2011年07月11日

ついに放送開始、アニメ版「アイドルマスター」

 すんげー久しぶりにブログを更新してみる。
 どうも最近はツイッターばかりになってしまっていかんな。

 さて、去る7月7日よりいよいよ放送が開始されたアニメ版「アイドルマスター」の話である。
 今年に入って、正確には1月10日のライブで第一報が流れて以降、アニメの話も含めアイマスの周辺は話題に事欠かなかったわけだが(詳細は面倒なので省く(笑))、そんな上半期の集大成的なものとして、アニメ版アイマスが今月から放送開始と相成ったわけだ。
 1月からの半年間は本当にいろいろあったので、アニメを見ていた人たちの思いもまさに千差万別であったろう。無論そういった最近の喧騒とは全く無縁な、アイマスそのものを特に知らないアニメファンも、純粋な興味から視聴したはずだ。
 そんな多くの人たちの思いや耳目を受け止める立場となった、アニメ版「アイドルマスター」の1話とは、どんなものになっていたのか…?


 見終わって真っ先に抱いた感想は、「してやられた」であった。
 その理由は2つあって、1つは今まで僕らが見てきたPVの中に第1話の映像が全く使われていなかったことにある。
 1月から半年間、一般的なアニメよりもかなり多くの情報が様々な媒体で流布されてきた。中にはそこまでぶっちゃけていいのかと思えるような内容のものまであったわけだが、実際には制作陣は肝心要とも言える第1話の内容を、放送開始までまったく漏らすことがなかったのだ。
 種々雑多な情報を流しながらも肝心の情報は完全にシャットアウトし、例えゲーム版のアイマスを知っているファンに対しても初視聴時に軽い衝撃を与えるという巧妙な手玉の取り具合に、すっかりやられてしまったというわけである。この辺の情報コントロールの巧みさは、素直に上手いと感心せざるを得ない。
 これは既存ファンであればあるほど軽く衝撃を受けるという代物だったが、2つめの「してやられた」は既存ファンも新規視聴者も関係なく驚かされた要素だったろう。即ち「プロデューサー」の登場である。
 このプロデューサーの存在もまた、前情報では一切公表されておらず、2ちゃんねるあたりの匿名掲示板にたまに書き込まれたりする胡散臭いリーク情報の中にすら出てくることはなかった。もちろん予測した人も多くいるだろうが、予測と言うよりは自分で考えた作品案の一環として述べられただけでもあったろう。
 元々「アイドルマスター」というゲームは、基本的にはプロデューサーとアイドルが一対一の関係で結びついている。アイドル達は「プロデューサー(=プレーヤー)がプロデュースしているアイドル」として登場し、彼女らの姿はプロデューサーとしての立場を通してのみ見ることができるわけだ。逆を言うならスピンオフ版の「アイドルマスターDS」を除いては、アイマスと言うゲームはプロデューサーという存在なくしては決して成立しないゲームとも言える。
 対してアニメ版アイドルマスターは「トップアイドルを目指す女の子の日常」を主眼に入れたストーリーであり、アイドル達が所属する765プロダクション全体の話になる、とのことだった(全員を平等に扱うとの言もあり)。なのでプロデューサーをアイドル達の物語に介在させる設定上の縛りも、アニメ版には特に存在していなかったわけなのだが、そこへスタッフはあえてゲーム版同様にプロデューサーを介入させてきたのである。
 さらに面白いのは、このプロデューサーになる男性、1話の冒頭から出ていることは出てきているのだ。出てきているけど初見では見ている人間は彼をプロデューサーと認知できない。その作劇上のギミックもきちんと構成の一環として練られた結果の産物なわけだが、それに関しては後述で。
 現時点ではプロデューサーが物語上どんな役割を果たすのかは不明なわけだが、錦織監督の言うとおりであるならば、ゲーム版と同じ立場で扱われることはないだろうから、どんな役どころになるのか興味は尽きない(個人的には狂言回しレベルの存在になるかと思うが)。

