大山時代は「去年の今頃」「一昨年の今頃」「80年代(全盛時代)」など、かなり大雑把な視点から視聴率を持ち出して、過去と現代の違いを論じることはあったけども、少なくとも毎週の視聴率を引っ張り出してきてやいのやいのと言い合うことは、ほぼなかったと記憶している。
しかしリニューアルしてからは、どこかしらの掲示板やブログでほぼ毎週必ず視聴率が掲示され、それについての様々な意見が書き込まれる、という現象が見られた。
言うまでもなく、一個人に「該当するアニメ作品の人気」などという、曖昧模糊としたものを具体的に推し量ることは、完全に出来ることではないだろう。
そんな中でほぼ唯一と言ってもいい、その作品の人気度を手軽に推量することの出来る手段は、視聴率となることは間違いない。
大山時代は何よりも20年以上続いてきたという実績があるわけだから、毎週ごとの視聴率の微妙な変動など、多くのファンにとっては問題にするべき事項ではなかったのだろう。
だがリニューアルしてアニメドラの歴史を一旦リセットした以上、大山時代のドラとは別物になるわけで、大山ドラ時代の実績を単純に当てはめるわけにも行かない。
だからどうしても視聴率と言う、「目に見えるバロメータ」で、ある程度の状況を推し量らざるを得ないわけだ。
ただ、「推し量る」程度の材料に使うならいいのだけど、最近はどうも視聴率だけを絶対の資料として、作品の人気を勝手に決めてしまう風潮がはびこっているようだ。
視聴率と言うものは、あくまで作品が生み出す付加生産物の1つでしかない。確かに視聴率そのものは大事であり、この数値如何によっては番組の存続にも関わることになるのだが、視聴率「だけ」で全てが決まるわけではない。視聴率と言うのは、どこまでも総合的な判断をする際に利用する材料・資料の1つに過ぎないのである。
実際、視聴率が良くてもスポンサー側からのクレームがついたために打ち切った作品もあるし、視聴率が全般的に低くても結局予定通りの放送期間を満了した作品だってある。
何が言いたいかと言うと、視聴率程度では作品全体の社会における認知度・人気度の高低など、わかるはずはないのである。もっと様々な主要・副次的事項を知り、そしてそれらを自らの中で咀嚼した上で総合的な判断を下す。このような面倒な作業を経て、初めて「作品の人気」と言うものを知ることが出来るようになるのだ。
だからはっきり言えば、僕らのような特別な職についているわけでもないただの一般人が、視聴率程度の事柄だけで作品の総合的な人気の高低を知ることはできないし、わかることも出来ないのである。
だから視聴率のことなどあまり気にせず、大らかに好きなアニメやドラマを楽しめばいいのではないだろうか。逆に気に入らない作品だったらば、むりに見ることなく素直に止めてしまえばいいだろう。
ちなみになんでこんなことをわざわざ書いたかと言うと、直接的には「シムーン」の視聴率が、深夜アニメと言う媒体を考えても低い、と言う話を聞いたからだ。
視聴率が高かろうが低かろうが、見ている当人が楽しむことが一番大切である、という当然の理屈を履き違えているような人を、最近ネット上で結構見るので、自分なりの考えを書いてみようと思ったわけである。
ま、視聴率が低すぎると打ち切られる確率も上がるわけだから、気になるのもしょうがないとは思うけどね。
(5月24日追記)
トラックバックを頂いたブログで、僕の書いた内容について言及している部分があったので、少し補足しておこうと思う。
ただし、今から書くのは僕個人の考え方であり、とてもじゃないが他人にお勧めできる類の考えではない。
なぜならネガティブだから(笑)。
視聴率について、あちらのブログのKazu'S氏はこう述べている。
>例えばシムーンの例だと、視聴率が低いままなら、打ち切られるかもしれない。そうならなかったとしても、もうこの類のテレビシリーズは作られなくなるかもしれない。それは「仕方ないこと」なのでしょうか?
これは大変ごもっともな意見である。
僕だって視聴率の不振が原因でシムーンが打ち切り、なんてことになったら、物凄く悔しがり、残念に思うだろう。
思い余ってテレ東にほ(以下自粛)。
だからまあ、僕としても視聴率の変動が決して気にならないわけではない。
問題なのは、この視聴率を上げるため、我々視聴者に何ができるかと言うことだ。
制作側にとっては、Kazu'S氏のおっしゃるとおり、視聴率がビジネスの指数の1つになっており、これの変動は文字通り死活問題に直結することになる。
だから視聴率が取れていない場合は、視聴率を上げるために色々な策を行使することになる。
番宣CMの増加、雑誌を始めとした他メディアへの積極的な露出、イベントの開催、関連商品の販売(低価格化も含む)…などなど。
しかし、我々視聴者はどうだろうか。
例えば僕が「シムーンの視聴率を上げたい!」と考えたとして、そこで一体僕に何が出来るのだろう。
上記に上げた制作側の視聴率対策は、「制作側」だからこそできることであり、はっきり言って視聴者側である僕には、そのほとんどを実行することは出来ない。
強いてあげるとすれば、雑誌への好意的意見の投稿や、ネットの掲示板やブログでのアピールくらいだろう。
あとはせいぜい周囲の人間に「面白いから見ろよ!」と勧めるくらいか。
何が言いたいかと言うと、視聴率の変動をいくら気に揉んだところで、結局我々のような一般視聴者には、視聴率を具体的にどうこうできる現実的な手段はない、ということなのだ。
だからもし視聴率低下によって作品が打ち切りの憂き目にあったとしても、我々にはどうすることも出来ないのである。
出来る方法もあるのかもしれないが、それは恐らくかなりの確率で幸運を呼び込まないと実現しないだろう。つまり徹頭徹尾、個人の実力だけで実現させることは不可能と言ってもいい。
だから「仕方がない」のである。
「仕方がない」なんて言いたくない。どうにかなると思いたい。しかし現実的にはどうすることも出来ない。だからやっぱり「仕方がない」と言うことになってしまうのである。
それが視聴者と言う立場にいる者の現実ではないか。
視聴率のことをあれこれ考えると、結局はこの辺の、思いっきりネガティブな、思いっきり悲観主義的なこの考えに行き着いてしまうのではないか。
だったら視聴率のことだけ深く考えたりしないで、大らかに楽しんだらいいんじゃないか。
と、こんな風に考えたわけです。
僕は基本的にペシミストなんで、どうしてもこういう考えになってしまうのです。
僕が挙げた以外のことで、視聴率アップのために視聴者が出来ることがあるのなら、是非どなたかご教授お願いします。
視聴率ネタを書き込む方々は今までのアニメをよく観ていたようにも原作漫画を読んでいるようにも見えませんので。
ドラえもんという「作品」を観たり読んだりするより、視聴率ネタを振って嘆き悲しむ人達の反応を見てる方が面白いのでしょう。
最近の掲示板は作品の中身について語り合ったり議論をしあったりする雰囲気がないように思えます。
>最近の掲示板は作品の中身について語り合ったり議論をしあったりする雰囲気がないように思えます。
僕が一番残念なのはそれなんですよね。
http://ginmandora.seesaa.net/article/17234938.html
ここで書いたことも、少ない情報だけを頼りに考えた推論に基づいており、ツッコミどころ満載のものなんですが、
最近はこの程度の論評すら、滅多にお目にかかることはなくなってしまいました。
おまけに自分と違う考えを持つ人間に対して排外的になる始末。
ネット黎明期の活気を知っている身としては寂しいですね。
おそらく2ちゃんねる等の掲示板の事を言っている
のでしょうが陰口ばかり叩いていないで直接議論
してみたらどうですか?
ケデラッタさんのサイト見た限りでは「内容」に
ついてそれ程書いてあるとは思えず、よそのサイトや
掲示板の否定派へのあてつけが目立ちます。
「わさドラ肯定派は原作を深く愛する人、
わさドラ否定派はろくに見ていない人」と
決め付けている書き込みなどもありますね。
>銀河満月さん
>おまけに自分と違う考えを持つ人間に対して
>排外的になる始末。
これは御自分達にも言える事ではないでしょうか。
http://www2.anakama.com/cgi-bin/bbs/c-board.cgi
こちらの方の掲示板を過去ログなどを含めて
お二人の書き込みを見ると議論と言うよりは
自分の意見を押し付けているだけで、他者の意見の
真意を読み取ることに関してはかなり疎いように
感じられます。
ドラえもんに対する思い入れは十分に感じられますが
もう少し自分の文章が他人にどう思われているか?
という事を考えても良いのでは?と思います。
それはここに書き込んでいる私にも言える事ですが
あえて言わせてもらいました。
始めまして。
まず始めに。
ここにケデラッタさんへの書き込みをしても、ケデラッタさんがご覧になるかどうかわかりませんので、
ブログをご存知でしたら、ご本人のブログや掲示板へ書き込んではいかがでしょうか?
>お二人の書き込みを見ると
確かに少し横柄な態度になっていました。
これについては反省しなければならないと思っています。
ちなみに僕やケデラッタさんの書き込みを、
「自分の意見を押し付けているだけ」としていますが、
向こうの掲示板で散見された、
リニュ版ドラ肯定論者に向けられた「見るな」「来なければいい」という類の乱暴な書き込みについては、
特に何の感慨も抱かなかったのでしょうか?
カチャトラさんが書き込んでくださった事に関する返信はこの場ではなく直接メールで行いたいと思っております。
メールアドレスを記入していただきたく思います。