で今話の鬼太郎は登場する妖怪としては河童といそがしになるのだが、妖怪退治が主眼ではなく妖怪と人間とが織りなす悲喜劇の方に重点が置かれていた。前話で鏡じじいが敵役かと思いきやがしゃどくろが出てきたように、わざわざサブタイトルにも「河童」と入れているにもかかわらず公式の前情報ではいそがしが唐突に紹介されたので、今回もいそがしが敵役の立場になるのではと思ってしまうところをそうさせないあたり、これまでの例に漏れず視聴者の思い込みを逆手に取った構成を組んでいるのだと感心させられる。
個人的にはいそがしがかつて活動していたのが「10年ほど前」というところに、5期でいそがしが登場した89話の放送年を思わせてくれたり、鬼太郎の情報をネットに流して大量に依頼を募集するねずみ男の様子は、鬼太郎家に大量の電話(!)を引いて依頼を取ろうとした3期49話を想起させたりと過去作を意識したのかと思わせてくれるような描写が気に入ってしまったのだが、それを抜きにしても十分楽しい内容だった。
ブラック企業という明確なテーマが存在している点で今話は7話と同様と言えるが、恐怖で彩った7話と違い今話は終始コメディタッチを貫いており、同じテーマを扱うにしても風刺の仕方にはこれだけ幅を持たせられるのだということがよくわかる好例と言えるだろう。
ただどちらかと言えば今回はブラック企業と言うよりは、その企業に翻弄される労働者・サラリーマンの方に主眼を置いた構成になっており、水木漫画の「サラリーマン死神」シリーズを例に挙げるまでもなく、サラリーマンの悲哀というやつは鬼太郎世界に元々マッチしているものなのかもしれない(言うまでもないが2期の死神関連作や5期35話の元ネタでもある)。
PCの前で働く河童たちも人間臭いなどと生易しいものではなく、モロに(追い込まれていく)サラリーマンそのもののように描かれているのがいかにも水木世界らしい。遠野の池で暮らしていた頃の朴訥さが消えていき、知識を経て賃上げ交渉にまで出張って行くその様は、まさしく目玉親父の言った「心を亡くした」姿でもあり、我が身を顧みて痛々しさを覚えた大人もいたのではないだろうか。
最終的にその河童たちも社長に対し反乱、というか反抗し出すのは、前半で人間の部下が社長に反抗していたところを思い返すと、文字通りまったく同じ事の繰り返しになっていて、人間と妖怪が全く異なる存在ではないと訴えてくるこの構成は5話のかみなりの描写に近いものがあるが、こんな形で人間と妖怪の同質な面を見せつけられるのは鬼太郎でなくともたまったものではないだろう。妖怪と人間が近づくということはこんな情けないザマを互いに見せつけ合う結果になってしまうのかもしれない。
ただ人間だったらそこで泣き寝入りしてしまうようなところを、河童たちは尻子玉を引っこ抜くという手段で応戦する。駆けつけた鬼太郎はおろか器物が基のぬりかべや一旦木綿までやられてしまうのは少々コメディ要素が過ぎるのではとも思えるが、あまり人間相手の尻子玉抜きを繰り返すと生々しすぎるのでこのくらいで線を引いておいた方が良いのかもしれない。
いそがしの力を使った鬼太郎に河童たちは抑え込まれ、彼らの先頭に立っていた太郎丸も弟の説得で故郷に戻ることを決める。そのやり取りを聞いていた社長が今度はいきなりスローライフに目覚めて家族に呆れられ、結局ほどほどが一番というこれまた水木漫画らしいオチで今話は締めくくられるのだった。
他に今話の特筆点と言えば4期5期に参加していた信実節子氏が作画監督として6期に初参加したという点か。丸っこくて大きい目が特徴で且つ戦闘シーンでもさほど崩れずよく動くという魅力的な作画をしていた人だが、今話の場合は…。尻子玉を戻された時の鬼太郎の表情とか面白かったでしょ?(笑)
次回はねこ娘とまながメイン?になっての「学校七不思議」回とのこと。鬼太郎で七不思議と言ったら3期最終回で生かされた本所七不思議の諸要素が思い出されるが、今回は勿論まったく別のものになるだろうし、何より6期を代表する要素である「まな」と「ねこ娘」のコンビがメインになるようなので、今から楽しみである。