今回は画面分割が多用されていたのが印象的だった。細かいカット割が出来ないからだろうか。
 他には蟹坊主とぬらりひょんに対して放った、途中で分岐する髪の毛針か。結果的に相手には通じなかったとは言え、今までになかった毛針の使い方としては、少し面白かったかなと思う。こんな感じでもっとバリエーションが増えたら、アクションシーンにも幅が広がるかもしれないね。
 あとはやっぱり、ねずみ男が活躍しなさすぎだな。

 次回は「ゆうれい電車」。1期、3期、4期どのシリーズでも、鬼太郎や妖怪たちの不気味な面が強調された良作になっていたが、5期ではどんな風に描かれるのだろうか。
posted by 銀河満月 at 23:00| Comment(2) | TrackBack(2) | ゲゲゲの鬼太郎(第5期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月13日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)7話「燃えろ!目玉おやじ」感想

 はい、今日放送された7話の感想です。
 一反木綿、砂かけと続いて今回スポットが当たるのは目玉親父。と言っても親父自体は主役編とまではいかずとも、歴代の作品でもスポット自体が当たる機会はたくさんあったので、それほど珍しい構図ではないのだけど。
 ま、第5期という「今」の作品でやることに意味があるのだと解釈しよう。

 今回の敵は雪女。原作では「雪ん子」に出てきたものの、ピンででてきたことは確かなかったはず(結局ピンではないのだけど)。
 冒頭、人間と仲良くしている妖怪として座敷童子が出てきたが、これまた原作でよく描かれる座敷童子の姿(「傘地蔵」とか)ではなく、ごく普通の女の子として描かれていた。まあ、「人間と仲良く遊んでいる」という描写がある関係上、この改変は妥当なところだろう。

 対する鬼太郎はねずみ男の裏切りでまたもピンチに陥るわけだが、今話までの描写を見る限り、今回のねずみ男は2期のような際立ったあくどさや3期のような敵味方を軽快に行き来するフットワークを持たない、1期や4期のねずみ男に近い存在なのかもしれない。
 今回の裏切りにしたところで、物理的に裏切らざるを得ない状態(雪女に逆らったらすぐさま氷漬けにされてしまう)だったわけだし。

 鬼太郎までもが氷漬けになってしまったため、親父は唯一雪女の氷を溶かすことの出来る「地獄の炎」を得るため、地獄へと向かう。
 しかし今更ながらだけど、あれだけ仲間の妖怪が氷漬けになっているのに、ネコ娘だけがいつまでも被害を受けないってのは、ちょっと強引な展開だよなあ。今回の話に限らず。
 地獄で閻魔大王と会う親父だが、閻魔大王の声は郷里大輔氏だった。3期でも閻魔大王を演じ、さらに別の某作品(笑)でも長い間閻魔大王を演じていただけに、貫禄は十分だったね。
 そう言えば4期の閻魔大王の声は柴田秀勝氏だったんだっけ。…あれ?最近どこかで「地獄」に絡んだキャラとして柴田氏の声を聴いたことがあるような…(笑)。

 ここで改めて「目玉親父は火が苦手」という面がクローズアップするわけだが、どう見てもこの展開には無理があると思う。
 確かに冒頭の花火シーンでそういう伏線をきちんと張ってはいたけども、「親父は火が苦手」という設定は今回初めて登場したものであるだけに、その謂れとかをきちんと説明しておくべきではなかったか。
 4話では乾燥機を苦手としていた一反木綿が、きちんと自分の口でその理由を説明していたから、まだ納得することが出来たが、これでは話の都合上、強引に親父の設定を改変したと取られても仕方がないだろう。
 ただ、これからも「火が苦手」というこの設定を遵守してくれるのであれば、文句はないんだけどね。「泳げない」という設定をきちんと守ってくれた1期のねずみ男のように。

 地獄の炎で復活した鬼太郎の攻撃を受けて雪女は倒れるが、続いて雪入道が登場する。
 しかしこの雪入道、デザインはまんま「一本だたら」という火を司る(正確には火を扱う鍛冶仕事の)神になっており、知っている人間にしてみれば違和感を感じてしまう。
 と言うかぶっちゃけ雪入道は登場しなくても良かったんじゃなかろうか(笑)。
 今回の話は基本的には歴代作でも何度も描かれた「鬼太郎と目玉親父の親子愛」がテーマなのだから、戦闘シーンを長く見せる必要はなかったように思う。

 雪入道も倒し、事件は一応解決したわけだけど、その裏で糸を引いていたのはぬらりひょんだったようだ。
 しかも今回は3期での「ぬらり建設」を思わせるビルにオフィスらしきものを構え、その背後には朱の盤以外の妖怪も従えている様子。
 声の効果や迫力ある眉毛(笑)もあって、3期や4期のぬらりひょんに比べると、かなり大物感が漂っている。
 そして次回は「宿敵!ぬらりひょん」。ついにぬらりひょんとの直接対決が来るようで、次回がどうなるのか、また次回の話が今後にどういう影響を及ぼすのか、興味は尽きない。

 ちなみに今回初登場した夜行さんだけど、3期や4期に比べるとまだパワー不足だった気がする。
 おいおいはっちゃけてくれるとは思うけど。
 そう言えば鬼太郎が雪女を倒すために集めた火の妖怪の中に火車がいたな。5期では火車は鬼太郎の敵にはならないのだろうか。
posted by 銀河満月 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(3) | ゲゲゲの鬼太郎(第5期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゲゲゲの鬼太郎(5期)6話「大パニック!妖怪横丁」感想

 プライベートの方が忙しかったので、少し間が空いてしまったけども、6話の感想を書いていこうと思う。

 4話の一反木綿に続き、今回は砂かけ婆が主役の話…と思うのだが、実際は今まで断片的にしか登場してこなかった「妖怪横丁」、及びそこで暮らしている妖怪たちにスポットを当てた話であった。
 と言っても具体的に描写されていたのは砂かけが経営しているアパートと、お歯黒べったりの銭湯くらいだったのであるが。

 今回で印象に残ったのは、やはり横丁で暮らしている妖怪たちの姿だろう。
 彼らはみんな妖怪ではあるが人間のように、あるいは人間以上に人間臭く生活を送っているという描写がなされ、このあたりは「妖怪のユーモラスな面も描く」という、5期の基本プロットにうまく合致していると思う。
 だからこそ話を砂かけの周囲だけに絞ることなく、もっと色々な場所(店)で色々な妖怪たちの行動を見せて欲しかったと思うのは、欲張りな考えだろうか。

 同様の理由で、今話に限っては戦闘シーンはなくても良かったんじゃなかろうか。
 2期や4期で見られたように、アクションシーンは最低限のものにして、後はドラマを追う展開にしたほうが、横丁に住む妖怪たちをもっと丁寧に追うことが出来たんじゃないかと思う。

 で、今回の敵はのびあがりだったが、姿形と「相手を吸血木に変える」という基本能力以外は、原作とまったく違った設定が与えられており、そういう意味では今まで登場した敵妖怪以上に、賛否の分かれる存在になっていると言える。
 確かに1期の超現実的な雰囲気、3期の圧倒的な巨大さ、4期の幻想的な描写と比較すると、どうにも迫力不足なのは否めない。
 もちろん話に合わせてのびあがりの設定自体を改変したと言う理屈はわかるのだけど、それであれば今回の話にはのびあがり以外の妖怪を設定した方が良かったんじゃないだろうか。
 仲間の妖怪だけでなく鬼太郎まで木に変えられ、それを見て涙を流す砂かけや目玉親父の姿を重ねることで、原作にも見られた絶望感はどうにか出せていると思うのだけど。

 そう言えば今回の吸血木は、気が付いたら腕から芽が出ていて、徐々に木に変わっていくというものではなく、口の中に強引に種を放り込まれると、あっという間に体が木に変わるというものになっていた。
 前者の描写の方が緊迫感を生むと思われるが、今回は木に変わっていく緊迫感を重視していなかったと言うことか。
 口の中からニョキニョキ生えてくる木の幹は、3話で夜叉が口の中に直接髪の毛を突っ込むのと同様、生理的嫌悪感を催す描写になっており、この見せ方は良かったと思う。

 ラストのオチも含めて今回は全編コメディ調で描かれており、おどろおどろしいシーンがあまりなかったのは、初期編ということを考えると残念ではあった。
 やはり妖怪主体の話になると、おどろおどろしい存在である妖怪自体がメインになってしまうから、見せ方を変えざるを得ないんだろうな。
 そういう意味ではやっぱり従来どおり、人間が事件に巻き込まれる形式の話が一番良いと思うのだけどね。
posted by 銀河満月 at 23:55| Comment(0) | TrackBack(1) | ゲゲゲの鬼太郎(第5期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月29日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)5話「呪われた映画」感想

 放送開始から約一ヶ月経った第5期ゲゲゲの鬼太郎。現段階では視聴率もそこそこの結果を出しているようだし、出だしは好調と言うところだろうか。
 視聴者間での人気がどうなのかと言うことに関しては、残念ながら知る由もないのだけど。

 今回の話はほぼアニメオリジナルではあるのだけど、元ネタとして2期鬼太郎の「アンコールワットの亡霊」が引用されていた。
 アバンでの映画撮影シーンではまんま「アンコールワット〜」の設定が引用されており、2期を知るオールドファンなら思わずニヤリとしてしまったことだろう。
 登場した敵妖怪である沼御前も、「離別してしまった大切な人(=夫)を求めて出てくる」という設定が、「アンコールワット〜」での亡霊と一致しているあたり徹底している。

 大筋は「クメール遺跡の亡霊」に絡んで出現する沼御前の話なんだけど、それに絡んでくる鬼太郎のスタンスが、5期ならではという感じで面白かった。
 かつて20年前に同じ映画を撮影していた時も、同様の事件が発生し、そしてその時も人間を助けていた鬼太郎。二度も警告したにもかかわらず、今また同じ映画がリメイクされるに至り、鬼太郎は今現在、被害にあわんとしている人達を見捨てようとする素振りさえ見せる。
 最終的には映画スタジオに現れ、沼御前を何とか倒すものの、沼御前も決して死んだわけではなく、撮影も中断されることはない。
 ラストは再び現れた沼御前によって、2人の人間が井戸に引きずり込まれた(=殺された)ことを暗示させ、そしてそれに感づきながらも、最後は思いとどまって1人去っていく鬼太郎の姿でクロージングという、なんとも後味の悪い終わり方となっていた。
 原作における鬼太郎の「人間を救う」と言うスタンスは、基本的には「そんなに人類のために奉仕ばかりしていたら、しまいにはベトナム戦争にまで参加しなくちゃならなくなるよ」という鬼太郎自身の言葉に集約されるのだろう。
 悪いことをしている妖怪そのものは見逃せないが、かと言って身を粉にしてまで人間に尽くしてやろうとも考えていない。
 ある意味気まぐれとも言える原作鬼太郎のドライな行動(本人の中では明確なルールが存在するんだろうが)を、5期アニメの世界観の中で巧く見せることに成功していたと思う。

 ただ、今話に限ったことじゃないんだけども、どうにもアクションシーンが単調なんだよな。
 毛針or下駄→通じない→拘束されたり食われたりする→体内電気というパターンばかりなので、正直飽きてしまう。
 3期でのオカリナという便利な武器はないにせよ、髪の毛縄とかちゃんちゃんこを用いての変幻技なんかも、もっと見せて欲しいと思う。
 そういう意味ではリモコン手と指鉄砲が使えないと言うのは絵的にきついな。

 今話の作画監督は八島喜孝さんだったが、この人は4期にも参加していた上に、どうにも癖の強い絵柄の人なので、最初出てきたねずみ男を見た時、4期のねずみ男が出てきたかと思ったよ(笑)。
 個人的にはあんまり好きではない絵柄だ。

 尚、今話のトピックスの1つであったウェンツだけども、アバンでの男性俳優役で5回くらいしゃべっただけだったので、物語にはあまり絡まなかった。
 ゲストとしてはこのくらいの扱いの方がいいのかもしれないな。
 ただ演技の方は結構普通に出来ていたんじゃないかと思う。予告編での鬼太郎との掛け合いもごく普通にこなしていたし。
 と言うか最終的に人死にまで出た話の後で、ウェンツと鬼太郎が仲良く談笑するという光景も、見ようによってはとんでもなくシュールだ(笑)。
 個人的にはアバンでの「旧のび太の先生」と「新のび太の先生」の会話も受けた。

 次回はのびあがりの話だが、舞台は妖怪横丁になるようで、原作とはかなり異なる内容の話になるらしい。
 でも鬼太郎が吸血木になるという定番の展開はあるようなので、これもまた楽しみだ。
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2007年04月22日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)4話「男!一反もめん」感想

 アニメ鬼太郎のみならず、実写版の映画も来週から公開とあって、最近は鬼太郎関連の本がたくさん発売されていますねえ。良いことだ。
 よく考えると4期にしたって今から10年近く前の作品なんだから、若い人とか子供さんなんかは鬼太郎自体をほとんど知らないんだよな。
 だから本を出すことは非常にいいことだと思うんだけど、中央公論新社と講談社からそれぞれ文庫が出たり、ちくま文庫版もまだ残ってたり、被ってしまっているのはちょっといただけないかもな。
 ライトなファンには「少年マガジンオリジナル版」の価値はわかるまいよ。

 さて、今週の鬼太郎である。3話までは鬼太郎、親父、ねずみ男、ネコ娘のカルテットを中心にした話になっていたけども、今回は一反もめんが主役である。
 敵妖怪は海座頭だったけども、話自体は原作とはまったく異なる内容になっていた。いかだで旅に出ることもなければ、鬼太郎がノイローゼになることもなかった(笑)。

 話は一反木綿(このブログでは「一反木綿」と書きますね)と仲良くなった少女・綾が海座頭に狙われ、綾を守るために一反木綿が奮闘すると言う、まあよくある設定。
 よくある設定ではあるのだけども、やはり「美少女を守るために奮闘する中年親父」と言う構図は、いつの時代でも親しみやすいものなのだろう。
 こういうシチュエーションでは浮世離れしているイケメンでは成立せず、そんじょそこらにいそうな、およそ美女に縁のなさそうなダメ親父っぽい人が、奮起して美少女を守るという構図にこそ醍醐味があるわけだ。そういう意味では3期と同じく八奈見乗児氏の演じる一反木綿は、その役回りを演じるのに最適な存在だったと言えるだろう。

 で、その一反木綿は5期の世界観に合わせて多少は人間を軽快する素振りを見せていたものの、基本的には3期と同じくお人よしでとぼけた感じの妖怪になっており、まさに八奈見氏が演じていた3期の一反木綿と同様の個性を発揮していた。
 「一反木綿」という自分の名前の由来を説明するシーン(今の子供は「一反」なんて単位は知らないだろうから、よい配慮だと思う)から、自分を「タオル」と呼び続けるために当初は綾を嫌っていたものの、自分の表情の変化に気づいてくれた綾をコロッと気に入ってしまったり、熱くて目が回るから乾燥機は嫌だとぼやいたりと、まさに3期の一反木綿が帰ってきたかのようだった。
 綾を好きになる下りなんかは非常にありきたりなものではあるにもかかわらず、素直に笑えてしまったのは、やはり八奈見氏の声と演技の影響が大きいのだろう。
 前にも書いたが、アニメの一反木綿に「一反木綿」という確固たる個性が付与されたのは第3期の時代だから、そういう意味では八奈見氏は本当の意味で「元祖・一反木綿声優」でもあるわけで、はまり役と言えよう。
 綾をつかんで一緒に飛ぶシーンなんかも非常に微笑ましい。

 一反木綿の主役回であった関係上、鬼太郎たち他のレギュラー陣は必然的に出番が少なくなってしまっているのだけど、そんな中では1話に続いて子泣きと砂かけの掛け合いが目立っていたかな。
 序盤で描かれた、一見物語に関係なさそうな掛け合いの中に、伏線が張られていたという物語構造は、さすがと言うところか。
 ねずみ男はほとんど活躍しなかったけども、その代わりなのか、原作どおりの顔(口が見えないで出っ歯だけ顎の下から覗かせている)を良く見せていた。
 今回はネコ娘が一番目立っていなかったが、3話までの目立ちっぷりを考えると、これはこれでバランスが取れていると言えなくもない。
 代わりに活躍?したのは「かわうそ」。2話に続いての登場だが、海座頭が海の妖怪ということで、海まで鬼太郎を連れて行くための誘導役として活躍していた。
 登場時も「家のコケを掃除しなくちゃいけないのに」と、やたら庶民じみたことをぼやくのも、いい味を出している。

 中盤あたりまでは一反木綿と綾のやり取りもあって、かなり牧歌的な雰囲気が続くのだが、海座頭が目をつけた綾を見つけるために船幽霊を繰り出してくるあたりから、空気は一気に変質する。
 立ち込める霧の中から徐々に近づいてくる船幽霊、船幽霊が自分を狙っていることに気づいて恐怖する綾の表情と、それを捉えるアングルなど、徐々に恐怖感を盛り上げていき、最後に一瞬の間をおいて船幽霊が綾の部屋を襲う場面でピークを迎える、その恐怖演出は絶品だった。
 殊に一瞬の「間」が非常に絶妙なタイミングで挿入されており、これがあるとないとでは感じる恐怖感にもかなりの差が出たのではないだろうか。
 (「間」と言う意味では、一反木綿が綾に「海に近づいてはいけない」と警告するシーンで、動いていないスキー場のリフトを、フレームをやや傾けたアングルで描出しており、作品内に流れる不安感を演出している)
 海座頭に捕まっている子供達も一様に白目を向いた状態になっていたり、セリフだけではあるものの「子供を食う」と明言したりと、綾を追い込む恐怖演出はかなり徹底して行われており、規制が厳しいであろう日曜朝のアニメとしては非常に良く出来ていたと思う。

 そして迎える鬼太郎と海座頭の決戦。2話でも用いた髪の毛槍を使うものの、海での戦いということで鬼太郎は早々に追い詰められてしまう。
 波を被ったり船幽霊に水を浴びせられ、空を飛べなくなっていた一反木綿は、綾を守るために意を決してコインランドリー(妙に現代的な店構えに受けた、笑)の乾燥機に入り込み、体を乾かして鬼太郎の元に駆けつける。
 鬼太郎がやられる寸前に駆けつけるというお約束もさることながら、恐怖で思わず目をつぶった綾に優しく語りかけ、目を開けた綾の視界に、3期以降定番になった「一反木綿にまたがって空を飛ぶ鬼太郎」の姿が飛び込んでくると言う、その展開に思わず胸が熱くなってしまった。その瞬間にゲゲゲの歌アレンジの戦闘テーマがかかるという粋な演出も用意されており、まさに燃えどころがわかってらっしゃる、という感じ。
 そして5期初の空中戦が展開することになるが、今回は敵が空を飛んでいるわけではないので、空中戦そのものの魅力はあまり描かれなかったかな。
 水流を盾にして攻撃を防ぐ海座頭に対し、一反木綿は尾の部分をわざと捻って急旋回を行う自分の「こだわり」を利用し、鬼太郎を尾と一緒に回転させ、所謂ドリルキックの状態で突っ込み、水流を突破して琵琶を破壊することに成功する。
 この「急旋回する際に尾の部分を捻る」というのも、序盤での綾との飛行シーンに出てきた話であり、伏線を生かした巧い決着のつけ方だった。
 ドリル状に回転したことできちんと目を回している鬼太郎もいい感じ(笑)。予告時にも「まだ目が回っています」とか言ってたりするし。

 ラストは必要以上にウェットにせず、あくまで爽やかな終わり方にしていたのが印象深い。
 一反木綿がふかふかしていた=乾燥機に入ったことに感づきながらも、殊更しゃべらせるようなことはせず、「タオルさん、ありがとう」という短い言葉の中に、綾の感謝の気持ちを集約させるセンスは見事と言うほかない。
 結局最後まで「一反木綿」という名前をきちんと覚えられていない、というオチもなんとも微笑ましい。
 一反木綿とここまで心を通わせたと言う意味では、綾にはセミレギュラーとしてこれからも何度か出て欲しいくらいだ。そう思ってしまうくらい、今話は面白かった。

 そしてついに登場する事件の黒幕はやはりぬらりひょんと朱の盤だった。
 しかもぬらりひょんの声は、3期と同じく青野武氏!これまた物凄いサプライズだ。
 一反木綿と同じく「ぬらりひょん」というキャラの個性もまた3期で決定付けられたものだから、青野氏の復帰もまた素直に嬉しい。相変わらず朱の盤を部下にしているあたりも、3期を意識している感じ。
 今回は原作で見せた「爆弾魔」的な側面も垣間見せたりして、嫌でもこれからに期待せずにはいられない。

 今話で面白かったのは、伏線がバンバン張られていたことか。
 子泣きが食べたいと騒いでいたさつま揚げは、里帰りから戻ってくる途中の一反木綿が、海座頭と偶然遭遇したために海に落としてしまったというオチだったし、先の「急旋回」や乾燥機、そして何より一反木綿を綾が「タオルさん」と呼び続けたことが、ラストの微笑ましい終わり方につながっていく流れは、本当に素晴らしい。
 今話はこれまでのアニメで培ったアクションの要素やハートウォーミングの要素、そして5期独自の「おどろ」の要素すべてがちりばめられた快作と言っていいだろう。
 マニア的な話としては、今話は声優にも驚かされた。青野武は言うに及ばずだけど、綾の声が雪野五月とか朱の盤の声が小西克幸とか、まったく気づかなかった。声優さんというものは本当にすごいもんですなあ。

 次の話は「呪われた映画」。実写版で主演しているウェンツ瑛士が声を当てることになっているようで、予告でも声を聞かせていたけども、意外と普通にアフレコできていたことに素直に驚いている。
 予告なので何かのキャラを演じているわけではなく、「来週出るからよろしくね」と言っているだけなのだが、出来ない人はこういう時も棒読みになってしまうのに、ウェンツ瑛士は普通にこなせていた。
 キャラを演じるとなるとまた違うのだろうが、いずれにしても楽しみではある。

 ちなみに映画は一応連休中に見に行く予定。
posted by 銀河満月 at 19:17| Comment(0) | TrackBack(3) | ゲゲゲの鬼太郎(第5期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月15日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)3話「妖しき旋律!夜叉」感想

 本日は5期ゲゲゲの鬼太郎の3話「妖しき旋律!夜叉」の放送日である。
 4期鬼太郎でも3話目に「ギターの戦慄 夜叉」として、同じく夜叉の話が放送され、5期のシリーズディレクターである貝澤幸男氏が演出を担当されていただけに、期待しないではいられない話である。
 実際の内容はどうだったのか…?

 OP前のアバンでいきなり眼鏡出っ歯が出てきたところに思わず笑ってしまった(しかも名前は「山田」)が、夜叉が魂を奪う際に、ギターの音色で相手を催眠状態にした上で、その音色の魔力で魂を体外に放出させる、という従来の方法ではなく、口の中に髪の毛を強引に突っ込んで、無理やり魂を抜き取るというやり方に変わっていた。
 「口の中に髪の毛がどんどん突っ込まれていく」というやり方は、生々しい嫌悪感を抱かせるには十分な描写になっており、妖怪の怪奇性、常識を逸脱した「妖怪」という存在を印象付けるのに、うまい効果を出していたと思う。
 それほどくどい描写でもなかったので、「気持ち悪い」だけで終わってしまうような後味の悪さもなかったし。

 で、今回登場の夜叉は、なんと以前既に鬼太郎に倒されており、再度復活を果たしたという設定になっていた。
 確かボンボン版の鬼太郎で、夜叉の一族がかつて倒された親類の夜叉の仇を取るために鬼太郎を狙う、とかいう話があったような記憶があるんだけど、どうだったかなあ。
 アニメ版の鬼太郎では夜叉が狙ったりまとわり付いたりするのは大抵女性になるんだけども、今回もその例に漏れず、狙われているのはバイオリニストの月野小夜子という美少女になっていた。
 いかにも5期鬼太郎らしい美少女になっており、僕としては嬉しい限り(何の話だ)。

 ねずみ男の情報から、この小夜子が狙われていると当たりをつけた鬼太郎は、彼女の身辺を見張ることにするわけだが、その小夜子やマネージャーに自分らを紹介する際、ねずみ男が「名探偵」と言ったのは、やっぱりセルフパロディなんだろうなあ。
 ねずみ男が鬼太郎達に隠れて自分だけ謝礼の金をもらうという、恒例のシーンも健在だった。

 一度夜叉を取り逃がしてしまった鬼太郎は、小夜子のコンサート当日にネコ娘を囮として夜叉をおびき寄せようとするわけだが、このあたりは1話で被害者の少年を囮にした時と温度差があるね。
 1話の時は悪気がなかったとはいえ水虎を目覚めさせてしまった張本人に責任を取らせる形で囮にしたわけだが、今回の小夜子は何もしていないし、この時点では鬼太郎もまったく「気づいていなかった」からな。

 しかし会場に現れた夜叉と目された人物は、既に夜叉に魂を抜かれて操られていただけであり、本物の夜叉は小夜子本人に取り付いていた。
 ただこの展開、普通に考えればどんでん返しとして面白いんだろうけど、小夜子の髪の毛の色と夜叉の色が同じだったから、わかる人にはすぐわかってしまうんだよな。そこのところ、ちょっと詰めが甘かったように思う。
 夜叉は魂を奪った観客達を使って鬼太郎から魂を奪おうとするが、魂を奪われているとはいえ相手が何もしていない人間である以上、鬼太郎は攻撃を加えることは出来ない。
 ここで前述の「前に一度鬼太郎と夜叉は戦っていた」という設定が生きてくる。以前にやりあったことがあるからこそ、鬼太郎も夜叉の習性や能力を熟知しているわけだが、それは夜叉にとっても同じことなのである。その上で「罪もない人間を傷つけることはしない」鬼太郎の考えを付いて攻撃してきたわけだ。
 苦しむ鬼太郎を前に「得意の毛針をそいつらに見舞ってやればいい」とか、「リモコン下駄は?ちゃんちゃんこは?」などといやらしいセリフまで連発(しかも大友龍三郎氏の迫力ある声で)してくるのだから、今回の夜叉は歴代でもトップクラスの悪辣な夜叉と言えるだろう。
 夜叉の取り付いていた小夜子に妖怪アンテナが反応していなかったのも、鬼太郎の能力を知っていた上で夜叉が何かしらの策を取っていたと考えれば、一応納得は出来るんじゃないだろうか。脳内補完に過ぎないと言えばそれまでだが、これはあくまで「水木センセイ原作マンガのアニメ化」だし。

 だがそんな危機的状況に追い込まれても、決して人間を傷つけようとしない鬼太郎の姿を見て、小夜子は夜叉を裏切り、鬼太郎を解放してしまう。
 このあたりの心の変遷というやつはちょっとわかりにくいと思うが、夜叉という妖怪に屈してしまった自分の弱い心と、どんな状況になっても決して屈しようとしない鬼太郎の強い心をと比較して、打ちひしがれたというところなんだろうか。
 OPアバンで鬼太郎は夜叉のことを「人間の心が生んだ妖怪」としていたが、それは(ファン心理からくる)嫉妬心なのか、他人よりも優位に立ちたいと願う自己顕示欲だったのか、それとも夜叉の誘惑に逆らえなかった弱い心そのものだったのか、いかようにも答えを考えられるから、このあたり結構奥が深いと言える。
 それでも夜叉との決戦後に「なんで人間のために命を賭けられるのか」という小夜子の問いに、どんな形でもいいから鬼太郎が答えてくれれば、小夜子の心の葛藤の決着を明示的に出来たんじゃないかと思う。
 夜叉は今回は火をつけられることもなく、体内電気で消滅して終わり。
 今話の鬼太郎も雑踏の中に消えていくその後姿でクロージングとなっていた。個人的には前話のギャグ調クロージングよりもこっちの方が好きだな。

 今回の話は、前2話に比べると鬼太郎のダークな側面はだいぶ影を潜めていたが、前話感想の際にも書いたとおり、「夜叉」の話は原作でも比較的正統派ヒーローものっぽいつくりになっているので、これはこれでいいのだと思っている。
 4期の幻想的な雰囲気に比べると物足りないという感覚も十分理解できるのだが、これは演出以外にも、今回夜叉が用いた楽器がギターではなくバイオリンだったということも影響しているのではないか。
 夜叉の話は基本的に全編がギターの音色、今回で言えばバイオリンの音色で彩られるため、暗い雰囲気を出しやすいギターに比べてもバイオリンの音が全編を支配していた今回の話では、幻想的な空気は出しにくかったのだろう。
 でもギターにしろバイオリンにしろ、夜叉の登場回は通常とは違った音楽をたくさん聴けるから、それだけでも新鮮な感じはするね。
 ただ夜叉の演奏が流れている時、具体的に音符(と言うか楽譜)が画面に描かれると言うのは、マンガならともかくアニメとしてはどうなのかとは思う。
 原作でのラストの鬼太郎のセリフも聞けなかったしな。

 今話で面白かったのは、やたらと秋葉原にいるようなオタクネタをギャグとして挿入していたことかな。「小夜たん」とか「萌え〜」とか、ねずみ男となぜかネコ娘までアキバ系アイドルっぽいアイドルに夢中だったり。
 夜叉と対峙した時に「性懲りもなく現れやがって!」と、上品とは言えない啖呵を切る鬼太郎も、1期・2期のテイストが入っていていい感じ。
 子なき爺や砂かけ婆はOPアバンにしか出てこなかったけど、事件のことを知って鬼太郎の家に大急ぎで向かうネコ娘を見て、「小便でもちびりそうなんじゃろ」と呟く子なきの姿に爆笑してしまった。なぜかと言えば、僕もまったく同じことを考えてしまったから(笑)。

 次回は一反木綿が主役?の「男!一反もめん」で、登場妖怪は海座頭。一応船幽霊も出てくるようだけども、基本的に海が舞台となった原作の話を、どう料理するんだろうか。期待半分、不安半分と言うところだな。
 と言っても一反木綿=八奈見乗児氏のメイン回ってだけで許してしまいそうな気もするが(笑)。
posted by 銀河満月 at 13:03| Comment(0) | TrackBack(2) | ゲゲゲの鬼太郎(第5期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月09日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)2話「ビビビ!!ねずみ男!」感想

 すっかり忘れていたけど、4期鬼太郎もDVD−BOXが出るのでありましたね。今度秋葉原へ行った時に予約しておかなければ。
 しかし1期・2期BOXが去年の12月に出て、4期が今年の11月に発売とは、随分長いスパンだな。当初は発売する予定がなかったんじゃないかと勘ぐってしまうよ。

 さて今週の5期鬼太郎は、1話ではほとんど出番のなかったねずみ男にようやくスポットが当たる話である。
 登場する敵妖怪は「がしゃどくろ」だったけど、がしゃどくろが単体で出てくる原作話はなかったよなあ。原作の鬼太郎も数が膨大だから、一体どこから引っ張ってきているのか、容易に判断しづらい部分があるんだよね。

 ストーリーとしてはそれこそ1期の頃からの定番、「ねずみ男が(悪どい)商売を始めると、それが原因で妖怪が復活する」というものだけども、ねずみ男自身がどうこうしたせいで妖怪が復活したわけではなく、ねずみ男がその商売を始めた時点で、既に妖怪は目覚めていた、と言うのがちょっと変則的。
 ただ原作では、目的の場所にどんないわれがあろうと自分の欲望に忠実に動いていただけに、今回ねずみ男の言っていた「(妖怪が眠っているような)ヤバいところには手を出しちゃ行けない」というセリフはちょっと違和感があるね。

 ねずみ男も管理職のような立場になっていたらしく、デスクに座って真面目?に仕事をするという珍しいシーンが見られた。
 欲を言えば具体的に悪どい商売をしているシーンも入れて欲しかったところだけども、序盤からねずみ男に「悪党」のイメージを持たせないようにするための配慮だったのだろうか。
 そう考えると確かに今回のねずみ男は「小悪党」として描かれているから、予備知識を持たない視聴者を引かせないように気を遣ったのかとも思ってしまう。
 まだ役に不慣れな声優さんが、白を黒と言いくるめるねずみ男の闊達な弁舌を演じ切れるとも思えないし。
 金持ちになった象徴として高級そうな車を乗り回すのも、貸本時代からの鬼太郎世界の伝統だな(笑)。

 鬼太郎の方は中盤までほとんど話に絡まないのだけど、要所要所で第5期鬼太郎の世界観の代弁者としての個性を発揮していた。
 冒頭の買い物で、金が足りなくて本が買えないという描写は、原作でよくあった「文無し」の描写を現代的にアレンジしたシーンだった。
 原作では「この1年チョコレートも食べたことない」「ラーメン一杯分しか持ち合わせがない」とかいうシーンが良くあったけど、さすがに現代における金銭感覚とは微妙にずれているから、こういうアレンジは必要になってくるだろう。
 このあたりは時代に即した巧い演出の好例と言える。
 ねずみ男に「人間とのかかわり」について話す部分も、絶対的に人間の立場に立っているわけではない、ニュートラルな存在である今回の鬼太郎の立場を端的に表現していた。
その一方で「友達だから(ねずみ男を気にかけている)」と、情に厚い部分を覗かせているのもさすがである。

 がしゃどくろは最初はドア越しにねずみ男と会話を交わし、次いで「社長の生気を吸う」という具体的な行為を見せつけ、さらに鬼太郎登場後に実態を見せて実力行使に出ると言う、段階的な見せ方が取られていた。
 「口の中に飛び込んできた食べ物を我慢できるのか」というセリフは、その迫力ある声も相俟って、恐怖感を倍増させるには十分な言葉だったが、同時に自分から積極的に獲物を食おうとしているわけではない、あくまで目覚めさせられてしまったという立場を明確にもしている。
 対する鬼太郎は前回に続いて体内から攻撃をして勝利していたが、前話と同じ決着方法だったので、ちょっと物足りないように思う。
 せっかく生気を吸われた描写まで描いていたのだから、逆に鬼太郎が生気を吸い取って勝利、という風にしても良かったんじゃなかろうか。
 その後のがしゃどくろとの会話は落ち着いた雰囲気でよかったけどね。「幽霊族」という設定を2話目にして前面に出してきたのは少し意外だったが。

 ラストの目玉親父のセリフを考えるに、急に妖怪が出るようになったのには何か特別な理由があり、それが今後の展開に影響するということなのだろうか。
 縦糸的な伏線ならいいのだが、鬼太郎で連作形式ってのはあんまりやってほしくないかなあ。

 次回は「怪しき旋律!夜叉」。4期に続いて3話が夜叉の話とは、何とも因縁めいたものを感じてしまう。
 少年マガジン版初期の話の中では、比較的ストレートに鬼太郎のヒーロー性を強調した話になっているから、アニメもそのあたりは損なわないようにして欲しいと思う。

 ちなみに今回のネコ娘はティッシュ配りのバイト姿で登場。目玉親父から「鬼太郎の嫁に」と言われて思わず照れると言うのはお約束ではあるが、僕的にはむしろそれを平然と「悪い冗談」として受け取る鬼太郎の方が面白かった(笑)。
posted by 銀河満月 at 23:21| Comment(2) | TrackBack(2) | ゲゲゲの鬼太郎(第5期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月05日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)1話「妖怪の棲む街」感想

 さてついに放送が開始された、第5期「ゲゲゲの鬼太郎」。
 このブログでも新カテゴリまで作って毎週感想を書いていこうと決意した次第であります。
 なるべくがんばる…、うん、がんばろう。

 しかしあの時間帯は9時からじゃなくて9時2分から始まるのが通例なのかね?
 その代わりに間にCMが入ることなく、最後まで一気に放送されているけども、この放送形態も結構微妙だと思うんだよな。
 今回は天気予報表示がなくて何より。

 さてまずはOPだけども、本編が始まる前に鬼太郎本人がストーリーテラーのような雰囲気で物語、というか「鬼太郎」と言う作品の世界観を説明していた。
 これは1話ならいいけども、次回以降もするのはちょっと勘弁して欲しいかなあ。
 その後に続いてアバンが挿入されていたのも、個人的にはちょっと残念。
 何が言いたいかというと、やっぱりアニメ鬼太郎の出だしは主題歌のイントロで始まって欲しいのだ。一気に聞く者を作品世界に引き込んでしまうような、あの強烈なイントロを今回も残して欲しかったな、と個人的には思う。

 で、その主題歌だけども、アレンジとしては極力オリジナルを踏襲しようとしていた4期に比べると、大胆にアレンジしていた3期バージョンに近い感じか。
 「朝は寝床でグーグーグー」の部分では、きちんと「寝ている鬼太郎」が描かれるというのも1期以来の伝統ですな。
 ただ今回は3番が流れなかったので、「夜は墓場で運動会」関連のシーンは描かれなかったのだけども、もしかしたら5期アニメは1番だけで通すのだろうか。

 本編自体は、序盤の水虎が復活してしまった理由や、それによって復活させた子供(アニメでは複数)が狙われるという展開は、原作のままだけども、水虎はあくまで子供をさらうだけになっており、子供に取り付く描写はなくなった。
 対する鬼太郎は原作では取り付かれた子供から水虎を放すため、水を張った浴槽に沈めるという大胆な方法を平然と取っていたが、今回はさすがにそこまでしないものの、封印を解いた原因は子供達にあるとして、水虎に狙われている最後の1人を囮にするという、これまた遠慮のない方法を取っている。
 このあたりは以前から言われていた、「人間の味方をするだけではない」鬼太郎の一側面が描かれている。
 その後の展開はほぼオリジナルで、仲間妖怪の能力を紹介しつつ敵を倒すという、3期以降定番になった「第1話」の作られ方になっていた。
 ただそんな中でも、被害者少年である白石の精神的成長をきちんと描いているあたりはさすがと言うところか。

 4期の1話では、被害にあった子供の視点から話が進んでいったけども、今回はネコ娘が直接鬼太郎に事件を知らせに行っているので、どちらかと言えば鬼太郎視点での物語り展開になっており、そういう意味では3期の1話に近い。
 水虎をおびき寄せてからの戦いにおいて、結構きちんとしたアクションが描かれていることから見ても、多分に3期のエッセンスも盛り込んでいるようだ(毛針の効果音は4期と同じものだったが)。
 ただアクション自体はちょっと地味だった気がしなくもないが。一反木綿に敢えて乗らず、引っ張ってもらいつつ壁を駆け上がる鬼太郎の画は良かったけどね(そう言えば下駄って垂直の壁にも張り付いたような…?)。
 今回も4期に続いて「髪の毛針!」「リモコン下駄!」といちいち叫んで使っていたけども、やっぱりこうした方が見ている人、特に低年齢層にはわかりやすいということなんだろうか。
 しかし1話目にしていきなり必殺技の1つである体内電気を使ってくるとは驚かされた。
 水虎に止めを刺す時の「竜の息」設定については、ちょっと強引な気がしなくもないが、原作自体もそういう伏線はあまり大事にしてないから、これについてはそれほど気にする必要はないだろう。

 5期が目指している「おどろ」の部分については、冒頭部分から鬼太郎の表情に極端な陰影を施したり、水虎と一緒に描かれる「藻」、劇中での恐怖感が盛り上がるにつれて徐々に変化していく背景彩色などで、一応きちんと見せられていると思う。
 演じる高山みなみの声もあって、のんびりしている時と事件を追っている時との声のトーンの違いも、そういった雰囲気作りに一役買っていると思う。
 ただそういった「おどろ」のシーンと、ネコ娘が妖怪横丁に向かう時の疾走シーンなどのアクティブなシーンなどが、ちょっとちぐはぐになっている気もする。
 「おどろ」を描く時は最初から最後まで徹した方が良かったんだろうが、今回はキャラ紹介の側面もあるから、これまたしょうがないのかな。
 ただ終盤での目玉を光らせる描写は、ちょいとくどすぎた感じがする。

 で、肝心のキャラだけども、仲間で一番目立っていたのがねずみ男ではなくネコ娘と言うあたりが、なんとも時代を感じさせますなあ。今期のアニメでは「鬼太郎とねずみ男」というコンビは絶対的な存在ではなくなるのかもしれないね。
 砂かけばばあと子泣きじじいは早速良いコンビ振りを発揮していたが、ネコ娘が相談している最中なのに口ゲンカ(痴話ゲンカ?)を延々と繰り広げて、さして真面目に聞いている様子が見られない辺り、「善人」として描くつもりはないと言う制作側の考えが垣間見える。
 一反木綿のセリフは少しだけだったけども、雰囲気が3期の頃と全然変わってなくて、思わず頬が緩んでしまった。
 塗り壁はセリフ云々よりも、OPに出てきた色違いとか小さい奴とかの方が気になりました(笑)。
 ねずみ男は完全に顔見せ程度だった上に、なんか作画が4期の頃とあんまり変わってないように見えたのは気のせいだろうか。ねずみ男については次回に期待というとこか。

 ラストは去っていく鬼太郎の背中でクロージング。これまた原作を意識した終わり方だけども、せっかくだから虫とかカエルとかを派手に騒がせて欲しかったかな。

 EDの「ウラメシ夜」は、これまた3期の「おばけがイクゾ〜」に近い感じで、妖怪の怖い部分をストレートに歌った、結構正統派の歌だ。
 と言うか歌詞に妙な擬音が入るのも1期以来の伝統なのか?

 とりあえず1話としてはよくまとまっていたと思う。上にも書いたけど、3期以降の1話は「鬼太郎や仲間妖怪の紹介をする必要がある」という枷が存在しているため、どうしてもストーリー自体は少しおざなりなものになってしまうから、そんな中では良くやってたんじゃないかと。
 良くも悪くも1話は紹介編だから、真価が問われるのは次回以降というとこか。

 しかしネコ娘さんは完全に萌えキャラになってしまいましたなあ。いや、僕は別に気にしてませんけどもね、はい(笑)。
posted by 銀河満月 at 01:07| Comment(0) | TrackBack(2) | ゲゲゲの鬼太郎(第5期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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