2018年07月08日

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)15話「ずんべら霊形手術」感想

 アイドルのプロデューサーはアイドルになってもいい奴だった。

 …と、わかる人にしかわからんネタはさておき、今話は2期でも一度アニメ化された、鬼太郎の登場しない短編漫画を原作とした「霊形手術」。2期はどこまでも自分の美しさを追い求めた故に残酷な、そして自業自得な結末を迎えた女・月子の末路を描いていたが、6期版と言うべき今話は2期版のメインであった月子よりも、その月子に惚れていた男の三吉に近い立場の少女がメインとなった。
 一応月子のキャラシフトに対応しているイケメンアイドルのユウスケも登場しているが、今話の三吉≒きららはそこまでユウスケ個人に固執しているわけではなく(理由の一つではあるが)、恵まれていない自分の容姿そのものに劣等感を抱き、それ故に周囲から蔑まれる現状に苦しんでいる。容姿の問題は化粧や服の着こなしである程度は改善が見込めるものの、特に顔となればそう簡単に解決できるものではないだろうし、何だかんだ言っても女性の容姿となればどうしても男性より重視されがちである以上、きららにとっては大きな問題であったのは当然と言える。他人の美醜に何かしらの感想を抱いてしまうのは仕方ない面があるとしても、それを本人にわかるレベルではっきり態度に示した時点で周囲の人間にも明確な悪意があったと言え、苦しむきららの描写にシンパシーを覚える人もいたのではないだろうか。
 そんなきららは妖怪ずんべらの力で美しい死体の顔を元の顔の代わりに貼り付けることで幸せなひと時を味わうが、時間が経つとその効力も消えて顔のないのっぺらぼうになってしまう。この辺は原作とほぼ同様だが、最終的にきららの出した答えは「美しい顔でい続ける」と言うものだった。
 以前から彼女の書いたファンレターに励まされていたというユウスケに説得され一時は元の顔に戻したものの、最後に見せた顔は霊形手術をした時と同様の顔だった。その最後のシーンはエピローグ的描写で元に戻ってから再び美しい顔になるまでの経緯は描かれていないので、最終的にこの顔をどうしたのかについては視聴者の判断にゆだねるというところなのだろう。つまり再びずんべらに霊形手術をしてもらったのか、それとも一般的な整形手術で顔を変えたのか。
 どちらにせよ1人の男に許容されるだけの幸せでは満足できなかった、と言うより結局それ自体も彼女にとっては幸せ足りえなかったという事実がそこにあり、ラストのきららの小悪魔的な笑顔と相まって彼女の先を想像しないではいられない。
 思えば2期版の三吉はただ月子に想いが通じればそれで良いという一念で霊形手術を行った一方、月子はそんな三吉に目もくれずずんべらと結婚し、自分自身が霊形手術をする側になって儲けようとまで企んだ。
 ただ今の自分を変えたい、美しくなりたいと望んだきららは、霊形手術を受けることで変わった世界を忘れられずさらなる「自分の望んだ世界」を求めるために顔を変えた。美しくなりたいという望みは男女問わず一度は願う普遍的で、見ようによっては小さな望みとも言えるだろうが、きららはその望みをかなえた先の望みをも叶えることに貪欲になってしまった。言ってみればきららは2期版の三吉と月子、両方の登場人物の望みを体現したキャラクターとして完成してしまったのである。
 美しくなって小さな望みを叶えたいという「三吉」ではいられなくなったきららは「月子」然とした存在になって世界へと邁進していく。しかし2期版の月子が最終的に迎えた結末は……。それを知るときららの行く末に幸福な結末が待っているとはどうしても思えない。
 かような苦い終局を迎えた挿話かと思いきや、一方では「1人の男に愛される女というありきたりの幸福論を越えて自分が幸せになる道に進んだハッピーエンド」と考える向きもあるようで、感想とはやはり千差万別と改めて思い知ると同時に、正味25分程度の一エピソードでここまで色々考えさせてくれるアニメを見られることはこの上ない幸福だなあと感じ入る次第である。

 と、そんなお話のために割りを食った、という言い方も不適当だろうが、鬼太郎たちの出番はほとんどなかったのは残念と言えば残念だが、元々鬼太郎の登場しない短編が原作であるために鬼太郎たちが直接介入する余地がほとんどないのは仕方のないところでもあるので、むしろ原作短編の味を比較的忠実にアニメ化出来たという点を素直に褒めるべきだろう。
 声優に目を向けると、きらら役のゆかなさんやずんべら役の久川綾さんと言ったベテランが4期から継続してゲスト参加している(と簡単に言うけど4期は20年近く前だからやっぱりすごいことですねえ)一方で、アニマスのプロデューサー役で一躍名を馳せたバネPこと赤羽根健治さんがユウスケ役で出演されていた。前話のちゃんゆりことのぐちゆりさんもだが青二の若手がポンポン参加してくれるのも東映アニメの良いところなので、その内そらそらあたりも出演してくれることを願うとしよう。

 次回は海座頭。水木先生の故郷である境港が舞台になるということなので、まさか原作のように鬼太郎やねずみ男が厭世感に囚われる話にはならないだろうが、どんな話にするのであろうか。境港を舞台にするのだから名所巡りくらいはしそうなものだけど(笑)。
posted by 銀河満月 at 15:07| Comment(0) | ゲゲゲの鬼太郎(第6期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: