だが極端なことを言えば、20話で描かれたことは千早個人の私的なトラブルを解決するのみの話であり、アイドルとしての如月千早の扱いについては、まだ宙に浮いた状態のままであることも確かである。
千早がいかにして「アイドルの如月千早」を取り巻く状況に決着をつけるのか。それが今話の主題であったわけなのだが、実際にはさらにプラスアルファの要素も盛り込まれ、視聴者の予想を越えたであろう濃密な話として完成している。
週刊誌やスポーツ新聞に掲載される千早のインタビュー。それは公には沈黙を通してきたとされている千早が初めて自らの言葉で語った、自分の過去についてのインタビューだった。
記事を執筆しインタビュアーも務めた善澤記者に高木社長は感謝の言葉を述べるが、善澤記者は自分の功を否定する。
今回のインタビューは千早、そしてプロデューサーの側から頼み込まれてのことだった。千早がアイドルとして今まで通りの活動ができるよう、自らこの問題について語ると2人で話し合った末の申し出であったのだ。
冒頭に書いたとおり千早個人の問題が解決した次は、アイドルとしての千早の問題に対応しなければならないのは道理であるが、個人の問題がクローズアップされた20話では春香を始め事務所の仲間、つまりは友人たちとのやり取りや関係が重視されたのに対し、アイドルという仕事面のことにおいてはプロデューサーとの関係性が改めて打ち出されているのは、「アイドルとプロデューサー」という関係性が根本にあるという点を鑑みれば、まことに的確な人物配置と言えるだろう。
自分から申し出たこととは言え、一番辛い過去の出来事を話すということは千早にとってはかなり辛いことであったはずだが、それをきちんと話すことができたというのは、言うまでもなく20話でのことを経て過去を乗り越えたからに他ならない。
このワンシーンのみで千早と仲間たち、アイドルとプロデューサーの二つの関係性によって生み出された良性の部分を描いているのは巧みである。
だが同時に善澤記者も961プロの仕掛けてきたゴシップ記事にはかなり腹を立てている様子。元々765側陣営のスタンスとしては、961プロとのゴタゴタも基本的にはプロデューサーやアイドルたちに一任し、大人たちはあくまで一歩引いた位置で見守るという体を守ってきてはいたが、事ここに至ってさすがに大人の善澤記者や高木社長も、バックアップ的なやり方であるものの、動かざるを得ないと判断したということだろうか。
また善澤記者の言っていることは極めて一般的な良識の範囲内の言葉ではあったが、19、20話と連続して低俗なゴシップによる騒動や事件が描かれてきたことを考えると、これを齢を重ねた大人が発言しているという点も含め、どこかほっとさせられる言葉ではあったろう。
これで765プロ側からの返しの一手を打つことはできた。次にやるべきことはアイドル「如月千早」が健在であることを、広く世間に知らしめることである。
ここで20話における舞台設定が生きてくる。前話でのライブは定例ライブというごく小規模なイベントであったから、まだ千早復活の認知は世間的にはそれほど成されていない。小規模イベントに集まる観客は元からの根強いファンであったろうことも考えると、千早の復活劇も比較的容易に受け入れてくれただろうが、いつもそううまく行くとは限らないのだ。
無論それは千早も承知のことだろうが、既に準備は出来ている。「IDOL JAM」に向けてボーカル練習に臨む千早の声は、それを表すかのようにいつもの如く美しい歌声であった。
千早の良い方向への変化を指し示すように、今話からOP映像も千早が単独で歌っている部分だけ、若干映像が変更された。千早を今まで彩っていた青い光が、20話で千早の部屋に差しこんできた夕焼けの光と、そして千早のすぐそばにいてくれた春香のイメージカラーと同様の赤い光に変わり、歌っている千早の表情も穏やかな笑みを湛えたものになっているのだ。
本編のストーリー進行に合わせてOP映像を変更するというのは、アニマスでは初めてのことであり、千早関係の話を第2クール期の重要なポイントとして最初から捉えていたことが改めて窺える。
さてそんな765側の対応に煮え湯を飲まされる形となったのは、言うまでもなく黒井社長である。彼にとって千早の件はまさしく会心の一手であったはずであるだけに、さすがにいつもの落ち着き払った態度も失せ、社長室で1人激昂する。
しかしまだ諦めてはいないようで、何かしらの報復手段に出るつもりではあるらしい。「報復」という手段に訴えている時点で、それを最初から否定した765プロ側とはかなりの差があるのだが、いったい何を仕掛けてくるつもりなのだろうか。
そんな事情とは関係なく「IDOL JAM」の当日がやってきた。ステージの準備も着々と進み、大勢の観客が列を作って待機している盛況ぶりから見るに、かなり大きなイベントらしい。確かに千早の復活の場としては申し分ない舞台と言える。
そんな中で765プロのアイドルたちも楽屋に集まり、めいめい準備を始める中、プロデューサーと律子は2人、今回のライブの重要性を噛みしめていた。
先述の通り、千早が復活したことはまだそれほど認知されておらず、しかも定例ライブを根っからのファンが集まるホームイベントとするなら、今回の複数アイドルが集合する合同イベントはアウェーイベントとも言え、特に千早や765プロアイドルのファンではなく、ゴシップ目当ての興味本位の人間も少なからずいることだろう。
そんな聴衆の中で初めて千早は姿を見せ、歌を披露することになる。そこでもし失敗したら、今後のアイドル活動に影響が出るであろうことは避けられないし、千早本人の受けるダメージも計り知れない。律子の言ったとおり、今回のライブはまさに千早にとって「試練」なのだ。
会場の観衆が千早をすんなり受け入れてくれるかどうか、不安な気持ちを吐露する律子。それはもちろんプロデューサーも同様だったはずだが、同時に今の千早の歌を聞けば、会場の人たちもきっと受け入れてくれるという自信を、不安感よりもずっと強く抱いていた。心から歌を歌うことを願い、そのためにアイドルの世界に戻ってきた今の千早の歌ならば。
そんな千早に歌に専念してもらうためにも、いいコンディションを維持したままでステージに送り出せるよう2人でフォローしようと話したその矢先、律子に不意の連絡が入る。
それはヘアメイク担当からの電話で、765プロを名乗る人物から当日のメイク作業のキャンセルが入ったというものだった。代わりの担当もよこしてもらえず、必然的にメイクは自分たちで行わなければならないということになり、一同の表情も曇る。
そんなみんなの、とりわけ千早の様子を見やった春香は、とりあえず自分たちでメイクをし、難しいところがあれば互いに手伝って仕上げようと、いつものように努めて明るく提案した。
このような春香のフォローは、11話や13話において春香の楽天的な部分として強調された面であるが、今話まで見続けた方であるなら、根底に皆に対する信頼と自分たちへの自信、そして春香の持つ優しさからの発露である小さな気遣いがそこにあるということも十分承知されているだろう。決してただポジティブであるだけの「楽天的」な少女ではないのである。
そんな春香の提案に最初に同意を示したのが、竜宮小町というユニットの実質的なリーダーとして長く他メンバーを引っ張り、周囲を鼓舞する役目を担ってきている伊織というのも頷ける話だ。
曇っていたみんなの表情が再び晴れやかに戻ったのを見て、春香は1人プロデューサーに微笑みかけたのは、前話でプロデューサーが春香に個人的な感謝の気持ちを伝えたことから生まれた「秘密の絆」だとするのは少し考えすぎだろうか。
そんな春香の気遣いが全員の心に浸透していっているということは、貴音が千早のメイクを手伝うことでより綺麗に明るく仕上げることができた事実が端的に示している。
千早のフォローに回る立場の人物が貴音というのも、4話や19話でのやり取りを念頭に置いて考えてみるとなかなか興味深い。予期せぬ形とは言え秘密が露見し、紆余曲折の末にその秘密を自ら公言するまでに至った千早の成長を、同じく大きな秘密を抱えている貴音はどのように受け止めているのか、その辺を考察してみるのも一興かもしれない。
皆がメイクに勤しむ中、今回の一件の裏に961プロの存在を感じ取る律子とプロデューサー。十中八九間違いはないのだろうが、プロデューサーはそれでも以前と同様、安易な報復に走るようなことは考えずに、春香たち765プロアイドル全員の力を合わせれば乗り切れると言い切る。
それは先述の春香の言葉に皆が同調したことだけでなく、今回の一件が露見した際に誰も「961プロ」の言葉を口にしなかったところからも推察できよう。16、19、そして20話とそれぞれ響、貴音、千早に個人攻撃までしてきた961プロのことを、あの時一瞬でも頭をよぎらなかったはずはないのだが、それでも彼女たちは誰一人口にすることなく、自分たちが今真っ先にやるべきことを選択し、それに取り組んだ。それが彼女らのスタンスであり強さそのものなのである。
しかしその頃、当の黒井社長はライブの音響スタッフに何事か話しかけていた。遠くからそれを見かけた冬馬は、その怪しげな雰囲気からまた社長が何かを企んでいるのかと考えるが、自分たちの出番が迫っていることを北斗や翔太に告げられ、うやむやのうちにその場を立ち去る羽目になってしまう。
前話において決定的になってしまった冬馬と黒井社長の確執だが、それでもまだ冬馬の方から黒井社長に対してさしたるリアクションを示していなかった。
作中でその辺の理由については具体的に言及はされていないのだが、冬馬に何かしらの行動を起こさせるだけの何かがまだ足りなかったということであろうか。
メイクの問題も一段落し、準備万端のアイドルたち。プロデューサーの呼びかけに応える美希の言葉に代表されるように、皆も自信にあふれた表情を見せる。
しかしそれも束の間、先程黒井社長と何事かを話していた音響スタッフが現れ、765プロアイドルの楽曲データに不具合が生じたと告げてきた。
時間の都合上プログラムを組み直すこともできず、このままでは順番を飛ばさなければならないと告げるスタッフに、プロデューサーはあらかじめ用意しておいた予備の楽曲データを渡して復旧を要請、さらにこの場を律子に任せ、自分もその現場へ一緒に向かうことにした。
果たしてそれは黒井社長の策略であったのだが、それはプロデューサーの態度や表情から見ても、恐らく彼自身も十分察していたことだろう。そしてこの音響スタッフが、16話で響を陥れたアシスタントプロデューサーのように黒井社長の息が直接かかった人物ではないだろうということも。
961側の策に対抗する意味で楽曲データをあらかじめ所持し、現場に直接出向く動きを見せたのはプロデューサーの成長と言えるが、彼が何より成長したと言えるのは、最後の最後、楽曲がきちんと用意できるかどうかを、音響スタッフの良心に委ねたところであろう。
スタッフの態度から状況を察し、それでいて現場のスタッフに信頼を託す。プロデューサーとしての限界を示しているとも言えるが、そのギリギリの状況の中で彼はよく動き、同時に人の善性を信頼する姿勢を崩さなかった。強い信頼で結ばれたアイドルをプロデュースし後押しする側のプロデューサー自身が、信頼することを否定してはならないのだ。これこそが何よりの成長と言えるだろう。
実際の問題としてそれが正しい行為と言い切ることはできないが、少なくともこのアニマスの世界においてはプロデューサーの取った行動こそが完全解なのである。
そしてそれはただひたすらアイドルたちに、正念場を迎えている千早に歌わせてやりたいという一念のみだった。
プロデューサーが苦心する一方で他のアイドルたちは、律子の主導の下、音が戻るまでの繋ぎを考案することにし、一番手の千早をスタンバイさせ、それ以外のメンバーでめいめい案を捻出し始める。
このような描写の中で各人の個性を見せていくのもいつもの手法であり、音楽がかからないということを失念して真と自分のダンスでつなぐと言い出す響のちょっと粗忽な面や、「生っすか!?サンデー」のライブ版をやってみようと美希が言い出すとすぐに名乗りだしてくる亜美真美などが当てはまるが、今回の描写はそれに留まるだけではない。
緊急措置とは言え今回のライブにおける自分たちの出番を手作り感覚で構成することになったその構成は、これは3話における降郷村夏祭りイベントに取り組むアイドルたちの姿と重なっているのである。
そして3話の時は状況に振り回される部分の多かったアイドルたちも、今は自ら様々なアイデアを出してこの事態を乗り切ろうとしている。彼女たちの蓄積された経験、それによって育まれた舞台度胸、そういったものがこのシーンに濃縮されていると言っても過言ではあるまい。
このような事態における危急度のバロメーター的役割を担っていた雪歩からしてまったく動じる気配がないところが、3話の頃とは比べ物にならないほどの本人的な成長を匂わせて、何とも頼もしい。
そして同じく3話の頃と大きく変わったアイドルは、言うまでもなく千早だ。一度はテントを出た千早であったが、何か思いつめた表情をして再び戻ってくる。それに気づいた春香は千早と2人きりになり、事情を伺う。
いつになく言葉を選んでいる千早の素振りから、何かを思案していることを察する春香。千早はしかし自分のその考えは単なる個人的なわがままなのではないかと危惧していた。そんな千早を春香はいつものように優しく諭す。
千早がそうしたいと思ったのなら、それをきちんと話してほしい、千早の考えもそれに対する自身の気持ちも、きっとみんなに通じるからと。春香の言葉に笑顔を浮かべてうなずく千早。
そっと背中を押す程度のフォローではあったが、春香にとっては疑うべくもない自分自身の信念であったろうし、千早にとってもその言葉は何よりの後押しとなったことは間違いないだろう。
つい先日、何よりもまず春香自身が自分のしたいように行動し、思ったことを素直に千早にぶつけ、それが千早を救う直接のきっかけになったのだから。この2人ならではの意思の疎通というところだろうか。
そして3話の時は次々起こるトラブルに「何もかもダメ」とあきらめることしかしなかった千早が、今回に至っては自らやりたい意志を固めているのである。それは何より大きな困難を乗り越えた今の彼女ならば、他の困難にぶつかっても自分たちの意志と行動とで乗り越えていける、そう確信しているからこそのものだったのではないか。
春香と千早が2人きりで言葉を交わすシーンの最初の部分が、2人の足のみ映っているカットだったのも、千早の自分の考えに対する戸惑いと、それでも自分の考えを伝えることを望む自分自身への戸惑いだったようにも見える。2人の表情をあえて最初から映さず、足の動きだけで描出しているからこそ、一通りでない多様な解釈が可能となっているのである。
テントに戻ってきた千早はみんなに自分の気持ちを自分の言葉で伝える。
今日のライブ、みんなが千早を万全の状態で歌わせようとしているその心遣いは、千早も十分理解していた。定例ライブの時もみんなのそんな想いが自分を支えてくれたからこそ、どうにか歌うことができたが、いつまでもみんなに甘えているわけにはいかない。だから今はたとえ音がなくとも、予定通り自分が歌うべきなのではないかと。
理路整然と言うわけではない、少したどたどしささえ匂わせる千早の言葉だが、それはまぎれもなく嘘も偽りもない、千早の心からの言葉だった。
そんな千早に律子が異議を申し立てるのは、プロデューサーとしても仲間としても当然の流れではあった。先述したとおり、定例ライブとは違ってこの場に来ている観客は千早や765プロアイドルのファンだけではない。そんな様々な人たちの衆目の中で万が一にも失敗したら元の木阿弥になりかねない、今回のステージはそれほど千早にとって大事なものであるからこそ、律子は何よりそれを危惧し、千早を万全の状態で歌わせようと腐心していたのだ。
観客が「ファンだけではない」の下りあたりで観衆を映すだけでなく、完全に765プロアイドルのファンではない黒井社長まで映しており、「ファン以外」の存在もアピールする演出は確かである。
しかし千早は続ける。無謀だとは自分で理解しているし、次の機会を待つべきなのかもしれない。しかしその不安よりももっと強い想いが千早の内にはあった。自分は今歌いたい、今日のこの場で、みんなの想いと絆が紡いでくれた「歌声」という翼を背に、1人でも飛び立てることを証明したいのだと。
自分を信じ支えてくれたみんなの想いに応えたい。それは自分はもう大丈夫であると、公の場でただ1人で歌うこと。千早はそんな強い決意をずっと胸に秘めていたのだ。
ここまで素直に自分の気持ちを吐露するのは本当に久々のことだったのか、少し手を震わせながら述べた千早の想いを、律子も認めざるを得なかった。みんなも喜んで千早を送り出すことにする。自分の想いを受け止めてくれた仲間たちに、心から感謝の言葉を伝える千早。
そしてジュピターのステージは終わり、千早は入れ替わりに1人ステージへ向かう。その表情は巧みなアングルで隠され、見る側としてはようとして知ることはできないが、冬馬が目を見張ったほどの表情、如何様なものであったのだろうか。
照らされるスポットライトの中に歩みを進める千早。来てくれたことに安堵する者もいれば、歌えるのかどうか疑問視する者、明らかに見下しているかのような声色の者、観客の反応も様々だ。
しかし千早はそんな周囲の喧噪に動じることなく、マイクを構えてゆっくりと目を閉じる。浮かんでくるのはあの定例ライブの時、苦しむ自分を支えてくれた人たちの姿。
例えステージに1人きりであっても、千早の心はもう孤独に苛まれることはない。多くの仲間と紡いだ絆、そして歌を歌う自分のことをずっと笑顔で見続けていてくれる幸せな姉弟の面影が、いつもそこにあるのだから。
瞳を開いた千早は穏やかな笑みを湛えつつ、そんな皆への想いを言葉に乗せて歌い始める。それは大切な人を見失った過去に囚われ眠り続けながらも、眠りから自分を解き放ち、明日に向かって歩き出すことを決意する「眠り姫」の歌。
会場に千早の美しい歌声だけが響く。もちろん音楽データは復旧しておらず、アカペラで歌っているからということもあるが、それだけが理由でないことは千早の姿を見、その歌に耳を傾けている観客の表情を見れば一目瞭然であった。
春香たちも千早の歌う姿を舞台袖で嬉しそうに見つめる。それは千早が1人できちんと歌えたからというだけではない、その千早の歌がちゃんと多くの人たちに届いている、千早がそんな歌を今目の前で歌っているからこその嬉しさ、というより感銘でもあったろう。
そんな千早の歌、そして千早の歌う姿の前には黒井社長の小賢しい策などまるで意味を成さなかった。件の音楽スタッフも感じ入るものがあったのか、改めてデータの復旧作業を開始、歌がサビに入ったその瞬間という、期せずして場を盛り上げる最高のタイミングで音楽がインサートされることとなった。
今の千早の想いすべてが込められた、まさに魂の歌というべきその歌は、理屈を超えて多くの人々に感銘と共感を与えたのだ。
しかし恐らくはこの会場内でただ1人、そんな状況を苦々しく見やっていた黒井社長は、次の手を打つためかその場を離れようとする。だがそんな彼を制したのはジュピターの3人であった。
千早の歌がリハーサル時と違いアカペラになっていたのを知った時、冬馬は自分の目撃した事実と合わせ、これもまた黒井社長の汚いやり口によるものであると察知したのである。
黒井社長はしかし、例によって冬馬たちジュピターを「駒」呼ばわりし、彼らの言葉を聞こうとはしない。そんな黒井社長に冬馬はついに自らの想いを口にする。自分たちは利用されるために歌っているのではないと。
それは確かに彼の偽らざる本心であったろう。作中では765プロアイドルとの敵対描写がほぼすべてを占めてはいたが、彼らは彼らでアイドルとして目標に向かって歩んでいたに違いないのだし、そのための技量も十分に備えていた。それとても彼らなりの努力の成果によって得たものであろうことを考えれば、黒井社長の言葉はそんな自分たちのしてきたこと、すべてを否定するに等しい言葉であったのだ。
14話の感想で書いたとおり、ジュピターの面々は決して清廉潔白な良い人物ではなかった。765プロに対する誤解を吹き込まれていたとは言え、それに対する黒井社長の小狡いやり方を、「必要悪」として肯定してきたのは確かである。
しかし彼ら自身は決して汚い手段でのし上がったわけではないし、自分たちにはそれだけの力があると自負している。だからこそ真やプロデューサーたちを挑発してきた過去もあるわけだが、黒井社長はそんな彼らの「能力」さえも視界には入っていなかった。「アイドルの力を信じて任せる」という、アイドルと育てるものとしての大前提さえも彼の内には存在していなかったのである。そしてそれは、ジュピターにとってはあまりに酷な事実であった。
その事実を突きつけられた冬馬は思わず黒井社長に掴みかかるが、北斗と翔太の2人が抑える。「社長を殴っても何も変わらない」と、最年少の翔太がやけに達観しているようなことを述べたのは面白いが、もはや2人の気持ちも冬馬と一緒であった。
こうまでこじれてしまっては、もうついていくことはできない。それは3人にとっての「潮時」であり、黒井社長との決別を意味していた。
しかしここに至ってもついに黒井社長は自らに非があることを認めることはなく、捨てゼリフと高笑いを残して立ち去っていく。
そして黒井社長は千早の様子を見にやってきた高木社長と対面する。お互いの事務所に所属する、片方は過去形になってしまっているが、そのアイドルたちが描かれた看板の前で対峙する2人。しかし双方とも言葉を交わすことなく、黒井社長は再び立ち去っていく。
かつての盟友2人の胸に去来するものは、いったいどのような感情であったのだろうか。
千早は見事に最後まで歌い上げ、会場は万雷の拍手で包まれる。仲間のため、自分を応援してくれる人たちのため、そして心から歌いたいと願う自分自身のために歌い上げた千早の歌。彼女の復活と帰還を喜ぶ観客の言葉は、そんな千早の想いを多くの観客たちが受け取った何よりの証であろう。
自分を受け入れ祝福してくれる多くの人たちに感謝をこめて頭を下げる千早。この瞬間、アイドルとしての如月千早もまた完全に復活することができたのだ。
そんな千早の晴れ姿をプロデューサーや春香たちが嬉しそうに見つめる一方で、ジュピターの3人は複雑な胸中をその表情に浮かばせていた。
どれだけアイドルとして精力的に活動しても、自分たちの能力を最も高く評価しているはずの黒井社長からついぞ得られなかったものを、千早は自分の力で手に入れることができた。
無論彼らはそこに千早1人だけではない、彼女を支える多くの人たちの想いがあることなど知る由もないだろうが、ギリギリのところまで追い込まれながらも復活を果たし、多くの人の心をつかんだのは紛れもない千早の力である。
それをまざまざと見せつけられた時、彼らにおける「961プロのジュピター」は終焉を迎えたのかもしれない。
舞台袖に戻ってきた千早を暖かく迎える一同。歌っている間もずっと見守ってくれていた仲間たちに千早も感謝の言葉を述べる。
今日のステージはきっと忘れないと、湧きあがる感動を真っ先に伝えてきたのは美希だった。アニマスでは「美希は千早のことを尊敬し慕っている」という側面はあまりクローズアップされていないが、20話ED映像では「約束」を歌いあげて舞台袖に入った千早に、最初に抱きついて喜んだのが美希との描写がなされており、20話のNO MAKEにおける美希の言葉や今話のこの描写を含め、美希の千早に対する想いもまた十分に描かれていると言えるだろう。
次の出番に合わせてみんなが準備を始める中、改めて春香に笑顔で「ありがとう」の言葉を贈る千早。誰より自分を信じて支えてくれた人、誰より相手を信じて支えようとした人。2人の想いを伝えあうのにも、ただその一言だけで十分だった。春香への何よりのお礼は、千早がたった今ステージで見せてきたばかりなのだから。
2人が零れそうになる涙を抑え、互いに笑顔で応えていたのも、なればこそのものであったのだろう。
ライブも無事に終了し、撤収のために1人荷物を片づけるプロデューサー。そんな彼の元に姿を見せたのは、ジュピターの3人だった。
961側の事情を知らないプロデューサーは気色ばむが、冬馬の口から告げられたのはプロデューサーにとっては意外な謝罪の言葉だった。
実際問題765プロに色々な策を講じてきたのは黒井社長個人であるから、その点に関しては冬馬たちに問題はないのだが、止めたとは言え自分の所属していた事務所の社長がやったことである以上、きちんと自分が謝っておかなければけじめがつかないということらしい。何とも不器用な性格ではある。
彼の口から961プロを止めたことを聞かされたプロデューサーは、彼らの今後の去就を尋ねるが、アイドル自体をやめるつもりはないようで、自分たちの力を信じてくれる場所で一からやり直すとのこと。
良くも悪くも直情径行な冬馬をからかうような態度を見せる北斗と翔太だが、そんな中でも3人の顔はどこか今までとは違い緊張の取れた自然な笑顔になっている。この辺は作画面における演出の冴だろう。
先に記したとおり彼らは清廉潔白な善人ではなかったが、同時に劇中のキャラクターや視聴者のヘイトを一身に浴びるような悪人でなかったのも事実である。そんな彼らの落とし所としてこの去就は妥当なものだったのではないか。
同時に黒井社長の件や彼らと直接絡んでの遺恨も一切根に持つことなく、水に流すプロデューサーの器量の大きさも描写されていた。音響スタッフへの対応も然りだが、彼の行動理念の根底には「相手を信じる」ということがあるわけで、アニマスにおけるプロデューサーとしては真に正しい態度であったと言えよう。
すべての予定が終了し、自動車にて一路事務所への帰路に就く一同。この辺は本当に何の変哲もないシーンではあるが、個人的には第2クールに入って以降は竜宮小町のメンバーで固まって行動することの多かった伊織が、この車中ではしっかりやよいの隣の席をキープしているというのが印象深い。
その移動中、プロデューサーからジュピターの一件を聞いたのか、社長は「若いということはいいことだ」と誰ともなしに呟く。対立し続けながらも最後には一応の和解を見たジュピターの件で、若かりし頃のことを思い返したようだ。
社長の若い頃とは14話で既に描かれている通り、黒井社長と共にプロデューサーとして切磋琢磨していた時期でもある。思い返した社長の記憶の中には、黒井社長の存在も浮かんでいたのだろうか。
と、社長は突然みんなを「いいところ」に連れていくと言い出した。分乗している律子にも連絡を取り、社長はみんなをとある店へと連れていく。
「いいところ」という言葉を聞いた途端に顔をほころばせるやよいが、年相応の子供らしさを前面に出していて何とも可愛らしい。
社長が案内した場所とは、とあるピアノバーだった。社長以外は恐らく誰も来たことがないような大人のムードを醸し出している店内だが、そこにいる客たちは伊織曰く政財界の大物ばかりらしい。いつもはコメディリリーフ的なお茶目な存在感を発揮している社長の、人生の先輩としての器の大きさが垣間見える。
そんな店内のカウンター席に、見知った顔が並んでいるのを認めるプロデューサー。1人は彼もよく知っている善澤記者。そしてもう1人はつい先程まで散々対応に苦慮させられてきた元凶とも言える、黒井社長であった。
もう乗り切ったこととは言え、歌声を失うほどの強烈なストレスを生む要因を作った黒井社長を前に、千早はやはり心中穏やかではなく、自然と俯き視線をそらしてしまう。
伊織が「気分が悪い」として黒井社長を追い出そうとしたのも、実際にはそんな千早の胸中を察したからこそであったのは言うまでもないことだが、14話の時と同様にプロデューサーに制止され、さらには当の千早からも気にしていないからと告げられ、仕方無く矛を収める。
千早への気遣いを表面には出さず、あくまで「自分の気分が悪い」から黒井社長を追い出そうとするのは、いかにも伊織らしい理由づけであるが、千早が黒井社長への負の感情を抑えたのは、そんな伊織の気遣いをきちんと読みとっていたからに相違ない。本来であれば千早が伊織のような激しい感情を見せてもおかしくないのだが、それを千早本人よりも先に伊織が見せてくれたこと、それ自体が千早にとっては嬉しかったのかもしれない。ごく自然に伊織へのお礼の言葉が出てきたのは、そんな感情によるものだったのではないか。
そんな千早にそれ以上何も返答できず、頬を染めて目線を背けることしかできなかった伊織も何とも可愛らしい。
アイドルたちは通常のテーブルに座る中、1人黒井社長の隣の席に座る高木社長。アニマスの中では初めて描かれる2人の社長の会話である。
黒井社長は少しだけ自虐気味な態度を見せたものの、すぐにいつもの調子に戻り、自分は負けていないと強弁するが、高木社長の方は笑って受け流すだけだ。
とその時、照明が静かに落ちていく店内。ライブが行われるようで、歌い手と思しき女性が壇上に上がっていく。
スポットライトに照らしだされた、シックなショートドレスに身を包んだ美女。それは紛れもなく765プロの事務員として日頃みんなを支えている音無小鳥その人であった。
春香たちが驚きの声を上げる中、小鳥さんはピアノの伴奏に合わせて静かに歌を歌い始める。曲目は「花」。ゲームからのファンであればご存知の通り、本曲はCD「MASTER LIVE ENCORE」に収録された小鳥さん専用楽曲であり、同時に小鳥さんが内心に思い描く彼女なりの信念を表した歌でもある。
優しく穏やかに、そして楽しそうに歌う小鳥さんの歌を聴きながら話を進める2人の芸能事務所社長。彼らに酒を注ぐマスターの背後には、控えめに飾られた一枚の写真が控えめに飾られていた
高木社長に黒井社長、善澤記者にバーのマスターと思しき面子の若き日の姿が並ぶ中、その4人とは趣を異にする小鳥さんによく似た少女。その写真から社長たちの過去を知ることなど、到底出来はしない。しかし仔細はどうあれ、今や対立する関係になってしまった2人の社長も若かりし頃、恐らくは同じ夢を追って邁進していたはずである。誰にとっても一度は必ず訪れるであろう若き日の輝き、この写真は2人共に生きてきたそんな輝かしい時代の残照とも言えるものなのだろう。
あの頃から誰が変わり、誰が変わらなかったのか。今となってはそれすら曖昧なものかもしれない。しかし変化の有無はどうあれそれぞれの信念や考え方は既に定まっているし、それを柔軟に変えられるほど若くもない。
だからこそ2人は道を違えたのだろうし、もはや今更変えることもできないことも十分承知しているはずである。現役世代を信じ自由にやらせるスタンスと、徹底的に自分1人ですべてを管理するスタンス、2人の間にはもう互いのやり方をぶつける選択肢しか存在しなかった。
そしてどちらの理念も根底にあるものが同じだと理解しているからこそ、譲ることができないということも知っている。ただそれを表現する際のベクトルの方向が違っているだけなのだ。高木社長は黒井社長を「不器用な奴」を評したが、それはそのまま自分自身のことをも言い表していたのかもしれない。
律子の車に乗っていた残りのアイドルたちも到着し、小鳥さんの歌に皆が聞き惚れる中、黒井社長は1人店を辞する。
楽しそうに歌う小鳥さんの姿を見やりながら、社長は「歌う楽しさや喜びは人それぞれ」と、春香たちに語りかける。
そこは華やかなライブのステージではないし、小鳥さんも歌を歌うことが本職ではない。しかしこの時、この場所で一番輝いていた人物は紛れもなく小鳥さんであったし、その歌も少なくともアイドルたちやプロデューサーの心に響くものであったことは間違いない。
765プロに所属する少女たちが目指すアイドル像とは異なる「アイドル」の姿が、確かにそこにはあったのだ。
バーを出て車に戻る道すがら、春香たちは小鳥さんの歌う姿を回想する。現役のアイドルにも引けを取らない抜群の歌唱力を持っていた小鳥さんだが、彼女のそんなポテンシャルを知った美希が、アイドルになろうとは思わなかったのかと疑問に思うのは当然であったかもしれない。