 肝心の1話の内容は、全編がドキュメンタリー形式で進行していくという、これまた意表をついた構成になっており、これに関しては既にネット上で賛否両論が起こっているようだ。
 内容の賛否については後に回すとして、とりあえず今まで紹介されたPVの中にあえて1話の映像を盛り込んでこなかった理由は、この1話の構成自体にあったのだろう。
 ドキュメンタリー形式の見せ方は初見時には良くも悪くも強い印象を残すが、あくまでもドキュメンタリー的なものである以上、この見せ方は一回限りのハッタリのようなもので、それが本編放送前に知られてしまっては初見時の衝撃も半減してしまうというものである。
 でその構成自体の是非だが、第1話として最低限見せるべき「キャラクター紹介」と「世界観紹介」の両方を見せる上では、最適解だったように思う。
 単なるキャラクター紹介であれば、それこそ冒頭に派手なライブシーンを盛り込んで、各キャラクターの華やかな姿を視聴者に印象付けた上で日常シーンを徐々に描くという、半ば定番化している手法を使えば良かったのだろうが、今話ではそうした定石手法を外し、アイドルたちの日常描写に徹した作りになっている。
 しかもドキュメンタリー形式であり、後にプロデューサーとなる男性、つまり素人が撮影しているという設定なので、映像的な面白みには著しく欠ける単調な画が最初から最後まで続く。ライブシーンを盛り込むような派手な作りと比較すると、どうしても地味に見えてしまう点は否めないだろう。正直「つまらない」という感想を持ってしまうのも止むを得ないと思う。
 だが同時に今話はまぎれもなく「アイドルマスター」という作品の世界観を、如実に描出した話でもあるのだ。
 ゲームをプレイしている人にとっては周知の事実だが、アイマスと言うゲームはアイドルの女の子がステージで歌い踊る様を見て楽しむだけのゲームでは決してない。地道なレッスンによる能力の向上、営業をこなしてのステップアップ、楽曲や衣装コーディネイトなどの準備、それらを経てさらにオーディションに勝利することで、ようやくステージに上ることができるのだ。
 どれだけ努力したところで結果を出せなければ恩恵を得ることはできない。アイマスシリーズの諸作品はほぼ例外なく、非常にシビアな世界観を有しているのである。
 そして今話の時点でのアイドル達は、正確にはアイドルですらない。デビューから半年たってはいるものの、アイドルとしてはまだ芽の出ていない「少女」である。
 765プロに集結している13人の少女たちが、それぞれの夢や目標を胸にアイドルを目指す。その最初の一歩の部分を見せているのが今話だった。
 「アイドル」になりきれていない、「アイドルを目指す女の子」の姿を描写することが、この第1話の何よりの目的だったのではないか。そしてそれは常にプロデューサーの傍らにあり、時に喜び時に苦しみながらもアイドルを目指して歩んでいくゲーム版の彼女らの姿そのものでもある。
 だからこそ今話はまごうことなき「アイドルマスター」のアニメ版第1話であると、はっきり認めることができるのだ。
 そう考えると前述のカメラマン=プロデューサー設定が生きてくる。フレーム内のアイドルたちにカメラマンが字幕で語りかけるシーンが幾度かあるが、これを「プロデューサー」の視点としてもう一度見直してみると、少し受け取り方が変わってくるのだ。プロデューサー業に専念している律子にしつこくアイドル時代の話を持ち出している辺りなどは、かなり顕著だろう。
 このあたりもまた、レッスンや営業の回数、コミュ時の回答によって全体の流れが様々に変化するため、複数回プレイしてもそのたびに違う面を見られるというゲーム版の特徴を踏襲している。
 もちろんカメラマンとして見ても別段無理のない会話でもあるわけで、この辺の会話表現の巧さは特筆されるべきだろう。

 今話の演出もドキュメンタリー形式と言う大前提があった関係上、見た目に映えるような特徴的なものはあまりなかったものの、各キャラ描写は作画も含めて丹念に描かれていた。
 話に直接関係しない部分においてもなおアイドルたちが細かく動く様は、まさにゲームで出来ない部分をアニメで補強したと言わんばかりのもので、スタッフ陣の気概を感じさせる。
 Aパートのキャラ紹介も単にキャラを次々登場させるだけでなく、亜美真美・響のにぎやかし側が真・雪歩の側に強制的に介入、真・雪歩にそれぞれの形で絡む伊織とやよい、それらを気に掛ける春香と意に介さず自分の興味あることにしか目を向けない千早、彼女のどこか頑なな姿勢とは対照的なマイペースのあずさ・貴音・美希と、1つの流れの中で各人の個性を端的に描写しており、そこに律子と小鳥も絡めて最低限必要なキャラ情報をすべて盛り込む見事さだ。
 Bパートはキャラ紹介の補強と前述の「アイドルを目指す女の子」の奮闘ぶりが描かれたが、ここではオーディションで結果的にはとんちんかんな発言をしてしまっている貴音・響や、ロックバンドの前座にもかかわらず全く毛色の違う「蒼い鳥」を歌ってしまう千早など、各人がかなり空回りしてしまっている様子をしつこく描写している。これとAパートでの「人手不足」というセリフから、彼女らをもっと具体的に指導する存在が必要である、との物語上の必然性が出てくるわけだ。
 ゲーム版で言うところの「Fランク」活動をアニメで見せた、と言う解釈も可能だろう。
 EDのダンスもレッスンスタジオでの練習という形ではあったものの、ゲーム以上の7人構成ダンスが披露されており、微妙に各人の振りのタイミングが異なっているだけでなく、それを傍らで見ている春香たち5人の座り方も、それぞれの個性が垣間見えるものになっている。
 背景美術もかなり写実的なものになっていたが、とりわけ彼女らのアイドルとしての生活の基盤となる765プロ事務所の美術は素晴らしい。大量の書類から空気清浄機?や冷蔵庫の中身に至るまで、彼女らにとっては仕事場でもあり家でもあるという、生活感というか体温のようなものが感じられた。
 時間によって彼女らの服装が細かく変わるのも、細かいことではあるが単純に楽しいものである。無論着ている私服にもそれぞれの個性が滲み出ているというのは言うまでもない。

 放送前に錦織監督が言っていたように、30分の中で13人もの女の子を過不足なく描写するというのは、非常に難しいことだ。明確な正答が存在しないものだから。しかも彼女らの中にはヒエラルキーが存在しないため、安易に特定の人物を中心に据えることもできない。
 そんな厳しい条件の中でも、「特定のアイドルの物語」ではなく「765プロに所属する、アイドルを目指す女の子たちの物語」として1話をうまく昇華させたスタッフの手腕は実に見事だった。
 次回以降もこの基本コンセプトを崩さぬまま物語を作るのは困難なことだろうが、それでもやってくれると、スタッフの皆さんに期待しないではいられない。
 アイドルを目指す、アイドルに憧れる女の子でしかない彼女らが、どのようにして各々の理想とする「アイドル」になっていくのか。
 この半年間が本当に楽しみになってきた。




 余談だけど、誤字自体は確かにあっちゃならんことだけどもさ、親の仇罵倒するみたいに批判するのってどうなんだろうね。
 「仮面ライダーX」1話の「水木涼子」とか最終話の「神啓介」なんかも、今の時代だとアホみたいに批判されるのだろうか。
 下らない世の中になったものだ。
posted by 銀河満月 at 17:40| Comment(0) | TrackBack(0) | アニメ版アイドルマスター感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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