2018年07月01日

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)13話「欲望の金剛石!輪入道の罠」感想

 鬼太郎らしからぬスペクタクルとなった八百八狸編も一段落し、比較的オーソドックスな妖怪退治ものに回帰した今話。だが今話は毎回のゲストである敵妖怪より鬼太郎一番の悪友であるねずみ男と鬼太郎の関係性にフィーチャーした内容となっていた。
 今期の鬼太郎は人間のまなとの交流に序盤の話を割いたため、ねずみ男と鬼太郎がどういう関係なのかについてはニュアンスで察せられる程度に留めており明確に描写してはこなかったわけで、既に鬼太郎とねずみ男という有名キャラクターは今更説明しなくても視聴者は知っているだろうという打算が働いていたのかと意地悪な見方も一時はしてしまったものだが、ここで改めて両者の関係を打ち出してくるというのは、第1クールの最後となる今話にはふさわしい構成だと言えるだろう。

 今回の話は原作の「ダイヤモンド妖怪」を下敷きにしているので、敵妖怪の輪入道の特徴や能力、それに対する鬼太郎の攻撃方法と言った重要な部分の要素は概ね原作に沿ったものとなっていた。
 だからこそそれ以外のアニメオリジナルと言っていい部分でねずみ男の様々な描写が光っていた。自分を半妖怪の鼻つまみとして自嘲するのは4期版でもあった少々らしくない描写だったが、ダイヤモンドの材料として躊躇なく人間たちを犠牲にするところ、他者と結託して自分の手に余る状態になりつつあるのを理解しながらも目先の金を優先し、いよいよとなると虫の良さを自覚しつつも鬼太郎に助けを求め、事件が解決した後も反省はまったくしないという、どこまでも自分の欲望や欲求に忠実(特に金銭欲)に生きるねずみ男らしさが存分に発揮されている。特に材料となる人間が世界規模にまで広がりながらもそのこと自体にはさほど後ろめたさを感じておらず、ダイヤの販売や輪入道の制御が自分の手を離れてしまうことの方を懸念しているあたりのドライな描写が、実に原作のねずみ男と近しい個性になっていて、原作ファンとしては非常に嬉しいところだった。
 これだけ悪どいことをしておいて罰を受けないのは…という意見もネット上ではチラホラ見るが、原作からして受ける時は受けるし受けない時は受けないという扱いだったし、水木世界自体が欲望に忠実に生きることを否定しない世界でもあるから、罰を受けないこと自体に目くじらを立てる必要はないのだろう。
 その分鬼太郎の出番がAパートで少々、Bパートも半分ほど過ぎてからと少々少なくなってしまっているが、原作でも事件に直接絡むねずみ男の描写ばかりで、主人公たる鬼太郎が最後の方に登場して事件を解決して終わる、というパターンもいくつもあるので、ある意味ではねずみ男が一番お気に入りだったという水木先生の作風に沿った内容と言えるかもしれない(今期でも既に5話でやっているストーリー構成ではあるが)。
 むしろねずみ男に輪入道、人間たちの三すくみで欲望が入り乱れた醜い描写が続いただけに、鬼太郎が登場して敵妖怪をやっつけるという単純な構成がむしろストーリー上の救いとして一層の効果を発揮する結果にもなっており、これもまた水木ワールドならではのマジックであろう。

 次回はまくら返しが登場するようだが、粗筋を読む限りだとまくら返しが敵という展開にはならないようで、今話が原作の味をほぼそのまま生かした話だっただけに、次回でどの程度捻ってくるのか楽しみである。
posted by 銀河満月 at 16:29| Comment(0) | ゲゲゲの鬼太郎(第6期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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