前話は境港の各所を背景として盛り込みつつ、私欲のために人間を困らせる海座頭と鬼太郎たちの戦いを描いていたが、今話は名所観光的な側面は影を潜め、蟹坊主と鬼太郎側の戦いや蟹坊主と境港の因縁を暴いていく謎解きに終始した、オーソドックスな妖怪退治譚に回帰した内容となっていた。一応鳥取県のシンボルの一つである大山が登場してはいるが、物語としてはそこに住んでいる烏天狗との絡みに焦点を当てているのが、妖怪退治ものという骨子をより強調している。
鬼太郎を始めほとんどの味方妖怪が蟹坊主に銅像にされてしまい、人間のまなが目玉親父や砂かけ婆と協力して鬼太郎たちを救おうと奔走するのはこれまでの話でも何度か見られたパターンだが、今話がまな自身が直接何かの助けを成すことはなく最終的には烏天狗などの助力もあって解決するという流れになっていたのは、まなの「偶然力」のようなご都合主義的展開に陥らせないようにする配慮もあったのかもしれない。
暴れる蟹坊主も前話の海座頭のような私欲で暴れる自分勝手な輩とは違い、かつて忠誠を誓った姫の影を追い求め、それが幻とわかっていてもさすらわないではいられない、人間よりもはるかに長く生きられるからこそ起きる悲劇の体現者であった。そしてこれもまた人間と妖怪が必要以上に深く関わり合ったために生まれてしまった悲劇でもある。
今期鬼太郎は人間であるまなの鬼太郎たち妖怪への接し方の変化を通して、人間と「見えないもの」との距離を縮めていく流れが根底にあるのだが、それと一緒に人間と妖怪が歩み寄った故に起きてしまった悲劇というのも執拗に描写している。まなに狙いを定めた名無しの件も含めてそれがどのような展開に繋がっていくのか、非常に気になるところだ。
烏天狗の力を借りて鬼太郎は復活し、蟹坊主は現代に自分の居場所がないことを悟って敢えて自滅、姫の眠る境港の地に自分も眠らせてほしいと伝えて自ら泡を浴びて銅像になる。
蟹坊主を憐れに思った境港の人々は蟹坊主を銅像として飾り、また蟹坊主だけでなく事件の解決に尽力してくれた鬼太郎たち妖怪の銅像も作ってそれを町に飾る。
言うまでもないことだが、これは現実世界にある「水木しげるロード」を元ネタにしており、冒頭で名所観光の要素は影を潜めと書いたが、何のことはない、物語の中で新たな「名所」を作ってしまったわけである。現実世界のネタを巧みにリンクさせただけでなく、その要素を生かして最終的には昔話・民話的寓話として完成させてしまうのだから堪らない。さすがプロの仕事と言うべきトリッキーな物語作りであろう。
なぜか1人だけ銅像から元に戻らなかったねずみ男のオチも含めて、単なるタイアップに留まらない秀作・良作として成立していると言って過言ではない。
次回登場妖怪はかわうそ。近作の5期では準レギュラーとして活躍していたかわうそだが、今回は原作「オベベ沼の妖怪」に沿った話になるのだろうか。