2010年09月25日

最近のアイマス2に関して思うこと

 いや、別に大したことは話しませんけどね(笑)。

 さて「アイドルマスター2」ですが、先週18日の東京ゲームショウにおける決起集会から一週間経ちました。
 その際に発表された新情報などに端を発する、アイマス界隈での大騒動は、ちょっと調べてもらえばすぐわかると思います。
 発表された当初はまさに大騒ぎと言ってもいい状況で、そこにさほどアイマスを知らない「祭り」好きの人たちが流入してきたために、さらに収拾のつかない状態にまで陥りました。
 一時の狂騒ぶりは落ち着いたものの、一週間経った今でも各所で火種がくすぶり続けているような状態になっています。

 今回多くのファンから批判されたのは、「竜宮小町組のプロデュース不可」と「男性のライバルユニット『JUPITER』の登場」の二項でしょうか。
 (CDの話とかもありますが、とりあえずここではこの二つだけ。)

 まず「竜宮小町組のプロデュース不可」。
 まあこれは反発を受けるのは当然でしょう。1で出来ていたことが2で出来なくなるのだから、単純にゲーム面においてもマイナスだし、彼女ら4人のうちいずれかの、いわゆる「専属P」になっていた人にとっては、まさに許しがたい蛮行と受け取っても仕方のないところです。
 アイマスSPにおける美希も961プロに移籍という形を取っていたためにプロデュースできませんでしたが、今回は同じ765プロに所属していながらプロデュースできないという点で、よりひどい扱いになったという意見もあるようですね。
 これに関してはもうどうしようもない面があるのは確かでしょう。制作側や他のファンが色々理由や好意的になれそうな面をピックアップしてみたとしても、納得しない人はどこまでも納得できないと思います。そういう人たちにとっては「プロデュースできない」、その一点だけでまだ発売されていないゲームをクソ呼ばわりできるほどに重いことなのですから。
 だからこれに関して僕はどうこう言いません。これは理屈ではなくて感情の問題ですから、仮に誰から見ても反論の仕様がない正論を投げかけたとしても、「俺は嫌だ」と返されたら何も言えなくなってしまいます。だから何も言いません。
 ただプロデュース不可を許せない人も、プロデュース不可でもいいんじゃね?って人も両方いるわけですから、感情的になって罵りあうようなことにはなって欲しくないと思います。
 プロデュースできないことを許せないと思う気持ちは間違いではありません。ですが同時にプロデュースしている時とは違う付き合い方が出来るのが楽しみだと思う気持ちも、また間違いではないのですから。

 ちなみに僕としては、両方の気持ちが半分ずつくらいというところでしょうか。プロデュースできないのは残念だけど、あくまでそこまでであって、アイマス2を拒絶するとか制作陣を呪うとか、そこまでの激情が生まれてくることもないです。
 制作陣にさほど期待することも出来なくなっていますが。


 次に「JUPITER」さんの話。
 これはライバルユニット云々よりも、やはり「男性のユニット」という部分において引っかかっている方が多いようですね。
 今までのアイマスのゲームは、基本的にプロデューサーと事務所の女の子達、という人員で構成されてきました。1やSPでも男性キャラは登場すると言えばしましたが、姿を見せる場合でもシルエット、後はせいぜいセリフ上にその存在を示す言葉が出てくる程度です。
 アイマスDSでは主人公側に「実は男の子」である秋月涼がおり、それ以外にも何人か、シルエットでない男性キャラクターが登場しています。
 しかしDSでも主役の涼を例外とすれば顔あり男性キャラも皆サブキャラですし、女性のサブキャラと違って表情やポージングも1つだけで差分なしという程度の扱いでした。
 しかし今回のJUPITERはそれどころの話ではなく、専用の歌まで用意されており、765プロアイドルと同様にPVまで存在しているという代物。
 今シリーズ中における男性キャラクターとしては破格の扱いぶりですから、戸惑うのも無理のないことです。

 このJUPITERにおける意見としては「男性なのはアレだけど、同情する余地のない敵キャラを用意したのは良いこと」みたいなものと、「アイマスの世界に男性が登場すること自体が許せない」という感じの、2つの意見に概ね大別できると思います。
 ちなみに僕は前者の方の考えです。ディレ1こと石原ディレクターがファミ通でのインタビューで触れていたとおり、純粋に敵として倒すべき存在としては、プロデュースしているアイドル達と同様のかわいい女の子よりは、調子こいてそうな男の方が良いと思ってます。
 一般論としてその種のことを唱えた人もいますし、決して誤った考え方ではないでしょう。
 ですがネット上で色々見る限り(あくまでネット上のみの話ですが)、後者の考え方を持つ人のほうが多いようです。石原Dもこれまたインタビュー内で触れていた、いわゆる「寝取られ」という自体が起こるのではないか、というのが反発する理由の大元になっているように見受けられますね。
 これについてはさすがに過敏すぎるんじゃないですかねえ。実際にゲーム中でそういう描写があったと現時点でわかるはずもなし、石原Dにしたって「そういう展開にはしない」みたいなことをいっているわけですから。
 石原Dの言うことは信用できないという人がいますが、それならそれで実際にそうであった時に騒げばいいのではないですかね。信じようと信じまいと個人の自由ですが、ゲーム中でそういう展開があったならそれは「嘘をついた」ことになるわけですから。
 今の時点で騒いでも、自分からわざわざネガティブな妄想を繰り広げている人としか見てもらえないのではないでしょうか。

 ついでに言っておきますと、JUPITERに関連して「可能性を生み出しただけでアウトなんだよ!」というフレーズが流行ってきているようですが、僕はこの考え方だけは認めることは出来ません。
 創作において表現上のタブーを作ってしまえば、その後に来るのは「表現規制」です。それがどれだけ愚かしいことか、僕は一ファンの一般人に過ぎませんが、それは十分に承知しているつもりです。
 アイマスという作品内の話で大げさに考えすぎだという人もいるかもしれませんが、僕は一部の人間の反発によって、アイマスの中に表現上のタブーが生まれてしまう事態が発生することそのものを恐れます。


 それ以外は「オンライン対戦不可」と「CD販売のやり方」でしょうか。
 オンライン対戦については、個人的には1の頃からいらない機能だと思っていたので、なくなって嬉しいというのが本音です。
 まあオン対戦機能を残しておいて、実際にやるかどうかの選択はプレーヤーの側に委ねればいいという意見も至極真っ当ですし、それがベストなのだろうとも思ったりはしますね。
 CD販売についてはいわゆる「AKB商法」っぽいのが嫌だというのが大半みたいですが、実際どんな形で人気順を決めるのかがまだ発表されてませんから、そこまで文句をつける必要はまだないのではないかとも思います(と言っても実際はありきたりの方法になるのでしょうが)。
 個人的には投票とかよりも別の部分で、僕はこのやり方に不安を覚えてますね。
 「どうせ今だけ選抜したところで、そう遠くない将来に他のメンバーが歌っているバージョンを販売するんだろう」。そう思えて仕方がありません(笑)。


 まあつらつらと書いてはきましたが、僕個人としては残念に思う部分もありますが、「まあこんなもんか」と思っている面もあります。
 そもそもシリーズ作品をずっと継続させていく上では、新規のファンを開拓して裾野を広げていかなければならないのは必定ですし、そのためには既存ファンを満足させるためだけではない、様々な新規要素を追加していかなければならないものです。
 作品というものも、大勢の人間が寄ってたかって作っているものである以上、1つの「生き物」であり、それが時を経て初期の頃とは少しずつ変わっていくというのは、避けられない現象とも言えます。
 それがユーザーにとって心地良いものか、それとも不快感を催すものなのか、それは個人が判断すれば良いことですが、変化することそのものを否定してはいけないと思います。
 まして今回の騒ぎに便乗して、Amazonの予約ページのカスタマーイメージに妙なコラ画像を掲載したり、発売前のゲームに対してレビューを書くというマナー違反をすること、そしてそれらを是認するような真似は、許されざることです。
 現在、これら変更点についての改正を求める署名活動も行われています。メーカーに反発するならそのような正規の手段を用いて実施しなくてはならないでしょう。
 メーカーにひどいことをされたと思うのは勝手ですが、だからと言ってこちらが何をしても良いというわけではないのですから。
posted by 銀河満月 at 18:03| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月18日

長期間放送のツケ

 色々思うところあってリニュ版ドラのことを書こうかと思っていたら、こんなありがたくない記事が飛び込んできた。


<ドラえもん>スネ夫の家に3Dテレビ のび太の家の地デジ化も課題に 17日放送


 別に記事の内容がおかしいと言うわけではない。この記事についているコメント欄の内容が異常すぎるのだ。
 2005年のリニュ版ドラ放送開始時によく見られた批判・文句が、ほとんど同じ内容のままでコメントされており、さらにひどい内容まで散見される。
 5年経ってもこのザマなのだから、呆れ返ると言う外ない。

 一番多いのは「今のドラは昔のと違って性格が変わった」とかいう類のコメントだけど、この種の批判についてはもはや相手にする必要もなかろう。
 今のリニュ版ドラは大山ドラ時代のコピーを目的として作っているわけではない。あくまで「藤子・F・不二雄が描いた漫画『ドラえもん』」をアニメにしているだけであって、「漫画のアニメ化」における回答の1つとして今のアニメを作っているに過ぎない。別に大山時代のドラを踏襲するために今のアニメを作っているわけではないのだ。
 だから昔と今とが違っているのは当たり前で、逆に同じだったらそっちの方が問題になる。結果としての作品の出来不出来はともかく、安易に大山ドラの劣化コピーを目指してしまいがちなところを、一から原作ドラえもんのアニメ化を行おうとするその制作姿勢は、きちんと評価されるべきだろう。
 「今の声優がひどい」云々なんてのも同じ口だ。結局自分の気に入る声ではないから文句を言っているだけのコメントがほとんどである。
 別に気に入らないならそれでいいが、それで作品そのものを批判したつもりになってもらっては困る。それは単なる好き嫌いの範疇だ。
 挙句に「声優を変えるべきではなかった」などという、もはや定型文的な様相を呈してきている文句。
 こういうことを書く人たちはメインを努めた声優陣5人のうち2人が、勇退後にガンを患って手術を受けていたと言う事実を知っているのだろうか。

 ひどいのは「『ドラえもん』に、流行に合わせたような現実の道具(ここでは3Dテレビ)を出して欲しくない。昔はそんなの出さなかった」みたいな文句である。
 こういう人は一体ドラの何を見てこういう文句を言ってるんだろうね。
 スーパーカーブームが来ればスーパーカーを出し、チョロQが流行れば「チョコQ」として登場させる、ミニ四駆が話題になればミニ四駆を出す、ロッキード事件が起きれば「記憶にない」と言わせる、日航逆噴射事故が起きれば「機長、なにをするんだ!」と言わせる。
 そもそも秘密道具にしたところで「友だちの輪」、「百万ボルトひとみ」、「ドッキリビデオ」、「ざんげぼう」などなど、その時代ごとに話題になったことのあるネタを道具として昇華させている。
 それが「ドラえもん」という作品である。ドラはむしろその時代時代の流行を敏感に感じ取り、積極的に話に盛り込んできたのだ。
 そもそもドラに決まった時代設定はない。84年の掲載作品であれば、その時の時代設定は1984年になるのだ。
 「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」を引き合いに出して文句を言ってる人もいるが、そもそも「ドラえもん」という作品は読者のノスタルジーを掻き立てるための作品ではないし、作者であるF先生もそれを望んでいたわけではない。F先生はどこまでも現役の読者である、その時々の子供たちに向けて作品を作っていたのだ。
 有名な「空き地のある土管」にしたところで、別にノスタルジックな思いからそんな舞台を設定したわけではない。
 つまりドラ本来の作劇に照らし合わせてみれば、スネ夫の自慢の種として「3Dテレビ」が出てくることはさほどおかしいことではない。「秘密道具をすぐ使えるのび太がそんなものをありがたがるのか」などというトンチンカンな突っ込みをする人もいるようだが、そういう人は「虹のビオレッタ」を百回くらい読めばいいんじゃないかな。

 まあほとんどがそんな感じの文句なのだけど、そういう文句の類とはまったく別次元で問題のあるコメントがあったので、それについても触れておこう。
 そのコメントはこういう内容だった。

 「それは藤子Aが担当したネームだと思う」

 バカすぎる。A先生がドラえもんには一切タッチしていないことぐらい、それこそちょっと検索をかければすぐわかることだろうに。
 それともどっかの三流ゴシップ誌が書いてた「実はA先生も描いてた」説を信じてしまってたりするんかね?


 たかがyahooニュースのコメント程度にムキになって批判することもあるまい考える方もいるだろう。
 しかしそれこそ今と昔とでは、情報伝播のスピードがまるで異なる。スピードだけが異常に早くなり、その情報の真偽についてはあまり重要視されていないのが現状だ。
 そんな現代において、私的感情による文句やあからさまな間違いが公の場所に記述されてしまっている。そしてそれを見ただけで「リニュ版ドラはダメな作品だ」と、人の意見を鵜呑みにしただけなのに、さも自分自身が判断したかのように勘違いしたままの認識を抱く人が必ず出てくる。
 かつてドラえもん最終回同人誌が、一介の同人誌とは思えぬ早さで一般層にまで浸透してしまった現実を考えれば、あながち的外れな見方とは言えないだろう。
 だからこそ個人個人が書き込む内容をよく吟味しなければならない。個人のメモ帳ではない、公に公開されている場所だからこそ、「自分の書きたいことを書き込んだ」だけでは済まない事態に発展することもありうると言うことを、きちんと認識しておくべきだろう。
 もちろんリニュ版ドラが百点満点の出来とは思っていない。しかしだからと言って、個人の単なる文句や間違いを根拠に作品全体を批判していい理由にはならないのだ。

 これも長い間休むことなく放送してきたことの弊害なんだろうな。一回休んでおけば、出来はどうあれ大山ドラとはきちんと区別されて扱われたことだろう。連続して放送を続けるから、「リニュ版ドラは大山ドラと同じ作品観である」と考える人が出てくるわけで。
 無論好き嫌いはあっていい。リニュ版ドラが嫌いならそれでいい。だがそれをネット上に文章として残すなら、それが個人の単なる好みであって作品の出来不出来とは無関係であることを、一緒に示した方がいいだろう。
 尤も「自分の好みに合わないからこの作品はダメな作品」と、短絡的に決め付ける人間が多いのもまた事実なのだけども。
posted by 銀河満月 at 01:27| Comment(0) | TrackBack(0) | ドラえもん・藤子関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月05日

放送スタート、「仮面ライダーOOO」

 で、本日からWの後番組である「仮面ライダーOOO」がスタートした。
 まだ1話の段階で出来がどうこう言えるわけはないのだけど、ライドベンダーの大量登場と、大量に且つ不規則に乱れ動くメダルにそこから生まれるグリードたち。右手だけがそこかしこを飛び回るナンセンスな描写、そしてかの有名な?タトバコンボの「歌」など、視聴者の関心をつかむには十分すぎるほどの内容だったのではないだろうか。
 肝心のアクションは平均的過ぎた気がしなくもないけどね。前作「W」の1話ではルナジョーカーの戦いとかジョーカーエクストリームとか、インパクトの強いアクションシーンがポンポン出てきただけに、タカキリバフォームを披露したとは言え、まだ小ぢんまりとした印象なのは否めない。
 ただオーズは現時点ではメダルを4つしか持っていないわけだから、1話の時点でフォームを色々見せるのがもったいないというのも確かだろう。
 主人公である火野映司も、設定だけ聞くと世の中に余り接点を持とうとしない、かつてあのアホ脚本家がメインライターを務めた平成ライダー作品の主人公みたいな感じがしたけども、実際はのん気そうな態度の中にも、人の命をとても大切に思っていると見られる描写が散見され、なかなかの好印象。
 それ以外の人間キャラは、鴻上光生とその秘書以外はほとんど出てこなかったので、まだよくわからない。鴻上はグリードだけでなくオーズの存在も知っているようだけど、その辺が今後の鍵になるのだろうか。

 あと主題歌は文句なく楽しかった。クライマックスの戦闘シーンにでもかかったらよさそうな曲だね。
 わかりづらいけど、「アギト」以来久々に歌の中で「仮面ライダー」という単語が使われているのも、何気にポイント高い。

 しかし「W」の47話ではコアメダルやセルメダルがどうこうってのが、財団Xの移動体端末に表示されてたけども、メダルは今のところガイアメモリと違って普通人に応用することは出来なさそうなんだが(オーズドライバーを使う場合除く)、なぜ財団Xはコアメダルに出資しようと考えていたのか。
 先述の鴻上の件も含め、メダルにまだ謎があると考えれば、これからの展開にもかなり期待できる。
 尤も単なるクロスオーバーというだけで終わる可能性もなくはないけど。

 1話としては十分及第点だった「仮面ライダーOOO」。さて次回以降はどうなっていくのだろうか。
posted by 銀河満月 at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 特撮ヒーロー・特撮映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ありがとう、仮面ライダーW

 これまた今更になってしまったが、先週「仮面ライダーW」が最終回を迎えた。
 
 最終回は予告編を見る限りではエピローグ的な内容で終わるのかと思っていたのだけど、実際に見てみるとエピローグではなく、きちんと「W」という物語の完結編になっていたところに驚かされた。
 若菜がフィリップを復活させるための行動を取ったのは一年前、ユートピアドーパントを倒してフィリップが消えた時期からそう時間の経っていない頃であり、フィリップが一年後に復活するというのは、物語世界的には確定事項になっていたわけだから、Wの物語は前話でいったん終わったわけではなく、ずっと続いていたと言うことになる。
 さらに白眉なのは、現在の翔太郎たちと過去の若菜との描写をごちゃまぜにする、つまり時系列をわざと乱して描写することで、フィリップが復活する寸前まで、視聴者にも若菜のやろうとしていることを理解させない演出を取っていたことだ。
 前述の予告編といい、何ともブラフの使い方が上手い。特に時系列を故意にずらしているところは素直に唸らされた。それをはっきり視聴者に認識させるための小道具として、風都のシンボルたる風都タワーを使うところも、物語の世界観に沿っている。

 あと個人的に好きなのは、今話の翔太郎の描写だ。
 今話の翔太郎はフィリップがいなくなってしまった寂しさを隠すことなく、むしろフィリップという相棒のいない今の自分がダメな存在であることをはっきりと認めている。
 その自分自身の弱さを十分理解した上で、仮面ライダーとして一年間、孤軍奮闘してきたわけだ。
 以前の翔太郎であれば、ハードボイルドを貫くために意地でも自分の弱さを見せるような真似はしなかっただろう。しかし今回はそうではなく、むしろ今回の依頼人である少年・晶に対し、積極的に自分の弱い部分を見せている。
 前話と前々話において、「相棒との別れ」という辛い現実に直面しながらも、その相棒の願いを叶えるため、そして相棒を笑顔で送り出すためにたった1人で敵と戦い、そして約束を果たし、消えゆく相棒を見送った翔太郎。
 その中で彼はどれほど辛く苦しいことがあっても、最後まで自分のやるべきことをやり遂げることが何より大切であることを悟っていた。
 彼の中にあるハードボイルド像が今現在、どんなものになっているのかはわからないが、自分の弱さを知りつつも、自分がやらなければならないことのために、そして何より相棒との最後の約束を果たすために、ただ1人戦い続ける姿は、他の何よりもハードボイルドなのではないだろうか。
 翔太郎やその師匠である鳴海荘吉が理想としていたハードボイルド探偵「フィリップ・マーロゥ」は、内心の情を鉄の信念で覆い隠して行動する人物であった。
 それを踏まえると、今話における翔太郎の姿は、本人も知らないうちに本人が最も理想としていたハードボイルド探偵になっていたのではないだろうか。
 だからこそ、相棒であるフィリップが本当に復活した時は、誰に遠慮することもなく、全身でその喜びを表現したのだろう。
 これまた演じている桐山漣氏の熱演が、その描写を一層際立たせていた。復活したフィリップに初めて話しかけた時の時点で目を潤ませていたのは、どこまでが演技なのかわからないほど印象深いシーンである。

 フィリップ、と言うか園崎家の方は、若菜の心情変化がわかりづらかったかもしれないが、かつて自分自身がデータ化させて取り込もうとし、それを拒んだフィリップが、風都と仲間と自分自身のために自らデータに戻り、地球の中へ消えたことを知ったからこその変化だったのだろう。
 「地球」に縛られ自分本位のことだけを優先してきた園崎の人間の心を動かしたのは、翔太郎とフィリップが何度も体現してきた「他人のために体を張れる」信念だったわけだ。
 しかしそれでもフィリップ以外の園崎家の人間が家族として仲良くしている姿が、全員の死後になってようやく見られたというのは、皮肉と言う他ないのだが。

 そして復活したフィリップと翔太郎はWに変身、ドーパントを撃退する。
 ミュージアムがなくなってもまだ戦いが終わらないというのも、どことなく昭和ライダー的な感じがしないではないが、それでも彼らは街を愛し、街のためにずっと戦っていくのだろう。
 余韻の残る良いクロージングだった。

 本当にこの作品は良い作品だった。全体の完成度も高いし、コメディタッチとシリアスな雰囲気とが程よく両立されていた。そして何より、「正義の戦士・仮面ライダー」の姿が、最終話に至るまできちんと描かれていたことが何より素晴らしい。
 もうテレビで彼らの活躍を見る機会はないのだろうが、年末に公開される映画では再登場することが決定しているようだし、そこでの彼らがどのような活躍を見せるのか思いを馳せつつ、新ヒーローである「仮面ライダーOOO」を楽しもうではないか。

 一年間ありがとう、「仮面ライダーW」。
posted by 銀河満月 at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 特撮ヒーロー・特撮映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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