今話の万年竹の話も内容としてはそんな感じで仕上がっていた。自分のテリトリーに侵入してくる人間たちを竹に変えてしまうという流れは原作と同じだが、「特定の人間と心を通わせるようになり、その人間がいなくなってしまったことから他の人間を寄せ付けないようになった」という今回の万年竹の追加設定は4期版をほぼそのまま踏襲していると言っていい(ついでに言えば原作における「竹の精」と同じ顔の女性を出してくるところまで同じ)。
4期の場合はその相手の人間を病気がちの少女としたことで感動系の話としてまとめていたが、今回は相手との繋がりの深さを重視するのではなく、相手となる人間・大吉が何者かに殺されたという設定にし、ミステリータッチの味付けをプラスしている。大吉の息子である雅彦とも万年竹は既に知り合いであり、当初言われていた竹に変えられた人間と言うのが雅彦の狂言であったり、そうかと思えば実際に万年竹が動き出したりと二転三転する展開は正しくミステリーのそれと言っていいだろう。
その追加要素は最終盤において最大限に炸裂する。大吉が殺されるところを見ていた万年竹。万年竹の言葉から真犯人は誰かを突き止めた鬼太郎は自分から手を出すことはなく自首を勧める。それは人間の犯した罪は人間が裁くべきという、妖怪の鬼太郎からすれば当然の考えであったろうし、罪を犯した犯人に対するせめてもの恩情でもあったろう。しかし真犯人は鬼太郎の善意を無碍にし、真相は藪の中と嘯く。他人の善性を踏みにじるような人間の迎える末路はもはや1つしかなかった。藪の中に引きずり込まれて消えた犯人を一瞥し、鬼太郎は竹藪を後にする。
鬼太郎はこうなることまで予想していたのだろうか。こうなってしまった場合を予期して、敢えて「竹藪の中」で真犯人を問い詰めたのだろうか。そこは見る者の判断に委ねられるところだが、いずれにしても事件の真相だけでなく鬼太郎がどう考えていたか、この結末に鬼太郎が何を思うのかさえも、すべて「藪の中」に包まれてしまったと考えると、何ともやるせないものがあるだろう。
個人的には真犯人の言い分にも一理あると思えてしまうところが何より気分悪いところなのだけど。
次は麻桶毛。24話の石妖と同じく80年代マガジン版初出の妖怪にして、今回がアニメ初登場となる妖怪である。この調子で妖怪王将戦とかアニメ化してほしいものだなあ。