2018年07月01日

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)14話「まくら返しと幻の夢」感想

 まあなんと言いますか、今話の鬼太郎はこれに尽きるだろうなあ。

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 今の姿になる前の親父の姿としては「鬼太郎の誕生」などで描かれるミイラ男状態のものがよく知られているが、あれは体が溶けるという病気にかかって死ぬ寸前の状態であって、病気にかかる前の健康な状態の姿は原作でも描かれたことはなかった。なのでその病気になる前の姿の親父をアニメオリジナルで創作することは別段悪いことでも何でもないのだが、まさかこんな形でそれが描かれるとは、と言うかそもそも「病気になる前の親父」を作ろうという考え自体がパッと頭に浮かんでこず、浮かんだとしてもまさかアニメでそこまでやるとはまったく思いもしなかっただけに、この衝撃は自分としてはかなり大きい。コロンブスの卵と言うかコペルニクス的転回と言うべきか、いわゆる「腐」の方々にも衝撃が大きかったようだが、僕としてはそれとは別の次元で衝撃を受けているのである。
 言っておくが別に病気になる前の父親の姿を描くことは別にタブーとなっていたわけではない。原作についてはそこを描く気が端からなかっただけなのだろうし。歴代のアニメ作品も鬼太郎の幼少時代を描くのが精々であったし、そもそも鬼太郎の幼少時代とはいわゆる「墓場鬼太郎」時代になるから「ゲゲゲの鬼太郎」で忠実に描くのは難しいものがある。だから鬼太郎の誕生や幼少期が断片的にとは言え描かれるようになってきたのは4期以降のことだし、まして目玉親父の「鬼太郎が生まれる前の姿」に思いを至らせるなどまったくありえないことだったのだ。
 だからこそそれをやってのけた今回のアニメスタッフはすごいと言わざるを得ない。単に出しただけでなく、死んだ母親の胎内から自力で這い出しその際に左目を潰してしまったという壮絶な誕生となった鬼太郎に「生まれおちた時から苦労をかけた」父親としての負い目と、それでも我が子を案じるが故に今の姿となるまでに至った父としての強い想いが、夢の中という特殊空間でのみ具象化したという展開に落とし込んだその手腕。原作や歴代アニメを研究した上での独自性を打ち出しているのが今期の特徴だが、それが今までで最も強く発揮された回だったのではないだろうか。
 アニメ版では原作以上に鬼太郎と目玉親父の親子の絆を強調しているのだが、それをこんな形で提示してくるとは全く本当に脱帽である。すごいし素晴らしい。

 やっぱりこの親父のインパクトが強すぎて、大した才も技量もない中年リーマンの悲哀という決して他人事ではない(笑)描写とか、ねこ娘とまなの夢の話とか、夢の世界から抜け出しても根本的な解決にはなっておらず、今後もいずれ夢の世界にひきこもる人間が出てくるであろうことを示唆する少女の最後の邪悪な笑みと言った種々のネタもどこかに吹っ飛んでしまった感があるな。
 そう言えばまくら返しの話はこれも1期から5期に渡って必ずアニメ化されており、3期世代にはEDで唯一動いていた背景妖怪としても記憶されていることだろうが、今回のようにまくら返しが敵妖怪ではなく鬼太郎の味方の側に立って行動するという筋はなかなか珍しかった(一応3期でも味方描写のある話はあったけど)。

 さて次回は「霊形手術」。元々は水木先生のオリジナル短編で非鬼太郎ものだが2期では原作として登用され、多くの視聴者を恐怖に陥れた名作・良作として今なお多くのファンに愛されている話だが、さて6期ではこの話をどのように料理するのだろうか。
posted by 銀河満月 at 17:17| Comment(0) | ゲゲゲの鬼太郎(第6期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)13話「欲望の金剛石!輪入道の罠」感想

 鬼太郎らしからぬスペクタクルとなった八百八狸編も一段落し、比較的オーソドックスな妖怪退治ものに回帰した今話。だが今話は毎回のゲストである敵妖怪より鬼太郎一番の悪友であるねずみ男と鬼太郎の関係性にフィーチャーした内容となっていた。
 今期の鬼太郎は人間のまなとの交流に序盤の話を割いたため、ねずみ男と鬼太郎がどういう関係なのかについてはニュアンスで察せられる程度に留めており明確に描写してはこなかったわけで、既に鬼太郎とねずみ男という有名キャラクターは今更説明しなくても視聴者は知っているだろうという打算が働いていたのかと意地悪な見方も一時はしてしまったものだが、ここで改めて両者の関係を打ち出してくるというのは、第1クールの最後となる今話にはふさわしい構成だと言えるだろう。

 今回の話は原作の「ダイヤモンド妖怪」を下敷きにしているので、敵妖怪の輪入道の特徴や能力、それに対する鬼太郎の攻撃方法と言った重要な部分の要素は概ね原作に沿ったものとなっていた。
 だからこそそれ以外のアニメオリジナルと言っていい部分でねずみ男の様々な描写が光っていた。自分を半妖怪の鼻つまみとして自嘲するのは4期版でもあった少々らしくない描写だったが、ダイヤモンドの材料として躊躇なく人間たちを犠牲にするところ、他者と結託して自分の手に余る状態になりつつあるのを理解しながらも目先の金を優先し、いよいよとなると虫の良さを自覚しつつも鬼太郎に助けを求め、事件が解決した後も反省はまったくしないという、どこまでも自分の欲望や欲求に忠実(特に金銭欲)に生きるねずみ男らしさが存分に発揮されている。特に材料となる人間が世界規模にまで広がりながらもそのこと自体にはさほど後ろめたさを感じておらず、ダイヤの販売や輪入道の制御が自分の手を離れてしまうことの方を懸念しているあたりのドライな描写が、実に原作のねずみ男と近しい個性になっていて、原作ファンとしては非常に嬉しいところだった。
 これだけ悪どいことをしておいて罰を受けないのは…という意見もネット上ではチラホラ見るが、原作からして受ける時は受けるし受けない時は受けないという扱いだったし、水木世界自体が欲望に忠実に生きることを否定しない世界でもあるから、罰を受けないこと自体に目くじらを立てる必要はないのだろう。
 その分鬼太郎の出番がAパートで少々、Bパートも半分ほど過ぎてからと少々少なくなってしまっているが、原作でも事件に直接絡むねずみ男の描写ばかりで、主人公たる鬼太郎が最後の方に登場して事件を解決して終わる、というパターンもいくつもあるので、ある意味ではねずみ男が一番お気に入りだったという水木先生の作風に沿った内容と言えるかもしれない(今期でも既に5話でやっているストーリー構成ではあるが)。
 むしろねずみ男に輪入道、人間たちの三すくみで欲望が入り乱れた醜い描写が続いただけに、鬼太郎が登場して敵妖怪をやっつけるという単純な構成がむしろストーリー上の救いとして一層の効果を発揮する結果にもなっており、これもまた水木ワールドならではのマジックであろう。

 次回はまくら返しが登場するようだが、粗筋を読む限りだとまくら返しが敵という展開にはならないようで、今話が原作の味をほぼそのまま生かした話だっただけに、次回でどの程度捻ってくるのか楽しみである。
posted by 銀河満月 at 16:29| Comment(0) | ゲゲゲの鬼太郎(第6期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする