2005年11月04日

昔の人はわかってた

 昨日はカレンダーどおりに休みだったのだが、とある理由で結構疲れてしまった。その理由は恐らく日曜の戯言に書くことになるだろう(笑)。

 で、書きたいことはこんなことではなく、例のこの事件

 ま、「砒素は最古の暗殺手段」とかいう例を挙げるまでもなく、古来から人は「毒殺」という行為に対して、他の殺害手段よりも行為そのものに複雑な思いを抱くことが結構あったみたいなんだけどね。
 毒殺ってのは、それこそ血反吐ぶちまけて死んでしまうものから、眠るように死んでいく場合まで、多様な過程が存在しているから、そこら辺に日常では決して味わえない甘美さを感じてしまう人は、昔からいたらしい。
 もちろんそんな感情に取り付かれたからといって、実際に行為に及ぶ人間などは滅多にいなかったのだろうが。
 だから年端も行かぬ少女が、大人になったつもりで「毒」と言うものに屈折した憧れを抱いてしまったのも、まあありえる話だよなと納得は出来るのだ。と言って実際の殺人行為に及ぶことは決して許されないことではあるのだが。

 ただま、僕としては犯人の性格だの家庭環境だのは、はっきり言ってどうでもよく、こちらのサイトで指摘しているようなことをきちんと報道して欲しいのだ。
 例によってマスコミは犯人の周辺事情をセンセーショナルに報道し、タリウムを恐るべき薬品の如く誇張して喧伝している。こんなことではどうしようもない。
 マスコミが今一番しなければならないのは、模倣犯を生み出さないよう、必要以上の情報公開を抑えることではないのか。タリウムの人体に対する毒性を連日放送していれば、嫌でもどこからか模倣しようと企む輩が出てくるだろう。
 マスコミはこの一連の報道を通して、一体何を伝えたいのか。それがまったく見えてこず、見た目のセンセーショナルな部分にだけ拘り続けている。一時期報道番組の「ワイドショー体質」が批判されたが、結局2005年の今になっても、何も変わっていなかったということなのか。

 大体タリウムってそんなに恐ろしい薬品ではないんだけどな。過剰に摂取すれば毒になるってだけで。
 有名な「一酸化二水素の恐怖」に代表されるように、自然界に存在している物質は、基本的に許容範囲を超えて摂取すれば、どんな物質でも人間にとって害になるものなのだ。
 そこら辺をきちんと説明せず、ただ「タリウムを使って毒殺しようとした」と言うことだけを声高に訴えていては、事実を正しく伝えているとは言えないだろう。

 「薬も過ぎれば毒となる」とは、単純だが普遍的な真理である。
 昔の人はいいこと言ったもんだ。
posted by 銀河満月 at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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