2018年12月15日

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)32話「悪魔ベリアル 百年の怨嗟」感想

 今回の敵は悪魔ベリアル。その名の通りどんな相手も大抵「妖怪」にカテゴライズされる傾向のある鬼太郎作品の敵としては珍しい「悪魔」であり、明治元年に日本襲来したものの烏天狗によって魔力を封じられ、以来百年以上もただの老人として生き永らえてきたという凝った設定の持ち主である。原作発表時点で明治100年だから約50年後の今、今年はキリ良く150年目ということでベリアルが登場するには最適なタイミングだと言える。
 と、豊富なネタのあるキャラクターであり「脳を持つ水爆」に例えられるほどの存在であるにもかかわらず、さほど強敵として扱われることはなく単話で倒されてしまうのがいかにも鬼太郎らしいところであるのだが、その点に注目してみると今話は比較的原作に忠実に作られていた。割とあっさり目の決着に残念がっている人もネット上ではチラホラ見かけるが、これは恐らく歴代アニメ作の中でも特に強敵としての描写に比重が置かれていた3期版の印象が強かったのかもしれない。そもそも原作からして魔力が戻って最初にしたことが好物のホットケーキ生成という俗な奴だったし。
 烏天狗(今回は長老)を封印したり鬼太郎との決戦では百倍分裂をしたりという原作の要素をきちんと盛り込むだけでなく、烏天狗の存在をキーとして舞台を鳥取・大山に設定したり、その流れでまなやアニエス、さらには17話にも登場した若い天狗の小次郎をストーリーのメインに絡めるところはこれまでの挿話を踏まえた上での構成の妙味であろう。分裂したベリアルの本体を見極めるために鬼太郎自身でなく仲間の力を借りるところなどは過去のアニメ版を踏襲しているとも言え、ベリアルの強さや原作の展開は過不足なく描かれている。
 ただそれでも若干の物足りなさを覚えてしまうのは、ベリアルの脅威よりも小次郎の恋の苦悩や能力覚醒の方に主として焦点が当てられていたため、鬼太郎とベリアルの戦い自体は毎回のルーティーンワークレベルで決着してしまうためだろうか。
 その小次郎の恋の方は17話での出来事から未だまなに恋慕しており、長老には種族の異なる人間相手の恋を否定されてしまう。だがこのネタ自体はよくよく考えてみると多少の違いはあるにせよ、異なる種族や立場を超えて歩み寄ることができるかという西洋妖怪編に通底するテーマに繋がっており、ともすれば枝葉末節的なネタに終始しそうな小次郎の恋物語を西洋妖怪編にマッチした挿話として昇華させている点は見逃してはならないだろう。
 …尤も小次郎1人が盛り上がってお相手のまなには結局気づいてもらえていないという、ラブコメ的お約束展開になってしまってはいるのだが。さらに言えばベリアルの復活・決戦と完全に同質に描いているのが、前述のベリアル関連描写の物足りなさに繋がってもいる。
 他方、アニエスうはまなとすっかり打ち解けて一緒に箒に乗って境港まで行く仲の良さぶりを見せている。それだけでなく小次郎の恋慕相手が誰なのかをいち早く察し、指輪出現の予兆があったためでもあるがまなと2人きりさせる気遣いを見せたり、まなを巻き込まないために深い事情を未だ話さない心遣いをしながらも、自分を案じてくれるまなにすまなそうにする仕草を見せるといった細かい描写もあり、彼女が人の心の機微を理解できる優しさの持ち主だということを何気ない描写で見せている点はさすがである。同時にベリアルによって封印されてしまった烏天狗たちを1人で解放してしまう能力的なポテンシャルも発揮しており、わずかながらにアルカナの指輪の力を自力で発動させた28話の件も含め、今後の伏線になっているであろう部分も見逃せない。

 次回の話は白山坊。これまた歴代アニメ作品でも必ずアニメ化している定番妖怪だが、原作と同様のオーソドックスな敵妖怪になるか5期版のようなまったく新しいキャラクター像として登場するか、楽しみなところである。


posted by 銀河満月 at 17:13| Comment(0) | ゲゲゲの鬼太郎(第6期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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