2011年11月28日

アニメ版アイドルマスター20話「約束」感想

 既に当ブログでも何度か触れていることであるが、アニメ版「アイドルマスター」は1話完結、アンソロジー形式の作劇を基調として作られている作品である。
 だがアニマスは本来の意味でのアンソロジー形式とは微妙に異なる作りでもある。アンソロジーとは各話がそれぞれ完全に独立した話であるため、前後の話とのストーリー的、世界観的繋がりすら存在する必然性を持ち得ないだからだ。
 アニマスの場合は「トップアイドルを目指す少女たちの成長」という要素が、縦糸軸として各挿話を結びつけることにより、作品全体がアンソロジー形式ドラマの体裁を取りながらも、大河ドラマ的な長編要素も付与しているのである。
 これにより骨子となる要素が物語世界の根底に横たわっていながらも、それに縛られない自由度の高い作劇が可能となった。その自由度の高さは15話を筆頭に、今まで視聴し続けてきた方なら既にご承知のことであろう。
 それと同時にそんな自由な作劇の中にも一本の縦糸、すなわちアイドルとして成長し仲間同士の絆を確かなものとしてきた少女たちの姿をも、はっきりと見て取ることができたはずだ。
 1話から様々な体験をする中で、彼女たちは常にまっすぐに、時に思い悩みながらも事に全力で取り組んできた。それらの積み重ねがあったからこそ、彼女らはアイドルとしても人間としても、より強く大きい存在になることができたのである。
 大河ドラマ形式とはそのような各話ごとに積み重ねてきた要素を、ある特定の話の中で一気に集約させる際に、話中のあらゆる側面においてこれ以上ない効果を発揮させることができる、最も有効な形式と言えるだろう。
 これまでの19の挿話において積み重ねてきたもの。それは今回描かれた20番目の物語において一気に炸裂することとなった。
 中心となって描かれたのは、前話のラストにおいて、ずっと秘密にしてきた辛い過去を残酷な手段で強引に暴露されてしまった少女、如月千早である。

 アバンでは追い込まれてしまった千早の現在の状況が、彼女を中心とした画と各人のモノローグとで綴られる。
 件の週刊誌には千早が子供の頃、幼い弟が当時8歳であった彼女の目の前で交通事故にあい亡くなったこと、それ以降両親とも不仲になってしまったこと、その両親も数か月前に離婚したことなどが、多分に悪意の込められた文章表現で記述されていた。
 高木社長だけは千早の両親から弟の存在を聞かされていたようだが、両親が改めて説明するまでもなく、弟の交通事故は千早にはまったく責任のないことである。目の前で起きたこととはいえ、まだ8歳の少女に何をどうすることができただろうか。
 だが週刊誌は千早にこそ非があったかのように書き立てる。弟が死んだことも家庭が崩壊したことまでも、すべてが千早のせいであるかのように。
 執筆者の品性下劣さを感じざるを得ないような、何とも劣悪な文章であり、10年近く前の出来事で見つけたのかどうかも疑わしい「目撃者」の談を掲載している辺りが、また妙にリアルで小憎らしさを増幅している。
 実際に画面中に映された記事内容を読むと、千早のプライベートに関することだけではなく、4話のゲロゲロキッチンにおける千早の積極的とは言えない態度にまで言及して批判しており、単なる千早バッシングのために用意された記事であることが容易に窺えるあたりが何とも情けない。
 しかしこんなあからさまな煽り記事にも世間が反応してしまうのは、我々の世界と同じことのようで、千早の仕事は次々とキャンセルされ、事務所から出てきた千早には大勢の取材陣が一斉に詰め寄ってくる。
 そして当の千早本人は、この記事の内容を否定することなく一切を認めた。弟がいたことも、その弟が自分のせいで命を落としたことも、すべて事実であると。
 弟は自分に駆け寄ろうとしたために事故にあった、自分がその時その場にいなければ弟が事故にあうこともなかったと考える千早は、そんな弟のためにずっと歌を歌ってきたし、歌わなければならないと思い込んできた。
 しかし唯一の拠り所であった歌さえも今は歌うことができない。歌おうとする刹那、在りし日の弟、そして事故にあった瞬間の姿が頭をよぎり、声を出すことができなくなってしまうのだ。
 弟のためと信じて歌ってきた千早の歌が、その弟の記憶により封じられることになってしまうのは、彼女にとってはこれ以上ないほどに辛い仕打ちであったろう。
 そんな千早の痛ましい姿を前に、あの春香ですら声をかけることができずにいた。

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 その一方でしてやったりとばかりに笑い飛ばす黒井社長。だがジュピターの冬馬はそんな黒井社長のやり方にどうしても納得できず、直談判を行う。
 ここに至ってようやく本当に汚い手段を用いていたのが誰であったかに気づいた冬馬ではあったが、そんな彼の反論を黒井社長はすげなく一蹴する。19話でも描かれたように、黒井社長にとってはジュピターの3人さえも、自分の野望を達成するための駒でしかないからだ。そんな黒井社長の悪びれない態度に、北斗や翔太の顔からも笑顔が消えてしまっている点が前話からの相違点であり、さすがに今回のこのやり方が度を越しているものと理解したということだろうか。
 しかしここで同時に認識しなければならないのは、黒井社長の「自滅」という言葉にもあったように、765プロ側は黒井社長の策略のみで追い詰められたわけではないということだ。
 16話での響を陥れる手段も、手段自体は響をまったく別の場所へ連れて行き、撮影に遅らせるという程度のものであり、崖から落ちてしまったのは響自身に原因があったわけで、19話の場合も貴音の秘密主義的な一面が、結果として事態をより面倒なものとしてしまっている。幸いなことにそれぞれペットたちやプロデューサーという味方を得て、両者とも自滅することはなかったわけだけども。
 そして今回、千早において多大な精神的ダメージを与えたのは確かであるが、歌うことができなくなってしまったのは、厳しい言い方をすれば千早自身の問題である(神ならぬ身の黒井社長がそこまで計算づくで立てた計略とはさすがに考えられない)。
 きっかけは961側の悪辣な陰謀によるものであるが、最終的に対象となった人物が追い込まれる理由は、その人物自身に拠っているため、961プロや黒井社長を必要以上にクローズアップすることなく、あくまで765プロアイドルたちが自分たちの問題を自分たちで解決する描写をメインにしてストーリーを進行する構成を、無理なく組み立てることができるのだ。
 これについては14話の時点で既に明示されていた、「961プロを障害要素としてのみ配置し、ゲーム版のような対決要素までは盛り込まない」という基本姿勢が功を奏した形と言える。

