と言うか最近は藤子関連のネタなんて全然書いてなかったしねえ。藤子Fミュージアムについてのニュースも去年流れたけども、実際出来てからでないと、大騒ぎできないし(笑)。
さて、去年の冬コミで僕が買ってきた同人の中に、「キャプテンウルトラ全書 増補編」と言うものがあった。
内容そのものはタイトルどおり、キャプテンウルトラ放送当時の関連資料紹介と解説(当時のスチールからインタビュー記事やコミカライズ版の紹介などなど)なのだけど、その中にちょっと面白い記事があったのだ。
本の中では「キネマ旬報」内のコラムでの、キャプテンウルトラに言及している記事が紹介されているのだが、その同じコラムの中で、当時放送されていた藤子アニメ、すなわち「オバケのQ太郎」及び「パーマン」についても少し触れられているのだ。
まだアニメを専門的に紹介、評論するなどと言うことがほとんど行われていなかった時代だし、別に執筆者も本腰入れて藤子アニメを評価しているわけではないのだけど、当時の生の評価を知る上では貴重な資料なのではないかと思い、該当箇所を以下に書いてみようと思う。
雑誌名は「キネマ旬報」67年5月下旬号の「旬聞テレビ評」。執筆者は「羽山英作」となっている。
(前文略)
こういうテレビにうつつを抜かし、怪獣に夢中になる子供をみていると、いささかユーウツだ。かつて評判だった「おばけのQ」というマンガ映画にも相当に敵意をもやしたが、それに続く「パーマン」(TBS・毎週日曜日)も愚劣である。
子供の抑圧された思いを、超自然的な力をもつパーマンで解放してやろうとでも思っているのだろうが、つまらぬ日常さはんじに題材をとり、お話にはどこにも子供の精神を養う一かけらのいいところもない。
大量生産に追っかけられた粗雑などたばたで、「まんが」としての画の工夫もありはしない。
(以下略)
(註:「こういうテレビ」とは「キャプテンウルトラ」のこと、
「おばけのQ」は原文ママ)
…さて、いかがだろうか?
パッと読んだ限りでは、藤子ファンなら「何言ってんだコイツ?」と思ってしまうかもしれないが、残念ながら僕はこの羽山英作氏が、普段からどのような観点でテレビ番組やドラマを評価しているのか、また白黒版「パーマン」は完全に未見のため、アニメとしての出来栄えがどうだったのかもまったくわからないため、羽山氏の評価が正しいのか勘違いなのか、その辺をきっちりと判断することは出来ない。
ただ文中での「子供の精神を養う」という内容を見る限り、羽山氏にとって「子供向けの作品」とは、古き良き児童文学のように、あくまで子供の健全な精神への成長を促す、教訓色を多分に含んだ作品であるべきだと言う考えを持っているのだろうと読み取れる。
仮にそう考えたとしても、教訓とまでは言わないが、考えさせられる内容が「パーマン」の中に一切ないのかと問われれば、恐らく全国のパーマンファン、藤子ファンが否定するところだろう。ただ前述の通り、これはアニメ版のパーマンについての感想だから、アニメ版が原作と大きく乖離していたとしたら、こういう感想を抱くことも有りうるわけで。
ただ羽山氏は作品の内容を「つまらぬ日常さはんじに題材をとり」と書いているが、それこそがパーマンのみならず、数多くの藤子Fマンガの醍醐味なわけなので、その描写そのものを「つまらぬ」と感じるのであれば、もはや理屈云々ではなく、感覚的に藤子作品とは馬が合わない人ということになるのだろう。
こればかりは個人の感性に拠るものだから、どうしようもない。
でもこの文章を読んで1つ思ったことは、今と言う時代、マンガやアニメの中に「子供の精神を養う」ような作品が、一体どれだけあるのだろうかということだ。
かつては数あるマンガの中でも、F先生の描くギャグマンガは異端に属する部類だった。
マンガの主人公と言えば物語の中心になるようなパワーと才能を持つ人物と相場が決まっていた時代に、しつこく「勉強もスポーツもダメなさえないヤツ」を主役格に持ってきていたF先生の諸作品は、お世辞にも「子供の精神を養う」ような作品ではなかった。もちろんだからこそ、説教臭さを嫌う多くの子供たちに受け入れられたわけなのだけど。
では今はどうなのか。マンガもアニメも「子供の精神を養う」ような作品が、現在どれほど存在しているのだろう?
40年前、「子供の精神を養う一かけらのいいところもない」と羽山氏に酷評された「パーマン」。しかし今では同じ作者の生み出した「ドラえもん」が、多くの人たちに「健全な作品」として受け入れられている。
では今現在、羽山氏が言うところの「子供の精神を養う」ような作品はどこかにあるのだろうか?
本来ギャグマンガに過ぎないドラえもんが「健全な作品」として受け入れられるようになっているこの時代、どこかおかしくなってはいないだろうか?