2011年10月31日

アニメ版アイドルマスター17話「真、まことの王子様」感想

 前回の16話の感想は、何が言いたいのかをまとめることが出来ていない中途半端な内容になってしまった。
 ネット上での批判的意見を意識しすぎて、変に擁護の要素を入れようとしてしまった結果である。
 基本的には作品を見て思ったことや感じたことを素直に書くことを心掛けてはいるのだが、それを実行するのはやはり難しいと改めて思い知らされた。今後はその辺を注意して書くようにしていければと思う。
 個人的に16話が水準作であるという考えは変わっていないけどね。

 で、今回の17話においてフィーチャーされたのは真。このアニメ版アイドルマスターにおいては、春香の次に画面上に登場したアイドルであり、今までの話の中でも様々な場面で存在感を発揮してくれた好キャラクターでもある。
 監督を務める錦織敦史氏お気に入りのアイドルということもあって、いつどのような話の中で真が描かれることになるのか、アニメ放送開始前からファンの間で話題になることも多く、そういう意味では通常時以上にファンの耳目を集める話でもあったわけだ。

 菊地真という少女は見たとおり美少年を想起させる中性的な容貌の持ち主。13話におけるライブ以降生まれた人気の原動力も、そんな真の見た目に惚れこんだ女性ファン中心のものであることが、冒頭のアバンで描かれる。
 しかし「王子様」とまで形容されるほどの少年的な容姿に比して、真本人は人一倍女の子らしさに憧れる少女。アイドルを目指した直接の理由も「アイドルとしてやっていけるような可愛らしい女の子になりたい」という願望からだ。

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 だが現実はそうもいかず、変装して少女漫画雑誌を買う中でも中高生や主婦といった幅広い層の女性ファンに遭遇、さらには事務所前に待機していた大勢の女性ファンからプレゼント攻勢を受けると言った具合である。
 ファンのそういった声に嬉しさを感じる一方で、自分が本当になりたかった「お姫様」になることができず、そう見てもらうこともできない現状を愚痴る真。
 真からすればかなりお寒い状況ではあるものの、15話での一コーナー「菊地真改造計画」を思い返してみればわかるとおり、真にとっての美少女像やお姫様像とはかなり現実離れした少女漫画的なもの、しかもかなり古い時代の代物である。
 それはAパート冒頭で、真本人が渾身のアフレコ付きで解説していた少女漫画の内容からも容易に窺い知ることができる。真は大真面目に「白馬の王子様」に憧れ、恋い焦がれる乙女なのだ。

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 漫画の内容に合わせて本人の目まで昭和の少女漫画チックな星キラキラになってしまうのも楽しい演出だが、そんな真の興奮とは全く対照的に、同席していた春香と千早、そしてプロデューサーが努めて冷静に応対するものだから、その熱の差が尚更おかしさを増幅させている。
 ただそんな対応をしていても、他の3人が決して真の夢や憧れをバカにしないというところが、4人の平時からの仲の良さを匂わせていて良い。この輪の中に千早がきちんと入っているというのも注目すべき点だろう。

 見た目だけでなく自分の女の子らしいところも見てほしいと不満を並べる真の横で、自分の携帯電話にかかってきた電話の発信者名を見て、表情を曇らせる千早。

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 発信者名は「如月千草」となっており、名前から察するに千早の母親らしいのだが、もしそうなら初めて千早の母親の名前が公式媒体で明示されたことになる。
 11話での千早の発言通り、千早の両親は既に離婚しており、如月姓のままで電話に登録されていたのは、本編序盤の歌以外にはさして興味を抱かない頃の千早であれば、当然そのままいじらずに放っておくだろうとも思えるが、以前よりは周囲に目を向けるようになった現在の千早においてもなお名称変更していないあたり、自分にとって決して良い存在ではなかったはずの母親の存在に触れることさえ拒んでしまっている、千早の屈折した心境が垣間見えるだろう。
 千早が席を離れる一方で、真はまだまくし立てていた。可愛らしいポーズをとれば女の子らしく見えると力説するものの、横のテレビで流れるCMでの真は非常に様になっているカッコいいポーズを取っており、真は落ち込んでしまう。
 そんな真を励ます春香だったが、逆に真から「春香はアイドルとしてみんなからどう思われたいのか」と質問され、答えに詰まってしまった。
 このこと自体が後々春香の物語としての伏線になり得るかどうかは、今後の展開を見守るしかないところではあるが、個人的にはさほど重要なことではないように思える。
 さて落ち込んでしまった真を元気づけたのはプロデューサーだ。と言っても「真も最近は色っぽく見られるようになった」と言った後にアイコンタクトで春香に同調を促している辺り、明らかに嘘だと察することができるのだが、根が単純な真はそれを聞いてすっかり機嫌がよくなってしまった。

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 こういう場合はまさに嘘も方便というやつであるが、この種のやり取りはゲーム版におけるコミュニケーションの再現であると同時に、嘘であることを顔に出すことなく口にして、真のご機嫌を取り、且つ担当アイドルである真の性格もきちんと把握できているほどにプロデューサーが成長してきたことをも示唆している。
 またアイコンタクトによる意思の疎通をそつなくこなしている辺り、春香とも良好な信頼関係が築けていることがわかり、今日一日仕事でプロデューサーを独り占めできると話す真を冗談交じりに春香が羨ましがるのも、もしかしたら本音が混ざっていたのかもと考えると面白いかもしれない。
 そしてそんな春香と真のやり取りを「バカなこと言ってないで」と一蹴するプロデューサーは、彼女らとは仕事上のパートナーであるという一線を自分から壊すことは決してないという意味で、やはりプロデューサーの鑑であろう。

 プロデューサーと共に向かった先の仕事は番組収録。イケてる男性タレントを扱うのがメインの番組のようで、真は女性であるにもかかわらずゲストとして呼ばれたわけだが、事務所で見せた複雑な感情はおくびにも出さず、見事に「王子様」の姿を見せる真からは、プロのアイドルとして確実に成長してきた跡が見て取れる。
 しかし成長したとは言え、真もまだまだ発展途上のアイドル。同じゲストとして同席していたジュピターの天ヶ瀬冬馬から挑発を受けた真は、本番中であるにもかかわらず声を荒げてしまった。
 その場は本人の機転で取り繕い、結果として自身の好感度まで上げることができたのだが、14話での表紙乗っ取りや16話での響に対する策略などの卑劣な手段をどうしても許せない真は、本番終了後も露骨に961プロへの嫌悪感を示す。
 直情径行で且つ正義感も強い真にしてみれば当然の感情ではあるが、真本来の長所と言えるこういった部分が逆に彼女自身の男っぽさを強調してしまっているのも事実であり、ある種の皮肉とも言える。
 そんな彼女のまっすぐさ故の攻撃性は本番終了後、冬馬に再び挑発された際にも発揮されかかってしまうが、比して冷静なプロデューサーは両者の間に立ち、真に代わって冬馬の相手を務める。

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 この構図は14話での言葉通り、961プロ関連のことはプロデューサーが一手に引き受けるという決意からの行動そのものであり、同時にゲーム版「2」において打ち出された「プロデューサーがライバルからアイドルを守る」構図を明瞭に図式化したものと言える。
 と、そこにまたもや現れる黒井社長。例によって大袈裟な文句や変に捻った修飾語を用いて揶揄してくるあたりに小物臭を漂わせているが、真にはそれを判断できるほどの余裕はなかったようで、黒井社長の露骨すぎる挑発に思わず激昂してしまう。
 そんな中でジュピターの伊集院北斗が1人、黒井社長の演説を苦笑交じりに聞いているというのが興味深いところだ。この北斗の態度やプロデューサーとの会話時に見せた冬馬の表情などの理由は、「2」を一通りプレイしていれば大体分かることではあるのだが、その辺をアニメ版ではどう見せるのか、それもまた気になるところではある。

 黒井社長に挑発されたにもかかわらず、正当に反論することもできないまま終わってしまった真は、その鬱憤を晴らすかのようにプロデューサーを連れ、ゲームセンターでガンシューティングゲームに興じる。
 だが頭に血が上ってしまっているからか、弾丸のリロードも満足に行えず、結局あっさりと敵にやられてしまった。
 1話の時点でその片鱗を見せてはいたが、真は直情径行な性格ゆえに一つのことに拘り始めると極端に視野が狭くなる傾向がある。今回のゲームや番組本番中での思わぬ失態もそれが一因だったわけだが、相手に対して嫌悪や反発心といった、どちらかと言えばマイナスの感情を持った時に限って失敗しているというのは、今話の後半へ向けたアニマスお得意の暗喩であろう。
 1人リタイヤしてプロデューサーのプレイを見つめる真。父親の方針によりゲームで遊ぶことができなかった彼女に反して、そつなくゲームをプレイするプロデューサーの姿にどこかしら「男の人っぽさ」を感じた真は、そのままプロデューサーをゲームセンターから連れ出してしまった。

 今日一日、プロデューサーにとことん女の子扱いしてもらうと決めた真は、服屋で女の子らしいスカートに着替えた上で、「デート」と称してプロデューサーと共に遊園地へ繰り出す。
 この時の「せっかくのスカートなんですから」という真のセリフは、他のセリフと違って女の子らしい恰好ができた嬉しさと、少しばかりの気恥ずかしさや照れくささといった感情が入り混じったような調子になっており、このセリフ一つで真の今現在の胸中を表現しきっていると言っても過言ではない。非常に秀逸な一言であった。
 そして真の個人楽曲である「自転車」に乗って描かれるデートシーン。

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 遊園地で様々な乗物に乗って遊ぶという流れは、デートコースとしては定番そのものに思えるが、それこそ漫画の中に出てきそうな定番コースを回ってのデートこそ、真にとってはまぎれもない「夢」だったのだ。そう考えると元来怖がりな真があえてお化け屋敷に入ったのも、漫画などのお話の中で描かれる定番的な描写(お化けを怖がる少女を相手の男性がかばい守る)への憧れから来たものだったのかもしれない。実際には彼女はプロデューサーを置いて1人全力逃走してしまったわけだが、真の中でそういう憧れが作用していたのかもしれないと考えると、その一連のシーンがより微笑ましく感じられるのではあるまいか。
 デートと言えば12話での美希とプロデューサーの道中が思い出されるが、あちらは結果的にそう見えるというだけの話であって、プロデューサーはもちろん美希としてもそういう考えは頭の中になかっただろうから、実質今回の真たちのデートが、アニマスで初めて描かれた「アイドルとプロデューサーのデート」ということになる。
 無論このデートは互いの恋愛感情から来たものではないのだが、ゲーム中でもデートと明言された上でこういう行為が公然と行われることはさほどなかったことを考えると、アニマス作中で初めて明確にデートを体験する立場となった真の扱いは、やはり破格なものと言わざるを得ない。
 しかし前述のように真にとっては女の子扱いしてもらう一環としてのデートだし、プロデューサーに至ってはそもそもデートという概念の元に行動しておらず、本人の言葉にもあるように兄妹付き合い程度の感覚しかない。BGMとしてかかっている「自転車」も、真の快活なイメージに合わせた爽快感溢れる恋愛ソングで、恋愛感情よりもその爽快感の方が前面に押し出されている楽曲であることも含め、プロデューサーを恋愛対象として描写することを徹底的に排除することで、恋愛成分過多にならぬよう演出上のバランスを取っている。
 このあたりはあくまでプロデューサーを介添え役、狂言回しとしての立ち位置に設定しているアニマスの大前提を堅守したというところか。真の「自分たちは恋人同士に見えるだろうか」というセリフも、あくまでデートの雰囲気そのものに酔いしれているところから出てきた言葉であって、プロデューサーへの格段の思い入れから出た言葉ではないであろうことにも留意しておくべきだろう。
 そんな中にも「堂々としていれば意外にばれないもの」と、道行く少女たちからの視線を軽く受け流す真の描写を挿入し、ただファンから逃げたり隠れたりするだけではない、成長したアイドルとしての経験値の高さを盛り込むあたりはさすがである。

 そんな折、仲良さそうにしているとある父娘の姿を見た真は、感じ入るところがあったのか、的当てゲームに興じつつプロデューサーに自分の過去を語りだす。
 真の父は彼女を男の子として育てたかったらしく、スカートのような女の子らしい服を着ることも、可愛い物を家に置くことも許さなかった。だからこそ真は「女の子らしさ」に、そして彼女にとって最も女の子らしい存在である「お姫様」に憧れるようになった。真がアイドルを志したのも、自分がいつかそういう女の子らしい女の子に変われることを夢見たからである。
 だが現実はどこまでも王子様扱い。どれだけ自分が女の子でありたいと願っても、周囲からは「理想の男の子」として見られてしまう。それがアイドルとしての自分への好意から来ているものであることを十分知っているから否定することもできず、しかし結果的にそれが彼女を縛りつけてしまっていることもわかっているから、余計に苛立ってしまうのだ。
 真がアイドルを目指した理由そのものは1話の時点で既に触れられてはいたが、自分の内面と周囲の期待や見る目からくるギャップは、第1クールの時点ではそれほどクローズアップされていなかった。彼女がそれを大きなジレンマとして抱え込んでしまったのは、13話以降の躍進によりファン人口が増えたからに他ならない。
 そういう意味では彼女の悩みもまた16話の響同様、人気アイドルとして成長したからこそ生じたものと言える。14話で示された通り、アイドルとして人気が高まれば周辺の環境や状況も変わっていかざるを得ず、その変化も決して良い結果ばかりを生み出すわけではない。961プロの横槍が顕著であるが、真の内面と外面とのギャップが以前より肥大化してしまったことも、変化によるマイナスの影響によるものと言えるわけだ。
 しかしそんなジレンマを抱えつつも、自分を王子様としてしか見ないファンを決して否定せず、「女の子としても見てほしい」という前向きな願望を抱けるところが、真という少女の良いところであろう。

 さてそんな真の苛立ちも、的当てゲームの景品としてクマのぬいぐるみを貰ったことで一旦は落ち着いた。
 再びプロデューサーと共に遊びに興じようとする真だったが、そんな時に2人の少女が不良たちに絡まれている現場を目撃してしまう。
 このような場面を放っておけない真はプロデューサーの制止も聞かず、ぬいぐるみを集めて1人飛び出していってしまった。
 自分よりもずっと体の大きい不良を相手に一歩も引くことなく構えを取る真。しかしあわやという時、真が「アイドルの菊地真」であることに気づいた少女たちの方が、状況をすっかり忘れて真を取り巻きだした。

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 一触即発といった緊迫感のあるシーンが一気に脱力感溢れるシーンに変わってしまったわけだが、これが元をただせば助けに入った真自身の、アイドルとしての魅力と認知度に起因しているというのもなかなか面白い。
 しかしすっかり存在を忘れられてしまった不良たちの方は面白くない。悪態をついても真はともかく少女たちからは完全に無視されてしまっているため、腹を立てた不良の1人が思わず真に殴りかかる。
 その刹那、真の目の前に飛び出し、真をかばってまともに殴られてしまったのはプロデューサーだった。

 結局騒ぎの方は真に気づいた女性ファンが大量に集まってきたため、なし崩し的に収拾がつく形となった。
 結果的にプロデューサーに迷惑をかけただけになってしまい、自分の軽率さを詫びる真だが、プロデューサーは穏やかに「負けることはないだろうが」と前置きした上で、顔に怪我でもしたら大変だったと呟く。それはアイドルとしての真と同時に、女の子としての真を案じた結果の発言だった。
 アイドルとしてだけでなく、年頃の女の子としての彼女らとも正面から向き合って接することも、プロデューサーとして大切なこと。これは12話でプロデューサーが紆余曲折の末に学んだことであり、今回の行動も発言もそれが彼の中でしっかりと根付いていたからこそのものであったのだろう。
 尤も一発殴られただけで伸びてしまうのはお世辞にも格好の良い姿とは言えず、本人もそれを自嘲気味に語るが、しかし真は自分とは違うと続ける。

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 真は危機に陥っていた少女たちを助けるため、一も二もなく駆けつけた。それは少女たちにとってまぎれもなく「お姫様を助ける王子様」の姿であった。真が何より憧れた「王子様に助けられるお姫様」という夢を、本人も気づかぬうちに2人の少女に見せていたのである。
 アイドルは自分個人の夢を追いかけるだけの存在ではない。多くのファンをそのすべてで魅了し、夢を見せることもまた、アイドルに欠くべからざる大切な要素なのだ。「自分がどう見られたいか」だけではなく、「自分を周囲にどう見せるべきか」を模索し、その結果をそのまま自分自身の姿として映しだすことが、アイドルにとって重要なことなのである。
 夢を見る立場であった少女が、いつしか他人に夢を見せる存在になっていく。それは単なる個にすぎなかった少女が公の存在として世間に認知された証左の一つでもあり、真に限らず765プロアイドルが成長していく上で変わっていった部分でもある。彼女たちがアイドルとして成長した証であると同時にさらなる成長をも促進するという点では、変化によるプラスの影響と言える。
 アイドルだからこそ持ち得る、周囲に良い影響を与える力。8話であずささんが見せたようなそんな力を真は知らず知らずのうちに備え、発揮していた。そしてそれは彼女が内心の葛藤を抑え、男っぽさを前面に出して王子様に徹していたからこそのものである。
 真の中にある「男っぽさ」は決して否定したり排除したりするべき対象のものではない。それもまた立派な個性であり、菊地真という少女、そしてアイドルを構成する大切な部分の一つなのだ。
 そう考えて今話を見返してみると、真は自分の中にある男っぽさそのものを否定してはいない。自分が男っぽくなってしまった最大の要因である父親に対しては複雑な思いを抱いているものの、先述の通りファンと接する際にはファン心理を考えた上で王子様をきちんと演じているし、961プロやジュピター相手には対決姿勢を崩さない。曲がったことが許せず困っている人の元にはすぐ駆けつけ、徒手空拳で相手をすることも辞さない覚悟を見せる。
 自分の個性に対して真が愛憎相半ばと言った感情を抱いている点は否めないが、決して後ろ向きな考えに陥って否定することはなく、前向きな姿勢を崩したりはしない。だからこそその個性が真のアイドルとしての魅力をより強く輝かせることになったのだろう。自分自身を嫌うような人間が他人に好かれるはずもなく、ましてアイドルとして大成できようはずもないのだから。

 すっかり陽も沈みライトアップが施された夜の遊園地で、2人はメリーゴーラウンドの前に辿り着く。数々の綺麗な照明に彩られたメリーゴーラウンドをうっとりとした表情で見つめる真に対し、プロデューサーはまるでお姫様をエスコートするかのような口調でメリーゴーラウンドに乗るよう誘う。

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 突然の呼びかけに戸惑いながら、お姫様でなくお殿様口調で返事をしてしまうあたり、真のそそっかしい一面が見えて楽しいが、さらに真はメリーゴーラウンドの馬ではなく、馬車のほうに乗るよう促される。無論それは今の真が王子様ではなく「お姫様」だからだ。
 そんなプロデューサーの気遣いを受け、真は「他に誰もいないから」と今回だけ王子役をプロデューサーに任せ、馬に乗ってもらうことに。
 眩い輝きの中を動き出すメリーゴーラウンド。馬車の中から見える光景にしばし真は見とれてしまう。
 今乗っている馬車そのものは遊園地の遊具にすぎず、どちらかと言えば幼稚な部類に入る代物である。しかしメリーゴーラウンド自体に乗ったことはあっても、恐らくは馬車のほうに乗ることはなかったであろう真にとって、十分に嬉しい出来事であるということは容易に想像できる。
 もちろん真自身が「お姫様」として見られるよう変わったわけではないし、目の前の馬に乗っている男性も「王子様」と呼ぶには無理があるプロデューサーである。しかしアイドルとしての真と少女としての真、両方を理解するよう努めてくれ、男として女の真を守るために体まで張ってくれたプロデューサーに対し、今まで以上に強い信頼の念を抱いたことは確かだろう。
 そして今またプロデューサーは彼女にほんの一時、ささやかなものとはいえ、彼女の望んだ夢の一部を見せてくれた。それは大勢のファン、すなわち他人の夢を叶えるために奔走してきたアイドルを、わずかな時間ではあれど夢見る普通の少女に立ち返らせてくれた、最大限のご褒美でもある。
 プロデューサーのそんな心遣いと優しさがどれほど真の心を幸せにしてくれたか、それは馬車の中でクマのぬいぐるみを抱きしめながら浮かべる真の笑顔を見れば、言わずもがなというところであろう。

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 やっと事務所に帰ってきたプロデューサーと真を迎えたのは、亜美真美と美希の3人。亜美のプロデューサーへのぞんざいな態度も笑えるところだが、「遊園地でデートした」という真の言葉を聞いて3人とも俄かに色めき立つ。

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 プロデューサーをハニーと呼ぶ美希が騒ぐのは当然として、亜美真美の場合は単に「遊園地で遊んだ」という事実を羨ましがっているだけなのだろうが、物語そのものにはあまり絡んでいない部分でもキャラの個性に合わせた人物配置が行われているのには好感が持てる。
 デートと言う言葉を聞いて一番露骨に騒ぎ立てるのは、恐らくこの3人であるはずだから(ちなみにそれ以外の何人かの反応については、今話の「NO MAKE」にて視聴可能)。
 真は中途半端ではなく、真面目な気持ちで向き合って「王子様」をやってみるとプロデューサーに告げる。その真の口調はAパートの頃とは打って変わって穏やかなものだ。
 もちろんお姫様になる夢を忘れたわけではないが、いつかたった1人、自分のことを女の子として大切にしてくれる人が現れるのなら今はそれでいいと話しつつ、持ち帰ったクマのぬいぐるみを事務所に飾りつける真。

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 ここでキーポイントになるのはクマのぬいぐるみだ。的当てゲームの景品としてBパートのほとんどに登場するこのぬいぐるみだが、今回の話をよく見てみると、これは真の女性的な面を強調するアイテムとして機能していることがわかる。
 不良たちと対峙する時、メリーゴーラウンドで最初に馬に乗ろうとした時、どちらも真はぬいぐるみをプロデューサーに預けていた(後者の場合は「恐らく」)。どちらも真の男性的な面が強調されているシーンであるがそれ以外、ぬいぐるみを抱いているシーンの真は、可愛い物を素直に可愛がる女性的な表情が一貫して描かれている。
 ぬいぐるみを持っている時の嬉しそうな表情と、ぬいぐるみを手放した時のキリっとした表情、一見相反しているようなこの2つの表情を生み出す個性を、一まとめに内包していることが真の魅力であるということ、と同時にその女性的な面を自分1人では、それこそ15話のようにうまく披露することができず、ぬいぐるみのような「第三者」の介添えがまだ必要になってしまうという真の不器用な面をも描出しているのだ。
 それは上述のようにぬいぐるみの所持描写を用いて真の男性的、女性的な面を一通り描いた後に、メリーゴーラウンドの馬車の中に、プロデューサーが先にぬいぐるみを乗せておくという描写を盛り込んでいることからも十分に察することができる。
 真はあのシーンでは最初迷わず馬に乗ろうとしていた。ここからもお姫様に憧れながら、自分でどうやればその憧れを上手に実現できるか分かっていない不器用さがわかるわけだが、だからこそ第三者であるプロデューサーがうまく手を差し伸べて、少女である真を馬車に誘う必要があったのである。
 そんな場面において真の女性性を強調するアイテムであるぬいぐるみを、先に馬車の中に座らせておくことは、当然の演出だったと言えるだろう。
 そういう役回りを演じていたぬいぐるみを事務所に飾ったという点については、事務所に飾ったことそのものよりも、その飾った場所の方が注目すべき点だ。
 ぬいぐるみが飾られた場所はAパートで白目のダルマが置かれていた場所である。目の書かれていないダルマというのは、知っての通り何らかの祈願をし、それがまだ成就されてない状態のものである。
 真としては別段意識していたわけではないだろうが、演出的にはそういう効果を持つダルマと置き換えさせることで、お姫様のようになりたいと願う自分の気持ちに一つの区切りをつけたということを明確にしているのだ。
 殊更に強調しなくとも自分の女性的な面はいつでもすぐ近くにあり、プロデューサーを始めそれを理解してくれる人たちもまた近くにいる。そんな安心感と信頼感があるのだから、もう改めて願いをかける必要はない。ダルマとの交換はそんな真の気持ちを強調する意味で機能していたのだろう。

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 さらに言えばこのぬいぐるみを手に入れた経緯も忘れてはいけない。先述したとおりぬいぐるみは遊園地での的当てゲームで手に入れたものであるが、真はこのゲームをクリアすることができたから、景品としてぬいぐるみをもらえたわけである。
 運動が全般的に得意の真だからこそ苦もなく達成できたゲームであったが、運動が得意と言うのも元々は父親に男っぽく育てられた事実に起因しているところが大きい。つまり真は自分自身の持つ男っぽさ故に、女らしさの象徴でもあるぬいぐるみを手に入れることができたのだ。
 これは一種の暗喩なのではないか。すなわち真が男っぽさの象徴である「王子様」であり続けることで、いつか女らしさの象徴である「お姫様」になることができるという意味での。
 無論作中現実としてそういうことが確約されたわけではないが、製作陣の構築してきたアニマス世界そのものからの、真に対するご褒美と言えるものかもしれない。
 アニマスの世界はそういうことが許される優しい世界であるということは、1話から見続けてきた諸兄であればわかって頂けると思う。
 後日、またも王子様としての仕事が舞い込んだことを愚痴る真ではあったが、車中から空を見上げるその表情は、Aパートでの同様の場面と異なり穏やかな笑みを湛えていた。
 不満を抱くことはあっても、真はもう嫌がることなく「王子様」になることができるだろう。彼女のすぐそばには、いつもあのクマのぬいぐるみがいてくれるのだから。

 EDは真の個人新曲「チアリングレター」。タイトルの通り相手を静かに、しかし強く応援する応援ソングとなっている。
 今話に限っては「素直な気持ちで有りのままやっていれば みんなに届くよ だから悩まないで」という一節からもわかるように、今話における真自身への応援歌となっている点が面白い。
 ED映像は絵コンテ・演出、レイアウト、そして原画もすべて錦織監督が1人で手掛け、真ファンを公言している監督の面目躍如たる映像となっていた。

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 今話もまた前話と同様、14話以降の環境変化に伴って新たに生じた問題と向き合い、それを解決するアイドルの姿が描かれた。
 今回真がぶつかった問題も、元々1話の時点で程度の差はあれど抱えていた同じ問題であったわけだが、それが環境の激変に伴い、より大きく重いものとなってのしかかってきたという構図も、前話と同様である。
 さらに言えば細かいことではあるが、前話である16話も今話の17話も、それぞれメインを務めたアイドルの家族間における問題が、ストーリーの中に組み込まれているという点も共通している。16話ではその問題そのものが話の主眼に置かれたのに対し、17話は背景設定を示す上でのファクターとして扱われたのみという違いこそあるものの、「家族」が絡んでいるという点は見逃せない。

 それを考えると前話に引き続いて伏線めいたものが張られていた千早の、ストーリー中における存在意義も見えてくる。
 キーはそれぞれ「家族の絆」と「親子関係」。16話で千早はある事件をきっかけに家族の絆が失われていく様を悪夢として思い返し、17話では既に離婚して千早との関係性も薄くなっているであろう母親からの連絡が入る。
 一見無作為にただ伏線を積み重ねているように見えるが、16話で響たちが背負ったテーマである「家族の絆」と、17話で描かれた真のバックボーンの一端を形成する要因となった「親子(父子)関係」と、それぞれ結びついた描写となっているのだ。
 前話、そして今話とも千早の様子はストーリーそのものに深く結び付いているわけではない。だが同時にそれぞれの話における主軸、または重要な要素が何であるかを、本編中でいち早く指し示す役割を担っているのである。
 メインに深くかかわる要素を最初から視聴者側に提示すれば、視聴者としてはその部分に意識を注力させやすくなり、視聴者側の物語に対する意識のブレを抑制することが可能となる。千早の描写は後に控えているであろう本人の物語への伏線であると同時に、作劇上のギミックの一環でもあったわけだ。

 なお余談であるが、今回の真との決定的な対比として描かれていたのは、やはり春香だったと言える。
 前述の通りAパートで「春香はアイドルとしてみんなからどう思われたいのか」と真に質問された春香は答えに詰まってしまったわけだが、これは春香がその方面に対するビジョンを持っていなかったというよりは、「誰にどんなふうに見られたいか」という考えそのものが、春香の中にはなかったように思うのだ。
 「アイドルとして他人にどう見られたいか」という考えは、自分を思考の中心に据えた上での考え方である。実際に今話の真はそのことをずっと気にし続け、最後にようやく「アイドルとして他人に何かをしてあげること」の大切さに気づくわけだが、春香の理想とするアイドル像は、元々「他人に何かを送り届けられる存在」ではなかったか。
 アイドルとして多くの人に喜びや楽しさ、幸せを届けたい。自分の強い想いがあればそれはきっと届くはず。13話で春香がみんなを励ます際に言った言葉は、そのまま春香の理想とするアイドルの姿そのものだった。春香は最初からアイドルとして他人にどう見られるかを気にしていないのだ。ただただ一途に、アイドルとして出来ることすべてを多くの人に届けることを願ってきたのである。それができるアイドルこそが何よりも輝ける存在になることを、春香は知っているのだから。
 僕が春香と真のこの描写を「伏線になるほど重要なものではない」と明記したのは、このような考えによるものであったが、無論これも僕の個人的な解釈にすぎないので、しっかりとした伏線として生かされる可能性だってあるし、それはそれで十分面白い物語を紡ぐ要素の一つになり得ると思う。

 さて次回。

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 律子がレッスンをしているところから見ても、「律子がステージに立つ」ことが話のメインになるであろうことは想像に難くない。と同時に第2クールに入って初めての竜宮小町メインの話にもなりそうで、こちらの面からも非常に楽しみな話になりそうだ。
posted by 銀河満月 at 22:07| Comment(0) | TrackBack(16) | アニメ版アイドルマスター感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月24日

アニメ版アイドルマスター16話「ひとりぼっちの気持ち」感想

 今月から第2クールに突入したアニメ版アイドルマスターも、新規導入編の14話とお祭り回の15話を以って、順調に2クール期への移行を果たした。
 この2話分は言ってみれば番組改編期における特別番組として位置づけられる意味合いの挿話群であり、アニマス本来のフォーマットからは若干外れたものになっていたわけだが、今回の16話から通常形態の進行にシフトすることになる。
 そんな今話の中心となった人物は我那覇響。今までの話の中でも登場する機会が比較的多かった響だが、そんな彼女にとってはようやくのメイン回であり、同時に第2クールで初めて特定のアイドルに焦点を絞った物語である。
 単に特定アイドルをフィーチャーした話と言っても、第1クール期の頃とはまったく周辺の環境が異なっている中で、彼女の物語はどのように描かれるのだろうか。

 と思いきや、アバンに挿入されてきたのは千早の夢の中の話。
 激しく言い争う千早の両親と思しき2人、割れる食器、そんな様子の一切を耳を塞ぎ拒絶する幼い千早、そして千早の手から離れていくとある人物の手…。

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 11話や14話でもほんの少し描写されてはいたが、夢という形ではあるものの千早の過去について直接的に描写されたのは今話が初めてのことである。
 断片的に描写されたのみとはいえ、千早の抱えている最大の問題がおぼろげながらも見えてくる場面であり、同時にその問題の最大要因である「とある人物」の姿をはっきりと見せない演出は秀逸だ。
 この辺は上記2エピソードでの描写と組み合わせることで視聴者の中にのみ、よりはっきりとした形となって現れるというモンタージュ的構成になっている。
 悪夢から目覚め陰鬱な表情を浮かべる千早の耳に飛び込んできたのは響の声。窓から外を見やると、響のペットのうちの一匹であるいぬ美を追いかけて走る響の姿があった。

 事務所の中で激しく口論?する響といぬ美。なんでもいぬ美が食事の皿をひっくり返してしまったということで、響が怒って説教しているのだが、いぬ美の方にも言い分があるらしく、2人の言い争いはなかなか終わらない。

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 状況だけを見ると皿をひっくり返した行為について、いぬ美はきちんと理由を説明していないようで、響も手作りでこそない物のきちんと栄養のバランスを考えた食事を出しているにもかかわらずそんな態度を取られてしまっているため、さらに怒る要因になってしまっているようであるが、その部分だけを抜き出してみるとかなり真面目なやり取りをしているようにも見える。
 しかしこのシーンの会話は当然ながら「人」と「犬」の間で行われているわけで、見る者にとっては真面目なのか遊んでいるのかよくわからない光景になってしまっているのがユニークだ。一言で言ってしまえば「シュール」というところか。
 765プロアイドルの中では基本的に他人に説教するようなことをしない響が、動物相手とはいえお説教をしているという絵面もなかなか新鮮である。
 前話で久々に健在ぶりをアピールしたハム蔵は2人の間に立っているものの、他のペット全員の気持ちを代表しているといういぬ美の言葉を聞いた響から突っ込まれ、慌てて否定すると今度はいぬ美からも突っ込まれてしまい、まったくの板挟みになってしまう。

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 そんな3人の様子を見やるプロデューサーや春香たちの反応も面白い。
 4話に続き動物と会話が成立していることに春香が感心する一方、今日収録の響メイン番組「とびだせ!動物ワールド」が無事に行えるのかを心配する律子。
 響だけでなくいぬ美もメインとして出演している番組だけに、心配するのは無理からぬところだが、すべてではないと思われるものの、直接担当している竜宮小町以外のアイドルのスケジュールを把握しているあたりに、律子のプロデューサーとしての能力の高さが垣間見えるだろう。
 そして3人の様子を冷汗を出しながら見ているのはプロデューサーと雪歩だ。今更言うまでもないが3話での描写の通り、2人は揃って犬が苦手なので、互いに「もう犬は怖くない」と強がってみせるものの、結局いぬ美の一声でびくついてしまうあたりが微笑ましくて良い。それほど大きな声ではない、ごく普通の吠え声であったところもまたポイントだろう。

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 しかしながらそんな中でも、3話では小さい犬を見るだけでも怯えてステージから逃げようとまでしていた雪歩が、怖がりながらも平静を装えるまでになっているところは、彼女の努力による成長の賜物だろう。
 さらに言えば雪歩が落ち着いたそぶりを見せられたのは、いぬ美にはある程度慣れているから、つまり本話以前からいぬ美も事務所にしょっちゅう出入りしていたからという解釈も可能であるし、何より雪歩にとって頼れる存在であるプロデューサーがすぐ隣にいたからと考えることも可能なわけで、このシーン一つ取って見ても、16話分の積み重ねによる様々な見方が可能となっており、そういう観点からも良いシーンである。
 さてそんな彼女らの横を、沈んだ面持ちのままで通り抜けていく千早。まだ今朝見た夢のことを引きずっているようで、春香の呼びかけにも言葉少なに反応しただけでボイストレーニングに出かけてしまう。
 一方の響たちは仲直りすることができず、ついに響はいぬ美は収録にも来なくていいと言いだし、ハム蔵を連れて事務所を出ていってしまった。いぬ美の方もふてくされて応接室のソファーに横たわってしまう始末。
 気分が沈んでいるにもかかわらずそれをごまかし、親友である春香にも打ち明けることなく平静を装った千早と、頭に血が上ってはいたものの、皆の前で感情を開けっぴろげに爆発させて不満を露わにした響。「事務所を出ていく」という行為そのものは連続して描かれた共通のシチュエーションであったが、それを実行したキャラクターの内面はずいぶんと対照的である。

 そんな時、961プロの事務所ではまたも黒井社長の下で怪しげな計画が練られていた。
 961プロ事務所の外観は765プロ事務所とは比較にならない程の巨大なビルであり、ゲーム版ではネオンサインがあったりして悪趣味さが全開になっていたが、このアニメ版では黒を基調としてまとめられたなかなか落ち着いたデザインになっている。
 社長室で黒井社長と密談するのは、響が出演する「とびだせ!動物ワールド」のアシスタントプロデューサー。黒井社長子飼いであるこの人物は、響を番組から降板させ代わりにジュピターをメインに据えるという策略を立案していた。
 10話でこだまプロのプロデューサーを「小者」と罵った黒井社長が、明らかに小物然とした人物を手駒として使っている点は実に滑稽であるが、それもまた黒井社長自身の性格を表したものであろう。
 黒井社長は自ら今日のロケ現場に出向くことを決める。それはジュピターが取って代わるからという理由以上に、彼にとって最も嫌悪の対象である「765プロの人物」を見定め、打ち負かす様を見届けるためでもあった。
 言いながら黒井社長はチェスの黒い駒を、盤上いっぱいに×の字に並べて「チェックメイト」と宣言する。
 これが偉ぶってみせているだけの虚栄心によるものであるか、それとも単なる手慰みであるのかは不明であるが、14話でのオセロに続くこの種のシーンもまた、黒井社長の個性を強化するファクターとして機能していることは間違いない。

 響やプロデューサーがやってきたテレビ局で、いぬ美が休みと聞いて驚いたのは、番組のディレクター。ゲーム版「1」のビジュアル審査員こと山崎すぎおを思わせるオカマっぽいキャラクター。
 見た目も服装からしても十分そっち系の人であるが、いぬ美がいなくても自分1人で面白くするという響の言葉を、いぬ美が心配だからこそ強がってみせていると好意的な解釈をしてくれる、なかなかの好人物だ。
 「いぬ美は具合が悪くなった」と言って平謝りするプロデューサーだが、ケンカしているとはいえ収録に参加させなかったのは響のわがままにすぎない。担当アイドルのわがままに翻弄されながらもひたすらプロデューサーとしての責任を果たすという構図は、そもそも「アイドルマスター」というシリーズ作品の根底にある基本テーゼの一つであり、このシーンはその基本に忠実に作られたシーン、と言えなくもない。
 いぬ美を置いてきたことについて、プロデューサーと響との間にも確実にあったであろう何かしらのやり取りが描かれなかったことはもったいない気もするが、相手がなぜ怒っているかがわからない状況で仲直りすることは人間同士でも困難であり、プロデューサーの言葉ですぐに問題が解決できたわけでもないだろうから、省略に足る部分であったろうと推察する。
 いぬ美の代わりにメインを張ろうと意気上げるハム蔵だったが、そこへ件のアシスタントプロデューサーが連れてきたのは、「ブラックファルシオン三世」というやけに仰々しい名前が付けられた黒い大型犬。
 ディレクターの「愛想がない」との言葉通り、近寄った響に構わずおしっこをし始めたり、実際の撮影でも響が近づけたマイクにかじりついてしまったりと、お世辞にも可愛いとは言い難い犬であるが、その体色からして961プロ陣営そのものの暗喩になっていると見るのが妥当だろう。
 その視点で見ると犬の愚鈍な態度や、そんな無芸の犬を今回の作戦とは関係なく(実際に響を陥れる作戦の駒としては機能していない)前々から用意しておいたというAPの才覚のなさが、そのまま961プロそのものを象徴しているとも言える。
 同時にそんな相手であっても、「いぬ三郎」と相変わらず独自の名前を付けて可愛がろうとする響の動物好きなところが際立った場面でもあった。本名にひっかけて「三」という数字を名前に取り入れている辺りは細かい。

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 それでも黒い犬の相手をするのはやはりくたびれたようで、思わずいぬ美と一緒ならと口走ってしまい、慌ててそんな気持ちを否定する響。寂しそうな顔を見せたり起こった表情を作ったりと、撮影中の笑顔も含め、感情に任せて表情をコロコロ変えるのは響の魅力の一つであろう。頭をブルブル振ったために頭上のハム蔵がふらついてしまう、さりげない部分を盛り込むのを忘れないのもさすがである。
 そんな響にさんぴん茶の差し入れをしつつあることを告げるプロデューサー。番組のゲストとして急遽ジュピターが来ることになったという話を聞き、14話での遺恨を忘れていない響は俄かに気色ばむ。
 14話において自分たちがまずやるべきことはアイドルとしてもっと頑張ること、という結論に落ち着いた765アイドルであったが、そんな中でも黒井社長には負けないと宣言していたのは響だった。もちろんその時点で内心の刺々しさは払拭できていたものの、やはり目の前に対象の人物たちが現れるとなれば、胸中穏やかでいられないのも確かだろう。どこまでも自分の感情に素直な少女ではある。
 しかしプロデューサーから用心するようにと注意を受けた矢先、そのプロデューサーがそばを離れた間に響はAPの息がかかったADに騙され、そうとは気づかぬまま1人別の場所に連れて行かれてしまう。
 一方のプロデューサーは初めてジュピターの面々と直接顔を合わせる。事情を知らないディレクターの厚意で挨拶を交わすことになったが、真っ先に突っかかってきたのは天ヶ瀬冬馬だ。
 彼は黒井社長の「765プロは汚い手段を用いてアイドルを売り出している」という虚言を真面目に信じ込み、765プロを執拗に敵対視しているのだが、そんな彼に対しプロデューサーは毅然とした態度を崩さず、961プロには負けないという強い決意を宣言する。

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 言葉通りにロケ地までやってきていた黒井社長は、そんな彼の姿を眺めつつ「底辺事務所にお似合いの顔」と蔑む。
 そして黒井社長へのAPの報告通り、ADは響を本来のロケ地とは全く別の場所で降ろし、そのまま響を置き去りにして走り去ってしまう。さらに運の悪いことに響の立っていた足場が崩れ、響はハム蔵と共に崖下へ滑り落ちてしまった。

 その頃の765プロ事務所では、いぬ美が未だふてくされたままソファーを陣取ってしまっていた。
 事務所に残っている他のメンバーにもまったく手に負えない状況であったが、そんな折、ロケ先のプロデューサーから響がいなくなってしまったという連絡が入り、密かにいぬ美も目を向ける。
 メインである自分を特別扱いするよう響に言われたから先に車に乗せたというADの言をやんわり否定するディレクターだったが、反対にAPの方はここぞとばかりに響の否定を始め、強引にジュピターをメインに据えようとする。
 しかしあまりにあからさまな態度だったためか、プロデューサーがAPに対して若干の疑惑を抱いたことが画面上から見受けられ、この時点でAPの権謀術数が杜撰なものであったことを示している。そもそも響を別の場所に置き去りにするだけというやり方からして、あまり頭の良い案とは言えないのだが。
 またこのシーンではディレクターの見せ方が出色だ。ディレクターの言葉だけで響の仕事に対する真摯な姿勢が窺えるし、それに伴ってスタッフとの仲も良好であることを匂わせている。
 さらに「響が一番いいことは間違いない」と響をフォローしながらも、「あまり押してしまうとまずい」と現実の状況を重ねることで、プロデューサーが響を探しに行くと無理なく言い出せる雰囲気を作り上げているのだ。どこまで意図してやったものかは不明だが、結果としてこの行為自体は権謀術数の一環ともなっており、その点からもディレクターはAPより優れた人材であるということが浮き彫りになっている。
 他のスタッフに探させずプロデューサー1人だけを探しに向かわせたというのも、「勝手にいなくなったキャスト」をスタッフに探させることが立場上できなかったというのもあるだろうが、あくまでプロデューサーと響の2人が自分たちの力で状況を打開することを期待していたとも取れる。
 アイドルに対するプロデューサー、あるいはプロデューサーに対する社長や小鳥さんのように、765プロ陣営もしくは765プロ側に好意的な大人たちは、基本的に問題解決のための具体的な方策を提示したりはしない。物語上の方向性を指し示す程度にとどめ、あくまで若い未熟な側の人間を見守る立場を徹底しているのだ。
 12話におけるプロデューサーと小鳥さんのやり取り、14話ラストでのプロデューサーの決意を多く語ることなく受け止めた社長や善澤記者の描写を見てもそれは明らかなことであり、今話のこのシーンもそんな本作における「大人」の立場を改めて明示した場面と言える。
 最初からタイムリミットを設定してきたのは厳しいと見る向きもあるかもしれないが、それもまた本作における「大人」としての立ち位置故のものだろう。

 一方崖から滑り落ちてしまった響は幸い怪我もなく無事であったが、1人で崖を登ることもできず途方にくれてしまう。

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 プロデューサーの言うとおり961プロの仕業ではないかと疑う響だったが、そこに思い至っても真っ先に考えたのは撮影に間に合わないかもしれないことへの不安や心配だった。
 自分の身を案じるだけでなく仕事のことを気にするのは、プロのアイドルとしては当たり前と言えば当たり前の考え方であるが、同時に961プロへの怒りよりも先に仕事を案じている辺りにプロのアイドルとしての成長が窺え、「何よりもまずアイドルとして努力し続ける」765プロアイドルの基本姿勢が響の中に十分根付いていることもよくわかる。
 見知らぬ場所に置き去りにされたこと自体は961側の策略にしても、崖から滑り落ちてしまったのは響自身の責任だという意識も多少は働いていたかもしれない。
 しかし現実的にはその場から全く移動することができない状態である。そんな時に名乗りを上げたのはハム蔵だった。ハム蔵は自分を崖の上まで放り投げ、いぬ美たちに連絡して助けてもらおうというのだ。
 犬であるいぬ美なら本当のロケ地の場所も匂いで探すことが出来るというのだが、いぬ美とケンカ中の響はこんな窮状にもかかわらず意地を張って拒んでしまう。
 そんな響を諌めるように彼女の頬を叩いたハム蔵は、そのまま木の根を伝って崖を登り、振り始めた雨の中をいぬ美のいる事務所へ向かって走り出す。

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 状況だけ見ればかなりシリアスな場面なのだが、やはり響の相手を努めているのが動物であるハム蔵というだけあって、画としてはかなり変な構成になってしまっている。シュールと一言で表現するのは難しいが、その不条理とも取れる妙な図は今までのアニマスになかった独特のものであることは間違いない。
 疾走するハム蔵の背後にかかる「TRIAL DANCE」が、そんな妙な感覚にさらに拍車をかけている。曲調といい使用されていた部分の歌詞といい、情景自体には非常にしっくりくるBGMなのだが、ハム蔵というよりハムスターの描写としてはあまり似つかわしくない歌でもある。状況的にはふさわしいがキャラ的にはふさわしくない、そのアンビバレンツな感じに味わいを見出せるか否かが、このシーン、ひいては今話そのものに対する評価の分かれ目になることだろう。
 一方の765プロ事務所では雨が降り出したことを知り、いぬ美が不安そうな声を上げながら窓の外を眺めるが、その時ついにハム蔵が事務所にまでやってくる。
 Aパート序盤の響といぬ美の口論で、響がいぬ美を「人でなし」との言葉を投げかけた際に、「人なのかな?」と極めて普通な疑問を持ったのは春香だったが、その春香が戻ってきたハム蔵を見て「1人でここに?」と、これまた普通に人間扱いしているのが面白い。オスのハム蔵はそのままに、メスのいぬ美に対してはちゃん付けで呼んでいるのも芸コマなところだ。
 春香とハム蔵は担当声優が同じということを知っていれば、春香とハム蔵の言葉のやり取りについてもさらにニヤリとさせられることだろう。
 やってきたハム蔵の様子にただならぬものを感じたのか、いぬ美は起き上がって春香をグイグイと引っ張り出す。その様子から自分たちを響の元へ連れていくよう言っているのではないかと察したのは雪歩だった。

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 雨の中、1人きりで崖下に立つ響。いぬ美とケンカしてからはろくなことがないと独りごちた後、いぬ美がなぜご飯のことで皿をひっくり返すほど怒ったのかに想いを馳せる。
 以前は響がみんなの食事を自ら作っていた。嫌いな食べ物もきちんと食べられるよう工夫しながらご飯を作り、それをみんなも喜んで食べていたが、アイドルとしての仕事が忙しくなってきてからは、食事を作る時間もなくなるようになってしまったため、市販のペットフードだけで済ますようになり、みんなの食事を見届けることもなくすぐ出かけるようになってしまっていた。
 そこまで考えた時、響は悟る。いぬ美が怒ったのは単にご飯のことだけではない。多忙故にいつしかみんなに目を向けることが少なくなってしまったことを、寂しがっていたからだということに。それはいぬ美だけではない、響の家に住むすべての動物たちが一様に抱いている想いだったと。
 それはアイドルの仲間たちも頼れるプロデューサーもいない、そしてハム蔵さえもいない1人ぼっちの状態に響が陥っていたからこそ、初めて気付くことのできた動物たちの気持ちだった。

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 響にとって一緒に住んでいる動物たちは単なるペットではなく、家族同然であるということは以前から断片的に描写されていたことだが、一緒に住む家族の気持ちが離れていってしまうこと、孤独になってしまうことを寂しがる気持ちは皆同じであるということに、響は気づくことができなかったのだ。
 そしてそんな気持ちに動物たちを追いこんでしまったのは、皮肉にも自分が動物たちのためにと思って打ちこんできたアイドル業のせいでもあった。
 13話でのライブ成功により、765プロアイドルの周辺状況は激変することになったわけだが、それは個々人の家庭環境についても同様のことが言える。
 アイドルとして成長するにつれ、家庭環境もどうしても変わっていかざるを得ないのは必定だし、その変化が当人に対して喜ばしいものとなるかどうかは、実際になってみなければわからない。そういう意味では避けて通れない問題でもあるだろう。
 その問題を抽出して描写したのが、今話の響たち家族の物語だったのだ。ハム蔵やいぬ美にしても、響が何より自分たちのことを考えて仕事を頑張っていることは当然知っているわけだから、そのせいで自分たちが寂しい想いをすることになっているということをおいそれと話すことはできなかったのだろう。
 「家族」の想いをくみ取ってやることができなかった自分の不甲斐無さ、そしてみんなへの申し訳なさに涙を流す響。相手が人であろうと動物であろうと関係ない、みんなを自分の家族として大切に想うことができる心を持っているからこその涙である。
 と、そんな響の耳に届く慣れ親しんだ犬の鳴き声。見上げた崖の上にはハム蔵やいぬ美以下、響の家に住む動物たちが集合していた。ハム蔵からの急報を受けてやってきたいぬ美たちは泥だらけになりながらも、自分たちの力で響の居場所まで辿り着いたのだ。
 寂しい想いを味わいながらも、それでも彼女のために集まってくれたみんなに、自分の非を謝罪する響。そんな彼女に一声吠えかけたいぬ美の言葉を聞いた響は、笑顔を作って力強く頷く。

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 「言葉」と書いたが実際にいぬ美がどんな言葉をかけたのか、響の通訳がなかったために見ている側は直接知ることができなくなっており、それが演出上の捻りにもなっている。だがどんな言葉であれ、互いを家族として思いやっているからこその優しい言葉であろうことは想像に難くない。

 長かった雨もようやく止んだが、プロデューサーは響を結局見つけることができなかった。響が戻ってくるまで雨を降らせ続けなかった天候をディレクターが「野暮」と皮肉る一方、まさに嬉々とした様子でジュピターの代役を推し進めるAPの姿に、より強い疑惑の眼差しを向けるプロデューサー。
 黒井社長の自動車に近寄り、調子に乗って自分の計画をべらべらと話すAPだったが、その話は全て後をつけていたプロデューサーに聞かれていた。べらべら話してしまったこともそうだが、プロデューサーが尾行していたことにも全く気付いていなかったあたり、序盤から描かれていた無能ぶりがここにきて炸裂したというところだろうか。
 初めて相対するプロデューサーと黒井社長。961側の企みを知ったプロデューサーは撮影を中止させようとするが、黒井社長はそれを余裕で制止する。事情がどうあれ響が今この場にいないという状況を覆すことはできないと。

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 実際には765側としても何もできないということはないのだろうが、今回に関しては初めて対峙した黒井社長の自信たっぷりな態度に呑まれてしまったというところだろうか。このへんはプロデューサーとしてまだ未熟な面が露呈してしまった感じである。
 やりようによってはかなり重苦しいシーンになってしまいそうではあったが、黒井社長の「できるのならな」という最後のセリフに漂うすさまじい小物臭が、その種の空気をうまく緩和していた。

 黒井社長の言葉にさすがに反論できないプロデューサーだったが、そこにようやく響が動物たちとともに帰ってくる。

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 駆け寄るプロデューサーとディレクターに謝る響だったが、すぐにとりなしたディレクターは予定通り響をメインに据えた撮影開始の指示を出し、ジュピターはお役御免となった。そんな様子からも、やはりディレクターは当初からADやAPの言動をあまり信用していなかったことが見て取れる。
 黒井社長はAPを見限ってジュピターと共に現場を離れるが、車中では今回の一件も765プロ側が仕組んだものとジュピターに吹聴する。冬馬はその説明を鵜呑みにしてしまっているようだが、他の2人の態度が描写されていないところがミソだろう。
 そしてやっと撮影開始。笑顔で番組を進行していく響を見つめるのはプロデューサー、そして小鳥さんと春香だ。どうやらいぬ美たちを搬送してきたのは彼女らのようだ。

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 春香も感心する響たちの強い絆。それは人も動物も関係ない、同じ「家族」だからこそ持ちうる絆。家族だから互いを想い、家族のために頑張れる。それもまた間違いなく我那覇響というアイドルを支える信念であり、彼女の強さの源の一つであった。
 一緒に撮影に参加させた響の家族たちとともに走り出す響の笑顔は、そんな強さに裏打ちされたものであったのだろう。

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 EDは響の新曲「Brand New Day!」。ゲーム版「SP」の頃から何度も描かれてきた「響が動物たちの食べ物をつまみ食いしてしまったために、すねた動物が家を飛び出してしまう」情景が初めて視覚化されている。
 楽曲そのものも響の個人曲としては初めてポップな曲調の歌になっており、響本来の性格に近い内容の歌になっているのではないだろうか。
 ED映像では本編中ついに一度も姿を見せなかったヘビ香が登場している点も見逃せない。

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 今話では第1クール期に頻出した「アイドルが成長して何かを得る」テーゼから一歩踏み込み、「既にあったものを失いかけながらも、アイドルが成長することでそれを取り戻す」ことがテーゼとして織り込まれている。
 すなわち響と動物たちとの絆は元からあったはずであるにもかかわらず、アイドルとしての仕事が忙しくなったためにその絆に綻びが生じてしまい、それを各々の立場から修復するというのが、今話の物語だったわけだ。
 それはアイドル業を続ける上でどのアイドルにも発生しうる負の問題であるが、それを響とその家族に託して描いたのである。
 そしてそのテーゼを示す一環として導入されたのが、アバンでの千早の夢ではなかったか。
 今話の構成を考えると、アバンにおける千早の夢がそれ以降の展開と有機的に結合しておらず、完全に乖離している印象がある。
 それ自体は否定できるものではないが、個人的にはこのアバンはストーリー上のつながりよりも、今話のテーゼをより明確にするための演出の一環に過ぎないのではないかと思える。
 今話の響は家族である動物たちとケンカすることで仲たがいしてしまった。結果的に仲直りし絆を深めることもできたわけだが、もしそれができなかった場合はどうなるか。家族関係が崩壊してしまったその結果を、千早の夢を通して見せようとしていたのではないだろうか。
 人と動物という異なる種族でありながら家族関係が構築できている響。しかし夢の中で描写される千早の家族関係は、とある理由からかなり危険な状態にまで陥っている。そして夢の中の千早は耳を閉ざしてそんな状況から目をそらすことしかできない。
 無論千早と響の状況は全く異なっているのだから一概に比較することなどできないが、環境の激変による家族関係の悪い方への変化というシビアな面を、千早の過去と絡めることで早々に見せることで、近しい状態に陥りそうになりながらもそこから脱却した響たちの正の部分の描写をより強調しているように思えるのだ。

 そしてそんなシビアな面を緩和する目的で、響にスポットが当てられたのではないかと考える。
 千早の夢を例に挙げるまでもなく、「環境の激変による家庭環境の変化」というのはかなり重苦しいテーマだ。変化が必ずしも良い方にのみ作用するわけではない以上、そこには少なからず人間同士の露骨なぶつかり合いが生じるだろうし、それをまともに描くと極めてアンダーな空気が作品世界そのものを支配することにもなってしまう。そしてそれは製作陣にとっては決して求めていない空気だったろう。
 まともに描きたくないが、アイドルとしての日常を描くというアニマスの大前提を踏まえる上で、アイドルのプライベートにおける状況の変化を一度はきちんと描く必要もあった。
 そんな困難な状況を打開するために考えだされたものが、「人と動物のケンカ」という構図ではないか。
 主役アイドルとやり取りする相手を人間ではなく動物にすることで、全体的にシュールな空気からくるおかしさを作り出し、作品世界に余計な陰鬱さを漂わせないようにする。それがスタッフの出した回答だったように思える。
 例えるなら今話は浦沢義雄氏の脚本というか、東映不思議コメディシリーズのようなシュールな空気に満ち満ちた内容に仕上がっている(脚本そのものの出来は本家に及ぶべくもないが)。
 今話はともすればかなり重苦しい雰囲気になってしまいかねないテーマの話を、出来る限り緩和して描くことに終始した話と言える。それはアニマスとしては当然の作劇法であったのだが、同時に演出面における勢いやダイナミズムが多少殺がれてしまった点は否めないだろう。
 ただそういったテーマ的な部分を除いても、響と飼っている動物とは切っても切れない関係であることは周知の事実であるにもかかわらず、ゲーム版「SP」でも「2」でも、動物との関係性を主軸に置いた物語が描かれることはなかったため、動物たちの扱いが響というキャラクターの個性付与程度に留まってしまっていた現実を思えば、今回のアニメ版でゲーム版では描ききれなかった「動物との関係性」を念入りに描写したのは、アニマスの企画意図から考慮しても正しい選択だったと言える。

 緩和と言えば今話は初めて直接961側と対峙した話であったが、結局アイドルである響は961側の人間と顔を合わせることはなく、プロデューサーのみが相手をする形になっていたのも、アイドル同士が反目しあうことで全体が殺伐とした空気に支配されてしまうことを防ぐための措置だったと思われる。
 同時に14、15話での言葉通り、アイドルにはいつもどおりにアイドルとしての仕事を頑張ってもらい、961プロとのやり取りについては自分が一身に引き受ける姿勢を貫いたプロデューサーの姿をきちんと描写出来ていた。

 さて次回。

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 14話では伊織と共にかなり激しく961プロを糾弾していた真だったが、次回は真自身も961陣営と対峙することになるのだろうか。
posted by 銀河満月 at 03:01| Comment(0) | TrackBack(16) | アニメ版アイドルマスター感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月16日

アニメ版アイドルマスター15話「みんな揃って、生放送ですよ生放送!」感想

 以前にもこのブログで書いたことがあるが、アニメ版アイドルマスターは1話完結のアンソロジー形式を基本として製作されている。この形式は「作品世界の根幹を塗り替えるほどのものでもない限りは、演出や表現にかなりの自由を利かせられる」ことが一番の利点であり、アニマスもその利点を生かして様々な演出や表現を用いることで、各話それぞれに異なる独自の味付けが施されてきたことは、今まで見続けてきた方ならば周知のことであろう。
 今回の第15話もその利点を最大限に生かした内容となった。内容そのものは端的に言えば8話と同様の「ギャグ」になるわけだが、今回はそれを補足・拡張する形で、8話にはなかった要素が新たに付け加えられた。
 それは「パロディ」である。

 14話でも少しだけお披露目されていた、春香・千早・美希が司会を務める765プロアイドル全員参加番組「生っすか!?サンデー」が今話の舞台。

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 日曜午後に放送されている1時間の生放送番組を番組の表と裏、双方の描写を絡めて描くというコンセプトは、13話でのファーストライブと同様のものであるが、今回は「予想外の大きなトラブル」の有無という違いはあるものの、全体的にライブの時よりは浮つくことなく、場慣れした様子で番組は進行していく。
 初ライブの頃よりも確実に成長しているアイドルたちの様子が窺えると同時に、「765プロアイドル」としての看板番組にアイドル全員が参加していることで、14話での写真撮影と同様「竜宮小町とそれ以外」という垣根が完全に取り払われたことを示しており、765プロそのものの堅調ぶりさえも垣間見えよう。
 しかし今回は各人の成長などと言った縦糸的要素は後背に控える形となっており、メインはその番組内における今現在の各アイドルを、パロディをふんだんに交えながら描写することに徹底している。
 パロディのネタ元については知らないものも多いため、知っているものに限って注釈的な意味で触れていくことにしよう。

 最初のコーナーは「響CHALLENGE!」。響が毎回何かしらにチャレンジするという企画のようだが、久々登場のハム蔵と共に映し出されたランニングスタイルの響がいる場所は、とても東京近郊とは思えないような田舎。

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 ランニングシャツや短パンの一部にイメージカラーがあてがわれているのは、いかにもアイマスと言うところだが、そこから放送時間内にスタジオにゴールすることが今回のチャレンジ内容とのことで、早速走り始める響。
 この企画自体は有名なチャリティー生放送番組の名物企画を思わせるが、個人的にはそれよりもそのシーン中に流れた「違法アップロード禁止」のテロップに注目したい。
 もちろんアニマスでは冒頭に毎回流れているごく普通のテロップだが、今話のアバンは丸々「生っすか!?サンデー」という劇中番組のオープニングとして作られていたため、見ようによってはテロップ自体もまた劇中番組の方にかけられたテロップと考えることもできる。
 そしてそれはそのまま、現代におけるテレビアニメ放送形態そのもののパロディと解釈することも可能になるわけだ。
 無論スタッフはそこまで考えていたわけではないだろうが、全編見終えて今話がパロディ主体のギャグ話であることを理解した上でもう一度見直すと、製作陣の意図を超えたパロディ的要素をここに見ることができるのではないか。
 さらに言うならこの制作側の意図を超えた解釈を起点として生まれるのが、今話でもパロディ要素として多少盛り込まれた「二次創作」であり、このテロップはアイマス全体と二次創作との少し特殊な関係性さえも、期せずして示しているように思う。
 テロップが本放送の時にしか挿入されず、リアルタイムに見た人間でしかそのような解釈をして楽しむことができないというのも、二次創作が所詮はグレーゾーンに属する産物でしかないことを考えれば、なかなかに暗喩的である。

 CM開けのアイキャッチ風挨拶を挟んで行われるのは、やよい・伊織・あずささんの幼稚園からの中継。

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 3人が着ている服はそのまま「ライブフォーユー!」でのDLCで配信された「チャイルドスモック」という、一部のファンから絶大な支持を受けた衣装が元ネタになっている。劇中では唯一成人年齢に達しているあずささんが着るのは…という春香のツッコミがあったが、一応14歳と15歳と言う年齢であるやよいと伊織が来ても違和感がないというのも、よく考えると結構危険な発言ではある。
 そんな中でもあずささんは8話同様、無意識に周囲(今回はスタジオの観衆)の目を引きつけてしまったり、伊織は7話で見せた子供たちへの面倒見の良さを発揮したばかりでなく、そんなあずささんをしっかりフォローしており、竜宮小町として普段活動している時の両者のやり取りまでも垣間見えて興味深い。
 やよいの姿を見て思わず千早が「可愛い」と漏らしてしまうのは、今までの千早の描写から考えると違和感を覚える視聴者もいるかもしれないが、一応元ネタとしてはCD「MASTER OF MASTER」内のドラマで同様のセリフを千早が言ったことと、何より千早を演じる今井麻美さんがずっと以前からやよいを大層気に入っているから、と言うことがあげられる。
 しかしそういう元ネタを抜きにしても、千早がやよいを特別気にかける理由は、公に語られることこそなかったもののきちんと存在していると考えられる。今井さん本人がツイッターで述べている通り、そこには千早が未だ事務所の誰にも明かしていないと思われる過去の出来事が関係しているのだ。
 それを頭に入れた上で思い返すと、千早は11話でダンスをうまくこなせないやよいと何度もぶつかってしまっているが、謝るやよいに千早は文句や注意を言うこともなく「いいえ、こちらこそ」と優しく返しており、このあたりからも以前からやよいに対しては優しく接していたであろうことを察することができるのである。
 そしてやよいは園児たちを相手に持ち歌「スマイル体操」を披露する。CDシリーズ「MASTER ARTIST 2」の中でお披露目された本曲は、「みんなー、集まってー」というセリフも曲の一部として使用されており、実際のアイマスライブにおける振り付けも体操を意識したものになっているのが特徴的だ。
 スマイル体操が流れている中、テレビに映っていないスタジオの方では、舞台裏にいるプロデューサーを見かけた美希が、プロデューサーへ投げキッスをして春香を慌てさせる。

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 前話の感想にも少し書いたとおり、美希がプロデューサーへの恋愛感情めいた部分を持っているのは確かなようだが、ゲーム版におけるいわゆる覚醒状態でのそれとはかなり雰囲気が異なるため、やはり今のところは恋愛よりも信頼の気持ちの方が勝っているようだ。
 本話の中で二度ほど「ハニー」と呼んでしまいそうになったり、実際に呼んでしまったりした際には美希本人も慌てた表情を作っていることを考えると、今回の投げキッスはむしろそれをわざとやることによって生じるプロデューサーの反応を楽しんでいる節があり、この辺は美希の持つ生来の小悪魔性が発揮されたと言える。
 そんな美希に迎合することもなく、あくまでプロデューサーとしてダメ出しをするプロデューサーの姿は、相変わらず清々しいほどに「プロデューサー」であった。
 元気に歌うやよいの姿をモニターで見つめながら、961プロのことを話すプロデューサーと律子。前話でカッコよく宣言したとは言え、アイドルプロデュースだけでなく961プロへの対策も考慮しなければならないというのはかなり大変なことだろうから、そういう点でも同僚プロデューサーの存在はかなり大きいと思われる。
 前にも書いたがアイドルたちが団結して目標を目指すのと同様、2人のプロデューサーもプロデューサー同士で団結して、「少女たちをトップアイドルに育てる」という夢のために邁進しているのだ。
 アイドルたちがアイドルとして、為すべきことをきちんとこなすことが大事だということを理解している彼らがしなければならないことは、そんなアイドルたちを支え続けること。ここでもまた961プロに対する765側のスタンスが改めて表明されたと言えるだろう。

 続いてのコーナーは「菊地真改造計画」。中継先にいる真をよりカッコよく見せるために雪歩がコーディネートするという企画だが、さすがに雪歩は単独でのレポーターに少し緊張している様子。
 しかし最初に真本人がコーディネートした服を試着した姿を見て態度が豹変、一気に強気な姿勢に変わりだす。

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 この時に真が発した謎の言葉?や「〜ナリよ」という語尾は、CD「MASTER LIVE 02」のボーナストラックトークが元ネタだが、元々真は女の子らしさに憧れながらも、その理想とする「可愛い女の子」像がどこかずれてしまっており、このシーンではそんな真の頓珍漢ぶりが遺憾なく発揮されたシーンであった。
 殊に着ている服は真のみならず誰が来ても微妙と言わざるを得ないようなフリフリすぎるもので、これを完璧に着こなせる人の方が少ないのではないかと思わされる服をチョイスしたのはさすがと言うべきだろう。
 そんな真を見て観客も春香や美希たちも意気消沈、雪歩はいつもの気弱っぷりはどこへやら、真を大改造すると力強く宣言して映像をスタジオに返す。

 亜美と真美が披露するシュール系コントコーナー「あみまみちゃん」を流す間、しばしの休息を取る司会の面々。

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 「あみまみちゃん」でのシュールギャグは、今話分の「しゅーろくごー!」で担当声優の下田麻美さんが語ったところによれば、ふかわりょう(と思われる芸人)のギャグが元ネタになっているらしい。
 だがその辺の元ネタを差し引いても、亜美と真美が2人で一緒に仕事をこなしているという構図は、9話での真美の言葉を思い返すと感慨深いものがある。「超売れっ子になって亜美と一緒に仕事できるようになる」という目標を、真美は本当に自分の力で達成したのだから。
 これもまた「目標を目指して努力し続ける」彼女たちの信念が実を結んだ結果の一つであろう。
 舞台裏に下がった3人は、せわしない生放送の収録に思い思いの感想を述べるが、そんな中でもファーストライブの頃にはなかった精神的な余裕というものが確かに存在して見えるあたり、成長ぶりが見て取れる。
 そんな折、プロデューサーからの「もう少し肩の力を抜いた方がいいかも」というアドバイスを受けた千早は、舞台の方に目をやりながら複雑な表情を浮かべるのだが、これの意味するところは4話での「ゲロゲロキッチン」の時とは異なる想いであるということが、後々になって見えてくることになる。
 そして番組はCMへ。CM前の映像はそのままテレビ番組のCM前アイキャッチ風に作られているだけでなく、実際に今話もそこの時点でAパートを終了させてCMに入っており、メタフィクション的なお遊びを味わうことができるようにもなっているのが巧いところだ。

 CM開けのBパート開始時には再びアイキャッチ風挨拶が挿入されるが、春香がペットボトルの水を飲んでいる最中に始まってしまったため、春香がむせて挨拶できず、代わりに美希がフォローの挨拶を入れる。

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 これもいわゆる中の人ネタであり、春香を演じる中村繪里子さんがネットラジオの公録などで頻繁に水を飲む様子が元ネタになっている。実際に段取りの一環で自分に振られた時にちょうど水を飲んでいたため、むせてしまうこともあったり、最近の公録では他の出演者よりも水を多く飲むことを前提に、他より一回り大きいペットボトルが用意されていたこともあったりした。
 春香のこの描写については元ネタ以外の面からもきちんとした理由があるのだが、これもまた今の時点では特に本編中で触れられてはいない。
 番組の方ではまず未だチャレンジ継続中の響に中継を繋いでみるが、当の響自身も自分が今どこを走っているのかよく分かっていない様子。すぐ後ろにクマ出没注意の看板が掲げられていることにも気付かず壮健ぶりをアピールする響だったが、さすがに不安がる春香や千早の一方で、響なら大丈夫と深く考えずに言い切る美希という三者三様の対応が面白い。
 この3人が司会者に選ばれたのもその辺に理由があるのだろうか。

 次のコーナーは「四条貴音のラーメン探訪」。タイトルロゴや冒頭のナレーションまでも、構成作家ではなく貴音本人が考案し実製作したのではないかと思えるほどに、貴音のためのコーナーである。

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 アシスタント、と言うよりは貴音を「姫」に見立てた上での「従者」的立場である亜美真美を引き連れて貴音が向かった先は、「ラーメン二十郎」なるラーメン屋。
 僕はよく知らないのだが、このラーメン屋や店内での様々なネタについては、すべて「ラーメン二郎」なる本物のラーメン屋が元ネタになっているとのこと。元よりラーメン好きという設定が存在している貴音と、この「ラーメン二郎」を結びつけるネタは以前から存在していただけに、知っている人から見ればたまらないシークエンスだったと思われるが、もちろんネタ元を一切知らずとも楽しめる場面になっていることは言うまでもない。
 具体的にどの辺が楽しめるかと言えば、凛とした佇まいを終始崩さず、浮世離れした雰囲気すら漂わせている貴音の目的が、「ラーメンを食う」という原始的且つ庶民的な代物であるという時点でまずおかしい。
 「頼もう!」と言いながら入店したり、注文前に食券を購入するという店の注文システムを説明したりと、堂々とした態度はまったく崩さないのだが、その直後に「お金を入れて食券を買う」という当たり前のことを知らなかったことが発覚し、不思議そうに小首を傾げながらもその佇まいは維持したままというギャップがおかしさを倍増させる。
 食券購入という当然のことを知らないにもかかわらず、直後の注文場面では「麺カタ辛め野菜ダブルにんにく脂増し増し」などという、亜美真美からすれば謎の呪文にしか聞こえないトッピング内容を澱みなく注文しており、貴音のラーメンに対する情熱までも感じさせてユニークだ。
 そして出されたのはもやしがうずたかく積まれたラーメン。亜美真美がそのビジュアルに面食らう一方、貴音は笑みをこぼしつつラーメンを食べ始める。「ロットなるものが乱れてお店に迷惑がかかる」から早く食べることを促す貴音ではあるが、混乱する亜美真美を尻目にさっさと食べ始める貴音の姿は、本当に店のことを考えているのかも疑わしいくらいである。
 まして一切感想を漏らすことなく黙々と(本人曰く「粛々と」)食べているため、亜美真美の言うとおりレポートコーナーの体を為しておらず、結果的に貴音がラーメンを食べることを楽しむだけのコーナーになってしまっているというのが、何ともおかしい。
 にもかかわらずスタジオでの観衆からの反応が上々であるのは、ただそこにいるだけでもその佇まいから耳目を集めることになる貴音と、そんな彼女を独自のテイストで巧みにフォローする亜美真美、そして時にはそんな亜美真美のフォローさえ及ばなくなる貴音のマイペースな言動や行動が、絶妙にマッチしているが故だろう。
 パロディに溢れたシーンではあったが、その中でも3人の関係性と仲の良さはしっかりとアピールされていたのである。

 貴音のコーナーを流す一方で司会の3人は再び休憩を取るが、その時ふと千早が舞台を見つめながら「自分はまだ硬いのではないか、春香や美希のようになれればいいのだけど」と呟く。
 Aパートで千早が複雑な表情を浮かべた理由は、この煩悶にあった。千早は変わることを迫られた状況で変わることを拒絶せず、むしろどうすれば変わることができるのかをずっと考えてきたのである。
 4話での生放送時、結局最後まで変わることを拒んでしまったあの頃の千早とは雲泥の差であろう。
 意地悪な見方をすればあの頃とは状況も違い、以前よりは自分の好きな歌に集中して取り組める土壌が出来上がっているし、今回の生番組にしても番組の最後に歌を披露する機会がちゃんと用意されている(ED画面参照)から、4話の時よりは元々前向きな気持ちで番組に取り組めているという点もあるかもしれない。
 しかし無論それだけが理由ではないはずだ。11話や12話でのやり取りを見る限り、千早は自分自身が少しずつ変わってきていることを自覚しているし、雪歩ややよい、美希と言った仲間たちが変わっていく様も目の当たりにしてきた。そしてその結果として13話でのファーストライブを皮切りとした数々の成功が存在していることも理解している。千早の中で「変わりゆくこと」は既に否定的に捉えることではなく、肯定的に考えるものであるとして受け入れられているのだろう。
 だが今度は単純にどんなふうに変わればいいのかわからない。思い返すと今話における生放送でも、千早は台本通りのセリフと実際の中継を見てのごく個人的な感想しか述べておらず、アドリブなどに失敗することはあれど常に周囲に気を遣った発言をしている春香や、同様の個人的感想でもそれだけで周囲を笑わせてしまう才覚を発揮している美希と比較すると、明らかにトークレベルが低く描写されている。それがわかっているからこそ、わかっていても自分ではどうすればいいのかがわからないからこその苦悩だった。
 そしてそれは千早自身が気づかぬうちに変わってきていることへの証左でもある。歌以外の部分において他人の能力を評価し、比して自分の力が及んでいないことを自覚するなど、以前の千早では有りえなかったことだろうから。
 そんな煩悶を打ち明けた相手が、彼女の変化を大きく促した存在であろう春香というのも頷ける話だ。
 だが千早と同じような考えは、春香もとっくの昔に抱いていた。先程の水の件でも失敗したしアドリブには未だ弱いことを自覚している春香は、しかしそんな今の自分の姿に悩むことなく、マイペースさを崩さないまま司会をそつなくこなす美希を素直に褒める。

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 春香もまた自分自身の司会としての能力がそれほど高くないことを知っている。それでも彼女はそんな自分自身を卑下しない、というよりその種の考え方よりもまず、すぐそばにいる優れた能力を持つ仲間のことを評価し我が事のように喜ぶ、前向きな考え方が先に立っているのだ。
 そしてそれは11話でも言及された、「みんなと一緒に一つの番組をやれることが本当に楽しい」気持ちがあればこそのものである。今までにも様々な挿話の中で描かれてきた春香なりの理念。迷いのないその理念から生まれる強さこそが春香という少女の真骨頂でもあり、それを象徴しているのが彼女の笑顔であろう。
 自分自身の変化という命題については未だ明確な回答は示されていないものの、千早が春香のそんな笑顔に今も救われたことは間違いない。
 …尤も今話での生放送に限っては、その春香の意外な行動のおかげで千早も硬さを払拭することができるのだが。

 一方の貴音コーナーは、亜美真美があまりのもやしの量に四苦八苦する中、とうに完食した貴音の締めで終了した。
 その時スタジオに運び込まれてきたのは「今週の差し入れ」と題された、ラーメン二十郎からの試作品であるアイス。
 早速そのアイスがしまわれた紙の箱を開けようとする春香だったが、引っかかっているのかふたを開けられない。春香も次第に力を込めるが、次の瞬間ふたが勢いよく跳ねあがり、春香の顔面にヒットしてしまう。悶絶する春香の様子は横に座っている千早もたまらず笑い出してしまうほどだった。

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 この一連の場面の元ネタは、春香役の中村繪里子さんと千早役の今井麻美さんがかつて出演していたネット配信番組「prestar」で実際に起きた出来事である。以前からアイマスファンにはよく知られている出来事ではあったが、このシーンで驚くべきところは、ネタ元である「prestar」でのシーンからの再現率が異様に高いということである。
 有志がネタ元と比較してくれているので、その辺を参考願いたい。



 そういう意味では今話の「パロディギャグ」を最も如実に表現しているシーンと言えるわけだが、これまたもちろんのことながらパロディという前提を知っていなければ笑えない、陳腐なシーンでは決してない。
 まずそれほど厚くなく、ほどほどの紙で作られたほどほどの大きさの箱のふたが、硬くて開けられないというシチュエーションがまずバカバカしい。そしてそんなふたを開けるために次第に腕にも顔にも力が込められてくる流れも、傍から見れば「紙の箱を開けるだけなのに、まるで鉄の箱を開けるかのような過剰な力を入れている」ようにも見え、そのアンマッチさがまた笑いを誘う。
 そして隣に座っている人が興味深げに覗き込んだその瞬間、箱のふたがまるでバネ仕掛けのように勢いよく跳ねあがり、それがまた狙いすましていたかのように開けようとしていた人物の顔面にヒットする。「紙の箱で起きるであろうこと」として予測できる通念を吹き飛ばす、意外性溢れるその事象は、目撃した人間に多大なインパクトを与えること必至であるし、だからこそ大受けするのである。
 顔面ヒットした人が痛みで思わず両手を顔に当てたまま動かないという、若干間抜けなリアクションがおまけとして存在することで、この一連のシーンはより完全な笑いの場面として昇華するわけだ。
 短いシーンなれど「8時だョ!全員集合」などのような良質なコントの要素が過不足なく収まっている、非常におかしく笑えるシーンになっているのである。
 このようにシーン単体で見ても爆笑必至の場面になっているのだが、そこにネタ元の知識を混ぜることで、「こんなコントみたいなことが現実に起こった」事実が重なり、またおかしさにある種の深みが加えられるのだ。
 このシーンは単体で見ても十分に面白く、元ネタを知っていればさらに面白みを感じることができる、上質なパロディギャグの見本と呼ぶことさえ可能であろう。
 またこのシークエンスでは元ネタを活かして、千早の今まで描かれなかった側面を新たに描出することにも成功している。それは千早の「笑い」の部分だ。
 千早という少女は笑いのツボが他人よりも少しずれていることが多く、さらにそのツボにはまってしまうと、なかなか通常の状態に復帰できず笑い続けてしまうという、普段の千早からすればかなり意外な個性を持っている。
 今までの話の中でそれが描かれたシーンはなかったし、強引にストーリー中に挟んでくると無理な流れになりかねないから描写されない可能性もあったわけだが、前述のパロディと巧みに絡めてきたスタッフの手腕は、いつもながら見事なものだった。
 その直後は2人の様子に構わずアイスを取りだす美希、台本棒読みでアイスの感想を述べる春香、また思わず「ハニー」を口にしてしまう美希とフォローする春香、そんな一連の様子を見ていちいちうろたえるプロデューサーと、ギャグシーンがつるべ押しになっており、決してパロディギャグだけに頼らない構成には好感が持てる。
 美希の失言に「後で説教しときます」と呟く律子からは、2人の普段の関係が窺えて想像の余地が広がったというところか。

 続いては再び「あみまみちゃん」から入る映画予告。「あみ」と「まみ」を合わせて「あまみ」と読み、春香の名字と掛けて遊ぶのもファンの間ではだいぶ前から行われてきたことであり、これもまたパロディの一環だろう。

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 そして流れ始める映画「劇場版 無尽合体キサラギ」の予告編。

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 この予告編部分は錦織監督がキャラクターデザイン担当として携わった縁からか、「天元突破グレンラガン」で監督を務めた今石洋之氏が絵コンテを担当しており、そのためグレンラガンを想起させる演出が散見される(敵ロボットを取りこんで自身の戦力に変換するなど)。
 この劇中劇だけでも様々なパロディがふんだんに盛り込まれているのだが、さすがにいちいち解説するのは面倒なので、ネタ元を知りたい方は他の感想ブログを読んでくださいますよう。
 個人的にまず気になったのはキサラギのデザインネタがOVA版ジャイアントロボであるところか。OVA版のキャラクターデザインを担当したのは、ゲーム版アイマスのキャラクターデザインを務めた窪岡俊之氏であり、本作の監督である錦織氏は窪岡氏を好きなアニメーターの1人であると公言しているところからも、そのあたりを意識して意図的にパロディとしたのだろう(尤もOVA版ジャイアントロボ自体も好きらしいが)。
 「敵の巨乳を生かした攻撃を貧乳故の方法で防ぐ」構図は、個人的には安永航一郎氏の漫画「巨乳ハンター」シリーズの一編「巨ブラ」に出てきた「スペルゲン盆地胸バリヤー」を彷彿とさせてくれたが、これはあくまでも僕個人の発想であって、今話自体の着想に影響を与えたわけではないと思われる。
 ただ続けて個人的な考えを書くなら、アミとマミを裏切る人物が美希であったことはゲーム版「SP」のパロではないと思うし、「ハルシュタイン」という名前も別にマッハバロンのララーシュタインとは関係ないだろう。

 この劇中劇ではアイマスの二次創作関連のネタ、例えば「春閣下」などが元ネタとして使用されているが、ともすればキャラ崩壊を起こしかねない危険なネタを「劇中劇」という形で消化しつつ、単独の劇中劇としても溜飲の下がる派手な内容に仕上げたことは特筆に値するだろう。強烈な印象を残すハルシュタインが描かれたすぐ後に、春香本人に同じセリフを春香らしく言わせることで別人感を強調し、あくまで演技の内であることを明示していたあたりもまた、そういった「消化」の一つだろう。
 先程の事件のせいで鼻のあたりが赤くなってしまっている春香の顔を見るたびに笑い出してしまう千早を置いて、番組は再び「菊地真改造計画」へ。
 「いい仕事ができた」と自負する雪歩は、自信満々で「生まれ変わった真」を紹介する。
 あまりにはまりすぎている真のイケメンぶりに、スタジオの女性ファンのボルテージは最高潮に。

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 傍目に見ても真のイケメンぶりはジュピターが裸足で逃げ出すレベルにまで到達しているように見受けられるが、同時に春香にも突っ込まれている通り、本人が考えたであろうカッコいいセリフがすぐにネタ切れになり、単なることわざの羅列になってしまっているところに、真の素が見えて面白い。
 一方の雪歩は誰よりも興奮しだし、暴走気味に次々服を着せようとしだしたため、慌てて真はスタジオに映像を戻してしまう。

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 この辺はとある事務員を喜ばせるには十分すぎるカップリング描写であったわけだが、同時に雪歩の持っている良くも悪くも猪突猛進な面を、改めて描いているシーンであることにも留意されたい。

 先程の春香の衝撃映像が番組ホームページで配信されることが急遽報告された後、番組はお天気コーナーへ。
 Aパートの時と同じスモック姿のやよいが、中継先の幼稚園から明日の天気をお知らせするが、漢字を読むのが苦手なやよいはところどころでつっかえてしまい、伊織にフォローされるだけでなく周りの園児たちからも応援されてしまう。

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 やよいが漢字、というより勉強が苦手という設定はアニマスで11話で少し描写されていたが、今回のシーンに限ってはやよいの設定云々というより、今日初めて出会ったばかりの園児たちに応援されるほど、やよいと園児たちは仲良くなれていたという事実を重視すべきだろう。無論それはやよいの姉としての側面が最大限に発揮されたからに違いないからだ。
 美希からでこちゃん呼ばわりされてお決まりのセリフを返す伊織の後ろで、疲れて眠ってしまった園児を抱きかかえているあずささんも、非常にらしくて良い。
 そして残った最後のコーナー「響CHALLENGE」。スタジオの近くにまで到達しているのかどうか、響に中継を合わせてみると、響は明らかにスタジオ近辺とは思えないような場所で、しかも雨に降られながら独走を続けていた。スタジオからの声も届いていないようで、涙目になりながらも必死に走り続ける響。

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 しかし番組自体はもう終了の時間になってしまったため、無情にも今回の響のチャレンジは失敗ということで、コーナー自体は終了させられてしまった。
 このシーンはすぐ前のやよいのお天気コーナーで「現在の関東の空は雲一つないきれいな夕暮れ」「週末はいい天気に恵まれたが、一部の山間部ではにわか雨が降るかもしれない」との言を残しておいた上で、春香の「今にも足音が聞こえてきそう」という振りの後に、雨の中でどことも知れない場所を走っている響の姿が映しだされるという、きちんと段階を踏んだ典型的なオチとなっている。
 惜しむらくは響が1人で困っている様子を見せたままでコーナーが終了してしまったため、このシーンだけを抜き出して見ると、少し消化不良感が残ってしまうことか。
 ただ演出上は「スタジオからの声が届かない」という状況に連鎖する形で、中継先に画面が切り替わった直後、画面左上の時間表示が一瞬消えてしまう場面が織り込まれ、状況を細かく補足している。
 しかしこの場面は今話のオチそのものとして機能しているわけではない。これも途中の要素の一つに過ぎないのであって、本当のオチはこの後にやってくるのだ。

 響が番組終了後も完走目指して走り続けることが春香の口から伝えられたが、春香と同様に響のことを案じている女性が、テレビカメラの向こうに1人いた。
 日曜の真昼間なのに外に出かけるでもなく、トレーナーの上下にどてらを羽織っただけという簡素な格好で、煎餅をバリバリかじりながらテレビを見つめるその女性こそ、765プロの事務員である音無小鳥だった。

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 言うまでもなく今までは番組に直接携わっているアイドルたちの視点から番組が描かれてきたのに対し、最後にその番組をずっと客観的に見続けてきた「視聴者」である小鳥さんの側に視点を移動させることで、図らずも視聴中に抱いた感想を小鳥さんと共有することができるという、メタフィクション的な趣向が凝らされているわけである。
 現実世界の視聴者と劇中世界の視聴者がいつの間にか同じ視点に立ってしまっていたという事実が、今話最大のオチであったと言えるだろう。
 同時に日常描写が皆無と言っていい小鳥さんのプライベートが初めて明確に描かれたシーンとしても、記憶に残すべきところだろう。
 小鳥さんは12話でのプロデューサーのフォローに代表されるように、出来る女性としての描写が作中では大半を占めてきただけに、今話のくたびれた年増女(失礼)のような生活描写は、小鳥さんの個性をより深める一方で、少しばかりの寂しさをも味わわせてくれたのではないだろうか。

 今回のED曲は「MEGARE!」。芸能界という荒波の中で果敢に頑張るアイドルたちの姿をストレートに描いた良曲である。
 各人の番組終了後の一コマが描写されていくが、個人的にはやはり響がお気に入りだ。にわか雨も止んで晴れ上がった夕焼け空の下、ハム蔵と共に晴れやかな笑顔で走り続ける姿がいかにも響らしくて非常に良い仕上がりである。
 もちろん雨に濡れたシャツが透けているあたりは文句のつけようがない。素晴らしいの一語に尽きる。

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 今話はパロディ部分にばかり目が行ってしまいがちだが、13話でのライブ以降人気が上昇してきた今の時点での765プロアイドルたちの仕事の風景を描いたという点で、2話や3話でのそれに近い構成となっている。
 だがあの頃よりは格段に状況が変化してきたとはいえ、彼女たちのやっていることは基本的に変わらない。アイドルとして目の前の仕事に全力で取り組むこと、それは前話でほとんどのメンバーが各々悩んだ末に辿り着いた結論でもあった。
 だからこそ自分たちの出したその結論を実践している姿を描出する必要があったのだ。961プロという新たな逆風があってなお、自分たちの目標や進むべき道を誤らない。そこに彼女たちの魅力があり、困難をも乗り越える原動力となるのだから。
 しかし同時に彼女たちは未だ成長途中にあるアイドルだ。これまたパロディ部分に覆い隠されている感があるが、それぞれのコーナーでそれぞれのアイドルたちはかなり失敗してしまっている部分が多い。単純に失敗と思われる回数だけを考えれば、恐らく13話でのライブの時より多くなっているだろう。
 当然傍らで見守っているプロデューサーは冷や冷やしっぱなしだし、胃の部分まで押さえる描写も見受けられる。
 プロデューサーにとってもまずやらなければならないことは、961プロをどうこうすることではなく、このまだまだ危なっかしい少女たちがトップアイドルになるまで支えてやることなのだ。

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 今話はアイドルとプロデューサーの双方が、何よりもやるべきことと見定めたものを改めて具体的に描いた話と言えるだろう。
 しかしながら今話はそういう部分が霞んでしまうほどのパロディギャグに満ち満ちた話となった。脚本担当の高橋龍也氏によれば「やり残しがないくらいにやった」そうで、長くアイマスファンを続けてきた人ならば二重三重に楽しめる内容になっていたはずだ。
 もちろん何度も書いたとおり、元ネタの存在を抜きにしても良質なギャグとして成立しており、決して元ネタありきの受け狙いに堕していない点は非常に良く出来ていると言っていい。
 だからこそ公式サイトでこんな遊びさえも実際に行ってしまうのだろう。劇中で触れられた春香の秘蔵映像もここから見られるし、番組終了後の響の顛末もきちんと描かれている(14日の午前5時に「ゴールした」との更新が行われた)。
 今話は元ネタの既知未知にかかわらず楽しめる、8話に続く優れたギャグ回であったと言えるだろう。

 さて次回。

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 今話は文字通りの全員回で、特にフィーチャーされるアイドルはいなかったが、次回は予告を見る限り響がフィーチャーされるようだ。961プロもまた何か別の手を打ってくるのだろうか。
posted by 銀河満月 at 23:53| Comment(0) | TrackBack(22) | アニメ版アイドルマスター感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月10日

アニメ版アイドルマスター14話「変わりはじめた世界!」感想

 7月から放送が開始されたアニメ版アイドルマスターは、「トップアイドルを目指して頑張る」というお題目を掲げつつ、そんな中で日々を生きる少女たちの日常を丹念に追い、彼女たちの心の機敏、変遷、そして成長を丁寧に描いてきた作品である。
 アニマスの第1クールは芸能界という非日常的世界を舞台にしながらも、いわゆる「業界もの」的な派手さを極力抑え、ストーリーよりもまずキャラクターを描くことに尽力してきたと言えるわけだが、そんな第1クール期も最後を飾る13話において、無事にファン感謝祭ライブを成功させることでひとまずの決算を迎えた。
 まだまだ道半ばとは言え「アイドル」として大きく成長した彼女たちが、自分も周囲も今までとは異なる新たな「日常」の中で紡いでいく物語。第2クール全体を通して描かれるであろう物語の起点となるべき今回の14話は、果たしてどのような内容になっていたのだろうか。

 冒頭では1話と同様に春香の通勤風景が描かれるが、変わったのは夏から秋への季節の移ろいや、秋色に変わりつつある周囲の風景だけではない。
 春香は簡単には転ばなくなったし、車両には765アイドルを特集した雑誌の中吊り広告が掲げられている。乗客に自分の存在が気付かれないよう変装したり、疲れからか車中でふと眠りについてしまったりと、1話のそれとはかなり異なる通勤風景である。

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 1話の頃から春香の遠距離通勤は恐らくずっと続いてきたのだろうが、そんな当たり前の日常の中でも、確実に春香も彼女を取り巻く環境も、変化してきているのだ。それも良い方に。
 今回の14話は第2クール最初の回ということで、前述の通り2クール目で描かれる物語の起点となる役割も担っているわけだが、それを考慮すると役割を同じくする第1クール最初の回で描かれた春香の通勤風景というシチュエーションを再度持ってきたことは、過去と現在の春香の立場や環境の変化を明確にするという点で、非常に効果的な演出であったと言えるだろう。
 1話においては撮影しているカメラマン(プロデューサー)がナレーター的立場にも立って状況説明を字幕で行っていたが、今話ではその役割を春香(アイドル)が担っているという事実もまた象徴的だ。
 その「環境の変化」は事務所に到着した春香が見つめるホワイトボード、そしてその後の小鳥さんとの会話でより浮き彫りとなる。
 ホワイトボードには竜宮小町だけではなく、他の9人のスケジュールもぎっちりと書き込まれており、小鳥さんは皆忙しくなったため、以前のように事務所で集まる機会が減ってしまったと独りごつ。
 ファーストライブを経た彼女たちは以前よりも高い人気を獲得したこと、そしてそれに伴い仕事量も以前より格段に増えてきたことが画的に良くわかるシーンだ。殊にホワイトボードは5話の冒頭でその真っ白ぶりを揶揄されたり、6話で竜宮小町関係のスケジュールが大量に書き込まれる中、他の9人に十分な仕事を取ってきてやれていないプロデューサーの焦燥感を煽る材料に使われたりと、要所要所でアイドルたちの「アイドル」としての部分を強調する小道具として使われてきただけに、アイドル全員のスケジュールがまんべんなく書き込まれているホワイトボードの画からは、ずっと見続けてきた者だけが味わえる独特の感慨すら浮かんでくることだろう。
 そんなホワイトボードをにっこり笑いながら見つめる春香の表情も晴れやかだし、皆がなかなか事務所に揃わないことを寂しがりながらも、料理番組で単独司会を務めるやよいの姿を、まるで本当の母か姉のように見守る小鳥さんの姿もどこか嬉しそうだ。

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 そして流れ出す新オープニングテーマ「CHANGE!!!!」。
 第1クールで一人前のアイドルになるための準備をしてきた少女たちが、アイドルとしてより大きく変わっていくことになるであろう第2クールを象徴する良曲だ。
 楽曲自体もOP映像も素晴らしいものであったが、特に序盤では2〜3人のアイドルたちが個別に活動するシーンを基本的に描き、Bメロ部では集まった全員が夜空に浮かぶ一際輝く星を見上げ、その星を目指して衣装をアイドルのものに変え、サビに突入して全員で歌い踊るという流れが、第2クール全体の基本的な構図になっているというのが面白い。

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 知名度も実力も備えてここに活動することも多くなってきた彼女たち。しかし「トップアイドル」という全員が目標とする大きな星を目指す時は、765プロアイドル全員が一丸となって突き進む。
 第2クールもまた基調として描かれるのは「765プロアイドル全体の物語」であるという、スタッフからの宣言のようにも思える。
 サビ部分のライブシーンが「READY!!」では具体的なライブ会場でのそれだったのに対し、今回の「CHANGE!!!!」では抽象的な空間に変えられているというのも、第1クールではファーストライブが彼女たちの目指すとりあえずの終着点となっていたのに対し、いよいよ「トップアイドル」という個々人の概念や夢そのものを、具体的に視野に入れて目指すようになってきたということの表れだろう。

 その日はテレビ雑誌の表紙撮影ということで、久々に765プロアイドル全員揃っての撮影会となった。
 撮影会の様子そのものは2話で描かれた宣材写真撮影の時とほぼ同じで和気藹々としたものではあったが、そんな中でも765アイドルを取り巻く状況の変化や各人の成長が丁寧に描かれている。
 顔が知られてきたために移動中変装してきたもののすぐにばれてしまった真、逆にあずささんに気づかれないほどの変装を施してきた響などは、状況の変化を体現した描写だろう。その原因となったファーストライブ成功の一端が、実は隠れた敏腕記者であった善澤記者の書いた記事によるものであるということも、話の流れの中で無駄なく触れられている。

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 最も個人的な成長が描かれたのは、実は雪歩ではないだろうか。
 雪歩は撮影の合間にも自分が参加しているミュージカルの台本を熱心に読んでいるのだが、その際に貴音と話すシーンからは、第1クールの時のように何に対しても自信を持てない、気弱な女の子であった頃の面影はない。ライブ成功までの経緯を経て、ある程度は自分に自信が持てるようになってきていることが、雪歩のセリフからも十分に窺える。

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 そもそも基本的に真を始め誰かと共に行動することの多かった雪歩が、単独で個別の仕事についているということ自体が、雪歩の成長を何よりも明示していると言えるのではないか(尤も彼女性格の根本は変化していないことも後半で明らかになる)。
 成長とは少し違うかもしれないが、個人の変化として如実なものだったのは、やはり美希の「ハニー」呼称だろう。

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 原典であるゲーム版ではプロデューサーにはっきりとした恋心を抱いた時に言い出すプロデューサーへの呼称であるが、このアニマスでは若干違ったニュアンスで使用されているというところが注目すべき点である。
 12、13話で描かれた通り、美希にとってプロデューサーとは自分をもっと輝かせてくれる人であり、美希が持つべき美希独自の目標を指し示してくれた人間だ。美希1人ではとても到達できなかったであろう境地に辿り着くまでの道標を作ってくれたのは、他ならぬプロデューサーだったのである。
 だからこそ美希はプロデューサーに全幅の信頼を寄せた。自分を更に高いところへ連れて行ってくれると信じている相手だからこそ、プロデューサーは美希にとって特別な存在であり、特別な呼称で呼ばれるべき存在となったのだ。
 この美希の考え方はゲーム版「1」とも「2」とも異なる心の変遷によって生じたもので、具体的に言えば恋愛感情に起因したものではない。ゲーム版でもどちらかと言えば美希が強烈な恋愛感情を一方的にぶつけてくるだけで、プレーヤーであるプロデューサーの方は鈍かったりごまかしたりしていて、はっきりとした恋人関係になるわけではないのだが、それでも基本的に一対一の関係で、さらにプロデューサー=プレーヤーの視点で進行することになるゲーム版ならばともかく、アイドルたち全員を描写することが大前提のアニマスで、プロデューサーとアイドルを個人的な恋愛関係に発展させるわけにはいかなかったという内情も影響しているのだろう。あくまで主役はアイドルであり、プロデューサーは彼女ら全員を対等に支える立場の人間でなければならないのだ。
 しかし改めて考えてみると、プロデューサーが美希にとって特別な存在たりえたのは、そもそも12話においてアイドルをやめようとまで考えた美希のことを必死に繋ぎ止めた結果であり、この部分はゲーム版「2」のそれに通じると取ることもできる。また12話のAパートではプロデューサーが美希に対し「765プロアイドルの1人」として叱りつけていたのに対し、Bパートでは「15歳の女の子」として接していたが、これは何よりも美希を大切に想い美希の気持ちを尊重していたからこそのものであり、この「純粋に美希のことを1人の少女として大切に想う」描写は、「1」で美希を揺り動かしたプロデューサーの感情に近いものがある。
 いささか強引な見方だとは思うが、アニマスでの「ハニー」呼称に至る経緯と同時に変わっていく美希の心情は、「1」と「2」でのそれぞれの描写を折衷し、且つ恋愛面の部分を薄めることで生み出されたものとも解釈できよう。
 ただアニマスにおけるハニー呼称も単なる親愛の情によるものだけではなく、わずかに恋愛感情も入り混じった、ゲーム版に近しい感情からの発露であることが今話のNO MAKEから窺えるが、このあたりが今後の物語にどう影響していくのか、それも注目すべき点であることは間違いない。
 その美希の影に隠れてしまう形になってしまったが、プロデューサーと衣装について話をする伊織の様子も、同様のシーンが存在した2話の時とは違い、プロデューサーからの褒め言葉を素直に受け止められる程度には信頼感を強めていることが見て取れるし、その会話を美希に遮られた際にかなり立腹していたのも以前よりもプロデューサーに心を許していたからこそだったのだろう。
 そして「キミはメロディ」に乗って、春香曰く「765プロの快進撃」が描かれる。

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 新たな分野に挑戦する雪歩や自分のやりたかったことに今まで以上に積極的に取り組めるようになった千早を筆頭に、各アイドルはそれぞれの場でアイドルとしての仕事に邁進していく。
 その中に電撃マ王で連載中の「ぷちます!」に登場するぷちどるたちがストラップとして登場するのは、御愛嬌というところか。

 だが彼女らの快進撃もまた順風満帆とはいかなかった。13話での台風と同様、新たな問題の種が静かに芽吹き始めていたである。
 テレビ局で出会った春香とやよいに意味深な言葉を残して去っていく、961プロ所属のアイドル「ジュピター」。漠然と湧きあがる不穏な空気は、先日撮影された765プロアイドルの写真が表紙として使われるはずの雑誌が発売された時に、はっきりとした形となって現れる。
 表紙に彼女らの写真は一切使われておらず、ジュピター3人の写真に差し替えられてしまっていたのだ。
 伊織が怒りを露わにする一方で、生来の気弱さから自分がどこか悪かったのではと雪歩が悲観してしまうが、そんな彼女を励ますのが美希というのは、なかなか意外性のある組み合わせである。
 雑誌社へプロデューサーが連絡を取ってもけんもほろろと言った感じで埒が明かない。しかしそこへ現れた高木社長は、ある人物への疑念を抱く。

 その人物とは、961プロの黒井社長であった。
 折りしも961プロの社長室で、ジュピターを前に765プロと高木社長を叩き潰すことを、大仰な言い回しで高らかに宣言する黒井社長。
 その一方、善澤記者を交えて善後策を話し合っていた765プロの事務所では、小鳥さんが誰に気づかれることもなく沈んだ表情を浮かべる中、高木社長が黒井社長との因縁を語り始める。

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 若かりし頃、2人は切磋琢磨しながらプロデューサーとして活動していたが、やがてアイドルのプロデュース方法についての意見の相違から2人は対立するようになり、ついには黒井社長は高木社長の説得にも耳を貸さず、袂を分かってしまったというのだ。
 そして現在、765プロのアイドル勢が新進気鋭のアイドルとして頭角を現してきたことを認識した黒井社長は、自分の見出したアイドルこそが至高の存在であることを示すべく、邪魔となる765アイドルを失墜させるべく活動を開始した。雑誌社に手を回して表紙を差し替えたのも、それを誇示するための宣戦布告であるという。
 この高木社長と黒井社長の因縁、さらにその因縁に小鳥さんが絡んでいるという描写は、ゲーム版「SP」以降打ちだされた設定であり、「SP」以降ファンの様々な憶測を呼んできた。
 「2」では社長が高木順一朗氏から高木順二朗氏に変わったということもあり、2人の社長の因縁についてはだいぶぼやかされる形となったが、アニマスではその因縁描写を再び明確に背景設定に持ってきたことになる。
 「SP」の時点から2人の過去については断片的な情報でしか語られていないため、アニマスでより明確に語られることがあるのではと期待する向きもあるようだが、あくまで2人の過去話は今現在の話に深みを持たせるためのスパイス的なものであり、本作において2人の過去を本格的に掘り下げるようなことはしないと解釈しておいた方がいいだろう。例えるなら「刑事コロンボ」における『うちのかみさん』的な扱いに留まると思われる。
 製作側としては過去の物語もある程度出来上がっているのかもしれないが、それを「今現在活動しているアイドルの物語」の中で公表する必要はないのだから。

 黒井社長との因縁、そして現在の765プロには961プロという巨大な芸能事務所に真正面から対抗できるだけの力はないということを聞かされ、アイドルたちは意気消沈してしまう。
 そんな中怒りの収まらない伊織は、権力には権力とばかりに水瀬財閥の力を使って961プロの行動を封じようとするが、そんな彼女をプロデューサーが制止する。彼らと同じことをしてはいけないと。
 だがその正論を聞いてもなお伊織は食い下がる。それは単に仕事を横取りされたというだけが理由ではない。久しぶりに集合できた765プロアイドル全員が一丸となって取り組んだ仕事であったからこそ、皆の努力が理不尽な手段で踏みにじられた悔しさ故のものだった。10話で新幹少女のプロデューサーと対峙した時と同様に、仲間を大切に想っているから尚のこと激情を収めることができないのだ。
 そんな伊織の気持ちを理解しているからか、皆も口々に不満をこぼし始め、さらには黒井社長に仕返しをしようとまで言い出す。仕返しとして提案された内容自体は子供っぽい間の抜けたものであったが、雰囲気が次第に険悪になってきてしまったことは否めず、律子の注意を聞いてもそれは止まらない。
 そんな中、伊織の「負けたまま引き下がるのか」という言葉に思わず口を開きかけたのは春香だったが、彼女より先に声を上げた少女がいた。
 声を上げた美希は、雑誌の表紙として掲載されているジュピターよりも自分たちの方がずっとよく撮れていた、だから自分たちは負けてないと話す。
 写真の写り具合の良し悪しを自分のセンスで判断してしまうところは、2話で伊織の着ていた衣装をさらっと否定していたあたりを彷彿とさせるが、皆が他事務所との勝ち負けにこだわる中、それに囚われることなくあくまで客観的に写真の評価を下したところは、常にマイペースな面を崩さない美希ならではの持ち味が発揮されたとも言えるだろう。
 美希の言葉を受けてプロデューサーも、961プロに邪魔された悔しさはわかるが今は自分たちのアイドルとしての仕事に集中し、いつか961プロも手出しできない事務所に成長しよう、961プロに関しては皆の納得できない部分も含め、社長や律子、そして自分たち裏方の人間が引き受けるからと呼びかける。
 そのプロデューサーの言葉に一応その場での収拾はつけられたものの、ほとんどのメンバーは納得できていない様子。
 まだ事務所内がいつもの雰囲気に戻りきれない中、春香は大量に届いたファンレターの仕分けをしていた小鳥を手伝い始め、その中に自分の似顔絵が描かれたファンレターを見つける。
 それを皮切りにやよいが、亜美と真美が各々ファンレターやファンからのプレゼントを手に取り、その内容を見て笑顔を作り始める。やがてそれは他のアイドルたちにも波及し、いつしかアイドルたちは全員、ファンレターを読み耽るようになっていた。

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 それぞれ自分の似顔絵に困惑する伊織と美希、「真王子」と書かれたファンレターに苦笑する真、ペットのことを気遣われ奮起する響…。それは彼女たちがアイドルとして努力してきたこと、自分たちの頑張りが大勢の人の心に良い影響を与えている何よりの証左であったし、アイドルとして最も喜ばしい「ご褒美」の一つでもあった。
 そして彼女たちは悟る。自分たちが立ち向かうべきは961プロではなく、これからもトップアイドルを目指して努力し続ける自分自身なのだということを。
 それでもなお961プロを打倒すると宣言する響だったが、その言葉にも表情にも、先程までの思いつめた暗い感情は存在しない。彼女たちにとって961プロもジュピターも「勝利すべき敵」ではなく、それこそ前話での台風と同程度の「障害」に過ぎないのだ。障害を倒すことそのものではなく、それを乗り越えた先にあるものを追い求める。それこそが彼女たちの何より目指すべき夢なのである。
 彼女たちの中で961プロやジュピターの扱いが変化したことは、机の上に置き去りにされたテレビ雑誌が何より如実に示しているし、765プロアイドルの中でも正負に拠らず感情表現が豊かな響に件のセリフを言わせることで、全員の胸中から刺々しい感情が霧散したことをも明らかにしている。このシーンに流れているBGMが「GO MY WAY!!」のスローバラードであったことも、BGMの面から彼女たちの決意を後押しする好演出だ。
 先程プロデューサーが全員に話した内容とはまさにこのことであったのだが、プロデューサーの説得一つで皆が納得する展開にさせず、アイドルたち自身に考えさせ、自分たちで自分たちなりの答えを見つけさせるという流れは、アニマスの大きなテーマである「アイドルたちの物語」に即したものとなっている。あくまでも中心となるべき存在はアイドルの少女たちであり、プロデューサーを始めとする周囲の大人は、彼女らが正しく成長するための介添えをする立場に過ぎないという姿勢を徹底しているのだ。
 そしてそんなプロデューサーの考えを、皆より一足早く正確に理解していた者が春香だ。
 春香は伊織の発した「負けたままで引き下がるのか」という言葉に反応し、声を上げようとした。それは「勝ち負け」という価値基準に呑まれてしまっていた皆を諌めるためではなかったか。
 自分たちが何よりやるべきことは、トップアイドルを目指して努力していくこと。純粋にアイドルに憧れ、アイドルになることを目標にし続けてきた春香だからこそ、その想いだけは今までぶれることはなかったし、自分たちがアイドルとして順調に活躍できている今現在の状況こそが、その考えが正しい事の何よりの証であることも知っている。
 だからこそ春香はみんなが誤った方向に進みかけているのを止めようとしたのだ。プロデューサーの言葉に頷き、美希とともに笑顔で納得したのも、プロデューサーが自分と同じ考えを以ってみんなを説得してくれたことが嬉しかったからに他ならないだろう。
 今話では春香自身の気遣いがみんなを直接的に助けることはなかったものの、プロデューサーからの説得の直後、皆がまだわだかまりを捨てきれない状況の中、ただ1人ファンレター=アイドル活動のご褒美に目を向けることができたのは、彼女が普段から持ち合わせている優しい視点あればこそのものであった。今回は春香の積極的な気遣いではなく、彼女が持っている生来の優しさが無意識のうちに他のアイドルの心を和やかにしたと言える。

 さらに言うならこの事務所での一連のシーンは、961プロ側、とりわけジュピターとの決定的な対比にもなっている。
 「2」でジュピターが登場すると判明してからの一連の騒動は、知っている人であればご存知のことと思うが、実際にゲームをプレイした人からはあまり否定的な意見は聞かれず、むしろ「実はいい人」的な評価が多くささやかれるようになった。
 しかしここで勘違いしてはいけないのは、ジュピターの3人は確かに悪い人間ではないかもしれないが、同時に良い人間でもないということだ。
 なぜなら彼らは黒井社長の取った手段が汚い手段であることを承知しつつ、それを是認しているのだから。メンバーの1人である天ケ瀬冬馬に関しては少し事情が異なるものの、基本的に彼ら自身は黒井社長のやり方に口を挟むことはしない。彼らには彼らなりの矜持があるだろうが、同時に黒井社長の仕掛ける小狡いやり口を否定することもまた行わないのである。
 このあたり、10話における新幹少女と同様の限界を指し示していると言える。妨害工作を受けてなお報復を否定し、アイドルとして高みを目指す765プロのアイドルと、他者を蹴落とすことに固執し、そのためなら汚い手段を用いることも許容する961プロとで、志の違いが明確に打ち出されているのだ。
 あえて言うなら今話での描写の時点で、961プロもジュピターも新幹少女のプロデューサーと同様の「小者」であると断じることさえ可能なのである。彼らが辿り着いた思考の先は、結局のところまったく同じものなのだから。
 961プロの社長室があれだけ広いにもかかわらず無味乾燥とした印象を与えるものであったのに対し、狭くとも大勢のアイドルたちの笑顔で溢れている765プロの事務所。どちらがより魅力的に見えるか、よく考えるべきところだろう。

 多くのファンレターを目にすることで、ゲーム版の設定と同様にテンションを上げることができたアイドルたち。
 そんな中でとある姉弟から送られてきた自分宛のファンレターと、同封されていた2人の写真をじっと見つめる千早。歌を通して結ばれている「姉と弟」の姿を見、彼女は何を想うのか。OP映像では彼女が歌うその背後で、今の彼女からは想像できないほど元気に飛び跳ねて歌う幼い頃の千早が映し出されていたが、そんな彼女の複雑な想いがクローズアップされる時がいつか来るのかもしれない。
 千早を交えた13人のアイドルはいつものように円陣を組み、アイドルとしてこれからも頑張っていくことを改めて誓う。

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 彼女たちを頼もしく思う一方で、961プロの今後の動向を危惧する高木社長。だがそんな社長の不安を否定するように、プロデューサーは自分でできる限りのことをしてみせると静かに、しかし力強く宣言する。
 アイドルが大人たちに頼らず、自分たちだけで抱えた問題を解決していくのと同様、裏方であるプロデューサーもまた抱える問題を、人生の先輩であり仕事上の先輩でもある社長たちに頼ることなく、自分の力で解決しようとする。日々成長していくアイドルたちの後ろで、プロデューサーもまた確実に彼女らをよりしっかりと支えられるように成長していっているのだ。
 それは皆の仕事の成果を高く評価する一方で、誤った考え方に傾いていく彼女らを正し、その上で強引に納得させるようなことはせず、不満のみを自分が一身に引き受け、彼女たちが自分自身で答えを導き出すことを信じて任せる、アイドルたちへの説得のやり方からも見て取れることだろう。
 そんな彼の姿に社長も、そして善澤記者もあえて多くを語ることなく、彼に任せることを態度で示すあたり、大人の渋みを感じさせてくれた。
 ED曲「Colorful Days」に乗って描かれる撮影風景のにぎやかで楽しそうな様子は、それが彼女たちのアイドルとしての魅力を最大限に引き出す源であると同時に、「仕事を楽しむ」姿勢こそが目標を達成する上で一番大切なものであることを表している。
 歌詞の内容どおり彼女らの個性はそれぞれ異なるが、しかし全員の個性が一つとなって真摯に仕事に取り組めば、誰よりも輝ける存在になれる。EDのラストカットはそのことを何よりも雄弁に物語っていると言えるだろう。

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 13話でのライブ成功を皮切りにどんどん変わっていった少女たちの日常。それはもちろん喜ばしいことであるが、同時にそれは望まない変化をも生み出す結果ともなった。ただアイドルとして日々を頑張っているだけなのに、ごく一部の人間に疎まれ仕事を邪魔される。当人にしてみれば確かに納得できないことではあるだろう。
 しかし彼女たちはそこに固執せず、今までどおりにアイドルとして各々の目標に邁進していく決意を固める。それは自分たちを支えてくれるプロデューサーや互いを支え合う仲間の存在だけではない、大勢のファンの暖かい応援が自分たちを支えてくれる新たな存在になったと知ることができたからだ。
 目まぐるしく変わっていく日常の中で決して変わらないものもある。アイドルたちはその変わらないものを芯としてこれからも歩んでいく。それを明示することこそが今話の目的であり、第2クールの中でも重要な要素となるはずのものだろう。
 そういう意味でも今話は第2クールの開幕を飾るにふさわしい良編に仕上がっていたと言える。
 殊に961プロ側との対決姿勢を前面に押し出さず、あくまで一つの障害としての側面のみを抽出した構成は秀逸だ。ゲーム版ではオーディションやフェスといった形で「相手と対決する」スタイルが仕様として組み込まれているため、対決要素そのものを主軸の一つに持ってくる必要があったわけだが、アニメにはその縛りはない。
 また「2」では3人編成のユニット一つのみをプロデュースする関係上、同じ編成のユニットであるジュピターがライバルとして立ちはだかる構図が無理なく成立していたが、アニメの場合はプロデュース対象が13人全員であるため、特定の一ユニットをライバルとして設定するのも難しい。
 そこで「2」と同様に961プロそのものを対立関係の相手として設定しながらも、その代替となるべきジュピターに焦点を絞らないことで、対決要素に話を限定させることを回避し、961プロという障害要素だけを残す措置を取ったのだろう(尤もジュピターの扱いについては今後の展開次第という部分もあるが)。
 ファン心理としては961プロ側にあまり出しゃばってきてほしくないという思いもあるが、彼らが765プロアイドルにとっての障害要素としてうまく機能してくれれば、1クールとはまた異なる彼女たちの日常と成長の物語が描かれ、彼女たちの魅力が引き出されるのではないだろうか。

 さて次回。

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 早速765プロアイドル全員での仕事が描かれるようだが、1クールでも同様の全員仕事の中で特定アイドルをフィーチャーすることが多かったアニマス。今回フィーチャーされるアイドルは誰になるのだろうか。
posted by 銀河満月 at 15:06| Comment(0) | TrackBack(13) | アニメ版アイドルマスター感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月02日

アニメ版アイドルマスター13話「そして、彼女たちはきらめくステージへ」感想

 8話の感想に書いたとおり、アニマスは基本的に1話完結のアンソロジー形式で作られており、各話ごとのバラエティに富んだ演出方法でそれぞれキャラクターをクローズアップしてきた。
 しかし同時にアニマスは完全な意味での「アンソロジー」ではない。それは話の根底に張られている縦糸でもある「登場人物がトップアイドルを目指して活動、成長していく」というテーマが、各々独立しているようにも見える各話間を強固に結び付けているからだ。
 1話から12話に至るまで様々な演出の元、様々な挿話が盛り込まれてきたわけだが、そんな中でも主人公のアイドル12人は、緩やかではあるものの確実に成長し、トップアイドルへの道を歩みだしている。むしろ彼女たちの成長を一足飛びにではなく、着実に且つ明確に描出するためのアンソロジー形式であったとも言えるだろう。
 そんな彼女たちが今までの物語の中で培ってきたもの、積み重ねてきたものを全てぶつける時がついに来た。
 765プロ主催の感謝祭ライブ。竜宮小町以外の9人にとっては初めてとなる大舞台でのライブに臨んだ時、彼女たちは何を見、そして何を得るのだろうか。

 ついにやってきたライブ当日。いち早く会場に到着した9人は、自分たちが今まで経験したことがないほどに大きいライブ会場を前に、圧倒されたり興奮したりと様々な想いを抱く。
 興奮していた側の代表格は春香だ。と言ってもやよいや響のようにストレートに感情を表現していたわけではなく、幼い頃父親に連れられて鑑賞したとあるアイドルのコンサートでの出来事を、静かに思い返していた。
 一番後ろの席に座っていた幼い春香たちに対して、「後ろの人もちゃんと見えているから」と声をかけていたアイドルの言葉。今自分がそのアイドルと同じ立場に立つことで、そのアイドルの言葉が真実であったことを実感した春香は、すべての席にいる人たちが楽しめるようなライブにしたいと、改めて決意する。
 その一方、美希は特に感慨の言葉を漏らすでもなく、まさに圧倒されたかのようにステージ上から客席を見上げていた。
 プロデューサーに話しかけられた美希は、努めて冷静に「自分がキラキラ出来るか」との不安な気持ちを吐露する。

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 この一連のシーンはライブ自体の成功を考慮している春香と、自分自身のことにしか意識を向けていない美希との対比として受け取る方が多いように思われるが、むしろこの場面では「ライブ」というものに対して、荒削りながらも明確なビジョンを持って臨もうとしている春香と、そのビジョンを未だ自分の中で構築できていない美希、という面での対比と考えるのが妥当だろう。
 小さい頃からずっとアイドルになる夢を抱き、それを目標にしてずっと努力してきた春香と、さしたる目標を持っていなかった上にその目標設定が歪んでしまったため、自らの目標を定めるまでずっと遠回りしてしまった美希との差が出たというところか。
 春香に対しては千早がただ春香の聞き役に徹していたのに対し、プロデューサーに疑問を投げかけ、その応えを聞いて美希が初めて笑顔を見せたというやり取りの差異も、その辺に起因しているのだろう。

 しかしここへきて新たな問題が勃発する。
 9人とは別の仕事をこなしていた竜宮小町と律子が、仕事先で台風の直撃を受け、移動が困難になってしまったのだ。
 当初はリハーサルにまでは到着できるという判断だったものの、電車が全線不通になり、レンタカーで移動するも今度はタイヤがパンクしてしまうという災難に連続して見舞われ、リハーサルの時間にまで到着することができなくなってしまう。

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 今回のライブは竜宮小町がメインであるだけに不安を隠しきれない一同ではあるが、それでも携帯電話を介してお互いを励まし合う姿は、765プロアイドルの面目躍如というところか。
 しかし開始一時間前、開場時間を迎えてたくさんの客が入場してきていると小鳥さんが報告する一方で、律子からの再度の連絡により、竜宮小町は本番開始時間までには到着できないことが確定的となってしまった。
 プロデューサーは竜宮小町が到着するまで9人だけでライブを行うことを決断、開始時間を30分遅らせる一方で、セットリストの再編成などに各人が奔走することとなる。
 先程も書いたとおり今回のライブが竜宮小町が主体であり、残りの9人は失礼な言い方をすれば前座にすぎない。
 もちろん全体の流れとしては、6話以降連綿と描かれてきた「9人のアイドルが竜宮小町と並ぶアイドルに成長するために努力する」描写の集大成としてのライブなのだから、9人全員が竜宮小町と同等の活躍ができるということを作中で見せなければならない。
 しかし竜宮小町主体のライブと銘打っている状況、竜宮小町の活躍を描かないわけにもいかないわけで、それらを両立させるためには竜宮小町自身には何の過失もなく、それでいて9人の方がライブで目立たざるを得ない状況が必要だった。そのための舞台装置が「台風」というわけだ。
 二組に分かれているメンバーのうち片方が、不測の事態によって約束に間に合わなくなってしまうという展開自体は、様々な作品の中でよく見られるものではあるが、このやり方は何も考えずに導入すると片方の描写だけに集中してしまい、もう片方の描写がおざなりに、ややもすると全く描写されずに終わってしまう可能性すらありうる。
 そういう意味では危険な見せ方とも言えるわけだが、この手法を取り入れた製作陣の真価は、Bパートにおいて明示されることになる。

 9人だけで当座を乗り切ると決めたアイドルたちではあったが、セットリストは急作りであるし、竜宮小町が歌う予定だった楽曲の歌唱者決定に難航するなど、やはり一筋縄でいく事態ではない。
 竜宮が来るまで持たせられるのか。そんな全員の不安を象徴するかのように、会場周辺にも雨粒が落ち始めてくる。
 いよいよ開始という段になっても、やはり不安は消し去れない。緊張を隠せず震えているのが雪歩とやよいというのは、11話でのレッスン描写からのつながりであろうが、各々が緊張を紛らそうとしている中で、美希だけが真剣な表情で資料(セットリストか楽譜か?)を見つめているのもまた、12話で芽生えた美希の新たな目標を踏まえての描写だろう。

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 それはプロデューサーからの最後の激励に応えたのが春香ではなく美希であったことからも十分に窺い知れる。しかし同時に春香であればその場にいる全員を気遣う意味での言葉を述べたところだろうが、美希はまだあくまで自分視点からでのみの決意表明にとどまっているところに、前述の「差」が感じられる。
 だがそれでもそういう決意を他ならぬ美希が、確固たる決意や意志と言ったものから一番縁遠かった美希が率先して述べたからこそ、この場では皆を鼓舞する効果を上げていたのも確かだろう。それは美希を笑顔で見つめ、そして次にはすぐさまキッと強く前を見据えた春香の様子からもわかることだ。

 そしていよいよライブ開始。小鳥さんのMCの後、誰より彼女たちの今日までの努力を傍らで見続けてきた青年に背中を押され、春香たち9人は憧れのステージへと飛び出していく。
 竜宮小町というメインの存在がおらず、しかも観客のほとんどは竜宮小町目当てであることも、振られているサイリウムの色から容易にわかってしまうという、9人にとっては何とも厳しい状況の出だしだ。
 春香が「乙女よ大志を抱け!」を歌っている間にも、楽屋では真美が使う予定のリボンが見つからず、響が見つけたスカーフで代用したものの、今度は真美とやよいが「キラメキラリ」を歌っている最中、そのスカーフが雪歩の使用するものであったことが発覚したりと、裏での混乱はなかなか収まらない。
 肝心の竜宮小町も渋滞に巻き込まれてほとんど身動きすることができず、焦りだけが募る一方。
 ライブ自体は「My Best Friend」「私はアイドル」と滞りなく進むものの、メインである竜宮小町が出てこないため観客も今一つ盛り上がらず、楽屋では真と響が些細なことから口論を始めてしまい、ついには真美が不手際で雪歩の衣装を破ってしまった。
 ライブを成功させたい、満足のいく結果を出したいと願う気持ちは皆同じである。しかしただでさえ今までにない大舞台でのライブということで緊張していたのに、当日になって突然の予定変更、しかも自分たちを引っ張ってくれるはずの竜宮小町も存在しないという状況で、ライブ開始前から各人の緊張が既にピークに達していたであろうことは、想像に難くない。
 さらには自分たちのパフォーマンスが観客を満足させられていないという現状、竜宮小町が来るまで自分たちがライブを盛り上げなければならないというプレッシャーと言った様々な感情が入り混じり、さらに今はライブの真っ最中であり、限られた時間の進行に追われるだけという現在の状況が焦燥感を煽り、9人を余計に混乱させてしまった、有り体に言えばテンパってしまったわけだ。
 このへんはアイドルとしての絶対的な経験値不足が露呈してしまっており、「アイドルになりきれていない」彼女らの未熟さを描出していると言える。
 千早の呼びかけもあってどうにか落ち着くことはできたものの、今度は不安感がどんどん湧きあがってきてしまう。彼女らがライブ開始直後からある意味でテンパっていたのは、心の奥にある不安を押し込める意味もあったろうことが窺い知れる。
 そんな中で口を開いたのは、やはり春香だった。

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 「今は自分たちが何を届けたいかを考えよう。観客の目を気にするよりも、夢の叶ったこの舞台の上で、自分たちができることを会場のすべてに届けよう」という言葉は、もちろんその場にいる全員を気遣っての、春香らしい励ましの言葉ではあったろう。しかしその場を盛り上げ、全員の感情を鼓舞する目的以上に、春香が思い描く「アイドル」として持つべき態度や信念を訴えているように思えるのだ。
 幼い頃からアイドルに憧れ、恐らく他の誰よりもアイドルという存在を大切に想っている春香だからこそ、自分が今その憧れの存在であった「アイドル」になっているからこそ、自分が思い描く理想のアイドルになりたいし、みんなもそんなアイドルになってほしい。そんなごく私的な想いの発露が、春香のこの言葉ではなかったか。
 そしてその言葉は単なる理想ではない。春香を含めたみんなは、その理想を現実のものとすることができる場に、今まさに立っている。この場に立つために皆で懸命に努力をし続けてきたことも知っている。だからこそ春香は信じられるのだ。自分たちなら理想を現実のものにできると、それだけのことを自分たちはしてきたのだと。
 竜宮小町が来るまで持たせると言った悲壮な考えではなく、竜宮小町のいない間に自分たちが台頭しようなどという野心的な考えでもない。あくまでもアイドルとして自分たちがやるべきことをやる。春香のその思いは各人を本当の意味で落ち着かせ、奮起させることとなった。
 春香の言った言葉は、場合によっては春香個人の抱く「アイドル」の理想像を押し付ける形になっていたかもしれない。しかし仔細はそれぞれ違えども、その場にいたのはアイドルになることを目指して今日まで頑張ってきた少女たちだ。だからこそ春香の理想に共感することができるし、今は何よりもそれが一番大切であることに思い至ることもできる。それは取りも直さず、彼女らが今までの様々な日常の中で培ってきた強い信頼関係があればこそのものだろう。
 そして彼女らが心に決めた「アイドルとして今やるべきこと」を誰よりも強く自覚していたのは、他ならぬ伊織だった。

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 他の9人よりも一足先に有名アイドルになった竜宮小町のリーダーとして、今回のライブを牽引する役割を本来担っていたのが伊織であったろうことは想像に難くない。そうでなくとも大きなライブを初めて体験する他の9人の手本とならなければならない立場であるし、もちろん竜宮小町目当てで集まってくれた大勢の観客に応えなければならない使命感もあるだろう。
 しかし現状は、台風という自分たちではどうしようもない力に阻まれ、会場で歌うどころか会場に到着することさえできない状態である。
 自分たちが到着していればライブそのものを混乱させることもなかったし、観客を戸惑わせることもなかったろう。何より他の9人に要らぬ苦労を強いらずにすんだはず。自分がやらなければならないことを誰より自覚していたからこそ、その悉くを実行することができない無念さ故の涙。それは仲間を思うからこその涙だった。伊織たちもまた仲間たちと強く結び付いているのである。
 同時にアイドルとしては先行している立場の伊織が既に持ち得ていた「アイドル」としての強い自覚を、今回の件で春香たちが紆余曲折の末に持つことができた時点で、伊織たち竜宮小町と春香たち8人はようやく同質の存在になれたとも言えるのだ。
 台風という偶発的な要素を利用して、竜宮小町とそれ以外の9人を物理的に離れさせたのは、春香たち9人をアイドルとして成長させるという作劇上の都合を考えれば、無理からぬ処置であったろう。
 しかしスタッフは、分かれた一方である竜宮小町の描写をおろそかにすることは決してしなかった。春香たち8人が自覚した「アイドルとしてやるべきこと」。それと同じことを自覚していたからこそ、それを果たすことが出来ずに伊織は涙を流した。言いかえればその時初めて春香たちのアイドルとしての自覚が、竜宮小町のそれと同等のものとなったのだから。
 この描写があったからこそ、春香たち8人はアイドルとして竜宮小町と同質の存在になれたと見て取ることができるのである。
 ただ1人、その時「私はアイドル」を歌っていたため楽屋にいなかったアイドルを除いて。

 アイドルとしての決意を固めた8人は、吹っ切れたかのように「スタ→トスタ→」「思い出をありがとう」「Next Life」「フラワーガール」と、次々曲を披露していく。だがそんな彼女らの心境の変化は、善澤記者などごく一部の者にしかまだ届いていない。
 未だ律子たちと連絡を取り合っているプロデューサーの元に、やよいが緊張の面持ちで話しかけてきた。急遽セットリストの順番を変更したことが仇となり、動きの激しいダンサブルな曲を、美希が2曲続けて歌う順番になっていたことが発覚したのだ。
 本番中に曲の入れ替えをすることもできず、ボーカルの練習は2曲とも美希しか実施していないということで対応を迫られるプロデューサーだったが、そんな彼に美希は静かに「やってみてもいいかな?」と問いかける。

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 ここで注目したいのは美希の言葉だ。いつもの美希であれば最初から「やってみる」なり「やってみたい」なり、自分を思考の中心に据えた上での言葉遣いになっていただろうが、今回はまず最初にプロデューサーに実行の可否を問いただしている。
 続くプロデューサーとのやり取りの中からもわかるとおり、美希にとっても2曲連続というのは自信のないことなのだ。しかし美希は同時に、その自信のないことに臨みたいという明確な意志を示した。12話において「竜宮小町のような存在に自分がなれるかわからない」という理由でアイドルを止めようとさえした美希が、である。
 対するプロデューサーも美希の希望を無下に否定することなく、今現在の美希の素直な気持ちを聞いた上で、2曲連続で美希に歌わせる決断を下す。2人もまた過去の挿話を経て確実に成長した存在なのだ。
 失敗する可能性を恐れながらもなお、自らが憧れる理想のアイドルとしての姿を求めて困難に挑もうとする美希と、それを認め彼女を信じることで送り出すプロデューサー。ゲーム版アイドルマスターのラストコンサートにおける美希とプロデューサーのやり取りをも想起させるこの会話シーンは、ゲーム版では2人で追い求めた美希なりの理想のアイドルとしての姿に、とりあえずの決着をつけるという意味で機能していたが、今話の方ではそれを今まさに追い求め始めようとするスタートとしての意味合いが持たされている。

 そして美希の成長はそこだけに留まらない。美希は歌を歌う前にわざわざMCを挟んだ上で、竜宮小町の到着が台風のために遅れているという事実を初めて観客に話す。その上で竜宮小町が来るまで「美希たち」が竜宮小町に負けないくらい頑張るから見ていてと呼びかける。
 3話でも披露された美希の天然トークスキルの高さは健在だったが、今話でのこのトークは単なるMC以上の意味を持つ。
 もし美希が以前のように自分中心の考え方のままであったなら、わざわざここにMCを挟む必要はないのだ。なのになぜMCを挟んだのか、今あえて竜宮小町の不在を暴露したのだろう。
 それは6話以降、「竜宮小町」という存在に縛られ続けていた美希の精神的な脱却の宣言であると同時に、「自分」ではなく「自分たち」、つまり仲間全員で取り組めば竜宮小町と同じくらい、またはそれ以上に輝くことができるという信念が芽生えてきたからではなかったか。
 12話での美希の言葉を思い返してほしい。美希はみんなと一緒にライブのレッスンをしている時、ドキドキしたりワクワクしたと言っていた。決してはっきりと自覚していたわけではないだろうが、それでも美希は心のどこかできちんと理解していたのだ。皆と一緒に頑張っていくことで、初めて自分の思い描く理想のアイドルに近づくことができると。
 だからこそあえて美希は「美希」個人ではなく「美希たち」と、9人全員のことを指し示して表現したのだろう。さらに言えば竜宮小町について「ちゃんと来る」と断定形で話していたのも、竜宮小町への強い仲間意識があればこそのものだろう。
 美希はMCの最中、美希個人ではなく765プロアイドルの代表としてあの場に立っていた。それは誰に頼まれたわけでもない、美希が初めて能動的に仲間たちを気遣った結果の行為でもあったのだ。
 MCに続けて美希は全力で「Day of the future」を歌いあげる。その時点で体力的にはかなり厳しい状態ではあったが、美希はサポートに真、響を迎えて、そのまま新曲「マリオネットの心」を熱唱する。

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 美希が苦しそうであることはプロデューサーや他のアイドルにしてみれば一目瞭然ではあったが、一度ステージに上がった以上は手を差し伸べることはできず、信じて見守るしかない。ゲーム版であれば「アピール」という形でプロデューサーがアイドルを支援することはできるのだが、この辺はゲーム版で描ききれなかった「アイドルを見守る側の人々」の複雑な胸中をアニメならではの視点で描写している。
 ほとんどのメンバーが信じて見守るだけの中、酸素吸入器を取りに戻る春香の具体的な気遣いが際立っていた。
 美希は2曲を無事に歌い終える。彼女の強い想いが観客にも伝わったようで、若干冷めてしまっていた観客のボルテージもだいぶ高まってきた様子。
 舞台袖に戻ってきた美希に話しかける千早。言葉少なに「すごかった」とだけ感想を述べた千早は「次は私の番」と言って舞台へと向かう。その胸中にはどのような想いが去来していたのだろうか。
 次の瞬間、疲労の極に達していた美希はプロデューサーの胸に倒れこんでしまう。そんな中でもステージと同じようにキラキラ輝くことができた美希は、プロデューサーにそれを認められて満面の笑みをこぼす。

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 千早がステージで「目が逢う瞬間」を歌っている最中、春香に今の心情を伝える美希。輝くライト、観客の歓声。それは美希がライブという大きな舞台の中で、初めて自分自身の力で味わうことのできたワクワクやドキドキだった。
 「これからもっとアイドルやりたいって思ったの」と迷いなく話す美希の姿には、かつての「楽チンな感じでアイドルやっていけたらいい」と話していた頃の面影はない。
 春香たち8人は前述の楽屋でのやり取りで、竜宮小町と同等の「アイドルとしての自覚」を持つことができたが、それは春香の抱く理想のアイドル像が、程度の差こそあれ他の7人の理想と合致する部分があったからということに他ならない。そういう部分があればこそ春香の理想にも共感することができたのだから。
 しかし美希は1人だけ目標とするべき理想のアイドル像を持っていなかった。正確には歪な形で竜宮小町そのものを自分の理想としてしまっていたわけだが、本シーンでのこのセリフで、12話での騒動を経て生まれた美希自身の理想とするアイドルの姿が、はっきり定まったと言える。
 今やっとアイドルとしての目標を定めることのできた美希の心情を聴いているのが、恐らくは誰よりもアイドルに憧れ、アイドルになることを目標としてきた春香だったというのも、巧い演出であった。純粋にアイドルでありたいと願う美希の素直な気持ちを聞いて向けられた春香の笑顔は、そんな風に美希が夢を持てたことを我が事のように祝福するかの如く、穏やかで優しい。
 そしてその気持ちは、車中の人であった律子も同様だろう。多くの言葉を述べたわけではないが、美希が頑張っているとの話を聞いた時の安堵した表情からは、美希の成長を喜んでいる節が見て取れる。

 美希ははっきりと自分が目指す目標としてのアイドル像を得た。そしてそれを叶えるために、自分が望むものを得るために何が必要なのか、何をすれば良いのかも、もう既に知っている。
 ここで初めて美希に「アイドルとしてやっていく自覚」が備わったのだ。そしてそれは言うまでもなく、美希が美希以外の765プロアイドルと同質の存在になれたことを意味する。
 竜宮小町より一歩遅れてしまっていた9人の少女たちは、ここにきて初めて竜宮小町と肩を並べ、共に歩んでいける存在となれたのだ。
 彼女たちがやるべきことはもはやただ一つ。竜宮小町が到着するまで、アイドルとして今まで培ってきたもの、自分たちで積み重ねてきたもののすべてをぶつけるだけ。
 円陣を組んで決意を新たにした9人はステージに飛び出し、満を持して新曲「自分REST@RT」を披露する。

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 ダンスシーンは「マリオネットの心」の方も含め、ゲーム版でのダンスのアニメ再現を念頭に置いていたと思われる6話の「SMOKY THRILL」と違い、原典とするべきものが今のところ存在しないためか、カメラワークがかなり自由に組まれていたのが特徴的だ。
 アイドルの背後から、サイリウムで彩られた客席側を映すようなアングルや、「夢なら覚めないでいて」の部分での春香、真美、響の連続アップシーン、「大空を飛ぶ鳥のように」での横に並んだアイドルたちを、単なるパンニングではなく空間的に活写したりしているシーンなどが該当する。
 アイドルのダンスもさることながら、ダンスに合わせて始終動き回っている髪の毛や飛び散る汗によって、より激しく躍動している印象を視聴者に与える一方、同一の振り付けでも個人によって若干タイミングや動きの切れに差があったりと、「SMOKY THRILL」でも効果的に用いられた手法が、今回もライブシーンを盛り上げていた。
 そして忘れちゃいけない観客のコール。実際のアイマスライブではもはやおなじみとなったこのコールであるが、美希がMCを始めたあたりでは歓声すら上がらなかったことを思えば、この激しいコールは、9人のアイドルとしての想いが観客に伝わったことを何より雄弁に物語っており、同時に彼女ら9人がアイドルとして一回り大きくなった証でもあった。
 コールの音がうるさくて肝心の歌が聞こえなかったという意見もあるようだが、聞き取れたか聞き取れなかったかに関しては完全に視聴者個々人の差でしかないと思われるので、これを以ってこのシーンそのものを否定するのは筋違いというものであろう。
 ようやく会場に到着した竜宮小町の面々が、9人の成長と成果を明確に知ることができたのも、観客の盛り上がりあればこそだったのだから。
 ライブが終わり、楽屋で疲れ果てて眠ってしまった一同に、伊織が涙を溜めながら「お疲れ様」と声をかけたのも、9人が自分たちの力でライブを盛り上げ成功に導くという「成果」を出してくれたことが、何より嬉しかったからのように思える。

 そして彼女たちは再び全員で歩き出す。各々の思い描く「きらめくステージ」へと。

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 ED映像は1話から12話まで、これまでの話のシーンをつなげたまさに集大成的な映像になっている。それぞれの話の中で紡がれてきたアイドルたちの信頼関係や成長などの要素をまとめ上げ、結実させたのが第1クール締めの話となる今話であるから、この編集映像は今話のEDを飾るにふさわしい映像であったと言える。
 個人的に注目したいのは以下の部分。

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 人数的にも最終回規模の人員と言っていいのではないだろうか。無論ステージでのダンスシーンだけに注力していたわけではなく、全編に渡ってアイドルの少女たちを魅力的に描いていたのだから、この人数もむべなるかなというところではあるが。
 また劇中で使用された楽曲の数も過去最大のものとなっている。

 今回の話は上記の中で散々言ってきたとおり、春香たち9人のアイドルが初のライブを通して竜宮小町と同等・同質のアイドルになるまでを描くことがテーマだった(決してアイドルとしての人気や認知度が竜宮小町と同じになったと言っているわけではない)。
 その内容でいけば竜宮小町の存在はむしろ邪魔になってしまいかねないものであったが、その存在をうまく生かしてアイドルたちの成長を確かなものとして補強する役割を担わせているというのは、上記解説の中で既に言及しているところである。
 作画面に関しても前述の通り大量の人員を投入した甲斐あってか、11話や12話で見受けられた少し粗い作画が、今話に関してはほとんど存在していなかった。
 各種雑誌に掲載されている錦織監督インタビューを読んでみても、第1クールの最終話である今話は節目の話としてかなり重要視していたようであり、そんなスタッフの情熱がそのまま炸裂した挿話とも言えるだろう。
 また今回、話の筋とはちょっと離れたところで注目すべきなのは、Bパート直後から始まるライブ序盤の中に流れている、いわゆる「ライブ感」的な感覚だ。
 限られた時間の中でその時間に追われながら、開始前に組み立てた予定をこなしつつ、不測の事態には臨機応変に対応しなければならない。かと言って流れを止めることはもはや許されないという厳しい環境下での人間模様は、本編中ではそれほど時間をかけて描かれたわけではないものの、アニメスタッフが製作開始前にアイマスのライブを実際に取材したということもあり、かなり真に迫っているものがあった。
 ライブ中で披露している曲のかかる時間が本編中では短かったというのも、もちろん尺の都合もあったのだろうが、さして間をおかずに曲目を連続で披露し、且つ歌っているアイドルがロング視点からの遠景描写のみであったり、または楽屋でのドタバタのBGM的な扱いで流されたりとていくことで「時間に追われている、振り回されている様」を演出し、それによって徐々に焦燥感が駆り立てられていくアイドルたちを描写するのに一役買っていた。
 春香の言葉を受けてからはそのような消極的な見せ方がなくなり、一枚絵ではあるものの歌っているアイドルの姿をアップでしっかり映すようになっていったのは、全員がアイドルとしての自覚を明確にし、精神的な余裕が生まれたことを証明する演出であろう。
 ライブ自体も例えばサイリウム一つ取ってみても、観客は竜宮小町目当てのためにそれぞれのイメージカラーである黄色、ピンク、紫のリウムしか基本的に振っていないのだが、最後の「自分REST@RT」の時には、盛り上がっていることを象徴するかのように会場中でウルトラオレンジが振られている(ウルトラオレンジはイメージカラーとは関係なく、ライブの終盤やクライマックスの部分で振られることが多い)。
 その一方で高木社長は、最初から全アイドルのイメージカラー分のサイリウムを所持していたのが泣けるところだ(ちゃんと春香・千早のデュオだった「My Best Friend」の時は、赤と青のサイリウムのみを所持している)。
 会場に展示されているフラワースタンドの中には、3話で訪れた降郷村の青年団からや、8話であずささんがキューピッド役となった石油王から送られたものがあったりと、芸コマな部分も相変わらずである。

 さて次回。

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 感謝祭ライブを経て一回り成長した765プロアイドルの面々。彼女たちの日常はどのように変化していくのだろうか。
posted by 銀河満月 at 05:38| Comment(0) | TrackBack(15) | アニメ版アイドルマスター感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする