2007年10月20日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)28話「鬼太郎恐竜現る!」感想

 ここんところずっと仕事の方が忙しかったのだけど、ようやく山を越えたので、これからはブログの更新頻度も少し上がるでしょう。
 本当はサイトの方も少しいじりたいのだけど、ね(笑)。

 今回の鬼太郎は毛羽毛現。ついでに井戸仙人もゲスト出演していたが、個人的にはキャラクター云々よりも、担当声優として矢田耕司氏と村松康雄氏が出演されていたのが嬉しかったかな。
 お2人とも田の中勇氏とはほぼ同じ年代だけに、大ベテラン声優の共演は、聞いているだけで心地良いものだった。
 今回は毛羽毛現も井戸仙人もかなりアクの強い性格になっていたのだけど、自然にその性格を表現できていたからね。台詞回しとか言葉遣いではなく、発音とかイントネーションとかで個性を表現しているんだから、やはりベテランは違いますな。
 井戸仙人は恐らく今後も出てきてくれるだろうから、これもこれで楽しみだね。

 で、今回の毛羽毛現は、自分の能力を使って恐竜を生み出してしまうと言うコンセプト自体は原作と同じなのだけど、その手段は子供の魂を利用するのではなく、横丁の妖怪たちを変身させるというものに変更されていた。
 話の都合上仕方がない変更だとは思うけど、前にも書いたがやはり妖怪たちの中だけで終わってしまう話はどうにも物足りないので、やはり人間達と絡めて欲しかったとも思ってしまう。
 毛羽毛現も歴代作に比べると、良くも悪くもエキセントリック且つ懐古主義的な部分が強調されるようになっており、オールドファンからは奇異に見えたのではないだろうか。
 ただ「人間の文明が進みすぎたので、昔を取り戻すために恐竜を生み出す」「人間嫌い」という点は原作からそのまま設定を引き継いでおり、そういう意味ではそれほど原作から逸脱したキャラ設定にはなっていなかった。ここらへんの作り方はなかなかうまいと思う。
 井戸仙人も仙人らしからぬ汚い言動や行動を取り、目玉親父を辟易させていたが、こちらも原作では「妖怪反物」に1回登場したきりなので、この個性の膨らませ方は5期独自のものとして素直に受け止めるべきだろう。
 個人的にはねこ娘にやたら愛想を振りまいていた3期の井戸仙人の方が嫌いだ(笑)。

 今回は「友達」をテーマにしていたようだけども、そうして見ると親父・毛羽毛現・井戸仙人の関係って、鬼太郎・ネコ娘・ねずみ男の関係に似ていなくもないような(笑)。
 いや、ネコ娘は毛羽毛現のような悪さはしないけど、今もって鬼太郎と本音で付き合えているようにはなってないじゃないですか。そういう意味では軽口言い合ったり迷惑かけられたりしながらも、鬼太郎とねずみ男の関係性が強いのと同様に、親父と井戸仙人の関係性のほうが強いんじゃないか、というわけ。
 ただ目玉親父と井戸仙人に関しては、前述の通り声優陣の演技があるから、その関係性にまで思いを馳せることも容易に出来るのだけども、残念ながら今期の鬼太郎とねずみ男では、そこまでには届いてないんだよね、これまた前にも書いたけど。
 戦闘シーンはほとんどなかったので、これについては感想は書けないかな。
 作画はかなり綺麗だった。

 次回はネコ娘がバスツアーで狂骨が出るとのこと。狂骨…。ボンボン版で出たことあったかなあ?
 5期鬼太郎も3クール目に突入し、折り返し地点を突破したわけなんで、本当は2クールまでを振り返ったまとめ文を書こうかなと思っていたのだけど、当面は先送り。
 もしかしたら書かんかもしれんし。
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2007年10月08日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)27話「地獄の掟!走れねずみ男」感想

 さて今週の鬼太郎である。
 今回の話は原作での「妖怪関が原」に登場した邪魅と、原作「死霊軍団」、そして「猫娘とねずみ男」との折衷となっていた。
 僕としては邪魅に操られてしまった鬼太郎と、その鬼太郎を救うために奔走する目玉親父の描写が大好きなので、正直「妖怪関が原」の話をこういう形で消費してしまうのには、残念な気持ちを抱かないわけには行かないんだよね。
 邪魅もまた理性を持たないただの怪物として描かれ、原作で持っていたアイデンティティが完全に失われてしまっていたのは寂しかった。

 今回の見所はやはり戦闘シーンだろう。
 アクションシーンも「亡者達を縄で捕らえる」→「頭脳戦で亡者を捕らえる」→「邪魅との決戦」と段階的に挿入され、視聴者のテンションを徐々に上げていくのに効果的な流れとなっていた。
 殊に長い穴を落下しながらの決戦シーンは、動きの良さもあってかなりの盛り上がりを見せていた。鬼太郎の髪の毛や服のなびき方などは、深い穴を高速で落ちているにしてはちょっと弱い感じもしたが、ねずみはもちろん鬼太郎も壁に叩きつけられたりしてかなりボロボロになっており、かなりの「血戦」であることを窺わせる演出となっている。
 邪魅の動きを封じる際にも、くっついたままの鎖を使うという小技を利かせており、戦法についてもなかなか拘っていた。
 ただ結局体内電気で動きを封じることに終始していたのはどうかとも思うのだけどね。

 アクションシーンはかなり派手めで十分に楽しめたのだけど、その分割を食ったのは、サブタイにまで登場しているねずみ男やその他のメンバーの描写だった。
 特にネコ娘は鬼太郎を追って穴に飛び込んだ際、ねずみ男に向かってかなり長めの説教めいたセリフを吐いているのが頂けない。
 鬼太郎がねずみ男の身代わりになろうとしていることを説明するのはいいとしても、「自分は鬼太郎にとっての『ねずみ男』の立ち位置に存在していない」という思いをぶつけるあたりは、単なる女のヒステリーに見えて、正直見ている人間にはあまりよい印象を与えないし、ぶっちゃけここでネコ娘の嫉妬を絡ませる必然性がない。
 全体を通してみると、命がけで霊石を盗もうとしたねずみ男が、霊石を元に戻そうと考えを変えるに至った流れが描写不足だったので、ネコ娘の描写は減らしてでもこっちに注力すべきだったと思う。
 と言うか上で書いたねずみの「描写不足」って、ぶっちゃけ今までの話の中で鬼太郎とねずみ男の関係をきちんと描いていれば、今回の話程度の描写でも済んだんだよね。それをきちんと描けていなかったので、急に今話でそれを持ち出されても、見ている方は困ってしまう。
 このあたりも長谷川脚本の弱点だろう。
 さらに言えばそのあたりの流れが、まんま14話と同じというのも物足りない。

 その代わりに大活躍?していたのは一反木綿。亡者を見張っている最中の愚痴なんかは、3期の一反木綿そのままでオールドファンにとってはまことに嬉しい限り。
 終盤でもネコ娘やねずみ男を乗せて最後まで戦闘に参加しており、脇役妖怪の中では明らかに一番目立っていた。
 もちろん風呂に入っていたネコ娘やろくろ姐さんにも大満足ですよ。さらに言えば銭湯のコスプレ?をしていたぬりかべにも満足(笑)。
 そう言えば邪魅を解き放った人物は結局明かされなかったけども、これもまた次回以降の話への引きになっているのだろうか。長谷川脚本は悪い意味で伏線に縛られるか、どっかの大先生みたいに伏線ガン無視することがままあるんで、それはあまり期待しないでおこうかな。

 次回は「鬼太郎恐竜現る!」。言うまでもなく毛羽毛現の話だけども、どうやら今回も妖怪メインの話であり、人間は絡んでこない模様。
 妖怪世界のみという、物語世界全体で見れば小さな世界のみで物語が終始してしまうような話を4話連続でやられると、さすがにちょっとつまらないかなあ。
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ゲゲゲの鬼太郎(5期)26話「妖怪アイドル!?アマビエ」感想

 少し遅くなってしまったが、先週の鬼太郎の感想である。
 早いもので5期鬼太郎ももうすぐ2クール目終了の時期になった。1年間の放送予定のはずだから、もう折り返し地点に到達してしまったと言うところか。

 今回は新しく妖怪横丁にやってきた妖怪・アマビエを中心として、横丁に住む妖怪たちの絆の強さ、そしてそんな中にアマビエが新しい住人として仲間入りするまでを描いていた。
 必然的に横丁が舞台となったため、前話と同様に人間世界とあまり接点のない場所でのみ話が進んでいくという展開は少々残念だったものの、2クール目も終盤となり、横丁に住む妖怪たちの顔ぶれや個性もだいぶ定まってきたからこその話となったのだろう。
 回想シーンのみとは言え、蒼坊主が再登場しているのもポイント高い。
 個人的には町の路地裏で会話している鬼太郎とねずみ男の描写が良かった。物語には深く絡まない、あってもなくてもどうでもいいシーンなのだが、2人の完全に気を許しあった仲をさりげなく描いていたと思う。

 メインゲストのアマビエは可愛い姿と声にもかかわらず、変に年寄りくさい言葉遣いをしたり、どこまでも奔放な言動・行動を取ったりと、初登場時から強烈な個性を発揮。演じる池澤春奈嬢の演技もあって、初回にしてレギュラーメンバーを食ってしまうほどの存在感をアピールしていた。
 予言をする時の目と背景はどうかと思ったけども、見ている側にはあれくらい判りやすいほうがいいのかな。キャラクターにはあっている演出だと思うけど。
 アマビエの行動に振り回される形で横丁の様々な妖怪も出演していたが、主に出てくる固定メンバーとしては、かわうそと小豆洗い、ろくろ首に傘化けに呼子という感じだろうか。あと今回は出なかったけどお歯黒べったりもか。
 6話では砂かけ婆の側から見たアパートの住人に対する思いを描いていたが、今話ではそのアパートの住人から見た砂かけへの複雑な思いを見せていたのも印象深い。
 砂かけは一昔前によく見られた、近所の口やかましい婆さんというイメージなのだろうね。普通に人情を持ち合わせてはいるのだけど、普段は口やかましくてとても一緒にいたくないような、そんな感じの人かな。
 しかしここまで妖怪をユーモラスに描いてしまうと、5期のもう1つの特色である「おどろ」の部分を描くのが難しくなってしまうのではないかという懸念はあるのだけどね。9話で人間達を驚かせたろくろ首の描写など、今見たら違和感ありまくりだろう。

 今回の戦闘は冒頭からいきなりVSぬらりひょんで幕を開け、さらにはついにぬらりひょんとバックベアードの邂逅が実現!
 ぬらりひょんの言葉から察するに、ベアードは何かの理由で今すぐ日本へ攻めてくることが出来ない状態らしく、そのため今は協力体制をとっているとのこと。
 今回もまたベアードは顔見せ程度ではあったものの、冒頭と終盤とで絶大な存在感を発揮してくれていたので、やはり今後に期待だね。
 その代わりぬらりひょんがどうしても小物っぽくなってしまったのはちょっと残念。でも青野武氏と柴田秀勝氏のキャラが並ぶと、どうしても柴田氏のキャラの方が勝ってしまうような気がする(笑)。
 メインの戦闘は砂かけに取り付いた「呪いの悪霊」との一戦だったが、今回も三条脚本ならではの仲間との共闘が描かれ、水を使うことで敵の攻撃を封じるという手段を取った後、悪霊を鬼太郎が体内に飲み込んで撃退すると言う、原作では比較的多かった「体内浄化」戦法を使用していた。
 一緒に水まで大量に飲んだので、風船のように膨らむ鬼太郎という描写は、2期の「縁切り虫」みたいで少しおかしかった。

 アマビエは正式に横丁の一員となったようで、次回以降もレギュラーとして出てくるらしい。
 今話ではほんの少しだがぬりかべ女房もしゃべっていたし、今期はセミレギュラーの声優までやけに豪華だな。

 次回は「地獄の掟!走れねずみ男」。久々にねずみ男がメインの話になるようだが、どのような活躍をしてくれるのだろうか。
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2007年09月23日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)25話「妖怪大運動会」感想

 うーん、今回ばかりは困ってしまった。いや、つまらなかったわけではないんだけど、ストーリーと言うものが存在せず、ほぼひたすら妖怪たちが運動するだけだったから、これと言って感想が沸いてこないんだよね。
 まるで「死霊の盆踊り」(笑)。

 運動会の描写そのものは楽しかったので良かったですよ。八島作監回は絵柄そのものは個性的だけども、とにかく登場人物が良く動き、表情もコロコロ変わるので、今回のような話にはしっくり来る。
 運動会の話に雨降り小僧のエピソードを絡ませるというのは、ほぼ4期と同じ組み合わせなんだけど、今回は人間キャラを一切絡ませないことで、4期版との差別化を図っていた。
 雨降り小僧の顔は相変わらず「小僧」に見えないんだけど、小野坂昌也の気弱な声と相俟って、妙な存在感を発揮していた。
 アカマタや妖怪樹がこういう話で登場してしまうと言うのは、原作でのそれぞれの登場話を知っていると、ちょっと納得できない部分もあるのだけど、鬼太郎と同様に妖怪自体が気まぐれと言うことなのかね。
 モブキャラについては、割とどうでもいい感じ。

 そう言えば今回はシーサーも登場していたけど、担当声優は3期と同じで山本圭子さんの二役だったねえ。
 シーサー自身はそれほど目立ってはいなかったけど、山本声のシーサーなんて約20年ぶりの登場だから、驚いたオールドファンも多かったのではないだろうか。穴掘りが得意と言う設定もきちんと残っていたしな。
 そう言えば座敷童子の声として、広橋涼をまたもや呼んでいたのには驚いた。以前登場した時は正直適当に声優を割り振っただけかと思っていたのだが、どうやらそういうわけではなかったらしい。
 しかしそうなるといつかは座敷童子のメインゲスト回が出てくると言うことなのだろうか。それはそれで見てみたいけどね。
 例によってねずみ男が目立っていなかったのは、残念と言えば残念だった。

 次回はぬらりひょんとベアードがついに邂逅?結託?するらしい。2人の強敵妖怪と鬼太郎が対峙するシーンが見られるのだろうか?
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2007年09月16日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)24話「夢の中の決闘!枕返し」感想

 さて本日の鬼太郎である。
 今回の敵妖怪は枕返し。原作では夢の世界に乗り込んできた鬼太郎を翻弄し、さらに現実世界では鬼太郎の下駄まで奪おうとした、意外な強敵である。

 今回の話なのだが、原作での重要なファクターであった「虹」が完全に省略されており、夢の世界へは特に苦労することなく、単に寝て夢を見るだけで夢の世界に入ることが出来るようになっていた。
 夢の世界では枕返しの思うとおりになり、鬼太郎の力も封じられてしまう、という設定が代わりに付与されており、恐らくは「夢の世界」という舞台の不可思議な雰囲気よりも、戦闘の局面で鬼太郎を不利な状況に追い込み、アクションシーンの緊張感を高めることを優先したのだろう。
 確かにマガジン時代の原作全体を俯瞰して見ても、「夢の世界」というのはちょっと荒唐無稽に過ぎる感じがしたからなあ。
 ただそれでも、「夢の架け橋である虹を渡るためには下駄が必要」「虹は一定時間経つと消えるので、それまでに目的を果たして帰らなければならない」という魅力的な設定が、まるっきり生かされない形になってしまったのは少し、いやかなり残念である。

 アクション面においては長谷川脚本回にしては体内電気を使用することなく、下駄を効果的に用いたアクションに徹しており、なかなかがんばっていた。
 獏をいきなり引っ張り出してきたのはちょっとどうかとも思うのだが、動物のバクと妖怪の獏とはまるっきり無関係と言うわけでもないらしい(という説もある)から、あれくらいは許容範囲かな。
 子供向けのアニメだからわかりやすさ重視ってとこだろう。

 ただ個人的には、どうも今回も子供たちの描写がいただけないように思うんだよな。
 何と言うか、亮太の絵を見て周囲のみんなが素直にその絵を褒め、同じ夢を抱くという、そのあまりにも素直な子供の描写が、あまりにも「大人が抱く子供の理想像」的過ぎるきらいがあるんだよね。綺麗過ぎると言うか。
 子供ってのは大人と違って俗っぽい部分を、他人に遠慮することなく発露してしまうもんだし、だからこそ子供は大人よりもある意味生き生きしている存在だと思うことが出来るのだが、今話はまるで無菌空間で培養されたかみたいな、俗な部分が一切存在していない子供に描かれていたので、ちょっと違和感を感じてしまった。
 1話限りのゲストにそこまでこだわることは難しいと言う、現実的な問題があることは無論わかっているけども。
 と言うか平成ウルトラもそうだし、10話もそうなんだけど、長谷川は小学生くらいの年齢の子供の描き方が下手すぎる。今回みたいに完全無欠の純粋な子供か、やけに後ろ向きで内向的な子供しか描けないかのようだ。
 子供ってのは良くも悪くもバカだから、良い意味でバカに見えるよう描かなければ、子供は生き生きと描写できないんじゃないかねえ。
 話自体は手堅くまとまっていただけに、余計にその点が目立ってしまった。

 あとはねえ。せっかく名塚佳織を呼んどいて、出番がたったあれだけってのはないだろうよ(笑)。
 今度はぜひメインゲストで呼んでください。

 次回は「妖怪大運動会」。…はいいんだけど、予告だけでも今話との作画の差が出すぎて、もうね(笑)。
 あれは作画崩壊というやつではなく、原画の個性が突出しているためのもので、別に下手糞と言うわけではないんだけど、それでもちょっとね。
posted by 銀河満月 at 23:43| Comment(0) | TrackBack(1) | ゲゲゲの鬼太郎(第5期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月10日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)23話「美食家!?さざえ鬼」感想

 今日はまた秋葉原へ行って、国盗り物語の2、3巻と、死神大戦記の上下巻を購入してきた。
 と言うか「死神大戦記」なんて出ていたんだねえ。僕はじつはあんまり原作鬼太郎は読んでないんだよね。ベトナム戦記も読んだことないし。
 読んだことがあるとすれば、貸本版と元祖マガジン版、ガロ版鬼太郎夜話、サンデー版、「おばけ旅行」、週刊実話版、3期の頃のマガジン版、国盗りくらいしかないんだよなあ。
 ボンボンでやってた「最新版」は、立ち読みはしてたんだけど内容はそれほど覚えてないし。
 ま、原作を全部読んでいないからって、特にどうってことはないんだけどさ。そんなことを言ったら、ファンを自称している人間の大多数が全作読んだことのないであろう「ドラえもん」なんかどうすんのよ(笑)?

 さて今回の鬼太郎は「美食家!?さざえ鬼」。一部(多数?)のファンが待ち焦がれていた水着回である。
 と言っても今回は出口作画だったこともあって、見た目的な可愛らしさは残念ながらちょっと…って感じだったね(笑)。無印セラムン20話のような神的水着回は、もう生まれないのかなあ…。
 ただその分表情とかネコ娘の動きは非常に生き生きしたものになっていたのは幸いでした。
 ろくろ首も足が届かないのが怖いと言って思わず首を伸ばしてしまうと言う、臆病な一面を前々話に続いてきちんと見せてくれていたのがポイント高い。恐らくビキニと思われるろくろ首の水着姿を真正面から見せてくれなかったのは大きなマイナスポイントだと思うが。ばばあ2人の水着なんか正直どうでもいいんだからさ(笑)。

 今回は水着というよりは、やはり鬼太郎と敵妖怪であるさざえ鬼のキャラクターに注目すべきだろう。
 特にさざえ鬼は、担当声優が4期の時と同じく松野太紀だったこともあって、個人的に物凄くヒットした感じ。
 4期の時は長く生き続けることに最後までこだわった様を見せ付けてくれたけど、今回は「食」へのこだわりを見せてくれるマイナーチェンジ具合もなかなかにうまい。
 ネコ娘たちを住処へ連れて行く際に使った乗り物も、いかにも水木漫画に出てきそうないかがわしさを漂わせていてグッド。
 「鬼太郎を食べる」というシチュエーションは、きちんと描かれるのか正直言って不安だったのだが、きちんとアニメの中で、しかもかなりしつこく描いてくれたので良かった。ひょうきんな雰囲気を漂わせつつ鬼太郎を食うという、妖怪の異常さを見事に体現していたと思う。
 またその食べっぷりが豪快で、しかもその味をやたらと細かく解説してくれるもんだから、悪趣味極まりない。でも逆にこれくらいはやってくれないとね。

 で、その鬼太郎なんだけども、冒頭から暑さにやられてやる気のなさっぷりを露呈。このあたりは原作でもちょくちょく描かれた「やる気をなくした鬼太郎」を髣髴とさせて、なかなかいい感じである。
 食費を浮かすためにお中元のそうめんばかりを食べまくる姿には、何故かシンパシーを覚えてしまったり(笑)。
 ネコ娘がわざわざ水着を披露しに来ても自分の睡眠を優先したり、ねずみ男の場合には顔を向けることすらしなかったりと、ここまでグータラな鬼太郎は歴代でもほとんど描かれることはなかったんじゃないか、というぐらいに情けなく描かれており、それが逆に鬼太郎と言うキャラクターが持つ個性の多面性を見せている。
 さざえ鬼に食われた鬼太郎が小さく分裂し、毛穴から脱出すると言うのも原作どおりだが、このシーンに限っては「ちょっと消化が良すぎたかな?」という、いろんな意味で物凄いセリフを吐いてくれた4期の鬼太郎に比べると、ちょっと劣ってしまうかという感じもする。
 極めつけはラストのセリフ。「ごはんですよを薄めた麺つゆにとかして…」で大笑い。さらにそのすぐ後に流れる「ごはんですよ」のCMでさらに大爆笑。これが今話で一番面白かったかも(笑)。

 今回は今まで比較的控えめであったねずみ男が冒頭から個性を発揮してくれたのも好印象だった。
 2クール目も終盤に達し、スタッフもねずみ男はじめ他キャラの動かし方がわかってきたのかもしれない、というのは考えすぎかな?

 そう言えば月末に出るキャラクターソングCD7枚だけど、あれどうしようかねえ。発売枚数自体が少ないようだから、やっぱり通販でさっさと買ってしまおうかなあ。
 子泣きあたりは店でも買えそうなんだけど、ネコ娘あたりは発売週の土曜に行っても買えなそうな感じがするんだよね、なんとなく。

 へ?もちろん買わないという選択肢はないですよ(笑)。
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2007年09月08日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)22話「ニセ鬼太郎現る!!」感想

 「墓場鬼太郎」は来年1月から地上波で放送が開始されるらしい。
 やはりまず気になるのは声優陣だろうなあ。まさか5期の面々をそのまま当ててくることはしないだろうから、新たに決めなおすんだろう。
 さすがに目玉親父はもう変えるべきだろうな。

 さて今回の5期鬼太郎は「釜鳴り」。原作はサンデー連載時に第1回を飾った記念すべき話でもある。
 釜鳴りという妖怪も面白いやつで、初アニメ化の2期ではほぼ原作どおり、力の源としていた鬼太郎の髪の毛を失ったことで姿を保てなくなって消滅、3期では作品の世界観に合わせ、釜を使ったアクティブな攻撃をしてくるようになり、4期では髪の毛だけでなくちゃんちゃんこや下駄も奪い、鬼太郎そっくりに化けるようになった。
 今回の5期でも髪の毛を始めとする鬼太郎の各パーツを奪い取って鬼太郎に成りすましていたので、その点では4期版の骨子を継承している。
 「鬼太郎の髪の毛などを奪って鬼太郎そっくりに化ける」という展開が、ビジュアル的に面白いからだろうか。

 冒頭、いつものごとく視聴者に話しかけてくる鬼太郎だが、劇中でもたえず触れられる「今日はついていない」という言葉、これは明らかに2期版をイメージしているね。
 出かけた際に下駄の鼻緒が切れてしまうところまで、2期版での序盤の展開とほぼ同じになっているのは、オールドファンへのサービスだったのだろうか?
 2期版では鬼太郎のモノローグが入ること自体が珍しかったので、若干違和感を感じたものだけど、今回は元々冒頭での鬼太郎のモノローグが入るので、自然な流れとして受け取ることが出来た。

 ただ話自体は上にも書いたとおり、ほとんど4期版の焼き直しになってしまっており、鬼太郎と目玉親父という対象の違いはあれど、ちゃんちゃんこが「本来の持ち主」に気づいてこちら側に戻り、そのちゃんちゃんこの力を使って髪の毛や下駄を取り戻すという展開まで同じというのは、どうもいただけない。もう少し捻って欲しかったと言うのが正直な感想である。
 が、逆を言えば4期を知らない現役視聴者である子供たちにしてみれば、今回の話が新鮮に見えるわけで、あくまでターゲットは今の子供たちである、というスタッフの考えが窺い知れる内容と言えるのかもしれない。
 それでも原作をアレンジした4期版のプロットを、ほぼそのまま流用してしまうのは、さすがにいかがなものかと思うのだけど。

 代わりと言うわけではないが、今回の話でクローズアップされていたのは、鬼太郎と目玉親父の親子愛だろう。
 鬼太郎を救うため、親父は様々なトラブルに巻き込まれながらも妖怪横丁を目指し、鬼太郎は自分が大変な目にあっている最中にもかかわらず、父の無事を聞いて思わず安堵する。
 殊更強調しているわけではなく、親が子を案じ子が親を案じる、当たり前だけども大切な親子関係がきちんと描かれていたと思う。
 その代わりなのか、仲間妖怪があまり役に立っていなかった気がするけどな(笑)。前話に続いてろくろ首も出てきていたが、かなり地味になってしまっていたのはなんともねえ…。

 次回は「美食家!?さざえ鬼」。原作どおりに鬼太郎が食われる展開も用意されているようなので、ひとまず安心と言うところかな。
 さすがにこの話の一番のクライマックスが改変されてしまったら大変だからねえ。
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2007年08月30日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)21話「首ったけ?妖怪恋物語」感想

 昨日は残り5行ほど書けばOKってところでドジをやらかしてしまい、1時間以上かけて書いていた感想が全部パーになってしまったが、今日は失敗せんぞ。

 さて今回のお話、妖怪横丁にいる妖怪がメインであり、蒼坊主を例外とすれば、実に13話のぬりかべ以来のことである。
 その主役となる妖怪はろくろ首。未だ主役回を迎えていない子泣き爺を抑えて堂々の登板である。
 今期のろくろ首は9話なんかでも美人の面を強調していたから、ろくろ首の主役編を期待していた人は案外多かったんじゃないだろうか。

 話の内容自体はオーソドックス、というより思いっきりベタな「異種族間恋愛物語」になっており、展開そのものに新味はない(←よく使う言葉だな)。
 だからというわけではないが、今回は話の構成とか展開の巧みさを味わうのではなく、主役であるろくろ首に視点を定めて視聴するのが、一番正しい見方なのだろう。
 ある意味3期に近い空気の話かもしれない。
 実際、ろくろ首と相手の男との出会いから次第に本気の恋に落ちていくまでの流れは、シーンごとのろくろ首の仕草とか表情の細かい描写で見せており、短い時間の中でよく描けていたと思う。
 様々なシチュエーションで流れを作っていくのではなく、あくまでキャラの仕草で流れを決める場合、そのキャラがいつも以上に、作画面でも演出面でも魅力的に描かれていなければならないが、今回のろくろ首については文句のつけようがないほど丁寧に、且つ美麗に描かれていた。
 と言うかスタッフの力が入りすぎだろ、明らかに(笑)。
 先ほど挙げた9話以外の初期編では、結構いい加減に描かれることが多かったろくろ首だが、今回はかなり美人のお姉さんとして描かれていた。
 しかもネコ娘ほど人間社会に順応していない上に、首を伸ばすという本人にとっては当たり前の行為をすることも出来ないため、失敗ばかりしてしまうという、いわゆる「ドジっ娘」属性まで具えてしまった。つまり「ドジっ娘お姉さん」というわけである。
 こりゃあいかん、やられる(笑)。

 お相手の男は小々田コージ…ではなく、鷲尾誠という普通の大学生。これがまた絵に描いたような好青年で、草尾毅の声がそれに拍車をかけていた。それでいて嫌味のない、本当に爽やかな雰囲気を醸し出しているのだから、草尾ヴォイス恐るべし。
 初見時はこいつが原作でのおどろおどろの息子こと正太郎の立場になるのかと思っていたが、者の見事におどろおどろとは絡まなかったので、その辺は肩透かしを食った気分だ。
 彼をおどろおどろの息子にしていた方が話を膨らませやすかった気もしなくもないが、今回は「人間と妖怪の恋愛」を描いているわけだから、妖怪であるろくろ首のお相手までが、妖怪に近しい立場の人間ではキャラ的にまずかったのだろう。
 その「人間と妖怪の恋愛」についても、中盤にお歯黒べったりを登場させて、「人間と妖怪の恋愛は結局不幸しか生まない」と言わせてはいるものの、テーゼ自体にはあまり深く踏み込んではいない。
 妖怪としての正体を明かしながらも、とりあえずのハッピーエンドを迎えるラストも含めて「ぬるい」と思われる部分もあるが、やはりこういう物語はハッピーエンドで終わって欲しいというのも正直な感想だし、だからこそラストは単純に楽しんで見ることが出来た。
 飛び出していくろくろ首を笑顔で見送る鬼太郎たちも、また良いではないですか。このシーンにお歯黒べったりも登場させて祝福させているあたりは巧いですな。

 今回の敵であるおどろおどろは、原作では科学者が変貌した存在であったが、この話では最初から純粋な妖怪として描かれていた。
 最初から教授として大学にいたようだが、いつからどのようにして大学教授として入り込んでいたのか、その辺の説明が一切ないのは、思い切りがいいのか何なのか(笑)。
 ところでこの人間態である教授、原作の一編「おどろおどろ対吸血鬼」で、おどろおどろと対決した吸血鬼にそっくりなんだよね。と言うかそれを元にキャラデザインしたんだろうけども(さらに言えば貸本時代に既に登場してるんだが)。
 これは原作ファンでなければわからないサービスというところだろう。
 吸血鬼を元にデザインされた人間態に化けているおどろおどろが、西洋妖怪である吸血鬼をバカにするというシチュエーションは、原作ファンなら思わずニヤリとしてしまったのではないだろうか。
 今回は霊界輸送機が登場することもなく、鬼太郎も逆吸血することもなく、普通に体内電気を食らわされて参っているところにちゃんちゃんこと髪の毛槍のダブルアタックを食らって倒されてしまった。
 吸血された血に電気を含ませるというトリッキーな手段は少し面白かったけどね。

 脇役に目を向けてみると、前々話に続いてねずみ男が登場しなかったが、さすがにねずみ男に「純愛」を絡ませるのは難しかったのだろう(尤も4期にはそのねずみ男本人の純愛話があったりするのだが)。
 子泣きと砂かけは相変わらずであり、上にも書いたお歯黒べったりもいい味を出していたが、やはり今回もネコ娘が面白かった。
 最初は普通にろくろ首の恋を応援していたが、ろくろ首がデートにまでこぎつけたことを知ると、思わずやきもちから化け猫顔になってしまうあたりが、なんともおかしい。
 夜になって大学を調査しに来た鬼太郎を見て、自分を迎えに来たのかと勘違いし、違うと知るや照れてしまう時の表情も非常に可愛いものだった。
 傷心のろくろ首を元気付けようとテレビで漫才を見せる親父には笑わされた。しかも出ている漫才師は11話に登場したタロウズ。まだファンだったのかい(笑)。例によって1人で大うけし、それを冷ややかに見つめる子泣きと砂かけもいい味を出していた。

 次回は「ニセ鬼太郎現る!」。釜鳴りが原作の話だが、奪い取った髪の毛などを使って偽の鬼太郎に化けるというアイデアは、4期版から影響を受けたものだろうか。
 仲間たちを巻き込んでのバトルになりそうな感じなので、これまた楽しみである。
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2007年08月23日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)20話「闇からの声!幽霊スポット」感想

 困ったなあ。3期鬼太郎の本「おい!鬼太郎」が、どこを探しても見つからない。
 東京にまで出張らないといかんかなあ。

 それはさておいて、今週の鬼太郎の話。5期鬼太郎も今回で20話目である。
 今回は「心霊スポット」といういかにも現代的な題材に妖怪を絡めた話であり、決して悪意はないものの利己的な人間の行動によって被害が拡大してしまうという筋運びは、5話「呪われた映画」に酷似している。
 そう言えば脚本は同じ長谷川圭一だ。

 物語の展開自体は、本に紹介された幽霊スポットに無配慮な若者達が押しかけ、そのたびに騒動が巻き起こり、それを受けて鬼太郎が立ち上がるという、極めてオーソドックスな作りとなっている。
 本で紹介されたスポットに若者達がことごとく見物に行っているという流れは、正直言ってご都合主義以外の何物でもないのだが、これについては「場所が変わるたびにうわん(と目される妖怪)が共謀になっていく」という展開に説得力を付与するための流れでもあるから、それほど目くじらを立てるほどの安易な展開というわけではないだろう。

 (ちなみに前にも書いたけど、いくら本に紹介されたからと言って、廃墟になってる工場とかマンション、墓場に観光気分で行くのは絶対に止めましょう。
 建物が老朽化している場合は事故がおきやすいし、ほとんどの場合において不法侵入扱いとなります。
 また「記念」などと称して落書きなどをする行為も、器物破損となる場合があります。
 実際、「心霊スポット」として紹介された個人の所有地に大勢の人間が進入し迷惑行為を働いたという事例が過去に存在しています。)

 今回は予告編でも「うわん」が紹介されていたが、またここで視聴者に対する「騙し」が行われており、実際の悪妖怪は「黒坊主」だった。
 黒坊主は原作にも登場してはいるものの、ストーリー展開自体はまったく別物になっている。原作ではぬりかべの水流攻撃で簡単に溶けてしまったが、今回のアニメ版では体内電気をもってしても致命傷を与えられない、意外な強敵として描かれていた。
 ただ今回のブラフに関しては、18話でのベアードの時のような伏線的要素は描かれておらず、また9話のように視聴者にショックを与える形で描かれているわけでもないので、ちょっと中途半端な印象を受ける。
 終盤をああいうお涙頂戴の形にするのであるなら、いっそうわんだけを登場させる形でも良かったんじゃないだろうか。

 今回、人間側の持つ業を一身に背負う形になったのは蛭田というライターだったが、彼に妖怪の実存を知らしめる立場として、14話に登場していた記者(坂口という名前)が再登場していた。
 と言っても14話に登場した頃は、はっきり言ってまったく目立っていないキャラだったので、いきなりこのような印象の薄いキャラを、過去に起こった妖怪絡みの事件に関する語り部的立場に据えてしまうのはどうかと思う。
 蛭田が「ライター」という職業に就いている関係上、同じマスコミ関係の坂口を引っ張ってこなければならなかったと言う理屈はわかるんだけどね。
 ただこの蛭田にしては、単に面白い本を作り上げることを目的として書いていただけで、悪意を持って騒ぎを起こそうという気があったわけではない、という点が面白かった。
 実際劇中では黒坊主が何で心霊スポットを次々と周っているかについての明確な説明がない。蛭田は嘘ではあったものの、ライターの仕事として本を作っただけであり、その行為自体は鬼太郎にも決して責められるものではないから、どちらかと言えば心霊スポットと称された場所を自分勝手に巡っていた黒坊主の方に非があると言ってもいいくらいだろう。
 ただ同時に蛭田が妖怪とか怪奇現象というものを軽んじて扱っていたのも事実であり、事件が発生しているにもかかわらず、それを知った時点では反省の色さえ見せなかったという点においては、大いに責められるべきである。
 つまり今回は人間も悪いと言えるし、妖怪も悪いと言えるのだ。僕としても途中まではそういう感じで後味の悪い(作品的には面白い)終わり方になるのだと思っていた。

 それが決定的に崩されてしまったのは、うわんの自己犠牲によって涙を流しながらうわんの思いを代弁する鬼太郎が描かれてしまったからに他ならない。
 元々僕は鬼太郎が母親以外のことで安易に泣くのは嫌いなんだけど(笑)、鬼太郎がここで涙を見せてしまったことで、「妖怪側の非」についてが完全にうやむやになってしまい、人間だけが悪かったように描かれてしまっている。
 まあ今回の話で見せたかったのは「人間の愚かな行為が災いを呼ぶ」ということなんだろうが、それにしてはストーリー展開が煮え切らない。
 最近はアクションシーンもだいぶ凝った作りになってきたのに、またもや「毛針→拘束→体内電気」のパターンに堕してしまったのも、展開の凡庸さに拍車をかけている。これではうわんを死なせるための措置と言われても仕方がないだろう。
 言いたいことはわかるが、5話に比べるとそれをきちんと話の中に込められていなかった、という感じか。

 目玉親父が縄跳びをしていたり、古今も横丁で遊んでいたり、本筋と絡まない部分での細かい描写はいつも通りに冴えていた。
 特に墓場において鬼太郎たち3人がシルエットのみで描写されているシーンは、不気味さを強調していてよく出来ていたと思う。
 要所要所でアクセントをつけていた一反木綿も忘れてはいけないかな。

 次回は「おどろおどろ」を下敷きにしたろくろ首の恋愛譚になる様子。予告を見る限り、おどろおどろ周辺の原作設定はきちんと生かしてくれそうなので、こちらも楽しみである。
posted by 銀河満月 at 21:54| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲゲゲの鬼太郎(第5期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月12日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)19話「河童池の相撲大会」感想

 今回の話はフィギュア王No.113でのインタビューによれば、「河童と出会った少女の白昼夢」だそうである。

 さっと2回見てみたのだけども、これはなんとも感想を書きづらい話である。なんともすっきりしない感じが残ってしまうのだ。
 これは自分で考えるに、「少女の視点から見た物語」という構成が不十分だったからだと思う。
 視点が少女なのか鬼太郎なのかが今ひとつ判然としないので、見ていてどちらに注目すべきなのか、宙ぶらりんな状態になってしまうわけだ。
 例えば目玉親父から鬼太郎までが相撲を取っている間は、少女(里見)は完全に蚊帳の外である。
 「少女の白昼夢」という視点で描くなら、鬼太郎側の描写は最低限のものにとどめるべきだったんじゃないだろうか。
 4期の「夜は墓場で運動会!」という話では、中盤の妖怪たちの運動会の描写は、それを覗いている少年の視点で描かれていたので、必要以上に妖怪の個性が描かれることはなく、妖怪の運動会がかもし出す「楽しさ」のみを強調していた。
 あのような作りにしていれば、もっとすっきり見ることが出来たんじゃないかと思う。

 ただ、それを補って余りあるのが今回のゲストである里見の存在感。先生を追い求めて走り回ったり、河童の存在を知って興奮したりと、全編に渡って存在感を強烈にアピールしており、コロコロ変わるその表情も、それに拍車をかけていた。
 まさに純粋無垢という言葉がぴったりという感じで描かれていたが、これはまた担当声優である野中藍の声による影響も大きいだろう。
 日常と非日常の区分けがぼやけてしまっていたため、夢幻的な雰囲気はあまりなかったが、逆に「夏のある日の思い出」という部分を強調した画作りになっている点も興味深い。
 逆に河童たちの描かれ方は、ちょっと変な感じがしたけども。

 次回は「闇からの声!幽霊スポット」。登場妖怪の「うわん」は、鬼太郎本編には確か登場したことはなかった…はずだよな。
 ちなみに現実の心霊スポットは私有地である場合も多いので、勝手に入ると不法侵入で訴えられたりすることもあるから、勝手に進入するのは絶対にやめましょう。
 あるいは単純に危ない場所だったりするからね(建物の老朽化とか)。
posted by 銀河満月 at 19:35| Comment(0) | TrackBack(1) | ゲゲゲの鬼太郎(第5期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゲゲゲの鬼太郎(5期)18話「古城に光る黒い眼」感想

 前話の予告やサブタイトルから見ても、西洋の古い城が舞台になるとは思っていたが、まさか本当にドイツにいくとは思わなかった。
 と言っても鬼太郎は朝鮮魔法に対抗するために韓国に行ったり、妖花の源を調べるために南方の島へ行ったりと、海外遠征は結構しているんだけどね。

 で、今回もまたいろんな所で散々言われているんだろうけど、完全に騙されてしまった。
 何者かの仕業で徐々に疑心暗鬼になっていくねずみ男やネコ娘を見て、犯人が「ヤツ」だと思い込んでいた自分としては、幾分イライラしながら見ていたのだが、その思い込み自体がブラフだったと気づかされ、完全にしてやられてしまった。
 鬼太郎が真実を推理するシーンは無論コナンのパロディなんだろうが、あのシーンも単なるパロディにはとどまっていない。なぜならあのシーンでほとんどの視聴者が真実に気づき、騙されていたことに気がつくのだから、まさに鬼太郎とは別の意味で「何でこんな簡単なことに気がつかなかったんだろう」と言う感じである。
 まあ、伏線も何もないから強引と言えば強引ではあるんだけど、それでも「別の妖怪の仕業」と言う可能性を完全に否定してしまっていた、というか思いつきもしなかったのは確かなので、その点はスタッフの見せ方の勝利だと思う。

 姿を現した目目連によって鬼太郎は追い詰められるものの、毒はどうにか体内に溜め込み、ドイツに来る前に親父から受け取ったお守りの力を借りて、どうにか目目連を撃退する。
 ラストのセリフにもつながっているが、ここでも鬼太郎と目玉親父の親子愛を強調したシーンになっており、ラストは非常に心地よい、優しい気分にさせてくれるものに仕上がっていた。
 鬼太郎は父親に対する礼節を決して忘れない、という点では非常に良い子である。そういう部分が世のお姉さん達を喜ばせているんだろうなあ、きっと(笑)。

 そして、目目連をやっとの思いで倒した鬼太郎の前に、ついに姿を現す事件の黒幕・バックベアード!
 この「敵を倒して安心したそのすぐ後に、さらに強敵が現れる」という手法は、戦隊シリーズにおける怪人巨大化という発想の原点(実際にヒーローものでそれを最初に実行したのはスパイダーマンだけど)であり、さらに元を辿れば昔の大衆時代劇における作劇につながるのだと言う。
 この伝統的・王道的なパターンで登場したベアードは、原作でもたびたび描かれた「西洋妖怪のリーダー格」という設定を存分に生かし、威圧感たっぷりに描かれた。
 城全体を覆いつくさんばかりの巨大な姿で描かれたのは、今期が初めてかもしれない。
 さらに声は3期でもベアードを担当されていた柴田秀勝氏。最初は好々爺みたいな感じでしゃべりながらも、あっという間に目目連を消滅させて力の違いを見せつけ、そして「私は日本の妖怪というやつが大嫌いでね」というセリフから、一瞬のうちに低いドスの聞いた声色に変わり、戦闘不能の鬼太郎を見逃してやるという、これ以上ない強敵ぶりを発揮していた。
 さらに日本妖怪における鬼太郎最大の敵であるぬらりひょんとも顔見知りであることが伺われ、これも話が広がっていく一つの要因になりそうで、楽しみなことである。

 このように話自体には満足しているのだけど、せっかく外国まで出張したのに、「古城」という舞台装置がほとんど機能していなかったのが、少しもったいなかったかな。
 今まで訪れた霊能者達の骨が、井戸の中に山積みになっていると言う描写は、現代の子供向けアニメとしてはかなりダークな味わいを見せていて良かったけど。
 小ネタとして面白かったのは、ねずみ男の「黄土色の脳細胞」というセリフか。
 黄土色…。きったねえなあ(笑)。
 そう言えばラストでさりげなく古今が再登場しているのにも驚いた。こういうやり方での再登場ならもっとやって欲しいところだ。
 ゲストであるアリアの担当は久川綾。確か4期では雲外鏡が化けた女の子の役とかやってたっけな。
 もう10年以上も前なんだなあ…。

 しかしベアードに対する見方も、この10年ですっかり変わったもんだな。
 時が経つというのはこういうことなのかねえ。
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ゲゲゲの鬼太郎(5期)17話「さすらいの蒼坊主」感想

 さて久々の5期鬼太郎感想である。
 5期のDVDも購入したのだけど、それについての感想はまた後日。

 今回のゲスト妖怪は蒼坊主。横丁の面々とも顔なじみで、特に鬼太郎からは兄と慕われている封印師である。
 これは完全に5期オリジナルの妖怪なので、正直どんな風になるのか最初は不安だったのだけども、見ているうちにすぐさまその不安が払拭された。
 これは演じている古川登志夫の力によるところが大きいだろう。方向音痴で横丁に入る道さえわからないというとぼけた面や、弟分である鬼太郎を救出するために文字通り体を張って戦うシーンの真剣な面が、しっかりと描かれていたからこその名ゲストキャラというところか。
 蒼坊主自体も横丁の妖怪たちに馴染み深いためか、「ねずみ」「ねこちゃん」など、砕けた呼び方をしていたし、鬼太郎たちも「蒼兄さん」「蒼」などとブロウクンな呼び方をしており、このあたりも蒼坊主の親しみやすさを強調する手助けをしている。
 だからかどうかは知らないが、ネコ娘まで目玉親父のことをさりげなく「お父さん」と呼んでたりしていたが、まさかとは思うけど2期ネコ娘へのオマージュか?
 その蒼坊主が持ってきた「古今」も、単なる本以上の個性を発揮していたのが面白い。

 対するぬらりひょん達は8話での生活ぶりが嘘のような落ちぶれっぷりを発揮していた。前回に比べると策士ぶりも失われてしまっていたが、鬼太郎の前に再び姿を現した時の不敵な態度や、鬼太郎に機を取られていた蒼坊主にすかさず攻撃を加えるなど、悪辣ぶりは健在であった。
 火取魔に熱エネルギーを蓄えさせて鬼太郎を襲わせるだけでなく、その火取魔が勝手な行動を取り始めたことを叱責しながらも、最終的に鬼太郎ごと火取魔も自滅するから構わないという、計算高さも垣間見える。
 鬼太郎の仲間達と戦っている時も、歴代一番の武闘派ぶりを存分に発揮していた。実際、蒼坊主の「第三の目」の力がなかったら鬼太郎たちはかなり危なかったわけで、今回も「強敵」としての存在感はしっかりアピールできたと言えるだろう。
 それだけに敗北後の朱の盤とのやりとりが必要以上に受けた(笑)。

 アクション面も鬼太郎のみならず、個々の個性を存分に発揮した盛りだくさんの見せ場となっており、特におばばと共にかわうそが戦いだすあたりは、結構意外に感じられた。
 ねずみ男・子なき爺・一反木綿の合同技も、テンポよく描かれており、特に子なき爺の投擲直前に「ばばあ、どいてろ!」と不躾な言葉を使うねずみ男には、非常に「らしさ」が感じられた。
 古今を巡るネコ娘とねずみ男のやり取りも、見ていて楽しいものになっている。

 残念なのは蒼坊主と鬼太郎のそもそもの関係が描かれなかったことと、横丁の面々とのやり取りがあまり描かれなかったことか。
 先頭に重点を置いていた以上は仕方のないことではあるのだが、せめて横丁の面々との会話はもう少し盛り込んで欲しかったというのが、正直な感想である。
 鬼太郎との過去話は、後々描かれることになるのだろうか。
 蒼坊主も1回限りのゲストにするには惜しいキャラなので、是非とも再登場を希望したいところだ。
posted by 銀河満月 at 18:39| Comment(0) | TrackBack(2) | ゲゲゲの鬼太郎(第5期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月16日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)16話「妖怪はゲームの達人!?」感想

 さて今回の鬼太郎、予告を見た限りでは、所謂「妖怪図鑑」に描かれるようなしょうけらと全然絵柄が違っていたので、どうなることかと思っていたけども、蓋を開けてみたら何のことはない、ネコ娘萌え全開の作品になっていた(笑)。
 つーかさすがにあれは悪ノリしすぎだろ。僕としてはそりゃ嬉しくないわけじゃないけども、このやりすぎ演出にはさすがに引いてしまう人が結構出るんじゃなかろうかねえ。
 何が嫌って制服とかゴスロリじゃなくて、「バイトで知り合った人たち」が、ものの見事にアレな人たちだってことか(笑)。

 いや、制服自体は好きですよ。正直ゴスロリより大好きです。特にチェック柄(と思われる)のスカートなんか素晴らしいじゃないですか。
 でもやっぱり本命はセー(以下略

 …そんなことは全然どうでもよく、今回の話の感想。
 「ゲーム」という現代的な要素を盛り込んではいたものの、基本的な部分は「白山坊」にも通じる、「妖怪との約束事を破ったために受ける呪い」が骨子となっていた。
 そのため話に新味はないのだけど、その分上記のネコ娘分も含め、様々な副次部分に情報を割けていたのが、今話の見所だったと思う。

 一番うまいと思えた部分は、今話の中で「ゲームに没頭する人間」について、肯定・否定とはっきりしたスタンスを取らず、ニュートラルな立場を貫いていることだろう。
 鬼太郎は話の中で、自分1人の遊びに没頭して周りと関わろうとしない人間について触れているが、これに対して自分個人の意見はまったく述べず、それがいいとも悪いとも言わない。
 いいか悪いか、最終的に判断し行動するのは、他ならぬ当事者自身であるというスタンスを徹底しているのだ。
 鬼太郎が否定しているのは「他人と関わろうとしない」ことではなく、「自分から助けを求めることをしない」ことの一点のみなのである。有体に言えば、鬼太郎にとってはそれ以外の面はどうでもいいのだろう(笑)。

 次いで面白かったのは、1話でも描かれた「妖怪と人間の価値観の違い」。
 しょうけらにしてみれば、子供たちの遊びが面白くてしょうがなく、簡単な賭けゲームのつもりで子供達に勝負を挑んだのだろう(自分の影をどうのこうのというのは、勝負を有利に運ぶための演出と取れなくもない?)。
 つまり不死の妖怪にしてみれば「寿命」という概念はさして重要なものではなく、例えは古いが「メンコ勝負で負けたら自分のメンコを奪われる」ぐらいの軽い感覚だったと思われる。
 だから終盤の展開を見てもしょうけらに悪気はなかった。奪った寿命で殊更何かをしようとしていたわけでもない。ただ結果的にしょうけらの取った行動は「悪意のない悪事」になってしまっていたわけで、人間にしてみればこれ以上性質の悪いものはないわけだ。
 「異質の存在」である妖怪のおどろおどろしい部分をさらりと見せるあたり、脚本と演出の狙いは正確だったと言うことか。

 今話は他にも鬼太郎に地味に協力してるねずみ男や(この「地味に」と言う部分は1期を彷彿とさせる)、炭酸水のプールで泳ぐという、本筋と全然関係ない日常描写を彩った目玉親父などが、きちんと存在感を発揮していた。
 さすがにネコ娘が出張りすぎた関係上、「過不足なく」という表現を使うことは出来ないが、それでも少ない時間できちんと各々の個性を発揮していたのはさすがと言うべきだろう。
 満月をバックに各種武器を披露する鬼太郎のシーンも流麗であった。

 来週は久々にぬらりひょんが登場。鬼太郎に協力する立場の新妖怪も登場するようで、なかなか楽しみである
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ゲゲゲの鬼太郎(5期)15話「働く!目玉おやじ」感想

 さて今回の鬼太郎は、7話に続いて目玉親父の話である。
 よくよく考えると、目玉親父にこれほどスポットの当たったアニメシリーズは今までになかったはずなので、親父ファンなら狂喜乱舞というところか(笑)。

 骨子自体は「息子へのプレゼント購入資金調達のためにアルバイトをする」という単純なものなのだけども、それをやっているのが目玉親父なもんだから、親父が普通に働いているだけで必ず何かしらのトラブルが起こってしまう。
 このあたりの筋運びは、かつて同じ時間帯で放送されていた東映不思議コメディシリーズの一編によく似ている。
 要は本人は極めて真面目にやろうとしているのだが、本人の行動パターンや価値観自体が常人とはかけ離れてしまっているため、本人が真面目に行動すればするほど、トンチンカンな結果になってしまうという、まんまコメディ作品を地で行くストーリー展開なわけだ。
 尤もこういうコメディシーン自体は、貸本版「鬼太郎夜話」の頃から描かれていたわけだけども。
 久々に妖怪横丁の色々な店が登場したこともあり、今までの話よりもにぎやかな雰囲気になっているのも、好印象を受ける理由かも。

 後半は原作の「げた合戦」をベースにした、丸毛の泥棒騒動と逆柱との決戦が軸になる。
 親父の鬼太郎への親心を、親丸毛の親心とダブらせるあたりの演出は原作を知っている人ならばさらにニヤリとする巧みな見せ方だった。
 逆柱を退治したことについて偶然を装ったり、親父がアルバイトしていた理由をすべて知っていながらも、敢えてそれを口に出さず、親からのプレゼントを素直に喜ぶという、鬼太郎の親への愛情も丁寧に描かれ、ラストのある意味人間臭いオチとも相俟って、非常にほのぼのとしたエンディングを迎えることになった。
 ある意味3期のテイストに近い話と言えるかもしれない。
 冒頭の夕暮れのシーンも、(足がせかせか動いているであろう)下半身を意図的に描写しないことで、人物を見せつつ情緒的な雰囲気を醸し出しており、最初から最後まで優しい雰囲気に包まれた話となっていた。

 反比例する形でアクションは控えめだったのだけども、逆柱の放った縄をつかみ、逆にその縄に火を近づけて脅迫するという、正義のヒーローらしからぬ、そして鬼太郎らしい戦法を取っていたのが印象に残る。

 次回は「妖怪はゲームの達人!?」。前番組なんかを意識しているような感じがしたりしなかったり(笑)。
posted by 銀河満月 at 18:43| Comment(0) | TrackBack(1) | ゲゲゲの鬼太郎(第5期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゲゲゲの鬼太郎(5期)14話「鬼太郎死す!?牛鬼復活」感想

 またまた間が空いてしまったが、鬼太郎の感想である。別に鬼太郎に飽きたというわけではなく、単にゲームしてただけって話(笑)。

 2クール目最初の話は「牛鬼」。原作では鬼太郎までもが牛鬼にされてしまい、結局迦楼羅様によって助けられるという、鬼太郎の能力すら超越した存在が2人も出てくる話であった。
 歴代のアニメでも鬼太郎が牛鬼に変貌し、村人や親父の祈りで迦楼羅様が出現し、牛鬼を火口につっこむあたりのクライマックスを過不足なく描いていたが、今回はどういう展開になっただろうか。

 結論から言えば、今回もかなり大胆なアレンジが加えられていた。
 最大の相違点は、原作での最大のポイントである「鬼太郎の力すら及ばない領域での能力バトル」という戦闘メインの部分を思いっきり省略し、鬼太郎たちメインキャラのキャラクター描写に焦点をスライドさせたという点だろう。
 息子のために必死に祈る目玉親父や、鬼太郎のために涙まで流すネコ娘の姿自体は、3期でもほぼ同様の描写があったものの、今回ではそれに牛鬼の意志に最後まで逆らい、みんなを守るために敢えて死を選ぶ鬼太郎の悲壮な覚悟と、そんな鬼太郎に命を助けられたねずみ男とのやりとりという、まったく新しい要素が加えられていた。
 終盤のねずみ男との会話で、鬼太郎がねずみ男を「友達」と称するのにはちょっと違和感を感じなくもないが、一貫して冷めた視点を持ちつつも、本質的な部分では誰よりも優しい心を持っている、5期の鬼太郎を象徴する、良い言葉だと言えるだろう。

 そんなわけなので、迦楼羅様の出てくる理由も「村人たちの祈り」から、迦楼羅様本人が「鬼太郎と仲間たちの友情に感服したから」と変更されていた。
 ただその変更のせいで、1つの村そのものを巻き込む大事件として描かれた原作の話が、鬼太郎とその周囲のキャラのみをメインとして描かれる、極めてミニマムな話として描かれてしまったというのは、ちょっと寂しい気がしないでもない。
 一切表情を変えず発砲して、効果がないとわかるや一目散に逃げる駐在さんは見たかった(笑)。
 「おれは無神論者だからしょうべんしてるぜ」のセリフは無理だったとしても。

 他に今回の良いところとしては、原作と違い牛鬼が極めて知性的な存在として描かれていたことかな。
 原作での牛鬼はまさに本能のままに相手に憑依し暴れまわるという、怪獣のような存在だったのだけど、5期の作品群には怪獣のように扱われる妖怪が今まで結構登場しているから、そのパターンが食傷気味になる前に、このような別種の個性を盛り込むやり方は、よくバランスが取れていると思う。

 次回は7話に続いて目玉親父が主役。コメディチックな話になる感じがするが、さてどうなるか。
posted by 銀河満月 at 18:25| Comment(0) | TrackBack(1) | ゲゲゲの鬼太郎(第5期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月28日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)13話「奮闘!ぬりかべ用心棒」感想

 うーん、5期のDVDが8月に発売されるけど、これはどうしたもんかなあ。
 この間までは別に買わなくていいやと思っていたのだけど、最近になって今の鬼太郎は地上デジタルハイビジョンでは16:9で放送されていることを知ったので、もしDVDが16:9画面で収録されているのなら、そっちのバージョンを求めて購入するのも悪くないかと思い始めてしまったのだ。
 ただ今の所紹介されているDVDの広告とかを見ても、画面サイズについてはあまり触れられていないようなので、どうしたものかと思案している最中なのである。
 8月は劇場版のDVD−BOXも出るし、何より夏の有明祭りもあるから、あまり金を使いたくないんだけどな。

 と、そんな話は後にして、今週のゲゲゲの鬼太郎である。
 今回は一応原作にもあった「大百足」をモチーフとした、ぬりかべ主役編である。
 一反木綿の時といい、この2人は純然たる主役編をきちっと用意されていて、なかなか待遇がいいですな。
 砂かけのおばばはのびあがりの話があったと言えばあったけども、どうも中途半端だったしな。

 冒頭からいきなり人間の目の前に飛び出して格闘する大百足(の一部)とぬりかべ。
 中盤でも夜の暗闇の中、街中を占拠している大百足の一部の群れが描かれたり、合体した大百足が橋を壊して暴れたりと、かなり怪物全とした扱われ方になっている。
 妖怪獣とか大海獣あたりの感じを出そうとしていたのだろうか?
 対するぬりかべも、原作や過去のシリーズでよく使っていた「自分の体に塗りこめる」戦法ではなく、巨体を生かしての押しつぶしを積極的に使用し、なかなかアクティブな一面を見せていた。
 なによりもアニメシリーズでは珍しく、ぬりかべがよくしゃべる(笑)。
 そのしゃべり方もまさに「気は優しくて力持ち」を地で行くような、朴訥で純情そうなものになっており、ぬりかべの個性が非常に良く表されていたと思う。
 同時に妖怪であるぬりかべが鉢巻までして自分の家を作っているシーンは、話の流れ的には別段変なシーンでもないのだけど、ぬりかべがそういうことをしているというだけで、自然と笑みがこぼれてくるような、ちょっと不思議でユーモラスな雰囲気をかもし出していた。
 このあたりも今期で目指している「妖怪の持つ人間臭い雰囲気」の一部なのだろう。

 今回はぬりかべに限らず、鬼太郎始め仲間妖怪がきちんと個性を発揮していたのが楽しかった。ある意味6話よりも仲間妖怪の個性がきちんと描かれていたかもしれない。
 冒頭しか出番のない小豆洗いにしたところで、ちょっと古臭い台詞回しでさりげなく存在感をアピールしていたし(あくまで「さりげなく」なのが寂しいけど)、かわうそに至ってはぬりかべの手伝いをしようとする場面に始まり、大百足を追って海中の探索、果てはダメージを負った一反木綿の救出と、地味ながらもかなり活躍していた。
 「フィギュア王」最新号のスタッフインタビューでかわうそに触れられていたことから見ても、かわうそは準レギュラーの妖怪としてはかなり優遇されているようだ。
 砂かけと子泣きは相変わらず家賃に関するやり取りをしていたが、子泣きは騒ぎの元凶がねずみ男だと勘違いして思わず殴りつけてしまったりして、原作でも見せていた「慌て者」の一面を見せていた。
 一反木綿は久々に鬼太郎を乗せての本格的な空中戦を展開。と言っても今回はすぐにやられてしまったが(笑)。
 ねこ娘の優遇っぷりは相変わらずで、今回は三角巾にエプロンという炊き出しスタイルまで披露してぬりかべの看病をしていた。

 だが今回の白眉はねずみ男だったと個人的には思う。
 ラストでのぬりかべ家建造に、自分の金を出資したという事実を鬼太郎に見抜かれ、恥ずかしがりながら理由を言って走り去る姿と、それを笑いながら見送る鬼太郎の姿には、従来の「鬼太郎とねずみ男」の関係が描かれていたように思えるのだ。
 鬼太郎とねずみ男は言葉で言えば「友達」になるのだが、所謂「親友」というものではないし、「悪友」と呼ぶような存在ではない。強いて言えば腐れ縁となるのだろうが、その言葉だけで語るには少し足りないような、そんな不思議な連帯感が2人の間には存在している。
 その象徴の1つがこのような「遠慮のない会話」と言える。原作や1期を見返してみると、鬼太郎もねずみ男も基本的に会話する時は、建前や嘘は言わず、かなりきつい言葉も使いながら本音をぶつけ合っている(ねずみ男が鬼太郎を騙そうとしている時は別)。
 本音を言い合える仲、などという理想論的な友達関係と言うわけではないが、本音を言い合うのが当たり前の関係、とでも言うのだろうか。その関係が生きていることこそが、「ゲゲゲの鬼太郎」と言う作品の魅力の1つでもあった。
 残念ながら5期ではねこ娘との関係がクローズアップされてしまっているため、原作や過去4作で描かれてきたようなねずみ男との関係性は希薄になってしまっている。
 まあ、1期のように遠慮のない、それでいて小気味良いやり取りをしていた頃に比べると、今回のやり取りはまだまだと言わざるを得ないけども、5期はまだまだこれからである。2クール目以降でねずみ男との関係性を十分に描いていって欲しいと思わないではいられない。

 もちろん「ぬりかべ一家」も忘れちゃいけないだろう。大百足の合体に合わせてぬりかべ一家も合体するなどという、単純且つ強引な発想には舌を巻いた。
 この豪快な展開は「敵が強化すればこっちも強化する」という、ある意味「東映アニメヒーロー」の定説を遵守した結果とも言え、アニメ鬼太郎ならではのアレンジだろう。
 鬼太郎でこんなことをしてしまっていいのかという感じがしないわけでもないのだが、そんな考えもぬりかべ女房のインパクトで全部吹っ飛んでしまうことは間違いなし。
 色はピンクでどちらかと言えばかわいい感じがするのだが、田中真弓さんのおばさん声に、完全にしてやられてしまった。
 登場したその瞬間から画を完全に支配して、鬼太郎さえ食ってしまうその強烈な個性は圧巻だ。
 一家が協力して大百足を倒した際、思わず笑い出してしまう鬼太郎たちの気持ちも、非常によくわかると言うものである。
 是非ぬりかべ一家には今後も出てきてほしいね。

 次回は「牛鬼」。アニメでは2期、3期、4期すべてがほとんど原作に忠実にアニメ化していたが、今回はどうなるのだろうか。
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2007年06月20日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)12話「霊界からの着信音」感想

 さて今週のゲゲゲの鬼太郎である。
 今週の日曜は獣拳戦隊も電王もプリキュアもなかったから、一日中不機嫌なままですごしてしまったよ。
 これでもし鬼太郎までつぶれてしまっていたら、どうなっていたことか(笑)。

 今回は珍しく冒頭から妖怪との対決シーンが展開されたが、ここについてはそれぞれ仲間妖怪のアシストを経て、比較的あっさりと鬼太郎が勝利。
 今回はバトルメインの話じゃないから、冒頭でだけでも砂かけや子なきを見せておこうという配慮だったのかね。
 そんな序盤だったので、今話はゴミにこめられた怨念に絡む話かと思いきや、今回もまたいい意味で裏切られる展開となった。

 メインの話は、正体不明の存在からかかってくる電話という、4期にも見られた都市伝説風味のものになっており、そこに怨念が形となって生まれる妖怪「以津真天」を絡むというものだった。
 怪電話に初めて応対した父親が、出た瞬間に顔面蒼白になるという描写も、都市伝説系怪談の「くねくね」を想起させるものになっていたりして(意識していたかどうかは不明だけど)、妖怪の恐怖を現代的な視点で見せるという点においての苦慮が見られる。
 電話がかかってくる時間が毎日決まっているというのも、これまた都市伝説によく出てくる設定だ(特に「学校の怪談」系に)。
 そういう意味ではこれら序盤に配置されているファクターは、都市伝説というものに興味を持ち始める年頃でもある、メイン視聴者の子供たちの興味をひきつけるために用意されたものと取れなくもない。
 現代的と言う点では、今話ではPCやらインターネット、カラオケなど、「現代」を強調するものが頻出したのも目に付く(ネットは4期で子泣きも使っていたようだが)。

 鬼太郎と目玉親父の蓄音機に関する、のほほんとした挿話と、どこにいても定刻になると鳴り響く電話のために次第に追い詰められていく親子の姿を交互に見せるという演出も、そのアンバランスさがより強い恐怖感を生み出すのに貢献していた。
 登場した鬼太郎は電話から聞こえてくる声に感じられる妖気を辿るという珍しい技能を見せ(欲を言えば妖怪アンテナくらいは立てて欲しかったところ)、向かった先で再び以津真天と対決することになる。
 今回も結局鬼太郎は敵に飲み込まれてしまうわけだけど、今回はある意味お決まりとなってしまった展開を逆手にとって、体内にもぐりこむことで、以津真天の真意を鬼太郎が知ろうとする、という内容になっていた。ここらへんの見せ方は捻りが利いていていい感じ。
 以津真天が浄化されずに電話をかけ続けていたのは、死んだ千草の母が残した想いのためだったという展開は、「人の強い残留思念が以津真天になる」という設定を利用した、うまい見せ方だった。
 冒頭での「ゴミに込められた怨念が具現化した」という状況をブラフにして、以津真天の真の目的を見ている側にもわからないようにするというやり方は、「ゆうれい電車」の話運びに通じるものがある。
 まあ意地悪な見方をすれば、4期の「妖怪オバリヨン」の焼き直しと言えなくもないのだけど。

 今回は同じ脚本家が書いた前々話の「雷獣」に比べると、話を構成する要素が極めて簡素になっており、余計なものがくっついていない分、素直に話そのものを楽しめる内容になっていた。
 長谷川はこういうような話を書けば、キラリと光る良い話を書くことが出来る脚本家なんだけど、変に余計な要素をくっつけると途端にごちゃごちゃしてきてしまうのが難点なんだよな。
 序盤から繰り返し聞かされる「いつまでも」と言う言葉を、ラストのシーンにつなげてくる構成は正に見事。
 今回は素直に感動できる良い話になっていました。
 久々に「去り行く鬼太郎の後姿」でクロージングとなっていたのも、余韻の残る良い終わり方だったと思う。

 そう言えば今回の演出家は勝間田具治さんだったね。鬼太郎には1期の頃からずっと携わっており、ある意味アニメ鬼太郎になくてはならない1人だろう。
 勝間田演出回と言えば1期「おぼろぐるま」のラストが思い出されるが、今回の5期鬼太郎でもあのように印象に残る演出を見てみたいものだ。
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2007年06月16日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)11話「おばけ漫才」感想

 またもやだいぶ日にちが経ってしまったが、鬼太郎の感想である。
 今回は「白山坊」が元の話なんだけども、原形をとどめないほどに改変された話となっていた。
 4期でもだいぶ改変された話となっていたのだけども、今回の改変はある意味では4期以上とも言える。

 「困っている人間の弱みに付け込み、白山坊が願いを叶える代わりに、その人間の大切にしているもの(原作では「娘」)をもらう」という、白山坊の取る行動自体は原作と変わりないのだが、今回は原作での不気味さや、無機物に化けて知らぬうちに忍び寄るような陰湿さは影を潜め、妖怪芸人一座の座長という、原作を知る人間にとっては度肝を抜かされるような立場での登場となった。
 声は4期に続いて、と言うよりは1期・2期でねずみ男を演じた、文字通り「元祖ねずみ男」の大塚周夫氏。
 今回の白山坊はひょうきんな性格だったので、演技ももちろんそのとおりにはなっていたものの、ねずみ男と悪巧みの計画を立ててほくそ笑む姿なんかは、「かつてのねずみ男」を思わせてくれて、オールドファンとしては嬉しい限り。
 御大に釣られたのかどうかはわからないが、今回はねずみ男も久々に妖怪の力を使って悪巧み(金儲け)を企むという、ねずみ男の基本に立ち返った姿勢?で登場し、久しぶりに行きのいいねずみ男を見ることが出来た。

 今回は白山坊も同様だけど、目玉親父もいつも以上に乗っていた。
 漫才好きが講じて鬼太郎までつき合わせてしまうところは、今回の話に合わせたご都合展開と言う感じだけども、契約をたてにして魂を奪おうとする白山坊に対し、「ジロウズは元々面白いから契約自体が無効だ」と、無茶苦茶な論理を持ち出してくるあたりは、単純に笑えてしまった。
 そこで「どちらに転んでも結局損はしない」と持ちかけるねずみ男の小狡さを見せているところも見逃せない。
 僕としてはそれ以上に鬼太郎の態度にも注目したい。白山坊を止めようとする鬼太郎に対し、白山坊は契約の証を見せ、自分はきちんと契約を果たしたのだから、相手にも契約を果たす義務があると、自分の正当性を主張し、鬼太郎がその理屈に一理ありと納得してしまうのだ。
 僕は元々原作の「白山坊」からして、白山坊にとってはかなり理不尽な結果の話だよなと思っていた。
 いくら娘を食らうという最終目的があったとはいえ、不幸続きの男を十数年にわたって(恐らくは妖力を用いて)支援し続け、大金持ちにしてやったのに、いざ相手に約束を果たしてもらおうと思ったら鬼太郎に邪魔されるのでは、白山坊にしてみればたまらないだろうと。
 若干とはいえここらへんの、原作が持っている理不尽な展開に一歩突っ込んでくれたのは嬉しかった。
 原作での白山坊は絶対悪の存在だったが、今回は目玉親父の提案も含め、白山坊も「善でも悪でもない、対等の妖怪」として描かれており、そういう意味では「妖怪の人間臭い面を出す」5期鬼太郎の世界観に沿った改変なのかもしれない。
 ただ、前話での人間に対する親父の態度と今話とでは、さすがに少しギャップがありすぎる気もする。
 というかそういう違和感を極力抑えるためにシリーズ構成が存在していると思うのだが、何やってんだかね。

 ゲスト声優も特には気にならなかったが、やはり個人的には大塚氏だわな。
 心なしか今話の目玉親父が一際元気そうに見えたのも、大塚氏のゲスト出演と言うことで、田の中勇氏も喜んでいたからかもしれないね。
 作画に関しては、こういうコメディータッチの話にはあっているんじゃないかと思う。

 次回は「以津真天」が出て来るそうだが、こいつは原作では出てきたっけかなあ…?
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2007年06月03日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)10話「荒ぶる神!雷獣」感想

 久々に放送当日の鬼太郎感想更新である。
 今回の話は「雷獣」。雷獣という妖怪そのものは、原作含めてピンで登場したことはなく、せいぜい3期の最終話で、ぬらりひょんの刺客として現れたくらいである。

 視聴してまず最初に思ったことは、「やっぱダメだったなあ…」という感想だった。
 平成ウルトラでもそうだったんだけど、脚本担当の長谷川圭一が子供を主役にした話、所謂「ジュヴナイル」形式の話を書くと、途端につまらなくなってしまうのだ。
 長谷川圭一の書く脚本は基本的にストーリーありき、それに合わせてキャラを構成していくので、キャラがストーリーに合わせてどんどん都合よく改変されてしまう危険性も孕んでいる(余談だが、それを極限まで突き詰める脚本家が、井上大先生ね)。
 わかりやすく言えば、話を進行させるためには「このキャラは絶対こんなこと言ったり行ったりしない」というキャラに、無理に変なことを言わせたり行わせたりするのだ。だから全体として見た後に違和感が残ることになってしまう。
 その言動・行動を取るのが大人のキャラであるならまだいいのだが、子供となると浮きまくってしまう。
 ぶっちゃけ、子供を「子供」として描けていないのだ。
 ウルトラマンガイアとかのあたりからずっとそうだったし、去年の映画「メビウス&ウルトラ兄弟」においても、その作り方はまったく変わっていなかった。

 「この付近は雷が多いって、父ちゃんが言ってた」
 「なんとか雷獣の気を鎮めることはできないの?でないと父さん達に危害が…」

 日常会話で「付近」だの「危害」だのという言葉を使う子供ってどうなんだ?リアリティを重視しろと言うわけではないが、あまりにも浮世離れしてしまっていて、子供がしゃべっていると言う感じがしない。
 子供が自発的に発した言葉にもかかわらず、説明調のセリフが多いので、どうにも妙な具合になってしまうわけだ。
 このあたり、4話に登場した綾の自然な言葉遣いと決定的に差が生じている。

 話の筋も「古来から伝わる御神体(今話で言えば「いかずち石」)を、現代人の勝手な都合で除去したために、妖怪が怒り出す」という、まあ定番と言えば定番の話ではあるのだけど、正直このプロットが普通に通用するのは3期の時代までだったんじゃなかろうか。
 大体工事予定現場にそんないわくつきのものがあれば、工事を開始する前、計画の段階で地元側と色々調整するはず。
 物語上の都合と言ってしまえばそれまでだが、あまりにもステロタイプな筋立てだ。現代は3期が放送されていた80年代ではない。情報化社会と呼ばれて久しい現代、工事を開始する前に綿密な調整が行われることくらい、小学校中学年〜高学年程度になれば、ある程度は知っていることだろう。今回の筋立てを素直に受け入れられるのは、(偏見かもしれないが)知識量が絶対的に不足している未就学児童くらいではないのか。これでは「子供騙し」との謗りを受けても仕方あるまい。

 終盤、鬼太郎との決戦時に突然大人たちにも雷獣が見えるようになったのも、明確に理由付けがなされていないので、どうにも煮え切らない印象を受けた。
 鬼太郎のアクションはいくらかスピーディーになったとは思うけど、すぐに体内電気の我慢比べに走ってしまうのはちょっと安易な気がする。
 ねずみ男もほとんど活躍しないままに終わってしまったし、序盤での鬼太郎と子泣きの将棋に至っては、なんであのシーンを挿入したのかがまったくわからん。原作の「かみなり」へのオマージュだと考えても、話にまったく絡まないのはどんなもんなのか。せめて子泣きと一緒に現場に向かうくらいのことはして欲しかった。

 今話は正直な話、特に見るべき場面のない凡作だったと思う。5期鬼太郎の抱えている問題点が一気に凝縮されてしまった話、という印象だ。
 5期鬼太郎も放送開始してもうすぐ1クールを終える。リニュ版ドラの時にも書いたが、「新作」だとか「新しいデザイン」とか「新しい声」などというセンセーショナルな話題で視聴率なんかを稼げるのは、せいぜい最初の1クールだけなので、2クール以降はそういった付加要素に頼ることなく、純粋に話の面白さで勝負して欲しいと思う。
posted by 銀河満月 at 22:50| Comment(0) | TrackBack(2) | ゲゲゲの鬼太郎(第5期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月01日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)9話「ゆうれい電車 あの世行き」感想

 今回の鬼太郎は「ゆうれい電車」。一般に良く知られている少年マガジン版鬼太郎の中でも、「敵妖怪との戦いがない話」としては、比較的知名度の高い作品である。
 歴代作では1期、3期、4期それぞれのシリーズで、それぞれのアレンジを施された形でアニメ化されていたが、基本的に「妖怪を信じない人間」が幽霊電車に乗り込み、恐怖の一夜を過ごすと言う展開は、原作そのままに描かれていたので、この第5期ではどのように料理されるのか、その辺りの興味もあった。

 で、見てみた感想。
 既にいろいろなところで語られていることだとは思うのだが、やはり僕もこう思ってしまった。と言うか、思わざるを得なかった。

 「やられた」と。

 序盤の展開で、鬼太郎が殴られたにもかかわらずたんこぶが出来ていなかったり、「妖怪がいる、いない」という問答そのものがちょっと物足りないボリュームだったとか、そんな文句ばかり考えてしまっていたのだが、ラストの展開でそんな文句も完全に吹き飛んでしまった。
 冒頭、外国の超能力捜査官なんてのが迷宮入り事件を捜査するテレビ番組が放送されていて、変なところで現代的な風俗を取り入れているな、程度にしか考えていなかったのだが、これもまた伏線の1つだったと言うわけか。
 ラーメン屋での木下の存在感が薄かったのも、「お前の罪を償え」という妖怪たちの言葉も、原作を知っている身としては漠然と違和感を感じていたものだったが、それすらもすべてはオチへとつなげる伏線だったのだ。

 見事だとは言えない。原作ファンとしては色々改変しすぎで原作の味を壊している部分があるのは否めない。
 しかしよくよく考えれば、上にも書いたとおり「ゆうれい電車」は既に3度もアニメ化されており、「原作マンガのアニメ化」としてのアレンジはやりつくした感もある。だからこその思い切ったオチ改変と言うことなのだろうか。
 そういう意味では今話は5期だからこそ作ることの出来た話なのかもしれない。
 もちろん新規視聴者である若い世代(特に子供)にとっては、1期も4期も知らない作品ではあるから、そんなオールドファンの感覚なぞ知る由もないわけで、そんな視聴者に対して原作の思い切り良すぎる改変はいかがなものかという懸念もあるにはあるのだが、一応原作の肝自体は守れていたから、これはこれでよいのかなと思う。
 今話は「妖怪を信じない人間に罰を与える」という原作の基本骨子を生かしつつ、「妖怪を信じなかったが故に犯してしまった『もう1つの罪』を暴く」という、二重のプロットが組み込まれていたわけだ。
 今回の鬼太郎はこの2つの「罪」に対する罰をいっぺんに与えたことになり、それでいてラストでの目玉親父の言葉どおり、2人の人間の魂を救ったとも言える展開になっていた。この二律背反する要素を1つの話の中にまとめた構成は良かったと思う。
 ただこの改変のせいで、原作での最大の持ち味であった「妖怪を信じず、さらに自分を傷つけた人間に仕返しをする」という単純な構図が、曖昧になってしまったという弊害もあるのだけど。

 細かいところではやはり冒頭もラストもラーメン屋が舞台になっていたのが良かった。なんか「鬼太郎」と言えばびんぼったらしいラーメン屋とか蕎麦屋が、雰囲気的にあってる気がするんだよな。
 小ネタとしては、今回のゲスト2人が爆竜ティラノと爆竜トリケラのコンビだったってことか(笑)。篠原恵美か銀河万丈が出てくりゃ完璧だったのに。

 細かい部分での不満点としては、やはりねずみ男の不在は痛かった。まあ話の都合上、最初から最後まで陰惨な雰囲気で締めたかったという考えがあったのだろうが、そう言った空気を緩和する役として、ねずみ男もいたほうが良かったかとも思う。
 出てくる妖怪にいちいちテロップが出るのも、今話に限っては邪魔だった。いくら暗がりから出てくるからって、ネコ娘にまでテロップをつけなくてもいいだろうに。

 次回の話は「雷獣」。これもボンボン版で登場したような記憶が歩けど、実質アニメオリジナルと考えた方がいいのかな。
posted by 銀河満月 at 23:16| Comment(0) | TrackBack(2) | ゲゲゲの鬼太郎(第5期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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