2019年02月11日

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)37話「決戦!!バックベアード」感想

 アルカナの指輪とブリガドーン計画を巡って鬼太郎たち日本妖怪とバックベアード率いる西洋妖怪が激闘を繰り広げる中、鬼太郎は大ダメージを受けアニエスを運命から救おうとしたアデルと共にベアードに痛めつけられてしまい、彼らの命と引き換えにアニエスはブリガドーンのコアになる運命を受け入れ、ついにブリガドーン計画を発動させてしまう。
 ブリガドーンにより異形に変わっていく人間たち、そしてそんな人間たちから放たれるどす黒い念を1人吸い寄せ続ける名無し。計画完遂と高笑いするベアード。絶体絶命のこの状況で鬼太郎は復帰できるのか、そしてベアードと決着をつけアニエスを救うことができるのだろうか。

 鬼太郎を救うための最初のキーマンとして動き出したのはまなだった。前話でアニエスの助けも間に合わず航空から落下したまなだったが、鬼太郎から渡されていたちゃんちゃんこの力で難を逃れただけでなく、前々話でアニエスから手の甲に受けた「魔女のキス」の効果により、ブリガドーンの只中にいても妖怪化するのを免れていたのである。後のセリフでベアードもまなが変化しないことに多少なりとも驚いていたことから見てもかなりイレギュラーなことであり、これもまたブリガドーンのコアに選ばれるほどの魔力の持ち主であるアニエスだからこそできる芸当なのであろう。
 まなは鬼太郎と同じくベアードの攻撃を受けて痛めつけられていたアデルと邂逅する。鬼太郎の妖力を回復させる魔法石を渡そうとするアデルを目玉親父は警戒するが、まなはアデルの必死の眼差しにアニエスと同じものを見出し、魔法石を受け取って鬼太郎の下へ走り寄る。
 それを見つけて弄ぶように攻撃してくるバックベアード。たちまち追い込まれてしまうまなだったが間一髪、魔法石の力で復活を果たした鬼太郎と一反木綿に救出され、鬼太郎も起死回生の指鉄砲をベアードに放つ。
 しかしベアードもその程度で倒されることはなかった。何と目玉だけと思われた自分の体を人型に変形させ、鬼太郎に肉弾戦を挑んできたのである。
 バックベアードと手足と言えば「鬼太郎国盗り物語」における相撲対決で手足をニョキニョキニョキーと生やしてきたベアードの姿を思い浮かべる原作ファンも少なくないだろうが、まさか体型そのものまで人の形に変えてくるとは思っていなかったので、個人的にはかなり驚かされたものである。着想の一つに前述の「国盗り物語」があったのだろうが何とも大胆なアレンジであり、まるで前番組のドラゴンボールみたいと一部で囁かれるのも無理ないことであろう。ただベアードの場合元々の姿だと鬼太郎とあまりに体型が違い過ぎるので、たとえば3期〜5期におけるぬらりひょんと鬼太郎の格闘のように分かりやすいアクションを構築しにくく、かと言って今期は5期における地獄究極奥義のような派手な技も存在していないため、従来の味を生かしつつ派手なアクションという画を完成させるためには、むしろこの種のアレンジは必要な条件だったとも言えるだろう。
 単眼からの妖力攻撃も健在で鬼太郎もたちまち劣勢に追い込まれてしまう。その合間にもアデルは今度はアニエスを救おうと、身動きも出来ない体をまなに支えられながらアニエスの下へ歩み寄るが、すぐにベアードに気づかれ一撃を受けてしまう。その攻撃自体はアデルの防御壁でどうにか防いだが、ここに至ってついに鬼太郎も激しい怒りを見せ、リモコン下駄や大技・体内電気を使ってベアードに対抗する。
 この流れ自体はかつての妖怪大戦争の時と同じなのだが、注意したいのはここで鬼太郎が怒る原因になった「傷つけられた仲間」が妖怪仲間ではなく人間のまなという点である。まなと歩み寄ることをやんわり拒絶した3話の頃から比べると隔世の感があるが、西洋妖怪編を含め何度となくまなと行動を共にし、鬼太郎にとっても気の置けない間柄になっていたというのは、内面の変容ぶりが外見からはわからない今期の鬼太郎における明確な成長(と言っていいだろう)であり、クライマックスの大事なシーンであるがなかなか微笑ましい瞬間でもあった。
 思わぬ反撃に驚きながらも一気に決着をつけようと大技をぶつけてくるバックベアード。それに対抗して放つ鬼太郎の指鉄砲とが空中で激しく拮抗し合う様は本当に前番組アニメのようである(笑)。圧倒的な力で指鉄砲を押し返しつつベアードは自分の歪んだ思想を鬼太郎に押し付けてくる。絶対的な強者が弱者を束ね崇めさせる世界、それが理想的な「平和の世界」であり自分はそれを作ろうとしていると強弁するベアード。しかしそれで出来上がる世界とは特定の存在のみが持つ理念のままに支配されすべてが抑圧された不幸な世界であり、それは自由と共存を望む鬼太郎の最も嫌うものでもあった。
 ベアードの邪な野心に反発する鬼太郎の心情に呼応するかのように、怒りの色に染め上がっていくちゃんちゃんこ。鬼太郎の祖先である幽霊族も同じ信念を持っているのか、それとも単に子孫である鬼太郎の助力となるべく立ち上がったのか、どちらの理由によるものかはわからないが、鬼太郎の想いに多くの先祖たちが呼応し力を貸してくれるのは間違いない。原作と同様、鬼太郎の窮地に立ちあがったちゃんちゃんこの力も得て、鬼太郎は極大級の指鉄砲を放ち、ついにバックベアードを地上から消滅させる。
 ベアードの消滅を目の当たりにした他の西洋妖怪も離脱、アニエスもアデルの命をかけた行動でついに救出されブリガドーン計画も停止し指輪は消滅、長い戦いはついに決着を見る。
 魔女の運命から解き放たれたアニエスはアデルと共に世界を見て回ることにし、まずは耳長たちの故郷へ向かうことを決める。そのことを鬼太郎に教えられたまなは鬼太郎に導かれるまま初めてゲゲゲの森を訪れ、再会を約束して旅立つアニエスたちを見送るのだった。

 しかしまだ「事件」は完全に終わってはいない。この西洋妖怪との一連の戦いの中で漁夫の利を得たと言っていい唯一の存在・名無しが今もまた暗躍し、まなに今度は「土」の刻印を施す。以前刻印した「木」「火」に続いてこれで3つ目。この刻印が何を意味するのか、そもそも名無しの目的が何なのか未だに判明していない中、物語は第4クール「名無し最終決戦編」へと入っていく…。

 今話で「西洋妖怪編」と名付けられた第3クールは終了したわけだが、3クール全体を軽くまとめて感想書いてみるとすると、少なくとも異質な展開ではあったと思う。それがスタッフの意図したものかどうかはわからないけれど。
 元々今期は名無しという縦糸的要素が存在してはいたものの、はっきりとクール全体に渡る連作形式を取るのは鬼太郎アニメの中でも初のことであり、しかもバトル重視という初めてづくしのクールであったが、この西洋妖怪編のメインキャラというべき存在であるアニエスに注目して見てみるとよくまとまっていたと思う。
 それほど西洋妖怪との絡みがない33話で「運命に従おうとしている娘」に対して辛辣な態度を取っていたのも、35話を見た後ならその理由も納得できるし、31話や34話の描写からも本来は素直で心優しく、でもどこかで無理をしているというアニエスのパーソナリティが垣間見え、その描写については非常に丁寧で巧く盛りたてていたと言っていいだろう。
 反面、開始前のスタッフの言にあった「鬼太郎個人を深く見せる(大意)」についてはちょっと首をかしげざるを得ない。アニエスと積極的に絡む役目はまなが担っていたこともあって、鬼太郎自身は今までとさほど変わらないスタンスを維持していたため、前2クールと比べてもさほど鬼太郎自身に変わりはなかったように思われる。ただこれについては演じる沢城みゆきさんの体調の問題(ちょうど産休・出産の時期)もあったろうから、一概に否定の材料にはなりえないのだけど。
 だからどこに注目するかで本クールの評価は変わってくるだろう。今まで以上の鬼太郎の活躍を望んでいた人や前2クールで多く見られた風刺の色合いを望んでいた人からはつまらないと思われるだろうし。僕としてはゲゲゲの鬼太郎という作品自体が極めて自由な作風だしそれが作品最大の魅力と思っているからこのくらいの変遷は望むところであるし、1話1話のクオリティは高いものだったので概ね満足しているというところである。

 さて次回からは先述のとおり「名無し最終決戦編」と銘打たれた第4クールに突入する。新年一発目からなかなか物騒なサブタイトルだが、果たして久しぶりに逆モチ殺しは拝めるのだろうか。
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ゲゲゲの鬼太郎(第6期)36話「日本全妖怪化計画」感想

 前話にてアニエスが本当の意味で鬼太郎たちの仲間となったところを描いたこの西洋妖怪編、いよいよ今話と次の話の前後編がクライマックスとなる。
 当然今話の出だしはアルカナの指輪を求めて再襲来したバックベアード軍団と鬼太郎たちとの戦いになるわけだが、単なる闘争以上の意味を持たせるためのギミックとしてまなに指輪を拾わせているのは作劇上の都合と言ってしまえばそれまでなのだが、名無しを登場させてそこにも何らかの作為が働いているであろうことを匂わせ、ご都合主義的な脚本上の強引さを回避している。
 まなの拾った指輪を巡って鬼太郎はアデルと、子泣き爺はヴォルフガングと、ぬりかべはフランケンシュタインと、ねこ娘はカミーラとそれぞれ四者四様の戦いを繰り広げる。カラスを通してまなとアニエスの関係性を知っている鬼太郎がまなのことを「(アニエスの)友人、だろうな」とアデルに伝えるシーンは、アニエスだけでなくまなに対しても一定の信頼を抱いていることが感じられてなかなか良い。原作の展開に沿うならフランケンと戦うのは子泣きがいい(5期ではやってた)とかいう点で原作ファン的には若干の不満がないでもないが、まあそれはそれだしそれで今話の展開に水を差されるようなものでもないだろう。
 鬼太郎たちの助力を得て指輪と共に逃げるまなだが、鬼太郎を一旦退けたアデルが再びまなを襲い、アニエスの助けも及ばず指輪は奪われてしまう。指輪と共に高所から落下していたまなを掴んだのはアデルだったが、それは単に指輪を手に入れるためだったのか、それとも妹の「友人」であるまなにある種の興味が働いたのか、この描写だけではどちらとも言えないがそこは見る人が判断するべきところなのだろうか。
 だが結局まなはアニエスの助けも間に合わず落下してしまい、駆けつけた鬼太郎もバックベアードの不意の攻撃を受けて別空間=ベアードの空間に閉じ込められてしまう。

 アニエスもアデルに捕らえられまさに絶体絶命となった時、アデルはアニエスではなく自分が指輪をはめ、自分自身をコアにしてブリガドーンを実行しようとする。アデルもまた魔女の一族の運命に抗い、せめて妹のアニエスだけは自由にしてやりたいと願っていた、そのためにベアードの下で忠実な部下として今まで行動していたのである。魔女の運命に従って大切な家族を失う悲しみを彼女はアニエスと同様に抱いていた、そして母親を失った今、さらに妹をも失う悲しみを味わいたくないがためにずっと行動してきたのだった。
 正直に言えばこのシークエンスこそ強引に思わないではない。勿論アデルの真意が他の登場人物、引いては視聴者側にもばれないようにするためには安易に伏線になりそうな描写を織り込むことは難しかったろうが、あまりにも何もなさすぎて唐突すぎる印象はどうしても付きまとう。Aパートで見せたまなを助ける描写にそれらしさを感じられなくもないのだが。前話でアニエスが回想していたようにアデルもまたアニエスとの過去のやり取りを思い出させるなりして「(かつては)妹を大切に想っていた」くらいのシーンはあっても良かったかもしれない。
 しかしそのアデルの考えもバックベアードには見透かされていた。さらに元々の魔力が足りなかったためにブリガドーンは発動せず、ベアードはアデル、さらには捕まえた鬼太郎をも人質にとってアニエスにコアとなることを強要する。
 目の前で大切な仲間、そして姉が傷つく様を見せつけられ、アニエスに耐えられようはずもない。アニエスは自分をコアとしてブリガドーン計画を発動させてしまう。その魔力はあっという間に暗雲の如く空に満ち、人間たちは妖怪に変貌していく。そして変わりゆく人間たちから放出される黒い念をどんどんと集めていく名無し。

 と、文章で書けば今話の内容と感想は大体こんなものだけど、バトル主体の話は感想を書くのが難しい(笑)。
 とりあえず気になったのは上記のアデルの真意関連の部分くらいで、西洋妖怪編のクライマックスとしては十分な出来だったんじゃないだろうか。他の西洋妖怪と鬼太郎ファミリーの戦いがあまり描かれてないのはちょっと物足りない気もしたけど。
 鬼太郎があまり活躍できずやられる描写が多いのは、まなにちゃんちゃんこを貸し出しているという点もあるのだろう。原作どおり後編の次回ではちゃんちゃんこさんのブチギレ大活躍を期待したいところである。
posted by 銀河満月 at 12:58| Comment(0) | ゲゲゲの鬼太郎(第6期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする