2018年04月22日

ゲゲゲの鬼太郎(第6期)3話「たんたん坊の妖怪城」感想

 本編の感想を書く前に今までの感想で書き漏れてしまっていたレギュラーキャラの声優陣についてちょっと触れていこうと思う。
 目玉親父役の野沢さんは1話感想で書いたので飛ばすとして、まずは鬼太郎役の沢城みゆき氏。歴代のアニメ鬼太郎には一度も出たことのない声優が鬼太郎役を務めると言う点では3期以降の主役声優陣と同じ流れだが、演じ方としては5期鬼太郎がクールにすましている状態をさらにクールにした、という感じだろうか(もちろんご本人はそういう意識で演じてはいないだろうが)。
 1話2話では基本的に人間、つまり妖怪である自分にとっては異端の側にいるまなとばかり話をしていた関係で、クールでぶっきらぼうな演技ばかりになっていたが、今話で見せる父親との穏やかなやり取りや敵を見据えてはっきりと敵愾心を露わにした時の語気の鋭さなどからは内面の熱さも十分に窺え、歴代とはまた似て非なる鬼太郎像の構築には成功していると言えるだろう。
 (余談だがエンディングのキャスト表記、今回は鬼太郎が「ゲゲゲの鬼太郎」と二つ名付きで表記されている。1期からずっと「鬼太郎」表記だっただけにこれだけでも新鮮に思えるのはオールドファンの特権かもしれない。)
 他の仲間妖怪は2話のみの登場なのでまだ何とも言えないというところはあるが、そこは演じているのがほぼすべてベテラン陣。演技そのものは非常に安定していると言っていい。
 古川登志夫氏演じるねずみ男はいかにも小悪党という軽めの演技がさすがという感じ。白いバスローブ姿を想像してもそれが微塵も似合っているように見えない、そう思わせない雰囲気を出しているのはさすがだった。砂かけばばあを演じる田中真弓氏の老婆役と言ったらドラゴンボールシリーズの占いババを思い出すが、そちらよりもテンションは勿論声のトーンも抑え気味にして落ち着いた雰囲気を出しているのは、親父に次ぐ鬼太郎ファミリーの知恵袋としての存在感を出すには十分だろう。
 島田敏氏演じる子泣きじじいやぬりかべはまだそれほど喋っていないので、6期の彼ららしさを確認するのは今話以降になるだろうか。逆に短い時間で存在感を発揮しているのは山口勝平氏演じる一反木綿で、砂かけばばあと合わせてどのへんまで台本セリフでどこからアドリブなのかよくわからない軽妙なやりとりは非常に楽しいものに仕上がっていた。
 ねこ娘もまた今回の作風に合わせて4期や5期のねこ娘よりも低いトーンで声を出しており、地声かはわからないが声の雰囲気だけで言うなら3期版に近いように見える。等身もあって鬼太郎より大人っぽく見えるという意味では庄司宇芽香氏の大人びた演技がマッチしていた。
 犬山まな役の藤井ゆきよ氏は個人的には「アイドルマスター ミリオンライブ」シリーズでの所恵美役が印象深いが、そちらや他の役でも見せることの多い高いトーンでの発生は抑えて低めの音域を使っているのは他メンバーと同じか。ちなみに鬼太郎役の沢城みゆき氏とは「ルパン三世(第4シリーズ)」で既に共演済である。

 と、長々レギュラー声優について話してきたが、今話は顔見せに留まった2話と違いレギュラー陣演じる鬼太郎ファミリーが総出で事にあたる豪華な一編である。
 敵は妖怪城に巣食うたんたん坊、二口女、かまいたちの3妖怪。原作では鬼太郎が孤軍奮闘し結局城ごと封印という手段でどうにか倒し、歴代アニメでも3期では記念すべき1話を飾り、4期では前後編で決戦が描かれ、5期では妖怪城そのものが敵側勢力の重要なファクターとして継続利用された(されるはずだった)りと、何かと話題性が高くなる傾向にあるこの話、6期では3期のように現代社会を象徴する都会のど真ん中で繰り広げられることとなった。
 彼らの住む妖怪城そのものには精々人間の子供を妖怪に変える、というくらいの能力しか原作では設定されていなかったが、今回は4期版のように「妖怪城の妖力がある限りたんたん坊たち3妖怪も不死身」という設定が加えられ、強敵としての存在感が増しているだけでなく、「自分たちが能力を底上げするために妖怪城の完全復活を目論む→子供をさらう→噂になってまなの耳にも入る」という物語の導入も成立し、前2話に続いてまなという人間の少女を事件に無理なく介入させる助けにもなっている。
 たんたん坊がコンクリートや道路の中に出入りできる理由はちょっと理屈っぽすぎるような気がしないでもないが、逆に言えばそんな状態になってもなお力を発揮できる妖怪城の異常性を見せつけるということにもなっているのだろう。その一方で原作どおりにお約束のタン攻撃をかましたり、それを食らった鬼太郎の脱出方法も原作に準えたものになっているのは嬉しいところだ。
 敵側に強敵感が増しただけあってそれと戦う側である鬼太郎ファミリーもかなり行動的、と言うか戦闘面の能力を前面に押し出していた。砂かけばばあの繰り出す砂ものっけからただの砂ではなく痺れ砂であったり、子泣きじじいも誰かにおぶさるのではなく石化していきなり城の外壁を破壊、一反木綿は原作でたまに見せていた「もめん切り」の如く自分の体でかまいたちを真っ二つにしたりと、鬼太郎との連携も含めて戦い慣れしている描写が続き、非常に見応えのあるものになっている。
 ねこ娘のアクションについてはお披露目自体は前話行われているので、今話は戦闘時に手の爪を伸ばして切り裂く力をアップさせられるということが判明した程度にとどまったが、反面今話ではねこ娘の内面深化に描写を割いており、前話から引き続きまなに「ねこ姉さん」と慕われている描写やSNSでのやり取り、最終的には事件に首を突っ込んでしまったまなへのフォローなど、ツンツンした態度とは裏腹に内心ではかなりまなを気にかけている様子が見て取れ、鬼太郎に対してのみでなく本来的に優しい性格をしていることが、見ている側にはすぐわかるのが良い。
 白眉なのは鬼太郎が結局まなのことを心配しているとわかった時のセリフと表情。自分もまなのことを気にかけているのだから鬼太郎がまなを気にかけること自体は嬉しく思いながらも、まなという「女の子」を気にかけていることへの焼き餅も同時に生じ、しかし自分もまなを大事に思い始めているからそんな感情をストレートに表には出せない。そんな複雑な女心と言うべき心理が「そう思ってるって、結局まなが大事だからじゃない」という一言と表情に集約されるのは見事だった。

 そして鬼太郎。今回鬼太郎が見せたのは「怒り」だった。人間の独善に怒りすべての人間を妖怪に変えてしまおうと企むたんたん坊たちに一定の理解を示しつつも、自分の気に入らないもの、許せないものに対する行動の解として「排除する」ことしか選ぼうとしない3妖怪に鬼太郎は怒りを露わにする。
 それは妖怪でありながら幼少の頃は人間に育てられたからという過去があるからかもしれないし、本人は未だ自覚していないながらも人間であるまなに友好的な想いが芽生えていたからとも受け取れる。そもそも彼が人間どころか妖怪ですらなく「幽霊族」というまったく別種、しかも滅びゆく種族だからということも関係しているのかもしれない。いずれにせよ今話の時点ではこのやり取りの中で鬼太郎の胸中にどのような想いが去来したのかは知る由もないのだが。もしかしたら1話で目玉親父が触れた「育てられたことへの恩情」以上にこの時抱いた感情が、鬼太郎が人間のために悪妖怪と戦う動機に直結しているのではないだろうか。
 そんな鬼太郎の怒りを表現するかのように6期では初の体内電気を披露、それを直接たんたん坊にぶつけるだけでなくちゃんちゃんこを槍のようにして投げつけたり、2話でも見せた「ちゃんちゃんこを拳に巻きつけて対象物を破砕」する豪快なやり方でまなを救出したりと、そこだけ切り取って見ればまるで3期版のごとき派手でダイナミックなアクションが繰り広げられていた。
 まなとの関係も根本では彼女を心配しているが故に冷たい態度を取り続ける、それは即ち彼女を「友達」として認識しつつあるからと気づけたことで、やっと鬼太郎の方から一歩歩み寄れたという感じか。1話で強調されていた鬼太郎の横顔も今話では指鉄砲でたんたん坊に止めを刺した時だけでなく、まなが3妖怪に捕まってしまったことを彼女の最後のメッセージから察した際の悔しがる表情として使用されており、ラストのセリフよりも前に彼の胸中がはっきりと明示される良シーンであった。
 鬼太郎のまなに対する友誼に気づくきっかけを与え諭してくれたのが、仲間の中では年長者的立ち位置の砂かけばばあと目玉親父というのも巧い構成である。

 さて「一歩歩み寄った」まで進んだところで、次回は少し箸休めといった感じの話になるようだが、ゲゲゲの森そのものがフィーチャーされた回はアニメでもさほどなく(5期の横丁はあくまで「妖怪横丁」)、どのような内容になるのかこれはこれで楽しみである。
posted by 銀河満月 at 15:38| Comment(0) | ゲゲゲの鬼太郎(第6期)感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする