鬼太郎を見ている人なら周知の事実だろうが、境港は原作者である水木しげる先生の生まれ育った地であり、現在は1993年から始まった「水木しげるロード」を始め水木先生や水木先生の描いた様々な妖怪たちを使った町おこしも継続して行っており、まさに妖怪と共存している町と言っていいほどである。
1993年と書いたとおり境港の町おこしは4期鬼太郎の開始前から行われていたのだが、このような所謂アニメとのタイアップについてはかつての4期も5期も行っておらず、水木しげるロードの開始から25年の今年、初めてアニメ鬼太郎とのタイアップが行われる運びとなった。それだけに冒頭からまなが境港の風土や名産などをべた褒めし、風景もロケハンによって現実のものがほぼ忠実に背景として描かれている(背景の1つとして水木しげる記念館が映ったが、6期鬼太郎の世界にも水木先生が存在しているのだろうか)。
ただ褒めそやすだけでなく名物の祭りを巡って伝統を守ろうとする側と革新を求める側とで対立が起き、結果祭りが実施できなくなっていると言う展開はいかにも今期の鬼太郎らしい今日的な要素であるが、最終的に町民も団結するとは言えこのようなマイナスと取られかねない要素までタイアップ話の中に盛り込んでくると言うのは、それだけ境港の懐が深いと言うことなのだろうか。
個人的な余談としては、庄司おじさんたちに甘えてテンションが高くなっている時のまなの声が、ミリオンライブの所恵美の声っぽく聞こえたりもしたのがおかしかった。
その庄司おじさんや漁師のキノピーたちを船幽霊に変えてしまう妖怪・海座頭が出てきたことから鬼太郎の出番となるが、船幽霊は海座頭に操られて鬼太郎たちを襲ってくるため、鬼太郎はまともに海座頭と戦うことができない。船幽霊たちの魂を閉じ込めた海底の祠は扉がとても重く簡単には開けられないと知ったまなは、町の全員でやれば開けられると考える。
自分の大好きな境港の町を守りたいと必死に訴えるまなの呼びかけに祭りの件で反目していた人たちも団結、駆けつけたねこ娘たちとも協力して祠の扉を開け、船幽霊の魂を解放する。
その後もなお苦戦する鬼太郎をかつて高校球児だった庄司おじさんの投球による一撃で救ったり、事件解決後無事に開かれた祭りをまなたち人間と鬼太郎たち妖怪が共に楽しむ様子を描いたりと、前述のとおり25年の間「妖怪との共存」を実現してきた境港を舞台とした話にふさわしい展開でクロージングとなった。
妖怪と人間とは必要以上に交わってはいけないと言うスタンスを持つ鬼太郎だが、そんな鬼太郎にとってもこの町は居心地が良かったのだろう。そもそもアニメと現実とは違う世界なのだから我々の知っている境港と劇中の境港とが同じとも言えないのだが、「境港」とは妖怪と人間が共存できる場所という一種のシンボルなのだとして考えれば、妖怪と人間とが一つの町で仲良く過ごせるひと時を大切に想うまなの「こんな時間がずっと続くといいな」という言葉に、笑みを浮かべながら頷くように顔を下げる鬼太郎の姿にも納得がいくというものであろう。
次回もまた境港が舞台のお話で登場妖怪は蟹坊主。世代人なら3期EDの最初に出てくる妖怪として記憶しているであろう妖怪だが、人々を銅像に変えていく理由は何なのだろうか。