去年は他の藤子ファンの方々とお墓参りに出かけたけども、さすがに赤の他人が毎年おしかけては、故人もゆっくり寝ていられないだろうから、今年はお墓参りは控え、代わりに久しぶりにSF短編パーフェクト版を全巻通しで読んでみた。
今更言うまでもないことだけど、SF短編を読むと、その根底にあるテーマは、一部の作品を除いて「価値観の逆転」に落ち着くことがわかる。
旧来の価値観を意図的に打破することは、ギャグマンガではよく使われる手法ではあるので、殊更珍しいことではないが、藤本先生は「SF短編」という、ギャグではない系統の作品においてまで、このテーマを根幹に置いていたのだから、藤本先生はこのテーマによほど深い思い入れを抱いていたのだろう。
そういう意味ではギャグマンガにおいて、価値観の変容したナンセンスな世界をずっと描いてきたからこそ、描くことの出来た作品群とも言えるだろう。
同時にデビュー初期は「海の王子」を始めとする、結構ヒロイックな作品を書いてもいたので、そういった初期の作風と中期以降のギャグ作品で培った作風との、ハイブリッド作品と呼べるかもしれない(ハイブリッドって言葉自体が死語だが)。
さらには「ドラえもん」で完全に世界観を構築した、「不思議な道具を日常世界に持ち込む」構図まで盛り込んでしまうのだから、その手法には驚かざるを得ない。
改めて思う。藤子・F・不二雄と言う漫画家は、物凄い人だったのだと。そしてその人が生きている時代に、一緒に生きていることが出来た僕は、とても幸せだったのだと言うことを。
と、藤本作品の素晴らしさを再確認したのは良かったが、今日と言う日もあって、その藤本作品について今日はあれこれと考えてしまった。
確かに藤本先生の作品は素晴らしい。しかし今現在、藤本先生の作品をドラ以外で、一体どれほど読むことが出来ると言うのだろう?
文庫で有名どころは発売されているし、SF短編も上述のパーフェクト版こそ店頭在庫しかないものの、文庫版は今でも普通に流通しているらしい。
しかしそれだけではない。オバQを始めとした様々な作品が、いまだ日の目を見ることなく眠り続けているのも事実なのだ。
ドラにしてみたところで、最近はぴかコミでだいぶ補完できているとは言え、単行本未収録の話はまだ3分の1ほどある。
殊にオバQは深刻だ。「コロコロ伝説」1巻に新オバQこそ収録されたものの、それ以外の動きはまったくなく、旧オバQに至っては、作品がどこかに収録される気配すらない。
オバQに関しては権利上の問題などで、取り扱いが難しいと言うのはわかる。しかしそれではその問題を解決するために誰がどれだけ動いているのだろうか。我々一般人はまったく知ることも出来ない。
藤子プロはドラ以外の作品群を、これからどうするつもりなのだろうか。手塚先生や石ノ森先生の作品については全集が出ているが、藤本先生の作品については(安孫子先生もそうだけど)、そういう気配がまったくない。
作品を後の世代が受け継いでいくためには、それを若い世代が容易に手に取り、読むことの出来る環境が必要である。そしてその環境を作ることが出来るのは、現状では小学館と藤子プロしかないのだ。
しかしそのような動きは一向に見られない。これでは藤本作品を後々まで残していこうという意思がないと見られても、仕方がないだろう。
今日と言う日にこういうことを言うのは何だが、藤本作品の未来はそれほど明るいものではないのかもしれない。
最近のリニュ版ドラも含め、藤本作品近辺にはここ数年、あまり明るい話題はないと言っていい。
この現状を打破するためには、結局小学館や藤子プロにがんばってもらうしかないというのも、なんとも歯がゆく残念なことである。