しかし当の小鳥さんは、プロデューサーから向けられた同様の疑問をさらりとかわしながら、今日のように時々でも歌えるなら、それで幸せなのだと答える。その表情はバーで歌っていた時と変わらない、楽しそうな笑顔だった。
そんな小鳥さんの歌う姿に思うところがあったのか、ふと千早は「アイドルとは何なのだろう」と口にする。それは「歌い手」としての大成のみを願い、「アイドル」としての目標を命題に掲げてこなかった千早にしてみれば、当然の疑問であろう。そういう意味では19話からの事件を経て、アイドルとしての精神面におけるスタートラインに、ようやく立てたと言えるかもしれない。
千早のそんな疑問に答えたのは、春香ではなく美希であった。美希もまた中途までは自分の目指すアイドル像を確立できておらず、11話から13話までの挿話の中で、自分の目指す理想のアイドル像を確立した経緯がある。
美希の話したアイドル像は「キラキラ輝いて、すべての人がドキドキする感じ」と、その時と別段変わったものではなかったが、同時に自分の見定めた理念をずっと曲げることなく見続けて、アイドルとしての道を歩んできたということもここから見受けられ、15話で春香の言っていた「ぶれのなさ」がよくわかる構図となっている。
美希の言葉を聞き、千早も自分なりにアイドルを「人の心に幸せを届けられる人」と定義付け、歌でそれができるようになりたいという望みを口にする。
どん底にまで堕ちた自分自身の心は仲間たちの真摯な想いに救われた、その体験があるからこそ、今度は自分がそれを出来る人間になりたいと、自分自身の想いを歌を通して多くの人に届けられるようになりたいと願ったのだ。
そんな自分よりも他人を優先する気持ち、その境地にまで到達できたことそのものが、一連の事件を経て千早が一番大きく成長できた部分なのかもしれなかった。
そしてその考え方は、千早がすべてを拒絶する中でずっと彼女のことを想い、行動し続けてくれた親友の影響を強く受けているであろうことも、想像に難くない。
美希は基本的に自分が輝けば周囲もその影響を受けてみんな輝けると信じ、千早は歌を聴いてくれる人たちを主眼に置いて、その人たちに想いを届けることを願った。
たった2人であるにもかかわらず、アイドルに対する考え方や理想の仮託の仕方がこれほど異なっているあたり、「アイドル」という存在がいかに多様な解釈を生み出すものであるかがよくわかる好例というものであろう。
だが765プロアイドルの中で恐らく誰よりも純粋にアイドルに憧れ、アイドルになることを目指してきた春香は、2人それぞれの考え方を聞くだけに留め、自分の理想像を口にすることはなかった。
17話でも見受けられた春香のこの描写だが、これについての筆者の捉え方や考え方は、当該話数の感想の方に既に記載しているので、今更ここで細かく記述することはしない。春香は自分の持つアイドル像をあまりにも自然に内包しているが故に、言葉で明確に表現するのが不得手というだけで、彼女は彼女の理想を誰より強く定めており、それを実践しつつあるというのが持論である。
しかし同じく17話感想に書いたとおり、今回のこの描写もまた後々の伏線として生かされる可能性もあるし、そうなったらそれで良いと思う。
個人的には千早の望みを聞いたあとの春香の笑みは、千早の到達したアイドル観が自分と似通ったものであったことに対する喜びから来ているのではないかと考えてはいるが。
彼女たちの話したとおり、「アイドル」とは一つの在り方だけに囚われない様々な在りようが提示させる懐の深いものだった。そしてそんな懐深さを今話で最も強く体現していた小鳥さんは、自分が今抱いている夢を話す。765プロアイドルのみんながトップアイドルになるという夢を。
そのための手伝いをすることができれば、それが一番幸せなのだと話す小鳥さんの顔には、どこまでも幸せで満ち足りているような笑顔が浮かんでいた。
小鳥さんの夢は、その夢が叶うことで自分自身が具体的に変化する類のものではなかった。しかしそれで小鳥さんは満足することができるのである。その夢が叶った時、他の何よりも強い幸せな気持ちで満たされるだろうから。
他人の頑張る姿を応援し、他人の幸せは我が事のように喜ぶ。それは20話ですべてのアイドルが見せた優しい姿だが、小鳥さんもまた彼女たちと同じ優しさをずっと以前から持ち続けていたのだ。
765プロに所属するすべての人が持つ「他人をいたわる優しさ」という気持ち、それをある意味で一番体現している象徴的な存在が、音無小鳥という女性なのかもしれない。
アイドルたちはこれからも各々の道を、夢に向かって走り続けていくだろう。時に迷い時に疲れることもあるかもしれないが、それでも決して歩みを止めることはないはずだ。彼女らには互いを気遣い支え合う仲間と、彼女らの背中をずっと見続け、優しく後押ししてくれる人たちがいるのだから。
ラストの連続静止画カットには、そんな意味合いが込められているように思えるのである。
EDテーマは「花」と同じく小鳥さんの個人楽曲である「空」。CD「MASTER ARTIST FINALE」に収録された、小鳥さん初のソロ曲である。
挿入歌として使用された「花」は、1つの小さな種が芽吹き、蕾から美しい花を咲かせるまでを見守る歌だったが、この「空」も同様に四季に彩られる世界そのものを見守る歌だ。
どちらも主軸から一歩引き、誰かを見守るスタンスを貫いている。先述したとおり、このスタンスこそが小鳥さんなりの信念であるということを思えば、実にらしい楽曲と言えるだろう。
ED映像も事務員としてアイドルたちを支える小鳥さんの一日を丁寧に描写しており、曲と合わせて演出上の意図と方向性は一貫している。
ラストカットが小鳥さんのピースサインで締めくくられているのも、6話でのプロデューサーとのやり取りを想起させて憎い演出だった。
今話は千早の問題と961プロの問題という、第2クールの縦糸として存在していた2つの軸が、それぞれ終着点を迎える話となった。
千早の物語については決着自体は前話の時点でついていたため、今話はそのアフターフォロー的な役割を担っていた。冒頭に記したとおり、前話で千早個人の復活、そして今話でアイドルとしての千早の帰還を描くことで、彼女がアイドルとして迷いなく新たな道を進めるよう地ならしをしたというところだろうか。
961プロについては14話の感想で書いたとおり、当初から765プロの障害要因としての描写に終始することが徹底されており、下手に765プロ側と絡ませなかったことが、14話から今話までの展開を引き締め、物語のテーマを作中に色濃く反映できる土壌となった。
すなわち物語が進むにつれてより強固な信頼関係を築いていく765プロ側に対し、進行していくにつれて徐々に信頼関係を失っていく961プロ側との対比である。
言葉で書くと簡単ではあるが、実際には非常に繊細なバランス感覚の元に両者の対比が行われていたことがわかる。
20話の感想に書いたとおり、響や貴音、そして千早が961側の策略によって窮地に追い込まれたのは、きっかけこそ961側であったものの、最大の原因は本人たちに存在していた。それにより物語が向かうべき結末が「961プロを打倒すること」ではなく「自分に今起きている問題を解決すること」となり、そこに961プロはもはや介入することはできない。それにより物語の必要以上の複雑さや陰鬱さと言うべきものを回避し、765プロアイドルの成長譚というアニマスの基本命題に則った物語として昇華することができたのだ。
そしてそれは961側も同様である。黒井社長の行為が発覚するにつれて次第に険悪になっている黒井社長とジュピターの関係も、961プロの内部でのみ行われていることであり、765プロアイドルはおろかプロデューサーさえも与り知らぬことだった。
765プロアイドルは961プロの知らないところで問題を解決して成長し、黒井社長とジュピターも765プロ側がまったく関知しない部分で軋轢を深め、ついには関係性を破綻させる。
両者を対比させながらも、その対比をアニマスの中で成立させるためには両者を必要以上に絡ませるわけにはいかない。矛盾しているとも言えるこの要素を両立させるために、基本設定から描写に至るまで、制作陣がかなり気を遣ったであろうことは容易に想像がつくだけに、今話で迎えた両者のとりあえずの結末は気を衒わないものの、その対比が十二分に描写されたと言えるだろう。
なぜ765プロと961プロを対比させる必要があったのか。それはひとえに信頼関係や絆の強さといったものを強調するためだった。もちろんそれ自体もアニマスの基本テーマに即したものの1つであるし、原典であるゲーム版にしても、近年特に強調している要素である。
アニマスを1話から順に見ていけばすぐわかることであるが、このブログではやたらと使用している「信頼」とか「絆」といった言葉、実際に劇中でこれらの言葉が使われた回数は非常に少ない。アニマススタッフは劇中でキャラクターにテーマそのものをセリフとして連呼させるのではなく、毎回25分の挿話を目一杯に使って、ゆっくり確実に表現していく手法を選択したのである。
彼女らの信頼関係が深まっていく様を1話からの各挿話の中でじっくり描いてきた、というのは前話の感想で既に述べているが、それをさらに強調するための一手が「信頼関係がなかったために破滅してしまう側」だった。その役目を担ったのが961プロというわけだ。
アニマスという作品は、アイドル同士やアイドルとプロデューサーといった諸々の信頼関係が何より強い力を生み出すのだと、作品それ自体が雄弁に視聴者に訴えている。それは制作陣がアニマスに託したテーマであると同時に、「アイドルマスター」という作品の世界がこうであってほしいという制作陣全員の願望やメッセージのようなものなのかもしれない。
だがアニメ版アイドルマスターの物語そのものはまだ終わらない。アニマスの中でアイドルたちが紡ぐ最後の物語は今話のBパート、小鳥さんによって打ち出された新たな、そしてある意味最も大きな命題が絡んでくるのだろうか。
すなわち「アイドルであるとはどういうことか」。765プロのアイドルたちが目指し目標としてきたアイドルとは別の見方や考え方に立脚する形で、「アイドル」としての存在感を見せた小鳥さん。
有名アイドルとなり、ある程度の夢を実現できている今だからこそ、アイドルとしての個々人の在りようを振り返る時が来ているのかもしれない。
そんな気になる次回は。
少し時期は早いがクリスマスを舞台にした物語とのこと。春香と千早が再びメインになるようだが、どんな展開が待っているのだろうか。