 突然出なくなってしまった千早の歌声。しかし医者の見解では喉そのものに異常があるわけではなく、心因性によるものとのことだった。
 最悪の手段で公に引きずり出されてしまった自身の過去、それによりさらに強く意識するようになってしまった弟の死と、それに対する自責の念。それらの強いストレスが原因となって、歌う時に限り声を出すことができなくなってしまったのである。
 夜の公園で亡き弟――優のことを回想する千早。
 2人で縁日へ遊びに行った日、持っていた水風船を壊してしまい泣き出しながらも、姉の歌を聞けばすぐに泣きやみ笑顔になった優。

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 弟は千早の歌が大好きだった。幼い千早にとっても弟はただ1人の観客だった。お互いがお互いを大切に想うごく当たり前の、しかし幸せな姉弟関係。だがあの日の事故がすべてを奪い壊してしまった。
 千早の歌を誰よりも楽しみにし、歌ってほしいといつもせがんでいた亡き弟のために、千早はずっと歌い続けてきた。それが自分が「死なせた」弟のためになると、姉として弟にしてやれるただ一つのことであると信じて。
 しかし今の千早は歌を奏でることができない。自分がすべてをかけてきたものが自分の中から失われてしまった、その事実に直面した千早の心の空虚さは、話を聞いていたプロデューサーや春香にわかるものではなかった。
 アイドルとしても姉としても失格と自分自身を断じた千早の耳には、プロデューサーの励ましの声など届くはずもなく、歌えなくなった以上はアイドルとしての仕事を続けることもできないと、千早は一礼して立ち去ってしまう。
 そんな千早を止めようとしつつも何も言うことができず、ただ千早を見送ることしかできない春香。千早を取り巻く状況、そして彼女自身の抱く絶望に対し、2人はあまりにも無力だった。

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 だがそれはやむなしという面もある。ここで何かしら巧いセリフの一言でも言おうものなら、それこそ嘘っぱちというものだろう。
 そんな中でもアバンからずっと千早の隣に付き添い、医者の診断を受けていた時も診察室の外で待っていた春香の姿が印象的だ。自分から率先して千早に付き添ったのか、それとも千早が一番心を許していた相手としてプロデューサーがそのように計らったのかはわからないが、どちらにしても春香本人が千早を深く案じていたのは間違いないし、だからこそその気持ちとは裏腹に千早に対して何もしてやれない、普通の少女であるが故の春香の弱い一面が浮き彫りになるのである。
 千早は家に閉じこもってしまい、姿を見せなくなってしまった。千早もレギュラー出演していた「生っすか!?サンデー」は、風邪で欠席という形で取り繕ってはみたものの、春香の表情にもどこか陰がさしている。
 その楽屋裏ではプロデューサーが千早に連絡を取るものの、彼女は電話にすら出ようとはしない様子。プロデューサーが自宅を訪ねてもドアを開けることはせず、こんな時こそ支えになってやってほしいと千早の両親に事情を説明しても「何もできません」と断られ、プロデューサーや律子にとっても八方ふさがりの状況に追い込まれていた。
 それでもプロデューサーは千早宅を訪れるたびに、食事はきちんと摂るようにと色々置いていっているようで、プロデューサーとしての精一杯の気遣いがそこから窺える。
 しかしプロデューサーも律子もただ一つ気づけていない部分があった。「親は子供の支えになるべき、なれるべき存在」という当たり前の考えを誤認していたのである。それを後々思い知らされる立場となるのが彼ら2人でないところは、今話の終盤に向けての展開の暗示と言えるだろう。2人は表だって千早のために行動するのではなく、あくまで裏方の面からアイドルを支える立場に徹するということか。
 この状態が続けば、来月開催予定の765プロ定例ライブにも出られないかもしれない。そのことを危惧する律子だったが、無論それはライブの成否云々ではなく、歌手として大成することを望んでいた千早に最もふさわしい舞台であるライブに、千早が参加出来ない、参加させてやれないかもしれないことへの不安から来ていることに相違ない。
 それはプロデューサーとの会話中もプロデューサーの方にまったく視線を向けず、常に千早のことを案じているかのように視線を落とし気味にしていたことからもわかることであろう。
 頼りなげに明滅を繰り返す非常口のライトもまた象徴的である。

 千早の話題は巷でも止むことなく、ついには引退説まで囁かれるようになった。実際に千早としては引退する決意でいるわけだから、完全に捏造というわけでもないのが何とも苦々しい。
 そんな中をある場所へ向かう春香。ある場所とは当然千早の家である。11話で千早に連れられて訪問した時とはまるで違う状況の中、再び訪れた春香の胸中は如何様なものであったろうか。普段の彼女からは思いもつかない厳しい表情を浮かべながらも、意を決した春香はインターフォンを押す。
 若干の間を置いて、インターフォンに出る千早。覇気など欠片も存在しない声ではあったものの、久々に聞いた友達の声にいくらか安堵した春香は、努めて明るく千早をダンスのレッスンに誘ったり、他のみんなから預かってきたお茶や飴といったお土産を渡そうとするが、千早はどれも静かに拒絶してしまう。歌を失った自分は皆の気持ちに応えることはできないからと。
 そんな千早に春香はためらいがちながらも、誰かのためではなく自分が歌が好きだから、自分が歌いたいから歌うという理由ではダメなのかと問いかける。それはそのまま春香がアイドルを目指す、アイドルを続ける理由でもあった。
 歌が大好きだからという原初の理由を見失うことなく、春香はトップアイドルを目指してずっと努力してきた。その成果としてアイドルとして一般にもその名が浸透するようになり、ライブを始めとして歌を披露する機会も増えた。そして同じ夢を持つ多くの仲間と出会い、共に夢に向かって努力する喜びも得たのである。
 今ドアを隔てた向こうにいる千早とも、そもそもは「歌が好き」という想いがあったからこそ出会うことができた友人なのだ。千早が春香にとって大切な友人だからこそ、そんな大事な人と引き合わせてくれた自分の想いを、その想いを抱いたまま歩んでいけばきっと自分の望む夢にまで到達できるであろうことを信じられるのである。
 そしてそれは恐らく千早にもわかっていることであった。4話のラストでの態度からも察せられるとおり、彼女はわかっていて自分が変わることを拒んだのである。ただ自分のためだけに歌うようになってしまったら、「自分のせいで」死なせてしまった弟への、姉として出来るただ一つの行為まで無にしてしまうことになるのだから。
 そんな千早にとって春香という存在は、何よりも眩しく見えていたであろうということは、11話での感想で書いたとおりである。ただ純粋に歌を愛し、歌を歌うことそのものに喜びを感じて歌う春香の姿は、もしかしたら千早自身がそうなれたかもしれない姿、できるならそうなりたかった姿だったのではなかったか。
 弟が命を落とすことがなかったら、自分も姉として歌い手として、純粋に歌が好きなまま歌を続けられたかもしれない。かすかに残っていたそんな思いが、春香に信頼を寄せるようになった理由の一端だったのだろう。
 だが千早はその思いに身を委ねるわけにはいかなかった。弟を死に追いやった原因が自分にあると思い込んでいる限り、彼女は弟のために生き、歌い続けるという枷を自身の手で既にはめ込んでいたのだから。
 そして今はそんな枷さえも、まったく意味を成さないものに成り下がってしまった。他でもない自分のせいで。
 歌という拠り所を失ってしまった今の千早にとって春香のこの言葉は、崩れてしまった自分の現実を千早の中でより鮮明に浮かび上がらせるだけだった。
 春香には無論他意はまったくない。純粋に千早のことを心配し、またみんなで一緒に歌いたいと願い、千早の弟もきっとその方が喜ぶと思っただけだ。しかし拠って立つべき現実を喪失してしまった今の千早には、そんな風に考えられるだけの精神的支柱と呼ぶべきものがまったく存在していなかった。
 そんな千早の無理からぬ心情は、春香の真心をも拒絶してしまう。「お節介は止めて!」と。その言葉に強いショックを受ける春香。

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 千早宅を辞し、春香は1人事務所へと向かう。具体的にその後の2人のやり取りを描かず、既に千早の家を立ち去った後の場面から描写するというやり方は、2人の別れ方に関しての視聴者の想像力を掻き立てるという点でも巧みな構成だ。
 その様子からみんなから預かってきた荷物はきちんと置いてきたことが窺え、強いショックを受けながらも友人を気遣う気持ちは失われていないことが察せられ、その優しさが明示されているからこそ、事務所の前で1人涙ぐむ春香の姿がより痛切なものとなって、見る者の心を打つ。
 それは「お節介」と言われたことよりも、自分の力では大切な友に手を差し伸べることすらできない自分自身へのやるせなさ、不甲斐無さの方が強かったように見える。なぜなら春香はそういう女の子だから。
 そんな春香に見知らぬ壮年の女性が声をかけてくる。女性は自ら千早の母と名乗ってきた。
 慌てて事務所に案内しようとする春香を制し、母親は千早に渡してやってほしいと、春香にあるものを手渡す。それは亡くなった千早の弟が生前使っていたお絵かき帳だった。千早の歌が好きでずっと千早を慕っていた弟の遺したお絵かき帳を見れば、過去の幸せだった頃を思い出し、少しは救われるかもしれない。それは親としてのせめてもの心遣いだった。
 手渡された春香はしかし、自分ではなく母親が直接千早に渡してほしいと頼み込む。それは千早に対して何一つしてやれない今の自分の無力さを痛感しているからこそ発せられた言葉であり、その点ではいつもの春香らしからぬ弱気な発言だったかもしれない。
 だがそれは同時に春香らしい発言でもあった。他のどんな人よりも血を分けた親が説得に当たることが何より本人にとってためになる。それは春香のみならず普通の人であれば誰でもそう思い至る、極めて常識的な考え方だ。アイドルとのしての立場から降りればごくごく普通の少女である春香がそう考えるのは、当然のことであろう。
 だが千早の家族関係は、そんな春香の常識的な考え方の及ばないところにまで落ち込んでしまっていた。自分はもう信頼されていない、昔からずっとそうだったからという母親の言葉を聞いた時、春香は初めてそれを理解する。親子の間柄ですら、想いを通じ合わせることのできない世界。千早はずっとそんな世界を居場所としてきたのだということに。

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 すべての人間にとって最も身近な人間関係でもある親子関係を、千早はとっくの昔に喪失してしまっていた。そんな千早に対し近親者ですらない春香は何ができるのだろうか。
 千早のことを頼んで去っていく母親に言葉もかけず、会釈すら出来なかったのは、春香の自身に対する疑念が渦巻いていたからであろう。その胸中は去りゆく母親がそのまま画面外に消えるのではなく、フェードアウトしていく形で消えていくという演出からも容易に窺い知れよう。
 また既に千早との関係性を消失している母親は、声を担当した平松晶子氏の抑揚を抑えた鬱々とした演技との相乗効果もあって、千早本人にとっては極めて虚ろな存在であるということを如実に示した演出とも言える。

 事務所の社長室でプロデューサーにお絵かき帳を見せる春香。19話の時もそうだったが、重要な話をする際の場所として社長室がすっかり定着してしまっているのは、アットホームな雰囲気が出されていて心地良い。
 元気のない春香を案じるプロデューサーに、春香は思い悩んでいたことを口にする。自分が千早に対してやっていることは、彼女が言うようにただのお節介なのではないか。千早に限らず普段から多くの仲間たちに頑張ろうと声をかけることも、もしかしたら余計なお世話で迷惑なことだったのではないかと。
 春香の信じているものが通用しない世界でずっと生きてきた千早。千早を大切に想っているからこそ、千早のそんな事情も知らずに怒らせてしまい、彼女に何一つしてやれなかったことへの無力感を覚えてしまったのだろう。
 だがそんな春香の弱った心を、前向きなのは彼女の良いところであり、誰かを励ますことに遠慮などする必要はないと、力強く激励するプロデューサー。そして彼はかつて春香から手渡されたあるものの名前を口にする。
 「キャラメル」。6話で竜宮小町に一歩先を行かれ、焦燥感に駆られていたプロデューサーが、春香から手渡された品だ。
 その時の彼は仕事を取るためだけに躍起になり、奔走しながらも空回りを続けた挙句、ダブルブッキングという大失態まで演じてしまった。もしそのまま進んでいってしまっていたら、彼はダメになっていたかもしれない。そんな彼を救ってくれたのは一個のキャラメルだった。
 それは春香のいつもの小さな気遣いにすぎないものであったが、彼にとってはキャラメルに込められた彼女のその気遣いこそが救いとなったのだ。自分1人が頑張るだけでは意味がない、互いが互いを信じて支え合うことこそが、プロデューサーとアイドルにとって何より大事なことなのだということを、春香のくれた小さなキャラメルが教えてくれたのである。
 自分が立ち直りもう一度みんなと一緒に頑張ることができたのは、あの時の春香の小さな気遣いがあったからと、素直に感謝の気持ちを述べるプロデューサー。

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 千早もまた本来的には人の気持ちが理解できる人間だと述べ、千早に自分の想いを届けるために体当たりでぶつかっていけと春香の背中を後押ししたのも、そんな春香の気遣いが千早を救うことができると、春香の想いを千早はきっと受け入れると信じているからに他ならない。
 互いを信じる絆が、それによって結ばれた者たちを強くする。これは作中で一貫して描かれ続けてきたテーマであり、今話においても重要なファクターとなるものでもあるが、今話中で最初に打ち出されたのが「プロデューサーとアイドル」という、アイドルマスターという作品の根幹を成す関係性の2人に対してであり、殊に対象となるアイドル側の人物が、全アイドルのキャラクター面における基礎とされる存在の春香であるというのが、何とも意味深長である。
 プロデューサーの信頼を受けた春香が再び心を奮い立たせ、力強く返事をするシークエンスは、アニマスという作品、引いては「アイドルマスター」という作品が最も大切にしてきた関係性を改めて打ち出したとも言える。プロデューサーという立場の人間が心底から信じてくれるからこそ、彼女たちはどこまでもその羽を広げて歩んでいくことができるのだ。
 またプロデューサーがアイドルとしてではなく、友を案じる1人の少女としての春香を激励するのも、19話における貴音のやり取りと同様、彼がプロデューサーとして正しく成長してきた証と呼ぶべきものであろう。

 仕事先の楽屋で千早の母から渡されたお絵かき帳を眺める春香。そこには幼い千早の弟が拙いながらも一生懸命描いたと思しき、千早の絵が並んでいた。
 どのページの千早も歌を歌っている姿ばかりが描かれており、弟が本当に千早のことを心から慕っていたことが見て取れ、思わず春香も頬をほころばせる。
 しかしお絵かき帳を見ていくうち、春香にもそして横から現れた美希にも不思議に思えることが一つ浮かんできた。
 絵の中の歌っている千早は、どれも楽しそうに笑った表情を作っているのだ。そしてそんな千早の姿は、春香たち2人が一度も見たことのないものでもあった。

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 弟が亡くなる前の、弟と共に楽しそうに笑顔を作って歌う千早と、弟が亡くなってから、弟のためにと歌を歌い続けながらも、そこに笑顔を作ることは一切なかった千早。
 「弟のために歌い続けなければならない」と話した際の千早の悲愴な横顔と、絵の中の幸せそうな笑顔とを思い浮かべた春香は、その胸中にある想いを抱く。
 その一方でプロデューサーと律子は、開催が迫る定例ライブのプランについて相談していた。内容は無論千早のことである。
 プロデューサーは千早を予定通りに定例ライブに参加させる形で進めようとしていたが、それに律子は難色を示す。
 それは千早が復帰するかどうかもわからず、仮に戻ってきたとしても歌を歌えない今の状況で無理に参加させ、もし失敗したら致命的な傷になってしまうという危惧故のものだった。千早を心配するからこそ無理はさせたくないという、律子なりの優しさがそこから垣間見える。
 何より律子自身もつい先日、諸事情からステージに引っ張り出されて苦戦したばかりであるし、その時律子の心を救ってくれたような小さな奇跡が都合よく起きてくれるものではないということも、十分承知しているからという部分もあったろう。
 しかしプロデューサーはそれでも千早を参加させることにこだわる。その根底には千早、そして春香への強い信頼があった。
 春香を信じているからこそ、彼女であれば苦しむ千早を救うことができると、そして千早であればそんな春香の想いを受け入れ、ステージに戻ってきてくれると信じているからこそ、プロデューサーは自分がプロデューサーとして千早のために出来る、プロデューサーという立場の人間にしかできないことをしようとしているのだ。
 プロデューサーは1人の少女としての春香に勇気を与え、千早の心を信じた。ではアイドルとしての千早のために彼ができること。それは彼女がいつでも戻ってこられる場所、アイドルとして彼女が歌を歌うことのできる場所を用意しておくことだったのである。
 春香や千早のことを信頼しているからこそ、彼はプロデューサーとしてやるべきことに集中することができる。これまでの挿話の中で培ってきた強い信頼関係があるからこその立ち回り方と言うべきであろう。彼のプロデューサーとしての成長の度合いがこれ以上ないほどに明示された良い場面であった。
 そんなプロデューサーたちの前に現れた春香は、2人にある提案を持ちかける。

 ライブも間近に迫ったその日、未だ千早の件でマスコミが騒ぎたてる中、千早は1人微動だにすることなく、部屋の中にこもりっきりになっていた。
 いつからかプロデューサーからの着信音さえ鳴らすこともなくなった携帯電話、無機質に鳴り響く蛇口から滴り落ちる水の音。外からの光は差しこんでいるにもかかわらず、まったく生気を感じさせないような薄暗く青白い部屋が、まったく動的な部分を見せることなくただずっと映し出されるだけという演出は、そのまま千早の心の空虚さを体現していると言える。

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 凍りついたように動かなくなってしまった、自ら動かすことのなくなった千早の心。それは今回の一件に端を発したものではなく、もしかしたら弟が亡くなったその日から、ずっとそんな部分を抱え込んできたものかもしれなかった。
 そんな千早の耳に再び、馴れ親しんだであろう人物の声が届く。その声の主である春香が、あるものを携えて再び千早の元を訪れたのだ。
 その表情が巧妙なカメラアングルで隠される中、春香は以前よりもはっきりとした口調で、持参したものを渡したいからドアを開けてほしいと頼むが、千早は以前と同じように力なく、自分のことはもう放っておいてと告げる。
 その言葉を聞いた春香は全身を強張らせながらもさらにはっきりと、力強い声で千早へと呼びかけた。

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「…ほっとかない、ほっとかないよ!だって私、また千早ちゃんとお仕事したいもん!ステージに立って、一緒に歌、歌いたいもん!…お節介だってわかってるよ。でも、それでも!私、千早ちゃんにアイドル続けてほしい!!」

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 まっすぐに正面を見据え、自分の正直な想いを告げる春香。その表情にもはや迷いはない。プロデューサーが自分の想いを信じてくれたから、千早は自分の想いを受け取ってくれると信じているから、彼女はどこまでもまっすぐに自分の気持ちを千早にぶつけることができたのだ。
 千早の心を救えるかどうかなどわからない。そも「救う」などというおこがましいことは、千早の事情を知った今では簡単に言えるはずもない。
 千早に対し今できることは、千早が自分にとって必要な存在、大切な存在であり、これからもずっと一緒に歩んでいきたいという、自分の偽りない気持ちをぶつけること。それが春香が千早と真正面から向き合う上で導き出した「答え」だった。
 そんな春香の強い想いを目の当たりにし、ずっとうつむき続けていた千早もついに顔を上げる。ひどいことを言ってもなお自分を必要としてくれ、自分のことをずっと見続けてくれた春香の心。それは今まで彼女のいた世界、弟の死後は千早に目を向けることもなくなってしまった両親と共にいた冷たい世界には存在しない、暖かいものであった。
 千早の心にそんな暖かいものが僅かではあれ湧きあがったであろうことは、蛇口から垂れ落ちた水滴の音の変化が何より如実に示している。
 ずっと滴り落ちていた水のかすかな音は、そのまま千早の精神面における低調の度合いを示していたと言える。
 彼女の心は内にこもり、まったく外を向かなくなってしまったために、水滴の音にさえ関心を払うことはなかった。聞こえてはいても頭の中で「音」として認識していなかったと言うべきかもしれない。
 しかし春香の想いを受け、千早の心に僅かな活力が戻ったその刹那、滴る水の音ははっきりと千早の耳に飛び込んできた。水音を外界の「音」として認識する。それはずっと内だけの世界にいた千早がようやく外に目を向けた何よりの証だったのである。
 春香は持ってきたものを置いて帰るが、千早はようやく自分から立ち上がり、春香の置いて行ったものを手に取る。
 そこにあったものは件のお絵かき帳と春香からの手紙、そして千早も知らないとある歌の歌詞。
 その歌詞は春香を始めとする765プロのアイドルたちが、千早のために自分たち自身で作り上げたものだった。
 手紙の文面を読み上げるという形での春香のモノローグに合わせて描かれる、アイドルたちの作詞風景。貴音が筆と短冊を用い、まるで短歌や俳句を創作するかの如き態度を取っているのはニヤリとさせられるところだが、それぞれ作詞という慣れない作業に戸惑い苦心しながらも、皆一丸となって作詞に取り組む様が描写される。

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 映しだされるのはアイドルたちだけではない。ライブ用に衣装を新調した際、千早の分もきちんと用意したのは律子や小鳥さん、そして社長。衣装そのものはピンクダイアモンド765と同様のラグジュアリー衣装であるが、その色は「青」。言うまでもなく千早のイメージカラーである。
 またプロデューサーは作詞作業を進めるアイドルたちにドーナツを差し入れる。これもキャラメルと同様6話において、仲間同士の団結を象徴するガジェットとして重要な役割を果たしたアイテムだ。6話では心を新たに改めて目の前のことに取り組もうとしていたプロデューサーに春香が贈ったものであったが、今話では同じアイテムを、同様の立場にある春香たちのためにプロデューサーが贈ったというのが感慨深い。
 アイドルたちだけではない、765プロに所属する全ての人たちの千早への想いが、その歌詞の中に込められていたのである。
 作詞ノートに綴られたそれぞれの想い。「想い出を力に変える」「夢を叶えるために」「痛みを力に」「みんなと一緒に」「みんなの思いが私を励ましてくれる」…。
 そこにあるのはおためごかしの美辞麗句ではない。1話の時点よりずっと前から、同じ夢を追って共に努力してきた仲間の苦しむ姿に心を痛め、それでもなお力になりたいと、これからも共に歩んでいきたいと願う、その気持ちだけだ。
 今話の「NO MAKE」においても描かれた各人の千早への想い。それをストレートに形にしているだけなのである。
 しかし彼女たちにとってはそれで十分だった。どんな困難があっても強い信頼で結ばれた仲間と一緒ならそれを乗り越えることができるし、実際に何度も乗り越えてきた。そしてその信頼が生み出す力の強さを千早自身もまた十分に理解しているということを、みんな信じているのだから。
 そんな彼女たちの想いが集約された最も大切な、そして最終的に歌のタイトルともなった言葉は、
 ――――「約束」。

 春香の手紙はさらに続ける。「怒られるかもしれないけど」と前置きした上で、春香はお絵かき帳を見た際に浮かんだ率直な気持ちを伝えた。千早の弟はただ歌っているだけの千早でなく、笑顔で歌っている千早が、千早の笑顔が何より好きだったのではないかと。

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 もちろんそれもまた春香の勝手な思い込みかもしれない。だから春香がそのことを断言しなかったのは当然のことだ。本当の答えは弟の優が描いたお絵かき帳の中にしか存在せず、誰よりもはっきりとその答えを知ることができるであろう人物は、描いた本人である優のただ1人の姉に他ならないのだから。
 みんなの想い、優の想い。様々な人たちの想いが千早の心に深く染み渡った時、彼女は想いの証を大切に、そしてしっかりと抱きしめる。
 そんな千早の部屋の窓から少しばかり差しこむ夕暮れの光。千早のイメージカラーの「青」に染まる薄暗い部屋を、春香のイメージカラーである「赤」の光が優しく癒す。それは凍りついていた千早の心が再び動き出したことの、何よりの証でもあった。

 いよいよライブ当日、リハーサルを入念に行うアイドルの面々だが、そこに千早の姿はない。春香も不安の色は隠せないが、そんな彼女の視線の先にあるセットリストには、「約束」の文字が記載されていた。
 プロデューサーもまた先述の言葉通り、千早の戻るべき場所をちゃんと守っていたのである。千早のイメージカラーである青色のペンで強調していたのも、今回のライブで最も重要な曲がなんであるか、誰のためのものであるかを、全員がわかっていたからに他ならないだろう。
 そしてとうとうライブ開始直前にまで時計の針は進むが、未だ千早は姿を現さない。不安がる一同を前に、春香はいつものように全員で円陣を組もうと切りだした。
 13話に14話と要所で描かれてきた765プロアイドルの円陣。それは迷いや不安、恐れといった気持ちを乗り越える強さを互いに与え、12人の想いを一つにまとめ上げる大切な儀式。
 そう、この円陣に「参加」する者は常に12人なのだ。13話で到着が間に合わない竜宮小町の想いも背負ってステージに臨む時、その際の円陣は確かに12人全員の想いをまとめあげていた。そして今回もまた、未だその場に12人目の仲間はいない。しかし春香は彼女が来てくれるとどこまでも信じている。だからこそその想いを改めて仲間たちと共有するために、敢えてここで円陣を組むことを切り出したのだろう。
 そんな春香の想いが届いたのか、手を組んで掛け声をかけようとしたその刹那、真の耳に遠くから響く足音が飛び込んできた。この円陣に参加するべき最後の仲間の足音が。

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 ついに間に合った千早。喜び駆け寄る仲間たちやプロデューサーを前に、それでも拭いきれない不安を口にする千早だったが、そんな彼女の視界に入ってきたのは、ただ1人駆け寄ることもなくその場で微笑みを湛えた春香の姿だった。
 千早がやってきたことを恐らくは誰よりも喜びながら、その場から動かなかった春香。感極まって体を動かすことができなかったというのもあるだろうが、それだけというわけではない。
 春香は自分の想いを素直にぶつけ、千早はそんな春香の想いをまた素直に受け止めて、この場へとやってきてくれた。その時点でこの時この瞬間、春香が千早に向ける想いに言葉は要らなかったのだ。
 春香のやるべきことはただ一つ、千早へ手を差し伸べること。自分たちを信じて再び前を向いてくれた大切な仲間を、仲間として迎え入れることだった。
 そして他のみんなもまた春香と同じ気持ちであったことは、涙を抑え逡巡する千早にあずささんが手を差し出すよう優しく促しているところからも、容易に理解できるだろう。女性的な優しさや包容力を最も強く体現しているあずささんに促す役割を与えたことで、全員の気持ちが同じであることを、言葉を費やすことなく表現しているのである。

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 千早も参加し、全員揃った円陣で改めて号令をかけ、気合を入れる一同。それは12人の想いが一つに繋がった瞬間でもあった。

 ライブは開始し、竜宮小町の3人が歌を披露する中、舞台裏で静かに言葉を交わす春香と千早。
 春香がそうしたように千早もまた今現在の自分が抱く素直な気持ちを訥々と述べるが、春香に対してひどいことを言ったと謝ろうとする千早を、春香本人が慌てて制するあたりは、その時の千早の心情を理解できているからこその春香の善性の発露という意味で、非常に春香らしい対応であろう。
 みんなが作ってくれた歌の歌詞を見て「歌いたい」と思ったこと、笑えるようになるのか歌えるのかどうかわからないけれど、それでもやってみたいと思った千早の気持ちを、言葉少なに受け止める春香。
 「歌を歌いたい」という単純でいてまっすぐな気持ち。それはAパートで春香が千早を説得しようとついて出た言葉そのものだった。千早は歌詞に込められたみんなの気持ちを受け止めたからこそ、そんな風に思えるようになったのである。
 そんな気持ちにまだ迷いながらも、その戸惑いも含めて千早は春香にすべて話してくれた。それは仕方のないこととは言え、弟のことや歌に対する思い入れの理由を黙して語ることのなかった千早が初めて打ち明けた、自らの心の弱さだった。
 千早が自分にその心情を打ち明けてくれたことがどれほど嬉しかったか、その気持ちは春香の表情や言葉にはっきりと示されている。
 千早の吐露する心情を少し目線を逸らしながら聴き、千早からの「ありがとう」の言葉にも言葉少なに首を振る。それはほんの少しでも気を緩めたら、涙が零れてしまいそうになるが故の行動ではなかったか。涙が零れそうになるほど千早の一言一言が嬉しかったからこそ、これから最も大きな困難にぶつかっていかなければならない今の千早には、自分の涙を見せてはいけない、抑えなければならないという優しさからのものだったのではないか。
 春香の表情や目の動き、瞳の輝きからは、そんな胸中をも見て取れるのである。

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 そして千早の出番が巡ってきた。千早を促すプロデューサーももはや多言を費やすことはない。彼は千早の戻るべき場所を守り、千早はその場所に戻ってきた。それだけで2人の想いもまた十分に通じ合っているのだから。
 ステージから退場する伊織に後を託され、千早はゆっくりと足を進める。13話でのライブにおいて輝く美希の姿を見届けてからステージに向かった千早は、今は逆に多くの仲間から見守られる立場となってステージに立った。
 事前の発表もなく突然ステージに姿を見せた千早に、集まっていた観客たちも俄かにどよめき立つ。
 春香たちが舞台袖から固唾を飲んで見守る中、曲のイントロが流れ始め、意を決した千早もゆっくりと口を開く。
 しかしその刹那、千早の脳裏に浮かんできたのはまたしてもあの時の辛い記憶だった。歌いたいと願う千早の気持ちを押し込めるように蘇ってきたその記憶は、またも千早から歌声を奪ってしまう。

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 やはり千早の体は完全に元には戻っていなかったのか。異常を察した律子が曲を止めるよう指示を出すが、その横をマイクを握った春香がさっと走りぬける。彼女はそのまま迷うことなくステージへと飛び出した。
 春香を止めようとする律子を制したプロデューサーは、そのまま曲を流し続けるようスタッフに頼む。それはライブという舞台で失敗したら余計に大きな心の傷を背負うかもしれない不安と、歌いたいという千早の素直な想いを無下にしたくないという優しさ、そして何より千早を信じたいという強い想いが、ギリギリの中でせめぎ合った末の決断であったことは間違いない。その上で彼は千早と、彼女を案じて真っ先に飛び出した春香を信じることにしたのだ。
 どうしても歌うことができずにうなだれてしまう千早。自分にはやはり歌うことはできないのかと絶望し諦めかけた千早の耳に、本来なら聞こえてくるはずのない春香の歌声が響いてくる。

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 ステージに飛び出した春香はそのまま千早の横に立ち、千早の代わりに歌を歌い始めたのだ。驚く千早に笑顔を向けながらも、春香の顔に汗が浮かんでいるのは、決して急いで走ってきたからだけというものではないだろう。
 元々は千早のソロ曲として用意されていたこの歌、歌詞こそ自分たちで作詞したものの、もしかしたらボーカル練習自体はさほど行っていなかったかもしれず、そんな中で千早の代わりにいきなり歌うことは不安以外の何物でもないはず。何より予定を大きく覆す形でステージに飛び出してしまったこと自体、ややもすればその後のステージ進行に大きな影響を及ぼしかねないし、自分が失敗でもすれば結果的に千早自身をも苦しめることになってしまう危険もあったのだ。
 しかしそれでも春香は飛び出した。ただ千早の力になるために全てのしがらみを向こうに回し、飛び出していったのである。
 そしてその想いは春香だけのものではなかった。千早の境遇を我が事のように悲しみ涙したやよいや雪歩に亜美と真美、千早のために何かをしたいとずっと考えてきた伊織に真に響、そして千早のための歌作りに情熱を燃やしたあずささんや貴音に美希。すべてのアイドルたちがステージに上がり、同じ歌を歌い始めたのだ。

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 こんな状況にあってなお仲間たちは自分を支えようと、力になろうとしてくれる。そこに打算などは存在しない。ただ同じ時を過ごしてきた仲間を大切に想っているだけ。言葉にすればただそれだけのことであるが、その想いはしっかりと千早に届き、今また絶望の中に陥りかけた千早を救ってくれた強い絆を生み出す力となっていたのである。
 千早のために作った歌を、今度は千早のために歌う。それは千早に笑顔になってほしい、みんなで一緒に痛みを越えていきたいという、歌詞の中にも込められたそれぞれの想いが形となったものだった。
 そんな彼女らの歌声の中、千早の眼前にあるビジョンが広がる。そこにあるのは在りし日の優の姿、歌う千早をいつも笑顔で見ていてくれた弟の姿だった。
 いや、在りし日の姿ではない。優は昔も今も千早の中で、ずっと笑顔で見続けてくれていた。正確に言うなら事故という「瞬間」の記憶に縛られ続けた千早は、自分の中にある優との楽しかった思い出さえもすべてその記憶に繋げ、心の重しとしてしまっていたのだ。
 仲間たちの想いと支えを受けた千早は自分の素直な気持ちと向き合うことで、初めて弟との思い出を事故の記憶と切り離し、素直に振りかえることができた。だからこそ千早には単なる思い出の投影像ではない、今の千早に願う優のビジョンが見えたのである。千早のことが大好きで、千早も大好きだった弟なら、今の自分に対してもきっと言ってくれるであろう、望むであろうことが、千早には誰よりわかっているのだから。
 そしてそんな千早の気持ちを後押しするように脇から姿を見せる幼い千早の幻。それはただ純粋に歌が好きで歌っていた頃の、事故以来いつしか心の奥底に封じ込めてしまった千早の想いそのものだったのかもしれなかった。
 そんなかつての想いに誘われるように、千早は幼い自分の手を取り、前を見据えて再び口を開く。
 仲間たちからの信頼、弟の望み、そして何よりそんなみんなの気持ちに応えたいと願う自分の気持ち。すべてとまっすぐに向き合い受け入れた千早は、力強く高らかに想いをこめて歌い始める。多くの人たちと交わした「約束」の歌を。

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 蘇った千早の歌声に思わず声を上げて喜ぶプロデューサーに、感極まって涙を流す律子、コーラスに徹して千早の歌唱を盛り上げるアイドルたち。そしてそんな千早の姿を、寄り添いながら嬉しそうに見つめる2人の幼い姉弟…。
 歌い終えた後、会場にいたすべての人たちが千早を祝福する中、笑顔で手を振る幼い千早と優の姿を目に留めた彼女は、笑顔を作りながらいっぱいの涙を流す。
 それは長い苦悩の果て、様々な人と紡いだ心の絆によって絶望の呪縛から解き放たれた、歌が大好きな1人の少女の歓喜の涙であった。

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 本編の流れを継承する形で導入されたEDのテーマ曲は、千早たちが披露したものと同じ「約束」。その歌に乗ってライブ後の各人の様子がゆったりと描かれているのだが、ほぼすべての映像に姿を見せているのは、幼い千早と優の幻だ。
 舞台裏に下がり、感極まって千早と抱き合う美希、千早の復活を喜ぶ面々、その知らせを受けて喜ぶ小鳥さんたち事務所待機組。それぞれの様子を陰からチラチラと見やる2人の表情は、これ以上ないほどに微笑んでいる。
 まるで千早の歌が多くの人を幸せに、笑顔にしたことを確認していくかのように。
 そしてラスト、幼い子供のように手をつないで事務所への帰路を急ぐ千早たち。春香ややよいが半ば強引に実施したのか、アイドルたちの仲の良さがよくわかる場面ではあるものの、千早が少し気恥ずかしそうに弱く手をつないでいるところが微笑ましい。
 そんな彼女はとある交差点の横断歩道で、前からやってきた2人の姉弟とすれ違う。他の誰にも見えていないであろうその姉弟は、しっかりと手をつないで横断歩道を渡りきり、千早と反対の方向へと消えていった。
 あの日、弟の手を握ることの叶わなかった千早。しかし目の前の姉弟は手をつないだまま走り去って行った。どこまでも楽しそうに、幸せそうに。

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 そんな2人の表情を見つめる千早の顔は笑顔であるが、同時に一抹の寂しさが浮かんでいるようにも見える。呪縛を振り切った千早は、もう幼い頃の思い出だけを拠り所に生きていくことはできない。今までそんな世界でずっと生きてきたからこそ感じた寂しさだったのだろうか。
 しかし今の彼女にあるものはもう過去の思い出だけではない。信頼という強い絆で結ばれ、「トップアイドルになる」という同じ目標を持って共に歩める、そしてどんな時でも彼女のことを想ってくれる大切な仲間たちがすぐ近くにいるのだ。
 千早はもう過去の思い出にすがらない。思い出もまた自分を支えてくれる大切なものの一つとして、いつまでも心の中に生き続けるものとなったのだ。
 幼い2人はそんな千早の変化を見届けて去り、千早はそんな2人に自分はもう大丈夫であることを伝えたのかもしれない。そんな風に感じられるクロージングであった。

 今話に関しては今更「今話のテーマ」的なものをここで説明する必要はないだろう。その上で敢えて言うならば、今話は1話から19話までのすべての挿話があって初めて成立する話でもあった。
 無論これまでの話の中で、千早と他のアイドルたち全員の信頼関係や絆といったものを、殊更に強調してい描いてきたわけではない。しかしアニマスという作品に限って言えばそれが正解なのだ。
 信頼関係というものは、それこそゲームのように大きなイベントが起きて初めて深まるわけではないし、明け透けな言い方をするなら、いわゆる「フラグ」を立てれば簡単に成立するような代物でもない。
 アニメ版アイドルマスターという作品は、19の挿話の中で少女たちのアイドルとしての日常を丹念に描いてきた。彼女たちにとっては何気ない日常風景を積み重ねていく、その積み重ねの中に信頼関係が築かれ、育まれていく様を活写してきたのである。
 信頼とは特別なイベントやフラグによってではなく、共に過ごした日々の中で静かに、そして確かに育まれるもの。作品はその理念をさり気無いながらもしたたかに主張する。その理念が最大限に炸裂したのがこの20話であったと言えるだろう。
 千早と直接かかわる存在を春香に設定したことは、そんな作品の理念を体現するものとして、まさしく正しい判断であったと言える。
 今更言うまでもないことだが、春香は「アイドルであることを除けば普通の女の子」という性格の少女である。11話で千早の家を訪れた時も、気の利いたセリフ一つ言うことはできなかったし、今話にしても「親なら子供の心を開くことができる」という一般的な常識を持って千早の母親に接してもいた。
 特別な能力など持たず、器用に立ち回れるような要領の良さなど持ち合わせているはずもない、本当に普通の女の子。それが天海春香という少女なのだ。
 だがそんな彼女だからこそ、千早の心を救う最も大きな存在となることができた。絆で結ばれた千早という友人を想い案じ、彼女のために何かをしたいとあきらめずに奮闘し続ける。何のことはない、春香は千早を大切に想っている、それだけのことである。ただそれだけのことをどこまでも想い続けること、それが何より強い力と絆を生み出す源となった。
 春香は特別な力などない普通の少女だからこそ、普通の少女、ひいては普通の人間がごく当たり前に持っているはずの善性、すなわち「仲間を大切に想う」気持ちを誰よりも強く発揮した。それは春香でなければできないことだったのである。
 そしてそんな春香を触媒として他のアイドルたちの善性も引き出され、「千早のために」というただ一つの目的のために集約され、最大限の力を発揮し、千早の凍てついた心を溶かす。それが今話のすべてだったのだ。
 「人の幸せを喜び、人の不幸を悲しむことが、人間にとって最も大切なこと」とは、とある偉大な漫画家が自作の中で述べた理念であるが、彼女たちはその「最も大切なこと」を皮膚感覚で理解していた。
 ごく自然に仲間を想い、人を思いやる事の出来る少女たちがアイドルとして、多くの人たちに幸せを与える世界。制作陣の創造したアニメ版アイドルマスターの世界とは、どこまでも人間らしい優しさに満ちた暖かい世界であったと言えるだろう。

 と、ここまで感想を書いておいていささか反則気味ではあるが、少々言い訳めいたことを書いてみると、上記の感想だけで20話の魅力が伝えきれたと言い切ることはできない。それだけ今話はワンカット、ワンシーンごとの情報量が非常に多く、一度にそれらすべてをフォローした上で感想を書くことは、情けない話ながら僕の筆力では到底及ばないことだった。
 (かと言って今までの話はすべて一度の感想の中で魅力のすべてを伝えられたのかと聞かれたら、ノーと答えざるを得ないのだが。)
 当ブログで扱いきれていない分は他の感想ブログを見ていただければ良いのだが、ここまで感想を書いた身としては、やはり直接映像作品を視聴されることをお薦めしたい。
 今話のみではなく、出来れば1話から順番に見てもらえれば、今話の素晴らしさをきっと理解して頂けると思う。

 さて次回。

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 再び一つとなった765プロアイドルの絆。そんな彼女たちを待ち受ける次の問題とは何であろうか。
 …ちなみに余談ではあるが、今回の予告編は高木社長役の大塚芳忠氏とプロデューサー役の赤羽根健治氏がコミカルなやり取りでナレーションを行っているが、本編のシリアスな空気に圧倒された後に用意されたこの予告編は、良い意味で視聴者を脱力させ、張りつめた緊張を解きほぐす効果があった。
 制作陣にそこまでの狙いがあったかどうかは不明だが、本当のところはどうだったのだろうか。
posted by 銀河満月 at 01:33| Comment(0) | TrackBack(17) | アニメ版アイドルマスター感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする