2018年10月14日

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)28話「妖怪大戦争」感想

 前回から始まった西洋妖怪編の今話のタイトルはそのものずばり「妖怪大戦争」。前回はヴォルフガング1人にかなり苦戦させられたが、これも前哨戦に過ぎないということでとうとうバックベアード率いる西洋妖怪軍団が総勢で乗り込んでくることになってしまう。その事実は日本に住んでいる海外妖怪たちを震え上がらせ、特にベアードについてはその名前を口にするだけでも危機を感じさせるような有様だった。
 鬼太郎はアニエスという闖入者に巻き込まれる形で、言わばなし崩しで西洋妖怪と事を構えることになったが、犠牲にしてしまった耳長たちのことを想い、せめてアニエスは守ろうと決意を新たにするものの、肝心のアニエスは自分やベアード軍についての事情をほとんど話さず、アルカナの指輪を破壊することにのみ固執する。
 鬼太郎が仮の住処を案内してもさして興味を示さず、指輪を壊せない鬼太郎に厳しい言葉を放つその姿の裏には、前回ヴォルフガングの決壊魔法を打ち破った鬼太郎の実力を当てにしているからという面もあるのだが、自分の利だけを考えているようなその言動には、ねこ娘でなくてもいらついてしまうところだろう。鬼太郎の背後で子泣きや砂かけに止められているねこ娘の姿には笑ってしまったが。
 ただアニエスも決して情に薄いわけではないというのは、彼女もまた耳長たちの墓前で謝罪の言葉を口にしているところからもわかるので、決して鬼太郎たちのことを軽んじているのではないということも理解できるだろう。彼女が墓前で使った魔法に何の意味があるのかはこの時点ではわからないが。
 だがそういう彼女が本来持っているのであろう情に厚い部分も、指輪の破壊という大目的のために抑え込まなければならないようで、アニエスは自分の魔術で鬼太郎の妖力を強制的に強化してしまう。そこだけ見ればアニエスが目的のために鬼太郎を利用していると思われても仕方なく、ねこ娘も恐らくはそう考えてアニエスに爪を向けたのだろうが、そこでも鬼太郎はまだアニエスに協力する意志をなくさなかった。いきなり強化された妖力に体が耐えきれず苦しんでいる状態であってもである。
 そこにはやはり耳長たち「助けを求めてきた者」を救えなかった後悔が根本にあるのは明白だし、その無念を晴らすためなら自分の体が傷つくことも厭わないというのは、これまで数多くの悪妖怪たちと戦い退治してきた鬼太郎の信念と呼ぶべきものであった。実際これまでの27の挿話の中で鬼太郎が何度も敵妖怪にやられ、時には死の淵に立たされながらも戦ってきたのだから説得力もさもありなんというところだろう。
 だが鬼太郎にも唯一の泣き所があった。それはかつて3話でまなを拒絶したのと同じ理由。「自分の力で大切なものを傷つけてしまったら、守れなかったら」という恐れ。そしてそれはベアード軍のゲゲゲの森への全面侵攻という形で現実のものとなってしまう。

 満月の夜、魔術によって炎に包まれるゲゲゲの森。妖力が全開になったヴォルフガングには銀の弾丸も効かず、フランケンシュタインは自身の製造した怪物に妖怪を襲わせ、カミーラの術に子泣きじじいたちも翻弄される。頼みの鬼太郎はアニエスの魔術のために身動きすら取れないまま、日本妖怪は追い込まれていってしまう。
 自分が動けないまま傷ついていく森と仲間たちを目の当たりにした鬼太郎は怒りのままに増幅された妖力を制御、復讐戦を仕掛けるヴォルフガングを一蹴しアデルと直接対決、一度は奪われた指輪を取り戻す。
 しかしそんな状態の鬼太郎でさえも、ついに姿を現したバックベアードの強大な妖力には歯が立たなかった。アニエスが無理やり指輪の力を起動させたおかげで難は逃れ西洋妖怪軍は撤退、双方痛み分けというとりあえずの決着はついたものの、森や仲間たちに残した爪痕は大きかった。
 そしてそれを見た鬼太郎は初めてアニエスを明確に拒絶してしまう。力の解放と同時に消えてしまったアルカナの指輪を探す手伝いはするというが、元を正せば鬼太郎たちにとって今回の件は西洋妖怪同士のいざこざのとばっちりのようなものでもあり、鬼太郎が積極的に介入する理由は存在しなかったわけで、その「とばっちり」のために守るべき大切なものを傷つけてしまった鬼太郎の胸中は察するに余りあるというところだろう。
 この辺は悪妖怪と戦う道を選びながらもどこかその行為に遠慮がちだった今期の鬼太郎らしいアンビバレンツと言えるだろう。アニエスを守りたい気持ちはあれど、そのために別の守りたいものを傷つけてしまった故の苦悩が滲み出ており、ヒーローでありながらヒーロー然とした存在でない鬼太郎というキャラクターを生かした秀逸な描写である。
 しかし同時に「怒りによってパワーアップ」という少年漫画的王道展開も盛り込んでおり、同時に強力な西洋妖怪とも、少なくとも鬼太郎本人は互角以上に戦えるであろう伏線も張られたわけで、今後もバトルを重視しつつ今まで通りの「ゲゲゲの鬼太郎」の物語を紡いでいってくれるのだろうと、些か楽観的ではあるがそんな風に思える今回の話であった。

 来週はそんな今まで通りの物語を体現する今期独自のキャラクターであるまなとアニエスが邂逅を果たすようだが、そこにフランケンシュタインも絡んでくる様子。指輪が消えてしまったことで全面侵攻は一旦ストップするのかは定かでないが、どんな展開が待っているのか楽しみなところである。
 
posted by 銀河満月 at 12:06| Comment(0) | ゲゲゲの鬼太郎(第6期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月08日

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)27話「襲来!バックベアード軍団」感想

 とある西洋の古城。そこに眠る1つの小さな指輪を1人の魔女が盗み出す。魔女と因縁があると思しきもう1人の魔女は指輪を取り戻そうと魔女を攻撃するが、その攻撃を防ぎ指輪の魔女を逃がしたのは「名無し」だった……。

 ゲゲゲの鬼太郎という作品に慣れ親しんだ人ならば、数あるエピソードの中でも「妖怪大戦争」をよく覚えているのではないだろうか。日本侵略に訪れたバックベアード率いる西洋妖怪の軍団と、原作では初めて結成された子泣きじじい、砂かけばばあ、一反木綿、ぬりかべの鬼太郎ファミリーとの決戦、多くの犠牲を払いながらも初披露となる鬼太郎の髪の毛針や先祖の魂が眠るちゃんちゃんこの力が発揮されることでようやく勝利を得たという、文字通りの「大戦争」である。
 この屈指の人気エピソード、当然歴代アニメ作品でも1期の前後編や3期の劇場版とかなり力を入れてアニメ化されており、原作そのままでなくとも西洋妖怪のリーダーであるバックベアードとその部下のドラキュラ、狼男、フランケン、魔女といった重要な要素は4期の妖怪王編や劇場版、5期の一連の西洋妖怪編に反映されており、いずれも重要なエピソードに位置付けられている。それだけ「西洋妖怪の軍団」というのは鬼太郎世界において重要なファクターであるのだ。
 そしてこの6期においてもついに西洋妖怪軍団が登場する。西洋妖怪が日本に攻めてくるという導入部は変わらないものの、魔女アニエスという鬼太郎側につく新キャラクターの登場、重要なキーアイテムであるアルカナの指輪の存在など多数の新機軸も導入され、さて今期の「妖怪大戦争」はどのように始まるのか…?

 日本側の導入は穏やかではあるがゲゲゲの森の中で話が進行するという、今までと比べると少々異質な舞台設定になっているが、これはこの西洋妖怪編でスタッフが目指しているのが「鬼太郎中心の物語」であるという点が意識されているのだろう。
 そこで鬼太郎が紹介するのは南方から故郷を追われてやってきたという妖怪たち。劇中では耳長しか名前が出ないが、他の妖怪たちもひときわ顔のでかいのはエギク、竹を食べてしまうのは竹鼠の精、川に小便を垂れ流していたのはビディという名前がちゃんとあり、いずれも水木しげる先生による妖怪画が存在している。どれも耳長同様マレーシアの妖怪というのもなかなかの拘りだ。
 彼らは故郷を追われて逃げてきたということでゲゲゲの森に住むことにはなったものの、追われた理由については怯えてしまって話そうとしない。さらには彼らの生活習慣があまりにも日本妖怪のそれとは違いすぎて、鬼太郎たちも最初は受け入れたものの次第に軋轢が生まれてしまう。
 鬼太郎も何とか説得しようとするものの逆に言い負かされてしまい、結局別々の場所に住むことを余儀なくされる。この辺の現実社会を反映したかのような展開はいかにも今期鬼太郎らしいところだが、このへんはコメディタッチで描かれているのでそれほど風刺色は強くなく、どちらかと言えば現実を揶揄したギャグシーンと捉えるべきだろう。
 ここの描写がギャグ的であるからこそ、宝石に擬態していたアニエス、そしてアニエスを追って現れた西洋妖怪の1人・ヴォルフガングが現れてからの急展開が俄然冴えてくる。ヴォルフガングたち西洋妖怪は耳長たちマレーシア妖怪を襲った張本人でもあり、意を決して立ち向かった耳長たちも次々とヴォルフガングの餌食になってしまう。そう言えば現実世界でもマレーシアは昔、西洋(イギリス)の植民地だったっけ。
 目の前で耳長たちを殺され怒る鬼太郎は指鉄砲の力で結界を粉砕、ヴォルフガングと対峙するが、ヴォルフガングも狼男の本性を現して鬼太郎たちに襲いかかる。その力は圧倒的でねこ娘たち仲間妖怪の力は全く及ばず、鬼太郎が初めて見せる指鉄砲の連射にもその再生能力を生かしてビクともしない。かつてない窮地に陥った鬼太郎はしかしアニエスから託された狼男の弱点・銀の銃弾を使って辛くもヴォルフガングを退けるのだった。
 耳長たちのために作った墓を前に、もっと言葉を尽くしていればと悔やむ鬼太郎。3話でも見せた「異なる考えの持ち主を問答無用で排除する」ことを何より嫌う鬼太郎だからこそ、この言葉は重く鬼太郎自身にのしかかる。この時点で鬼太郎が西洋妖怪たちに対して、「耳長たちを殺した相手」以上の感覚を覚えているのかは定かでないが、アニエスから自分を守るよう言われ即決で引き受けたあたり、鬼太郎の胸中にもある種の覚悟が生まれていたのかもしれない。
 そしてそれは西洋妖怪側も同じだった。アニエスの姉であるアデルはリーダーであるバックベアードの命に従い、ヴォルフガングのみならず人造人間のヴィクター・フランケンシュタイン、吸血鬼のカミーラを始めとする全軍で日本に攻め入ることを決断、ベアードは日本妖怪との「妖怪大戦争」を開始することを高らかに宣言する。
 そんな危機迫る状況の中で1人、計画通りとばかりに佇む名無し。日本妖怪と西洋妖怪の戦いの中で彼は何を企むのか。

 今話は導入編ということで西洋妖怪側の謎と強大さを短時間で見せつけることに終始していた。擬態魔法とか転移魔法とかあまり鬼太郎では聞く機会のない用語も出てくるあたりにも、これまでの話とは違うという雰囲気が感じられて面白い。まだ鬼太郎が西洋妖怪側の事情を詳しく知らず状況に流されている感が強いのは否めないが、まだこの物語が始まったばかりであることを考えると、鬼太郎がこの戦争の中でどう能動的に動くようになって行くかも一つのキーポイントになっているのかもしれない。
 いずれにしても鬼太郎が望むと望まざるとにかかわらず西洋妖怪との戦争は始まってしまう。次回はズバリ「妖怪大戦争」。鬼太郎たちが穏やかに暮らしてきたゲゲゲの森が戦場になる中、鬼太郎は西洋妖怪に対しどのように戦いを挑むのであろうか。
posted by 銀河満月 at 16:20| Comment(0) | ゲゲゲの鬼太郎(第6期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月07日

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)26話「蠱惑!麗しの画皮」感想

 今回登場の画皮は元々中国の妖怪で、原作ではほとんど出番はないもののアニメ版では3期と5期でそれぞれ中国妖怪の総大将であるチーの手下として登場している。美しい女性に化けて男をたぶらかすという伝承に沿って女性の姿に化けたのは5期が初めてだが、今回は女性ではなく美しい男性に化けての登場となった。
 前話登場のくびれ鬼とほぼ同じようなデザインで巨大な醜い顔だけという真の姿はかなりインパクトがあり、化けている時の姿とのギャップは凄まじいものがある。そのせいなのか今話のアフレコ現場でも、話自体はかなり重苦しい話であったのにもかかわらず笑いが漏れる一幕もあったようだ。

 今話はそんな人間側の重苦しい話に比して鬼太郎たち妖怪側の描写がのんびりした雰囲気になっており、妖怪側の様子がそういう雰囲気で描かれるというのは今話が初めてではないにしろ、人間側のドラマがいつも以上に重い雰囲気だっただけに、良くも悪くも対照的な描写になっていた。
 クライマックスの画皮との戦いも少し苦戦はしたものの、決着自体はかなりあっさりとついてしまったのだが、この「フハッ」とした決着が個人的には実に水木漫画ライクしていていいなと思っている。
 今話のような人間のドラマがメインで鬼太郎は最後に現れて事態を解決するだけという話は今期多く見られ、鬼太郎は主人公と言うよりデウス・エクス・マキナとしての存在価値が大きいとさえ思われてしまうところが、鬼太郎の立ち位置を考える上で非常に難しいのだが、逆に言えば2クール目最後の話となる今話に今期の定型と言える話を持ってきたのは、「次回」以降に控えているストーリーを踏まえて、とりあえずこのフォーマットは今回で一区切り、というスタッフの宣言であったのかもしれない。
 同様の話作りだった前話が、鬼太郎とねこ娘の激しいアクションでそれまでの陰鬱とした空気を吹っ飛ばしたのに対し、今話はアクションではなく正体を現した画皮の強烈なインパクト(叫び声も含めて)が空気を変える役割を果たしていたというのも、うまく全話との差別化を果たせていた。

 翻って人間側のドラマは何度も言っているがかなり陰鬱である。夫に捨てられた経験から娘に女としての自主独立を許さない母親と、そんな母親に反発心はあっても逆らおうとはしない娘の愛憎劇というのは、とてもニチアサの時間帯で放送する内容とは思えない(笑)。
 娘のゆうなが幼友達にキスまでされてしまうのはやりすぎかとも思ったけど、母親に「汚らわしい」とまで言わせるにはそこまで見せないといけなかったのだろうし、ゆうなの方も無理やりキスされたことよりもそれにより母親に見捨てられてしまうことの方を恐れるという、病的に追い込まれていく2人の描写には不可欠なものだったのだろう。
 ゆうなが偶然出会った画皮というこの世ならざるものに溺れていくのは、娘にいつまでも変わらない理想像というある意味でこの世のものではない幻想を抱き続けてきた自分の母親の姿そのものであり、だからこそ同じ幻の中に生きてきた母親がいきなり現実の男に恋慕するようになったのを目の当たりにした時、混乱して包丁を持ち出す暴挙に出てしまった。自分を長いこと幻想の中に引きずり込んできた張本人が、今度は自分だけが率先して幻想から出ていこうとしたのだから、混乱するのは当然だろう。まして画皮に魂を食わせるという凶行の片棒を担いでしまった後でもある。
 最後には画皮に襲われ助けを求める母の声に呼応するように、かつて夫に捨てられ娘に助けを求めるようにすがった母と一緒に生きることを約束したその理由が、母への愛情だったということを思い出すゆうな。恐怖や歪みではなく最初は真っ当な愛情による繋がりだったことを、妖怪との戦いの中で思い出させる流れはいかにも鬼太郎らしい。
 ラストでそれぞれの道を生きていくことを決めた親子の姿は清々しく、今騎の鬼太郎には珍しい明朗なハッピーエンドを迎えられたというところだろう。わざわざ母子の様子を見に来る鬼太郎というのは今回の鬼太郎の性格を考えると少々おせっかいな気もするが。

 そして次回からはついに西洋妖怪編に突入する。多くの強力妖怪との戦いが展開されるのは必至だが、前情報どおりなら原作や歴代アニメ版ともかなり異なる展開になることが予想されるし、まなや名無しといった存在はどう動くのか、鬼太郎のこれからが今から非常に楽しみである。
posted by 銀河満月 at 15:01| Comment(0) | ゲゲゲの鬼太郎(第6期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする