2012年01月23日

アニメ版アイドルマスター25話「みんなと、いっしょに!」感想

 2011年7月7日、七夕の日に始まったアニメ版「アイドルマスター」は、以降半年に渡って様々な物語を紡いできたわけだが、そんなアニマスの物語もとりあえずの終幕を迎える時がついにやってきた。
 半年間も我々視聴者を楽しませてくれた作品と別れることになるという事実には、一抹の寂しさを感じざるを得ないが、今は寂しさに浸るよりも、アイドルたちの現時点での最後の物語、そして活躍をじっくりと視聴し、彼女たちのアイドルとして歩んできた証を心に刻むべきだろう。
 彼女たち765プロアイドルたちが紡いできた物語の迎える最後の舞台。それは今更言うまでもなく、彼女らにとってのセカンドライブでもあるニューイヤーライブ「いつまでも、どこまでも」であった。

 その日、小鳥さんは未だ入院中のプロデューサーを見舞いに病室を訪れていた。幸いプロデューサーは体を起こし読書ができるほどに回復してきており、小鳥さんも「顔色が良くなってきた」と、彼の復調ぶりを喜ぶ。

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 小鳥さんが持参した見舞いの花を置いた棚には、果物や花を始めとした様々な見舞いの品と思しきものが既に置かれている。それがアイドルたちからのものであることは容易に想像できるだろう。
 24話の「NO MAKE」からも察せられるように、恐らく春香以外のアイドルはプロデューサーの意識回復後、一度は病院を訪れて面会を果たしているものと思われるが、果物かごの中に「プロデューサーへ」と書かれた、恐らく765プロアイドルのうち誰かからの手紙がそのまま置かれている辺りから考えるに、頻繁にプロデューサーを見舞っているというわけではないようだ。
 これは無論アイドルたちが薄情だからなどというわけでは断じてなく、彼女たちがアイドルとして今自分たちのやれること、やるべきことを優先して実行した結果であることは論を持たない。
 24話で高木社長がみんなに言ったとおり、それをこそプロデューサーが望むであろうと、プロデューサーという人はそういう人間なのだということを最もよく理解しているのは、他ならぬ彼のプロデュースを受けてきた彼女たち自身なのだから。
 そして実際に彼女たちの認識は間違っていなかった。今すぐにでも退院したいと愚痴をこぼすプロデューサーの真意は、一刻も早く復帰してアイドルたちのプロデュース業を再開したいという想い。プロデューサーは彼女らに来てもらうのではなく、自分の方から彼女らの傍らに歩み寄ることを望んでいるのである。
 「プロデューサーは仕事熱心」との小鳥さんの評価は、そういうセリフを言えるまでに回復した彼の復調ぶりに対する喜びと同時に、そんな彼の真意を察していたからこそのものであったのだろう。
 だがそんな想いを内に抱いていても、現実問題としてプロデューサーが退院することはまだできない。窓の外には日差しに包まれた穏やかな青空が広がり、彼が「ライブ日和」と形容するに相応しい好天に恵まれているにもかかわらず。
 そう、今日がニューイヤーライブの開催当日なのである。
 ライブ会場へ行かなくても良いのかというプロデューサーの問いに、今回は社長もヘルプに入ってくれているから大丈夫と答える小鳥さんの態度はとても穏やかだ。アングル的にその表情を窺うことはできないが、恐らく柔和な笑みを湛えていたことだろう。
 しかしだからこそプロデューサーには思うものがあったに違いない。本来なら小鳥さんもファーストライブの時と同様、会場で現場の手伝いやみんなのサポートに徹することができたはずであるし、何より小鳥さん自身もすぐそばでみんなの晴れの舞台を見たかったであろうことは想像に難くないのであるが、今はプロデューサーへの見舞いを優先しているために、それができない状態なのだ。
 もちろん小鳥さんはそんな状況に不満を抱いているわけではないし、後ろ髪を引かれる程度の心残りがあったとしても、24話の「NO MAKE」においてアイドルたちに取ってみせた態度と同様に、笑顔を絶やすことなくプロデューサーの元を訪れている。それはアイドルの少女たちやプロデューサーに余計な不安を抱かせないようにするための、小鳥さんなりの気遣いであった。
 そしてそんな彼女の心遣いを、プロデューサーは同じ「NO MAKE」の中できちんと理解できている。彼女の笑顔の奥にあるものを正しく認識出来ているからこそ、何もすることができない今の自分の不甲斐無さを申し訳なく思っているのである。小鳥さんに対してだけではなく、765プロの全員に対して。
 「今は怪我を治すことが仕事」と小鳥さんに諭されても今一つ納得できていない表情を浮かべていたプロデューサーは、しかしすぐ意を決したかのように、小鳥さんにある頼みごとを持ちかけてくる。

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 ライブ会場では既にニューイヤーライブの垂れ幕が外に掲げられており、会場内における準備も着々と進められていた。
 そんな会場のモデルとなった場所は「パシフィコ横浜」。アイマス関連では2008年の3rd ANNIVERSARY LIVEや2011年初春の「H@PPINESS NEW YE@R P@RTY!! 2011」などのイベントが開催された場所であり、殊に「H@PPINESS NEW YE@R P@RTY」は、アニメ版アイドルマスター放送決定の第一報が初めて公に流された、記念すべきイベントでもある。
 2011年におけるアイマスムーブメントの発端となった場所をモデルとした会場で、アニマスのみならず2011年のアイマスシーンそのものが締め括られるという構図は、実に小粋な演出である。
 無論765プロのアイドルたちにとっても、今まで経験したことのない大きな会場でのライブであるだけに、高揚感を隠しきれない様子。
 真や雪歩がそんな気持ちを素直に述べる隣で、貴音が気を引き締めるよう促すというやり取りも、今までの話の中で培われてきたキャラシフトがあるからこその定番の流れであった。
 その横で会場に来ることのできないプロデューサーに想いを馳せたのは響であったが、逆に響の方がプロデューサーがいないことを寂しがっているからと、亜美真美にからかわれてしまう。

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 このあたりのユーモラスなやり取りは、アクシデントに見舞われたという面もあるものの、本番開始前はずっと緊張を崩せていなかったファーストライブの頃と比して、アイドルたちの精神面における成長ぶりと、あの時から数カ月の時間を経て、アイドルとしての濃密な経験を得たからこその余裕が窺え、微笑ましい中にもアイドルとしての頼もしさをも垣間見ることができる。
 からかわれる対象として響をチョイスしたのは、16話で描かれた「実はさびしがり屋」という響の一個性に即した故であろうが、ゲーム版「2」では最終的にプロデューサーへの恋慕を直接的に伝える役どころとなっていた彼女を、敢えて「プロデューサーを思いやる」立場として配置したと考えると、なかなか面白い。このシーン自体が今話のラストにおけるある描写への伏線になっているとも取れるのである。
 響をからかう亜美真美をたしなめる律子は、亜美の抱きかかえている袋に目を留めたが、そのことを尋ねても笑いながらはぐらかすばかりで、亜美も真美も説明はしなかった。その表情から何かを企んでいるであろうことは間違いない。

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 そんなみんなの様子を笑みを浮かべながら見つめていたのは千早であったが、ふとあることに気づいて部屋の外へ目を向ける。それはその場にいない2人の仲間を探そうとしている仕草であった。
 その内の1人である春香は、用意されていた水を飲むために別室へとやってきていた。春香が水の入ったペットボトルを手に取った時、同じくあの場にいなかったもう1人である美希が、部屋に入ってくる。彼女もまた水を飲もうとこちらの部屋へやってきたのだ。
 部屋に入ってきた美希にペットボトルを手渡す春香。美希が自分でペットボトルを手にするのをただ見つめるというようなことはせず、自分が先に手に取って美希に渡すという行動は、本当にさり気なく何でもないことではあるが、同時に春香と言う少女の人となりを端的に示した行為であるとも言えよう。
 大舞台を前に各々の抱く感慨を短い言葉で交わし合った後、春香が切り出したのは、以前美希や千早と共に話をした、「アイドルとは何か」という命題。
 あの時は千早も美希もそれぞれが理想とするアイドル像を語っていたが、春香だけは明確にそれを口にしてはいなかった。「自分だけはっきりしなくて」とその時の自分の気持ちを形容した春香はしかし、今はっきりと自分の中にあるアイドルとしての理想を口にする。

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 みんなと一緒にステージに立っている時が一番楽しい、応援してくれるファンの人たちと、共に目標へ向かって歩んでいく765プロの仲間たちに囲まれてその「場」に立つ瞬間こそが、自分が願うアイドルの姿なのだと。
 それは春香が以前から抱いていたものと、中身が別段変容したというわけではない。むしろ春香が目指す理想のアイドルとしての姿自体が、それこそ子供の頃から全く変わっていなかったということは、24話で幼き日の自分に触れる描写を通して明示されている。
 春香はその夢を幼い頃からずっと抱き続けたまま、トップアイドルを目指して芸能界に入り、そして自他共に認めるアイドルとして成長してきた。春香にとってアイドルになるという夢は、そのまま彼女自身のバックボーンとなってずっと彼女の中に息づいており、まさに天海春香という少女の一部として在り続けたものであったのだ。
 春香の夢は当たり前のように彼女と共に在り続けた。しかしそれがあまりにも当たり前すぎたからこそ、彼女はそれが当たり前のことではない、常に自分が能動的に意識を向けて見定めなければならないものであることを、いつしか忘れてしまっていたのかもしれない。
 だから春香は21話、さらに言えば17話での真との他愛ない会話の中でさえも、自分自身の理想を具体的な言葉として伝えることができなかった。それがあまりにも近くに在りすぎ、感覚的に結び付きすぎた故に、客観的に見直すことが難しくなってしまっていたのだろう。
 そしてそんな状態のままで歩み続けたその足を少し止めた時、周囲の状況と自分の理想との狭間にずれが生じ、大きな力の中でそのずれを肥大化させ、ついにはその理想さえも見失ってしまったのである。
 そんな状況に陥った彼女が苦悩の末に自分のアイドルに対する原初の想いと、それを支えてくれる人たちとの繋がりの強さを再認識するというのが、前話である24話の大まかな流れであったわけだが、その体験を経て春香は怪我の功名的ではあるものの、自己の理想を見つめ直す機会を得ることができたのである。だからこそ彼女ははっきりと言いよどむことなく、自分が幼い頃からずっと抱き続けた夢や理想を言葉で語ることができたのだ。
 春香のその言葉に春香らしいと笑顔で返しながら、「それでいいと思う」と彼女の考えを認め受け入れる美希の姿は、23話での春香とのやり取りで見せた態度とは全く対照的なものだ。
 元々美希という子は他人の物の見方や価値観には無頓着であり、悪意はなくともそれが要因となって時には問題を起こしてしまうというのは、ゲーム版「1」の頃から存在した話であるが、そんな美希が自分とは明らかに異なっている春香のアイドルに対する理想や価値観と言ったものを許容し受け入れているのは、24話での体験を経た彼女の成長の証に他ならない。
 それと同時にこのシーンを、23話における美希とのやり取りと同様のシチュエーションとすることで、当該話における春香のそれが、結局は美希に対する擦り寄りでしかなかったことを改めて浮き彫りにし、それに比して再び夢に向かって歩き出した今の春香に備わっている強い意志を、よりはっきりと強調することに成功している。
 春香のそんな姿を誰より喜んでいるのが、部屋の外で2人の会話を聞いていた千早であろうことは想像に難くない。

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 リハーサル室に集合したアイドルたちを前に訓示を述べる高木社長。この場にいないプロデューサーに変わっての役回りであるのは言うまでもないが、実は全話通して見ても、社長がこのような形で全員に対して話をすることはほとんどなかったため、なかなか珍しい光景となっている。
 その事実自体が、常に一歩引いて若者たちを見守る立場に徹してきた、本作における「大人」のスタンスを如実に示していると言えるかもしれない。
 忙しい中でもライブの準備を整えてきたアイドルたちの労をまずはねぎらう社長であったが、意図的ではなかったものの、入院中のため会場に来る事の出来ないプロデューサーのことを話題に出したために、流れる空気が若干湿っぽくなってしまう。
 そんな空気を変えるために手品を披露すると言い出すあたりは、13話や22話を踏まえた社長の茶目っ気溢れるこだわりと言ったところであるが、それを遮るかのように美希が突然声を上げる。
 「ハニー!」と美希が発したその言葉どおり、皆が視線を向けた先にあったのは、小鳥さんの押す車椅子に座ったプロデューサーの姿だった。

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 「来ちゃいました」と少しばつが悪そうに笑うプロデューサーは、病院にいる時と同様に未だ包帯やギプスをつけてはいるものの、本当に久しぶりに見たはずの「元気」なプロデューサーの姿に、アイドルたちも嬉しそうに彼の下へと駆け寄る。
 そんな中、1人感極まってその場に固まってしまいながらも、千早に促される形でプロデューサーの元へ駆け寄っていく春香や、いつもと異なりストレートにプロデューサーへの気遣いを口にする伊織の様子が印象的だ。
 アイドルたちから口々に喜びの言葉をかけられたプロデューサーは、少々言いよどみながら驚きの事実を告げた。ライブでのみんなの晴れ姿を是が非でも自分の目で見るために、本来であればまだ外に出ることは叶わないところを、小鳥さんにも協力してもらい、病院を黙って抜け出してきたと言うのである。
 プロデューサーらしからぬ思い切った行動に、さすがに一同も驚きの声を上げるが、元々来週には外出許可が出るという話だったため、大丈夫なのではないかと話す社長の良い意味での適当さもあり、部屋の中は全員の笑い声で包まれる。もちろんそこに先程までの湿っぽい空気などは存在しない。
 ひとしきり笑ったあとで真面目な顔に戻ったプロデューサーは、まず皆に謝罪する。アイドルをプロデュースするという立場にありながら、事情が事情とは言えその職務から遠ざかり、彼女たちの動向を直接見ることができなかった彼にしてみれば、皆に対して申し訳なさを抱くのは無理からぬことであったろう。
 彼はアイドルたちがどんな状態であるかを知ることもできないまま、今日という日を迎えたことに不安を抱いていたことを正直に打ち明けた。それもまたプロデューサーであれば当然の心境であったはずだが、しかし彼は今日この場に来て、そんな自分の不安は杞憂にすぎなかったと語る。
 彼の不安を容易く霧消させ、ライブが成功すると確信させるまでに至らしめたもの。それは彼の目の前に並んでいるアイドルたち全員の表情だった。
 みんながどんな表情を浮かべていたか、それは彼女たちが多忙の中、このライブに対して抱いてきた特別な想い、24話においてその想いを等しく胸に刻んでから見せた各々の表情を思い返せば、自ずと見えてくることだろう。
 そしてその表情は決して彼女ら個人の力だけで生み出されたものでないということも、プロデューサーは知っている。
 12人のアイドルと彼女たちをずっと支えてきた律子や小鳥さん、社長。765プロに所属する1人1人が自分に出来ること、やれることに最大限に取り組み、互いに支え合いながら目指す夢や目標に向かってずっと共に歩み続けてきた。
 そうすることで育まれてきた仲間同士の繋がりや互いを信じる想いは、そのまま強固な信頼関係や絆といったものに昇華し、彼女ら12人のアイドルたちにより大きな力をもたらしたのである。それは迷い苦しむ者を救う力であり、絶望の淵に追い込まれた者を引き戻す力、そして何より大勢の人たちにも自分たち自身にも、幸せを運ぶことのできる力。
 それをずっと間近で見続けてきたのはプロデューサーだった。以前の感想にも幾度か書いたとおり、どんな時もアイドルたちの傍らにあって彼女たちの日常や苦悩、そして成長を見守り助力してきたからこそ、彼には誰よりもはっきりとわかるのである。互いを信じあう強い繋がりが彼女らの力を育むこと、その力が彼女たち自身を、多くの人の心を惹きつけるほどに輝かせてくれることを。
 プロデューサーはずっと以前からそのことを知っており、だからこそ彼女たちに全幅の信頼を寄せることもできた。仲間を信頼することの大切さは、他でもないアイドルたち本人から彼が教えられたことなのだから。
 「団結した765プロは無敵だ」と言い切った彼の胸中に、アイドルのみならず765プロに所属するすべての人たちに対する揺るぎない信頼感が根付いていることは論を持たない。だからアイドルたちも、一緒に最高のステージを作ろうというプロデューサーの呼びかけに、はっきりと応えることができたのだ。
 プロデューサーはアイドルたちを信じ、アイドルたちはそんなプロデューサーの信頼に応える。各々の職務上の技量や実績といった物を超えた先にあるその関係は、アニメ版アイドルマスターが打ち出した「アイドルとプロデューサー」というアイマスの根底にある関係性そのものに対する1つの回答であり、同時に制作陣が理想形と見定めたものであったのかもしれない。

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 そう考えると23話と24話において、プロデューサーを怪我という形で一時的に離脱させた作劇にも得心が行く。
 春香に対してプロデューサーは、彼女は心をすり減らし苦悩していた時期に何もしてやれなかったことを謝罪するが、確かに彼が負傷せずずっと春香のそばにいることができたなら、春香は実際の時ほど苦悩することにはならなかっただろう。
 だがそれは春香の成長を阻害する要因になりかねない、そんな危険性を孕んでいる「if
」の要素でもあるのだ。
 前述の通りプロデューサーは765プロアイドルの力の源がどのようにして生まれ育まれるかを、恐らくはずっと以前から知っていたわけだが、それは23話と24話とで追い込まれてしまった春香が見失ってしまったものであり、一番欲していた「答え」でもあった。
 その答えが以前からずっと春香の心の中にあったものであるからこそ、春香は第三者から教えてもらうのではなく、自分の力でその答えを得なければならなかったのである。一度見失った心の一部を再び見つけ出すことができるのは、本人以外にはいないのだから。
 プロデューサーが最初から答えを知っていたにもかかわらず、事情はあれどそれを春香に説明できなかったことは、「落ち度」と言っても差し支えないものであるかもしれないが、それは春香も同様であった。
 彼女のプロデューサーを信じる気持ちのまま、素直に自分の悩みを打ち明けていればああまで苦しむことにはならなかったはずであるが、実際には重要な局面で一歩引いてしまったために、プロデューサーと話をする機会すら失ってしまった。これが春香自身の落ち度であったことは、異論を挟む口もないだろう。
 それを理解していたからこそ、プロデューサーの謝罪の言葉に春香は首を横に振ったのだ。誰が悪いというわけではない、しかし裏を返せばみんな一定の落ち度があり、当然自分自身にもそれがあったのだから。
 しかし春香はそんな逆境の中、自分で「答え」を見つけることができた。誰かに教えてもらったり助力を乞うたわけではなく、自分1人で自身と向き合うことで、見失っていたものを再び自身の中に見出したのだ。
 人生の先輩である大人が、少女であるアイドルたちに直接答えを提示するのではなく、例え時に迷うことがあっても自分たちの力で答えを見つけさせ、大人たちは介添え程度の介入に留める。アニマス全編で貫かれてきたこのスタンスの最たるものが24話における春香の描写であったわけだが、それをより強調するためのプロデューサーの一時離脱であったと言えるだろう。
 そしてプロデューサーの離脱による効果は、単なる作劇上の都合に留まらない。春香の心が追い詰められていった要因の一つに、故意でないとは言えプロデューサーを負傷させた原因が自分にあるという自責の念があったわけだが、それに関して春香が直接プロデューサーに謝罪をしたという描写は、作品中には存在しない。
 無論先ほども書いた通り、決して春香が悪かったわけではない。しかし経緯はどうあれ春香の性格を考えれば、彼女がプロデューサーに謝罪しないはずもないだろう。しからば何故具体的な謝罪のシーンを明確に劇中で描写しなかったのか。
 その答えがこのやり取りのシーンに込められていた。
 周囲と決定的にずれてしまうほどに追い込まれ、心をすり減らしながらも、彼女は自分1人の力で見失っていた大切なものを見出し、再び前に向かって走り出した。それは彼女自身は意識していなかったかもしれないが、追い込まれている自分の胸中をプロデューサーに相談することを意識的に避けたために起きてしまった悲劇に対する、彼女自身の彼への贖罪として機能していたのである。
 春香が自分の力で大切なものを再び心に宿すこと、それ自体がプロデューサーへの謝罪でもあった。そんな彼女に対しプロデューサーは彼女が自分の力で答えを見出せたことを察し、力強く励ますように「頑張ったな!」と言葉を送る。
 彼は恐らく今回の件に関して仔細は知らなかったのだろう。だがそれを春香に殊更聞くことなく、ただ春香の出した「成果」を純粋に認め賞賛した。それは同時に敢えて仔細を明かさずとも、目の前にある結果こそが互いを信じ思い合った末のものであると、2人が理解できていたということに他ならない。
 両者はアイドルとしてプロデューサーとして精一杯やれることをやり、その上で最上の成果を出した。それが単なる言葉の範疇を超えた、精神的な繋がりによる両者の間でのみ交わされた「謝罪」だったのだ。
 春香とプロデューサーの間でずっと育まれてきた「アイドルとプロデューサー」としての絆は、かような形で結実したのであり、これもまた同関係に対する一つの完成形であったのかもしれない。
 そしてそれは春香がずっと抱いていたであろう負い目を消滅させるには十分な「赦し」として機能していることも意味していた。

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 いよいよ迎えるライブ開始の時間。客席には大勢のファンに紛れて善澤記者が、ステージ裏にはダンスのコーチやボイストレーナーが、今の彼女たちの成果を見るために集まっている。
 ファーストライブの時と同様、アイドルたちを誰より近くで支え続けてきたプロデューサーの激励を受け、円陣を組んでテンションを高めた12人は満を持してステージに立つ。
 輝くスポットライトと観客の歓声に迎えられたアイドルたちが披露する最初の曲は、「READY!!&CHANGE!!!! SPECIAL EDITION」。前期OPテーマであった「READY!!」と後期OPテーマの「CHANGE!!!!」を組み合わせた、文字通りの特別版だ。
 衣装もそれに合わせてか、美希、雪歩、伊織、亜美、真、貴音が前期OPで着ていた「バイタルサンフラワー」で、春香、千早、真美、やよい、響、あずささんが後期OPで着ていた「ザ☆ワイルドストロベリー」を、それぞれ身に纏っている。
 ライブ自体は20話や21話でも描かれていたが、そちらでは歌唱メインの画面構成となっていたため、歌のみならずアイドルたちのダンスやカメラワークの激しさを前面に押し出した構成という点では、実に13話でのファーストライブ以来の本格的なライブシーンであり、歌曲と相まってまさにアニメ版アイドルマスターにおけるライブの「総決算」と言ってもいい内容に仕上がっている。

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 前述の円陣を組んでいるシーンも含め、前期OPでのライブシーンに使われた映像を修正・編集して使っている部分もいくつか散見されるが、有限のリソースを後続の作品に流動的に使うこと自体はまったく正しい行為であり、今回はむしろその編集の妙に注視すべきところであろう。
 もちろん新規作画分の美麗さもここぞとばかりに炸裂しており、アイドルの動きの激しさやダイナミックさ、ゲーム版とは異なる大胆なカメラワークと言った、13話でも見せたアニマスならではの表現方法はそのままに、12人それぞれの魅力を最大限に描出していることは言うまでもない。
 作画の流麗さに関してはここでいくら言葉を費やしたところで伝えきれるものではないから、是非一見していただきたいとしか言えないのがもどかしいところであるが、演出面で特筆するとすれば、13話の時には見られなかったカメラワークとして、アイドルたちの上半身がフレーム内に収まる程度のアングル(ゲーム版で言うところの「ミドル」)で静止した後、カメラが高速でパンニングし、隣で踊っているアイドルを映し出して少し静止、またすぐに高速パンニング、という見せ方が新たに加わっていることが挙げられる。
 通常のパンニングと比較して、短い時間ではあるが人物を固定して映せるので、人物そのものをより強調することができるし、映像上のメリハリもつけやすくなるという効果も付与されていた。
 アイドルの方に目を移すと、歌詞の「TRY CHALLENGE!!」の部分で、アップで映し出されている時の雪歩の手の形に注目していただきたい。一瞬ではあるが雪歩の手が、3話でプロデューサーに見せてもらった「犬」の形になっていることがわかる。

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 自分に対して全く自信が持てず、ステージに立つことさえ恐れていた雪歩が変わっていくきっかけとなった挿話が3話であるわけだが、その直接のきっかけであるプロデューサーとのやり取りを象徴するこの「犬」を、本当にさり気ない形で描出する制作陣の演出の細やかさには恐れ入る。
 あとは13話でのライブと比較してアイドルたちだけでなく会場全体を様々な視点で映しだそうという意図が、そのアングルから見てとれる点も興味深い。色とりどりのサイリウムが輝く客席や、アイドルたちを彩る照明を映すだけでなく、「SHOW MUST GO ON☆」のところでわざわざ真とやよいが画面下のほうにわずかに映っているだけのアングルを挿入するあたりからも、その意図が窺い知れるだろう(尤もゲーム版「L4U!」に存在した、カメラ視点が固定されてしまうバグを再現したものと言えなくもないが)。
 それほど気にするところではないと思うが、13話の時に比して観客からのコールのボリュームが小さくなっていたという点も忘れてはならないところだろう。

 その後もライブは滞りなく進行し、幕間のトークパートに入る。
 後ろの席の人たちや3階席の人たちのこともちゃんと見えていると呼びかける春香の姿からは、13話でのライブ開始前、幼い頃に自身が体験したアイドルコンサートでの出来事を振り返り、その時のアイドルと自分とが同じ立場になったことに格別の感慨を抱いていた下りが思い返されることだろう。

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 次に続く美希の、心がどんどん高揚してきていることを観客に伝え、自分がキラキラしているかを問いかける様子と合わせ、2人がそれぞれ胸に抱き、終盤のストーリーのキーともなった「理想のアイドル」としての姿を、ここで改めて提示していると言える。
 そして各々が抱く理想を目指して努力してこれたのは、そんな自分たちをずっと応援し続けてくれたファンのみんながいたからと、真、雪歩、あずささんが感謝の言葉を述べる。思い返してみると、この3人がそれぞれメインとなった3、8、17話は、シチュエーション等の違いはあれど、ファンや一般大衆との絡みが比較的多かった話でもあった。
 そんな3人の言葉を、振り返るのはまだ早いとたしなめ、これからもっともっと頑張っていかなければと今後への姿勢を示したのは、伊織に響、そしてやよい。こちらの3人は基本的に後ろを振り返ることなく前だけを見据える性格であるが、その内に強い信念を秘めているからこそのものだということは、7話や11話、16話で描かれていることである。
 3人の言葉を受けた上で、まずは自分たちが今行っている今回のライブに全力で取り組み、成功させなければならないと強く言い切るのは貴音だ。「アイドルとして高みを目指す」という自分の使命に真摯に取り組む意志を14話や19話で明示した彼女らしい仕切り方であろう。
 その言葉を受けた亜美と真美は、ライブを成功させるため、自分たちと一緒に楽しく遊ぼうと観客に呼びかける。この2人にとってはライブもまた楽しく遊ぶためのお祭りのようなものであるかもしれないが、遊びだからと軽んじているわけでは決してなく、むしろ何に対しても常に全力で楽しもうとする姿勢を2人が持ち続けているということは、9話での描写を思えばすぐにわかることである。
 亜美と真美の軽めの呼びかけの後に続く、真面目な呼びかけを担当するのは千早。みんなの心に届くよう力の限り歌うというその呼びかけは、20、21話において歌に対する強迫観念から解放され、歌で人の心に幸せを届けたいとまで思うようになった今の千早であればこその言葉であった。
 ここまで読んでいただければ、各々の言葉が無作為に割り振られたわけではなく、彼女たちがこれまでの24の挿話の中で経験した様々な出来事と、それによるそれぞれの成長を踏まえてのものになっていることがわかるだろう。
 大雑把ではあるものの、わずか2分程度のトークの中で彼女たちは自分たちがこれまで経験してきた過去と、それらの集積として存在している現在とをほぼすべて総括したのだと言える。そしてそれはこの少し後の場面における伏線ともなっていた。
 しかしその場面に突入する前に、もう一つ大切な事項が残っていた。先ほど「ほぼすべて総括」と書いたとおり、まだ総括していない最後の重要な要素が存在していたのである。
 亜美が悪戯っぽく微笑みながら、「今日のサプライズゲスト」と紹介して後ろの大型ビジョンに映し出された最後の要素。それはプロデューサーでありながら、18話にて臨時のアイドルとして責務を果たし、実績をも残した律子であった。

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 嫌がりながらも彼女用のステージ衣装を既に着こんでいるあたりは笑いどころだろうが、観客からもきちんと律子の名前を呼ぶ歓声が上がるあたり、律子が「プロデューサー兼アイドル」としてファンからも認知されていることが窺えよう。
 もちろん律子本人は聞いておらず、Aパートで謎の袋を抱えていた亜美や真美が中心になって企んだであろうことは想像に難くないが、その計画をあらかじめ知っていたと思しき描写がある伊織やあずささんに美希はともかく、計画を知らなかったとしても不思議ではない千早が、心底から嬉しそうに律子の参加を喜んでいるのが印象的だ。
 律子もステージ出演を渋々と言った表情で承諾したものの、プロデューサーとの会話の中では照れながらはにかんでいる辺り、まんざらでもない様子。彼女もまた他のアイドルたちと同様、プロデューサーの激励を背に受けてステージに向かって走り出していく。
 そんな様子を見やりながら、目標に近づいたと独りごちる高木社長。社長が芸能事務所を立ち上げてまで追い求めた、彼の思うアイドルとしての完成形。その理想像を現765プロアイドルの中に見出したのだ。
 とは言えそれは恐らく断片的な感覚であったろうし、そもそも社長の考える完成されたアイドルとはどのようなものなのか、見ている我々にもすぐそばで聞いていたプロデューサーや小鳥さんにも明示されたわけではない。
 だからこれに限っては「こうなのだ」と断定的に記述することは避けた方がいいだろう。プロデューサーも言ったとおり、彼女たちもプロデューサーもまだまだこれからなのだから。彼女らアイドルがいつか本物のトップアイドルになれた時、社長の求めるアイドルの完成形もまた見えてくるに違いない。

 やってきた律子も含め、ステージ上に揃った13人すべての765プロアイドル。彼女たちはその中心にいる春香の合図に導かれるように、用意していた新曲を披露する。その歌のタイトルは今回のニューイヤーライブの名称と同一である、「いつまでも、どこまでも」。

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 新曲に乗って描かれる画はAパートのようなライブ描写そのものではなく、イメージPV風となっている。そのPVの開始部分に表示される「THE IDOLM@STER」の表記が、1、13、20、24話のタイトルバックとほぼ同じになっている点が細かい演出だが、決定的に異なるのは上記4話分での黒画面に白一色という表記ではなく、白画面に各アイドルのイメージカラーをそれぞれの文字に割り振ったカラフルなタイトル表記になっているということだろう。
 よく見ると左から赤、ライトグリーン、青、オレンジ…と、きちんと通常のキャスト表記順に並んでいるのも嬉しい配慮だ。ちなみに一番右の「R」に施された色は、小鳥さんのイメージカラーのひよこ色である。
 そして春香から順に、1話から24話までの中から抜粋された各アイドル単体の映像と、そんな彼女らが共にあるシーンとがダイジェストで流れていく。
 ファーストライブ、雑誌の写真撮影、竜宮小町としての活動、「生っすか!?サンデー」収録といったアイドルの仕事風景と同時に挿入されるのは、プロデューサーが来ると聞いて喜ぶ姿や、クリスマスパーティや慰安旅行を楽しんだ時の姿であり、傷つきながらもそれを乗り越えた少女と、それを我が事のように喜ぶ仲間たちの姿。
 単にアイドルとしてだけではない、毎日を大切な仲間と共に過ごしてきた、積み重ねてきた「過去」の日々そのものが、今の彼女たちにとっての糧になっていることを、ここで改めて明示している。
 それら「過去」を糧にすることで得たものが、次に映し出される「現在」の描写。すなわち互いに手をしっかりと握りあいながら、円を描くように一つ所に横たわっている姿である。

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 纏ったステージ衣装はアイドルとして一定の成果を生み出した証左であり、握りあう手、そして6話や20話におけるドーナツの如く全員で円を形成しているその姿は、彼女たちの揺るぎない繋がりの証。そこにあるのは紛れもない、彼女ら765プロアイドルが自分たちの力で得てきた「現在」の自分たちそのものだ。
 Bパート冒頭でのトークと同様、このPV風映像の中において尚はっきりと打ちだされる、アイドルたちの「過去」と、そこから繋がってきた「現在」。二度に渡ってこの2つの時間軸を強調した理由は唯一つ、「現在」からさらに繋がっていく彼女たちの先にあるもの、即ち「未来」を描き出すためであった。
 それぞれの手を重ね合わせたアイドルたちがその手を離した時、春香の手に残っていたのはそれぞれのイメージカラーを有した小さな種。その種はやがて1つの大きな種となり、春香の手の中に舞い降りる。

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 土の中に埋められた種は芽吹き、その幹を、枝を、葉を大きく広げ、やがて一本の巨木となり、同時に周囲もまた青々とした木々に満ちる。
 アイドルたちはそんな巨木の枝に乗り、楽しげに新曲を熱唱する。歌いながら視線を合わせ微笑みあう律子と美希や、一頃からは想像もできないほど楽しそうに歌を歌う千早の姿が印象に残るが、やがて周囲は暗くなり、同時に小さな光の球がそこかしこから溢れ出し、周囲もアイドルたちの姿をも明るく照らす。

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 その情景はすべて彼女たちが迎えるかもしれない「未来」のイメージ。
 「過去」から「現在」へと変遷する流れの中で彼女らが紡いできたものが一粒の種であるなら、そこから高く強くそびえ立った巨大な木は、その先に広がっている彼女たちの可能性そのものであり、浮かび上がった無数の光は、そんな彼女たちの力が多くの人たちの心に灯した小さく、しかし暖かい灯火。そして彼女たちの送り届けたその小さい光は、無数に集まることで彼女たち自身を明るく照らし輝かせる。
 そこに広がっていたものとは、アイドルたちが抱く理想そのものの集成であり、願う未来の光景そのものでもあった。多くの人に自分たちの想いを届け、その想いによってさらに自分たちは強く輝き、また多くの人に想いを届ける。1人ではない、仲間たちと共に歌を通してそれが行える存在となること、それが彼女たちにとっての最良となるであろう「未来」の在り様だったのだ。
 そしてその未来への可能性が決して不確かなものではなく、そう遠くない将来に得られるものであろうということは、歌を歌い終えたアイドルたちへの観客たちの大きな歓声と、輝く光の中で最高の笑顔を見せるアイドルたちの姿が証明していた。
 アイドルになることを夢見て一歩足を踏み出し、確実にアイドルとして地歩を築いてきた少女たちは、そんな彼女たちにとって最良となるであろう未来を得る可能性をも手にできるほどに成長したのである。

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 スポットライトに照らしだされるアイドルたちの晴れ姿に、涙を流す小鳥さん。少女たちがアイドルとして大成することを願い、プロデューサーが来る前からずっと後方で支え続け、つい先日までにおいても、プロデューサーが重傷を負い春香が自失するという窮状の中にあって、たった1人でアイドルとプロデューサーとの間を立ち回り、双方のフォローに徹してきた彼女であればこそ、その姿に強く感じ入るものがあったのであろう。
 同時に小鳥さんの涙そのものは画面上に描かないことで、晴れやかな雰囲気に水を差しかねないウェットな空気が必要以上に発生することを防いでいる演出上の妙も見逃せない。

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 そして小鳥さんの横で、ステージに並ぶアイドルたちを万感の想いで見つめるプロデューサー。その胸中に去来するものは如何様であったろうか。
 ライブそのものの描写はそこでほとんど終了し、結果がどうであったかは具体的に描かれていない。しかし場内に沸き起こる「アンコール」の大合唱と、それを受けてもう一曲歌おうとするアイドルたちの明るい声が、ライブの結果を何よりも雄弁に物語っていると言えるだろう。

 季節は巡り、桜の咲き乱れる春がやってきた頃、ようやく退院の運びとなったプロデューサーが765プロの事務所に戻ってきた。
 事務所にはアイドルたちが全員揃ってプロデューサーを出迎える。23話あたりのことを思い返すと、プロデューサーのためとは言え全員が一堂に会するのは困難だったのではないかと勘繰ることもできるが、ちらりと映るホワイトボードに目をやると、22話や23話の頃より幾分スケジュールに余裕が出来ており、24話で皆が到達した想いを、彼女たちなりのやり方で実践してきたであろうことが窺える。

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 駆け寄るみんなに礼を言ったプロデューサーは、事務所が一番落ち着くと感慨深げに呟くが、その言葉に「爺くさい」と伊織が突っ込んだり、「プロデューサーをいじれなかったから」つまらなかったと亜美真美がぼやく辺りは、すっかりいつもの765プロといった風情だ。
 アイドルたちのそんな様子を見やったプロデューサーは、長い間現場から離れてしまっていたことを改めて詫びるが、律子と千早がそれには及ばないと訴える。
 それは今回の件を機に今の自分たちを見つめ直すことができたということと、プロデューサーが765プロにとって大切な存在であることが、彼女たちの中で改めて認識できた故のものだった。
 プロデューサーが765プロにおいてどのような存在であるか、どのような存在だとアイドルたちが認知しているか、それはもう今更語る必要はないだろう。彼に向けられた多くの笑顔そのものが答えなのだから。
 そしてプロデューサーは美希や春香から、終了する予定であった「生っすか!?サンデー」が、春にリニューアルして「生っすか!?レボリューション」という番組になったこと、春香と美希が主演しているミュージカルの全国公演が決まったことを聞かされ、喜びの声を上げる。

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 しかしビッグニュースはそれだけではなかった。今のビルとは打って変わった近代的高層ビルの一角へと、事務所を移転する話が持ち上がっていたのである。
 おかげで事務所の金庫はまたも空っぽになってしまったようだが、実際に好条件に恵まれた物件のようで、プロデューサーも大いに喜ぶ。
 しかしそのビルを担当している建設会社が、「ブラックウェルカンパニー」という聞いたことのない名前のものであると知ったその時、春香が大声を上げながらテレビを指出す。
 画面に映し出されたのは件の会社が事実上倒産し、それらに関わっているとされるある人物が、一切の関与を否定しているというニュースだった。
 その人物の名は黒井崇男。言うまでもなく961プロの黒井社長本人である。つまりこの建設会社「black(黒)」「well(井戸)」カンパニーは、黒井社長の息のかかった会社だったのだ。

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 結局事務所移転の話はご破算になってしまったわけだが、それでもみんなの声は明るい。もちろん残念がる者もいるが、たくさんの思い出が詰まった今の事務所を嫌う者は、1人として存在しないのもまた事実。また一から頑張ることを決めるアイドルたちの声は実に晴れやかだ。
 そしてプロデューサーの退院を祝ってか、765プロの面々は全員連れだって花見へと向かう。そのバックに流れるアニマス最後のED曲は「いっしょ」。CD「MASTER LIVE 01」に収録されたこの曲は、気を衒うことなくストレートに「みんなと一緒にいることの素晴らしさ」を謳っている。
 歌自体はゲーム版で使用されたこともなく、知名度という点ではあまり高いとは言えない楽曲であるが、仲間同士の繋がりを1話からずっとテーゼとして掲げてきたアニメ版アイドルマスターの最後を締め括るには、これ以上ないほどにマッチした歌と言えよう。
 そう言えば「MASTER LIVE 01」のジャケットに描かれたアイドルたちを彩っていたのも、このラストシーンと同様、一面に咲き乱れる桜の花であった。
 歌に乗って描かれるのは、お花見の微笑ましい光景。春香の作ったサンドイッチや雪歩のお茶を見て喜ぶ貴音、伊織の持参した豪華すぎる弁当に少々唖然とする律子の一方で目を輝かせるやよい、多少は酒も入ったのか、肩を組んでカラオケで熱唱するプロデューサーと高木社長、こちらは確実にお酒が入ったようで、亜美と真美を巻き込んではしゃぐあずささん、千早の手作り弁当を美味しそうに食べる春香と美希に響、そしてハム蔵。

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 そこに映し出されるのはアイドルではなく、アイドルでもある少女たちの姿。はたから見れば他愛のない、しかし当人たちにとってはとても大切な日常の積み重ねが、そのまま皆の糧となり魅力へと繋がっていく。その最も大きなテーゼが全編を通して貫かれたからこそ、見ている我々にはこの日常描写こそがラストの光景にふさわしいと知ることができるのである。
 4話や11話において料理をほとんど作っていない描写がなされた千早が、仲間のために自ら手料理を持参したことと、殺風景だった彼女の自室がきちんと整頓され、整理された棚の上に亡き弟の写真とスケッチブック、そして彼女と仲間たちとの絆の証である、あの日春香から贈られた封筒がきちんと置かれているという事実が、そのテーゼをここに体現していると言えるだろう。

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 そう、彼女たちは今もまだ変わりつつある途中なのだ。そして途中ということは、彼女たちの物語はまだまだ続いていくということでもある。
 飲み物を買いに行こうとする春香にお金を渡そうとプロデューサーが取り出したものは、クリスマスの日に春香が購入していながら渡しそびれてしまっていた財布であった。劇中で直接の描写こそなかったものの、退院祝いとして渡すことができたようであるが、それを見た美希は俄かに焼きもちを焼き始め、いくら春香でもハニーは渡さないと言い出し、そんなつもりで渡したわけではなかった春香であるが、その言葉を聞いて顔を赤くしてしまう。

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 春香のプロデューサーへの想いが、「アイドルとプロデューサー」という関係を超えたものであるのかどうかはわからない。しかしいずれにしても彼女たちの新しい物語がそこから始まることを示唆していることは間違いないだろう。
 新たな物語を迎えようとしているのは彼女たちだけではない。
 小さなライブハウスの中で楽しげに、満足げにライブを行うジュピター3人の物語はそれこそ始まったばかりであろうし、765プロにとっては迷惑な話であるが、黒井社長の物語も未だ完結を迎えてはいない。

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 そして765プロアイドルの成長と躍進を第三者の立場で見届けてきた善澤記者のインタビューに応じているのは、まさにこれから始まる彼女たちだけの物語に胸躍らせているに違いない、876プロのアイドルたち。
 前述の通り765プロアイドルのアイドルとしての在り方をずっと見てきた善澤記者が直々にインタビューをしていることからも、876プロのアイドル3人が765プロアイドルの抱く信念を正しく継承してくれるであろうことも窺え、今後が非常に楽しみとなる好シーンだ。

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 ライブの日にプロデューサーが言ったとおり、皆まだまだこれからなのである。可能性は提示されたものの、その可能性を自分たちの進む道と成せるかどうかは、誰にもわからない。確かなことは彼女たち自身の物語はまだ終わらないし、そんな彼女たちを見守り支える者たちの物語も同様に続くということである。
 だからこそ、ラストカットの言葉は「さようなら」ではなく「ありがとう」でもなく、「またね!」なのだ。25の挿話が全て描かれ終わった後も、彼女たちの現実では終わることなく物語が続いているし、いつかまたその中のいくつかの物語を我々が見届けることができるかもしれない。そんな未来への希望が込められた言葉としての「またね!」なのである。
 彼女たちの未来と我々の未来、2つの未来は再び別れてしまったが、いつかまたどこかで重なる日も来るだろう。その時を今はただ楽しみに待とうではないか。

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 アニメ版アイドルマスターを今ここでがっつり総括するのは難しいので、軽めに総括してみるならば、アニマスはどこまでも「アイドルを目指す少女」の物語であり、「アイドルになった少女」の物語であったと言える。単なる「アイドル」の物語ではなかったのだ。
 それは序盤からずっと描かれてきたとおり、アイドルとしての仕事の描写よりも、アイドルを職業にしている少女たちの日常の方を丹念に描出してきたことからも、容易にわかることだろう。
 アイドルの部分と年相応の少女の部分のうち、、アニマスは後者に比重を置き、最終的には彼女らなりの判断で双方を両立させる選択肢を取るまでを描ききったと言える。
 それは一般的なアイドル像とは程遠い選択であったかもしれない。しかし彼女たちにとってはそれは正しい選択だったのだ。彼女らはアイドルとしての一般論ではなく、「765プロのアイドル」としての道を選んだのだから。
 そしてそんな彼女たちの選択を後押しするのはプロデューサーや小鳥さんに社長といった周囲の人々であり、序盤から制作陣によって構築されてきた、「アニメ版アイドルマスター」という世界観そのものだった。
 互いを気遣い信じあう心が仲間同士の強い絆を育み、彼女たちが夢や理想へと近づく原動力となり、多くの人に小さいけれども確かな幸せを運ぶ。それが許容される優しい世界こそ、制作陣が1話の頃から時間をかけてゆっくりと作り上げてきた、アニマスの世界観なのである。
 そんな世界だから彼女たちの選択も信念も最良のものであると断言することができるし、その信念の下に歩み続ける彼女たちの未来がきっと素晴らしいものになるであろうと信じることもできるのだ。
 人が人を信じる気持ちが大きな力となる。言葉で書けばこの程度の短文で終わってしまうものであるが、この短い言葉に込められた意味を、作品世界と登場するアイドルたちに丁寧に溶け込ませていった結果、より多くの人々、つまりは視聴者が幸せを感じられるような暖かく優しい作品に仕上がったということは、この作品を1話からずっと見続けてきた方の大部分が同意するところではないだろうか。

 2011年の七夕から始まった幸せな時間は、今回を以ってひとまずの終了を迎えた。だがまだBD最終巻に収録される第26話も存在しているし、何より「またね!」の言葉通り、そう遠くない将来にまたアニメの世界のアイドルたちに会えるかもしれない。
 先のことは無論わかるものではないが、いつその時が再び訪れてもいいように、本作を見て感じた「幸せ」を心の片隅にずっと残していければと思う。
 それはきっとこのアニメ版アイドルマスターを心から楽しめたという、何よりの証になるであろうから。
posted by 銀河満月 at 01:38| Comment(0) | TrackBack(1) | アニメ版アイドルマスター感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする