2018年09月30日

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)25話「くびれ鬼の呪詛」感想

 今回登場の妖怪はくびれ鬼。原作ではほぼ出番がない妖怪だがアニメ版では4期以降、各期1回は必ず登場する名の知られた存在である。アニメで出番が増えた点については、凶悪な面構えが全体の大部分を占めるというデザイン上の強烈なインパクトもさることながら、「人間を自殺に追いやる」という伝承に沿って登場する人間側ゲストの心の闇とか弱さを描きやすいという作劇上の便利キャラ的都合もあるのだろう。
 今回もその例に漏れず人間の持つ心の暗部を、まなを中心として描いているのだが、今回描かれた暗部とは闇と言うよりもむしろ「弱さ」の方を強調していたように思われる。

 くびれ鬼が隠れ蓑として使用していた呪いのアプリとは、一定時間内に誰でもいいから名前を入力しないと自分に呪いが返ってくるという、言わば現代版不幸の手紙のようなもの。
 で、元ネタである不幸の手紙と同様に「誰でもいい」というのがこのシステムの厄介なところで、まなも友達の雅や香凛も(そう言えば今までは「みやび」表記だったけど初めてフルネーム設定が出てきたな)何か相手を憎んでいるとか恨んでいるとかそんなことはなく、当初は本当に軽い気持ちで、中途からは自分が呪いを受けたくないからという気持ちで誰かの名前を入力している。
 そこに悪意があったのかと言うとまったくないとは言い切れないが、強烈なマイナスの感情を抱いているというわけでもない。むしろ何か気に入らないことがあった時、誰かをさしたる理由もなく呪うというよくよく考えれば人の道に外れていると言ってもいい行為に救い、あるいは一時の心の安寧を求めてしまう「弱さ」に根本の原因があったように思われる。
 だからこそその弱さを最後の小さな勇気で跳ねのけて自分が呪いを受ける道を選択したまなが鬼太郎に救われる、という展開にも得心がいくというものであろう。この手の話はねこ娘も言っていた通り「人を呪わば穴二つ」という教訓が定番であるが、その穴二つを避けて敢えて自分だけの穴で済ませようとしたまなが救われるのは物語上の道理なのである。
 …蒼馬についてはおいておくとして(笑)。

 冒頭からかなり陰鬱とした展開が続いただけに、クライマックスの鬼太郎&ねこ娘とくびれ鬼との決戦はかなり爽快。くびれ鬼の髪の毛で縛られるところをねこ娘の爪で脱出した後は、ちゃんちゃんこで強引に叩きつけて消滅させるという力技を披露。まなに陰湿な嫌がらせをし続けてきたくびれ鬼の退治の仕方としてはこれ以上ないくらい痛快な止めだった。
 だがそこで終わらないのが今回の鬼太郎。久々登場の名無しが八百八狸編に続いてまなに今度は「火」の見えない刻印を施す。これまでの描写から見るに名無しは人間の放つ悪意のようなマイナスの感情をエネルギーとしてまなを何かしらの器として完成させようとしているようだが、その理由まではさすがにまだ見えてこない。木に火と来ているからにはいわゆる「五行」、つまり残りは水、土、金の3つを刻印するのだろうが、来たる西洋妖怪編では暗躍するのか出番を今まで以上に控えるのか、それもこれからの見どころの一つであろう。
 あと今回でやるなと思ったのは「首吊り」の描写。首吊り用の縄がポンポン出てくるし冒頭では直接的ではないにせよ首を吊った人間の足をそのまま映したりと、このご時世でかなり挑戦的な描写を入れてくるのには素直に感心した。

 次回は画皮。予告を見る限りだと今回は美青年の姿で登場するようだが、最終的にはいつものあの姿を晒すことになるのだろうか。


posted by 銀河満月 at 11:48| Comment(0) | ゲゲゲの鬼太郎(第6期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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