2018年05月10日

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)4話「不思議の森の禁忌」感想

 本作「第6期ゲゲゲの鬼太郎」は前話までの3つの話の中で、主人公である鬼太郎のパーソナリティや能力、ねずみ男やねこ娘たち仲間妖怪の紹介、今作の世界観、今作における妖怪と人間の関係性やスタンス、その上で妖怪の鬼太郎と人間のまなが「友人」という関係性を持つに至るまでの流れを丁寧に描いてきた。
 1話完結形式の物語でそのような言ってみれば「初期設定公開」を3話もかけて行うのは長すぎるのではないか、そこまでする必要があるかと思う向きもあるかもしれないが、それは逆に鬼太郎を今アニメ化するに当たって最初にやっておかなければならなかったことだった。
 前回のアニメ化作品である第5期鬼太郎の放送が終了してから約10年の間に「妖怪」というものについての社会の受け取り方や考え方が変わってきたことや、境港市を始めとする各自治体や企業の尽力による作品やキャラクターのさらなるパーマネント化、「水木しげる漫画大全集」の刊行による水木作品の世界観の浸透といった劇的な変化を迎えた後で、改めてゲゲゲの鬼太郎という作品をアニメにするにあたってどのようなアニメを目指すのか、過去5回もアニメになった作品を今またアニメ化して何を描くのかといった難しい命題に向き合い、導き出した今作なりの回答をはっきりと一番最初に明言しておく必要があったのである。
 言わばこの1話から3話までの流れは一般的な初期設定公開話であったのと同時に、今回の第6期制作陣の「我々は鬼太郎をこのように作る」という決意表明でもあったのだろう。ゲゲゲの鬼太郎という、言い方は悪いが手垢のついた作品を今改めて一からアニメ化するには、それくらいの覚悟を必要とすることでもあるということだ。

 それ故に3話までは見ているこちらが驚くほどに生真面目な、見方を変えれば少々堅苦しい内容になっていたわけだが、そんな序盤の話も一段落ついて今話は有名なゲゲゲの森を舞台にした少々の箸休め的挿話となった。
 ゲゲゲの森は言うまでもなく鬼太郎や仲間の妖怪たちが住んでいたり集まったりする場所として知られているが、その認知度の割に実は原作からしてゲゲゲの森の存在はさほど重視されていない。あくまで「鬼太郎たちが住んでいる場所」「日本のどこかにある場所」程度の扱いしか受けておらず、アニメ版でも森そのものがフィーチャーされたことはほぼなかったと言っていい(5期の妖怪横丁はあくまで横丁限定であり森そのものが描かれることはあまりなかった)。
 そんなゲゲゲの森は今作では2期や3期のような人間社会と地続きの森ではなく、妖怪と同じで人間の目には見えないもの、見えない場所に存在しているサブタイトル通りの「不思議の森」として描かれた。現実問題として2期あたりの時代ならともかく現代において都心から比較的近い場所に人間が入ることも困難なような森が存在しているというのはあまりリアリティがないし、鬼太郎たち妖怪の不可思議性を強調するという点においても、この設定付与は必要不可欠なものだったと言えるだろう(異界に存在している場所という点では5期も同様であるが)。
 そしてゲゲゲの森を描写するきっかけとなるのは1話にも登場したまなの友達の少年・裕太。1話では友人にからかわれてばかりの気弱なところが目立っていたが今話では始終明るくはしゃいでおり1話とのギャップに驚かされるが、それだけ妖怪のことが好きなのだろうということが窺えて微笑ましい。鬼太郎をはじめ様々な妖怪のことは祖母から聞いたという設定は、水木ファンであれば水木先生とご存知「のんのんばあ」の関係が想起されてニヤリとさせられるところである。
 魂がまだ安定していないという子供だったことと、妖怪に対する純粋な好意や憧れのような「見えないものを信じる」感覚とが偶発的に働いたのか、裕太はゲゲゲの森に迷い込んでしまう。当初追い返そうとする鬼太郎も邪気のない子供には抗いがたかったようで、結局砂かけばばあや目玉親父の言いつけに従い、裕太にゲゲゲの森を案内することとなる。
 このあたりの描写は極端にコメディタッチとして描かれたわけではないものの、今までは冷静な態度しか見せなかった鬼太郎の様々な表情が見られ、妖怪世界における鬼太郎の言わば素の表情が見られるという点でも面白い。

 そして裕太たちの目を通して描かれる今作のゲゲゲの森は万年樹や妖怪温泉といったオリジナル要素を含みつつ、全体としては我々視聴者がパッと思いつく「人間の手が入っていない天然そのままの森閑とした森」を見事に表現している。かつて第4期鬼太郎を制作する際に水木先生は「宮崎(駿)アニメのように作ってほしい」とスタッフに注文したそうだが、今回のゲゲゲの森は作画の流麗さもあってまさにその宮崎アニメに出てきても何ら遜色がない「森」「自然」として完成している。
 上にも書いたとおり今までゲゲゲの森と言えばせいぜい鬼太郎や仲間妖怪が住んでいるところという程度の個性?しかなかった(掘り返せば家獣を食べた妖怪ヅタの生息地とかそこそこ追加設定はあるけど)わけだが、今回ここまで独自の設定を加味してゲゲゲの森を念入りに描写しているのには、つまりは異界の人である鬼太郎たちと同様に彼らが住む場所もまた異界、人間の世界とは異質な場所であるということを強調しているのだろう。
 だがそこは異界であっても何かのきっかけさえあれば出入りすることは出来るし繋がりを持てる場所でもある。裕太が入れた事実がそうだし以前から存在していたであろう妖怪ポストもそうだろう。森の中で出会う油すましや水妖怪といった妖怪たちが人間の裕太に対し、鬼太郎ほど突き放した態度を取っておらず、他ならぬ鬼太郎自身が「人間が好きな妖怪もいれば嫌いな妖怪もいる」と話しているところについても、人間と妖怪の世界とが明確に断絶しているわけではないということを暗に示しているように見える(水妖怪は裕太を食おうとしているが)。
 そう考えると前話で既に鬼太郎たちと友達関係という明確な繋がりを持ったまながゲゲゲの森に来なかった、(スタッフ的には)来させなかった理由もわかる。まなはゲゲゲの森という広大な異界に迷い込んで強引に繋がってしまうことなく、悩みながらも自分自身で行動し結果として繋がりを得ることができたのだから、作劇上の話としてはまながここでさらにゲゲゲの森に来る必要はなかったのである。明言はされていないがまなもいずれそう遠くないうちにゲゲゲの森に来ることになる、それだけの関係性を既に築いているのだから。
 同時にそれは純粋にただ妖怪への好奇心だけで動く、悪い言い方をすれば見世物的なものとして妖怪を見やっている「子供」の裕太と、鬼太郎たちを思いやって彼らのことを極力話さないように考えていた「少し大人」のまなとの対比になっている。

 だから仮にまながゲゲゲの森に来ていたとすれば、裕太のように山じじいの実をむしり取ることもなかったろうし、それ故の騒動も起こらなかったに違いない。無論裕太にも悪気は全くなかったろうが、好奇心や純真さがそのまま相手に受け入れられるわけではないというのはそれこそ3話序盤での鬼太郎とまなのやり取りで提示されたことでもあるし、それ「だけ」で互いに異質な存在と容易く繋がれるほど容易なものではなかったというわけだ。
 山じじい自体は原作漫画にメインで登場したことはなく、アニメ版でも4期113話「鬼太郎対三匹の刺客!」に登場したのみであり、しかもその話ではまったくしゃべらず何もせずにボーっとしていたり蝶を追いかけたりするだけという、今なら癒し担当と言うべきポジションであっただけに、今回の水木絵を比較的忠実に再現した恐ろしげな顔や、実を盗んだ裕太だけでなく彼をかばう鬼太郎やねこ娘、近くにいただけというねずみ男や子泣きじじいまでも容赦なく襲い来るという描写は、4期を知っている人にも知らない人にも底知れない恐怖を味わわせたことだろう。
 山じじいが動き出すと同時にこれまでただ不思議だけども綺麗に見えていたゲゲゲの森が、裕太に対して牙を向くかのような恐怖の対象に変貌した、ように裕太には見えるという場面の転換も巧かった。
 結局騒動自体は裕太が実を返すことで終息し、山じじいも未熟な子供がやったこととして戒めの印を残しながらも裕太を許す。異質なもの同士が理解し歩み寄ることの難しさをこれまでの話に続けて描いたようにも見える一方で、それでもなお妖怪を恐れず妖怪を知りたいと好奇心のままに話す裕太の姿からは、まなとは異なる「見えないもの」との触れあい方の可能性を示しているようにも感じられる。

 今話もまた小ネタが多くその辺はネット上で既にさんざん触れられている通りだが、いくつか触れておくと油すまし役の龍田直樹氏は過去作では3期から出演しており4期では一反もめんとぬりかべ、5期では子泣きじじいとぬりかべとそれぞれ兼役でレギュラーを演じている。山じじい役の佐藤正治氏も同様に3期からの出演経験があり、さらに言えば「墓場鬼太郎」にもゲストで参加している。オールドファンには5期のがしゃどくろ役が比較的記憶に新しいところだろうか。
 もう一体の水妖怪は鬼太郎の原作漫画に出たことはないが、「水妖怪」と言う名前の妖怪は1966年制作の実写版悪魔くんの第8話に登場しており、デザインもそこそこ似通ったものとなっている。
 他に砂かけばばあが口にした「寅吉」と言う名前の人間は、江戸時代の国学者・平田篤胤が遺した「仙境異聞」に記載されている天狗に攫われたという子供の名前と同じであり、水木先生も過去に漫画化したこともあるこの書物を元ネタにしたのではとも言われている。
 いずれにせよ水木先生が遺したゲゲゲの鬼太郎と言う作品、引いては数多くの妖怪画を6期鬼太郎の作品世界で咀嚼し再構築し、しかもそれが今のところ問題なく成功しているというのは特筆すべきことだろう。

 さて次回は「電気妖怪の災厄」。原作でも鬼太郎はかなり追い込まれた末に辛くも勝利したという感じであり、実は5期には登場していないのでアニメには実に4期32話以来、22年ぶりの復活となるわけだが、どんな活躍?を見せてくれるのであろうか。
posted by 銀河満月 at 02:02| Comment(0) | ゲゲゲの鬼太郎(第6期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする