2008年06月29日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)63話「日本妖怪全滅!?妖怪反物!!」感想

 今回登場した敵妖怪はチー。ファンならば言わずと知れた中国妖怪軍団の長であり、日本妖怪を反物に仕立て、それを利用して人間たちまでも支配し、日本を侵略しようとした強敵である。
 歴代アニメでも3期では劇場版、4期では前後編と、かなり大きなイベント話として描かれており、嫌でも期待が高まると言うものだ。

 今回も流れとしては原作どおりに、何も知らない日本妖怪がどんどん反物にされていってしまうあたりから始まったが、原作や歴代アニメ作のように丸薬を使用するのではなく、如意棒?を利用して妖怪を強引に巻き取ってしまうパワフルさは、5期ならではと言うところか。
 九州から徐々に北へ進撃していくと言う構図は、今話に限ってはあまり意味が感じられなかったけども、これは例の秋から始まると言う展開を意識してのものだったのだろうか?

 チーも原作では、正体が明らかになるまではあまり凶悪な部分は見せなかったのだけども、今話では最初からストレートに悪辣な部分を見せつけ、存在感をアピールしていた。
 部下が虎男2人だけというのはちょっと残念だったけども、これもストーリーの都合上こうなっただけだということがラストで判明したので良かった。
 今期版では「妖怪反物を着ると、その妖怪の能力を使うことが出来るようになる」という、いかにも今期らしいアレンジが加えられていた。確かにチーは正体が発覚してからは様々な技を使い、具体的な力を行使して鬼太郎を翻弄していたが、チーの姿のままの時はそれほど強大な力を見せることはなかったので、アクション面の強化策としては妥当なやり方ではないだろうか。
 今話に限って言えば、その設定がクライマックスでのかわうそ大活躍にも繋がったわけだし。

 今回は早いうちに鬼太郎以下ほとんどの仲間が反物にされてしまったため、かわうそ&アマビエという、戦闘面ではほとんど役に立たない仲間が出張る羽目になったが、その2人をフォローする形で、難を逃れていた子泣き爺と一反木綿が同行することになる。
 やはり子泣き爺は外国妖怪相手になると本気を出すようで、虎男たちもかなり苦戦していたのが印象深い。石になって敵を海中に引きずり込むところは、原作版「妖怪大戦争」のオマージュだったりして。
 中国妖怪が相手ならばと、原作どおりに井戸仙人が登場してくれたのも、マニア泣かせの良い展開だ。今期独自の目玉親父とのやり取りも、すっかり板についた感じ。
 そしてクライマックスでは、ほとんど役に立っていなかったかわうそが、鬼太郎の反物を身にまとって大活躍。調子に乗ってカッコいいセリフまでしゃべってしまうあたり、かわうそ本人だけでなく、スタッフ・キャスト陣も乗っている感じ。
 チーを倒すことこそ出来なかったものの、とりあえず撃退することはできたので、今回は痛み分けという形で終わった。
 チーに加担し、今話に限っては最後まで反省しなかったねずみ男にも、きちんと因果応報的な末路が用意されており、子供向けアニメらしい締め方になっている。
 しかしチーは日本侵略を諦めない。次は入念な準備をして再び攻めてくるとのこと。
 日本はベアード率いる西洋妖怪だけでなく、チー率いる中国妖怪にも狙われているわけで、このまま行くと三つ巴の戦いになるのだろうか?

 チーの担当声優は島田敏さんだったけども、この人も結構頻繁に今期鬼太郎にゲスト出演していたが、とうとう大物敵妖怪を努めることになりましたね。
 歴代アニメのチーは良くも悪くもジジイ然とした声だったけども、島田氏による力強い悪党と言う感じの声は、今までとはまた異なるチー像を生み出していた。
 次の登場に期待したい。
posted by 銀河満月 at 23:58| Comment(1) | TrackBack(0) | ゲゲゲの鬼太郎(第5期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月25日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)62話「くびれ鬼が死をまねく」感想

 さてさて5期鬼太郎の感想である。
 今回の敵は「くびれ鬼」。原作には未登場の敵であり、アニメでは4期にのみ登場した敵だが、今回登場した5期バージョンのくびれ鬼も、基本的には4期版の特徴を踏襲しており、生きることに疲れ果てた人間を、自分の世界に誘い込んで最終的には命を奪う、という展開は全く同じになっていた。
 4期版では連れ込んだ人々の思い出を元に幻を見せ、その世界に埋没しているうちに徐々に命を削っていくと言うやり方だったが、今回はくびれ鬼の世界に連れ込まれる直前に考えていたこと(「死にたい」と考えてしまうようなことなので、当然嫌なことや辛いことを考えていたことになる)を永劫に思い続けてしまい、苦しみながら死んでいく方法になっており、方向性こそ違うものの、どちらもかなり陰湿で汚いやり口と言う点は共通している。
 4期・5期とも、くびれ鬼が「同情の余地もない凶悪な妖怪」という扱いになっているところが面白い。

 で、その4期版ではメインの話としてくびれ鬼に魅入られた男と、その息子との心の交流が描かれていたが、今回は同じく妖怪に魅入られてしまった「アイドル」と、そのアイドルを救うために奔走するアマビエの交流がメインとなっていた。
 作劇法まで同じと言うのも興味深いね。
 そのアイドル「AYA」は、僕もネットで見るまですっかり忘れていたが、3話(夜叉の話)のラストにAYAというアイドルのポスターが登場していたんだね。
 微妙に似ていない気がしなくもないが、恐らく今回登場したAYAと、3話でのポスターの彼女とは同一人物なのだろう。変なところで人物関係にこだわってくるな、5期スタッフは。

 そのAYAの抱えていた悩みと言うのは、所謂「アイドルもの」でよく描かれるような悩みだったのだけども、その心情を吐露するところから解決するに至るまでの話の流れが、通り一遍なものにならなかったのは、やはりAYAの相手役が二枚目の男とかライバルの美少女とかではなく、アマビエだったからに他ならない。
 これまでの話の中で培われてきたアマビエの個性、素直に可愛いとは言い切れないけども、可愛くないわけでもないユニークな見た目などが相俟って、「鬼太郎」らしい独自の世界が表現されている。
 単純に考えれば今話は感動系の話になるのだろうが、そのクライマックスシーンにおいてなお、「AYAを説得するアマビエ」という構図にどこかおかしな面が感じられ、心地よいミスマッチ感覚をかもし出すことに成功していた。
 悩んでいるAYAに「あたいの顔を思い出すといい」と、アマビエ本来の伝承に倣った説明を入れているのも、ニヤリとさせられて良い。
 バケローもアマビエとなかなか良いコンビ振りを発揮していた。

 ちなみに今回AYAが歌っていた曲は、AYAを演じたゆかなさんと、アマビエ役の池澤春奈さんが組んでいるユニットの持ち歌との事。このお2人はつい数年前に無印プリキュア、プリキュアMHで共演しており、さらにラストでのAYAの歌唱シーンは、ついこの間「プリキュア5GOGO」で歌唱シーンが描かれた春日野うららを連想させられ、ちょうど当日にプリキュアの放送がなかったこともあって、変に「プリキュア」を想起させられる内容になっていた。

 そんなAYAとアマビエに隠れてしまいがちだが、今話の鬼太郎は冒頭からくびれ鬼を追いかけ続けると言う、いつものニートぶりとはうって変わったアクティブさを発揮し、終盤の決戦シーンではちゃんちゃんこを縄状に縛り、その両側に下駄をくくりつけた、簡易ヌンチャクとも言うべき武器を作って応戦すると言う、面白い戦法を見せてくれた。
 やはり体内電気一辺倒ではなく、こういう感じでアクションにもいろんなバリエーションをつけて欲しいもんですね。

 よくよく考えると、アマビエが主役になった話って、登場編以来じゃないかねえ?
 ねずみ男と同様で、アマビエも最初の頃は動かしづらいキャラだったんだろうか。
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2008年06月09日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)61話「妖怪城のたんたん坊」感想

 そう言えば「鬼太郎マガジン」とか、冬に公開される劇場版のことについて、このブログではほとんど触れてないですね。
 もちろん鬼太郎マガジンは購入したし、劇場版も見に行くつもりですが、劇場版のほうはねえ…、全国各地域ごとにバリエーションが異なると言うのはどうも。しかも代わるのは本編に直接絡まない、ネコ娘の登場シーンだけらしいし。
 面白い試みだとは思うけど、どうなるものかねえ。
 あ、僕はさすがに全国は回らないんじゃないかな。うん、たぶん回らない。回らないと思うよ。いくらなんでも冬の忙しい時期に全国行脚なんかしていられないだろ。うん、恐らく行かないんじゃない?

 さて今週の鬼太郎は妖怪城の主ことたんたん坊先生が登場した。原作ではマガジン連載初期に登場し、ひげの生えていないねずみ男が登場したことでも知られる話である。
 原作ではたんたん坊の他に二口女とかまいたちが仲間として登場し、歴代アニメ作品でも必ずアニメ化されてきた作品なのだが、今期ではどのような内容になるのだろうか。

 ざっと見て思ったことは、予想以上に原作の要所要所を忠実に再現しているなと言うことか。冒頭のたんたん坊からの要求や、土地の子供を囮にしたり、その子供を直接さらいにやってきたのがねずみ男だったり、鬼太郎がたんたん坊の痰で一時動きを封じられてしまうも、地面に潜って窮地を脱したり、等々。
 二口女のやられっぷりまで、原作に近しいあっさりとしたものになっていたのには苦笑してしまったけども、前々回のようなド派手なアクションが見られるかと思っていただけに、予想以上に堅実な「原作マンガのアニメ化」は、少し予想外だった。
 ただその手堅い話作りも、最後の最後、妖怪城の真の姿が晒されると言う、今期独自の展開を印象付けるための布石だったと考えれば不思議ではないだろう。
 まあ僕個人としては、前述の「鬼太郎マガジン」でネタバレされてしまっていたこともあり、それほど驚かなかったのだけども、知らない人であったなら、相応の驚きを味わったのではないだろうか。

 今話ではその妖怪城の秘密を巡り、ぬらりひょん一味が一時的にたんたん坊の配下になるという珍しい場面も見られた。
 今期ではぬらりひょんの配下となっているかまいたちを、たんたん坊の配下として活躍させるための強引な設定と言えなくもないが、鬼太郎打倒のためなら手段を選ばない、今期ならではのぬらりひょんの悪辣さやしたたかさが良く出ていたと思う。
 たんたん坊がいかにも田舎者の親分めいた口調で暴れまわっているだけに、ぬらりひょんに利用されている感じがプンプン漂っていたのも好対照だった。
 獄炎乱舞を使用した際の後遺症?については今話限りの設定に終わりそうな気がするが、その後遺症が逆転の鍵になると言う伏線は丁寧に描出されており、このあたりにも前述の「堅実な話作り」の一端が窺える。

 あと今話で地味に良かったところは、目玉親父以外の鬼太郎側の味方を一反木綿とネコ娘の2人だけに絞ったところだろうか。
 4期版のような前後編構成なら、いつもの仲間たちが全員出てきても問題ないだろうが、今回の場合は敵側のキャラも通常の「妖怪城」編より多いから、味方側のキャラまで増えてしまったら、収集がつかなくなる危険性があった。
 そう考えると、今回の必要最小限のメンバー構成は、話をスムーズに展開させる意味でも非常に役立っていたと思う。
 いつもはおまけになりかねないネコ娘も、ネコならではの特性で鬼太郎たちの危機を救っていたしね。

 次回は「くびれ鬼」。原作ではピンで登場したことはなく、アニメ4期で登場した経験があるのみの妖怪だが、その凶悪ぶりは4期版の中でも屈指のものだったので、その恐怖性が今期ではどのように扱われるか楽しみである。
posted by 銀河満月 at 22:11| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲゲゲの鬼太郎(第5期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月07日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)60話「働け!!妖怪バリバリ」感想

 今回の鬼太郎は、ここに来て原作「鬼太郎」とは別の水木作品からネタを取ってきた。
 古参のファンならご存知の通り、2期でもアニメ化された「心配屋」である。
 今期はオリジナル話は非常に多いものの、鬼太郎以外の水木作品を元に話を作るということはほぼなかったので、これはある意味面白い試みと言えるだろう。
 5期は派手なバトルメインの話も、静かでダークな話もどちらも描ける世界観を持っているから、少なくとも3期よりは水木作品原作の話を作りやすいのではないだろうか。
 まあ3期でも、よりによって「週刊実話」に掲載されてた「奪衣婆」を元ネタにしてたけどさ。

 メインとなる親子のうち父親の方は、2期版では大会社の社長となっていたけども、今期では商店街にあるケーキ屋の主人となっていた。
 2期(と言うか原作)の方では、「裕福な男とそのドラ息子」との関係を縦糸とし、所謂「富裕層」と呼ばれる人間達を皮肉る話であったが、この5期が放送されている現代は、親が裕福であろうとなかろうと、無気力なままでやる気を見せず、毎日を怠惰に過ごしている人間が多くなってきている(もちろん心因性の病気が原因だとか、いろんな理由が複雑に絡んでいるんだろうけど)。そういった時代性を考慮しての改変だろう。
 この改変は「上記の親子の問題はどこでも起こりうる」という点から見て、非常に効果のあるものと言える。

 また今話で面白いのは、このケーキ屋の親子に対する鬼太郎親子の見方が微妙に異なっていることだ。
 目玉親父はケーキ屋の主人にいたく同情するという、今期ならではの人間味溢れる描写を見せているが、鬼太郎の方はどちらの考えに賛同するでもなく、極めて冷静に事態を見つめている。
 だからこそクライマックスでの目玉親父の啖呵が盛り上がったのだろうけども、あくまで親の視点からしか見ていなかった目玉親父と比較すると、どちらの生き方も否定しない立ち位置にいる鬼太郎の方が、幾分大人と言えるのかもしれない。

 今回もバリバリを売りさばくのはねずみ男だが、今話は珍しくねずみ男が特に鬼太郎やネコ娘にお咎めを受けることなく、バリバリを使っての商売を続行することを匂わせる形で終了している。
 中盤で描かれた「息子を一人前の職人にしたい」→「そのためには怪しい薬も使う」という考えに至るまでのケーキ屋の葛藤もそうだが、今回はねずみ男にすべての問題があるわけではない。
 バリバリを使おうと思い至った人間たちも悪いと言えば悪いのだ。その理由も突き詰めていけば、「自分の理想とする子供になって欲しい」という、第三者から見たら甚だ独善的と言わざるを得ない、身勝手なものなのだから。
 ケーキ屋親子は運良く鬼太郎が介入したおかげで事なきを得たが、中には劇中のサッカー選手や野球選手のようになってしまった人もいたし、これからねずみ男が商売を続ける限り、そして「理想に近づきたい」という人間の欲求がある限り、今後も破滅してしまう人が出てくるだろう。例え解毒剤があったとしても。
 このあたりの締め方は、原作で描かれていたアイロニカルな部分を、今期ならではの話としてうまく表現していたと思う。
 前話でのバトルオンリーの話の後に、こんな静的な話を用意できるあたりもすごいもんだよなあ。

 あと今話では例の「眼鏡出っ歯」が劇中出ずっぱりになっていたり、でかいシュークリームを頭から被って、鬼太郎の後ろでネコ娘がウロウロしてたり(鬼太郎は全く意に介さず、親父のことを心配している)と、絵的に面白い場面が多かったのも印象的だった。
 際立ったギャグ描写ではないんだけども、話の腰を折らない程度にギャグ要素が自己主張していたという感じか。

 次回は妖怪城。ついに「ゆたんぽ会社が思いついたコマーシャル」こと、たんたん坊先生が登場する。
 予告を見る限りかまいたちも登場するようなので、原作どおりの布陣が勢ぞろいしてくれるのは素直に嬉しい。
posted by 銀河満月 at 19:31| Comment(0) | TrackBack(1) | ゲゲゲの鬼太郎(第5期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゲゲゲの鬼太郎(5期)59話「グレムリン東京上陸!!」感想

 さて今回の敵はグレムリン…ではなく、グレムリンを配下としたバックベアードがついに登場。
 ベアードは登場時期こそ18話と随分早かったのだけど、その後は顔見せ程度に何回か登場するだけだったし、32・33話の西洋妖怪登場編でも戦わなかっただけに、今回の鬼太郎との対決はまさに「待ちに待った」バトルと言えるだろう。
 と、今回の敵役は明らかにベアードなのだけども、それでも冒頭、鬼太郎がグレムリンと飴玉(お菓子)の関係について説明したり、鬼太郎とベアードの決戦中にも蒼坊主がらみで存在感を発揮したりと、単なるおまけキャラに成り下がっていない部分は好感が持てた。
 その代わり、西洋妖怪のニューウェーブ3人組がおまけキャラになってしまっていたが(笑)。ザンビアも少々しゃべっただけだし、ドラキュラ三世やワイルドに至っては、セリフすらなかったからなあ。ちょっと勿体無い。

 今回は話の都合上?序盤から既に蒼坊主が戻ってきており、グレムリンとベアードとの連携攻撃に対し、鬼太郎側もバトル重視の布陣がきちんと敷かれていた。対西洋妖怪になると俄然活躍する子泣き爺は、今話ではそれほど活躍しなかったけども。
 ベアードとの決戦では、18話での回想をはさみつつ、弱点が「目」であることを看破した鬼太郎が、その目からの催眠光線を防ぐため、妖気アンテナを頼りにして弱点の位置を割り出すという頭脳的な戦法で、序盤は有利に立つ。
 しかし今期新たに付加されたベアードの特殊能力「体の硬さを自由に変えることが出来る」により、目への一撃も簡単に防がれてしまい、挙句には一反木綿と共にベアードの体内に飲み込まれてしまう。
 この辺のシーソーゲームっぷりは、バトルものとしては常套手段ではあるものの、やはり見ていて素直に盛り上がることが出来るわかりやすい筋運びになっていた。
 3期ではベアードの体内は宇宙と思しき不思議な空間に繋がっていたけども、今期では体内は毒素で満ちており、鬼太郎も追い込まれてしまう。
 この今期独自の設定が、鬼太郎の「相手の体内にもぐりこむ」戦法を封じており、同時に獄炎乱舞も使用不能となってしまう、その追い込みかた、新技披露までの話の進め方はやはりうまい。

 ベアードの真の目的は日本支配でもなく日本妖怪の全滅でもなく、地獄に乗り込んで地獄を制圧することだった。そのためにグレムリンにテレビ局を占拠させ、地獄へ移動できる装置を作ったわけだけども、鬼太郎親子は結構簡単に地獄に行ったり来たりしてたよなあ…(笑)。
 蒼坊主が「第三の眼」の力を使って一矢報いる展開も、キャラ設定をきちんと生かしていて良かったね。他のメンバーが物の見事に目立っていなかったのは寂しかったけども、普段滅多に登場しない蒼坊主を優先したって事で。
 そして五官王からの命令の元、鬼太郎は第二の地獄奥義「武頼針」を発動させる。針山地獄をモチーフにしたこの技は、髪の毛だけでなく手や下駄からも鋭い針が何本も突き出し、体を硬質化させたベアードを刺し貫くほどの威力を発揮。体内から脱出した鬼太郎はさらに獄炎乱舞も使って、ついにベアードを敗退させる。
 …とまあ、このあたりが今話で一番の燃えどころだったのだけども、獄炎乱舞習得の話と比較すると、ちょっと燃えが足りなかったかなあ。
 何でかと考えてみると、やはり武頼針習得があっけなかったということに尽きるのではなかろうか。やはり五官王から使用許可が下りただけですぐに使えるようになるというのでは、ちょっとカタルシスが足りないんじゃないかなあ。
 しかもその連絡手段がなぜか黒電話だったりして、中途半端にギャグ要素を入れているところも納得いかない。
 まあ妖怪を嫌っていた五官王の変わりぶり(ツンデレぶり?)を見るには良いシーンだったけども。
 ただ実際の決戦シーンは声優陣の熱演もあって、実際に動いている場面を見ると非常に盛り上がるのだけどね。
 ベアードは何らかの理由により、通常は異空間にとどまらなければならず、通常空間では長時間の活動が出来ないようだけど、この枷が外れた時が、本当の「妖怪大戦争」勃発ということになるのだろうか。

 なお、今話は上記の通り、味方妖怪は蒼坊主以外目立った活躍をしていなかったのだけども、2年目に入っていい具合に個性を発揮しだしたねずみ男が、冒頭のテレビ番組で存在感を出していたね。
 「グレムリンはお菓子好き」ということを知っていたという、怪奇愛好家(妖怪研究家)らしい一面を見せてもいたし。
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2008年06月03日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)58話「ペット妖怪!白うねり」感想

 ブログ自体が随分久々の更新となってしまった。体調が悪かったってのもあるんだけど、一番の理由は遊んでいたからなんだよね(笑)。
 何で遊んでいたかは秘密。

 さて5期鬼太郎である。2年目に入ってからはどうもいまいち突き抜けない、テンションの上がりきらないような不完全燃焼めいた話が続く5期鬼太郎だが、今回の話も非常に煮え切らない話になってしまっていた。
 今回登場の白うねりは4期版と同様に、小さい時は愛くるしいペット的な存在として描かれており、途中で飼い主がわずらわしくなり、捨ててしまうと言う展開もまた、4期版と同様のものとなっている(4期での飼い主?はねずみ男)。
 その後の流れも基本的には4期と5期とで大差なく、その辺も4期版を見慣れてしまっていたファンにはかえって新味が感じられず、盛り上がりに欠ける展開になってしまっていた点は否めない。逆を言えば4期を知らない現役視聴者ならば、十分に楽しめた作品だろうとも思える。

 だが個人的にはどうしても傘化けの扱いが気に入らない。
 自分の過去を振り返って、妖怪(殊に付喪神系統の器物妖怪)と人間がうまくいくはずがないと思い込み、それでも気になって白うねりの様子を見てしまう、という流れは問題ないのだけど、その後白うねりが巨大化するよう子供達を陰から扇動したにもかかわらず、事が大きくなるや自分でどうにかすることもせずに鬼太郎を呼び、挙句に自分の行為について全く反省することもないというのは、かなり問題があるのではないだろうか。
 上記の理由があるとは言え、今回の騒ぎを引き起こした直接の元凶であるにもかかわらず、全く反省していないと言う態度は、メインターゲットを子供に据えているアニメのキャラクターとしてはいかがなものか。
 もちろん「鬼太郎」という作品は教訓めいた作品ではないのだけども、悪いことをしたのだから「悪いことをした」と、作品中だけでもきちんとある程度罰を与えていた方がいいんじゃないだろうか。
 これがねずみ男だったらここまで違和感を感じることはなかったかもしれないが、これはやはり個性の差だろうな。傘化けは登場回数こそ多かったものの、あまり際立った個性の描写が成されていなかっただけに、今話でいきなりこんな斜に構えた態度を見せられても困る。
 後は…、担当声優の声質の問題もあるかもなあ。これが1年目の時の担当だった小西克幸氏の声だったら、「嫌な奴」と言うイメージをあまり抱かずに済んだかもしれない。あくまでも個人的な印象だけど。

 と、今話に限ってはこの傘化けの描写のために、個人的にはあまり楽しめなかった一編となってしまった。
 この辺も脚本ではなく演出の問題なんだろうなあ。
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2008年05月16日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)57話「伝説の大妖怪 鵺!!」感想

 鵺と聞いたら迷わず「悪霊島」を思い出してしまう、そんな銀河満月です。
 ま、なんだかんだ言っても一番好きなのは「獄門島」だけどね。

 そんなことはどうでもよく、今回の鬼太郎の話。
 今回の話は完全にオリジナルであり、登場妖怪である鵺もまた原作では未登場…だったはず。
 鵺の伝承自体は非常に有名なものであり、妖怪にそれほど詳しくない人でも比較的知っている人が多いのではないかと思われるが、今話ではそんな前知識を逆手に取るような展開が成された。

 鬼太郎と目玉おやじがタイムスリップしてしまうと言う展開は、強引に過ぎる気がしないでもないが、滅多に見ることの出来ない場所を舞台として物語が動くと言うのは、絵的に面白いものではある。
 惜しむらくは過去の時代での場面のほとんどが夜間だったため、背景美術を楽しむことが出来なかったことだろうか。そういう点を考えると、「タイムスリップ」というネタ自体、1話のみで消費してしまうには勿体無いガジェットだったかもしれないね。前後編で見せても良かったのかも。
 タイムスリップした時代では、一部の人間だけであるものの、付喪神である妖怪たちとうまく交流していると言うシーンが描かれており、この辺はなかなか面白いオリジナル要素だと思う。ここら辺ももっと突っ込んで見せてくれれば良かったかなあ。おいしそうな要素をさらっと使ってしまうのは、良いことなのか悪いことなのか。

 で、今回登場の鵺だけども、今話でも5期鬼太郎お得意のミスリードが施されており、実際に事件を起こしていたのは鵺ではなく、その鵺をも封印してしまった別の妖怪・化灯篭だった。
 人間(陰陽師)に化けて他の陰陽師を操って攻撃してくるあたりの描写は、原作「鬼道衆」にインスパイアされてのものだろうか。
 ただ上にも書いたが、その辺の様々な要素がかなり詰め込まれてしまったために、結局そのどれもが中途半端にしか描かれていないのは、大きなマイナス要因と言えるだろう。
 終盤でやっと登場する鵺の描写も、時間的には少々足りない感が否めないが、こちらについては担当声優が大ベテランの野田圭一氏だけあって、短い時間でも圧倒的な存在感を発揮している。
 そう言えば野田氏も鬼太郎にはゲスト声優としてほぼ毎回、何かしらの役で出演しており、全く出演していないのは4期のみである。
 オールドファンなら2期「地相眼」での、魑魅魍魎の世界からやってきた大ミミズ役として認知していることだろう。

 ラスト、少しだけ歴史が変わってしまったというクロージングには賛否両論ありそうな気がするが、僕としてはこれは良い締め方ではないかと思っている。
 個人の好みとしては、歴史が変わることなく真実を知っているのは鬼太郎と親父のみ、という寂しいクロージングのほうがいいというのはあるのだけど、逆に「歴史が変わったことを知っているのは鬼太郎と親父のみ」という流れも、また逆の意味で一抹の寂しさ漂うクロージングになっていると思う。

 次回は白うねりが登場。サブタイトルからして4期版に近い話になりそうな感じだが、どんな内容になるのだろうか。
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ゲゲゲの鬼太郎(5期)56話「禁じられた岬!磯女」感想

 だいぶ調子は戻ってきつつある感じ。もう少し、もう少しだ。

 で、今回の鬼太郎は磯女。歴代作品でも漏れなくアニメ化されており、原作もマガジン連載版としては比較的中期の話であるにもかかわらず、人間と一定の距離を保ったままで事件を解決するという鬼太郎独特のスタンスを貫いた佳作である。

 今回の話は磯女とその子供の親子愛がメインとして描かれており、その辺の話作りは3期版のそれを髣髴とさせる。
 なのだが、いかんせん今回は見た目に面白くなかった。話としては基本部分を踏まえた定石どおりの流れになっており、矛盾や明らかに変な部分などは特に見当たらないのだが、絵的に派手な部分や注目すべき箇所がないため、何とも地味な印象を受けてしまうのだ。
 全体的にテンポが悪かったように思える。盛り上がるべき部分でも特に盛り上がることなく不完全燃焼のままで終わってしまうから、全編に渡って演出的に平坦な印象を拭えない。これは脚本と言うよりは演出・コンテの問題だろうな。
 赤ん坊に飲み込まれた鬼太郎が空気ポンプの術を使い、赤ん坊の命を盾に降伏を迫るという、全くもってヒーローらしからぬ(そして鬼太郎らしい)戦法を取ってくれたことは嬉しかったけども。

 そう言えば今話の磯女も、原作での重要なファクターだった「本体は赤ん坊」という設定は描かれなかった。歴代アニメ作品でもその設定が生かされたのは4期だけなんだよね。
 どうでもいいが4期版と言えば、きのこ狩りに行こうとしていた鬼太郎&ネコ娘と、そこに事件の報を知らせに来たねずみ男とのやり取りが面白かったっけなあ。
 今期版ではねずみ男とかわうそのコンビが再登場し、ネコ娘とは違った意味で作品に華を添えていたね。
 上記の点も含め、原作の話そのものからは離れた内容になっていたものの、ラストでは「昔からの言い伝えは大事にしなければならない」という、原作にも見られたテーゼが描かれていたから良かった。

 しかし最近はねずみ男が地味に目立つようになってきたね。なんだかんだ言っても原作ファンとしては嬉しい限りである。
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2008年05月11日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)55話「百目の呪い」感想

 ゴールデンウィークの最中もほとんど家で休めず歩き回っていたせいか、本格的に体調を崩してしまい、ようやく今日になって調子が戻ってきた。
 久々に寝込むほど体調が悪くなってしまったが、まだ完全回復とまでは行かないので、のんびり養生することにしよう。

 で、だいぶ間が空いてしまったのだが、鬼太郎の話。
 今回登場したのは原作「悪魔くん」ではお馴染みの百目だったが、今期では3話の夜叉と同様、以前に鬼太郎と戦い敗れていたと言う因縁が描かれており、そのために「冒頭から鬼太郎が既に百目に呪われている」という、かなり強引な展開にもある程度の説得力が付与されていた。
 封印されていた百目を蘇らせたのは例によってねずみ男だったが、今回はねずみ男の悪辣な部分とか百目の脅威などではなく、新登場のキャラクターであるバケローと、ゲストキャラの隆との交流がメインだったため、前者の部分についてはかなりマイルドな描かれ方になっている。

 そのバケローは何とも玩具然としたデザインになっており、ぱっと見た限りでは鬼太郎世界に馴染まないのではないかとも思えるのだが、少なくともアニメにおいては、演じる田中秀幸氏の飄々とした演技もあって、なかなか面白いキャラに仕上がったと思う。
 そう言えば今話の脚本を担当した三条陸氏が原作を手がけた作品の中には、よくこういう「人間の持つ心の深い部分に興味を持ち、次第にそこに惹かれていく」キャラクターが登場するね。
 鬼太郎は大河ドラマ形式の作品ではないから、そこに至るまでの流れを劇的に描出することが出来ないのが難点ではあるけども。
 「携帯電話」というデザインそのものには違和感を感じてしまうものの、キーとなるデザイン部分が「目玉」になっているあたりは面白いかもしれない。
 ただ今話でのゲストキャラである隆とのやり取りが面白かっただけに、このコンビが1回限りで終わってしまうのは少し残念と言えば残念だ。「人間と妖怪のコンビ」は他作品ではよく見られる構図だけども、鬼太郎では原作・歴代アニメ作を含めてあまり見られないので、一風変わった路線として生かしていったら、より話を広げられるのかもしれない。
 正直な話、鬼太郎が携帯電話型のアイテムを使っている姿はちょっと合わない気もするし。

 敵妖怪である百目は蘇ったもののまだ不完全だったと言うことで、鬼太郎との再戦においても圧倒的な強さを見せ付ける、と言うようなことはなかったが、今回は逆に鬼太郎の方が最初からダメージを受けている形だったため、結果的にはハンディキャップマッチ的な戦闘となった。
 その反面、隆が戦闘に介入する流れは実にわかりやすく描かれており、さらにその中で隆が抱いていた過去のトラウマをうまく払拭させる展開にもって行くあたりの流れ(伏線処理)は、いつもながらに見事な手並み。
 実際に行ってはいないものの、さらってきた子供達の目玉をくりぬこうとする描写も、それに対するねずみ男のリアクションとも相俟って、結構怖い描写になっていたのではないだろうか。

 ラストでバケローは復活し、晴れて鬼太郎ファミリーの一員になったわけだけども、登場はともかく活躍させる場面を用意するのは結構大変な気もするな。そこらへんはスタッフの手腕に期待というところか。


 なんかいまいち勘が戻らないな…。
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2008年04月22日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)54話「吸血鬼エリート」感想

 今回の鬼太郎は「吸血鬼エリート」。少年マガジン版の原作では単独の敵にもかかわらず鬼太郎を苦しめ、結局鬼太郎個人の力では倒すことのできなかった強敵である(ついでに言えば、単体の敵が相手となった話としては最長の話でもある)。
 マガジン版の元ネタとなった「霧の中のジョニー」については、ちょうど一ヶ月ほど前に「墓場鬼太郎」でアニメ化されていただけに、「墓場」とどのように差別化するのか、放送前から非常に楽しみな一編だった。
 さて実際の放送ではどうだったのか…?

 長編を30分の話にまとめただけあって、やはりいろんな所でカットされているところが多かった。特に原作冒頭における大臣と鬼太郎のやり取りや、鬼太郎とねずみ男、ねずみ男とエリートの出会い等がばっさりカットされていたのは、かなり思い切った改変と言える。
 「墓場」の方ではこれらのカット部分もきちんと描かれていただけに、納得できなかった人もいるかもしれないが、こちらは「第5期ゲゲゲ」であり、やはり劇中で鬼太郎とエリート(ジョニー)の直接対決を描かないわけには行かなかったのだろう。
 個人的には貸本版「霧の中のジョニー」はともかく、原作版「吸血鬼エリート」の方は途中が少し冗長に感じられる部分もあるので、1期のように前後編にするほどの作品でもないと思っていたから、4期と同じく色々と改変して1話にまとめるやり方が、アニメ化という意味では一番妥当な方法論だと思う。

 今回のエリートは正式に「霧の中のジョニー」として登場しており、エリートと言う名前は文字通り「吸血鬼のエリート」ということで、通り名のような扱いになっていた(ちなみに原作でも「霧の中のジョニー」という名前はちゃんと登場している)。
 故に今まで以上に「エリート」と呼ばれる存在に固執し、彼らの血液を収集すると言う彼独自の美学が強調して描かれると言う、意外な派生効果を生んでもいる。
 鬼太郎がギターの音色によって操られたり、鬼太郎の命を惜しんだねずみ男による説得、「コロリポン」による鬼太郎の溶解などは原作にほぼ忠実に描かれており、特に嬉々としてエリートに従っていたねずみ男が、鬼太郎が殺されると知るや次第に鬼太郎側のスタンスへと移動してくる過程は、なかなかうまく描かれていた。
 クライマックスの決戦も、鬼太郎の攻撃は一切通じない強敵として描かれながらも、自分が携帯していたコロリポンの効果によって自分自身が溶けて炎の中に落ちると言う、皮肉な結末が用意されており、これもまた唸らされるものがある。

 今回のエリートを演じたのは石田太郎氏。アニメファンならカリオストロ伯爵、近年では二代目刑事コロンボの吹替えとして有名な氏だが、大ベテラン故の風格をもってエリートを演じていたものの、ちょっと今回のキャラデザとは声が不釣合いだったかな。
 ただ今回のエリートのキャラデザは不気味さを強調してはおらず、あくまで吸血鬼のエリートであると言うプライドの高い部分を強調しているようだったので(このあたりも「墓場」との差別化だろう)、そう考えるとやたら偉そうに聴こえる石田氏の声は合っていたということか。
 他にも吸血鬼ピーとモンロー夫婦が顔見せ程度の再登場を果たしたり、恐山の妖怪大病院にいる医者としてオソレという新キャラが登場したりしており、原作からはおよそ想像もつかないほどにぎやかな内容になっている。
 ただ個人的にはオソレのシーンは省略しても良かったんじゃないかなとは思う。その分原作再現に使えばよかったんじゃないかと思うのだが、たぶんそれは原作ファンだからこその願望であって、あそこでオソレとかわうそのやり取りを盛り込むことこそが、第5期ゲゲゲ的には正しい描写なのだろう。

 後1つ、物語とは直接関係ないけども、ついにOPにおいて主題歌の二番が使用された。
 1期から数えてちょうど40年、史上初めて二番の歌詞がOPに使用されたのだと考えると、非常に感慨深いものがある。
 しかしこの二番、「お化けにゃ会社も仕事も何にもない」という歌詞は、高度経済成長期、所謂「モーレツ」社会を皮肉ってもいる歌詞だったのだが、今や「会社も仕事も何にもない」人々が増殖している時代となってしまった。
 この二番を聴くたび、アニメ版ゲゲゲの鬼太郎が歩んできた40年と言う時の重さを実感させられるのである。
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2008年04月21日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)53話「白山坊 ビバ!お化け屋敷」感想

 今話の鬼太郎は実に11話以来となる白山坊が再登場。当然担当声優は以前と同じく大塚周夫氏だ。
 ついこの間まで「墓場鬼太郎」でねずみ男を演じていたわけだけども、その演じ分けぶりはさすがの一言ですな。
 今話でのねずみ男との掛け合いもなかなか乗っていていい感じ。

 今話は前話での怪奇調の空気を一掃したコメディ話になっており、この辺の前までの空気に全く囚われない、自由な話作りは5期の特徴の1つだね。それがいいか悪いかは別として(笑)。
 ただ絵的には面白かったものの、それと化けぞうりの復讐譚とを混ぜ合わせたのは、少し強引だったのではないかと思う。「人間に復讐したい」という化けぞうりの憎しみが先行していたために、クライマックスでの「これからは履物を大事にしよう」という教訓的な流れが、ちょっと唐突に見えてしまった。
 22話に続いて下駄の鼻緒が切れたり、操られた下駄に翻弄されたりする鬼太郎の姿は面白かったけども(特に後者はウルトラブレスレットに翻弄されまくった新マンみたいだ)。

 まあ最大の問題点は、その化けぞうりの復讐譚自体が、今話では添え物的扱いだったって事なんだけどね(笑)。
 やはり今話は舞台ではしゃぎまくる妖怪横丁の面々を見て、素直に楽しむのが一番だろう。
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ゲゲゲの鬼太郎(5期)52話「恐怖!夜道怪」感想

 だいぶ遅れてしまったが、2年目に突入した鬼太郎の各話感想を簡単に書いていこうと思う。
 本当はこの52話については色々書こうかと思っていたのだけど、既にいろんなブログとかサイトで感想が書かれているわけだし、今更ここで色々書くこともないか、と思ったわけである。

 話の基本的な構成は第1話とほぼ同じになっており、この辺からも2年目を向かえ、新たな「第1話」を作りあげるというスタッフ側の気合を感じ取ることができる。
 今回は登場妖怪である夜道怪が闇を好むという設定だったため、話のほとんどが闇の中で進むわけだが、その闇の描写も充実したものになっており、単純な黒一色ではなく微妙に色合いを調整することで闇の「深さ」を表現していたのは秀逸だった。
 ほとんどのシーンが雨中だったのも、陰鬱な雰囲気を出すのに一役買っている。
 舞台となる場所が平坦ではなく立体的な構図になっており、その上の方に少年の通う塾があったこともあり、その下層部(階段の一番下)で座り込む少年の頭上に重くのしかかる塾=現実、という絵的な見せ方にもこだわっていたと思う。

 夜道怪の描写も今期でよく見受けられる、「妖怪と人間の価値観の相違」を如実に体現したキャラとして描かれ、単なる悪役妖怪の記号に収まらない存在感を発揮していた。
 夜道怪にしてみれば宿を貸してもらった恩を、自分なりのやり方で返しているだけであり、非難される言われはないわけである。ただやり方が強引であったのと、「小さな親切大きなお世話」になってしまっていたことに問題があったわけだが。
 演じる中田譲治氏の怪演もあって、少女の声と顔が段々と変貌していく様は、今期屈指の恐怖シーンになったのではないかと思っている。

 人間パートがヘビーだったからか、妖怪パートの方は実にコメディチックに描かれており、ねずみ男とネコ娘の軽快且つ下品(笑)なやりとり、そしてそれを軽く受け流す鬼太郎と目玉親父とが、短い時間の中でテンポ良く描かれていた。
 しかもそのシーンで描かれた「屁」こそが、クライマックスへの伏線だったとは、あまりにも予想外。夜道怪を屁で退治してしまうのは、それまでの盛り上がりを少し壊してしまったかという感じもしたが、2年目の第1話として、1年目はあまり良い扱いを受けていなかったねずみ男を戦闘シーンに参加させるための措置と解釈すれば、まあ妥当なやり方だろう。
 指鉄砲も一撃必中的な使い方をされており、毛針との差別化がうまく成されていた。
 そう言えば今話は髪の毛針のシーンがやけに豪快だったな。

 最後は明るい朝のシーンで幕。まさか最後の最後も屁で締めくくられるとは思わなかったが、ここで鬼太郎&ネコ娘だけでなく夜道怪もきちんと走って逃げているあたりが、何気に芸コマで楽しい。
 怪奇性と妖怪の持つユーモラスな個性、第5期を象徴する2つの要素を漏れることなく散りばめて出来上がった今話は、まさしく2年目の第1回を象徴するにふさわしい作品に仕上がっていたと言えるだろう。

 あと忘れてはいけないのが、新OPと新ED。
 新OPはオリジナルイントロのアレンジバージョンから始まるという、前の曲よりもある意味正当なアレンジに仕上がっていた。
 曲もロックアレンジできちんとまとまっており、OPアニメも1年目に比べると非常に豪勢になっており、見ているだけで楽しい。一度見た程度では、登場している妖怪すべてを把握することはできないだろう。
 やけにバックベアードが強調されていたけども、2年目は今まで以上にベアードが出るようになるのだろうか。その一方で天狐やチー様が存在感を見せており、いずれ始まるであろう中国妖怪との決戦も楽しみでしょうがない。
 まさか今年のオリンピック開催地に配慮するなんてアホな真似はしないだろう(笑)。

 EDはアニメは日常にまぎれる妖怪を静的に描出しており、歴代EDアニメで一番動きのないアニメと言えるかもしれない。
 曲は鬼太郎始まって以来のタイアップ曲だったが、はっきり言って僕の印象にはあまり残らなかった。毎週聞いていれば変わるのだろうか。

 ともあれ2年目もこれで無事にスタートを切った。次回以降の話がこれからも楽しみである。
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2008年04月13日

第5期ゲゲゲの鬼太郎の1年を振り返る (5)総評みたいなもの

 ある作品のリメイクを実施すると言うことは、考える以上に難しいことである。0から1を生み出すことがオリジナルの作品作り、生み出した1を2や3に発展させていくのがオリジナル作品の続編や後継作りとすると、リメイクはさしずめ1となっている作品を、0より大きく且つ1未満にまで減少させ、その上でオリジナルの1と異なる「似て非なる1」と言うべき完成形に持っていく作業だと言えるだろう。
 ここで問題なのは、0から1となる上で生み出されたもののうち、具体的にどれをどの程度切り捨てて、1からどのくらい減少させればベストなのかと言うことだ。下手に切り捨てすぎるとリメイクではない、完全な別物となってしまいかねないし、逆にほとんど切り捨てないでおくと、今度は以前の作品と大した違いがない、二番煎じ的な作品に堕してしまう。
 さらには減らした分を追加する際に、何を追加して再び「1」の状態にまで持ってくるかも重要になる。以前と同じものを加算したり減算したりしてもまた、よほどうまく作らない限りは二番煎じになってしまうからだ。
 また面倒なことに、この加減算には完全解と言うものが存在しない。その時々に生み出された「1」の中に含まれている内容によって、何をどう減らし何をどう加えれば、より良い「似て非なる1」が生まれるかが変わってくるのだ。
 最初に生み出された「1」というオリジナル作品をあれこれいじることで、「似て非なる1」を生み出す作業、それがリメイクであり、当然複数回リメイクすれば、その回数分だけ「似て非なる1」は別個の存在として生まれてくる。さらに一度使用した加減式は基本的には使えないと言う制約も付随してくるため、回数が増えれば増えるほど、加減計算の方法の幅も狭まってしまう。
 つまりオリジナルの「1」を用いて、「2」でも「3」でも、ましてや「1.5」でもない、「似て非なる1」を何度も作り出すことは、非常に難しいことなのだ。
 しかしその難しいことを累計4回、やってのけた作品がある。それが「ゲゲゲの鬼太郎」だ。

 「ゲゲゲの鬼太郎」は、厳密に言えば水木しげる先生の書いたマンガのアニメ化であるが、「アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』」の範疇で考えれば、1968年の第1期アニメが一番最初、つまり「1」となる。
 その後1971年には、1期の世界観を受け継いだ第2期が放送される。世界観を受け継いだとは言え、その作風の変化やアニメ化対象となった原典(原作)に明確な差異が生じるなど、単純な続編の枠には収まっていないため、2期は最初の「似て非なる1」と言える。
 2期で盛り込まれたのは年季の入ったファンならご承知の通り、風刺色や怪奇色の強まった作風、初のカラー化による原色を生かした美術、劇画調の絵柄、「鬼太郎」以外の水木作品に材をとったバラエティ豊かな作品群、猫娘のレギュラー化などであり、その反面として単純な「正義の味方」としての、または1期で培われたアニメ独自の鬼太郎の個性や爽快な活躍ぶり、またモノクロ独特のムードなどは失われることとなった。
 だが2期制作に当たって「失われた」ものは微々たる物であり、作品世界の根幹を揺るがすほどには至っていない。これは前述の通り、2期が1期の世界観を継承する形で制作されたからに他ならない。

 次に生み出された「似て非なる1」は、1985年の第3期である。
 3期は2期とは違い、前作と世界観を共有するタイプの作品ではない。2期が含有していたものを積極的に継承する必要がなかったからか、3期では世界観構築に大胆な修正が施されることとなる。
 人間側のレギュラー加入、敵側に配置された「宿敵」の存在、鬼太郎や仲間妖怪の陽性化、必ずしも敵妖怪を退治せず、和解して終わる作劇の増加、派手なアクションなど、全体的に作品全体が陽性の空気を持つようになり、原作が本来持っていた怪奇性などが強調されることはほとんどなくなり、2期で打ち出された社会性を前面に出す趣向も抑えられるようになった。
 特に3期を語る上で「アクション」の要素は決して外せない。2期の頃よりも格段に向上した作画技術による影響もあろうが、3期はほぼ全話に渡って戦闘シーンが描かれ(逆を言えば戦闘シーンのない話がほとんどない)、そのダイナミックな演出が現代的なBGMと相俟って、多くの新規ファンを開拓し、そのファンの心を掴んだのである。
 既に1期と2期が存在していたことにより、アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」に対する作品観がある程度固まっていた時期に、これほど意欲的な新機軸を盛り込んだのだから、当時の時点でもかなりの冒険だったと言えるだろう。そしてその新機軸は功を奏し、視聴率の面からも、二次的展開の面からも過去作を遥かに上回るヒット作品になったことは、今更言うまでもない。

 1996年制作の「似て非なる1」である第4期は、かつての3期と同様に、3期で打ち出したものを敢えて継承せず、「原点回帰」を命題とした作品作りが行われることとなった。
 3期の最大の特徴であったわかりやすい話作りとド派手な見せ場は簡略化され、キャラクターから背景美術に至るまで、ほぼすべてのデザインが原作を重視した、幽玄としたものに仕上げられ、原作のイメージを極力忠実に映像化しようとする意図が窺える。
 その一方で、ストーリー自体は歴代作と比較しても改変の度合いが激しく、敵妖怪の姿形と特徴だけを拝借した、全くのオリジナルストーリーが作られることも多くなり、アニメオリジナルエピソードの比率が高くなってきたのも、この4期からである。
 3期から「妖怪オカリナ」と「人間・敵妖怪のサブレギュラー」という要素こそ引き継いだものの、アクション面では上記の通り落ち着きを見せ(中には鬼太郎がほとんど戦わない話もある)、鬼太郎やねずみ男の個性も歴代作とはまた異なるものになるなど、3期とは違った意味で変化の著しい作品となった。またこれはスタッフが当初意図したものではないが、途中からCG彩色になったことも、今の視点で見ると4期独自の個性の1つとして数えられるだろう。
 しかし最終的には劇場版も3度公開され、放映期間も2年と1クール、視聴率的にも3期には及ばないものの安定した値を確保し続け、「ゲゲゲの鬼太郎」という作品の強さを見せ付けることとなった。

 上記に書いたとおり、最初に生み出された「1」である第1期、そしてそこから派生して生まれたそれぞれの「似て非なる1」である第2期・第3期・第4期、すべての時期において、「ゲゲゲの鬼太郎」と言う作品は常に視聴者の心を捉え、安定した人気を獲得してきたのである。
 これは当時のスタッフがその都度行ってきた、「似て非なる1」を生み出すための加減算による解が的確だったと言うことの、何よりの証であろう。

 そして2007年、4つ目の「似て非なる1」が世に送り出されることとなった。
 それがここで扱う「第5期・ゲゲゲの鬼太郎」である。

 放映開始前のスタッフ談話などによると、第5期で目指されたものは要約すれば「鬼太郎を含む『妖怪』の持つ不思議な魅力を追求する」ことであり、これが事実上の第5期鬼太郎におけるテーマと言ってもいい。
 主人公である鬼太郎は悪い妖怪を退治して人間を救うだけでなく、悪い人間がいればその人間に対しても制裁を加えることがあると言う、独自の正義観を持っている。
 仲間の妖怪たちも従来どおりの怖さがある一方で、時には滑稽であったり情に厚くなったりもする、独特の面白みを包含している。
 総じて言えば第5期と言う作品は、妖怪と言う人間とは異なる存在が持つ、異なる価値観が生み出す奇妙な世界や雰囲気を重視していると言うことになるだろう。
 つまり第5期は「妖怪」というキャラクター重視の作風になることが、企画の時点から決まっていたのだ。
 これは歴代作にはなかった視点である。鬼太郎はじめほとんどの妖怪キャラは、基本的には原作の個性をそのままトレースした形で個性が形成されており、原作未登場や登場回数の少ない妖怪を除けば、そのキャラシフトは歴代4作とも、ほぼ完全に原作とマッチしている。
 それを敢えて変えていこうと言うのだから、ある意味第3期以上の大冒険と言えるかもしれない。
 キャラ重視の特性を生かすのならば、オリジナルストーリーの比重が増える理由もわかる。しかしそのために原作のストーリーがそのまま描かれることはほぼなくなり、同時に第4期で打ち出された、原作が持っている雰囲気の再現は、あまり行われることはなかった。
 つまり第5期は、完成形であるオリジナルの「1」から「原作の持つキャラ造形と雰囲気」をある程度のみ減算し、「キャラの個性をブラスアップし、それに付随する形で生じた独自の雰囲気」を加算して出来上がった解=似て非なる1と言うことが出来る(原作の雰囲気をすべて除去したわけではないというところがミソだろう)。

 漫画原作のアニメから原作的素養を差っ引いたりしたら、それこそ大失敗してしまいそうなものなのだが、結果として第5期鬼太郎はそうはならなかった。
 二次的展開こそ第3期や第4期と比べると厳しいようだが(詳細は不明)、少なくとも視聴率面においては平均8パーセント台をキープし、週に放送されている数多くのアニメの中でも、必ず視聴率ベスト10の上位に食い込むと言う優秀さを発揮している。
 今の時代、視聴率のみで単純に作品の優劣や視聴者への浸透度が計れるものではないということは、多くの人が認知しているところであるが、視聴率もまた第5期鬼太郎の生み出した「結果」であることは間違いない。そしてその結果は、第5期鬼太郎が作品として優秀であることを雄弁に物語っている。
 (まあもっと深く考えだしたら、何を持って作品を「優秀」と判断するのか、その辺も突っ込んでいかないといけなくなるのだけど。)

 第5期では妖怪が持つキャラクターの魅力を見せるために、3つの要素が用意された。「エンターテイメント性」「怪奇性」「キャラの個性そのもの」である。
 第5期スタッフの優れていたところは、この3つの要素を3人の脚本家にそれぞれ専任扱いで担当させたところにある。以前にも書いた、エンターテイメント路線担当の三条陸氏、怪奇路線担当の長谷川圭一氏、そしてキャラそのものを直接見せる話を担当した吉田玲子氏のお三方がそれだ。
 「妖怪独特の個性を見せる」という共通のテーマを、三種それぞれ別個の視点から描くことで、作品世界の見せ方に対する幅が広がり、結果として歴代でも類を見ない、様々な種類の話が描かれることになった。所謂「カオスな雰囲気」というやつか。
 この極めて自由度の高い世界観が構築されたことにより、キャラクターの個性は多面的に捉えることができるようになり、それによってキャラクター自体の奥行きが広がることになった。故にある程度は奇抜な設定や筋立てが盛り込まれても、それを許容できる空気が生じてきている(具体的には45話「ネコ娘騒然!?妖怪メイド喫茶」など)。
 これはある意味、原典である原作漫画版の世界観再現とも言えなくもない。一方では日本で悪妖怪を退治しつつ、他方ではベトナム戦争に参戦したりもする、それでいて根幹の部分は崩れていない。それが原作の鬼太郎なわけだから。

 ただもちろんこのやり方に問題がないわけではない。Aという話とBと言う話とで、あまりにもキャラの個性に乖離が生じてしまっていたら、それはキャラの多面性としてではなく、キャラ設定の崩壊と取られてしまいかねないからだ。
 また、話を構成する要素を明確に分割したことにより、作品が脚本家ごとに画一的になりかねないと言う危険性も孕んでいる。三条氏も長谷川氏も本当に上記要素の専任と言うわけではないので、従来とは毛色の違った話もいくつか書いてはいるが、それでも各要素ごとに独立したものになっていると言う点は否めない。
 何が言いたいかと言うと、要素ごとに分散させるのではなく、複数の要素を盛り込んだ話があればいいと思うのだ。
 個人的には34話「妖怪横丁の地獄流し」が一番その形に近い話だと思う。この話の中では鬼太郎だけでなく横丁に住む面々の「怖さ」と「人間臭さ」が、比較的両立して描けた話だと思うのだ。ただ横丁の面々の出番は思ったよりも少なく、結果として鬼太郎がメインになってしまった関係上、要素の複合がしっかり行われたとは言い切れない内容になってしまったのが残念なところなのだけど。
 ただ1年目の作品ではないのだが、2年目の第1回となる52話「恐怖!夜道怪」での脚本・演出を見る限り、要素の複合についての完成形が見えてきつつある感じなので、これからに期待したいところだ。

 上で今期はキャラクター重視の作風だと書いたが、キャラを重視する場合、登場するキャラ自体は少数に限定した方が作り手としては作品を作りやすい。単純にキャラ数が多いとゴチャゴチャしてしまい、キャラごとの個性を明確に描くのが難しくなってしまうからだ。
 だが第5期鬼太郎の場合は、やはり放送期間の長さが功を奏しており、1年と言う期間の間に、横丁の住人である妖怪たちの個性を、基本的には過不足なく描くことに成功していると言えよう。
 このあたりの見せ方は、1クール放送が基本の深夜アニメに慣れてしまうと、少し異質なものに見えてしまうから不思議なものだ。
 すべてのキャラクターを毎回必ず登場させる必要がないから、キャラ造形を余裕を持って行えると言うのが、最大の強みだろう。
 シリーズ構成である三条氏がお気に入りのかわうそは、少々出番が多すぎの感もあるが、一方で正味5分程度しか登場していないにも関わらず、圧倒的な存在感でたちまち一部のファンを虜にしたとされる42話「オベベ沼の妖怪 かわうそ!」の川男のような例もあることだし、登場した時間のみでの優劣は簡単にはつけられないだろう。
 またシリーズ構成も担当している三条氏は、多数のキャラクターの個性を生かしつつ、それぞれの見せ場を作ると言う作業については定評があるので、そのあたりからも期待したい。

 ただこれがセミレギュラーやゲストではなく、レギュラーキャラとなると、またややこしくなってくる。レギュラーキャラであるのに顔見せ程度のキャラと同等の個性しか描かれないのであれば、それはもう「レギュラー」ではなくなってしまうわけだから。
 子泣き爺や砂かけ婆などは、歴代作でも毎回必ず登場するわけではなく、要所要所で登場して場面を引き締めると言う感じで一貫していたから、この見せ方に関しては、第5期も歴代作での見せ方を踏襲していると言っていいだろう。
 ネコ娘は従来サブキャラ程度の扱いだったキャラが、事実上のレギュラーキャラに昇格したいい例だろう(実際は第2期で既にレギュラーの立場を確保しているのだが)。その片鱗は第4期の後半あたりから見え始めていたわけだが、第5期ではとにかくネコ娘の存在が優遇されている。キャラクターの項でも述べたが、ほぼヒロインないしはパートナーとして扱われている状況だ。
 
 しかしそういったキャラとは、本来全く別格の存在であったにもかかわらず、全く異なる扱いを受けることになったキャラクターが1人いる。
 それがねずみ男である。

 以前に書いたとおり、序盤のねずみ男は歴代作の中でも一番目立たない存在になってしまっていた。
 原作での鬼太郎とねずみ男の関係は、ある意味原作における「鬼太郎」世界の根幹を成す要素の1つと言ってもいいくらいのものであり、原作マンガは貸本版「墓場鬼太郎」から「墓場の鬼太郎」→「ゲゲゲの鬼太郎」、その後も様々なシリーズが生み出されることになるが、鬼太郎とねずみ男のコンビだけはいつでも不動のものであった。他のメンバーが登場せずとも、この2人だけ登場すれば話が動く。原作の「鬼太郎」はそういう世界なのである。
 だからこそ、序盤におけるねずみ男の冷遇ぶりには、かなり戸惑った視聴者も多かったのではないだろうか。第5期に嫌悪感を抱くオールドファンの多くにとって、嫌悪する理由の1つはこのねずみ男の冷遇によるものではないかと思えるくらい、ねずみ男は目立っていなかったのである。
 上述したとおり第5期は原作の要素をある程度抜き取ってはいるものの、ねずみ男に関する要素までごっそり省いてしまっていいものだったのだろうか。答えは現在までの放送内容を見る限り、やはり否だったと言わざるを得ない。
 これまた上記のとおり、第5期において鬼太郎のパートナー的存在となったネコ娘は、1年間に渡ってそのパーソナリティを存分に発揮できる機会を十分に得てきた。しかしそれでもなお「常に鬼太郎の横にいる存在」にはなり得なかったのだ。
 ネコ娘の個性は第5期でだいぶ磨かれたものの、それでも「鬼太郎に恋焦がれる少女」という、歴代作でもたびたび描かれたパーソナリティから脱却したわけではない。彼女は常に鬼太郎のそばにおり、鬼太郎の側に立っていなければならない。元々が「少女」である以上、また作品世界そのものの兼ね合いを考慮しても、彼女に少女レベルのメンタリティを超える恋愛要素を付与するわけにも行かない。つまりネコ娘は非常に固定的なキャラクターなのだ。鬼太郎が時と場合によって妖怪を退治したり人間を懲らしめたりという、ある種フレキシブルなキャラになっているのとは対照的である。端的に言えば自由度の低いキャラクターだ。
 対するねずみ男は今更言うまでもなく、非常に自由度の高いキャラクターである。物語展開そのものが非常に自由度の高いものになっている以上、その中心にいるキャラクターも、基本的には使い勝手のいい、自由度の高いキャラクターであった方が良いわけで、そういう意味では鬼太郎というキャラは、実に理に叶った個性を備えている。そしてその脇にいるパートナー的存在もまた、自由度の高い存在であった方が都合が良いのだ。
 だからこそ鬼太郎の傍ら(常に横にべったり張り付いていると言う意味ではない)にはネコ娘よりもねずみ男がいた方が、結果的には話の自由度を高めるという意味で、話を面白くすることができるわけである。鬼太郎もねずみ男も、そのベクトルこそ大きく違っているものの、基本的に自由な存在であると言うスタンスは変わらない。その両者の対比こそが「ゲゲゲの鬼太郎」という作品の根幹を成す最重要要素だったのだ。
 第4クール突入前後からねずみ男の扱いは良くなってきたものの、妖怪キャラの個性を何より重要視している第5期において、前半2クールでの「ねずみ男の没個性化」という現象は、非常に大きい失点だったと言えるだろう。

 第5期に限った話ではなく、オリジナル作品のリメイクを行った場合、常に批判は付きまとう。今後「鬼太郎」がリメイクされ、第6期という新たな「似て非なる1」が生み出されたとしても、その時になればまた批判されるだろう。それはリメイクの宿命と言ってもいい。
 問題は批判の対象となった要素をどのように扱うかと言うことである。5期で言えばねずみ男の冷遇に関しては、上述したとおり第4クールに入る前後からだいぶ改善されてきている一方、これまた批判の矢面に立たされることの多いネコ娘の処遇については、コメディリリーフや嫉妬キャラの側面を付与することで、単なるヒロイン的な存在から脱却させる試みを行っている。
 その一方、作品世界の自由度の高さと歴代随一と言うべきキャラクターの個性の濃密化を生かした秀作・佳作が連作されている。
 作品もまた生き物なのだから、良い点を生かし、悪かった点は改善することで、徐々に徐々により良い作品が仕上がっていくのだろう。
 そしていつか迎える最終回が流れた時、「第5期ゲゲゲの鬼太郎」は、ようやく歴代作と肩を並べることができるリメイク作品として大成できるはずである。
 その時が来るまであと1年ばかりの間、この4つ目の「似て非なる1」と付き合って行きたいと思う。
posted by 銀河満月 at 19:24| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲゲゲの鬼太郎(第5期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月10日

第5期ゲゲゲの鬼太郎の1年を振り返る (4)いろいろ雑感

 今回はスタッフについて書こうかと思ったのだけど、よく考えると1年通して注意を払っていたスタッフって、せいぜい脚本と演出しかいないんだよね。
 だから1年見てきて色々思った細かいことをつらつらと書いていこうと思う。

 まずは番組の顔と言うべき主題歌。モチーフはもちろん「ゲゲゲの鬼太郎」ではあったわけだけど、今回のジャズ調アレンジは正直な話、1年見続けてもあまり慣れなかった。これは個人の感覚に拠るところが大きいので、だからこの曲がダメだと言うつもりは毛頭ないのだけど。
 あとは主題歌に限った話ではないのだが、番組そのものの構成がちょっとアレなんじゃないかと思うのだ。
 アバンがあるのは良いとしても、OPは歴代中一番短く、AパートとBパートに分かれず本編は一気に流される。これでは作品内容的に緩急のリズムをつけづらくなっているのではないかとさえ危惧してしまう。
 CMを入れなくとも、せめてアイキャッチ的な画面は作るべきではなかったか。
 この構成自体は鬼太郎独自のものではなく、この枠のアニメ自体が以前からこのような構成になっていたそうだから、そう簡単に変更できることではないのだろうが、これについては一考する必要があると思う。

 ED主題歌は、前期は「ウラメシ夜」で後期は「妖怪横丁ゲゲゲ節」となっていたが、これまた個人的には後期EDの方が楽しめた。
 前期EDは歌詞の内容とかメロディ云々以前に、歌唱者がいかにも無理に声を作って歌っている感じがして、少しとっつきにくい印象を与えている気がする。歌詞的には3期EDの系譜に連なるものだっただけに、ちょっともったいない。
 後期EDはストレートに「第5期ゲゲゲの鬼太郎の主題歌」的な感じがして、非常に気持ち良い。できるなら西洋妖怪編とか悪妖怪編なんかも流してほしかったところだ。

 脚本は以前にも書いたとおり、王道・エンターテイメント路線の三条氏、怪奇路線の長谷川氏、ユーモラスな妖怪描写路線の吉田氏と、基本的にはメインである3人の分担が早いうちから確定していた。
 三条氏の脚本は、かつての「ダイの大冒険」、最近では「ガイキング」「祝!ビックリマン」などにも通じる、お遊び要素を盛り込みながらも王道路線を突っ走る、実に心地よい少年漫画的な展開が小気味良く描かれることが多かった。
 「少年漫画的な展開」と表現すると、ともすれば主人公側が何も考えずにひたすらノリだけで突っ走る感覚に陥りかねないが、その辺の静と動のバランスをきちんと取っていたのも印象深い。
 長谷川氏は以前にも書いたが、背景設定が複雑な話の場合、その説明に過剰に時間を費やしてしまう場合があるので、序盤は当たり外れの大きいイメージがあったが、3クール目あたりからは自分のスタイルを確立してきていた。
 説明的なセリフが多いせいもあるが、やはりこの方は子供がメインの話よりは、大人が事件に巻き込まれる感じの話のほうが、真価を発揮できる気がする。
 吉田氏は、とにかく話の整合性などは無視して、レギュラー・ゲストの区別なく、登場人物の個性のみで突き進む話が一番合っているようだ。そのため良くも悪くも暴走気味になってしまうのだが、三条・長谷川両氏の書く脚本が5期鬼太郎の基本命題に沿った内容としてまとめられることが多いので、特定のテーマに縛られない自由な話を生み出し、作品全体の自由度を高めると言う点では、5期鬼太郎全体への貢献度は、決して低くはないだろう。
 4クールに入るあたりから新規に参入してきた脚本家も増えてきたので、これからさらに良い意味で作品世界が広がっていくことを期待したい。

 今期は何故か脚本陣に比べると演出陣が話題に上ることは少ないのだが、演出陣は基本的に外れはないように思う。
 シリーズディレクターの貝澤氏が思ったほど本編演出を担当しなかったのが残念ではあるが(1年目最後の演出担当が鬼太郎グッズの話だからねえ)、若手から大ベテランまでが揃って手腕を発揮しており、このあたりからもまさに鬼太郎と言う作品の、「東映アニメーションの看板作品」的立ち位置を垣間見ることが出来る。
 ちなみに、各話の演出とか脚本はこちらに書いてはいるけども、中には演出担当と絵コンテ担当が別になっている話もあるので、その辺は勘違いなきよう。
 で、個人的に注目したいのは土田豊氏の担当回かな。主に三条氏と組むことが多いのだけど、4話や42話の演出担当と言えばわかるだろうか。話の流れ的な部分での緩急のつけ方が巧いので、だらだらした展開になることなく、最後まで飽きることなく見続けることができる。
 また、その話の舞台となる場所を、キャラクターを省いた一枚絵的なカットで描写することも多く、それによってその「場」がどういう場所なのかを、見ている側がすぐわかるようになっているのも親切だ。
 日常的な雰囲気を持つ「背景」に、非日常的存在の「キャラクター」を溶け込ませるのも上手で、そのあたりの腕前は土田氏が演出を担当した、現在の新EDカットからも窺い知ることができる。
 あとは畑野森生氏だろうか。この人の担当回は29話の小学生たちとか41話の骨女と言った、ゲストキャラに対する肉付けが非常に巧い一方で、話ごとの雰囲気作りにかなりこだわっているように見受けられ、50話では緊迫感と哀切さが交錯するクライマックスシーンを見事に盛り上げていた。

 音楽に関しては特に文句はない。「妖怪もの」だからと言って、変に日本的な楽曲を作ることなく、バリエーションに富んだスコアになっていると思う。
 同一モチーフのアレンジが少ないのは、4期と対照的だね。

 以上、思ったことを細かく書いてみた。作画について触れていないのは、鬼太郎の作画は総じて高い水準でまとまっているので、特段の文句も沸いてこなかったからだ。
 批判されることの多い出口よしお氏や八島善孝氏の作画も、あれは作画崩壊でもなんでもなく、単に描き手の個性が前面に出ているだけだろう。
 わかりやすく言えば「グレンラガン」の4話みたいなものか(笑)?
 だから絵柄の好みによる好き嫌いは出てくるだろうが、それはあくまで個人の好みの範疇なので、作画崩壊とか何とか言うのは筋違いだと思う。

 と言うわけで次回は1年間の総評、みたいなものを書くつもり。
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2008年04月08日

第5期ゲゲゲの鬼太郎の1年を振り返る (3)キャラクターについて

 今回は5期鬼太郎のキャラクターについて、思うところを書いてみる。

 まずは主役であるゲゲゲの鬼太郎だが、普段はのんびり、というかだらけた態度を取り続けており、いざと言う時になると正義漢、と言うより熱血漢ぶりを発揮する、という点は、4期版の鬼太郎の個性を受け継いでいる感じがする。
 ただ熱血漢の一面を見せる一方で、人間や人間世界そのものに大しては常にクールに、傍観者的立ち位置から物事を見ている、と言う性格も有しており、これは2期版の鬼太郎が持っていた個性に近い(1期はどちらかと言えばストレートな子供らしい性格)。
 そう考えると、歴代作の鬼太郎が持っていた特徴的な性格を受け継いだのが、今期の鬼太郎と言えるのかもしれない。

 上で「だらけた態度」と書いたが、今期の鬼太郎は家で眠りこけている描写が、歴代作に比べて非常に多い。
 これは原作の再現と言うよりは、主題歌の歌詞の一節「朝は寝床でグーグーグー」を再現していると言うべきだろう。
 鬼太郎のこの描写も、かつては羨望の対象であったにもかかわらず、今では「ニート」呼ばわりされて侮蔑の対象にもなってしまうのだから、時が経つと言うのは面白いものではある。

 今期の鬼太郎は既に誕生してから数十年も生きていると言う設定のため、見た目の割には老成している部分も見られ、一方で従来どおりの子供っぽい描写も見られるので、このあたりは原作でも良く見られる、鬼太郎の性格の多面性を窺い知ることが出来る。43話でのモンローへの接し方などは、モロに子供のそれになっていた。
 美少女に弱いと言う設定も生かされているが、原作以上に強調されているのは、その方が間にネコ娘というキャラクターを挟みやすいからだろうか。
 41話での会話にあるように、劇中以前はねずみ男と共に各地を旅して回っていたこともあるようで、3話での夜叉とのやり取りも含め、今期の鬼太郎は原作で描かれた話は、過去に一通り経験しており、今期は原作の「その後」数十年経過した鬼太郎の物語、と解釈することも可能かもしれない。

 敵妖怪との戦いに関しては、髪の毛針やゲタ、ちゃんちゃんこなど、従来どおりの武器を使う一方で、妖怪であることを生かしての戦法(体の形を変化させるとか、敵の魂を体内で消滅させる)はあまり行われなくなった。

 上記にも書いたとおり、今期の鬼太郎はだらけ、クール、熱血漢と大別して3つのパターンがあるわけだが、それらを見ている側が違和感なく受け入れられるのは、演じる高山みなみさんの熱演があればこそだろう。
 時折見せる子供らしい一面も、ドキリとするような怖い一面もソツなくこなしている。


 今期のアニメで一番変わったと言えば、やはり目玉親父とネコ娘だろう。
 目玉親父は歴代のような「鬼太郎のブレーン」的立場を堅持しなくなっており、敵妖怪に関してはしばしばココンの情報に頼るようになった(親父が自分の知識を確認する意味でココンを利用する場合もあるようだが)。その一方で人間界の流行に敏感に反応したり、ある意味鬼太郎以上に子供っぽい一面を発揮したりと、変な部分で強烈な個性を発揮し始めている。
 しかしそれでも過去作にも見られた親バカの部分はきちんと継承しており、「それでこそ我が息子じゃ」と、息子をべた褒めするシーンも結構見られたのは、やはり微笑ましい。
 やはりアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」は、鬼太郎と目玉親父との良好な親子関係が描かれてこそ、一層輝くのだろう。
 反面、放送開始前の売りの1つ(だったよな?)であった、「様々な種類のお湯を用いた茶碗風呂」は、それほど注目されることはなく、現在では通常の茶碗風呂に落ち着いている。
 演じる田の中勇氏も、レギュラーメンバーでは最高齢ながらも、いつもの声をきちんと演じてくださっている。51話で「東京特許許可局」をすらっと言えていたのはさすがでしたね(笑)。

 ネコ娘は…、今更言うまでもないくらいに変わってしまった。まさに5期鬼太郎のキャラクター面における変化を象徴する立場、と言ってもいいくらいに。
 しかし彼女をして「萌えキャラ化」というのには、少々疑問を感じざるを得ない。
 元々ネコ娘というキャラクターは、そのキャラクターを下敷きにして、時代時代に即した「可愛い」と目されるデザインが成されてきたわけだから、今回のデザインについても、あのデザインが当世風というだけのことだろう。
 衣装が事あるごとに変わるのも、今期ではヒロイン的立場にいるが故の優遇措置と言える。
 しかしコスプレの多さに関してだけは、「当世風のヒロイン」という上記の主張にはさすがに当てはまらないと、自分でも思う。ただそこまで考えると、今度は「萌えキャラ」とは何なのか、そも「萌え」という概念自体がどんなものであったか、と言うところから考え直さなければならなくなるので、このあたりは割愛させていただく。

 今期のネコ娘は歴代以上に出番が増え、初期は実質的な鬼太郎のパートナーとして行動することが多かった。鬼太郎にアプローチするネコ娘と、それに全く気づかない鈍感な鬼太郎、という描写は、今期を代表する彩の1つであろう。
 しかし中盤あたりから、新たに「ゲストとして登場する美少女に嫉妬する」という役割まで与えられてしまい、これによってネコ娘の性格が微妙にぶれる結果になってしまった点は否めない。
 シリーズ構成である三条氏が手がける場合には、それほど顕著ではないものの、真倉翔氏などが担当した話では、かなり露骨に嫉妬感を露にしており、嫉妬しすぎてコメディリリーフ的な立場になってしまっている場面も見られた。
 ただ、元来「ゲゲゲの鬼太郎」という作品は女キャラが少ないので、細かい服装変更とも合わせて、作品の華となっている点については、誰しもが認めるところであろう。

 出番が増えたネコ娘の煽りを食って、出番が歴代作に比べて激減してしまったのが、誰もが知ってるビビビのねずみ男である。
 そのために初期編では高木渉氏のアドリブを含めた熱演も空しく、内容的には完全にいらない子扱いになってしまうこともあり、長年慣れ親しんできたオールドファンは、正直言って忸怩たる思いを味わったと思われる。
 演技的には4期版の勢いの良さを継承しつつ、今期独自の味を構築してきており、それ故に序盤における出番の少なさが返す返すも残念である。
 よく「今期のねずみ男はよく鬼太郎に協力する」と言われるが、別に原作でも全く協力しなかったわけではない。今期は鬼太郎と敵対関係になる描写が絶対的に不足しているため、鬼太郎に助力する部分のみが目立ってしまっているのだろう。
 幸い4クール目に入るあたりから出番も順調に増えてきており、最新の52話でも汚らしい個性(笑)を存分に発揮してくれたから、2年目は従来どおりに活躍してくれることだろう。

 それ以外の所謂「鬼太郎ファミリー」は、序盤こそねずみ男と同様に、ネコ娘に出番をとられることが多かったものの、中盤以降は徐々に今期独自の持ち味を見せるようになってきた。
 一反木綿とぬりかべは、1クール時期に主役話をやった関係なのか、それ以降はメインに出張ってくることはあまりなくなってしまったのが少々残念である(一反木綿に関しては、担当声優である八奈見乗児氏の年齢的な面を考慮して、出番を削っているのかもしれない)。
 特にぬりかべは「所帯持ち」という今期独自の設定があるだけに、その設定が物語上で効果的に生かされたことがあまりなかった、と言うのは返す返すも残念無念と言うところだ。一家の大黒柱ということもあってか、歴代作以上に鬼太郎ファミリーの重鎮的な存在感は発揮されていると思うのだけど。
 一反木綿は逆に登場場面こそ少ないものの、ねずみ男やネコ娘と良いコンビ振りを発揮するシーンが散見され、このあたりでは3期で確立された一反木綿の個性が十分に発揮されていると思う。
 砂かけ婆は歴代作で見られた「鬼太郎の母親代わり」的な側面は失われ、「口やかましいが人情に厚い近所の婆さん」的なスタイルになった。このあたりの性格設定は、アマビエ登場編の26話をはじめ、横丁や仲間妖怪がメインの話において、たびたび強調されたため、今期独自の世界構築に一役買っていた。
 今期の鬼太郎ファミリーで一番おいしい役どころをもらったのは、やはり子泣き爺だろう。
 普段は酒好きの昼行灯で通っているが、いざ有事の際には誰よりも頼りになる老練な仲間という、歴代の作品には全くなかった新しい個性を確立している。その実力を見せるのが、バトルメインとなる対西洋妖怪の話に限定されているのも、子泣き爺の陰の実力者としての一面を見せるだけでなく、逆説的に西洋妖怪たちの強大さをも見せ付けてくれるわけだから、何とも面白い設定ではないか。
 こういうキャラ造形の場合は、普段とのギャップが広がれば広がるほど面白くなるので、これからも子泣き爺にはどんどん駄々をこねて欲しいものである。

 その他の妖怪仲間についても、歴代以上に個性が与えられていることが多い。
 まさかかわうそや呼子に単独エピソードが与えられる事態を、予測できた鬼太郎ファンがいたであろうか?
 ラブストーリーと言う、およそ鬼太郎世界に縁のなさそうな話を一手に引き受けているろくろ首や、アニメオリジナルキャラでありながらも急速に作品世界に溶け込んだ蒼坊主や黒鴉、アマビエなど、今期はサブキャラの扱いも非常にこなれている。
 特にかわうそは三条氏お気に入りのキャラクターらしいので、今後も活躍が期待されるところだ。
 ろくろ首はラブストーリー関連のネタを抜きにしても、女っ気に乏しい鬼太郎世界を彩ると言う意味では、ネコ娘と共に貴重な存在と言えるだろう。
 声優的なネタで言えば、当ブログでもたびたび触れてきた小西克幸氏の便利屋っぷりには舌を巻く。傘化けから小豆洗い、朱の盆やらドラキュラ三世やら七人ミサキの1人、果てはそこら辺の被害者や川男の声まで担当しており、まさに八面六臂の大活躍である。
 他にもゲストキャラの担当として、他作品では余裕で主役を張れるレベルの声優さんが1回限りのゲストとして登場することも多く、声優面に関してはかなり豪勢だ。

 敵側の妖怪にもトピックスは多い。
 青野武氏演じるぬらりひょんを始めとして、柴田秀勝氏のバックベアード、松野太紀氏演じるさざえ鬼など、歴代作で同じキャラクターを演じた声優さんが、今期で再び同じ役を演じると言う、過去作のファンにはたまらない趣向が凝らされている。
 キャラクター自体をとっても、かまいたちや白山坊のように、原作から大きく逸脱した個性が付与されることが多いのが今期の特徴と言えるが(4期もそんな感じだったが、今期は4期以上)、それも「人間臭い妖怪」を見せる上での演出の1つなのだろう。そしてそのようなキャラクターに対しては、ベテラン声優が声を担当することで、大きな違和感を感じさせないようにしているのも巧みである。
 ぬらりひょんやバックベアードは文字通り悪側のリーダーとしての威厳や自信に満ちており(それでも若干の個性の違いを見せているあたりがうまい)、このあたりのキャラ配置は正統派少年漫画的なもので、単純ではあるものの明快でわかりやすい。
 オリジナルのストーリーに合わせて、原作未登場の妖怪が多く登場することも特徴的だが、このあたりはまさにメインターゲットである子供の目線を意識した作りになっていて、非常に面白い。

 今回は実に2期以来、久々に人間側のレギュラーキャラがいない作品でもあるが、それ故に毎回異なるゲストキャラが登場し、先述したゲスト声優陣の演技の冴えを味わうことも出来るようになっている。
 なんとなく美少女のゲストが多いように思えるのは、歴代以上に「美女に弱い」という鬼太郎の個性(弱点?)を前面に押し出しているからだろうか。
 だが今期では全般的に人間キャラの印象が弱いように感じられる。これはやはり人間と絡む話自体が、歴代作に比べて減少しているからかもしれない。原作「大海獣」での山田秀一や、「朧車」での高僧チンポのような強烈なキャラクターも登場して欲しいところだ。
 今のところゲストキャラで再登場を果たしたのは3人程度だが、これからはもっと過去に登場したゲストの再登場を増やしてみてもいいかもしれない。

 キャラクター全般を見渡してみると、レギュラー・セミレギュラーキャラは、結構きちんとした、多面的な個性が与えられていることがわかる。
 反面、ゲストの悪妖怪などは、文字通りの「怪獣」扱いになってしまうこともあり、その辺はもったいないと思う。何かアクセントが1つつけられるだけで「個性」を確立することも出来るのだから、この辺は演出担当のスタッフさんにがんばって欲しいところだ。
 今期はセミレギュラーを含めると、登場キャラクターの総数がかなりの数になるので、その数の多さに屈することなく、各人の個性を過不足なく描くことが出来るか、それが2年目の課題の1つとなるだろう。

 次回はスタッフについてちょっとだけ触れてみます。
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2008年04月06日

第5期ゲゲゲの鬼太郎の1年を振り返る (2)クールごとに見てみる

 前回の(1)に続き、今回は1年間に放送された話の内容そのものを、クールごとに分けて書いてみようと思う。
 クールごとに分ける理由は、自分が書く時にある程度区切りをつけやすいと言う程度のものなので、分け方自体に深い意味はありません。

◆第1クール

・該当サブタイトル
第1話:「妖怪の棲む街」(脚本:長谷川圭一 演出:貝澤幸男 作画監督:信実節子)
第2話:「ビビビ!!ねずみ男!」(脚本:三条陸 演出:角銅博之 作画監督:薮本陽輔)
第3話:「妖しき旋律!夜叉」(脚本:長谷川圭一 演出:西沢信孝 作画監督:伊藤智子)
第4話:「男!一反もめん」(脚本:三条陸 演出:土田豊 作画監督:仲條久美)
第5話:「呪われた映画」(脚本:長谷川圭一 演出:畑野森生 作画監督:八島善孝)
第6話:「大パニック!妖怪横丁」(脚本:吉田玲子 演出:門田英彦 作画監督:出口としお)
第7話:「燃えろ!目玉おやじ」(脚本:長谷川圭一 演出:中尾幸彦 作画監督:清山滋崇)
第8話:「宿敵!ぬらりひょん」(脚本:三条陸 演出:立仙裕俊 作画監督:信実節子)
第9話:「ゆうれい電車 あの世行き」(脚本:長谷川圭一 演出:角胴博之 作画監督:薮本陽輔)
第10話:「荒ぶる神!雷獣」(脚本:長谷川圭一 演出:西沢信孝 作画監督:伊藤智子)
第11話:「おばけ漫才」(脚本:吉田玲子 演出:中尾幸彦 作画監督:八島善孝)
第12話:「霊界からの着信音」(脚本:長谷川圭一 演出:勝間田具治 作画監督:浅沼昭弘)
第13話:「奮闘!ぬりかべ用心棒」(脚本:三条陸 演出:畑野森生 作画監督:市川慶一)

 ざっと見てもらえればわかるのだが、完全な原作そのままのアニメ化というのが、1クール目の時点でひとつもない。
 かろうじて「近い」と思われる9話でさえも、ラストのオチにかなり捻りが加えられており、原作に忠実にアニメ化した作品とは言えない。
 ただこれは、既に4回もアニメ化され、「原作漫画の単純なアニメ化」という手段については、ほぼ完全な方法論が構築されてしまっていた「ゲゲゲの鬼太郎」と言う作品を、今回新たにアニメ化するに当たっては、至極真っ当なやり方だろう。
 新規作品が過去作品と全く同じことをやってみせても、意味がないのだから。
 1話や3話などで、当初から言われていた「おどろ」の部分を効果的に演出(鬼太郎たちキャラクターの陰影を強調するなど)している一方、6話や11話などで、妖怪の人間臭い部分を強調して描いてみせたりと、今期の基本コンセプトに従った、テンプレート的な話がきちんと偏ることなくちりばめられている。
 後々の話作りにも影響を与えると言う意味で、作品全体のスタンダードとなるべき話を作る必要が1クール目にはあるわけだが、そういう点から見ると、スタッフはきちんと役目を果たしたと言えるだろう。
 妖怪の恐怖描写を盛り上げるために、4期後半の頃より格段に向上したデジタル技術も存分に発揮されていた。
 4話で見せたような、作中の登場人物が恐怖のあまりに苦悶の表情を浮かべる、という演出は、意外にもその後の話ではあまり見られなくなってしまったのは、少し残念だけども。

 ただ初期編ではスタッフ・キャスト共に不慣れだったこともあってか、今の眼で見るとテンポが悪かったり、今ひとつ役柄にはまりきれていない印象を受ける。
 最初の頃に試行錯誤を繰り返すのは当然ではあるが、個人的には、ストーリーだけではなくゲストキャラクターの個性までも完全に原作から逸脱させてしまった11話において、5期鬼太郎のその後の方向性が決定付けられたように思う。
 変に原作に遠慮せず、5期独自の味を本格的に模索し始めたという感じか。

 アクション面については、3期・4期に比べると圧倒的に空中戦の頻度が下がっていることと、体内電気を多用することになったことが特筆すべき点か。
 ただ残念なことに、両方とも「アクション」と言う点ではマイナスポイントにしかならないんだよね。元々アクションを重視する作品ではないとはいえ、敵に一、二度ジャブ的攻撃を入れた後、すぐさま体内電気、というパターンがある程度確立してしまったのは、少し寂しい。
 仲間キャラに至っては、4話が一反木綿、13話がぬり壁の主役回であったものの、後は1話での全員集合時にここの能力を発揮した程度で、ネコ娘以外の仲間はそれほど活躍の場を与えられない事態に陥ってしまった。
 その分、現代風にアレンジされたデザインのネコ娘(端的に言えば「萌え化」というやつか)が全編に渡って出演するため、ここら辺で今期の鬼太郎に対してマイナスイメージを抱いた人も少なからずいることだろう。
 実際、チョイ役程度の出演は4話、9話、11話くらいしかないのだから、今期のネコ娘がいかに優遇されていたかがわかるだろう。
 逆に鬼太郎世界には必須とも言うべきキャラであるねずみ男の搭乗率が、歴代4作に比べて格段に低下している。
 …のだが、この時期の話をよくよく見ると、10話あたりの話までは、ねずみ男が積極的に絡める話がほとんどないということも考慮する必要があるかもしれない。実質的にほとんどがオリジナルストーリーであるだけに、作品制作そのものに不慣れなスタッフは、「ねずみ男」という一筋縄では行かないキャラクターを表現し切れなかったのかもしれない。
 逆にねずみ男らしい個性がようやく発揮されたと目されるのが、上にも上げた11話、と言う部分も興味深い。
 他方、歴代に比べてミーハーチックという、今期独特の目玉おやじのスタイルは早いうちに確立されている。


◆第2クール

・該当サブタイトル
第14話「鬼太郎死す!?牛鬼復活」(脚本:長谷川圭一 演出:角銅博之 作画監督:大河内忍)
第15話「働く!目玉おやじ」(脚本:吉田玲子 演出:織本まきこ 作画監督:出口としお)
第16話「妖怪はゲームの達人!?」(脚本:三条陸 演出:立仙裕俊 作画監督:清山滋崇)
第17話「さすらいの蒼坊主」(脚本:三条陸 演出:土田豊 作画監督:信実節子)
第18話「古城に光る黒い眼」(脚本:三条陸 演出:中尾幸彦 作画監督:八島善孝)
第19話「河童池の相撲大会」(脚本:長谷川圭一 演出:貝澤幸男 作画監督:浅沼昭弘)
第20話「闇からの声!幽霊スポット」(脚本:長谷川圭一 演出:角銅博之 作画監督:伊藤智子)
第21話「首ったけ?妖怪恋物語」(脚本:長谷川圭一 演出:勝間田具治 作画監督:市川慶一)
第22話「ニセ鬼太郎現る!!」(脚本:吉田玲子 演出:西沢信孝 作画監督:仲條久美)
第23話「美食家!?さざえ鬼」(脚本:三条陸 演出:深澤敏則 作画監督:出口としお)
第24話「夢の中の決闘!枕返し」(脚本:長谷川圭一 演出:立仙裕俊 作画監督:大谷房代)
第25話「妖怪大運動会」(脚本:吉田玲子 演出:織本まきこ 作画監督:八島善孝)
第26話「妖怪アイドル!?アマビエ」(脚本:三条陸 演出:角銅博之 作画監督:信実節子)

 この頃になると、王道・エンターテイメント路線の三条、怪奇・恐怖路線の長谷川、ユーモラスな妖怪描写路線の吉田と、脚本陣の担当する内容がある程度固定されてくる。
 と言っても三条氏は16話で怪奇系の話を担当し、長谷川氏は21話で正統派ラブロマンスの話を担当するなどして、脚本家としての引き出しの多さを遺憾なく発揮している。
 さらにこのクールでは、物語の縦糸的要素がちらほらとちりばめられるようになってくる。それが蒼坊主でありアマビエであり、真打としてバックベアードの登場である。
 特にバックベアードは、2クール目以降も要所要所で姿を見せ、他を寄せ付けない圧倒的な存在感を誇示しており、ぬらりひょんと並んで、物語の黒幕的存在としての重責を担っていると言えるだろう。
 ぬらりひょんも17話においてコミカルな面を(ある意味3期でのそれを想起させるような)見せることで、キャラクターの幅を広げることに成功しており、さらにぬらりひょんとベアードと言う横のつながりをも26話で見せるあたり、作品世界の奥行きを広げることにも成功していると言えるだろう。

 先に書いたアマビエの登場と前後して、従来の所謂「鬼太郎ファミリー」以外の、横丁に住んでいる妖怪たちにもスポットが当たることが多くなってきたのも、この時期の特徴である。
 21話のろくろ首を代表格として、17話で蒼坊主と良いコンビ振りを発揮した呼子、21、23話で大人の女?としての存在感を発揮したお歯黒べったり、さらには15話や25話で大挙登場した妖怪たちも含め、いずれも人間臭い、親近感のある個性を発揮している。
 その反面、妖怪描写に力を入れたためか、「人間が鬼太郎に助けを求める」という、従来のパターンが激減してきたのも、この時期の特筆点と言える。
 ただ、それが従来の(歴代4作品での)パターンだったからこそ、今期では意図的にそのパターンを排除していると言う可能性もなくはないのだが、それを寂しく思ってしまうのは、オールドファンのわがままだろうか。

 あと本クールでのトピックスとしては、「ココン」と「霊界符」という、モロにマーチャンダイジングを意識したアイテムが登場したことだろうか。
 玩具販売会社がスポンサーについている以上、このようなアイテムが登場することは避けられない事象なので、そのこと自体に文句をつけるつもりは全くないのだが、劇中ではあまり個性を発揮する場がなく、あまり視聴者の印象に残らないアイテムになってしまっているのがかなり痛い。
 そういう意味では3・4期で使われた「オカリナ」は、マーチャンダイジングの点から見れば、非常に優秀なアイテムだったのだろうな。


◆第3クール
・該当サブタイトル
第27話:地獄の掟!走れねずみ男(脚本:長谷川圭一 演出:貝澤幸男 作画監督:浅沼昭弘)
第28話:鬼太郎恐竜現る!(脚本:吉田玲子 演出:門田英彦 作画監督:薮本陽輔)
第29話:ネコ娘の妖怪バスツアー(脚本:三条陸 演出:畑野森生 作画監督:伊藤智子)
第30話:鬼太郎抹殺作戦(脚本:長谷川圭一 演出:深澤敏則 作画監督:仲條久美)
第31話:妖怪コマ回し勝負!(脚本:吉田玲子 演出:土田豊 作画監督:出口としお)
第32話:上陸!脅威の西洋妖怪(脚本:三条陸 演出:角銅博之 作画監督:大谷房代)
第33話:大逆襲!日本妖怪(脚本:三条陸 演出:中尾幸彦 作画監督:八島善孝)
第34話:妖怪横丁の地獄流し(脚本:長谷川圭一 演出:勝間田具治 作画監督:薮本陽輔)
第35話:死神の極楽ツアー(脚本:吉田玲子 演出:立仙裕俊 作画監督:浅沼昭弘)
第36話:レスキュー目玉おやじ(脚本:三条陸 演出:中尾幸彦 作画監督:八島善孝)
第37話:鬼太郎敗北!怨念の鬼髪(脚本:長谷川圭一 演出:角銅博之 作画監督:中條久美)
第38話:パパになったねずみ男(脚本:真倉翔 演出:西沢信孝 作画監督:信実節子)

 このクールから長谷川圭一氏がシリーズ構成を降り、三条陸氏1人の担当となった。
 だからかどうかはわからないが、この時期は前の2クール分と比較しても、人間と直接関わる話がかなり減ってくる。恐らくこの時期は鬼太郎側(妖怪側)の世界観設定を強化する時期だったのではないだろうか。
 その際たるものが、言うまでもなく「地獄の鍵」及び「獄炎乱舞」の習得による、アクション面における鬼太郎側戦力の強化だろう。制限つきのために簡単に使用できる技でないとは言え、アクション面におけるバリエーションの幅を広げると言う意味では、非常に重要なファクターとなっていることは間違いない。
 同様のことは、アニメ版では実に1期以来の使用となる指鉄砲にも言える。原作どおりの使用法ではなくなってしまっているが、逆に指鉄砲そのものが用意されず、代替武器の使用となっていた歴代作とは違い、規制による改変はあれど、極力原作を意識した「指鉄砲」を作品世界内に持ち込んだ、その功績は認めるべきところだろう。

 鬼太郎側、そして敵側のキャラクター強化も2クール時期以上に頻繁に行われることとなった。
 鬼太郎側は五官王や井戸仙人、黒鴉に大天狗など天狗の一派、敵側はバックベアード配下の西洋妖怪である。
 殊に西洋妖怪軍団は、原作や歴代アニメ作品のファンにはおなじみの妖怪たちではなく、代替わりした若いキャラクターが登場していると言うことも、作品世界の奥行きを広げることに成功している。
 端的に言えば、フランケンだけが過去に戦った西洋妖怪の1人として登場していることで、我々が良く知る狼男やドラキュラも、もしかしたら今後出てくるのではないか、というような期待を抱くことが出来るわけだ。
 この場合は実際に出るかどうかは重要でなく、そういう期待を視聴者に抱かせることが重要なわけなので、この見せ方は非常に巧いと思っている。

 この頃になるとスタッフも「第5期のゲゲゲの鬼太郎」の作り方に慣れてきたと見え、29話や36話のような、ほぼ完全なギャグ(もしくはサービス?)回もあれば、歴代作での設定も巧く加味しつつ5期独自のアレンジを加えることに成功した35話と38話など、原作の設定から良くも悪くも逸脱した作品が目立つようになってくる。
 その一方では、歴代4作のアニメでも成しえなかった「原作どおりのラスト」を実現した34話や、担当声優の怪演により、原作以上に常軌を逸したキャラクターを生み出すことに成功した31話なども制作されており、まさに良い意味でバラエティーに富んだ作品群が乱立することになる。
 このあたりは4期後半のごった煮感に近いものがあるかもしれない。
 それは今まで3人で回されてきた脚本のローテーションに、新たなスタッフが加わったことからも窺い知れる。
 真倉翔氏は現時点では2話分しか担当していないが、キャラクターを無駄にはっちゃけさせつつ、ストーリー展開自体は王道を突っ走ると言う、バランスの取れた脚本を書いているので、2年目もぜひ活躍していただきたいと思う。

 アクション面では、やはり西洋妖怪決戦編(特に前編)や27話、30話などにも見られるような、鬼太郎らしからぬアクションシーンが描かれることが多くなってきた。
 27話での邪魅との一連のアクションなどでは、3期に近い見せ方のアクションが描かれ、歴代作の良いところを積極的に加味していこうと言う姿勢も感じ取れる。
 指鉄砲が使用可能になったことで、前2クールで多かった「敵の動きを封じてから体内電気」というワンパターンが回避されることが多くなってきており、これは最初から意図されていたことかどうかわからないが、良い効能と言えるだろう。


◆第4クール
・該当サブタイトル
第39話:ぬらりひょん最期の日(脚本:三条陸 演出:深澤敏則 作画監督:出口としお)
第40話:大フィーバー!鬼太郎グッズ(脚本:吉田玲子 演出:貝澤幸男 作画監督:大谷房代)
第41話:打倒鬼太郎!ねずみ男大逆襲(脚本:長谷川圭一 演出:畑野森生 作画監督:小泉昇)
第42話:オベベ沼の妖怪 かわうそ!(脚本:三条陸 演出:土田豊 作画監督:浅沼昭弘)
第43話:妖怪ミステリー列車!(脚本:吉村元希 演出:角銅博之 作画監督:薮本陽輔)
第44話:チョイ悪!目玉おやじ(脚本:吉田玲子 演出:勝間田具治 作画監督:八島善孝)
第45話:ネコ娘騒然!?妖怪メイド喫茶(脚本:真倉翔 演出:深澤敏則 作画監督:仲條久美)
第46話:ヘビ女ゴーゴンの晩餐会(脚本:三条陸 演出:立仙裕俊 作画監督:信実節子)
第47話:妖怪大裁判(脚本:三条陸 演出:門田英彦 作画監督:伊藤智子)
第48話:戦う!ゲゲゲハウス(脚本:吉田玲子 演出:西沢信孝 作画監督:出口としお)
第49話:あの世の七人ミサキ(脚本:木原大輔 演出:角銅博之 作画監督:小泉昇)
第50話:呪いの花嫁!陰魔羅鬼(脚本:吉村元希 演出:畑野森生 作画監督:浅沼昭弘)
第51話:ネコ娘の東京妖怪見物(脚本:三条陸 演出:土田豊 作画監督:八島善孝)

 2008年最初のクールは、前クール以上に人間と関わる話がなくなり、横丁メインの話が中心になった。
 バトルを重視していた展開の多い前クールと比較しても、アクション面でそれほど突出したシーンが出てくることもなく(46話くらいか)、主に登場する様々な妖怪たちの個性描写を前面に押し出す見せ方へとシフトしていたのが、本クールの特徴と言えるだろう。
 これについては、同時期に「墓場鬼太郎」が放送されていたことも無関係ではあるまい。現に関東地区では墓場鬼太郎が最終回を迎えたそのすぐ後の話が、久々に怪奇な雰囲気を復活させた50話となっているわけだから。
 怪奇路線のメインだった長谷川氏が、本クールの話にはあまり関わっていないあたりも影響しているかもしれない。
 どこかで長谷川氏メインの作品が始動しているのだろうか。もしかしたらそれはウル…、とそれは別の話。
 もう1つ特筆すべき点は、前クールに続いて脚本のローテーションに新しいスタッフを加えたことか。ただ吉村元希、木原大輔両氏の担当回は、どちらかと言うと演出面で優れていた話だったということもあるので、まだ特徴をつかみづらい部分がある。これからの活躍に期待したいところだ。

 一方、スタッフのお遊び的要素は前クール以上に増えており、41話での露骨なタイアップ(笑)や45話のメイド喫茶などが代表例だろう。
 その一方で42話や50話などの手堅い好編を物している事実も忘れてはならない。
 特に42話は、話の出来もさることながら、今期の特徴のひとつを端的に示している話としても記憶しておくべきだろう。
 それはねずみ男の台頭である。

 今期の大きな問題点の1つとして、ネコ娘やその他のサブキャラクター描写に力を入れるあまり、原作において必要不可欠な存在であるねずみ男の描写がぞんざいになりがちという点があったのだが、4クール目にしてそのあたりがようやく修正されるようになってきた。
 39話や40話で見せたしたたかさ(それにより騒ぎが余計にひどくなるあたりも彼らしい個性)や、41話で久々に見せた悪辣な一面、42話や47話での鬼太郎との「腐れ縁」に関する演出、45話での「週刊実話」時代のような態度(笑)などなど、ここにきてようやくねずみ男にスポットが当たったと思しき演出が目白押しになっている(片鱗は前クールの38話にもあったが)。
 スタッフ側もねずみ男を5期の世界観でどのように動かしたらよいか、その方法論がやっと確立されたと言うところだろうか。あるいは2年目放送継続がある程度固まったから、ねずみ男の台頭をここまで遅らせたのかもしれない。と、そんな余計なことまで考えてしまったりもする。
 殊に42話に関しては、今期独自の設定があったからこそ生まれた名編でもあり、余計に強い印象を視聴者に与えたのかもしれない。


 以上、クールごとに振り返ってみた。
 こうして見ると、話の作りとかキャラクターの見せ方とかの変遷は、意外にきっちりとクールごとに分けられているね。
 まさに「作品は生き物である」という言葉がぴったりだ。

 1年全体を振り返ってみての雑感については、後のエントリにて。
posted by 銀河満月 at 19:38| Comment(1) | TrackBack(0) | ゲゲゲの鬼太郎(第5期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月04日

第5期ゲゲゲの鬼太郎の1年を振り返る (1)視聴率

 さて、以前からここでも書いていた通り、無事に1年間の放送を終え、2年目に突入しようとしている第5期「ゲゲゲの鬼太郎」について、自分なりに振り返りつつ思うところを書いていってみようと思う。
 と言っても色々思うところはあるので、とても1回のエントリで書ききれるものではないから、いくつかのエントリに分けて書いていくことにしてみます。

 とりあえず今回は、1年間の視聴率についてまとめてみました。以下に列挙してみるので、まずはご一読してみてください。
 (関東地区・ビデオリサーチ社調べ)


話数  放送日 視聴率(%)
1話  04/01 8.9
2話  04/08 8.5
3話  04/15 9.3
4話  04/22 9.2
5話  04/29 9.5
6話  05/06 11.3
7話  05/13 8.7
8話  05/20 8.6
9話  05/27 8.8
10話 06/03 9.5
11話 06/10 9.8
12話 06/17 8.6
13話 06/24 9.9
14話 07/01 9.2
15話 07/08 9.6
16話 07/15 11.3
17話 07/22 10.5
18話 08/05 8.5
19話 08/12 9.0
20話 08/19 8.5
21話 08/26 10.8
22話 09/02 7.9
23話 09/09 9.3
24話 09/16 12.3
25話 09/23 10.0
26話 09/30 8.6
27話 10/07 7.8
28話 10/14 7.7
29話 10/21 8.4
30話 10/28 8.2
31話 11/04 6.7
32話 11/11 9.1
33話 11/18 7.6
34話 11/25 8.4
35話 12/02 8.0
36話 12/09 7.9
37話 12/16 9.7
38話 12/23 9.1
39話 01/06 6.2
40話 01/13 8.0
41話 01/20 7.5
42話 01/27 9.2
43話 02/03 8.6
44話 02/10 7.8
45話 02/17 7.2
46話 02/24 8.0
47話 03/02 7.5
48話 03/09 8.0
49話 03/16 8.5
50話 03/23 7.2
51話 03/30 7.4


 …いかがでしょうか?
 平均では恐らく8パーセント中ごろと言ったところでしょうか(厳密に計算はしてません)。
 こうして見てみると、序盤からかなり安定した視聴率を稼いでいることがわかりますね。大体7〜8パーセント台を推移しており、多少の変動はあれど、1年間で極端な低下や上昇もなく、堅実且つ着実に視聴率を稼いでいると言ったところでしょうか。
 ビデオリサーチ社のサイトを見てみるとわかりますが、鬼太郎は毎回必ず、アニメの週間高世帯視聴率トップ10に入っています。
 もちろん「サザエさん」を始めとした常連組、「ワンピース」などの鬼太郎放送開始前から人気を集めていた作品なども入っていますから、一概に比較は出来ません。
 序盤の視聴率が朝のアニメ番組としてもかなりの高視聴率をずっと維持していたのは、恐らく同時期に公開された実写版映画の影響もあるでしょうが、それでも「ゲゲゲの鬼太郎」と言う作品自体は、4期終了から数えても、それほどメディアに頻出する作品ではなかったはずです。
 レンタルショップには主に4期のレンタルビデオが置かれていたり、鳥取・境港の「水木しげるロード」を始めとして、全く話題に上らなかったわけではありません。ですが現在進行で話が進み、人気を獲得していた諸作品に比べると、明らかに求心力は低下していました。
 そんな状況の中で放送が始まり、放送から1年が経過してもなお一定水準の視聴率を保ち続けています。
 ここに「ゲゲゲの鬼太郎」というコンテンツの強みがあるのでしょう。
 そもそも「妖怪」という存在からして、日本人の生活の中から生み出された、(一般的なアニメのキャラクターと比して)視聴者の日常に近しい存在でもあるわけですから、その妖怪がメインの作品であり、さらに老若男女に理解されやすい「勧善懲悪」のテイストを盛り込んだこの作品は、元からいつの時代にも受け入れられる素養を湛えていたと言えるでしょう。
 「仲間と協力して悪妖怪をやっつける」「怖いけどどこかユーモラスな妖怪が大挙登場する」という根幹の部分は維持しつつ、その時代時代に即したアレンジを施されることで、ゲゲゲの鬼太郎と言う作品は、まさにいつの時代にも通用するパーマネントキャラクターとしての地位を確立したのです。
 その立ち位置が、視聴率と言う結果となって表れたのではないでしょうか。

 次回は1年間をクールごとに区切って、この1年を振り返ってみようと思う。
posted by 銀河満月 at 02:08| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲゲゲの鬼太郎(第5期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月02日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)51話「ネコ娘の東京妖怪見物」感想

 さてさて、去年の4月から放送開始された第5期ゲゲゲの鬼太郎も、今回放送分でめでたく放送開始満1年を達成することが出来た。
 歴代作品と同様に、2年目以降の放送継続を達成できたことは素直に嬉しい。改めて「ゲゲゲの鬼太郎」という作品の、コンテンツとしての強さを思い知らされた感じだ。

 さてそんな1年目最後の話は、32・33話の西洋妖怪編でのゲストであったミウとカイの兄弟が再登場する話である。しかも東京見物のため(鬼太郎に会うためもあるが)に上京してくると言うのだから、一見すると1年目を締めくくる話の前振りとは思えないくらいののんびりぶりである。
 話自体も妖怪退治がメインではなく、間接的にとは言え人間のために苦しむ羽目になった妖怪を「救出」することがメインとなっていた。
 加えて今期ではメインヒロイン扱いのネコ娘を筆頭に、妖怪横丁の面々も大挙登場し、さらにはOP主題歌「ゲゲゲの鬼太郎」をキャラクターが歌い上げ、ED主題歌までもラストの場面にかかるという、まさに終盤の展開ではないが「お祭り」状態の一編となっている。
 これは文字通り、1年間の締めくくりとして、5期鬼太郎を象徴する部分をなるべく強調して見せようと言う、スタッフ側の意図が働いているのではないだろうか。
 さらに言えば、レギュラー・セミレギュラーのキャラクターが大挙登場し、典型的な大団円で終わっている今話は、「最終回」的な話としても十分機能できるだけの内容となっている。
 もちろん5期鬼太郎は来週以降も放送継続するわけだけども、制作側としてはここで一度区切りをつけておきたかったのではないだろうか。だからこそこの時点で最終回的な話を作ったのではないか、そんな風にも思えるのである。

 最終回的な側面を強めている要素としては、ネコ娘と対等となりうる立場の存在としてミウが設定されたことが挙げられる。
 今回ミウが上京してきたことで、最初こそネコ娘は例によって嫉妬するわけだけども、ミウの持つ内面の魅力を知るにつれ、単純な嫉妬心は薄らいでいき、同時に自分が持っていない魅力を持つミウに、人間的な部分から惹かれていく。
 同時にミウも鬼太郎と共に戦うことの出来るネコ娘の、ネコ娘だけが持っている個性を認めていた。
 2人はラストでの会話の中で互いの魅力を認め合うことで、対等の友人関係が築かれることになる。
 ミウが鬼太郎に対し何を言おうとしたのかは結局不明のままだし、ネコ娘の鬼太郎への想いをミウが理解しているかも不明なので、ここら辺の問題はあまり解決していないのだが、むしろこういった問題がすべて解決していなくとも交友関係を築くことが出来ると言う意味で、最近は単純化されることの多かったネコ娘の個性の幅を広げることにも成功したと思う。

 脱出できなくなった赤エイをみんなで協力して助ける美談的展開も含め、今話は基本的には見ている人に不快感を与えない、清々しい印象を与えてくれる内容になっている。
 今話は話のテーゼや細かい整合性云々よりも、1年間の締めくくりとしてのお祭り要素を素直に楽しむのが吉だろう。

 そして2年目突入の第1弾は「夜道怪」。原作には登場したことのない妖怪だから、恐らくオリジナルストーリーになるだろうが、久々に怪奇性を強調した話になるようなので、今から楽しみである。
posted by 銀河満月 at 00:57| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲゲゲの鬼太郎(第5期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月24日

ゲゲゲの鬼太郎(5期)50話「呪いの花嫁!陰摩羅鬼」感想

 今回の鬼太郎だけども、前話での次回予告とか新聞のラテ欄だと、「陰魔羅鬼」表記になってるんだよね。本編でのサブタイトルでは「陰摩羅鬼」になってるんだけど。
 どちらも間違いではないんだけどさ。

 さてその陰摩羅鬼、元々は貸本版の「おかしな奴」がオリジナルであり、その基本的な骨子を使って少年マガジンに掲載された作品である。
 歴代のアニメシリーズでも1期、3期、4期と、各期ごとにそれぞれの味わいが付与される形でアニメ化されてきた、いわば定番話である。
 5期ではどのような話となるのだろうか…?

 屋敷の主である邦夫が毎夜生気を吸われるなど、細かい部分は原作と異なるものの、大筋は原作とほぼ同じになっており、特に「正体のわからない敵」という、原作での重要なファクターをきちんと生かしていた事は、素直に嬉しかった。
 鬼太郎と言う作品群の持つ怪奇な部分を一手に担っていた(と思われる)「墓場鬼太郎」が終了したためか、今話では久々に「おどろ」の部分が強調された作りとなっており、前述の正体不明の敵に対しての猜疑心や、杏子の正体を邦夫に告げる際の鬼太郎の厳しい口調、絵を描く際の光と影を対照的に用いた構図など、年が明けてからの作品の中では、比較的不気味さが強調されていた。
 魂金縛りの術を実行する際、最初の質問が「貴方の名前は何ですか?」であり、最後の質問が「貴方は誰ですか?」と言うのも、最初と最後をきちんとつなげた、意味のある質問内容になっていたと思う。

 不気味と言えば、杏子の中から陰摩羅鬼が飛び出した後、杏子が完全に「死体」の状態になっていることを強調する場面は、様々な制約がある現代の子供向けアニメの中では、良くやったほうだと思う。
 目は白目になったまま見開き、口は大きく開いたままの状態の死体がブラブラと動く様が執拗に描写されており、結構なインパクトを見る者に与えていた。
 またそこに邦夫と共にいた頃の杏子の姿が、回想としてインサートされてくるから嫌らしい。
 鬼太郎も完全に「死体」と割り切って対応しているあたり、なかなかのダークさだと思う。
 「情熱の天才画家」がきちんと再現されていたのも、原作ファンならニヤリとさせられるところだろう。意外にも3期、4期ではこのセリフは登場していない(1期は失念)。

 そしてほんのわずか、魂が戻った杏子に促される形で邦夫が魂金縛りの絵を完成させて陰摩羅鬼は消滅、同時に杏子も完全に「死ぬ」。
 クライマックスを見ると、4期と同様の悲恋ものになっているわけだけど、4期と違い、一切の感情移入を許すことなく、陰摩羅鬼の消滅と同時に杏子が死体になってしまうあたり、ドライな演出になっていた。
 最期に着ていた衣服がウェディングドレスと言うのも、なかなかに暗示的だ。

 あと個人的に面白かったところは冒頭、ねずみ男と一緒にかわうそが来るところ。
 前話での呼子とか13話でのぬりかべなどがねずみ男と協力して商売する場合は、(一応)まっとうな商売なのだが、かわうその場合はインチキ商売でもあえて加担しており、この部分からも各妖怪たちの個性が垣間見えて興味深い。
 あとは魂金縛りの術を行っている際、霊紙に書いた線が勝手に動いて一つの点となるところかな。
 僕は原作読んだ時から不思議だったんだけど、敵の正体がわかっていないのに、鬼太郎が能動的にどんどん点を打っていってその線を結んだら敵の姿が描かれる、というのがどうも納得いかなかったんだよね。
 だから今回の、鬼太郎自身ではなく霊紙と霊筆が自動的に正体を判断していくと思われるような見せ方は、個人的に大満足だったりする。

 次回は西洋妖怪編で登場したミウとカイの姉弟が再登場するとのこと。
 しかしこういう時に限って八島作監回なんだよなあ…。
posted by 銀河満月 at 01:23| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲゲゲの鬼太郎(第5期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゲゲゲの鬼太郎(5期)49話「あの世の七人ミサキ」感想

 先週はなんだか何もかもやる気が起きなくて、ブログは更新しないわ「墓場鬼太郎」の最終回は見ないわと、なんだか散々な一週間でした。
 今週からは気を取り直して、いつものペースに戻すようにしていかなくては。
 L4Uのダウンロードコンテンツも発表されたし(関係ない)。

 今回の題材は「七人ミサキ」。恥ずかしながらこの妖怪の存在自体、僕は知らなかったのだけど、ネットで色々調べてみたら、「地獄先生ぬ〜べ〜」には出たことがあるらしいですね。
 僕はあの時期のジャンプは全くと言っていいほど読んでいなかったので、全然わかりませんでした。

 今回のメインは呼子。家賃が払えない呼子はねずみ男の始めた商売に参加して金を稼ぐことにするが、その仕事先で七人ミサキに襲われてしまうと言う展開。
 「携帯電話に呼びかけると、ダイレクトに困った人へメールが送信できる」という特殊能力が、今回新たに紹介されていたけども、正直これは今回限りの設定に終わってしまいそうな気がして、あまり好ましくないな。まあ後々の話で生かせる描写が出てくるかと言うのも、微妙と言えば微妙なのだけど。
 ただ序盤のねずみ男とのやり取りの中に出てきた「簡単に諦めない」という下りが、クライマックスでの呼子の行動にきちんと盛り込まれており、その言葉を胸に呼子が一念発起するという流れは、決して巧みというわけではないが、うまい処理の仕方だったと思う。
 先述の携帯電話にしろ、あの世への呼びかけにしろ、きちんと「遠くまで大きな声を届かせる」という、呼子という妖怪が持っている本来の能力を基点にしている点では、上手な新設定の付与と言えるだろう。

 さて今回の敵役である「七人ミサキ」だが、これがまた何とも水木作品らしいユーモアに溢れた、個性的な連中に仕上がっていた。
 やっていること自体は極めて怖いものであるにもかかわらず、本人達は全く悪びれることなく、むしろ穏やかに実行しているあたりが、逆説的に怖い。
 「早くあの世へ行きたい」「死ぬのが楽しみ」などという、普通人とは価値観が完全に逆転した言葉を嬉しそうに連呼するあたりなどは、その最たるものだろう。
 「七人」という設定を生かして、戦闘シーンも力押しではなく技巧的な展開になっており、このあたりにも工夫の後がうかがえる(決着は「体内電気」という安直な手段になっちゃってたけども…)。
 そして最後は敵を改心させて、逆に敵から感謝されてしまう始末。正直こういう結末になるとは思っても見なかっただけに、変な意味で驚かされてしまった。

 個人的に今回の話は、原作の「海坊主先生」を髣髴とさせる仕上がりだったね。
 敵が人間の常識を超える価値観を持っていたり、最終的に鬼太郎が敵を救い、鬼太郎が感謝されるようになるまでの流れなどは、ほぼそっくりと言ってもいい。
 そういう意味では今話も実に鬼太郎らしい一編だったと言えるだろう。
 そもそも鬼太郎は見世物小屋的な、「見ている人をただキャーキャー怖がらせる」類の作品じゃないからね。

 今回は敵が七人と言うことで、参加した声優さんもいつになく多かったけど、進藤尚美さんは「墓場鬼太郎」にも出演してたから、やっぱりその関連でまとめて収録したのだろうか。
 小西克幸氏は本当に良く登場するね。今回は持ち役の傘化けが登場したからと言うのもあるかもしれないが、それにしても5期には良く登場しますな。

 次回は陰摩羅鬼。歴代シリーズでも必ずアニメ化されてきたメジャー話であるだけに、どんな内容になるのか楽しみである。
posted by 銀河満月 at 00:50| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲゲゲの鬼太郎(第5期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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