2019年05月26日

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)45話「真相は万年竹の藪の中」感想

 アニメ鬼太郎の感想を書く上で「過去作のネタを安易に持ち出さない」というのが自分的に結構注意していることなのだけど、それでも読み返してみると過去作の話を持ち出しているケースがままあった。さすがに「過去作と比べて今期のこの話はダメ」みたいな最低なことは書いていない…と思うのだけど、そうでなくても過去作の話がポンポン出てしまう理由としては、この6期鬼太郎自体が過去作の要素を意識した上でかなり積極的に盛り込んでいるという点がある。個別の例はいちいち出さないけど、過去作要素をオマージュやリスペクトしたり、あるいは話そのものを立脚させるファクターの1つとして盛り込んだ上で6期独自のドライであったりシニカルであったりといった観点から全体をまとめ上げる、と言うのが今期の話作りの手段の1つのように思われる。
 今話の万年竹の話も内容としてはそんな感じで仕上がっていた。自分のテリトリーに侵入してくる人間たちを竹に変えてしまうという流れは原作と同じだが、「特定の人間と心を通わせるようになり、その人間がいなくなってしまったことから他の人間を寄せ付けないようになった」という今回の万年竹の追加設定は4期版をほぼそのまま踏襲していると言っていい(ついでに言えば原作における「竹の精」と同じ顔の女性を出してくるところまで同じ)。
 4期の場合はその相手の人間を病気がちの少女としたことで感動系の話としてまとめていたが、今回は相手との繋がりの深さを重視するのではなく、相手となる人間・大吉が何者かに殺されたという設定にし、ミステリータッチの味付けをプラスしている。大吉の息子である雅彦とも万年竹は既に知り合いであり、当初言われていた竹に変えられた人間と言うのが雅彦の狂言であったり、そうかと思えば実際に万年竹が動き出したりと二転三転する展開は正しくミステリーのそれと言っていいだろう。
 その追加要素は最終盤において最大限に炸裂する。大吉が殺されるところを見ていた万年竹。万年竹の言葉から真犯人は誰かを突き止めた鬼太郎は自分から手を出すことはなく自首を勧める。それは人間の犯した罪は人間が裁くべきという、妖怪の鬼太郎からすれば当然の考えであったろうし、罪を犯した犯人に対するせめてもの恩情でもあったろう。しかし真犯人は鬼太郎の善意を無碍にし、真相は藪の中と嘯く。他人の善性を踏みにじるような人間の迎える末路はもはや1つしかなかった。藪の中に引きずり込まれて消えた犯人を一瞥し、鬼太郎は竹藪を後にする。
 鬼太郎はこうなることまで予想していたのだろうか。こうなってしまった場合を予期して、敢えて「竹藪の中」で真犯人を問い詰めたのだろうか。そこは見る者の判断に委ねられるところだが、いずれにしても事件の真相だけでなく鬼太郎がどう考えていたか、この結末に鬼太郎が何を思うのかさえも、すべて「藪の中」に包まれてしまったと考えると、何ともやるせないものがあるだろう。
 個人的には真犯人の言い分にも一理あると思えてしまうところが何より気分悪いところなのだけど。

 次は麻桶毛。24話の石妖と同じく80年代マガジン版初出の妖怪にして、今回がアニメ初登場となる妖怪である。この調子で妖怪王将戦とかアニメ化してほしいものだなあ。


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2019年05月25日

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)44話「なりすましのっぺらぼう」感想

 プライベートで色々あったら鬼太郎の感想書くのがすっかりおざなりになってしまい、気がつけば名無しとの決着もついて石動とかいう高校生も出てくるようになってしまっていた。
 これからはあまり時間をかけず気楽に感想書いていくようにしないとな。

 気分も新たに感想書くとして、今回登場の妖怪はのっぺらぼう。原作では人魂の天ぷらが登場したり顔を盗む術なんかもあったりとビジュアル的に面白い話(個人的には冒頭のねずみ男の口八丁も好き)になっていて、歴代アニメ版でも比較的原作に沿った内容での登場が多い妖怪である。と言っても鬼太郎と敵対関係にあったのは4期の初登場回(7話「妖怪のっぺらぼう!」)が最後で、そこで改心してからは21話「白粉婆とのっぺらぼう」や40話「夜の墓場は運動会!」で味方・仲間妖怪として登場し、5期では似たような見た目の白坊主が準レギュラーだったためか全く出番がなく、アニメへの登場は今話が実に二十数年ぶりと言うことになる。
 今期においてもOPの運動会場面で鏡じじいやチンポと一緒に仲良く綱引きに参加しているところからして、敵としてではなく仲間として登場するのではないかと以前から囁かれていたが、その通りゲゲゲの森に住む鬼太郎の友人的立場の妖怪として登場している。もっと言えばCV担当がくまいもとこ氏なだけに、歴代作に比べて子供っぽさが強調されてもいる。かつての永井一郎氏や安西正弘氏とは当たり前だが別物のようだ(笑)。
 お話の内容そのものは「自分の本質と作られた虚像とのギャップに悩む青年(敦)が、のっぺらぼうと再び触れ合う中で本当の自分のままで生きていくことを決意する」という、粗筋だけ見ると色んな意味で鬼太郎っぽくないものになっているのだが、普段から顔を晒しているにも関わらず「素顔」を晒せず苦悩する人間の敦と、言葉そのままの意味で顔を持っていない存在でありながら常に本心という「素顔」を晒して敦に接する妖怪ののっぺらぼうという関係が良い対比になっており、他のアニメであれば一捻りした暗喩などで表現せざるを得ない部分を「顔のない妖怪」としてストレートに表現できるあたり、妖怪アニメである鬼太郎ならではの構成と言える。
 子供の頃に遊んだのっぺらぼうの存在を忘れ、一時は自分を襲う存在ではと恐れた敦(そう思うきっかけになったのものっぺらぼうが替え玉の鬼太郎という「虚像の顔」を用意したためと言うのが、地味に皮肉が利いている)が窮地の中でのっぺらぼうの存在を思い出した時、同時に自分の素顔=本心のままにいられた子供の頃の自分を思い出すという流れも、のっぺらぼうが妖怪であるが故に子供の頃と(見た目すらも)まったく変わらず自分を見ていてくれたという点が大きかったからと考えると、鬼太郎アニメ・妖怪アニメとしての特性を十全に生かした上で作られている丁寧な話作りに気づかされることだろう。そう考えるとくまい氏のいかにも子供という感じのボイスも、のっぺらぼうの変わらなさを強調するために敢えて配役したのかもしれない。
 のっぺらぼうと敦の関係を中心に据えていた内容だけに敵役である白粉婆の登場は正直蛇足に思えなくもないのだが、正味25分という限られた時間の中で話を収束させるには、話を転がせる役割としてのわかりやすい敵役も必要なのだろう。僕のようなオッさんファンとしてはそれこそ前述の4期21話を意識したであろう配役にニヤリとしてしまったけども。
 一方、Aパートの鬼太郎もなかなか面白い。のっぺらぼうの代役で敦と会っている時のやる気のなさはいかにも今期鬼太郎らしくておかしいがそれだけでなく、嫌々ながらも人間である敦と妖怪であるのっぺらぼうの関係維持のために協力していることが、これまでの鬼太郎の心境の変化という点から見るとなかなかに面白い。
 妖怪と人間はあまり近過ぎないほうがいいという考えが基本的なスタンスだった鬼太郎が、SNS上のみとは言えのっぺらぼうと敦のやり取りに特に疑義を挟むこともなく、2人が会うことになったと聞いても、ごまかすことは否定的ではあるものの会うことそのものについては明確に否定しない。非常に何気ない、話のキーになるような部分では全くないが、鬼太郎の微妙な心境の変化を自然な形で描写しており、のっぺらぼうと一時仲違いした敦の態度に対する冷めた態度も含め、こちらもまた(1年目終盤に向けての)丁寧な話作りと言えるだろう。
 …後は本当にどうでもいいことなんだけど、もう妖怪も普通にスマホやSNSを使いこなしてるのね(笑)。

 次回登場の妖怪は万年竹。こちらもアニメ版での登場は4期が最後だったので久しぶりの登場だ。
posted by 銀河満月 at 12:20| Comment(0) | 日記・戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする